2011年06月26日

メトロポリタンで,アレキサンダー、マッキーンの展覧会

 


今日は,メトロポリタン美術館に行こう。
下のスーパーに行き、有機野菜のスプリングミックスを買う為に行き、帰りは
重くなって、階段を上がらなければならなかった。
店頭に、いちごがバーゲンになっていて、おばあさんが、大事そうにかかえ
て、店の中に。つられて私も籠に入れた。アメリカのいちごは、大きくて,甘
みがないので、あまり買わないのだけど。大好きなトーマスの
イングリッシュ、マフィンが特価になっていたので、これを。

下のスーパー

有機野菜のスプリングミックスは、ベビーの柔らかい野菜で、3度洗ったと言
う表示がついている。洗わずに使えるので、美味ししサラダが出来る。
昨日、ホイットニー美術館の帰りに、77ストリートの近くにある、シタデラ
という, ちょっと高級なスーパーに寄って、香りの強いベビーアルグアと、
新鮮で独特の青い匂いがする,枝付きのトマトを買った。それとチコリ。

シタデラ

シタデラで、オリーブオイルを買おうかと見ていたが、重くなるので買わずに
帰って来た。
下のスーパーで、オリーブとヨーグルトにキューリと赤タマネギを買って、結
構重いのに オレンジジュースが特価になっているので、それも買った。
大きな紙袋に入っているので、ぐんと重くなる。
しぼりたての新鮮なオレンジジュース。ニューオリンズのホテルで出ていたの
よりも美味しい。

バターがないのじゃないかな、と思いながら、帰って来たら、やはりなかっ
た。
昼ご飯を食べて、出かけようと扉を開けると,男の人が立っていて、話しかえ
られた。隣の部屋のご主人だった。

私のそばで寝ている


 原発のことを聞かれた。いろいろ話が弾んで。猫のタマが、扉の中から叩い
ている。声が聞こえて、開けてよ、と訴えている。
暑いと言う話しから、浴室がサウナのようなのは共通らしい。

結構長く話してしまって、美術館に時間は少なくなったなあ、と思いながら、
地下鉄に乗った。

向かいに座って,寝込んでいる大柄な黒人の女性がいる。旅行鞄を二つも持っ
ているので、力持ちなんだな、と思っていた。暑いのに、
厚手のセーターを着て、さらに手首にもかけて寝ていた。

編タイツの足の間にパンツが見えている。タイツだけかと。ミニスカートを
はいているようだが、前がスリットで割れている。
突然起き上がって、膝を揃えたのはエレガントなしぐさ。でもなにかおかし
い。顔が男っぽい。

女?は鏡を鞄から取り出して、しげしげと眺めていた。ひげの後が黒くなって
いる。、ハンドクリームを出して,手をこすり、大きな両手で顔をこすり出し
た。今度は粘着性のゼリーのようなものを出して、口の周りやほおに塗った。
次にファンデーションをぺたぺたと口の周りに塗り始め、はけで伸ばしてい
く。黒いのが目立たなくなるものだあな、と感心して見ていたら、降り駅を通
過してしまった。
こんなにしか映らなかった

 次の駅から,引き返し、メトロポリタンから近い86で降りた。
シティーで、いつもお金を出す場所がある。
いざ、カメラを出して、景色を写そうとしたら、画面が白くなって、見えな
い。
今朝、クリーナーで拭いたのがいけなかったのだろうか。
これからカメラが使えないと、困る。あのビデオでは、綺麗に映らない。
がっかりしながら,美術館に入った。
5時か6時に終わると思ってたら、土曜日は10時まで。
それならゆっくり出来る。



アレキサンダー,マッキーンという、服飾デザイナーの展覧会に、ただ今1時
館待ち、とチケット売り場に張り紙が出ている。
メンバーになれば別ラインで、と書いている。

こんなことは初めて、と思えるくらい、並んでいる。
私は待たずに、メンバーカードでフリーパスだった。
これは本当に有り難かった。
人気の理由がわかる。すごいデザイナーだ。知っている人の方が多いのだろ
う。




スコットランドのハイランド、スカイ島に生まれた人で、愛国主義を形に表現
しているのを見ると,胸が熱くなる。
イングランドを北に旅した体験が、よみがえってくる。
 ヨークで,私がイングランドと言った時に、「スコッチ」と訂正された。
スコットランドの特別なコンサートで、国旗を持たされて、肩を寄せ合って、
スコットランド万歳が飛び交った。
蛍の光の大合唱の切ない響き。
 彼の作品は、自然と品格とロマンティックな夢想と、野生への回帰に,イマ
ジネーションを形にしたもので、見る人を魅了する。
 日本への憧憬も作品のイマジネーションになっている。



写真は一切だめ。売り場のものもだめ。
 
 ビデオは、なんとか映るので、これで撮っている。ペンタクスのカメラを取
り出して,見てみると、さっきの霧がかかったような画面が,元に戻っていた。
 撮ってみると普通に取れるようになっている。
 あんな風になって、日本に帰るまで使えないと思っていたので、嬉しい。



