2010年12月31日

年忘れ


 


 午前中は、天気が持ちそうなので、朝、母を迎えに行き、車で、お墓参りに行きました。  母は、お墓のある川西まで、遠い、時間がかかる、といい続けるので、私は、そのたびに、1時間ぐらいで行けるわよ、と答え続けなければならない。
 「お財布を持ってこなかった。」と言い続けるので、「お母さんの財布は預かっているのよ。ご心配なく。安心しててください。」と言い続ける。
 息子はいつ帰ってくるのか、息子はアメリカが好きなのか、日本とどっちが好きなの?これを繰り返して、聞く。
「アメリカで働いているから、帰れないの。」
「え、働いているの?」と驚いて、また、同じ質問を繰り返す。その間に、子供がいると、可愛い、可愛い、と子供の姿を、車の中から。
 店の前で立っている人に目が行くと、
「あら、あの人あそこにいたわ。良く見るわ。いつもあそこで立っている人だわ。」
母の頭は、くるくると働いている。
 食事を食べたことはない、と本気で思っていて、お菓子を少し食べて、生きているつもりでいる。介護をしてくれているスタッフも話の中では存在しない。食事を食べたことがないと信じている。
「じゃ、どうしてそんな肥えているの?」
「なんでかな。そのへんのお菓子をちょと食べてるからかな。」

 私は運転中なので、そちらにも注意を払っていなければならず、かえって、それが,母の話し相手になるには、楽なのだ。適当に、同じように、繰り返していれば良いから。

 途中で雨が降り出して、車は数珠つなぎ。お墓に着いた頃には、みぞれが降って、足下が危ない。母は、車の中から拝んで帰ろうと言う。
「わたしだけ、お墓に行ってくるから、ここで待っていて。」と言うと、私が心配で、ついてくると言う。
 みぞれは、牡丹雪に変わり、討ち入りのように辺り一面、雪が、斜めに降りしきる。
 母には、傘を持って立っていてもらって、手早く、花を変え、ろうそくをつけて、持って行った、お香の線香に火をつけて、母に持たせて、拝んでもらった。
お供えも、袋のままで。
 早々と、切り上げて、待合所の中に入り、暖かい飲み物をかうつもりだったが、ほとんどなくて、コーヒーを買うと、まだ暖かくなかった。
 帰り道も、車の中で、同じような会話が続く。その上、送ってもらわなくてもこの辺から帰られるから、というのが付け加わる。相変わらず、車は混んでいる。会話はだらだら、車はだらだら。

 「
お寿司の、函館市場で、お寿司を食べた。母は美味しい。、美味しいと喜んでいたので、しばらくは覚えているのかと思った。

施設の近くにある、生協に行くと、母はまた驚いて、
「へー、こんな所があったの。広いね。」
最近は、寒いので、いつも母をここに連れてきて、ぐるっと歩き、散歩代わりにしている所。母には、何度来ても、初めて見る新鮮さがある。
 弟のお嫁さんの姿を見つけたのは、母の方。
「あら、あそこに。」と。
弟夫婦が昨日来てくれているのだけど、記憶にないので、
「まあ、珍しい。こんな所で会うなんて。」と懐かしそうにしている。
母はもうすでに、昼に何を食べたのか、覚えていない。
 彼女は、近所のお友達と顔を合わせて、そちらに方に。

 母のヨーグルトを買って、施設に送ると、迎えた介護師の男の子に、嬉しそう。
母は、博士よりも、少しは長く覚えているけれど、その場にいないと、誰が誰だから、わからなくなるようだ。
母がしっかり、その場にいなくても、覚えているのは、私の息子だけになりつつある。
弟のことも、お父さんと、混同している時がある。
 昨日、弟が来たことを、お父さんが来ていた、という風に。混同するのは、考えようとして、こんがらがってくるからかもしれない。
 母には、母の質問に、根気よく答え、母が望んでいるような、答えをすること、母の話を、真実として聞くこと、心配していれば、大丈夫、安心していて、とお願いするように。

 母は、出れば、顔が生き生きとしてくる。頭が働き、話し相手がいて、話しっぱなしなし、好奇心のアンテナが張るからだし、そういうもろもろの結果、気晴らしが出来て、内面のストレスが解消しているのだろう。

これは、認知症の母だけではなく、誰にでも通じることのように思う。
母は、皆様よりも、いち早く年忘れを達成しているわけです。

 暗い一年だった方、苦労の多かった方、すっかり、年忘れをして、新しい年を迎えましょう。
  

Posted by アッチャン at 10:23Comments(0)日々の事

2010年12月29日

 小沢さん、政倫審に出席の条件


  


 午後2時から、小沢さんが会見で、政治倫理審査会に自発的に出席することを表明した。 日曜日の、朝日テレビに出席した、仙石官房長管は、小沢さんが矯正起訴されたら、石川議員の場合を踏まえて、小沢さん自身も離党されるべきだとコメントしていた。
翌日の役員会に、3ヶ月ぶりに出席する管総理を交えて、年明けに、招致議決を行うということで一致。その後の管総理は、「党が決めたことに従えないなら、 民主党を離党してもらわねばならなくなる。」と小沢さん切りを、鮮明にした。
 支持母体である、連合の仲介でも、管総理と岡田幹事長の態度は硬化したまま、鳩山さんと輿石さんにも、挨拶一つなかった。
 小沢さんは、27日の夜、仲間との忘年会で、管総理と仙石さんは、普通の人ではないから、なにをするかわからない。選挙の心構えをしておくように、と若い議員達を叱咤激励した。
 小沢さんの会見では、民主党が挙党体制で、予算の成立を計り、国会の機能を正常化させる為に、政治倫理審査会に出席する、というもの。
 第一に、通常国会が行われるなら、その冒頭で。
 第二に、通常国会が出来ないのなら、予算を先に成立させてから、自分の出席を。

 国会は開かれないのが、小沢さんの政治倫理審査会へ出席の有無ならば、」小沢さんが出ることで、国会は正常化する。
 それが条件でなければ、民主党は、総力を挙げて、予算の成立に取り組むのが、先で、国民の為に、一日も早く成立させなければならない。

 野党は、小沢さんには、証人喚問、仙石官房長官と馬淵大臣をやめさせることを条件にしているから、小沢さんが、政治倫理審査会に出席しても、正常国会は開かれないだろう。

 小沢さんは、自分も出るが、仙石官房長官にもやめさせるというカードを切った。 
 民主党が、惨敗を重ね、最早死に体の管政権が、小沢さんの首を差し出すことで、首を切ることで、支持率を回復させようという魂胆があからさまに、無様に国民に映るようになった、今、小沢さんは、この時を撰んで、一刀両断をつきつけた。

   

Posted by アッチャン at 10:16Comments(0)コラム

2010年12月27日

忘年会納め

 

昨夜まで、連日出かけ、友人達との交流に勤しんで、今日から、予定はなにもない。
気の抜けた感じがするが、やらなければならないことは山積している。
 昨夜は、毎年、暮れに招待してくれる友人の家におじゃまして、沢山のお料理と、珍しいベルギービールやシャンパン、ヌボーワインなど、飲み物ののチャンポンが、毎日の飲み食いに、ついに止めを指したよう。昨夜帰ってから、まだ酔っていて、お腹が大きいのに、おかきをぼりぼり、ノンアルコールビールをがぶがぶ、『坂に上の雲」を、ソファーに横になって見ているうちに、寝てしまって、気分が悪くて、目が覚めた。
横になっていたからだ、と起き上がって、お腹が落ちつくのを待ったが、ついに吐いてしまった。
 そういう風邪も流行っているらしいけれど、これはそうではない。暴飲暴食の結果に間違いない。そのまま、寝そびれて、夜中の4時まで起きていた。



