2011年05月16日

中曽根元総理の傲慢


 


元首相の中曽根さんが、原子力発電を推進した自己の立場を擁護するコメント
を出している。
とんでもないだ。
福島を始め、全ての人に、反省と悔恨とお詫びの言葉以外には、中曽根さん
が、言うべき言葉はないはずだ。

小出さんが、政治家は嫌いだ、と言っているが、中曽根さんのコメントには、
政治家の「傲慢の罪深き言葉」が表れている。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110513/plc11051303190004-n1.htm



政治家というものは、年を取り、神の審判が下される時が近くなれば、
悪行を反省し、多くの人人を自分の命令で動かし、人の生活を左右してきた
ことに深い反省があって、当然なのではないだろうか。
それが誠実で、偉大な人間だと思う。
  

Posted by アッチャン at 15:00Comments(0)コラム

2011年05月15日

歩いてパリを知る

 


 墓地から、サンジェルマン・デプレの方角に歩き、ルクサンブルグ公園に出
て、パンテノン神殿、植物園を経て、帰って来ようと思って歩き始めた。
 デュラスが住んでいたのも、サンジェルマン、デ、プレ。サルトルとボーボ
ワールが、夜を徹して議論した界隈でもあり、知識人のサロンになっている、
 ドー、マゴというカフェや、海鮮で有名な、ドームなど、モンパルナスと
デ、プレは、目と鼻の先。
 セーヌを挟んで、右岸と左岸に別れている。左岸は、大学の町として、知識
人が住んでいた。
 右岸といえば、金満家のブルジョワの町、シテとマレー、マレー地区には、
ユダヤ人地区があるのでも、想像がつく。
 芸術を語り、作家や、演出家、思想家など、お酒とたばこ、眠気を遮る、カ
フェがなくては、様にならない。モンパルナスや、デ、プレは、深夜も生きて
いる町。
デュラスが、「広島、わが愛」の中で、ヒロシマを、眠らない町、という表現
を使っている。パリの中でも、左岸は、眠らない町だ。




パリの中は、歩いても回れるくらいだ、と言われている。
自分の足で歩くと、町がわかってくる。途中で、発見することも


多い。美味しそうなレストランとか、安いホテルとか、、スーパーや
チョコレートの老舗だとか。


 ルクサンブルグの公園を抜けて、出てきた駅は、特徴があってすぐに
わかった。
 私が、初めて1ヶ月の長期でパリににやってきた時に、泊まった安宿のある
駅。毛皮の上に、レイン、コートを羽織って、地下鉄を上がったり、下りたりし
ながら、たどりついた駅だった。



 元気だった、あの頃が懐かしい。どんな体験でも、過ぎ去れば、甘く切な
い。



 その頃と同じ名前の、サニーホテル。アメリカネームは、当時珍しかった。
部屋にシャワーがなく、鍵をもらってはいる。部屋にあるのは、ビデだけ。
 語学学校で、家庭滞在をやめて、ホテル暮らしを撰んだ。
サンミシェルまで通っていた。
 サニー、ホテルは、以前は星1つか、星なしなだったか、今は綺麗になっ
て、2つ星のホテルに変身している。バスタブ付きか、シャワー付きのホテ
ル。シングルだと、80ユーロは高い。


 この近くにあった、ホリデーインも目茶な値段をつけていたら、つぶれて、
次に入ったホテルは、週に800ユーロ、ネットではもっと安くなるはずだ。

サニーホテルは、ゴブラン駅の方が近い。ゴブランからプラスイタリーまでは
すぐなのだけど、従姉妹にもらった、いいじくのジャムを忘れているのを取り
に行きたくて、オルリッツ駅の方に歩いた。



こんな所に、カルフールがある。安いと言われる大型のスーパー。
腰が張ってきて、疲れがひどくなっている。かれこれ4時間歩いている。
途中で折れて、アパートの方角に歩いた。
地下鉄が走っている。アパートに近そうだ。


 途中で、ホテルの値を見ながら歩いていた。それも70くらい。
ホテルと書いている、星なしのホテルがあった。
 シャワーなしが、35ユーロ、シャワー付きで43ユーロだ。
どんな感じか? こういうホテルもある。 



犬も歩けば、棒に当たる。
吉田さんの近くに、安くて良いホテルがあると聞いていた。
日本からの客に紹介するホテルだと。



ホテルは知らないと、値段に随分な差がある。
値段ばかり高くて、とんでもない、ぼったくりホテルもあるから
ご用心。

すぐに帰るつもりだったが、従姉妹とまたおしゃべりしてしまった。
彼女は、すごく逞しい、商才にたけている。
フランスは、果物の宝庫、甘い物好きなので、ジャム作りに凝っていて、
美味しいジャムを日本に輸出する計画が進んでいる。試作中らしい。