 お決まりのだけれど、絵画を写した。
昨日も,今日も,美術館、何時間も見て歩いて、相当疲れているのがわかる。
 8時を過ぎた頃、もう限界だと,引き上げた。地下鉄は座れなかった。
 アパートについて、猫の餌をやり、サラダとワインの食事。


シャガールと

スーチン

さて、スマートメディアをコンピューターに入れると、ペンタックスの写真
は、出かけた時には、普通に撮れている。講演の子供達を写していた。美術館
の近くで,開いたら、霧がかかったようになって、映らなかった。
ということは、カメラの内部、機械に問題があるのだ。
映ったり、映らなかったりするのだから、その時によって、機械がおかしくな
る。
またなる可能性は大なのだ。いやだなあ。
  

Posted by アッチャン at 15:55Comments(0)ニューヨークにて

2011年06月26日

ニューヨークに帰るとほっとする。



 


金曜日は、MOMAのフリーデー。いつものように、モーマに行き、それから
フォイットニーにも行く。
二人が出ていくと,急に眠たくなって,ソファーでごろ寝。
気が付けば、1時半。
さて、行動を開始しよう。
猫のタマは、出かける用意を始めると、そわそわ。



外に出ると、空気が澄んで、緑が一杯。
あじさいが満開だ。一面に緑と,花が互いに引き立てあうように。
ニューヨークは、今、一番美しい季節じゃないかな。温度も調度良い
さわやかさ。
日本では、すでに猛暑日で、熱中症の人も出ている。
一体どうなってンの?クレージーな季節変動で、日本は亜熱帯
地域になっている。



地球の温暖化は、CO2と関係ないように思う。地球が変動している。
地震などの地殻変動もそう。地球が活動期に入っているのだと思う。

いつか、地球がビッグバンで出来たように、再びビッグバンで、粉々になるの
は、いつなのか、その為に,他の宇宙に住めないかをずっと研究してきたのだ
ろう。
猿の王国、という映画も、小松左京の「地球沈没」以下、様々な映画や小説で
も、予言しているのは、決して絵空事ではなく、決まっている未来なのかも。
そういう中で、「地球最後の日」というグレゴリー、ペックが主演した映画
は、ショックが大きかったけれど、それが最も現実性がありそうな様相。



震源地は日本で、日本から放射能を世界に浸透させて行くことになるのでは?
54基もの原発をかかえて、地殻が突き上げられて、止まっているものでも、
莫大な量の「原爆」をかかえている。
日本は、核兵器は持ってなくても、同じものを名前で,きれい事に言い換えた
だけの,「ウランやプルトニウムを使って、原子力でエネルギーを生み出して
いる」核保有の、核をばらまく危険性を抱え,現に、今拡散している。



でも、誰もそれんほど深刻になっていない。いないから、楽しむことも出来る
し、生きていけるのだ。
まだずっと先のことで、映画にすることは、それ自体を楽しんでもらう為。



私も、その一人。
ニューヨークに戻ると、ほっとする。
普通サイズの人達が普通に歩いているから。
ニューオリンズのような、南部の人達を見ていると、心臓への負担が気になっ
て, 健康への懸念で胸が痛くなる。私への恐怖にもなる。



くじらのように太っている母親と子供達の話を映画化した,題名を忘れてしま
った,映画を思い出す。

母親は、精神的な心の痛手から、過食になって,クジラのように。
母親が亡くなると、息子は、家に火をつけて、母親の姿と共に、火葬にする。

優しくて、貧しく、心がの病から抜け出る事の出来ない母親を深く愛している
子供。

太り過ぎている人を見ると、痩せすぎの人を見るのと同様に、心が痛む。



ニューヨークやボストン、パリやロンドンでは、普通サイズの人が多い。
普通に暮らし、普通に食べ、バランスの良い暮らしをしている。
食べられない、とストライキをやっている人も、健康そうで、楽しんでいる,
余裕を感じる。

MOMAで、無料のチケット日に,列を並んで絵画を見たい人達も、文化的な
生活をエンジョイしている。



お料理の味と、美的感覚に拘っているニューヨークのレストランで、身体を気
遣いながら、食事をし、お酒を飲んでいる人達を見ると、私はほっとする。
彼らは幸せな生活を、自分からチョイス出来る生活をしている。

食べることが出来なかった人達が、ものすごい量の食事が出てくることに喜び
を見いだせるようになって、それがまた健康を蝕んで行くのだと思うと、辛
い。善良で、陽気な人達だから、心が痛む。



文化的な生活を支える為に、彼らが負っている負担や犠牲は大きい。
原子力発電だって、同じ事なのだ。
お金のない貧しい人達に、お金を餌にして、原子力発電が建設された。
原子力を誘致した地域の人達は、お金をもらった人達が作ったのは、立派な建
物だったり、実のない使い方をする。乏しくなれば、また一基、作ってほしい
と要請する。




電気を使い、文化的な生活を,安全な場所で,無神経に使っているのは、東京の
都会人だった。福島の原発事故が起こるまで、当たり前だと思っていた。
今、こういう事態になってなお、原発は必要だと思っている,無神経な人達が
多い。
お金の方が、命よりも大事な人達が、なんと多いことだろうか。
  

Posted by アッチャン at 00:47Comments(0)ニューヨークにて