2010年08月31日

脱小沢を撤回して、脱官僚を目指せ



 


 ここに来て、小沢さんの出馬は、話し合いによっては、回避されそうだ。
お互いの政策の違いを、国民の前に差し出し、お互いに、戦ってほしいと言う意見もあれば、この緊急時に、選挙なんかしている場合ではない、という、2分された意見はあるものの、民意では、菅総理に続投してほしいという意見が、大半を占めている。
 小沢さんは、もともと出たくない人で、総理になれば、毎日、針の莚に座らされる。嫌いなカメラの前で、説明責任を突きつけられることも覚悟しなければならない。
 出来ることなら、挙党態勢で、脱小沢の今の状態から、陰の総理として、革命的政治を、実践できれば、これにこしたことはない。

 鳩山元総理、とすれば、政権を取った、民主党の解体が、最も恐れられること。
民主党は、鳩山さんが、多額の金を注ぎ込んで出来た政党で、 鳩山さんが、総理に就任した際に、述べた理想である、祖父の、「友愛」が、中軸にある。
 自分の意見が自由に言い合えるのは、良いけれど、一向にまとまらず、好き勝手な、政党に、小沢さんを迎えたのは、鳩山さん。党内に異論はあっても、民主党は、鳩山さんのお金で成り立っている政党だから、従わざるを得なかった。
 民主党らしさ、を強調する、民主党議員は、もともと、小沢さんを嫌悪する人だった。
 原田さんも、反対した一人で、嫌いだったと。
 


小沢さんは、議員達の好きかってな意見を、押し込め、民主党が、ただ一つの目的に向かって、選挙で勝利し、政権を取るまでは、実質「小沢民主党」として戦って来た。

 1枚岩が崩れたのは、小沢さんに頼らなくても、良くなったからだ。

 菅さんは、お金は出さず、勝ち馬に、乗ってきたような人で、鳩山さんと小沢さんという「財源」を利用して、総理に成り上がった。枝野さん、仙石さんは、自分の本当の同士なので、脱小沢で、民意を味方につけて、やれると思っていた。
 鳩山さんは、当然、自分を支援してくれるだろう、と。小沢さんを引き入れた時には、そういう約束もあったかもしれない。使えるものは利用しようと。
 菅さんにとって、鳩山さんの小沢さんへの忠義は、誤算だった。

総身大臣の原田さんが、言うように、小沢さんは、随分変わった。辛抱強くなった。多分、年の功という所もあり、元気もなくなった、とも言える。
挙党一致で、トロイカになれば、
脱小沢を掲げていた、議員達は、小沢さんから、脱官僚を問われるだろう。
小沢さんが、最も不満ろしている所は、そこだ。

ポストを要求した、とか、嫌いだから、とか、そんなことでごねているのなら、とっくの昔に、解党している。

官僚のいいなりになって、政治主導が出来ていないから、怒っている。
財源は、50兆は生み出せる、と小沢さんは思っている。長年、自民党の中枢にいたから、知っているのだ。
予算を全面的に組み替えると小沢さんが、言っていることが、出来ていない。官僚政治に、逆戻りどころか、よけいに悪い状態にある。

 マスコミも、誰も、このことに触れない。
検察と、小沢さんの戦いは、官僚と民主主義との戦いなのだ、と誰も言わない。

山岡さんが、仕分けにしても、皮下脂肪を取っただけで、内臓脂肪が随分ある、と言う。

そこに手を突っ込まさせないのが、官僚組織だ、と私は思う。

おだてられて、天狗になっている。陰で、あやつる官僚達は、こう言っているだろう。
軽いものですよ。我々の頭にはかないませんからね。実力が違います。

トロイカを組めば、小沢さんは、全面的に指示することを、承諾させるだろう。任せてはおけない、ひどい現状なのだから。任せておけば、益々、国民の生活はだめになるから。
まず、普天間基地の問題を、アメリカと対等の関係に。外務省と防衛省がしくんだ、辺野古移設を、撤回させることから、始めるだろう。デフレを食い止めるための、方策は、小沢さんの中には、とっくに出来ている。  

Posted by アッチャン at 11:26Comments(0)コラム

2010年08月30日

母は幸せだ、と思えるようになった


 


 友人と久しぶりに、昼食を共にした。
おしゃべりしながら、美味しいものを食べると、元気になる。心の中のもやもやも解消されるし、何よりも、誰かと一緒に食べると、美味しい。
 地下街にある、神戸屋の出店で、ナンバーワンの売れ行きだという、マンゴーが一杯のディニッシュがある。8月末日までの限定商品。
 叔母に買っていったら、美味しかったと喜んでいたので、先日、母にも一つ、買っていった。母は、喜んで冷蔵庫の入れたものの、職員が部屋に入って来ると、何かあげるものはないかしら、と冷蔵庫を開いて、そのパンを出し、あげていた。
 もう、8月も終わり、マンゴーパンのことを思い出した。地下の店で、こんどは2つ買って、母に会いに行った。
私が面会に行くと、母はトランプをしている最中だった。
ばば抜きをしていて、すでに2回の勝負が終わった所で、
「お母さん、いつも1番に上がっています。強いですわ。夢中になっておられますよ。」と扉をそっと開けて、母の様子を話してくれた。
「母は勝負事が好きで、父と良く、賭をして、母がいつも勝つので、父はそういうとき、機嫌が悪かったのですよ。」
母には言わないでもらって、

私は部屋に上がって待っていることにした。そういう風に待っていることが、最近多くなっている。
私の顔を見ると、母はとたんに、していることをやめて、私を気にかけるので、母が夢中になっていたり、隣のご婦人と話しをしている時には、中断したくないのだ。

 


机の上に、わかるようにパンを置き、戸棚に、おせんべーをん2枚入れた。
冷蔵庫の中は空っぽ、戸棚に入れていたおかきの箱もなかった。
毎日のように、果物とか、お菓子を買って持って行く。翌日には、無くなっている。冷蔵庫が来てから、母の顔が丸くなり、肥えて来ている。コーヒー用の砂糖も、ミルクも、すぐに無くなる。
果物の果糖が多いので、母の身体の為に、少しづつにした方が良さそうだ。

いつもは、しばらくすると、看護師と一緒に、部屋に帰って来るのだけど、日曜日なので、コナミが早く終わる。上がって来ないし、パンを入れたので、母に会わずに、このまま帰ることにした。
母はまだ、トランプに夢中の様子だ。



先日、母が、
「私、一番になったのよ。皆がすごい、一番と言ってくれるの、何で一番になったのか、わからないのだけど。」と嬉しそうに言う。

ホームでは、毎日、何かしら、日課が組まれている。
朝の体操から、昼食後には、書道や、音楽タイム、塗り絵や、折り紙、絵手紙に、トランプや、百人一首、映画会に、エンジョイタイム、リハビリをかねて、楽しく運動を促すゲームなど。

母の部屋に、書が貼ってある。なかなか上手。力強い筆跡だ。折り紙を利用した貼り絵も貼ってある。

今のホームに入って、母は最近、落ちついてきて、お風呂もいやがらないで入るようになり、頭も以前よりもしっかりしてきて、身体も元気になっている。
持続性が出て来て、塗り絵など、職員が感心するほど、綺麗に仕上げるそうだ。
トランプの神経衰弱、百人一首も、集中力があって、一番沢山取るのだ、とか。

施設によって、入居者の生活は、随分違う。
母は、幸せだ、と思えるようになった。
人間、誰しも、自分で、自立した生活が出来なくなる日が来るだろう。




美味しい食事、手厚い、心の行き届いた、思いやりのある介護、頭も身体の、それなりに、健康を維持できるような、環境が整っている、中で、生活出来るのは、幸せだ、と思う。
男の子の、優しくて、可愛い介護士は、おばあちゃん達の心を若々しくする。
母は、お気に入りの介護士が、食事の迎えに来ると、仲良く腕を組んで、足取りも軽く、ダイニングルームに行く。
「ラブラブ」のご様子。
おじいさんは、若くて可愛い女性のお迎えに、情熱の火を注がれるだろう。