 フジテレビで、ドキュメンタリー賞に輝いた、作品を見た。
民主党に政権が変わって、政治主導と、官僚との関係を追った作品だった。
 政務官と官僚が、試行錯誤の末に、やっと良好な関係を築き、これから、という時に、菅政権に変わって、これまで努力してきた政務官は、新しく任命された政務官と交代する。官僚達は、夜中の3時、4時まで、山積みの仕事を、毎夜続けている。糖尿をかかえ、インシュリンを打ちながら、命を代償に働いている。



そういう官僚達は、心を通わせ、その人の下で働いて来て、1年も経たずに、新しい政務官を迎えることになる。また一から、やり直しだ。
そんなのころころ変わる、上司に使える気持ちになれないだろう。
骨身を惜しんで頑張って来た、政務官も、道半ばでの無念の後退。努力が報われない。
 官僚も、政務官も、人間であることを、全面に押し出した作品で、考えさせられた。



 昨夜のパーティーに参加した人達の中には、年に2度、友人が招待してくれることを心待ちにしている人がいる。
 お母さんと二人暮らし、普段は話す人も少ないのでは、と思われるように、パーティーでは、立て板に水を流すように、話しをされている。楽しくて、仕方がない、という風。



 外見では、なんの悩みもなく、楽しそうに見えている人達も、私生活では、むっつりして陰気だったり、人生楽しくないことの方が多いかもしれない。
 だからこそ、集まって、その年の総決算のように、心と身体を空っぽいにするような、そんなパーティーのよう。



素敵な陶芸作品を見せていただいたので。 
  

Posted by アッチャン at 12:56Comments(0)日々の事

2010年12月26日

昼はワイン、夜は ライブでクリスマス


 茶屋町でブーゲンベリアが咲いていた

 クリスマスは、混んでいるかなと思ったら、客は誰もいない。
 1200円で、ランチタイムはワインを飲み放題、という店なのに。
いつもは、賑わっている店なのに、店の方でもあてはずれなのか。
先日、友人を案内した時に、スープは冷めていて、料理も美味しくなくて、がっかりしたので、今日も、と思ったら、暖かいスープ、サラダもお料理も、美味しかった。特別だから、グラス900円のワインを張り込んだ。
ソファーに座って、3時間も、だらだらとワインとパンやハム、チーズで。
夜は、天満のジャズライブに、別の友人と。




 友人は、ご主人のお姉さんと、仕事帰りに待ち合わせて、合流。
ガード下の「ジャス屋」というライブハウスで、電車が通ると、大きな音が。
フリードリンク付きで3000円というので、クリスマスに家で一人で過ごすのも寂しいかな、と参加させてもらった。
 寂しいどころか、昼と夜のかけもちで、忙しいクリスマス。
生演奏を聴くのは、いいものです。



 最前列のかぶりつきのテーブルに座っているので、管弦楽器の音がすごくて、耳がおかしくなるかと思ったけど、慣れるもので、気にならなくなる。
立命のOB軽音楽の会で、卒業後、プロとして関西で活躍している人達とか。
ジャスライブに良く通っている人なら、顔見知りの人も出ているかもしれない。
会場は超満員で、交互に演奏して、皆が、大学で楽器をやっていて、その後も趣味で、プロで、楽器と離れずに生きて来た人達。



 仕事以外に、生き甲斐を持っている人達は、年取っても楽しく暮らせるなあ。
サクソフォンやトランペットを競いながら、アドリブでかけあって、頑張りすぎて、心臓に来ないかな、と心配するくらい、熱気の満ちていました。
東京から来ていた、女性は、コントラバスを弾き出すと、人間が変わったように、パワーがあって、かっこよくなって、すごく上手だった。  

Posted by アッチャン at 11:04Comments(0)日々の事

2010年12月25日

クリスマス、イブ


  



 メリークリスマス
 
 今日はクリスマス、イブ。
 母の施設で、クリスマス、ディナーがでるので、私もお願いしています。
 昨日は、フルートの演奏があったのですが、結局、行けませんでした。
 家中がひっくりかえっていて、もう見るに堪えなくなっていて、5時からは、ニコニコテレビで、小沢さんへのインタビューがあるので、それも見たくて、施設に車で行けば、 置くところがないかもしれなくて、で、一日中家に閉じこもっていました。


 小沢さんを悪だと評する皆様方は、インターネットで、編集なしに流れる、ライブのインタビューなど見ないで、テレビ局が、編集したものしか、ご覧になっていないようです。  私は、よく見ているのですが、小沢さんの言動は、一貫していて、ぶれることはありません。いつも、同じ事を聞いている。
 小沢さんは、全てオープンにすべきだと言う。
 政治資金にしても、誰からもらって、どういう使い方をしたのかを、1円の単位まで、きちっと、書いて公表することで、国民は、こういうとこからもらうのはけしからん、こんなところにつかっているのはけしからん、そういう判断を下せるし、そんな政治家なら、次の選挙で投票しないことも出来る。


小沢さんは、全てオープンにしている。
事実をつかみ、真実を語り、提供されたものは、自分自身で判断する、それが小沢さんの理念で、既得権益を守ろうとする人達は、そういう小沢さんを嫌い、排除しようとする。
 検察の取り調べの可視化、記者クラブの解放、官僚支配から、政治家指導へ、という小沢さんのスタンスは、どれも、既得権益をむさぼってきた連中には、都合の悪い話だ。
 小沢さんは言う。

メディアが、勇気を持って、ニュースメディアとしての誇りを持って、事実を流し、真実を語るようになれば、日本は変われるのだ、と。

大橋巨泉が、NHKが、スポーツ番組を、生のライブでやらなくなったことに憤慨している。NHKだけは実況放送に拘ると思っていたのに、という。
海外ではありえない。録画でスポーツを使えるなど。



クリスマス、イブなのに、もっとロマンティックな話題がふさわしいのでしょうが、 イブは,マリアが、生みの苦しみにあえいでいた、夜です。イエスが誕生したのは、厩の中です。
 権力を保持しているものは、保持している故に、使ってはならないのに、それを振りかざして、弱気者達を弾圧する。
 イエスは、無力ではあったけれど、事実を知り、真実を人々に語り、茨の冠を乗せられて、十字架を背負って、刑場まで歩かねばならなかった。刑の執行を、やじを飛ばして、笑いながら見ていた人達は、皆既得権益をむさぼる人達でした。

小沢さんをイエスになぞらえるつもりはありませんが、いつの時代にも、貧しく、弱い人々の犠牲の上に、不当な権力を享受している人達が存在しています。
 国民に寄り添って、国民の為に、努力している小沢さんは、権力の側からは、抹殺すべき存在であることは間違いなく、苦難の道を歩まざるを得ないのも、小沢さんの宿命のようにも思われます。  

Posted by アッチャン at 10:38Comments(0)日々の事

2010年12月23日

ノルウェーの森


 

 ノルウェーの森は、映画化されて、あれほど話題をさらった原作なのに、私は、読んでなくて、弟が、凄い傑作だと、騒いでいたことが頭にあって、世界中で翻訳されて、ノーベル賞作家の未来形、呼び声も高く、不思議の森に入るような期待で、透明に近いブルーな気持ちで、「ノルウェーの森」を見に行った。



 映画は、原作とは分野も、描き方も全く違うから、原作を読んでから、映画を見て、がっかりさせられることが、少なくはないのだけれど、「ノルウェーの森」は映画を、監督の目を通して、監督の思い入れをフィルターにかけて、見るので、映画としての感想しか、私の頭には入っていない。

 主人公の学生は、割り切って生きる友人、生きることが苦しくなって自殺した友人、愛の対象者を奪われて、生きる柱をもぎ取られた女性を愛するが、愛し抜くという力を持っていない。愛が傷つけられ、苦しみに苛まれても、それを受け入れ、また次に、いつやってくるかもしれない、苦しみを甘受しながら、生きていく以外に、彼が生きていくすべを持たない。



