2012年01月03日
渡辺えりの一人芝居
久しく、新劇の舞台を見ていなかった。
渡辺えりの、一人芝居、久々に、新劇の空気を味わったら、気持ちが遠くに飛んでいく。 労演のパンフレットを捨てられなくて取っている。随分貯まっているけれど、どこかで、ぽっきり止まってて、それから、あまり考えなくなっていた。
私が、演劇をやりたかったこと。それほど熱心なわけではない。
子供の頃に、ちょっとばかり絵が上手だったので、小学生の頃は、絵描きになりたいと思っていた。
宝塚歌劇を何度か見せてもらって、歌劇の男役になりたいなあと。
向かいの屋根裏部屋で、外交官になりたいと、勉強していた、コロちゃん。独身だった叔母が、コロちゃんと仲良くて、家の窓越しに、良く話をしたり、花火を見に行ったりの時に、私も連れて行ってもらって、コロちゃんとしか、本当の名前は知らない。
何度かの試験落ちの末、ついに外交官に、レバノンに赴任していた時の下宿屋の娘と結婚して、連れて帰って来た。
コロちゃんは、見栄えが良くないので、アメリカとか、先進国の大使にはれないのだと
か。多分、出世も望めなかっただろう。下宿屋の娘のレバノン人と結婚したから。
外交官になりたいなあ、とも思った時期があった。
九州にいる、父の親友の息子が、演劇かぶれで、早稲田で自分の劇団を作っていた。
名前は、エスポワール。
「ディスポワールになっちゃったよ。」
黒いベレーをかぶって、かっこよかった、インテリの真坊。父も母も、「真坊」と読んでいたから、私達も、周りの皆も、「真坊」と読んでいた、その人は、劇団が解散になって、しょんぼりと、冗談まじりに、口を曲げて悲しそうに笑っていた。
早稲田の演劇科に行って、劇団に入りたいな、なんてことも思っていた頃があった。
映画の世界が、本当に世界のように思われて、いくつもの、なりたいものに、憧れて。フランス語が格好良いから、始めた、簡単な会話教室から、大学に籍を置くまでにのめり込んで、フランスで住みたいとも思うようになって、パリの大学院の入学許可までもらったというのに、今は、全く無縁。
振り返れば、どれもこれも、本当になりたかったわけではない。その時の、雰囲気に惑わされていた、ナルシスムが生み出した、幻想にすぎない。
これから先、私は一体何になりたいのだろう。
きっと、一番向いているのは、三文役者だ。
役者は、陽炎。どんな役にも自己を投入して、様々な人生を、ほんの少しの間、演じて生きる。
渡辺えりが、一人芝居で、6人の女性の生を演じていた。
私は、ぼおとその舞台を見ながら、亡くなってしまった、名優達の姿が、忘れていた人々が舞台の上に、蘇る。
幻だ。
「女の一生」「桜の園」「カモメ」「罪と罰」「夜明け前」滝沢の「ゴッホ」に、「あるセールスマンの死」
杉村春子の「欲望という名の電車」数え上げたら、きりがない。
演じて、消えて行った人々の、声が、姿が、スポットライトの下に映し出される。
2012年01月03日
私のお正月
元旦の朝、半額のおせちとお雑煮で、お正月を迎えた。
毎年おせちを作り、杵でお餅をついていた頃は、遠い昔になった。
父を中心に家族全員で、お正月を海外で過ごすようになってから、
お節を家で作る習慣がなくなって、父の死後も、私と母は、どこかの
宿で、お正月を迎えていたようになって、私はお節料理を作らなくなった。
出来あわせのお節は、美味しくない。31日も、夜の8時まで店を開けていた
生協で、1980円のお節が、3つ残っていた。
どれも、これも、半額の売り尽くしで、お肉と、合鴨、あんこ、天ぷらなどを買い込んだ。
別に必要なわけではないものばかりなのに、半額だから。
お節料理には、沢山お砂糖が使っていて、甘さが歯茎にしみこむ。