以前の施設で、今も生活している人達に思いを寄せる。
かといって、ご家族に、紹介するわけにはいかない。
それぞれに、考え方があれば、事情も違うから。

親の年金を、自分達が生きる糧にしている子供もいる。死んでも、弔ってあげられない人達の、辛い、悲痛な事情もある。
親子なのだから、出来ることなら、親には、幸せな人生を送らせてあげたい。誰も思いは同じだと思う。出来る人間は、幸せなのだ。
貧しさが, 人間を蝕んで行く事実を突きつけられる、昨今の現状に、同じ、親を持つものとして、やがて老いていくものとして、胸が痛くなる。
  

Posted by アッチャン at 12:10Comments(0)日々の事

2010年08月29日

 俄に、元気になった菅総理

 


 小沢さんの立候補を受けて立つ、菅総理は、怯える羊のようにうな垂れていた首を持ち上げ、俄然、力が沸き上がり、元気になっている。
 菅総理の、最も得意とする場を得て、水を得た魚のようだ。
菅さんには、戦闘が似合っている。ようし、戦うぞ、という意気込みで、死んでた目に異様なほどの輝きが蘇り、背筋は伸び、ご機嫌なジョークも飛び出している。
 菅さんには、与党という居心地の悪い椅子よりも、野党の攻撃と批判で本領を発揮出来る場所が似合っている。

 挙党一致でしかありえない、適材適所で、選んでいる、と菅総理は、公の場で平然と言っている。しかも、小沢さんを排除することなどありえない、尊重しているとも、新人議員の前で、持ちあげて、菅さんの誠実ぶりをアピール。

 小沢さんを排除する言動を、あからさまにしておきながら、挙党一致でやっていると、厚顔ぶりを発揮。
 

 思うに、賢い菅さんの頭の中には、この際、敵をあぶり出して、代表戦で決着をつけて、完全に、脱小沢を計ろうとしていたのではないだろうか。
 あのように、異様なほどの、嬉しそうな表情、腕をあげてガッツポーズを記者に見せているのは、たんなる空元気ではなさそうだ。
 菅総理は、急に、中小企業を視察したり、経済対策(遅すぎる)に言及したり、派手な動きを、テレビの放映を利用して、仕事やってますよ、ぶりをアピール。

 一方の小沢さんは、連合や支持団体を、廻って支持をお願いしているが、二つ返事で、承諾するような雰囲気はない。
 菅さんは、メディアを使って、世論の支持を武器にしようとしている。新人議員は、「新しい政治、若い世代の力を頼みにしている。」という、菅さんの熱のこもった、弁の旨さに、心を惹かれる。

 小沢さん、イコール、古い自民党の金権体質、というイメージを定着させることで、クリーンな菅さんを、浮き彫りにしようとい魂胆がありありと見て取れる。

 私は、どちらが勝っても、負けても、実際の所、どうしようもない。それを決めるのは、民主党の議員と民主党の県会議員、民主党員、サポーター達の票による。
 彼らが、日本丸の舵を取る、船長に、誰を選ぶかである。共に沈むか、浮き上がるか、見識と知識、未来を見通す目にかかっている。

私達は、ただ見守るしかない。総理がコロコロ変わるのは良くない、というが、そういう総理しか、選んで来なかった、という結果だ。そういう結果をもたらしているのは、私達、国民の一票の結果なのだ。

今度の、代表戦で、菅さんか、小沢さんか、どちらが選ばれても、とどのつまりは、私達が、選出した議員達の判断にまかせられる。
小沢さんは、党が割れることを、覚悟の上での立候補。菅さんもそうだろう。本来の民主党帰りには、もともと肌の違った、小沢さんは排除したい、のが本音。

まさかの計算違いだったのは、鳩山さんの小沢さん支持の表明だった。
 鳩山さんが、帰ってくれば、会う約束を取り付けたらしい。気の優しい、
鳩山さんは、自らの胸の内を、菅さんに、それとなくわかるように、ロシアで述べている。
 小沢さんへの恩義に報いたい、と。菅さんと小沢さんの人間性の違いを、つきあいの中で、体感してきたのだろう。
真心が通じた結果だと思う。人間の信頼関係は、心と思いやりで築かれるものだから。
  

Posted by アッチャン at 09:48Comments(0)日々の事

2010年08月28日

今夜は眠れるかな

 

朝までテレビを見終わっても、少しも眠れないので、ブログを書いていると、すっかり明るくなってしまった。
 まだ眠れない。朝のテレビをつけて、聞きながら、眠れるかと思ったら、暑くなって来て、まだ涼しさが残っている、一階に降りた。
 10時からの、BS、激論ファイターを見て、11時からの、愛川欽也の「パック、イン、ジャーナル」を見てしまっても、目が冴えてしかたがない。
 前夜、一睡もしていないので、車の運転は控えて、母に会いに行くのを諦めた。結局、何処にも出ずに、床の上で、なんとか少しでも寝ようと、ごろごろしているだけで、夜まで。
 これでは、不眠症のようだ。7日間眠れない、「インソムニア」という映画を見たことを思い出す。そんなことになれば、気が狂いそう。

 パリに行っている、友人のブログは、いつも食べ物に満ちている。楽しむ為に、エネルギーを燃やして生きている。
 好きなものを好きなだけ食べて、好きな事をして、好きなスターの追っかけで、好きな 絵を描いて、好きな友人達に囲まれて、彼女に「嫌い」という辞書はなさそう。

 そろそろ眠気が。今夜は眠れそうだ。  

Posted by アッチャン at 22:53Comments(0)日々の事

2010年08月28日

京都造形美術大学


 正面


「亀治郎の会」は午後一時の開演なので、余裕をみて、早めに家を出たのですが、南座の前から、バスに乗れると思ったら、5番というバスがないのです。停まっているバスの運転席の扉を叩いて開けてもらい、運転手さんに、聞くと、四条河原町のバス停だと言われた。造型美術大学には、二つバスがあって、京都バスが早いと聞いた。
 四条河原町まで行くと、バス停が幾つもある。5番が停まる所がわからない。次のバス停に行くと、3番と書いていて、京都造形芸術大学の名前がある。

校舎

 時計をみると、これに乗ればなんとか間に合う時間、前に乗り込んだ女性が、造型美このバスが行くと教えてくれたので、あわてて乗り込んだ。
 動き出すと、バスの運転手が、
「渋滞しているので、15分以上は遅れます。」
ああ、これでは遅れる、とやきもきしてたら、さっきの女性が
「降りて、タクシーで行きませんか。私もそこにいくので。」

 バスの中は凄く込んでいて、私は上が口の階段の所にいたのを、かき分けて、運転席の所まで来ると、運転手は、もう動かす所で、
「早い目に来てもらわないと、困ります。」

バスから降りて、すぐにタクシーが来たのはラッキーだった。


 その婦人も、亀治郎の会 を観に行くところだった。彼女は、大学の学生なので、安いチケットで、春秋座の公演を観ることが出来るというメリットがあるらしい。
 京都に実家があり、今は明石に住んでいるが、学校の授業は、集中してあるので、今日から、3日間泊まり込みで、講義があるそうだ。
 北は、北海道から、通っている学生もいる。社会人や、リタイアーした人、若い人、様々な学生が、この大学に所属している。
 彼女は、歴史遺産、という学部に通って、古文書などを読んだり、昔の人達の生活風景や、考え方を読めた時には、すごく嬉しくなるそうだ。