レストラン誌に、グルメの店として、大きく写真で紹介された。そこには、女
シェフの顔が映っていた。様々な顔を持つ人だ。
  

Posted by アッチャン at 22:44Comments(0)パリにて

2011年05月15日

吉田堅治さんのお墓参り


 


4時に起きて、ブログ書いて、小出さんのビデオを見て、朝一のつもりで、出
ていくと、土曜日はなかった。
野菜を買って、半分のバケットを買い、朝も、昼も、パンにサラダの食事。
 今日は外気温が下がって、分厚いコートを着ている人が多い。
部屋の中にいると、外気の温度がわからない。半袖の夏服で丁度良いから。
 時折空が曇る。雨になるかな、と心配だけど、今日は、吉田さんのお墓参り
 に行くつもり。歩くのには、丁度良い温度だ。
 2時をすぎて、出ていくころには、頭がちょっとふらつき始めた。
 プラスイタリーから、モンパルナスの方角に歩く。


マスクを持って来なかった。花粉なのか、埃が舞うからか、くしゃみが
出だした。あ、また気管支炎にならなきゃ良いが。
 
ティッシュも忘れた。
途中にある、高級ホテルに入り、トイレに入り、すいでにティッシュをいただ
く。
ここはトイレ中継に便利。ボーイ付きの高級ホテルだから、出入りしやすい。
清潔だから気持ち良い。



帽子をマスク代わりにして、口にあてながら歩く。
墓地の近くの、いつもの花屋さんで、白菊を買った。何故か、色物よりも白と
黄色を撰びたい。
パリの墓地は、様々な色のあでやかな花で彩られているが、日本人である人
が、異国の地に眠っておられる。
白菊が似合う、そう思ってしまう。白菊か、百合の花だけど、百合はカソリッ
クのお墓に似合う。



吉田さんのお墓には、以前に訪れた人が備えた、花束が4つと、バラ一輪が、
枯れて、ドライフラワーになっていた。
その中で、まだ色を失っていない2つを残して、あとは片付けさせてもらっ
た。
吉田さんは、生きておられた頃、一緒にお墓に来ると、墓守の人が、綺麗に世
話してくれていると言っておられたから、枯れた物は片付けてあるのか、回り
の鉢植えにはお水をやっているのか、と思っていたけれど。




青空に白い雲が浮かんで、時おり、一陣の風が吹いている。
お墓に、空を写して、雲の陰が。
吉田さん、今年も、ここに来ることが出来ました。
奥様とご一緒だから、もう寂しいことはないでしょうね。

吉田さんは、お墓の前で、しばらくの間、墓の下に眠る人達のおしゃべりを聴
いたり、空を見ながら、奥様とお話をされると聴いていましたので、
私にも、なにか聞こえないかしら、吉田さん、言いたいことはないですか、
と問いかけると、ふっと風がそよぎ、空に鳥が舞う以外には、靜かで何も聞こ
えません。

蒼空が、真っ青な空に、白い雲が浮かんでいます。
吉田さんは、蒼空、奥様は、白い雲、時折曇っていた空が、吉田さんの墓石に
刻まれたお二人の姿に変身していました。
鳥のさえずりは、もしかしたら、吉田さんのおしゃべりなのかしら。
二羽の鳥が、蒼空を横切って、仲良く飛んで行きました。

また来ますね。



吉田さんのお墓参りをした後で、デュラスのお墓にも。
ディラスのお墓は、以前は寂しく、墓石だけだったのに、年を
追う事に賑やかになりました。


ユダヤ人がするように、お墓の上に石が置かれ、地下鉄の切符が置かれ、
様ざまな形を、音すれる人人が残して行きます。
私は、墓石の前に刻まれた、M.Dというシンプルな文字に惹かれます。



とても小さな人でした。このシンプルなお墓の下で、眠っているデュラス。
彼女は、生命力の強い人で、生き様の割には、随分長生きしたと思われた
のですが、それでも、今思えば、長生きのうちには入らない。



デュラスのお墓に行く筋をまた間違えてしまった、ロダンのお墓に出会った。
天使の彫刻が、墓に抱きついています。見過ごしてしまう、シンプルなお墓。

  

Posted by アッチャン at 18:24Comments(0)パリにて

2011年05月14日

小出弘章


 

ニコニコ動画で放送された、ビデオが公開されています。

これは絶対に、みてほしい。そして、一人一人が
考え、どうするべきか、考えましょう。
 
 私も、反原発を真剣に考えてこなかった人間として、
これからは、汚染された野菜を食べ、責任を分かち合って
いかなくてはいけません。
そして、なんとしても、これから育つ子供達を守らねば
ならない。
そして、反原発を訴えていかねばなりません。
 