流されて生きていくしか、それ以外に、彼の道は存在しない。彼は、一人の女を愛し抜くことは出来ない。彼女を愛していると、そう思っているけれど、他の女性にも、同じように、愛している。惹かれる。彼の、弱さなのか、欲望の泉なのか。

 彼は、森の中で、逃げる愛の対象を追い、彷徨い、風にあおられて、身体を小さく埋める。世の中の、外界の重さ、苦しさに、殻の中に、身をかばうように。こうして、目的もなく、愛を求めても、愛の確信を持てず、奪い去られれば、身が痛くて叫ぶ、嵐が過さるまで、感覚もなく、空白の心を埋めるすべもなく。けれど、愛は持続しない。休めた羽でまた飛び立とうとする、心と身体。

 死を撰んで、この世に決別した、若者達は、永遠にそのままだ。愛し、愛され、希望の中に留まっている。



彼は、森に留まることは出来ない。北欧の最果ての、寒々しい、ノルウェーの森のような、混沌とした、森を彷徨いはするが、その懐に、永遠に留まることは出来ない。彼女のように、彼のようには。

ジョンレノンは、永遠の世界に留まっている。熱狂的にジョンを愛するフアンの凶弾に倒れて。
 ビートルズの音楽がバックミュージックで流れていた。 ジョン、レノンは、永遠に、あの時のあの若さのまま。  

Posted by アッチャン at 10:02Comments(0)映画

2010年12月21日

小沢さんに見える、覚悟の笑顔


 大阪、光のルネッサンス



 管総理と小沢さんの二者会談は、一時間半に及び、押し問答で終わった。
管総理は、相当感情的になっていたとか。会談を終わって出て来た、小沢さんは、笑顔で余裕の表情を見せていた。
 報道では、小沢さんの誤算であった、これからは小沢さんが苦しい立場にたたされることになる、という意見が、飛び交っている。
 会談の後、鳩山さんに会って、小沢さんが延べたことは、報道によるものよりは、ずっと真表性がある。鳩山さんは、しゃべりすぎる傾向はあるものの、誠実で正直な人物であることは、誰もが認めるだろう。



 それによると、小沢さんは、自分が政治倫理審査会に出ることによって、その後の国会運営が円滑に行くのか、民主党が政権を担っていけるのか、を問い詰めた。それには、管総理は、それは保証できない、関知するものではない、と答えた。
 
 小沢さんは、自らを一兵卒にたたとえている。一兵卒と言っているのに、総理に従わなけれが、総理のリーダーップが全く発揮できていない。管総理は、離党勧告、その先に除名も視野に入れて、とことん小沢外しをやる覚悟をしている、全面対決が始まる、と報道されている。小沢さんはこれから窮地に追い込まれるだろう、と。

プロジェクターで打ちし出された、光の城、公会堂がプランスの古城に

 私はそうは思わない。
 将棋の駒にたとえてみればよい。一兵卒は、王手をかけて、金に変わるもの。
 小沢さんは、自分が金となるような、手を管総理が打てれば、国会に出て行く、と管総理の政治手腕を問いただした。管総理は、持ち手がないと突っぱねたわけだ。
  
小沢さんは、すでに覚悟が出来ている。だから晴れやかな顔になって、出て来た。それまでは、管政権を支えて、民主党が一つになって頑張らなければだめだ、と思っていた。一塁の希望を、管政権に抱いていた。
小沢さんは、信じて裏切られることが多い、それでも裏切るよりも、裏切られる方が楽だ、と言っていきた。今回の会談で、小沢さんは、管総理から、裏切られたことが決定的になった。管総理は、外目には、ああいう風に出ているが、本音では、トロイカ体制で民主党を作りあげてきた同士なので、信じていた所があったのだろう。話し合えば、道は開ける、と。



 野党が言っているよいうに、小沢さんを国会に証人喚問することは、難しい、執行部が、権限を使って,小沢さんを、除名すれば、小沢さんは一人で、党を出るだろうが、何人かは、小沢さんについて、出ていくだろう。小沢さんが連れて出ることはない。あくまでも自発的に。

裁判が終わり、小沢さんの問題が解決するまで、小沢さんは動けない。鄧小平が、復活したのは、奇しくも、小沢さんと同年齢の時であった。



復権は、裁判が決着した時だろう。党を出る覚悟まで、小沢さんは出来ているのではないか、それがあの笑顔に表れているのではない、かと私には思える。  

Posted by アッチャン at 10:33Comments(0)コラム

2010年12月20日

ヴインタートウールコレクション展、兵庫県立美術館


 
    ヴィンタートウールというのは、スイスの地方になる小さな町の美術館の名前で、そこにあるコレクションが、日本に初めて、貸し出された。このように、スイスの、地方都市にある美術館所蔵の作品を鑑賞出来る機会は、またとないことではないかと思う。

 スイスの富豪家が収集してた作品なのだろう。小さな作品がほとんどなのだけれど、その一つ、一つ、秀作が揃っていて、日本に来る作品なら、とそれほど期待していなかったけれど、素晴らしい作品群を見る機会を得て、幸せ。




 ルノワールの小さな静物画「砂糖壺とレモン」 シスレーが晩年住んでいた村の教会を描いた「朝日を浴びる教会」 ユトリロの代表作である、白の時代の作品「ボントワーズのノートルダム教会」 ゴッホの「郵便配達人 ジョセフ、ローラン」を始め、彫刻も加わって、優れた作品が沢山展示されている。
ピカソの「二人の女」 アンリ、ルソーの「赤ん坊のお祝い」 ジャコメッティーの「自画像」」を描いた絵画など、初めて見る作品ばかり。
 私の好きな、モランディーの静物画も2点。モランディーは、メトロポリタン美術館で、特別展をやっていてた、イタリアの画家。シンプル色彩と形に、イタリアの建築的なセンスがあって、心に残る作家だ。




 兵庫県立は神戸を知らない人には、足場が悪い。だから、日曜日なのに、あまり混んでいなくて、鑑賞者にはありがたい。京都や、東京の美術館だったら、人が一杯で、作品を見るのに、大変な所だ。
一二月二六日までの開催なので、混んでいることを覚悟して行ったのに、ゆっくりと鑑賞することが出来た。



美術館の、常設コレクションも、森村泰昌の小宇宙、というコレクション展示が、面白かった。自身を被写体にして、絵画と写真のコラボで、遊び心が一杯。こういうユニークなコレクションが、日本の美術館の所蔵になると、個性と新しさを演出出来て、楽しくなる。

兵庫県立美術館は、移設前の、王子公園にあった頃、学芸員資格を取る為の実習に通ったので、他の美術館よりも、親しみを感じる。関係なのだけど、内側から見てしまう。



美術館に行く前に、 このあたりでランチをすまそうとネットで探していたら、イタリアンとフランス料理の店が。人気の二軒のレストランは、予測通り、予約で満席だった。
もう一軒、友人が探してくれた「同源」という中華レストランが、岩屋の近くにあって、そこに行ってみたら、小さい店だけど、幸い1席があいていた。
 医食同源、をもっとうにしている、料理店で、常連さんが多そう。値段は安くて、料理も独創性があって、とても美味しい。

  ボードにあった、牡蠣とネギ




  キノコの炒め





  蟹玉のあんかけチャーハン



 他の人達は、そろって、マーボ豆腐を注文していたすで頼んだもので、お腹が一杯。

 美術館に来なければ、こういうお店に来ることもなかった。発見が亜るン物楽しい。  

Posted by アッチャン at 08:03Comments(0)art

2010年12月19日

三宮で、三軒はしご


  シメイの赤



 息子がベルギービールの、シメイという銘柄が、美味しいと太鼓判を押すので、ビール好きの友人に飲んでもらいたいと思っていたら、三宮のベルギービールの店のメニューに乗っていて、つられて入った。
 娘さんに赤ちゃんが出来て、ニューヨークで買って来2010たプレゼントを渡すついでに、忘年会をしようと、三宮で待ち合わせて、美味しいもの食べようとあれこれ、めぐらしていたのだけど、まずは、ビールを一杯。
 ピーナッツは無料で出る店で、シメイは、赤ろブルーがあって、まずは赤を。小瓶で、息子が買っていた大瓶は、やはり味がもっと美味しいのだそう。
 赤よりも、青が人気だというので、もう一本を半分分けで。
 何か食べようかということになって、2つほど料理を取ったが、これはあまり美味しくない。
 ビールとピーナッツは美味しかった。結構酔いが回ってきている。