岡倉天心の像

 入学試験はなく、誰での入学出来る。けれど、単位を取らないと、卒業は出来ない。
 
 千住博が、学長で、専門家や、有名な特別講師の講義なので、ユニークで楽しい授業を受けられるそうだ。

  山の傾斜を利用して、建てた学舎が、アーチスティックで、緑を取り込んで、ゆったり建てられている。


 

 劇場に入るまでのロビーに、各学部の作品が展示されている。
 アニメ、演劇、文芸、写真、アートの造型作品に絵画など。留学生の受け入れにも積極 公開講座も、季節毎にある。興味の有る方は、問い合わせしてみてください。  

Posted by アッチャン at 21:56Comments(0)art

2010年08月27日

亀治郎の会、京都春秋座



  



「亀治郎の会」を観に行ってきました。
京都の、「春秋座」で、今日まで、公演中です。
「春秋座」は、京都造形芸術大学が、建設した劇場で、様々な分野の、芸術、芸能の実践場になっていて、伝統芸能を広める為に、大学が無理して作ったもの。



春秋座の立ち上げ公演で、亀治郎さんが、「亀治郎の会」を作ったのですが、その後は、東京での公演が多く、京都の春秋座は、2回目、「亀治郎の会」としては8回目です。
 この大学の学長は、画家の千住博で、今回の「亀治郎の会」では、千住博の、大作、滝の絵画が、舞台の奥に、その前で、素顔の亀治郎が、薄茶色の着物姿で、若い舞踊家と、舞う「漁樵問答」と、歌舞伎の世界以外からの、福士誠治や渡辺哲など現代演劇の俳優も参加する「上州土産百両首」です。




http://www.k-pac.org/performance/20100824.html

 滝の絵画は、養老の滝、老人が、養老の滝の水を飲んでいるうちに、若かくなり、一方の浦島太郎は、玉手箱を開けて、老人になる、というお話。
さすがに、舞の名手と歌われる、亀治郎の舞は、見事で、清楚な美しさ、凛とした気品が漂い、バックの絵画から、抜け出たような、溶け込むような、美しさです。

  お腹が空いていたので、入場する時に、この「春秋座」の精進料理のお弁当を予約しておいて、幕間に、カフェで食べることにしていました。




 60食限定という、精進弁当は、棚橋さんと、この大学の学生が作った、「食は芸術」というコンセプトで作ったもの。1300円は、大枚なれど、精進ならば、ダイエット中の身にもグッドだと思い、無くならない前に、予約しておいたのですが、なんのなんの、まだ一杯残っていました。
 お味が、まあまあ、期待していたほどではなく、量が多くて、これでは、ダイエットにはとてもならない。
 同席していいですか、と言われた婦人は、サンドイッチを買っていた。この方が、良かったかも、とも思ったけど、「食は芸術」という殺し文句に惹かれて、絶対に、こちらを選んだに違いない。



 若い亀治郎さんには、京都の綺麗どころのフアンが多い。昼の公演とあって、夜の仕事の前に、色町から、沢山の、置屋の女将、芸者、舞子さん達で、華やか。カフェで、テーブルに座って、コーヒーや飲み物を飲みながら談笑している姿が見られた。



「上州土産百両首」は、往年のスター、勝新太郎と、新喜劇のあほ役の名役者、藤山 寛美 の共演で、演じられた演目です。
 歌舞伎と、現代劇とのコラボで、違和感が全く感じられずに、溶け込んで一体となった、緊張感のある作品に仕上がっています。
 所々から、かけ声がかかって、役者さんも、それに乗って、熱がこもる舞台。笑いと涙の中に、熱い心を残しながら、舞台は終わりました。良いお芝居を観た後には、後ろ髪を引かれる思いがあります。
まだ、このまま帰りたくない。そういう思いを、この芸術劇場の別の場所で開催されている、公募展で、ぶらぶら作品を観ながら。



通信学部の卒業生の、公募展、その奥に、楽屋への出口がありました。出入りしているフアン達。誰に面会なのかな。
 
作品は、絵画では、インパクトのあるものはなくて、どこかで観たようなものばかりでしたが、オブジェは、個人の個性が出るので、面白いものがありました。



今日は、昼にカロリーオーバーで、たっぷり食べたから、本当ならば、夜は控えて、というのでしょうが、私の場合、違うのです。
はめはずしたから、夕食は、美濃吉のお弁当を買って帰り、赤ワインを一本開けて、食べまくり、飲みまくり。母の好きな「小倉山荘」というおかき屋さんの、お砂糖いりのおせんべいを土産に勝ったのですが、それまで、手を出して。
1キロは太ったかもしれませんが、これで、またカロリーを頭に入れて、粗食、ノンアルコールで過ごせる。とにかく、アルコールが入ると、次から次にたべてしまう。頭のコントロールが効かなくなります。

静かに、なだめて、時々は、爆発して、それでないと、ダイエットは続かないと勝手に思っているのです。
お芝居に酔い、気持ちが高ぶったのですから、こんな日には、こうでなくちゃ。  

Posted by アッチャン at 14:19Comments(0)演劇

2010年08月26日

小沢さん、出馬を表明

 
 

今朝、鳩山さんと会って、鳩山さんが、小沢さんが立つなら、支持すると言われたので、小沢さんは、立候補
することを、記者団の前で、表明されました。

 鳩山グループが、どちらにつくかで、と昨夜、ブログに入れていましたが、今朝の、速報ライブを見て、
身体が、ぞくっとしました。

 これからは、管さんと、小沢さんの、政治についての姿勢や思想の違いを、国民が、メディアを通して、判断できる機会が出来る。
 
 おおいに討論を戦わしてもらいたい。小沢さんは、自分が出て、この国をなんとかしなければ、と決意を固めた。

 小沢さんが、勝利すれば、管さんと小沢さんを排除しようとしている人達は、小沢さんに従うだろう。彼らに、力はない。世論が味方だと思っているけれどそんなものは、実態のないものだ。弁士としては旨いが、政治家ではない。

小沢さんが、負ければ、民主党を、出て、新しい政治集団を形成するだろう。

どちらにしても、やっと改革的政治の夜明けが来た。政治が動く。  

Posted by アッチャン at 09:27Comments(0)日々の事

2010年08月26日

 鳩山グループの動向次第

 
 


 小沢さんが、代表選挙に立候補するか、しないか、その鍵を握っているのは、鳩山グループの動向にかかっている。
鳩山さんの側近、中山さんは、鳩山グループが、小沢さんの出馬を要請しないと告げた。軽井沢では、小沢さん支持に傾いていたが、議員達が、地元の意向に敏感になっているからだ、という。
管総理は、鳩山さんの支持を取りこんで、小沢さんを排除するつもりだ。管さんを指示している、鳩山、野田グループは、小沢さんを容認するはずがない。
(政治と金」のイメージの強い小沢さんを、受け入れれば、世論の支持を失うことになる。

民主党の原点に戻って、鳩山さんと手を組んで、政権を取るために、力を借りてきた、小沢さんを、見限ることで、管政権として、改革をすすめるつもりだ。

小沢さんを取るのか、管さんを取るのかを、仲立ち役を買って出た。鳩山さんが、逆に、見のふり方を迫られる形になっている。

管さんと、鳩山さんとの間には、すでに、約束が交わされているのではないか。内閣改造で、鳩山さんに、外務大臣の椅子を確約することで、管支持を得たのではないだろうか。

鳩山さんとの会見の結果を聞かれて、管総理は、会談の大半は、北方領土の問題解や、難局に、鳩山さんには、これからも力になってもらうことで了承を得たことを強調している。小沢さんの、小の字も出なかった。記者につ込まれて、
「ですから、鳩山元総理に、これからも相談にのってもらうことを了承していただきました。」

明日の朝、鳩山さんは、小沢さんと、会い、おそらく管さんを指示すると告げるだろう。民意を、その理由に付け加えることで、小沢さんに、ここは我慢していただきたい、民主党の為に、議員達の為に、とでも言うだろう。

筋書きは、民主党に、小沢さんを引っ張りこんだ時に、すでに出来ていた。

小沢さんは、今回も言うのだろうか。
「だますよりも、騙される方が、良いと思っています。」

小沢さんが、熟慮の末に、代表選に出る決意をするなら、負ければ、割って出る覚悟が出来た時。同士と脱藩する覚悟の上だろう。

 出ないと決断すれば、機はまだ熟していないから。憂慮しながらも、管政権を国民も民主党議員達も支持しているのだから、自分が出ることはない、と判断した時だろう。

政治生命が、そこで断たれたとしても、小沢さんは、自らに、一点の曇りもない政治家としての生命を貫いていることに、誇りを持っているだろう。

   

Posted by アッチャン at 01:31Comments(0)日々の事

2010年08月25日

 菅政権が目指しているのは、貧乏神政権?