 関西の人間としては、私達に供給されている、美浜を
止めなければなりません。

http://hiroakikoide.wordpress.com/

小出さんは、月から金曜まで、研究室、土日は、各地への講演に呼ばれています。

3人の子供をもうけ、一人は早く亡くしたけれど、2人の子供を育てられた。
助手の給料についての、質問に答えて。
ビデオの中で。
落合恵子さんも、七芸に来られていました。
心に深く染みこむコメントです。  

Posted by アッチャン at 18:33Comments(0)パリにて

2011年05月14日

 パリで、魚沼産のお米、がっついたよ。

 
 

 トイレに行きたくなって起きたら、まだ夜中、4時だった。
日本時間は、11時だ。
昨夜は10時に眠くなって寝たので、睡眠時間はこんなもの。

昨日の夜(日本)、十三にある、第七芸術劇場に、小出さんが来られて、
講演された。
残念だ。ニコニコ放送でも中継してくれたらしいけど、その時間は、
近くのEDという、低所得者向けのスーパーにいた。
帰って、チェックしたら、すでに終わっていた。
1号機は、小出さんが言っていたように、冠水は出来なくなった。
比較的安定していると思われていた、1号機でも、想定外?が続出している
のだから、後の2号機、3号機などは、もっと遙かに深刻な事態が、これからも
続くだろう。



パリに来て、地下鉄の中で、敬遠されるかな、と思ったけれど、誰も感心を示
さない。
荷物のラベルに、成田と書いているので、この人は、成田からやってきたと
思って、放射能を恐がりはしないかと思ったけれど、逆に、回りの人の咳で、
風邪をうつされないかと心配。

パリに行くと言えば、いいわね、羨ましい、と友人から言われるのだけど、
何度も来ていると、移動するという間隔が正確で、パリに住んでいる人人と、
日本で暮らしている人人と、共通しているのは、生活の場であること。
淡々と、日日、生活のために働き、家族という小宇宙の中で暮らしている。



こちらの人の主食は、パン。日本では、お米。
米を食っている人間と、パンを食べている人との違いは、大きい。
私は、毎日パンでは耐えられない。彼らは毎日パンしか食べられない。
そういう意味では、日本人は海外から様々な文化を吸収し、自分達の使い勝手
のよいように、アレンジして、新西洋風文化的生活をしているけけれど、
フランスのほとんどの人人の暮らしは、パンとスープ、チーズと肉。昔も今も


魚を生で食べられる人はほんのわずか、イタリア系とか、ちょっとした文化人とか、ギリシャなどの海辺で暮らした人とか。魚は、何でも焼いたり、火をむ、刺身とは
全く別ものの食べ物、ソースがメインの食べ物の一つに変身する。



息子が帰って来るというので、美味しい飯を食べさせたいと思って、魚沼産の
最高のお米を買っていたのが、残っていた。
私は、通常玄米に変えているので、お米の美味しさを再発見したからには、
パリにもそれを持って行かないわけにはいかない。

こちらに来て、パンで2食すませたら、もうお米が食べたくて、大事なお米
を、炊いた。
こちらでいつも買う、お米とは雲泥の差。
山椒ちりめんをふりかけて、食べると、世の中に、これほど美味しいものは
ない、と思えるほど。がつがつ。
残っているご飯をわけて、おにぎりに。
おにぎりのように、固めないで、ラップにご飯を包む程度にすると、ご飯の美
味しさが引き立つ。



従姉妹のレストランの客が引けた頃、持参した土産を持って行った。
息子達の所に行くときに、いつも持参する、柿の葉寿司を早く食べてもらわな
いとと思って。
お腹を空かして、作業を終えた従姉妹は、柿の葉を一気に食べて、美味しいと
満足。私は、このこともあって、あらかじめ、炊いたご飯でお腹を満たしてい
た。
もうお腹いっぱいだから、食べられない。
従姉妹は、柿の葉寿司を平らげ、好物のきんつばを3つ食べ、一気に。私が良
く買っている、あげた醤油のおかきにも。



フランス人用に、日本食まがいの料理を出しているけれど、純粋な日本食は
食べられない客がほとんど。
刺身と言っても、マグロのとろくらい。串カツ、鳥の唐揚げ、肉食がメインに
なり、魚は、えびのゆでたものとか、ソースを加えたソテーか、揚げ物。