シメイの青

次に、高架下の「金杯」に。
太田さんが、この店を紹介していて、中は一杯の人。彼女はビール、私は金杯というお酒を注文。鯛の昆布しめ、とレンコンのはさみ揚げを取った。ライムの果汁絞りの酎ハイも。生だこのわさび漬け、との三品で、店は終了。ここは9時に終わる。

 粉物食べてないね、と向かった先は、お好み焼き屋さん。
 薄焼きのすじねぎ、牡蠣の混ぜ焼きを、二人で半分づつ。最初はビール、次に私は、何を飲んだのやら、覚えてない。彼女はビールの生を。
 お好み焼きがまだたべたくて、薄焼きのネギを注文。



 お酒が入ると、いくらでもお腹の許容量が増えていく。
結局3軒、はしごした。楽しい夜だった。
 時差呆けで、毎朝、4時、5時に目が覚めていたのが、これで解消。
二日酔いの気配。飲み過ぎだ。
私はチャンポン、彼女は浮気しないで、ビール一辺倒。
気の多い私と、家庭を大事にして、一途に生きて来た彼女との違いが、お酒でも表れるなあ。
少々、ぼっとした頭で、納得。

  

Posted by アッチャン at 10:59Comments(0)日々の事

2010年12月18日

三宮「美粧館」

  

 母に会いにいくつもりで、電車の中で、メールをしていたら、電車は、降りる駅を通過してしまって、次は三宮。
 予定では、母のホームに寄ってから、梅田に、その日までの映画を観に行く予定だった。
これは、三宮に行けという指示なのかな、と思って、予定を変更。
 実は、今朝、ずっと悩んでいたのだ。
最近、ニューヨークから帰ってから、毎朝、4時、5時には目が開いてしまうので、
神戸のシネリーブスで上映中の、映画を朝一から観るつもりで、毎日、行きそびれが続いていた。
 髪の毛がひどいのも気になっていた。ニューヨークに行く前に、松竹座の近くで、以前は上手だと思った1000円カットの店に入ったのが、運の尽き。めちゃくちゃひどい頭にされて、鏡を見るたびに、憂鬱でたまらない。
 母まで、介護士の男の子に、
「 娘です。美人だったのですが、こんな頭をして、変な顔になっています。」
母は、私を、若い介護士に、売り込んでいるつもりなのだ。




 パーマだけかければ、なんとかなるかな、と思っていた矢先、コナミの近くで、ウェラを使ったパーマが3000円、という看板が。
 え、そんなんで?
インターネットで調べたら、その店は、チェーン店で、「美粧館」という。インターネットでは、三宮は、なんと2000円になっている。テレビでも紹介された話題の、という店だ。シャンプーチケットを印刷までしていたのだけど、大阪の映画館が先だと、持って出なかった。
 駅を乗り過ごしてしまったので、、そこに行ってみることにした。
カットはしてもらわないつもりだったので、パーマだけだから、ウェラパーマをかけてくれるのなら、申し分ない。あまり安いので、技術は期待しないでいた。

店に入ると、年寄りから、若い人まで、層の厚いお客さん。オシャレな感じの人も多い。
 2000円というのは、元町からの移転のキャンペーンで、通常は3000円だ。それでもめちゃ安。

 頭を見て、技術の担当者は、「このままパーマかけたら、この頭なに?」と言われるようになりますよ。思案顔。





取り合えず、ゆるくかけて、髪の毛がそろってくるまで待たないと、ということに落ち着いた。髪の毛をそぎまくってあるので、髪の毛が薄くなってしまっている。そこにカールのパーマをかけると、小さな毛が出て来て、雷に打たれたみたいになるという。
漫画で、毛が逆立っている、ああいう風に。

ボリウムを少しだすだけのパーマにしてもらって、少しましかな。
母の施設に行くと、弟のお嫁さんが、母のグルコミサンが来たから、と持ってきてくれた。
「この前は、ひどい頭だと思ってたけど、良くなってますよ。」と言ってくれた。
安い店があるのですね、と。彼女は、芦屋か、夙川か、で、高級店に行っている。

 自分の家で、一人でやっている店は、日に客が一人でも、食べて行けると聞いたことがある。
美粧館で働いている人達のほとんどが、自分の店を持ちたいと思ってがんばっているのだけれど、美容免許を持っていても、この職に就いていない人が沢山いるという。
美容院の競争は激しい。頭にも、デフレの波は押し寄せている。技術が求められる。 安いから、といっても、高級な店と、あまり変わらない。毛染め、マニキュアが、2000円。
 私も、これから少しは、こまめに美容院通いが出来る。デフレのお陰。
 予約が出来ないのが難点だけど、私の場合は、時間出来たときに、突然、空いてなかっtら、またこの次に、なので、これで良いのだ。
   

Posted by アッチャン at 09:37Comments(1)日々の事

2010年12月17日

小沢さんにかける一筋の希望



 
   

 管総理が議員に立候補すると聞いて、市川房枝さんは、議員にしてはいけない人間だ、と反対した、という。
 市川房枝さんを持ち出し、自らも、市民運動の先頭に立ってきたかのように言ってるけけれど、自己保身が強い、有利な方に要領の良い人間であること、総理になるのが夢であったことは、政治家を志した昔も今も、変わりないだろう。
 薬害エイズで、力量を発揮したかのように、思われ、自分の宣伝にも使っているが、実際に汗をかき、問題に取り組んで、結果をもたらしたのは、管さんではなかったと、コメントしてる。

菅さんに、「何をやっているのよ。なんとかしなさいよ。」と奥さんが尻を叩いたと、奥さん自身がテレビで発言していた。

あなたが総理になって、何が出来るのですか、と夫をこけ下ろす妻をも、へらへら笑ってみせて、人の良さをアピールして、利用している菅さん。

悪管、ずる管、と言われてきたのも、嘘ではなく、菅さんの人間性を表していたようだ。


 ずる賢い管総理が、果たしてどこまで、権力を保持し続けることが出来るのか、非常に危うくなってきている。

 紺の背広に紺と白のストライブのネクタイを使って、クリーンなイメージを強調したい管総理だが、
メッキははげることを免れない。
 一方、不器用で、口数も少なく、誠実であることに、頑固なまでにこだわってきた小沢さんは、これほどまでに悪の権化のごとく叩かれて、叩かれて、鋼に焼きが入り、折れようもないくらいに、強くなっている。

「自らの人生、政治家として、天に恥じることは一切ない。」と言い切る小沢さんは、堂々として、年と共に、信頼を寄せる人達が増えている。

 人間の顔は、その人の生き方が作っていく。壊した屋、権力を行使するワンマン、田中、金丸の金権政治を踏襲していると、腹黒い政治家のように言われてきたが、今、小沢さんからみなぎるものは、誠実な政治家としての顔であり、国民の為に、一命をかけて踏み留まっている、政治家としての力強さではないだろうか。

小沢さんは自ら、総理になりたくない、裏方が似合っていると思っている。
小沢さんが、この国のリーダーとして、国を動かせば、どういう政治が行えるのだろうか。これから、被告として、法廷の場に立つことになる身、故に、自らが、先頭に立つとは出来ないけれど、小沢さんが、この人ならば、と太鼓判を押せる人物を、総理にして、小沢さんの政治を、実行することは可能だろう。

