2011年12月30日

掃除の日日

   中山忠彦、画廊をしておられた、妹さのご主人、山本さんから、買った、リトグラフ。美術館にも入っています。


 今年は、12月にアメリカに行かなかったので、時間に余裕があるはずだけど、今日を含めて、2日しかない。
今日は、演劇を見に行くので、もうでないといけないのだけど、
 友人のブログを見ると、どんなに忙しい時にも、疲れ切っている時にも、必ず、ブログを書くことをかかさない。
 すごいなあ。

 私は、3日前から、お掃除をし出して、まだ、まだ片づかないでいる。
長年貯まった書類を整理していると、すぐに時間がたって。

 カーテンを洗って、部屋中の埃を久しぶりに、丁寧に掃除している。 普段から、きちんとやっていれば、と掃除の度に反省する。
 一変に気になりだして、あれも、これもとやるものだから、腱鞘炎と、持病の首が痛くなってきた。

 午後の3時を過ぎると、母に会いに行かなくちゃ、と気になりだす。やりかけをほったまま、出かけて、帰りにコナミによって、お風呂を済ませて帰る。

 その後は、連日、夜の8時からの「北の国から」を見て涙を流し、そのまま、座りっぱなし。 洗い物をして、2階にあがると、ベッドに潜り込む。寒すぎる。その時間から、ブログを書く気にはなれない。

中川力、関学でお世話になった、中川先生のお父様の絵画。インターネットのオークションで購入しました。

 あっという間に、一日が、決まったように過ぎていく。

 まだ、片付けは、進まない。部屋の中に、散らばった、紙、紙。

 そろそろ用意して行かなくちゃ。  

Posted by アッチャン at 10:05Comments(0)日々の事

2011年12月26日

メリークリスマス


  

クリスマスは、特に、独り身の寂しさが身に染みます。
 今年のクリスマスイブは、8割の人が、家庭でクリスマスの
夜を過ごすそうです。
  昨夜、コナミに行く途中の、量販店の酒屋さんに、車の長い列が
 出来ていました。変える頃には、駐車場は空いていて、きっと、暖かい家の
中で、寄り添って、食事をしたり、好きなビデオか、テレビを囲んでいる頃でしょう。
 私は、箱入のワインが切れたので、帰りに、二箱買いました。
安いのだけど、結構美味しい。
 カップルが籠一杯のお酒を積み上げて、レジを待っていました。3リットルは入る箱入りのワイン。今日のクリスマスイブに、仲間とパーティーでしょうか。
 レストランで飲めば、ねらぼうな値段になるワイン。
 ホームパーティーでは、皆でシェアしても、たっぷりで、格安。
 格安の航空券が、重宝されていたり、不景気風は、いっこうに収まりそうもないのですし、東北では、凍り付くような寒さの中で、復興が進まないで、辛い思いを耐えておられる方々が、満点の星を一面の雪景色の中で、祈り様な気持ちで、みつめておられることでしょう。
 今年ほど、ベートーベンの第九を、歌いたい年はありません。
 佐渡裕さんは、第九を演奏するために、音楽の神様が、この世に使わせたような指揮者です。
 すっと以前に、佐渡さんが、まだこれほどに有名になっていなかったころ、母と聞いた、第九の演奏に、感動し、涙を流したことを、母はもう覚えてはいないけれど、心揺すぶられることは、変わらない。
 確かに、あの頃、母は、ベートーベンが大好きで、モーツアルトが大好きで、音楽は、母にかかせないものでした。
 母の記憶から、第九の合唱は消えていて、合わせて歌うのは、故郷のメロディーですが、 第九も、故郷も、どっちだってかまわない。歌を歌っている母は、美しく、豊かな表情をして、優しい笑顔を讃えています。神聖な歌声が響きます。

母は私に言います。
 あなたも旦那さんがいなくちゃ、寂しいわね。どこかで、旦那さんがいれば。
 探したら、見つかるわ。

 クリスマスから、お正月。家族のいない人達には、寂しさがつのります。  

Posted by アッチャン at 03:28Comments(0)日々の事

2011年12月23日

映画「恋の罪」

   

http://www.koi-tumi.com/index.html 恋の罪

 シネマリーブスで、「恋の罪」という映画を見た。
 ウェスティンホテル前の広場では、ドイツを真似て、クリスマスマーケットが出ている。 私の大好きな、ドイツのクリスマスマーケット、ほんのちょっぴりでも雰囲気を味わうことが出来て、心が温かくなった。
 同行している友人は、ドイツもクリスマスのマーケットも知らないから、感慨無量というわけには行かず、興味も沸かない。それはそうだ。似せてはいるけれど、ドイツのように、寒くもないし、空気も違う。ここは、日本で、梅田で、スカイビルの広場に、出店が出ているだけで、縁日にいるのと変わらない。