そういうものの残りものが多いから、食べ物にうるさい従姉妹の口にも、
柿の葉寿司は、とびきり美味しいと感じられたようだった。

八つ橋、きんつば、甘納豆、あんぱん、羊羹に、お好み焼き、長年パリに住ん
でいても、ケーキや生クリームを使ったものよりも、和菓子を好む。



二人の意見が一致したのは、お茶や紅茶を飲むようになり、お茶受けがいるよ
うになったこと。
お茶を飲むと、何かつまみたくなる。お茶を入れる時間を持つようになるとい
うことは、生活にゆとりが出来ている証拠。一息いれる時間。休みながら生き
ていくことを、身体が要求している。つっぱしることが出来なくなっている。
お茶と和菓子の日本文化、千利休が生み出した、日本的美の空間の縮図のよう
にも思える。

夜が明けた。もう7時だ。
お腹が空いたから、パンを買いに行こう。
コーヒーとパンと、チーズにサラダ。

昨日、従姉妹から、えびのゆでたのと、いちじくのコンフチュール(ジャム)を
もらった。えびは昨夜、EDで買った、一本買えば、もう一本は無料という赤ワインと
一緒に食べた。ヌボーワインの残りもの。
格安にはわけがあった。どす黒く濁っている。
 ジャムは、持ち帰るのを忘れてた。今朝のバケットに楽しみにしてたのに、
残念。  

Posted by アッチャン at 15:32Comments(0)パリにて

2011年05月13日

5月のパリに


 


パリに着きました。
快晴で、暑いくらい。
人人の服装は、様々。体温の差が大きいようです。
半袖の人や袖無しの夏服を着ている人もいれば、
分厚いコートを羽織り、冬装の人も。

今回のパリ、心が快晴と言うわけにはいきません。
震災の事、福島原発事故の行方、など、日本のことが
心から離れないので、なんとなく憂鬱な気分が抜けない。

我が家の庭で咲いている花達にも、伊丹まで送っていただいた
近所のさんから聞いた、Tさんが動けなくなって、2週間入院されて
いたことも心配です。
私と同様に、一人暮らしのTさんは、動けなくなって、救急車を呼んだけれ
ど、それふらいなら、どこの病院にも運んでくれなかったそう平日になって、タクシーを使って行くと、そのまま入院。
良く行かれていた、お母様の所には、妹さん達が行かれているとか。




ANAの飛行機、席が狭くて、ニューヨークに行くよりはずっと時間が
短くて、楽なはずだったのに、隣の人を気遣って、肩も腰も痛い。
前の席と間隔が狭いので、自由に身体が動かせないのも手伝って。
以前は、足置きがついていたけど、それもなかった。
加えて、食事が美味しくなかった。食後のハーゲンダッツのアイスクリーム
だけは美味。
豚の角煮の脂っこいせいか、それとも、ラウンジで飲んだ、上質の白ワインと
エコノミーで、出される安ものとのちゃんぽんのせいか、機内の寒さに胃が怒
りだしたのか、疲れのせいなのか、それともその全てが混同してなのか、
胃が痛くて。

幸運の印にいつもはめていたトパーズの指輪が、どこでなくしたのか、
指になくて、妹から昔もらった、水晶の腕輪をつけて、出て来た。
危険から守ってくれた時に、腕輪が切れたと聞いていたので、守ってくれる
かな、と。



パリでいつも借りているアパートの近くに、以前はホリデーインはあった場所
に、クオリティーインスイートが入っている。夕方からアルコールと食事も振
る舞われる、クオリティーインの豪華版で、キッチンがついている。
朝食のバイキングも豪華、アメリカでのホテルではそうだけど、パリでは
使ったことがない。



その隣にも、キッチン付きのホテルが出来ていた。
このあたりは、以前は全くの場末だったけれど、地下鉄がつき、国会の図書館
があり、お洒落な部分も加わって、便利になっている。
観光客が良く泊まる、オペラ座周辺の中心地と比べれば、比べようもなく、周
辺の下町であることには変わりないけれど。





部屋の入ると、キッチンが新しくなって、デジタルになって、テレビも変わっ
ていた。
床が汚れているのは、工事のせいかな。

水がないので、着くとすぐにする仕事は水買い。トイレのペーパーも買って来
なくちゃ。
体調が良いと、ワインを買いたくなるのだけど、ほしくない。
野菜を買い、明日のパンを買って、水を3本、それが限界。
真ん中の鍵が開きにくくなっていると思ったら、鍵がまがっている。

飛行機の中から、手の乾燥が始まって、パリにくると、手にとげがあるのでは
と思えるくらい、かさつき始めた。日本では考えられない、。
すごく乾燥している。



私がこのアパートで一番重宝しているのが、コンピューター。快適でありがたい。
以前は、コンピューターを持って、シャトレの図書館の床に座り込んでやった
り、バスで3駅の、ホテルのロビーに通ったり、大変だった。
近くのカフェで出来るようになって、楽になったけど、食べものを買って、
そうはいっても、長々というわけにもいかなかった。
だから、部屋に入ってからは、天国のような気分で、ありがたい。