小沢さんが撰ぶ、筋金入りの政治家達が、将棋の駒となって、ダイナミックに、改革的な政治を実行出来たら、と今は、わずか望みに希望を託す。  

Posted by アッチャン at 11:44Comments(0)コラム

2010年12月16日

海老蔵は、悪の華


   



海老蔵さんの会見を見ていると、神妙な様子をしているのも、演技のように思えて仕方がない。
 私には、パリで見た海老蔵さんが、本来の姿であるように思える。
丁寧で、謙虚な父親の横で、ブーツの紐を外し、靴を開いた状態で、足を投げ出して、傲りの目立つ海老蔵は、インタビューに答えていても、横暴な感じで、関係ないとはいうものの、日本の代表として、世界の人々の前で、あのような態度を、父親である団十郎は、なんとも思わないのだろうか、それほど甘やかして育てているのか、不思議に思った。
 海老蔵とは違って、亀治郎さんの、すがすがしく、自然な好青年ぶりに、私はすっかりフアンになってしまった。
 踊りの名手で、歌舞伎界の改革者として先頭に立ってきた、市川猿の助を叔父に持つ、亀治郎さんの踊りの魅力は、並外れていて、演技も素晴らしい。彼はフランスにも留学していて、フランス語も上手なのだけれど、全く謙虚で、同じように、別の機会に、日本文化会館での、コンフェランスで、二人を見て、その違いの大きさに驚きを隠せなかった。
その後、結婚が決まって、以前の海老蔵さんの人間性が変わったのかと思ったら、本質はそのまま変わっていなかったようだ。

 菊五郎さんが、「歌舞伎役者になるのなら、父親はいないと思え、と菊之助に言った。」とコメントしている。
 私は、歌舞伎を観に行った時に、楽屋見舞いについていったことがある。玉三郎
さんが、役者さんの部屋に挨拶に回っていた。
 歌舞伎界の上下関係は、非常に厳しく、礼儀を重んじる。父親は、子供に甘くなるので、他の人に預け、厳しく鍛えてもらう。
團十郞さんは、早く父親を亡くし、父親から、芸を受け継ぐことが出来なかったので、息子を手元から手放すことが出来なかった、それが甘やかす結果になった、と語っていたことがある。

 昨夜、コナミに行くと、プールサイドの乾燥室で、三人の女性が、話題にしていたのは、海老蔵さんの話。

 とんでもない悪い人間だ、と気炎をあげている。真面目な可愛い奥さんをもらっていながら、キャバクラで、指名された女性が、テレビに出ていたとか。
 人間性がなってないから、一緒に飲んでくれる人がいないので、ああいう人達しか相手にしてくれないのだ、と。
 
海老蔵さんの可能性は、伝統を重んずる、古いカ歌舞伎界から、革命的で、計り知れないものがあるのも事実。
型にはまらない、自由で想像力豊かな、天才的な才能を神から与えられているのも事実。
歴史上、偉大な芸術家が、人間性において優れているとは言えない人も多い。
悪に魅せられ、溺れる、サガは、神の才能を表現する泉にもなっている。

 海老蔵さんのような人は、鎖をつけて、萎縮させては、才能が死んでしまうのでは、という懸念もある。息苦しい世界では、生きられない人だろう。

芸術と、社会性とは、相反するもの、海老蔵さんの、大胆不敵で人を馬鹿にしたような態度が、真から謙虚で大人しくなれば、彼の芸術もつまらないものになるだろう。

 悪を含んでこそ、芸は花は開く、そういう人のようだ。誰が傷つくのか。本人自身。ずたずたになりながら、吠えながら、海老蔵という、比類無き才能が、発揮されるのだ。 悪の華なのだろう。  

Posted by アッチャン at 11:10Comments(0)コラム

2010年12月15日

 管、岡田、仙石の貧乏神には、うんざり



 

岡田幹事長が堅物で融通が利かない性格であることは、今に始まったことではないが、民主党を一つにまとめるべき役割であるはずの幹事長役には、全くふさわしくない。
 岡田幹事長は、小沢さんに、国会の場で、国民の疑惑に、政治家の倫理観から、自ら説明するべきだ。国民がそれを望んでいるから、と言うのだが、幹事長としては、党を一つにまとめ、国民の為になすべき政治を円滑に運営出来るように粉骨努力するべきだろう。
国民は、説明すべきかと言われれば、すべきであると答えるものの、それよりも、民主党内で、ごたごたともめていることにウンザリしている。
管総理、仙石官房長官、岡田幹事長の、鬱陶しい、貧乏神がとりついたようなうさんくさい顔は、見たくもない、と思っている人は、私だけではないだろう。

管総理は、たとえ、支持が一パーセントになろうとも、総理の椅子にしがみつくつもりらしい。総理の椅子が生きる目的であった人だから。

岡田幹事長は、何がなんでも、小沢さんを、政治倫理審査会に引きずりださねばならないという使命感にがんじがらめになっている。クリーンで潔癖であることがバックボーンになっている人だから。

  仙石官房長官は、開き直ることはなんでもない。権力だけが、政治を動かせることを熟知している。

管総理、仙石官房長管、岡田幹事長が、揃って、小沢さんを擁護し、「小沢さんを信頼している、法廷で頑張って自らの無実を勝ち取ってほしい、」という、信頼に根付いた、希望的で未来志向のメッセージを国民に発するべきであった。
民主党に政権交代をもたらしたのは、小沢さん、自分達は、小沢さんと生死を共にする、というような強いメッセージを、野党や、国民に発し、ぶれないでいれば、
これほど、国民の支持は離れなかった、と私は確信している。

小沢さんは、協力を惜しまないであろうし、知恵を政治に使うことも出来たであろう。

自己保身に走り、人間の器が小さく、決断力に欠け、指導力が全くない、何がしたいのか、国民の為に、どうすべきなのか、誠意が伝わらないから、国民の心が離れてしまっている。
小沢さんを嫌っている人でも、小沢さんなら、やってくれたかもしれない、と内心思い初めている人も増えて初めている。

民主党が、今すべきは、一丸となって、一つにまとまり、困難な立ち場にある、同士を全面的に後押しし、擁護すべきなのだ。そうすれば、国民は、人間として信頼に値する人物であると、見直し、もう少し、暖かい目で見ていこう、もう少し、辛抱して、希望をつないで、民主党に託そう、そう思うようになるだろう。

民主党が、粉砕するか、浮かび上がることが出来るかは、そういう団結と決意、一人を信頼し、援護し、愛情を持って、最善を尽くす人となりにかかっている。

「 小沢さんは、いつでも説明されるとおっしゃっていたのですから、出て来てもらえると思っている、」

と仙石官房長官、管総理、岡田幹事長は、小沢さんが言っていたことなのだから、と小沢さんの責任であるかのような言動を並べている。

代表になれば、いやでも国会の場で、説明を求められるようになる。自分は何もやましいことがないので、いつでも説明する、と小沢さんは言っていたのであって、
 強制起訴され、被告人となることになり、遅かれ早かれ、司法の場で、証言を求められることが、決定している 今と、事情は違っている。司法の場に移ったのだから、司法の場で、説明される。魔女裁判はいらない。

 小沢さんは、自分が政争の具に使われるとしても、それで、野党とのゴタゴタにきりがつけられるならば、政治倫理審査会に出るつもりだ。

 かけひきの道具にして、国会の運営を円滑に出来るのであれば。

 そけひきの嫌いな、できもしない岡田幹事長は、それを拒んでいる。実に、幹事長の器ではない。

   

Posted by アッチャン at 12:48Comments(0)コラム

2010年12月14日

南座、顔見せ、玉三郎

 
 


12月は、師走恒例の、南座での顔見せです。
 ニューヨークに行く前に、前売り初日に、チケットを買っていました。
昔は、1万円台で一等席が買えたけど、今は25000円もしますので、とても手が出ません。
母が、お友達に席を買ってもらって、前列10番目で観劇出来たのは、久しい昔のこと、
松島屋さんを親の代から応援してきたので、松島屋の番頭さんから、買っていたチケットならではのことでした。