お雑煮のお餅を2つ食べたら、お昼は食べられない。
母に会いに行き、コナミで水中歩いて、お風呂をすませて帰って来るまで、お腹が空かなかった。
元旦の夜は、合鴨のお鍋。残りのおせちも食べ終えた。お酒ではなく、ワインを共にして。
庭で炭をおこして、炭火焼き
二日、友人宅に呼んでもらっていて、年賀状の中に、友人が大病と闘っていたことを知り、メールを出して
から、と文章を入れていると、時間を忘れて、約束の時間に、着けそうにない。
あわてて、出たら、肝心のものを忘れている。マウスピース、これが今かかせない。それからドライアイの目薬と、
気管支炎の薬。
全く、こんなものが必需品になってしまって。
梅田の化粧品店にも寄らなければならない。福袋を注文していて、それを買って、郵送してもらうことになっている。
手土産の、焼酎はすでに買っていたけれど、あと足りないものも買う時間が必要だ。
最寄りの駅の構内で、売っている、わらび餅を初めて買った。ここのわらび餅は美味しいので、有名だ、という声が
聞こえてきたから。
梅田で、パンの好きだった息子さんへのお供えに、バームクーヘンとクルミとイチジクのパンを買った。
力もなくなっている。 家まで行くのだから、と、以前からあげるね、と言っていた、梅酒も小瓶に入れて持って来た。
難波から、近鉄に乗って、駅まで、友人が迎えに来てくれるから。
泊まれないのよ、と言うと、そんなもの、一晩なくても大丈夫だわ、と言うけれど、大丈夫じゃないのよ。
お正月だから、朝食を食べて、お昼は食べないで待っていてくれたのだろう。
早速、お酒とおつまみが出て、お正月用のおはしに、私の名前まで書き入れたのを用意してもらっていた。
飲み友から、宝山、という焼酎は美味しくないよ、と言われていたので、恐縮しながら差し出すと、
いつも宝山を買っているのだと。宝山の中でも、これは一番上等だろうと。富士の宝山、という焼酎。
もらったとかの、ボジョレヌボー。私一人でほとんど。
お料理上手な友人の、美味しいものばかり食べているので、彼は、家で、晩酌、凝った手料理が、
いつものこと。幸せだよ、と私が。
出してくれるものは、本当にどれも美味しくて、話は楽しくて、雰囲気はとても良くて、いつも、いつもなんだけど、
私は素晴らしい友人の変わらない友情に、心を熱くして、帰って来る。
電話しても、タクシーにかからなくて、結局、2人が歩いて、駅まで送ってくれた。
3人で、わいわい話ししていたら、あっという間に駅に来た。
家に帰ったら、シンデレラではないけれど、12時を過ぎた所だった。
私は、随分酔っていた。酔っていたから、お酒を燗して、お餅を焼いて、その辺からまた食べるもの出して。
しばらくは、テレビを見ながらソファーで寝てしまった。
マウスピースをして、ベッドに入って、何も考える時間なく、寝てしまった。
リーンという電話音。
息子からの電話だった。
「お母さん、なんかテレビの音聞こえるよ。ずっとつけて寝ているの?」
「そんなことないよ。朝、つけたのよ。そのまま、またうとうとしてたみたい。」
電話の途中で、ピンポンとなった。
昨日頼んでおいた宅急便が、早速ついたようだ。
パジャマのまま、裸足で飛び出して、荷物を受け取り、がんがんするな、頭、と
二日酔いで、居間に入ると、むっと暖かい。
ガスストーブをつけたままだった。
テーブルの上に、食べ物の残骸と、とっくりとおちょこ。
友人宅で、ビールとワイン、とっておきのコニャックをバカラグラスで。グレンフェディックを
更に、バカラグラスで。後は何を飲んだのか?
私のお正月は、これでシメだよ。
分厚いトーストを焼いて、コーヒーでの朝食。