なんと言っても、気になるのは、福島の原発。毎夜、小出さんの解説を聞いて
いるので、ここでも、日本と変わらないことで、説明を聞けるし、ニュースも
見ることが出来る。

飛行機の中では、気になっていながら、読む時間を、他のこと優先で取れなか
った、文藝春秋を読むことにあてた。
芥川賞の2作品がのっているので、買った雑誌。



日本では、雑用に追われ、いつでも出来る事、急がないことはほって置かれる
のだが、こういう時、仕方なく、待たされる時間、囚われの身である時、
もっとも寄り添えるのは本だろう。

ホリエモンも、収監されたら、溜まっている書物を読めると言っていた。以前
に収容されいている時には、何百冊か読破したから、
ものすごく溜まっている本を2千冊くらい読めるかな、と。
囚人になると、日日の労働があるから、夜は疲れて、本を読む時間はそうない
のではないだろうか。読み始めると寝てしまう。

私も疲れが溜まっていて、ぐっすり寝て、明るさに起こされた。
全面窓の、ここは、アトリエ用に建てられたワンルーム、快晴だ。
  

Posted by アッチャン at 18:11Comments(0)パリにて

2011年05月11日

団菊祭五月大歌舞伎


  


 五月の松竹座は、「団菊祭」。東京から、市川團十郎と、尾上菊五郎を迎えての歌舞伎公演。
 海老蔵は七月からの復帰なので、これにはまだ出ていない。 
 団十郎と海老蔵親子が、一つになって、歌舞伎の花を咲かせてきたので、市川家に取っては、歯の抜けた感じがする。
 
菊五郎と菊の助親子をもりたてているという感じで、団十郎が目立たなかった。
それほど、海老蔵の存在は、歌舞伎界に取って大きくなっているということがわかる。
歌舞伎は、役者を観に行く所だなと思う。
今回の歌舞伎、物足りないのは、好きな役者が出ていないからだ。
歌舞伎の演目というのは、決まり切っていて、役者にはお家芸があり、それぞれの役者の演じ方の違いを見る面白さはあるが、話の内容は同じだから、それを演じる役者を目当てに、観客はチケットを求める場合が多いと思う。




私だって、玉三郎が見たい、亀治郎が見たい、と心をときめかせて、歌舞伎を見る。
菊五郎も団十郎も素晴らしい役者さんで、大物中の大物だけど、心がときめくというわけではない。菊の助さんは、美しくて、踊りも上手だけれど、セクシーかと言われれば、私に取っては、ノーと言わざるを得ない。
お父さんの菊五郎の方が、色気がある。

 玉三郎は、別格として、亀治郎、愛の助、獅童、七の助、等、共通するセクシーが、菊の助には、あまり感じられない。
 海老蔵の魅力、その力の凄さを、団菊祭での不在の中で、改めて感じた。
  

Posted by アッチャン at 11:19Comments(0)演劇

2011年05月10日

小出裕章さんに聞く、福島原発の現状

 
 


 小出助教五月九日 ストロンチウムの危険性  
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=VEJFhnnRczg
岩上さんが、五月10日に、小出さんにインタビュー



 

  

Posted by アッチャン at 21:46Comments(0)

2011年05月10日

真の知識人とエセ知識人


 

 
 三月の終わりに、朝生に出演していた、勝間さんが、バッシングを受けている。当然でしょう。
彼女は、生意気に輪をかけたような人だけど、あの時の発言は、聞くの絶えない、ひどいなあ、と思ってた。

 ジャーナリストの青木さんが、原発のコマーシャルに出ている、人達の中で、芸能人には100歩譲って
 
 知識人は、許せないと言っている。


 真の知識人と、利権に惑わされ、政府と企業の片棒をかつぎ、多額の主演料をもらって、原発を推奨してきた、エセ知識人を、見分け、エセ知識人には退場してもらわなければならない。

 京大の原子力研究所で、6人衆と言われた研究者達は、生涯助手のままで、リスクを伴いながら、自らの保身や、ステータス、金銭に惑わされることなく、反原発を貫いて来た、真の知識人。

 小出助教は、夏の熱い研究室で、クーラーを使わないで、原発の研究に没頭しながら、反原発運動に参加し、呼ばれる場所に出かけて、反原発を訴え、裁判で戦い、40年間、なんとか原発を止めさせよう、新しい原発を作らせないようにしようと、戦って来たけれど、3基だった原発が、54基にまで増設され、
 敗北の歴史であったと言われたが、今、希望を失っていないと言われる。