 インターネットで、前売り時間の前から、待機していて、買いやすい値段の2等のAが狙いだったのですが、三階の最前列の席は、すでに売り切れ、二等席のBの中で、最も良い席の、三階の2列目に、一席買うことが出来ました。
 買ったのは、昼の部、中でも、玉三郎と海老蔵のコンビで舞う「出雲の阿国」は、楽しみの極みでしたが、海老蔵が、怪我で、仁左衛門さんに変わったので、玉三郎と仁左衛門のコンビなら、かつての黄金コンビなので、かえって、それも楽しみか、とも思われたのですが。
 顔見せの昼の部は、「羽衣 」という舞いから始まりました。天女の舞い。
 仁左衛門の隠し子という噂の、愛の助と、仁左衛門の長男、孝太郎の出演で、顔見せならではの華やかさで、お正月がすぐそこに来ているのだな、と見事な踊りぶり。
 三階から見ていると、舞台の白木の上に、お人形が舞いだして、夢の世界を醸し出してくれます。



 次に、これもよく知られた「寺子屋」松王丸に、吉右衛門を迎えての舞台です。
顔見せだから、なのか、一八番そろいで、しかも笑いを誘うものが多い。この「寺子屋」も観客の笑いをそそるうちに、やがて悲劇の様相に、というパターンです。
仁左衛門の松王丸を何度か見ていて、素晴らしい演技に、泣かされたものですから、吉右衛門の豪快な人格とは、対照的に、仁左衛門の場合は、長患いで、身体の弱々しく、身体も細い松王丸。私の中で、名舞台が深く根付いているものですから、物足りないという感じはゆがめないけれど、男ぶりの東役者を見慣れている人なら、この方が男らしくて、潔く良いのかもしれませんね。



さて、待ちに待った、玉三郎の「出雲のお国」の前に、食事が入りました。
お弁当は、買わずに、向かいの、レストランに駆け込んで、最も早い物は?と聞けばランチ、それを急いでお願いします。
 何がランチのメニューかも見て無くて、和風のステーキが出て来ました。クリームスープとえびのフライとポテトサラダ。
 ご飯も美味しいし、急いで口に入れるものの、ステーキの味も美味しくて、食後にコーヒーまでついて、850円という安さでした。
 充分間に合って、幕が開くと、なんと、なんと、あまりにも美しい、玉三郎の、出雲の阿国」玉三郎の背の高さも、博多人形のよう。素晴らしい、踊りは、ゆとりのある優美と仇やかの極みです。
 ふっと、わずかに笑いを含ませる面顔の魅力に、胸キュンで、どきどき。
わー、玉三郎、大好き。これは完全に恋心です。一方的な思い入れです。



やがて、お国は、昔の恋人の姿を夢の中で。
せりが上がって、仁左衛門が、美しい若者として登場します。
踊りも、息も良く合っているけれど、この役は、やはり海老蔵のものです。
 玉三郎が、昔の恋人と踊る場面ですから、オペラグラスで見ると、やはりこの役は。
海老蔵が、あんな馬鹿なことにならなければ、どれほどの大切な役を逃したことか、と本当に残念です。
 そうだからといって、仁左衛門の代役も、それはそれで、若さを身体で素晴らしく、二枚目としての美しさも、素晴らしいのですが、海老蔵の姿形の美しさに、若さは及ばないのです。
 玉三郎は、普通の人ではありません。その美は、人を越えている。隣の三人組の婦人達は、海老蔵見たさに、初めて歌舞伎を見に来た人達。玉三郎の美しさに、感動していました。




 最後は、これも、馴染み深い、「 沼津」です。
一三代仁左衛門さんを忍んで、と題して、松島屋の3兄弟、我當、秀太郎、仁左衛門で。
 一三代の仁左衛門が存命中に、孝夫さんとして、お父さんと共演した、「沼津」を見ていますので、感慨無量です。
 かけあいがあって、アドリブで、親子で話をする場面を、今回は、お兄さんと。劇中、実は本当の親子なのだけれど、その時には、わからない。
 上方らしいお芝居で、おもしろく、やがて悲しい結末ですが、暖かい人情がの残るお芝居。 
 今年の、顔見せは、本当に、非の打ち所のない、素晴らしい出し物と見事な舞台を観客に披露してくれています。


 
 もう一度、行けたら。母に見せてあげたい、心引かれる舞台です。  

Posted by アッチャン at 10:32Comments(0)演劇

2010年12月12日

帰りは新型飛行機


 

夜中、ケネディー空港まで、タクシーを頼んでもらった。
空港に近い場所なので、せいぜい16ドルから最高で18ドルまで。前回も、18ドルだった。 チップを入れて20ドルでよいという息子に、チップが足りないの困るから、と1ドル紙幣を2枚もらっておいて良かった。
 タクシーの運転手は、20ドルを要求してきた。
 
帰りのタクシーで、20ドルだ、と私に言ったのは、アジア人の観光客だと見くびった上でのことだろう。
 息子のガールフレンドは、この辺りの人が使っているタクシーで、16ドルくらいだと言っていた。白タクのようで、前回使った時には、空港の無事着くまで不が、とても良心的な白人の運転手だった。
 飛行機の中で働いているアメリカ人は、日本人と比較すると、態度が横柄で、サービスが悪い人が目立つ。その中で、白人に比べて、黒人の方が、不親切で、感じの悪い人が多いのに、今回の旅で初めて、体験した。
 
  

 サンフランシスコまでの飛行機では、上品な中国人の老婦人が隣に座っていた。英語はわからない。
トイレに良く立つので、窓際の方が良ければ、と聞くと、後ろに座っていた娘さんか、お嫁さんに、私が何を言っているのかを中国語で。心良く、席を譲ってくださった。
老婦人は、ほとんど座ったままで、座席を倒すこともなく、静かに眠っていること多かった。
サンフランシスコまで6時間半、それから、関西空港まで、11時間半、長時間飛行機に乗るのは疲れるが、嬉しいことに、新しい機種の飛行機に乗ることが出来た。
行きもそのようだと言われていたのに、旧機種でがっかり。
 新しい機種は、ふらっとになって、寝ることが出来る。すごく楽だ。
ビデオの画面は20インチ以上ある。



 1Kになったおかげで、ビジネスに乗せてもらっているが、来年は、もらえない。
50000マイルに達するように、ニューヨークから、ロスとラスベガスに飛行機に乗った。それで、やっと、プルミエール、エグゼクティブのステイタス。
年中、飛行機に乗っている人は、軽く10万マイルに達するだろうが。


 
隣に座っている、男性も、この機種は初めてだ、と。食事のチョイスを聞かれて、
その人は、和食を頼んだ。チョイスは、セカンドチョイスも聞かれる。
 頼む人が多い場合、セカンドになる。


その人は、和食を頼み、セカンドを聞かれても、和食しか食べないと、言い、和食でなければ、いらない、と乗務員に言っている。
 乗務員は、和食でなければ、召し上がらないということで、よろしいですね、と言って、次の人に。

 通路を挟んで、座っている人と、向かいあわせの座席構造になっているので、否応でも、顔をあわせるようになる、というのが、新しい飛行機の欠点。

通路の向こう側にも、男の人が座っていた。その人も、隣の人にも、和食が来た。
日本人は、ほとんど和食を食べている。




私は、ファーストにサーモンを、セカンドに和食を頼んだ。サンフランシスコからの和食は、ビジネスに乗ると何度か体験しているが、美味しくないから。
でも、私のように、アパートでご飯と和食を食べて、帰って来る人は少ないだろう。

