2011年04月02日

グリーン電力を阻止して来た、原子力発電


  
  

 菅総理は、地震で、問責決議案を免れた。検察の可視化を話し合ってきた委員会が、国民の関心が薄れている間に、結論を出した。結局、何も変わらない。検察の可視化は、闇に葬られてしまった。隠蔽体質は、継続されるだろう。
 福島原発の事故は、刻々と悪くなり、最早、隠しようもなく、現状として現れているので、東電、保安員、政府も、包み隠せる状態ではなくなって来ている。
 保安員は、最初から気づいていたいたでしょうが、政府の意向との調整があるから伏せていたのでは?と今日、BS放送に出ていた、原子力研究者が言っていた。
福島原発の2号機を設計した、後藤さんは、早くから、今の状況を予測していたのに、民放もNHKも、後藤さんを呼んだことがない。72年の段階で、GMの設計者も、欠陥を指摘し、設計をやめるように、アメリカ政府にも訴えたのに、売ることを優先した。
最も詳しい人達が、封印され、ほとんどの国民は、知らないままに、ここまで来てしまった。

何故なのか?が今朝の、パックイン、ジャーナルでの、山田さんの発言でわかって来た。
東電を初め、9つの電力会社は、民間ではあるが、官の独占企業になっている。
政治家や政党は、東電から多額の献金をもらっている。
原子力研究者達は、電力会社から、多額の研究費を出してもらっている。
原子力安全委員会というのは、経済産業省の管轄で、保安員は、そこで雇われている、原子力には無知な人間である。
原発の申請をするのは、東電、それを許可するのは、経済産業省、そこに原子力安全委員会が付属している。
持ちつ持たれつ、甘い汁を互いに吸いながら原発を造って来たのだ。
これからも、原発を売り込もうとしている、経済産業省は、このまま引き下がらないだろう。
国民の関心が薄れるのを待って、原子力発電を推進していくつもりでだろう。
 計画中の、原発は、ゼロベースで見直すと、菅総理は発言しているが、この人ほど、熱しやすく、冷めやすい人はいないのでは。

山田さんが、電力会社が、送電と造る側を、別にしなければ、競争が生まれて来ない。独占体質を変えられない、という。
 グリーン電力の開発を阻止して来たのは、東電を初めとする、原子力発電を推進してきた電力会社、経済産業省、政府なのだ。
 代替エネルギーの、省エネの促進を、阻んできた。自分達の既得権益を守るために。
 太陽光パネルも、大量生産すれば、随分コストは安くなる。地方は、地方独自の方法で、自か発電装置を地域で持って、近くの電源から供給するようにすれば、グリーン電力に変えることが出来る。

東電を初め、電力会社に原子力発電を推進するために、国民は、高い犠牲を払わされてきた。

もうすでに、原子力発電は必要だ、という声が、議員の中から上がっている。
 オバマ大統領が、福島の事故があっても、原子力発電を勧めて行くと、勇気ある宣言をした、という自民党の議員がいる。
 アメリカやフランスは、広大な国土を持って、しかも、地震も津波の心配のない、場所がいくらでもある。
 日本は、4つのプレートの上に乗って、全国が地震と津波に襲われる、小さな国土に、1億2千万もの人が住んでいる。そこにもいけない。捨てる大地はない。

 東海の風力発電は、内部の羽回転で、相当量の発電をが出来るという。
 自家発電で、全ての電力をまかなっている人もいる。太陽光パネルは、量産すれば、随分安くなる。
電力会社に、高い電力を払わされているのは、個人。決められた通りに、言いなりになって、それが当たり前だと思って来た。
地域主権で、電力も地域ぐるみで、発電量を生み出し、電力会社が供給する原発を拒否出来る体質を造っていかなければ、日本の未来はないだろう。  

Posted by アッチャン at 17:26Comments(0)コラム

2011年04月02日

美の魔術師


 


 絵を描いている、芸能人は多い。
  自然の脅威に、対抗する術もなく、打ち負かされて、人間の無力をつきつけられた時に、その中から、人々の苦しみ、悲しみに寄り添い、共感する人々の涙で、津波の去った後の、傷口をさらけ出した大地に降り注いでいる。
 石坂浩二さんが、描いた「仏陀」の絵画は、テレビの画面を通してではあるが、素晴らしい作品だった。
 絶望した心の中の、震える身体の隅々にまで、柔和な、暖かい光を浸透させる、仏陀の姿を、神秘的に描いている。
  石坂浩二は、神秘的で、神話的な絵画を描く、モローが好きで、何度も、モローの館の某ミュゼーを訪れていると以前に聞いていましたが、まさに、その絵は、モローを思い起こさせます。
 こういう天災に乗じて、神がかり的な言葉で、終末論を唱え、選ばれた人達だけを救うのだというエセ信仰を唱える人も出てくるでしょうが、祈りの心を込めて、一心に描かれた、絵画は、深く、人々を癒し、包み、抱く力が溢れているように思われます。
 東京で、展示会が開かれた後で、京都にある太秦の撮影所でも展示されるそうです。

 他にも、鶴太郎さん、工藤静香さん、亜紀さんも釈迦の素顔を描いて、チャリティーの展示をされています。
お釈迦様が、日本では最もふさわしい、慈悲と慈愛を表現して、全ての人の心の救済の象徴なのでしょう。

モローの、神秘的で、暗い闇の中の、万年の彼方から、透明な空気を割って、光を投げかけて来る絵を見ていると、不思議な安らぎの空間に引きこまれて行くような感覚を覚える。美しさ、それを美というのだとしたら、美術は、美を表現する術ということになる。心を揺さぶり、感動させる画家は、美の魔術師にちがいない。
モローの絵画は美しい。石坂浩二の絵画は美しい。感極まる美しさがあった。心を惹かれたのは、私だけではなかった。
、朝ドラに出ていた、ゲストの富司さんが、感動の涙を浮かべて見ておられた。

   

Posted by アッチャン at 15:57Comments(0)art