 


期待されていた、日銀総裁との会談が、電話で、たった15分だけで、為替介入も、金融緩和も、期待されていた対策は、なにも出なかった。
 為替は、85円から、84円台に入り、野田財務大臣の緊急記者会見でも、具体的な対策は何もなく、注意深く見守る、とコメント。これが水を注いで、一気に83円台に。
 こうなると、80円割れも視野に入ってきた。
 新人議員を集めて、支持を固めている場合ではない、と経済界からも、早く、阻止する行動に出るべきだ、と、悲鳴が聞こえている。

世界は、菅政権を、アマチャー政権だと、笑っている。赤子の手をねじるようなものだ、と。
これは行くところまでいかなければ、どうしようもないかも。菅政権は、従来の自由主義経済に決別して、内需に目を向けて、皆で助けあう社会、最小不幸社会を目指しているのだから、最小不幸で止まる人間の共同体を目的としている。
貧しくても良い。貧しいながらも、なんとか助け合って、生きていこう。
競争力はもういらない。輸出に頼らなくてもいいじゃないか。自給自足で、分け合って食べていこう。贅沢はやめて、米が食えないから、麦で十分。おかゆにすれば、3人分食える。
ジャパン イズ 48 でも、良いではないか。

円高には、円高のメリットを活用して、輸入品が安くなるので、デフレが加速する。デフレも捨てたもんじゃない。

デフレスパイラルになると、菅政権が目指している、貧しい国になっていく。 失業者は益々増えていく。

日銀総裁を見てもわかる。貧乏神が取りついているように、覇気がないし、目はいつも泣いている。
菅さんと、日銀総裁が、並ぶと、不景気二重唱、貧乏性コンビ、という感じ。前日銀総裁の福井さんは、赤ら顔で、艶があり、福相をしていたのとは、対照的。

自民党が押していた、武藤さんを、蹴って、貧乏性の日銀総裁を選択したのは、民主党なのだから、変えたくても変えられない。

無策の政権に、無策の日銀、このまま、日本は、転落の一途を辿るのだろうか。  

Posted by アッチャン at 02:34Comments(0)日々の事

2010年08月24日

菅総理ではだめ。

 
 

昨日から、新人議員を集めて、菅総理は、続投を支持してほしいと訴えている。
 菅総理の下での、政権運営には、全く期待が持てない。
菅さんは、総理になりたかった男だから、相当な野心家であることは確かだ。市民運動を広げて、国民の声を広く聞いて、第三の道を、政治の目的にあげているが、菅総理にとって、第三の道の、本当の狙いは、総理の座につき続ける為に、小沢さんでもない、鳩山さんでもない、官僚の力を借りて、言葉巧みな弁護士あがりの、側近で身を固めた、「リベートに強い内閣」ではないだろうか。
実務は、官僚に、表に出るのは、論客の仕事。この二つを手に入れれば、体制が崩されることはない。
 鳩山さんは、誠実で人は良いけれど、口が災いの元で失脚した。
 小沢さんは、悪者イメージを作り上げられて、国民の不支持で、失脚。

2人は、共に、金権政治のイメージから、ダーティー、という評価で、民意の支持を無くしたのだから、国民に支持されないのに、出てこれるわけがない、と菅内閣を支える、クリーンを売り物にしている議員達。

 彼らは、お金儲けに対して、アレルギーを持っている。株は、博打だ、労働の対価ではない、と毛嫌いしている。
 経済に対して、あまり関心を持っていないのだ。節約とケチケチ精神で行けば、そのうちに、道は開ける、という安直な考え方しか出来ない。
 商売人ではないから。サラリーマンなのだから。

 まるで、会社が儲けているのはけしからん、儲けをはき出せ、働いているのは、労働者の自分達だ。解体だ、と労働者にストライキを先導する、共産主義者のイデオロギー活動のような感じがする。

 果たして、こういう政治手法が、理想的で、未来に、皆が安心した暮らしがやってくるのだろうか。

 金の大事さがわかって、金を軽視しないで、お金儲けの旨い、それでいて、お金を生かす、商人気質の、親分肌の成功者で、民の生活を大事にして、御上(官僚主導政治)を打破する力を、備えた、そのような人が今、求められている。実業家肌で、世界と対等に渡り合える、強い人格をもった人。命を狙われるくらいの政治家でないとだめだ。

 菅総理の、目は伏し目がちで、踊っている。おどおどしてる。野党時代の、かみつき菅さんは、どこに行ったのか。
鳩山さんは、総理になって、顔つきがしまって、総理らしくなっていたが、今の菅さんに、オーラが全くない。

 日本の企業は、菅内閣を見捨てている。身を守ることしか考えていない。海外に出て行くか、日本丸の舵を取れる、指導者が出てくるのか、身を守りながら、見ているだろう。

 マーケットは、悲鳴をあげている。経済対策を要求している。マーケットが、経済を映し出していることすら、彼らは知らないに違いない。あれは、いわば博打でしょう、汚い金が動いているのでしょう、と。  

Posted by アッチャン at 09:51Comments(0)

2010年08月23日

アルバムの中から

 
 ステラと三重の女の子と男友達2人

 いつまで続くの?この暑さ。
 日曜日、出かけないで、一日中家にいた。
片付けが、少しも出来ない。出来だけ、簡素に。捨てるものは捨てようよ。
 身の回りの整理をしておかないと。で、写真を整理にかかる。友人は、アルバム、1,2冊にまとめた、と何年も前に聞いた。
見ていると、思い出がよみがえる。忘れてしまっている景色もある。
アルバムには、旅の思い出が詰まっている。忘れていたことが、アルバムの中で再現され、記憶を呼び起こす。
最近の何年間か、デジタル写真になってから、コンピューターとDVDだけになって、場所は取らないけれど、アルバムのように見ることがなくなった。

イギリス旅行は、 北から南まで 一月かけて、廻った。B&Bとユースホステルを使っての、貧乏旅行だった。B&Bの主人達は、親切で、家族のような雰囲気の中で、主人の話し相手になったり、親しくなった奥さん達。旅先で出会った人々との、心温まる交流。
また来ます、と絶対的に思ったのに、再び行く機会がないまま。
あの頃は元気だった、若かった。写真の中の顔が証明している。
写真を見ながら、思い出を綴りたい。