久しぶりに、食べる和食は、どんなでも美味い感じられるかもね。



息子達と、ほとんど毎日、アパートで和食を食べているので、家は一番美味しいね、と。本党にそうなのだから。
帰る前日も、ステーキを醤油とお砂糖で和風に焼いて、サラダとほうれんそうのおしたし、など。
「輝き」というお米は、とても美味しいので、日本に送ってあげましょう、なんて、コマーシャルをしている。とても美味しい。
 息子は、家事にたけていて、洗濯、お料理、掃除とすべて、こだわりを持って、手際よくこなしている。
 卵の焼き方から、ご飯の研ぎと水まで、美味しさの追求を怠らない。漫画の「食いしん坊」が好きだったし、けんたろうの料理本を読んで研究したり。

 私の食いしん坊が、息子にも受け継がれている。食べる為に生きているような。

飛行機の中で、昔は隣の人と話をすることが多かったけれど、最近では、ほとんどしゃべらないので、楽だ。今回も、隣に日本人がいたけれど、ほとんど何も。
新型なのに、ライトの機器がおかしくなっていて、うまく作動しなかったらしい。
 ライトにアルミホイルが張ってある。私が寝ている間に、その人が貼ったのかと思っていた。
 すると、乗務員が、二枚カードを持ってきた。その人が文句を言ったのだろうか。お詫びカードで、マイルをくれるそうだ。不備があったからとか。

私は、すごく快適に過ごせて、ありがたいくらいだったけれど、ライトが消えなかったり、つかないようになったりしていたので、銀紙を覆っていたらしい。  

Posted by アッチャン at 10:23Comments(0)

2010年12月09日

音楽が美しすぎて


 



 飛行機の中は、快適そのもの。
 この飛行機は、夕方の4時20分にロスを出発して、ニューヨークに到着するのは、夜の12時50分、深夜になる。
 昨夜、どこにも出ないで早く寝て、10時間ぐっすり寝ているので、全く眠たくない。
夕方だから、白ワインを飲める。朝からお酒は、アル中みたいで気が引けるし、飲みたくない。
市川海老蔵は、素面の時は、グッドガイだと、ドラえもんが言っている。
真面目な人ほど、普段自分にプレッシャーをかけている人ほど、お酒が入ると別人のように豹変すると、良く聞く。酒癖の悪い人は、かわいそう。本人が、自分でコントロールするには、飲まないようにしないといけないから。飲まないように、我慢していても、限界が来る。いくら止められていても、自分でセーブしていても、それ以上のプレッシャーがかかれば、おじゃんに。
 私だって、禁酒していたのに、飲み始めると、毎日飲みたくなる。アルコール中毒に片足入れているかもしれない。


 今夜は、白ワインを2杯、赤一杯、気分が悪くなってきている。
ナッツを全部食べて、食事も全て食べ、デザートのアイスクリームまで。首の上まで、食べたものが残っている。
 こんなに、食べて、飲めたのには、わけがある。


ビデオを借りて、音楽を聴いているから。カナディアン、テノールの12曲を聴き、至福の時間、ワインもアイスクリームも、ぴったり。
 酒に酔い、音楽にも酔い、ダブルで。今は、カルメンを聴きながら、ブログを書いている。ニューヨークに戻ると、もう時間は少ない。
メトロポリタン美術館には、年会費を60ドル払って、一度しか行ってない。お土産を買う時間も惜しまれる。夜中に戻り、翌朝の疲れがどのくらいか。
 休むようにしているので、また一日、出て行けないかもしれない。
 ニューヨークにだけ、のんびりしたいけれど、息子だけのアパートではないから、お邪魔虫にならないよう、気を遣う。


マイルも足らないので、ラスベガスとロスに往復することにした。
これは、限界。ヨーロッパに行くと、行きたい所が一杯だけど、いつもパリのアパートで過ごしてしまう。気楽だし、おっくうになるから。飛行機に乗っていると、後で疲れがわかる。


唇は渇いている。皮膚も乾燥して渇いている。日本に帰りたくなっている。
あの単調で、何もない生活。寂しくて、孤独な家に、今は帰りたくなっている。
疲れを休める場所に。
音楽は、又、カナディアンのアダージョ。彼らの声が、優しく包んでくれる。
泣けてくる。どこにも行き着く場所のない身だということに、泣けてくる。音楽が美しすぎて、泣けてくる。




行き着く果ては、誰も、同じなのだけれど、それはわかっているつもりだけど、寂しくて、寂しすぎて、泣けてくる。
飛行時間は、あと2時間を残している。



旅に出るのは何故?
日本にいると、寂しいから
旅にいて感じるのは?
寄る辺なき、寂しさ
デラシネ、あなたが好きな
デラシネ、あなたそのもの

あなたの酒は、泣き上戸なのですね。
泣いている私を、見つめている私が言う。

そう、酔っていると、辛すぎて、
かわいそうな私と 私が  

Posted by アッチャン at 19:23Comments(0)ニューヨークにて

2010年12月09日

ロスから帰ります






  

朝、目覚める7時、ニューヨークでは10時と同じ。、
それから、シャワーを浴びて、しばらく、コンピューターをしてから、階下に朝食を取りに行った。
 朝食付きと言っても、簡単なもので、ベーグルとコーヒー、かインスタントの紅茶、チョコラだけ。
 階下に置いているコンピューターに、客が座っていて、開いた場所がない。
ベーグルがトースターから出る頃、席をあけてくれた。
チェックアウトは11時、コンピューターで、ブログを書いて入れていると、あっという間に、チェックアウトの11時が来た。


荷物を預け、ハリウッドハイランドの方に歩いて行く。この前来た時に、見たから、とも思うけど、飛行機の時間まで、まだ間があるので。
昨日と打って変わって、晴天、気温は朝からぐんぐん上がって来た。
ニューヨークんに戻ると、寒いので、パンタロンの下に、もう一枚入れている。
暑くなってきた。上着を脱ぎたいけど、ひったくられたら、内ポケットにパスポートを入れているので躊躇する。
 ハイランド駅の辺りまで来ると、トイレに行きたくなった。商業施設に入り、ルネッサンスホテルに直結しているので、ホテルのトイレに。
下の広場で、カメラが向けられ、インタビューを受けている人達がいる。スターかと思ったら、当たった人達のよう。でもよくわからない。
ホテルに帰らないと。気が焦った。
ホテルに帰り、またトイレを借りた。この調子では、空港まで我慢できるかな。
地下鉄は、シングルチケットを買った。1ドル50セント。


空港には、早い目についた。でも、安心していられるから、余裕があるから、この方が良い。
ハリウッドの夜も出かけなかったし、どこと言って見物もしていない。大分疲れがたまっている。
疲れを引き伸ばさないで、帰りの飛行機に乗りたいから。
ラウンジが使えないと思ったら、P,S線だけ許可している。
P,S線は、ニューヨークケネディとサンフランシスコか、ロス、との往復便で、様々なサービスがついている。


 エコノミーは、全席座席の前が広い、エコノミープラス。ビジネスやファーストでは、有名シェフの食事とセレクトワイン、それにビデオ。
ラウンジで、フリーのインーネットをしていると、あっという間に搭乗時間が来た  

Posted by アッチャン at 17:28Comments(0)ニューヨークにて

2010年12月09日

パサデナ

 



  
 



リトル東京から、同じゴールドラインで、パセドラまで行ける。中華タウンはメトロから見えるが、今日はパス。
 パセドラにつくと、雨がぽとぽと降り出した。ここは見て歩くだけ。前回は、美術館ま歩いたり、頑張ったけど、今日はもう夕ぐれ。
 ざっと見て、また地下鉄の人となる。



 
 


ビバリーヒルズまでい行こうかと思ったけど、思いとどまった。もう眠たくて。
ハリウッド、ヴイバンで降りて、トレーダー、ジョーに。
できあがりのサラダ撰ぶのにも時間をかけてしまう。ヨーグルトを一つ撰ぶにも。
結局、一番重くて、大好きなアーモンドがついた、パセドナサラダを撰んだ。
グリーク、シザー、チキン、アーティチョーク、皆美味しそうだった。
バナナを二本、水も買った。ワインの小瓶を探したが、大瓶ばかり。
サラダにちょっとワインがあれば。