 映画も、見方によって、全く違うものになる。
「恋の罪」は、やたらに、性描写のシーンが多く、宣伝でみた所から、平凡な主婦の転落、だというので、「恋、夫、ボーイフレンド」のような軽い映画化と思ったら、気持ち悪いシーンの連続で、一旦は、出ようかと思ったくらい。だって、横にいる彼女には、あまりに刺激的な、ポルノ映画のようで。
 途中から、映画に引き入れられて行く。これはすごい映画だ。
 文学的な作品で、言葉と価値。身体に宿る言葉にこそ、人間の真実や価値があるということを追求した、映画芸術と呼べる映画だ。
 監督は、それを意識して、「ベニスに死す」を映画音楽として流している。
  最後のシーンで、路上で蹴られて、血を流しながら、ほほえむ女のバックグラウンドに、「ベニスに死す」の音楽が流れる。荘厳な響きをもって、美しく、悲しく、宗教的な静けさえ、漂わせて。
 あのシーンと一緒だ。教授が、化粧して、美しい少年を見ながら、恍惚とした表情で死んで行くシーンと。
 二人は、不可解な「愛」の奴隷となり、変態、と蔑まれる「肉体」とそこに宿る言葉との一致の状態で、恍惚状態の中に、ほほえみを浮かべている。
 カフカの「城」もテーマになっている「城」とは何か。



 この映画は、「ベニスに死す」を見ていなければ、言葉についての文学的下地がなければ、わけのわからない、恐ろしく、気持ちの悪い映画でしかないかもしれない。
 それも、監督の狙いだろう。観る者に、気持ち悪い、とか、恐ろしい、とか、変態だ、とか、そう感じてもらえば、この映画は成功している。映画の言葉が、身体に浸透して、本当の意味を持ったからだ。

 そして、この映画の中で、象徴的だったことは、上品で、家系が良いと語る、母親が、 夫が変態で、それを受け継いだ娘が血を引いて、下品で変態、おぞましい血筋を受け継いでいると上品で落ち着いた表情で語っているのが、豹変して、汚い言葉で怒鳴り、刃物を振り上げる。
 一皮むけば、人間の本性が現れる。理性で抑えていると、仮面をつけているけれど、憎しみと怒りよって、破壊されると、おぞましい姿をさらけ出す。そういう自分を、自分は知らないのだ。

社会は、そういう身分で、生きている人々に、支配され、曲げられ、人間が精神も肉体も、縛られ、自意識の奴隷になっている。
 愛にたどり着けない。愛の周りを回っているだけだ。遠くに望みながら、欲望しながら、 死んだように生きている。愛とは、城、不可解な得たいのしれないもの。

 蹴られて、蔑まれ、恍惚状態にある、女も、ベニスに死すの教授も、城に入ったのかもしれない。  

Posted by アッチャン at 15:04Comments(0)映画

2011年12月18日

映画「あんときの命」


  

 映画を見て、いつまでも後に尾を引く映画がある。
http://www.antoki.jp/index.html
「あんときの命 」はそういう映画の一つだ。
 映画を見てから、私は、何度か、自分が死ぬときの夢を見た。
夢なので、余裕を持たせているのか、自分に甘いからなのか、これから寝れば、明日は死んでいます、と寝床について、翌朝、あら、生きていたのね、という夢なのだ。
 先日、友人に、映画の内容の話をしていたら、「観たくなったわ。見に行くわ。」