 反原発への関心が高まって、反原発運動が高まって行けば、必ず、脱原発は実現する。

 一人一人が、その場所で、反原発を望めば、実現出来うる


 誰が何を言っているのか、政府や企業の手先になって、莫大なギャラをもらって、良心を売っているのか、チェック機能を常に働かせなければならない。  

Posted by アッチャン at 16:37Comments(0)コラム

2011年05月10日

忙しくて


 

 
 忙しくて、てんてこ舞い。
 
 五月は、各種の税金を払ったり、お金がお足のように出ていく。

 そのうちに、パンクするわよ、と友人に笑いながら。

 出かける前に、しておかないといけない、沢山の事

 にわかに熱くなって、一気に夏がやってきたようだ。


 スリランカに住んでいる友人が、帰る前に、

 温泉に入りたいとやってきた。

 母の日だったのに、太閤の湯は、結構人が入っていた。

 風邪の後、偏頭痛に悩まされていたのが、

 その夜だけは、嘘のように治っていた。

 運転しているので、家に帰り、ビールと焼酎を飲みながら

 話に花が咲いて、翌日は、二日酔い

 楽しかった。

 
 
 お昼は、梅田に出て、しばらくあっていなかった友人と。

 私が連絡しないと、病気ではないか、とご主人と心配してくれる

 かけがえのない親友


 帰りに、母のホームに

 忙しくて、忙しくて、てんてこ舞いの忙しさ


 


 


   

Posted by アッチャン at 15:35Comments(0)日々の事

2011年05月04日

大震災と原発事故によって、中央主権の終焉が


 



今頃、スピーディーを出して来た所で無意味なのだが、政府は、国民の信頼を得るに、
細野さんを使って、パーフォーマンスをやっているとしか見えない。
 今朝のテレビに、細野さんが出演して、20ミリシーベルトについて質問された。
 
細野さん自身も、この値は認められないと、官邸に反対したけれど、官邸は聞きいれなか
った、という。

 1ミリから20ミリシーベルトまでの範囲で、認められているというのだから、安全を取るのなら、当然1ミリシーベルトに設定されるべき所なのに、最大の20ミリシーベルトを譲れないのには、それなりにわけがあるはずだ、と私は細野さんの話を聞いていて、改めて思った。
 
 チェルノブイリの事故以来、原発の問題提起を小説にしてきた栗本薫さんは、「日本が日本としての形を存続させていけないのではないかと懸念を抱いている」とテレビで発言しておられた。

今すぐに、浜岡原発を止めるべきなのに、国民が、声を大にして、原発をやめさせるべきなのに、そういう声は、小さい。

もっと安全な原発を、もっと快適な生活をと思っている人が多いのだ。



小出さんのように、何故、原発を都会に作らないで、過疎地に作るのだろうか、と疑問を抱き、原発は危険だからということを知った時点で、反原発に転換するような研究者は、極僅かで、危険は承知していても、自分ならやれると過信し、政府の意向に乗って、原発を促進し、自分達の地位を向上させ、快適な生活を志向する家研究者のほうが多いのと同様に、スローライフよりも安易で便利な生活、経済性成長への期待、ステイタスを求める人が、多いということなのだ。

 

 京都大学は、研究に没頭する人が多いので、研究以外に時間を取られたくない人は、助手のままでいるのが、居心地が良く恵まれた大学だ。世界的になくてはならない研究者で、助手のままでいる人もいると、小出さんは語っている。

 東京大学は、官僚を育てる大学だけあって、立身出世を重大視するので、助手のままでいると、形見の狭い思いをさせられる。



  東大至上主義の時代が終焉を迎えつつある。それと比例して、原発の終焉も。
地方分権化は、これから進んで行く。特色のある大学が、独自の研究を開花させるだろう。それぞれの地域の為に、貢献出来るような研究の結果が生み出せるようになるだろう。
圧倒的に、東大につけられてきた研究費が、地方財源の委譲で行き渡るようになれば、地域に貢献出来る、沢山の花を咲かせるようになる。

地域のそれぞれが自立することで、国の形が出来てくる。今までの日本の形が、今回の大震災と人間の過ちが起こした、原発事故によって、終わりを迎えようとしている。

原発推進派の研究者達が謝罪しても、取り返しはつかない。小出さんのような、助教(以前の助手)が、最も信頼出来る原発研究者として、光を浴びている。
 大きな音を立てて、東京の首都機能が、霞ヶ関が、価値観が、権力が、崩れて行くような気がしているのは、ごく少数派の人間だけだろうか。