雨が降っている。帰りにある、スーパーに寄った。小瓶のワインがあるので、一本買おうとレジに持って行くと、4本セットでしか買えない。雨が本格的、土砂降りに。
向こう側に見えているスーパーにもなく、セブン、イレブンに行くと、ビールを一本で買えたので、それを買った。
アメリカは、ビールを6本の単位で買うと、7ドルとすれば、1本では、2ドル50とかになる。



ホテルに帰り、買って来たサラダを食べると、お腹が一杯以上になった。アーモンド、カシューナッツ、ピスタチオ、ひまわり、松の実、など、木の実が好き。
 チョコレートも、プレーンなものよりも、アーモンドが入っているとつい買ってしまう。 ダイエットしていたので、食べるものを考えていたけれど、アメリカに来て、無礼講になっている。おかげで、3キロ近く肥えた。肥えたけど、顔の皺は直らない。ひどい顔。
 もう年だから、仕方がないの、と自分に言い聞かせて、鏡の前で笑顔を作る。
ヨーグルトを半分以上は食べた。それ以上、バナナは入りようがないので、2本とも残している。
 コンピューターをしたいけれど、もう目が半分以上眠っている。
ベッドで歯を磨きながら、テレビをつけた。


12月8日に、ジョン、レノンが殺害されて、それまでの足跡を辿る、ドキュメントをやっている。面白いので、なんとか、眠い目をこすりながら見た。
コマーシャルで、シャワーを。お湯が豊富で、気持ちが良い。
アメリカのシャワーは、固定が殆ど。フレキシブルなシャワーしか日本では使わない。
 この方が持ちが良いからなのか、こだわらないのか。
シャワーをすませ、ジョンレノンが、12月8日、夜の10時45分、信奉者に殺されるまで見て、寝てしまった。
私が日本で使っているベッドとは、比べものにならないくらい、快眠出来る。
ニューヨークだと、3時間の時差があるので、9時と言えば、12時なのだ。
  

Posted by アッチャン at 17:21Comments(0)ニューヨークにて

2010年12月07日

ハリウッドのフリーマーケット

 
  

ハリウッドホテルから、地下鉄の駅の方に歩いて行くと、フリーマーケットが出ているリトル東京に行く前に、ちょっと覗いてみる。
 有機野菜を売っている店がほとんど。味見をするように、小さく切った果物を置いている店があって、爪楊枝につまんで、食べて見ると、凄く美味しい。こんなに美味しいに、買えないのが残念。
 中には、ずっと食べ続けている人もいる。こまめに、小さいな細切れをつまんでは口に入れている。これでもお腹が持つかもしれないね。


箱の中に、大きな黄色いキノコを入れてある。匂ってみると、松茸のような。






 日本の柿も含め、大きな柿から、小ぶりのものまで、柿専門の店、ハーブばかり揃えている店、オリーブ、植木、花屋さん、大根の種類ばかりの店など。



 その中で、一際気になったのが、ピスタチオ。ピスタチオばかり売っているのだけど、結構大きい袋かなので、買えない。ものすごく美味しそう。勿論有機のピスタチオで、実がはじけるようんに、薄いグリーンの実が見えている。よく太って、殻は新鮮そのもの。
 素晴らしいピスタチオだった。


 奥の方になると、食べ物が出ている。メキシコ料理、中華の餃子、バーベキュー、など。 絞りたてのジュースを売っている店には、魅せられたけど、そこでも我慢。量が多すぎるので、捨てるのはもったいない。




  皆、美味しそうに食べているけどここで食べると、お寿司が食べられない。
 フリーを出て、地下鉄の方に歩くと、トレーダー、ジョー(食品スーパー)があった。
ニューヨークに2軒あって、良く行くところ。
  帰りに、寄ろうと思った。 」  

Posted by アッチャン at 08:28Comments(0)ニューヨークにて

2010年12月07日

リトル東京で寿司

 



 ハリウッドにあるホテルということはわかっている。通りの名前もわかっている。
けれど、ハリウッドの駅は、2つ。その通りに沿っている。
ハイランド駅に降りて、その通りにそって、番地を探しながら歩いて行く。

 近いとコメントしていたのに、遠いなあ。
ハリウッドホテルは、隣の駅の方がずっと近い所にあった。
もと、ゲストイン、というの所のようだ。地図に載っていた、ゲストインと同じ所のようだ。



午前中なので、チェックインは3時と書いていたから、荷物だけ預けるつもりだった。部屋が用意出来るから、と鍵をくれた。
このホテルは、レンタルも出来るよう。大きくないけど、エレベーターもないけど、清潔で、シャワーも快適だし、お湯の量も豊富で、調度の趣味も良い。
 冷蔵庫と電子レンジもついて、インターネットはフリー。コメント通り、良いホテルだ。
 朝食付きで、55ドル、タックス入れて、62ドルほど。



今日の昼食は、リトル東京にある、寿司屋に決めていた。
 以前に行って、美味しかった店だ。ホテルにあるガイドを見たら、宣伝している店がある。名前は知らないけれど、そこだったのかな、なんて。
レッドの地下鉄でユンオンステーションで、ゴールドに乗り換えると、リトル東京エリア、という駅が出来ている。以前はなかった。
 ユニオンで乗り換えに、結構歩いた。乗り換えといっても、一旦でて、また別のところに移動。暢気な感じ、ロスらしくおおざっぱ。

 美味しい寿司屋

 リトルトーキョーに、寿司屋、焼き鳥、しゃぶしゃぶなどの、日本レストランがかたまっている。
 私が以前に入ったのは、ここだ、とは思ったが、ガイドに乗っている所は?と辺りの店を見ながら歩くと、見つかって、メニューを見ていると、中から、日本語で、どうぞ、と。
 一旦、まら、元の店に行き、メニューを見てから、フライイング、フィッシュ、という店が、どんな味なのかな、と気になって、また戻ると、彼女が、
「カリフォルニアロールだけでもどうぞ。3ドル95セントですから。」と中に入ってしまった。
美味しいと連発されて、そんなら。食べて見ると、ご飯が不味い。こんなのでお腹を大きくするとは。他のも勧められたけど、ここはこれで出ていく。
回転寿司屋で、様々な新聞紙にも紹介されていて、沢山記事が張ってあるけど、日本の寿司を食べている人にはペケの店。



やはり、未練の寿司屋に。この店は、ランチタイムに、天ぷら、刺身、かつ、を組み合わせたものの豪華版がある。私はさっきのカリフォルニアで、許容量がなくなっているので、寿司を少しだけ、と思って。
カウンターで握ってもらっている人が座っている。私もそこに。隣のカップルが、鰻を食べていた。、、もう一方のカップルは、女性だけが寿司を握ってもらい、男性は、ランチの焼き肉定食、その向こうで、天ぷらと刺身のランチを食べている。どれもすごいボリュウム。



 私は、鰻を頼んだ。辛くて、鰻の泥臭さがあって、あまり美味しいとは。さっきのカリフォルニアロールの食べなおしに、同じ物を注文した。

 やっぱり、ここのは、美味しい。かにかまではなく、蟹を使っている。ご飯は、寿司米として、申し分ない堅さ。これでもう食べられないので、お勘定を。



カリフォルニアは7ドル、鰻が5ドル、で12ドル、チップを入れて、15ドル払った。回転寿司屋は5ドル。合計で20ドル。
最初から、入っていれば、当然、寿司の盛り合わせを食べた。上にぎりで17ドルほどだから、同じ。えらい違いや。この店は、大賑わいで、日本人がやっている。握り手も、寿司のベテラン。美味しい店は、ガイドに載せない、必要ないでしょ。


なんと、太鼓焼きを売っている。美味しそう。一個2ドル。良い商売だなあ。  

Posted by アッチャン at 03:54Comments(0)ニューヨークにて