2011年05月03日

子供達に年間20ミリシーベルトの許容量とは

 



原口さんは、昨夜のインサイド、アウトに続き、今日のお昼、朝日テレビにも出演して、子供に対する、20ミリシーベルトを、1ミリに変更させなければならないことを訴えた。 先日、参与に選ばれた、東大の小佐古教授が、子供の被曝量があまりにも緩すぎると、涙ながらに訴えて、原子力安全委員会を辞めた。この人は、原発推進派で、小出助教とは全く反対の立場で、浜岡原発は安全だと言い続けて来た人、でさえも、研究者としての生命が絶たれるような、数値を受け入れるわけにはいかない、と言うほど、子供達の生命を脅かす、恐ろしい数値が、20ミリシーベルトなのだ。
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/04/25/tanemaki-apr25/ 

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=tpMTeIj-2vg


原口さんは、政治家として、将来子供達が、あの時こうだったから、こうなったという状況を見ることは堪えられない。これを許していることは、政治家として生きてゆけないなんとしても撤回させ、世界基準の1ミリシーベルトに変更させなければならない、そのために、菅総理の決断を迫るが、菅総理と何度か話し、アドバイスしてきたけれど、菅総理は、「出来ることしか約束出来ない。」と言う。


安全委員会では、20ミリシーベルトだなどと言ったことはない、と言っている。だとしたら、誰が、どんな思惑で、この値を決めているのか?国会での、森議員の質問には、安全委員会の判断に添ったもので、実際には、これほどの放射脳が出ているわけではない、などと答弁している。

事実は、私達が思っているよりも遙かに深刻なのではないだろうか。出来るならば、年間20ミリシーベルトなどという、膨大な危険性をはらむ量を、許容量に持ってくるはずがない。

すでに、十分、そういう危険な量が、実際には出ているか、必ず出てしまう可能性が非情に高いのではないだろうか。
 どうしようもない、というのが、本当の所なのではないだろうか。打つ手がなく、だらだらと放射脳を垂れ流している。

低レベルという、まやかしの言葉を使って、安心させようとしているが、そんな言葉は、原子力知識のある人達には、通用していない。
 何もわからない、政府の言うことを信じている国民だけが、それならまだ大丈夫なのだろう、なんて、暢気な考えでいるのだ。

 実際に、なって見なければ、被害を肌で感じなければ、他人事なのだ。その恐ろしさを十分知っている専門家の中で、小出さん達のように、原発をやめさせるために研究を続けてきた人はもとより、危険性を知りつつ、国策に乗って、原子力を推進し、研究費をもらい、生活をかけ、科学の進歩が、原発の危険性をカバー出来ると信じてきた研究者達の1人であった、小佐古さんも、許せない、危険きわまりない許容量なのだ。

 小出さんが恐れた、悪夢を見ているような、現実がおこり、今もおこり続けていて、こうなってほしくないという方向になっている。つまりは打つ手がないということなのではないのだろうか。
だとしたら、菅さんであろうと、他の誰であろうと、手立てはないのかもしれない。

毎日、ラジオで、小出助教に意見を聞いているけれど、東電は取っている、或いは取ろうとしてる方策について、「出来れば良いけれど、たいして意味がないだろう。」とか「出来れば私もそうなればよいと祈っているけれど、」という返答ばかりで、最悪の事態としての、水蒸気爆発が起こらないことを祈っている、ということから、逃れられない状況が続いている。

 事態は、深刻なのだ。現在も原発は動いている。死の灰が、日本全体を覆い尽くす時が、次第に、じわじわとやってくるのではないだろうか。
 じわじわと、目に見えない敵が、日本中の人々を汚染してしまっても、兆候として現れる人もいれば、いない人もいる。

子供を守らなければならないはずの大人達は子供達は、子供を犠牲にして生きている。
  大人達が生きる為に、子供を売り、売春をさせ、盗みを強要してきた歴史的事実がる。今でも、世界のどこかで現実に行われている。 
食料を与えられずに、飢餓や病気で死んでいく子供達がいる。

原口さんが、澄んだ目で、怒りを込めて、テレビの前で、訴えても、少数派の意見として、押しつぶされるばかり。
 小出助教は、どうすればよいのか、わからないと言う。子供達を隔離して、親と離すことが、子供達に取って幸せなのかどうか、と。
絶望的な状況に中で、打つ手がないのだとしたら、遅かれ早かれ、日本全体が、放射脳を避けられないのだとしたら、親と共に暮らすのが幸せで、生活の基盤を築いた場所で、生きて行くことが、選択されるだろう。