 どんな映画化もしらないで、チケットがあるから、時間が合うから、見る事になった映画だけど、インパクトが強烈だった。
 一人暮らしの、孤独死。遺品整理と清掃を請け負う仕事に、応募してそこで働く若者に、スポットライトを当てているのだけど、孤独死をする身になれば、気は重い話だ。
 喀血して、血がべっとりとつき、ウジ虫が沸いている、部屋。
 部屋に入る前に、バルサンを炊いて、ゴキブリをやっつけてから、突入。
 ゴミの山。
  遺品の整理をする仕事は、亡くなった人の、生き様が一つ一つの物を通して浮かび上がってくる。物をかたづけるのではなく、その人の「命」が人とつながってること「心」はつながっているのだということを認識することで、心が壊れた若い男女が、救われていく。
  癌は最も良い死に方だと言われる。身辺整理をすませて、家族や友人に、別れが言えて、死ぬまでの期間があるので、思い残すことのない人生を送ることが出来るとか。

 この映画の中では、息子が親の遺品の整理を、頼んで、皆捨ててくれと頼む。その後で、親父が土地を買っていたことがわかり、その権利書があるはずだと、遺品の整理をしている所にやってくる。
 書類らしい物をひったくると、それは子供の頃からの、通知簿ばかり。やっきになって、探していると、子供の頃に、親に手伝ってもらって作ったのだろう、紙のロボット。
 息子は、それを見て、泣き崩れる。親の命が、子供に宿り、心が一つになった瞬間だ。

 子供を置いて、出て行った母親が、死んで、遺産を娘に残していた。そんなお金はいらないから、片付けてくれと娘は依頼する。
 遺品の中に、出せなかった手紙が幾つも。若者は、これを届けたいと上司に言う。
上司は、今まで、そういうのは何度かあったけれど、無駄だよ、と。
 若者は、娘の家に行く。受け取りを拒否され、玄関先に置いて帰る。
 娘は、自分の娘を公園で遊ばせながら、手紙を読む。母親の愛情が切々と綴られている手紙。娘の憎しみは、溶け、涙がとめどなく溢れていく。

 生きている間は、一杯余計なものを周りに置いて、捨てられないものが一杯あるという方が、「命」が永遠に消えることがなくて、心を寄せていて、温もりがあって、幸せなのではないかな。

 片付けられる間に、片付けて、といつも頭にあるのだけど、それが出来ないのなら、出来ないで、それも良いのではないかな。一つ一つが、「命」の証し。孤独を避けるにも。 誰かと、どこかでつながっているという絆。語りかける物語が、そこにはあるのだから。  

Posted by アッチャン at 18:03Comments(0)映画

2011年12月01日

改革への期待と不安



   横尾忠則


 橋下さんが大阪市長になり、これから大阪府民と市民の利益をもたらす改革には、大いに期待している。
 関西電力の株を9パーセント所有している大阪市が、脱原発を推進すること、発送電分離を実現させること、水道事業の一本化とやげては民営化出来れば、フランスのように、水事業で、稼げるようになる。そうすれば、大阪に税金が入り、それを、福祉に回すことが出来る、地下鉄の民営化 などで、大阪の交通網は便利になり、都市が有効に機能するようになる。地下鉄の黒字化によって、大阪に税金が入る。
 都市が機能し、効率を上げて、無駄を省いて、利益を生み出すようになれば、そこに住む人達に還元され、生活に潤いを与えるようになる。
 大阪が元気になることで、他の地方自治の在り方が変わり、地方が自立して機能するようになれば、その全体としての、国が元気になっていく。

 今回の選挙で、既存政党は、自分達の首が飛ぶことを恐れ、橋下さんを無視できない状況になってきた。
 官僚に嫌われ、手も足も取られた、鳩山さんと菅さんだけれど、民主党になって
 大事な事が改革された。

 大阪地検の証拠改ざんが明るみになり、冤罪に、照明があてられるようになった。
 検察の権力に、メスが入れられた。
 可視化が、全面ではないとしても、少しは前進している。
 福井事件の、再審が認められたのも、その一環で、自民党政権では、出来なかったことだ。

  小沢さんは、情報の開示が大事だと言ってきた。良くも悪くも全てをオープンにすること。それによって、判断を下すのは、国民だ。それが民主主義の原点であると。
 
 橋下さんも、情報開示を、原則にかかげているから、間違った方向に行くときには、
 チェック機能を働かせることが出来る。間違えば、修正も出来る。

 怖いのは、雰囲気にまかせて、大衆が、冷静な目を失うことだ。
  ファシズムに突っ走る事を止めることが出来るのも、有権者にかかっている。

 http://osakanet.web.fc2.com/jourei.pdf 教育条例

  

Posted by アッチャン at 12:42Comments(0)コラム