フランス旅行は、何度か。アンボワーズの語学学校で、親しくなった、スペイン人のステラが、私の側で笑っている。毎日、一緒に学校で学び、昼食は、イタリアとセルビアから来ている男友達と4人で食事をすることもあれば、三重から来ている日本人の女の子と3人で過ごすこともあった。放課後は、いつも一緒。レオナルド、ダ、ヴィンチの家の庭で寝転んで過ごす。
のんびりした城下町での1ヶ月間は、充実した時間だった。自転車で、お城を廻った。別れが近くなると、ステラと2人、涙が。
彼女から結婚式の招待状が届いたけど、行けなかった。いつのまにか音信不通になってしまったけれど、どうしているのかな。赤ちゃんが出来たかな。幸せに暮らしているかな。
写真の中の彼女との思いでのまま、彼女の、愛しさと熱い思いは変わらない。

写真の一つ、一つが、1人、1人が、語るにつくせない、思いでの中で存在している。とても、整理なんてできっこない。
これから、腰を落ち着けて、この思いでの中に、どっぷりつかって、記憶の扉を開こう。
1人でも寂しくない。 思い出が一杯だから。
そして、まだまだ。このアルバムを見ていたら、もう一度、懐かしい場所に行きたい。まだ知らない、未知の場所で、未知の人達と出会いたい。
元気が沸いてくる。
写真は、過去の止まった時間ではない。写真から、人物が浮かび上がり、行動し、話す声が聞こえている。記憶の中で、現在進行形なのだ。  

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2010年08月21日

オモニ「母」を読んで


 

 やっと、読み終えた。
羹尚中作「母」の中で、最も心打たれた箇所は、永野テツオという日本名を脱ぎ捨て、本名の羹尚中、を自分の名前として、生きていく決心をした時の、言葉だった。
「どんなところに生きていても、陽は昇り、そして陽は沈む。変哲もないありふれたことだ。でも、その当たり前を当たり前として思えなかったのは何故だろう。そうだ、ありのままでいいんだ。ありのままで父と母が子の国で生まれ、そしてわたしは偶さか日本で生まれた。ただ、それだけのことじゃないか。ならば、ありのままで生きよう。」

 韓国人であることに、引け目を感じ、韓国を否定して、卑屈になっていた自分が、心を解き放ち、自由になった。

「心の中で閊えていたものが少しづつ、消えて行くような爽快感がじわーっと広がっていくようだった。やっとわたしはオモニの故郷に降りたっていることを実感したのだ。」

カミングアウトすることは、生やさしい事ではない。誰しも、人に知られたくない部分を持っていて、それが弱みになっている。その弱みに、自分が支配されている。
そういう自分に打ち勝つことで、ありのままで生きられる。心が解放され、自由になる。

私が子供の頃、家から、橋向こうに、白いチョゴリを着て、髪をひっつめにして、いつも開いた土間の奥に、座っている お婆さんがいた。
 時に、何人かが集まって、大声で、泣きながら、なにやらやっていた。
それが、この本に中に出てくる、オモニ(母)の先祖供養だったのだろう。
 
 家の近くにも、そういう家があった。そこは屑やさんだった。土間が空いていて、一日中、お婆さんが、白いチョゴリの下で片膝を立てた格好で、座っていた。
 アイゴー、アイゴーと泣きながら、座っていた。

「母」を読んでいると、すっかり忘れていた、昔の情景が浮かんできた。
羹さんは、そういう環境の中で、育ったのだと。

本の中で、字の読めない母は、録音テープを残す。
「オモニたちは、昔からの仕来りば守ることで、何とか日本でも生きていけたと。
もうこれからは、ニホンもチョウセンもなか時代になるど。」

実際、昔、目にした光景は、どこにもない。ニホンもチョウセンもない時代になっているように見える。

けれど、本当にそうなのだろうか。
羹さんは、最後に、こう締めくくって終えている。
「すべてが変わり、そして変わっていないように見えた。フーッと深い息を吐き出すと、頭上はるか遠くで、鶯の鳴く声が聞こえたような気がした。」

目に見えるものは、すっかり変わっても、隠された部分で、何も変わっていない。
沖縄への、差別的負担の上に、本土の日本人は、なんと無神経なことだろう。
戦後2年経って、天皇が、アメリカに、沖縄をアメリカの占領下に置いてほしいと、頼んだと、東京大学大学院の高橋教授が語っている。中国、朝鮮への侵略の責任者である、天皇が、報復の脅威を免れる為に。
 まずは、身近な、沖縄問題を解決しなければ、そこから始めなければ、変わったとは言えないのではないだろうか。

  

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2010年08月19日

小沢さんへ



 

 

 小沢さん、九月の代表選挙に出馬してください。
菅さんと、堂々と、戦って、小沢さんなら、停滞した日本を、どう切り開いて行くのか、国民をどういう方向に導いていくのか、堂々と意見を述べ会い、国民に、民主党議員に、党員に、小沢さんが、次期総理にふさわしいのか、否なのかを問うていただきたい。

潔白であるのなら、絶好の機会ではありませんか。
なにも、審査会の結果を待つ必要も、検察による4度目の聴衆を受けるまで、待つ必要はないではありませんか。

 潔白であるのなら、たとえ、国民審査会に選出された人達が、検察の不起訴は不当だと、判断して、裁判にゆだねるとしても、それはあくまでも、審査会の人達の意見です。 多額のお金を動かして、記述がないのはおかしい、お金の出入りをごまかしているだろう、という憶測による判断なので、真理ではなりません。
 
 寡黙であろうが、言い訳をしない性格であろうが、小沢さん、あなたには、責任があります。
 民主党を勝利に導いた責任、自民党をでて、官僚政治からの脱却と国民を幸せにする、責任があるのです。

 鳩山さんも、菅さんも、小沢さんが、検察の権力に負けて、代表を降りざるを得なくなって、出て来た、いわば代理の二番バッターなのです。
ここまで、民主党を引っ張って来て、「政治と金」で、失脚を余儀なくされても、潔白であると、おっしゃっているのですから、周りに配慮し、控えておく事は、もう許されない所まで来ています。

 先日、矢沢永吉が、少々汚い言葉ですが、自分の穴は自分で拭け、という言葉を使っていました。

 どこを見ても、そうできない人達が多すぎます。
責任を転嫁することは出来ても、自分で始末をしない。自分が蒔いた種を、自分で収穫出来ない。
 政治家にも、なんと多いことか。代理なら、代理ですむ。誰がこの種を蒔いたのか、と誰がこれほど支持率低下を招いたのか。

 政党の再編をくりかえし、自民党の審議を一切応じずに、民主党に政権を取らせたのは、小沢さん、あなたでしょう。

 心臓が悪かろうが、倒れようが、国民を背負って、政治家としての生涯を貫く、精神がおありなら、ここは、代表戦への出馬を決意していただきたい。

総理がころころ変わるのは良くないことは、重々承知の上です。海外からの信頼は薄れるばかり。
 菅さんが、支持されるのならば、民主党は菅さんを代表に選べばよい。
菅さんは、小沢さんを、拒否し、排除することが、国民の為だと思っています。
で、何が出来るというのでしょうか。国民が、それほど知識があって、良識のある判断が出来る人ばかりでしょうか。

 小沢さん、あなたは、まだその時期ではないと思っておられるのでしょうか。
再編はまだまだ起こる。この低迷と混乱は、必要であるのだと、思っておられるのでしょうか。

 船は沈むばかりです。最近の円高は、日本に実力があるから、ではありません。
世界は、介入しません。円高によって、ヨーロッパは経済を持ち直すでしょう。アメリカは、円高指向です。中国が人民元を切り上げることを要求されるのは、中国が経済成長しているから。
 安保常任理事国は、戦後65年たっても、自分達の利益優先に運んでいます。

 戦争で、原爆を落とされた、日本が、アメリカの傘に元で、65年経っても、自立出来ずにいます。アメリカがくしゃみをすれば、風邪を引く。風邪を引くと、ハンカチで始末をしてあげるのは、日本の責務になっています。
 為替は、今、日本の独歩高になって行きます。協調介入がなければ、日本を経済的に潰しにかかっているのと同じです。武器を使わず、通貨で。
以前なら、日本は、世界経済の中核を担っていましたが、今や、中国です。中国のGNPが日本を抜きました。

おかしいじゃないか、不当ではないか、と堂々と言える総理を。豪腕と言われ、政治家が、一目を置いているのは、民主党の中で、小沢さんでしょう。イエスとノーを堂々と言える総理大臣でないと、この国にもう未来はありません。  

Posted by アッチャン at 09:00Comments(0)コラム

2010年08月18日

学問とは何か?

