2012年03月31日

セイジ、陸の魚

    


「 陸の魚」
http://seiji-sakana.com/news/
夕方、西宮まで行って、「マーガレット、サッチャー」を見るつものだったが、
梅田の、旧OS劇場でやっているので、行ってみた。長い間、問い合わせに時間を取られたあげくに、まだOSの株主券が使えるといわれ、機械を通してもらうを待っていたら、
「この機械ではだめだから、丸ビルの8階まで行って、チケットに変えてもらってほしい。」と言われた。
 8階のチケット売り場に行くと、
「このカードは、東宝の日本映画だけしかつかえません。」と言われた。
 「アネックス館では、問い合わせてもらって、使えます、とのことで、こちらでチケットに変えて欲しいと言われたのですが。」
「上のものが来ますから。」
で、やってきた職員も、「日本映画だけしかつかえません。」
 西宮まで行く時間がなくなって来て、梅田テアトルで、これから見られるものはないか、と行ってみた。
 テアトル梅田で、2月から、ずっとやっている「陸の魚」前から気になってたけれど、なんとなく見る気にまでならなかったのだけど、これほど長い間やっているのだから、
 見てみよう。

 昼間の娯楽映画では、映画を見た気になれなかったので、口直しではないが、映画見たという余韻も味わいたい。

 私の耳が聞こえにくいので、日本映画の音声が悪いと聞き取りにくい時がある。
 この映画でも、話す声が籠もって、小さかったりすると、時々聞き取れないが、
 言ってる内容はわかる。

 最近で見た映画の中で、もっとも良かった。ストレートに突きつけてくるものがあった。「なんの為に生まれてきたの?」「どうして生きて行けば良いの?」
 
 人間が見えてしまった人、生きることが出来ないで、それでも生きて行かなくてはいけない人達に、焦点をあてて、その中から、希望の光を見いだし、明日に向かって、明るく生きていけるには?と問いただしている作品。
 
 魚は海に住む。魚を海に流してやれば、自由に楽しく泳ぎ回ることが出来る。
 妹を助けようと、少年時代に、親を殺して、少年院の中にいた、「セイジ」は、
 「 陸の魚 」だ。自殺することも自分に赦せない。
 
 動物愛護協会の人が来て、署名を頼む。セイジは
「人間が多すぎるのだ。動物を殺さないようにするには、あんたが自分を殺して死ねば良い。」
 「命をなんと思っているのですか。命の大切さを否定するのですか?愛情がないのですか。」憤慨して帰って行く。
 「おしつけの自己満足でやっているのですね。」と旅人と呼ばれる青年が言う。

「いや、彼女の言っていることは正しい。」とセイジは言う。

  この会話が、核心的な話の裏付けになっている。

 盲人の祖父を労り、せいじが可愛がっていた女の子がいる。
 祖父の手を引いて、神社で手を合わせてお参りしていた女の子。盲目の老人の為に、音が出るように作った作品を老人の手元に置いて。
  侵入していた無差別殺人者は両親を殺し、女の子は、腕を切り落とされ、魂を無くした。

 盲人の祖父は、神棚を鉈でたたき壊す。
 本ばかり読んでいるセイジに、教えてくれと迫る。
「あの子はなんの為に生まれて来たのか、
 それだけ本を読んでいるのだから、答えがあるだろう。教えてくれ。」

 村の人々は、心を無くした女の子を励まそうといろいろな策を考えるけれど、女の子の目は虚ろで死んだよう、身動き1つしない。
 セイジは会いに行けないでいる。

 住民や友人の策略で、セイジは車を運転して、盲人の家まで。出てきた盲人は、女の子に会ってやってくれとせがむ。
 盲人は、庭で、マキを割っている。
 女の子の前に立ったセイジは、庭に行き、カマを持って、女の子の前に立つ。飛びちる血が女の子の顔に。腕を落としたセイジは、かかえられるようにして部屋を出て行く。

 その夏の体験後、一度も足を踏み入れなかった、その店に、会社つとめの、旅人と呼ばれた男がやってくる。
 その店は形だけが残っている。かつての住人を尋ねると、18才くらいの女の子が出て来た。義手をはめている。
 明るく笑って、元気に生きている女の子。彼女が、この店を継いでいく。

  少女を、奇跡的に救ったのは、セイジが、自らに与えた暴力、ほとばしる血が、少女に恵みの雨を降らせ、彼女の魂が蘇った。
  人間には、、人間の善性があって、この少女をこのような目にあわした責任は自分にあるのだという、自分への責め、その責めの暴力行為そのものが、人間の善良さであって、それによって、人間は救われるのだ、ということをこの映画は表現しようとしている。

  

 

  

Posted by アッチャン at 15:30Comments(0)映画