   

Posted by アッチャン at 14:57Comments(0)日々の事

2011年05月03日

子供達に年間20ミリシーベルトの許容量とは

 



原口さんは、昨夜のインサイド、アウトに続き、今日のお昼、朝日テレビにも出演して、子供に対する、20ミリシーベルトを、1ミリに変更させなければならないことを訴えた。 先日、参与に選ばれた、東大の小佐古教授が、子供の被曝量があまりにも緩すぎると、涙ながらに訴えて、原子力安全委員会を辞めた。この人は、原発推進派で、小出助教とは全く反対の立場で、浜岡原発は安全だと言い続けて来た人、でさえも、研究者としての生命が絶たれるような、数値を受け入れるわけにはいかない、と言うほど、子供達の生命を脅かす、恐ろしい数値が、20ミリシーベルトなのだ。
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/04/25/tanemaki-apr25/ 

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=tpMTeIj-2vg


原口さんは、政治家として、将来子供達が、あの時こうだったから、こうなったという状況を見ることは堪えられない。これを許していることは、政治家として生きてゆけないなんとしても撤回させ、世界基準の1ミリシーベルトに変更させなければならない、そのために、菅総理の決断を迫るが、菅総理と何度か話し、アドバイスしてきたけれど、菅総理は、「出来ることしか約束出来ない。」と言う。


安全委員会では、20ミリシーベルトだなどと言ったことはない、と言っている。だとしたら、誰が、どんな思惑で、この値を決めているのか?国会での、森議員の質問には、安全委員会の判断に添ったもので、実際には、これほどの放射脳が出ているわけではない、などと答弁している。

事実は、私達が思っているよりも遙かに深刻なのではないだろうか。出来るならば、年間20ミリシーベルトなどという、膨大な危険性をはらむ量を、許容量に持ってくるはずがない。

すでに、十分、そういう危険な量が、実際には出ているか、必ず出てしまう可能性が非情に高いのではないだろうか。
 どうしようもない、というのが、本当の所なのではないだろうか。打つ手がなく、だらだらと放射脳を垂れ流している。

低レベルという、まやかしの言葉を使って、安心させようとしているが、そんな言葉は、原子力知識のある人達には、通用していない。
 何もわからない、政府の言うことを信じている国民だけが、それならまだ大丈夫なのだろう、なんて、暢気な考えでいるのだ。

 実際に、なって見なければ、被害を肌で感じなければ、他人事なのだ。その恐ろしさを十分知っている専門家の中で、小出さん達のように、原発をやめさせるために研究を続けてきた人はもとより、危険性を知りつつ、国策に乗って、原子力を推進し、研究費をもらい、生活をかけ、科学の進歩が、原発の危険性をカバー出来ると信じてきた研究者達の1人であった、小佐古さんも、許せない、危険きわまりない許容量なのだ。

 小出さんが恐れた、悪夢を見ているような、現実がおこり、今もおこり続けていて、こうなってほしくないという方向になっている。つまりは打つ手がないということなのではないのだろうか。
だとしたら、菅さんであろうと、他の誰であろうと、手立てはないのかもしれない。

毎日、ラジオで、小出助教に意見を聞いているけれど、東電は取っている、或いは取ろうとしてる方策について、「出来れば良いけれど、たいして意味がないだろう。」とか「出来れば私もそうなればよいと祈っているけれど、」という返答ばかりで、最悪の事態としての、水蒸気爆発が起こらないことを祈っている、ということから、逃れられない状況が続いている。

 事態は、深刻なのだ。現在も原発は動いている。死の灰が、日本全体を覆い尽くす時が、次第に、じわじわとやってくるのではないだろうか。
 じわじわと、目に見えない敵が、日本中の人々を汚染してしまっても、兆候として現れる人もいれば、いない人もいる。

子供を守らなければならないはずの大人達は子供達は、子供を犠牲にして生きている。
  大人達が生きる為に、子供を売り、売春をさせ、盗みを強要してきた歴史的事実がる。今でも、世界のどこかで現実に行われている。 
食料を与えられずに、飢餓や病気で死んでいく子供達がいる。

原口さんが、澄んだ目で、怒りを込めて、テレビの前で、訴えても、少数派の意見として、押しつぶされるばかり。
 小出助教は、どうすればよいのか、わからないと言う。子供達を隔離して、親と離すことが、子供達に取って幸せなのかどうか、と。
絶望的な状況に中で、打つ手がないのだとしたら、遅かれ早かれ、日本全体が、放射脳を避けられないのだとしたら、親と共に暮らすのが幸せで、生活の基盤を築いた場所で、生きて行くことが、選択されるだろう。