 


NHKの、ドラマの中で、
 息子を予科練から、特攻隊として死なせた母親が言う。
「私に学問があったら、息子が考えていることを理解することが出来たのに。」
息子の親友は答える。
「学問がなかったのは、国です。」
 
戦前の日本は、多くの文化人、芸術家、思想家が、引っ張られ、獄中に入れられ、ひどい拷問にかけられました。

人間を大切にする言葉を発すると、民主主義を唱えると、戦争はいけな事だいうことに通じる言葉を発すれば、「非国民 」と非難されました。

西洋の書物、文化、芸術、哲学書、あらゆる西洋の学問は「非国民」の対象になりました。

帝国主義を推し進めて、戦争に、国民を駆り立て、戦場に送り出し、命を道具をして扱い、死なせたのは、軍総本部の陸軍の指揮官達。

彼らは、戦場で戦う兵士達を、、玉砕という美化した言葉で、兵士達を見捨て、全滅自決させたのですが、何故そのようなことが出来たのか、と考えると、
私は、天皇、という、人間とは一線を画した、崇められる旗印があったから。

大衆の無知を、煽るのは、何時の時代にも、権力の力です。
先導という形に、人々は踊らされ、なびいていく。権力のあるものが、正しい知識と、人間重視の思想に守られていれば、戦争を回避出来たでしょう。

「天皇」という、神を使うことによって、国民を戦争に送り、玉砕させることが出来たのだ、と思うのです。
 宗教戦争で、人々は、「神の」為に死んでいきます。宗教戦争におけるおびただしい、血染めの戦いは、「神」が望んでおられる、神の使命だ、神に守られている、という信念がバックにあります。そして彼らは、聖書を読む、あるいは聞く以外に、学問がないのす。

学問、とは?と考えると、私は、学んだことに、疑問を問いかけることだ、と思うのです。疑問が、また学びに。そして、最も大切な問いが、いつも頭をもたげる。
 人間存在、とは何か、という問です。
 人間が、人間であることに意味を問うのでしょう。

 そういう問いに、判断停止をかけ、禁止しできうるのが、「天皇」という存在です。
天皇、という存在が、戦後の民主化によって、国民の象徴として、残された。
天皇を、神格化して、崇める人々が多くなってきている現状を、私は怖いと思っています。 国が、貧しくなり、行く場がなくなると、略奪が、侵略が始まる。

 北朝鮮では、餓死状態に苦しんでいる人達は、早く戦争が始まれば良い、と言っている。 軍部の強制は、もはや効かなり、統制がとれなくなっている。
 北朝鮮は、天皇がいないので、独裁者は、いずれ滅びる。同じ人間として、罰せられる。

 日本は、最高の責任者である、天皇が、責任を取らされることがなかったのは、
人間とは違うからです。

 現在も、天皇に対する発言で、小沢さんが、非難されていたのは、天皇をないがしろにした発言だ、ということでした。

 多くの日本人が、天皇を、人間とは一線をかくして観ようとしている。ある種の権力の象徴としてみようとしている。
 これは、民主主義にとって、危険をはらんだことなのでは、ないでしょうか。

   

Posted by アッチャン at 10:18Comments(0)日々の事

2010年08月17日

お盆が終わった


 


http://www.isshinji.or.jp/
お盆の15日は、天王寺の一心寺さんに。昨日は、京都の大谷さんに。
一心寺には、母の両親のお骨を納めている。
 祖母は、よく仏さんのような人だと言われ、祖父は、古武士のような人だと言われた。高野山の麓の商屋に4女として、生を受けた祖母は、父親を早く亡くし、母親は5人の子供をかかえて、畑を守った。亡くなった夫が、亡くなる時に、「わしはいつもお前を一緒いて、守ってやる。」と言い残したという。曾祖母は、夫が寄り添ってくれているのが、わかったので、怖くなかった。



 祖父母の人生は、紆余曲折はあっても、苦悶に満ちた人生だったと思う。御大師さんを信仰し、御四国八十八カ所を、白衣を纏い、歩いて廻った。途中、何度も御大師さんのお御陰をいただいた、とか。
 
祖母が病院のベッドで亡くなった時に、財布の中に10円しか入ってなかった、と言って母は泣いた。
母は、折りにつけ、お金や食べ物などで、援助をしていたけれど、祖父母の口には入らず、お金は、家族と息子の為に消えた。何もなくなると、祖父母は追い出され、娘の所に身を寄せた。祖母の身体は限界だった。母の妹にしがみついて泣いた。

妹夫婦は、このまま家で看取ることは出来ても、病院には入れてあげられないと。母はすぐさま、母が費用を持って、入院させて3週間、お彼岸の頃に祖母は亡くなった。お葬式も、全ての費用を母が払った。

 その後、祖父は家に戻り、一日中、手を合わせて祈る日々、亡くなった時には、お腹の中に食べ物は何もなかった。粗祖父のお葬式も費用も、全て母がした。


 

 祖母は、優しくて、朗らかで、人なつっこい性格で、母が子供の頃、琵琶と詩吟を習っていた。清潔ではあっても、いつも同じ着物を着て過ごす、母親が恥ずかしかった、と母は言う。
祖父は、習字を生涯続け、幾つかの職業を変わり、やがて刀屋を営み、刀の売り買いで、全国を旅するようになった。
引きこもりの息子を結婚させなければ、安泰な日々を送れたかもしれない。アルコール中毒と博打に走る息子、あらたに抱えた妻子、祖父の蓄えで生活する日々は、やがて底をつき、息子夫婦から捨てられた祖父母。

祖父母は、生涯、息子を愛し、謙虚で、信心深く、誰を非難することなく、静かに死んでいった。

この親にして、この子あり、と言われる。
母の有り様は、祖父母の有りようから。
 
一心寺さんは、お墓を持たない人が、御骨を納めるお寺として知られている。大勢の人達、家族がお盆とお彼岸に訪れる。
母がしていたように、おせがきを書いて、御詠歌を詠ってもらう。
 毎年、施餓鬼の枚数が増える。私の周りから、旅立っていく人達の名前を墨で書いていく。
全く不信心ものの私が、母の代わりに、お参りをするようになっている。



翌日は、京都の大谷さんに。


父がいた頃、父母と、息子と4人で、五条坂の太谷さんに来た事を思い出す。暑い日だった。父がお腹を壊していて、お参りの帰り道、河原町まで歩いている時に、漏らしてしまった。パンツを買って、履き替えたことがある。息子はおかしくて、ケラケラ笑っていた。お盆になると、思い出される、父には思い出してもらいたくない失態なのだが、私達には、貴重で幸せの記憶になった。


 16日は、京都5山の送り火がある。
亡くなった人達を、送って帰ってこようと思った。
吉田さんは、きっとパリの空にいらっしゃるだろうけれど、一心寺さんと、太谷さんのお参りしたから、京都の送り火の中にもいらっしゃるかも。

 河原町まで歩き、それから、京阪の出町柳あたりまで歩き、夜の8時に、大の字がくっきりと浮かび上がった。




 初めて見る、送り火。
 大文字焼きと言えば、母の思い出話が浮かぶ。


母が下元気だった頃、歌舞伎を観に来たり、友人の日本舞踊の会を誘われて、京都に良くでかけていた。
 踊りの会の後に、送り火を見ようという趣向で、料理屋さんに席を取ってもらっていた。 料理屋さんに一行が落ち着いて、さあこれから、というときに、不審火がでて、全員が外に追い出されたのだという。
 「御山焼きを見るつもりが、かちかち山の狸になったのよ。 」
母はおどけて、出て行くまねをして、笑わせていた。