日本の何処にも、やがて安全な場所がないとしたら。再生の道はないのではないだろうか。
私も、原発が無事に治まり、人々が再生出来ることを祈っている。  

Posted by アッチャン at 19:13Comments(0)日々の事

2011年05月03日

春うらら、香住への小旅行


 


 昨日から、喉が痛くなって、風邪薬を飲んでも、良くならない。寒気がして、夜中熱が出ていたようだ。
 連休の谷間、朝、医者に電話すると、通常通りやっているのでかけつけた。
インフルエンザではないか、と調べてもらったら、それはなかったので、ほっとする。
 喉が凄く痛くて。風邪薬を飲んでいるけど、一向に治って来ない。
 今日はほとんど寝て暮らす。
 
木曜日から、2泊の旅行に出て、美味しい物を一杯食べて、温泉にも浸かり、元気だった。どこかで風邪をもらったようだ。



城崎への道を何度行き来していることだろうか。
 先日、美しく咲き誇っていた桜は、すっかり青葉に変わって、
辺り一面が、燃え上がる新緑で覆われている。
 山桜が、柔らかい色を浮かびだし、更に濃い山ツツジが点在して、色を添えている。



 香住にある、温泉を目指して走っていると、家々の前に、白い紐が笹の木に結びつけられて、一線をなして続いていた。
 大乗寺、別名を応挙寺として知られている。
その寺の観音様は、33年に一度、開かれて、1年間お姿を拝観することが出来る。
正大な行事が2日間に渡って行われ、終わった頃に出くわした。
 行事の為に、応挙の襖は全て取り払われて、住職以下、檀家の人達が、正装したままで、片付けを始める頃だった。


 どうぞ、上がって、観音様を見てくださいと、言われたので、拝ませていただいた。
その方からの話で、33年ぶりに、観音様のお姿を見られる時に、立ち寄ったのは、観音様のお導き、良いことがありますよ、と。
 白い紐は、この寺から観音様が、家々を守ってくださることの象徴になっている。
この行事に8千万かかっていると言われた。
 丸山応挙は、この寺で沢山の絵を描いていて、応挙の寺と言われている。



その日は、近くの温泉に行き、夜は民宿に泊まることになっていた。
その往き道で、偶然立ち寄った、大乗寺で、有り難い観音様を拝ませてもらって、
一期一会。

温泉に浸かって、お風呂はすませて、民宿に行くまでの海岸沿い、夕日がまだ高かった。写真を撮りたくなって、車を止めた。


旅館の前で、おばあさんがいたので、
「景色が美しいので、写真を撮らせてもらいたい。」というと、
ここからの景色を撮りに、沢山の人が来ました。秋山正太郎さんも、家の畑に入って、写真を撮りましたよ、と言われた。
 旅館はやめて、今はお年寄りの介護施設になっている。
日本の夕日一〇〇選に指定されている場所だそうだ。
おばあさんは、八〇才になるが、眼鏡がいらない。水平線を見て暮らしているからだそうだ。漁師の目が良いのも、そういう理由からだとか。
 時間まで、夕日が落ちるのを待てない。真っ赤な夕日が落ちていく様は、素晴らしいのだろうが。



泊まる予定の料理旅館は、民宿で、夏は海水浴、冬はカニ宿なっている。
 早速、夕食をお願いした。トイレと洗面、お風呂は階下にあって、部屋は六畳だけの狭い部屋だけれど、値段はそれほど安くなかった。
 食事目当てにやってくる客ばかり。客の評価が高かったので、選んだ。
 階下の食事室に入ると、テーブルに、見事な料理が並んでいる。








これはすごい。
 お料理は申し分なかった。但馬肉と白エビ、野菜を石焼きで。
香住のカニが甘くて美味しい。
 豆乳の豆腐鍋に野菜を入れて。
 随分盛りだくさんにあって、食べ過ぎた。新鮮な魚と肉、有機野菜が自慢の宿、
民宿でならではのもてなしだった。


翌朝、近くを散歩して見ると、どの家もお花が綺麗なのだ。写真を撮っていると、どうぞ、庭も見てくださいと声をかけられた。


塀の奥に、見事な花のガーデンが。このお隣も見てください、と。先週は、オープニングガーデンをしていたそうだ。


どの家も、個性豊かなガーデニングをしている。


人々は皆親切だ。海辺で暮らす人達は、心が大きく、豊になるのだろう。
カニの季節が過ぎ、海水浴までは、まだ。狭間の季節は、花と、野菜と、新鮮な魚を楽しみ、人気のない静かな環境も、心身を休めるのに、とっておきの季節だと思う。  

Posted by アッチャン at 03:08Comments(0)旅のグルメ