日本の何処にも、やがて安全な場所がないとしたら。再生の道はないのではないだろうか。
私も、原発が無事に治まり、人々が再生出来ることを祈っている。  

Posted by アッチャン at 19:13Comments(0)日々の事

2011年05月03日

春うらら、香住への小旅行


 


 昨日から、喉が痛くなって、風邪薬を飲んでも、良くならない。寒気がして、夜中熱が出ていたようだ。
 連休の谷間、朝、医者に電話すると、通常通りやっているのでかけつけた。
インフルエンザではないか、と調べてもらったら、それはなかったので、ほっとする。
 喉が凄く痛くて。風邪薬を飲んでいるけど、一向に治って来ない。
 今日はほとんど寝て暮らす。
 
木曜日から、2泊の旅行に出て、美味しい物を一杯食べて、温泉にも浸かり、元気だった。どこかで風邪をもらったようだ。



城崎への道を何度行き来していることだろうか。
 先日、美しく咲き誇っていた桜は、すっかり青葉に変わって、
辺り一面が、燃え上がる新緑で覆われている。
 山桜が、柔らかい色を浮かびだし、更に濃い山ツツジが点在して、色を添えている。



 香住にある、温泉を目指して走っていると、家々の前に、白い紐が笹の木に結びつけられて、一線をなして続いていた。
 大乗寺、別名を応挙寺として知られている。
その寺の観音様は、33年に一度、開かれて、1年間お姿を拝観することが出来る。
正大な行事が2日間に渡って行われ、終わった頃に出くわした。
 行事の為に、応挙の襖は全て取り払われて、住職以下、檀家の人達が、正装したままで、片付けを始める頃だった。


 どうぞ、上がって、観音様を見てくださいと、言われたので、拝ませていただいた。
その方からの話で、33年ぶりに、観音様のお姿を見られる時に、立ち寄ったのは、観音様のお導き、良いことがありますよ、と。
 白い紐は、この寺から観音様が、家々を守ってくださることの象徴になっている。
この行事に8千万かかっていると言われた。
 丸山応挙は、この寺で沢山の絵を描いていて、応挙の寺と言われている。



その日は、近くの温泉に行き、夜は民宿に泊まることになっていた。
その往き道で、偶然立ち寄った、大乗寺で、有り難い観音様を拝ませてもらって、
一期一会。

温泉に浸かって、お風呂はすませて、民宿に行くまでの海岸沿い、夕日がまだ高かった。写真を撮りたくなって、車を止めた。


旅館の前で、おばあさんがいたので、
「景色が美しいので、写真を撮らせてもらいたい。」というと、
ここからの景色を撮りに、沢山の人が来ました。秋山正太郎さんも、家の畑に入って、写真を撮りましたよ、と言われた。
 旅館はやめて、今はお年寄りの介護施設になっている。
日本の夕日一〇〇選に指定されている場所だそうだ。
おばあさんは、八〇才になるが、眼鏡がいらない。水平線を見て暮らしているからだそうだ。漁師の目が良いのも、そういう理由からだとか。
 時間まで、夕日が落ちるのを待てない。真っ赤な夕日が落ちていく様は、素晴らしいのだろうが。



泊まる予定の料理旅館は、民宿で、夏は海水浴、冬はカニ宿なっている。
 早速、夕食をお願いした。トイレと洗面、お風呂は階下にあって、部屋は六畳だけの狭い部屋だけれど、値段はそれほど安くなかった。
 食事目当てにやってくる客ばかり。客の評価が高かったので、選んだ。
 階下の食事室に入ると、テーブルに、見事な料理が並んでいる。








これはすごい。
 お料理は申し分なかった。但馬肉と白エビ、野菜を石焼きで。
香住のカニが甘くて美味しい。
 豆乳の豆腐鍋に野菜を入れて。
 随分盛りだくさんにあって、食べ過ぎた。新鮮な魚と肉、有機野菜が自慢の宿、
民宿でならではのもてなしだった。


翌朝、近くを散歩して見ると、どの家もお花が綺麗なのだ。写真を撮っていると、どうぞ、庭も見てくださいと声をかけられた。


塀の奥に、見事な花のガーデンが。このお隣も見てください、と。先週は、オープニングガーデンをしていたそうだ。


どの家も、個性豊かなガーデニングをしている。


人々は皆親切だ。海辺で暮らす人達は、心が大きく、豊になるのだろう。
カニの季節が過ぎ、海水浴までは、まだ。狭間の季節は、花と、野菜と、新鮮な魚を楽しみ、人気のない静かな環境も、心身を休めるのに、とっておきの季節だと思う。  

Posted by アッチャン at 03:08Comments(0)旅のグルメ