   

Posted by アッチャン at 13:31Comments(0)日々の事

2010年08月15日

お墓参り

 


母とお墓参りに行った。曇りがちの空だったので、熱中症の心配はないかなと思って。
お盆とお彼岸には、母を車に乗せて行っていた。
 今年は、もう少し、涼しくなってから、と思ったけれど、父の言葉が聞こえる。
父が晩年になって、毎年、広島まで、お墓参りをするようになっていた。
 車2台で、出かけたことがあった。アメリカから息子も帰っていて、一緒に。
炎天下、父は草むしりが辛くなって、木陰で休んでいた。
 父が亡くなって、息子は帰って来ると、アメリカに帰る前に、お墓参りをする。
「おじいちゃが、おい、圭 わしが死んだら、こんな風に、草むしりしてくれよ。お墓に詣ってくれよ。」

 父は息子をとても愛していた。息子も、父が大好きだった。子供には無関心だった父が、孫にはああも変わるものか、と感心したくらいだった。

 そんな息子が、吉田さんに初めてあった時に、吉田さんが、父に似ていると言い、とても身近に感じたようだ。
 吉田さんも、孫のように思ってくださり、暖かく迎えてくださった。

私が従姉妹に、「吉田さん、私の父に似ていると、息子が言うのよ。」というと、
「そういえば、そうだわ。フランクで飾らなくて、おじさんによく似ている。」

従姉妹が日本で個展をした時に、父は言う。
「絵の事はわからん。どれでもいいから、買ってほしいものに。」と言って、一番高いものを買った。

生活は質素倹約、身はかまわず、頑固で、我が道を行く人だったが、人助けのお金を気前よく使い、知られない場所で、人に優しい人だった。

 
 
吉田さんは、毎週、水曜日の午前中に、奥様のお墓に行かれた。お掃除をして、お話をされて帰ってこられる。奥様に苦労をかけた、とおっしゃっていた。

私の親友は、息子を若くして亡くした。息子よりも2才上の男の子。両親は、毎週、日曜日に、息子に会いにお墓参りに行く。

そこに行けば、会える。吉田さんも、私の友人も、思いは同じ。

母は、お墓に行くと、「毎月1度は来なくちゃいけないわ。」と言う。
けれど、私達が行くのは、お彼岸と、お盆と、お正月。
それでも多い方かもしれない。忘れ去られたお墓、荒れ果てた、お墓もある。

ようは、心の問題なのだ。その人の中で、愛し行き続ける人もいれば、死んでしまっている人もいる。

昨日、「帰国」というドラマを見た。
「人間は二度死にます。一度目は、肉体の死。二度目は完全に忘れ去られた時。」

愛の火が、燃えている限り、人間は死なない。お墓の中でも、生き続けている。  

Posted by アッチャン at 12:47Comments(0)日々の事

2010年08月13日

吉田堅治さんの言葉から思うこと





昨夜、吉田さんの放送番組の再放送があったので、見ていた。市村さんが、吉田さんの言葉を読み上げる。一つ、一つ、パリのアトリエにお邪魔して、幾度となく伺った言葉。
 この番組をみせてもらって、それらの言葉が、意味を一つにして、浮かび上がって来た。生と死は、表裏一体としてあるのではなく、混然として存在する。
人間の中にある、悪しき心(悪)は、人間の中にある善意(良心)は、表裏一体としてあるのではなく、混然として存在する、という、真理。

吉田さんから送られて来た、コピーがある。それは、映画を制作したISHMAEL ANNNOBILによる、質問状に、吉田さんが自筆で、答えを書いておられたもの。
その中で、最初の質問として、
 恩師のはやし様、古城戸様の芸術へのアプローチがどのように、他と類を異なっていましたか?
 
答え
 林先生も、古城戸先生も人が作品を創るのだから、自分の人間として悪いところを取り除いていくことがよい作品を創ることになる。それ故、謙虚に人から学び、欠点を改めていくことが大切であると教えられた。
お二人とも戦争で軍事体制に決然と反対されていた。

吉田さんは、良く話された。
 古城戸先生が、
吉田さんの腕をつかんで、
「吉田、行くな。死んではならない。絵を描け。生きる道を選べ。」と必死で止めるのを聞かずに、先生の言葉に背いて、志願した。」ことを悔いておられた。

 質問 
古城戸世婦負がおっしゃられた言葉、戦争には行くな、生きる道を選べ
この言葉は先生ご自身 戦争で亡くなられましたが 貴方にとって、命を大切にするという意味で座右の銘になっているのでしょうか?

答え
 そのようにも言える。神の声を先生が使途として代弁して、私に与えてくださったのだと思っている。

 悪しき心も、善なる心も、混然として人間の中に存在するが、悪の心を見つめ、自我から放出し、遠ざけ、心の中に善の光を灯し、善に向かって祈る。吉田さんの人生はその努力の日々だった。




祈りについて、よくこう言われた。



「私は、毎朝、毎晩、神様に、お祈りをする。神様の使命に、答えることが出来ずに、至らなさを懺悔する。神様の使命を十分の果たせないでいます。ずみません、とわび、私はどうすれば良いのでしょうか、と神様に問いかけると、自ずと答えてくださる。
みんなの為に、平和な日々でありますように、とお祈りする。」

 心を見つめ、心との戦いなのだ。戦争を引き起こす人間は、平和を実現させることも出来る。

自己愛に陥らず、相手の幸せを願えるようになれば、戦争は起こらない。現実にはそれが出来ないのだ。パスカルが言うように、
「日の当たる場所と日陰の場所があれば、人間は日の当たる場所を欲望する。それが争いの元だ。」

 私も、実に悪しき心に満ちている。人を罰し、自分を正当化している。自分の文章を見ると、その鼻持ちならなさに、ぞっとする。
人の冷たさを、人のせいにして、自分を省みない。孤独であることを嘆きつつ、壁を創っているのは私の方なのだ。




吉田さんは、どこにも出て行く。どこにいても、平然と堂々としていれば良い、とおっしゃる。偉い人も、名声も、何もない。同じ人間なのだ。

メキシコのスペイン人の大富豪の家についていって、小さくなっている私に、そうおっしゃった。略奪した美術品が置かれ、メキシコ人への差別意識の強い人達だ、とおっしゃって。その家に、何ヶ月も滞在して、絵画を描いておられたと聞いた。
パリの冬、アパートの近くで、火を炊いてたむろしてる人々の所に火入って行く。
 食べ物が振る舞われ、共に飲み、浮浪者になられる。人の温かさを求めて。

意識をもっと広く持って、自分から中に入って行けば、皆、迎えてくれる。様ざまな未知の世界によって、自分の意識はどんどん大きくなり、つまらないことに囚われなくなる。
 
 それが出来ない、あらゆることにがんじがらめに囚われている。 
  

Posted by アッチャン at 14:33Comments(0)日々の事

2010年08月12日

日本経済の危機を乗り越えるために

 
 

 多大の財政赤字をかかえて、増税の必要性を誰もが認識している。
 消費税一〇パーセントくらいが妥当ではないか、という案が定着しるるあるけれど、
消費が落ち込み、低所得者に、負担が多くなる。
 世の中、弱いものがいじめられ、強いものが、横暴する、という構図を塗り替え、景気拡大にもつながり、財政赤字を減らすには、「死に金」に税金をかけるという妙策がある。 私は常々、日本の銀行に眠っているお金を、流通機構に載せて、お金をまわせるように出来ないものだろうか、と考えていた。
 お金を風通し良くしなければ、消費に回さなければ、価値がない。経済は良くならない 日本人の大半は、銀行貯金で、一千万までしか銀行が元本を保証してくれなくなると、各銀行に分散したり、決済預金にして、金利がつかなくても、保証されるようなものに変えたり。
 日本人は、元本目減りしなければ、保証されれば、という考えの人が大半。
 
貯金と節約の関係は切っても切り離せない。節約するから、貯金に回せる。
 貯金しておかないと、将来の生活が不安だから、という理屈はわかるけれど、

現在、貯金者の大半は、60才以上の高齢者で、日本経済発展の中核にいた人達、給料は右肩上がりの時代だった。貯金の金利は、6パーセント以上あり、預けていれば、倍に増えた。年金は、平均20万円以上、夫婦で26万くらい、結構もらっていて、生活に支障のない人達が多い。
 今、経済の最前線で働きつつ、生活に追われている若い世代の人達は、預金するどころかではない。使っても足りない。
生きたお金(消費)を一生懸命、回しているけれど、経済効果に結びつかない。借金で、生計を立てている。

 銀行に預けているお金は、専門家がそれを運用して、利益を出し、スポンサーである預金者に分配するので、預金も経済効果につばがる、という人がいるが、預金のほとんどが、国債を買っている。
つまり、赤字国債を買っているのは、預金者達だ。国の借金は、国債でまかなわれ、その借金を、預金者が肩代わりしている。赤字国債を出さなくてても、このまま、国の借金が増え続ける(金利がかかる)

貯金と言っても、死に金に近い状態にある。消費税をやめて、これに税金をかける。最低保障はつけて、
余分な預金に、税金をかける。
 銀行から引き出して、タンス預金にするだろう、という懸念が出るだろう。
今の日本は、以前のように安全ではない。強盗や泥棒の危険性が益すので、家に置く方があぶない。
 外貨に変える人もいるだろう。そうすれば円安になって、経済は良くなる。
人生を楽しむ為に、消費するようになれば、一挙両得。株や社債を買えば、企業を応援し、経営に参加することになる。

 なんと、60才以上の、85人に一人が、貯金や株などの金融資産で、1億円以上保有しているという。
これは事実ではない。金融資産を平均すればの話で、それ以上に多額の保有者が、100人、150人に一人いるということだろう。

 


どんな方法でも、お金を動かさなければ、お金の価値はない。死に金に、税をかけることで、日本の危機が救われるのであれば、最良の方法ではないだろうか。  

Posted by アッチャン at 16:00Comments(0)日々の事

2010年08月11日

吉田堅治さんの番組に、感動の便りが続出

 
 



番組を見た人達から、電話やメールで、「感動した。」という便りが沢山寄せられているとのこと。NHKエンタープライスのディレクターからも、反響が素晴らしいとのことだそうです。

 とても嬉しく思います。私の心配が過ぎたようですし、個人的に期待が大きすぎたのでしょう。
番組の中で、吉田さんが、記していた、膨大な日記の存在を知りました。

 吉田さんの、頑固で、力強い筆跡で書かれた日記

 



 とても貴重なものだと思います。その日記を、書物にして出版していただきたい。吉田さんの生涯を、ドラマとして再現していただきたい。きっとドラマティックで素晴らしい作品になると思います。

  奥様との出会い、お二人のパリでの10年間の生活、戦後、教師として、池田の子供達とどのように、過ごされ、生徒達の人生が、吉田さんという、自由平等な教師の教えに影響を受けて成長されたのか、

 パリに着かれて、持ち金を全て騙し取られたことは、伺いましたが、その窮地をどのように、切り抜けてこられたのか、凍てつく、寒さの中で、24時間、彫刻家の仕事をされたこと、魚屋の仕事もされたこと、
 奥様を看病された日々、病院でのトラブル、亡くなられてからの、吉田さんの深い心の旅

 日本人として、パリに根を下ろされた、強い精神の奥に、脈々と流れていく、人生という旅の時間

断片的に吉田さんから、お聞きしていた体験を、どのような心のヒダで綴っておられたのか。

 


 きっと、膨大な日記に、綴られているのでしょう。素晴らしい作品を生み出した、背景としての、人間存在。

 そういう作品をドラマとして、放送される時が。

 ゴッホの手紙のように、激しく、燃え上がる情熱で、頑固で一途な、生涯のドラマ。  

Posted by アッチャン at 01:45Comments(0)日々の事

2010年08月10日

吉田堅治という存在の宇宙


 




 帰り道、車の運転をしながら、身体が硬直していた。事故を起こさないように、細心の注意を、誰かが飛び出して来ないかと、左右をきょろきょろしながら、家にたどり着いた。いつもは、音楽を聞きながら、通いなれた道を。 家に着くと、大学の恩師から、お葉書が届いていた。吉田さんの放送を見て頂きたいと、案内の葉書を出していたのに、早速お返事を頂いた。
 放送が始まるまでに、胸が張り裂けそう、気が遠くなりそうだった。


 
 放送が始まると、吉田さんの生涯のページをめくるように、表面的に紹介されているようで、普段の吉田さんを良く知っている人達は、物足りなさを感じたのではないだろうか。
 吉田さんを知らない人達が、この番組を見て、吉田さんの真心が伝わり、共感を覚えていただけているのなら、とそれを願うばかり。
 吉田さんの死後、残されたノートや、写真、吉田さんと親しかった人達の証言から、制作されたものだから、吉田さんという存在が、ドラマティックに描けていない。
膨大な取材をされて、使った資料は、五〇分に収める為に、カットされたという。



吉田さんの、生の言葉、生きた動き、ユーモア、生のインタビューに触れることが出来なかった。吉田さんを取材し、存在に触れ、その中で、出来た映画は、感動的で、生きている吉田さんに会えた。
 永遠に心の中で、生きている吉田さんがいた。

人間としての、吉田さんを、深い心の旅を、描けていないように、私には思えた。
主のいない、アトリエ。片付けられたアトリエ。映画では、吉田さんのアトリエで、吉田さんが、いつものように、絵画を動かし、笑いがあり、そのままの、飾らない、普通の吉田さんがいた。吉田さんがカメラに向かって語りかける、普段着の吉田さん、テーブルの前で、互いに話をしているかのような、吉田さんに会えた。
 そういう吉田さんを、吉田さんを知らない人々に知ってほしい。心と心が響き合い、共感しあえれば。



 私の独りよがりか?偏見なのか? 繰り返し、ビデオを見た。三度目に、目頭が熱くなった。視点を変えて見る事によって。吉田さんと深い絆を最後まで持ち続けた人達の真心に、深い感動を覚えて。井田さん、上原さん、佐藤さん、吉田さんと心を一つにして、生きて来た人々の、今、生きている人々の真心に。

 何故自分は絵を描いているのか、表現の手段にすぎない。大切なものは、ここにあって、それは無限のもの、表現しつくせないもの、神の望まれもの、神の心、、真心やな。
吉田は、画家、吉田ではない。絵を描いている、一人の人間としての吉田やな。人間として、最も大切なものは、神からさずけられた、神の命。真の心。ここにある(と胸をさされる)。見えないけれど、真剣に、神に問えば、お祈りすれば、神様は、自分が何をすべきか、答えてくださる。
 吉田さんは、そうおっしゃっていた。




12枚の絵の裏側に、吉田さんが、魂を込めて書かれた文字に、世界中の、人々に、等しく神に与えられた、神の命を授かった人々に、吉田さんのメッセージが込められている。中心を囲む内側には、表現しきれないものを、表現しようと試みる12枚の絵画という表現形態を使った宇宙。
   

Posted by アッチャン at 20:16Comments(0)日々の事