2012年03月31日

セイジ、陸の魚

    


「 陸の魚」
http://seiji-sakana.com/news/
夕方、西宮まで行って、「マーガレット、サッチャー」を見るつものだったが、
梅田の、旧OS劇場でやっているので、行ってみた。長い間、問い合わせに時間を取られたあげくに、まだOSの株主券が使えるといわれ、機械を通してもらうを待っていたら、
「この機械ではだめだから、丸ビルの8階まで行って、チケットに変えてもらってほしい。」と言われた。
 8階のチケット売り場に行くと、
「このカードは、東宝の日本映画だけしかつかえません。」と言われた。
 「アネックス館では、問い合わせてもらって、使えます、とのことで、こちらでチケットに変えて欲しいと言われたのですが。」
「上のものが来ますから。」
で、やってきた職員も、「日本映画だけしかつかえません。」
 西宮まで行く時間がなくなって来て、梅田テアトルで、これから見られるものはないか、と行ってみた。
 テアトル梅田で、2月から、ずっとやっている「陸の魚」前から気になってたけれど、なんとなく見る気にまでならなかったのだけど、これほど長い間やっているのだから、
 見てみよう。

 昼間の娯楽映画では、映画を見た気になれなかったので、口直しではないが、映画見たという余韻も味わいたい。

 私の耳が聞こえにくいので、日本映画の音声が悪いと聞き取りにくい時がある。
 この映画でも、話す声が籠もって、小さかったりすると、時々聞き取れないが、
 言ってる内容はわかる。

 最近で見た映画の中で、もっとも良かった。ストレートに突きつけてくるものがあった。「なんの為に生まれてきたの?」「どうして生きて行けば良いの?」
 
 人間が見えてしまった人、生きることが出来ないで、それでも生きて行かなくてはいけない人達に、焦点をあてて、その中から、希望の光を見いだし、明日に向かって、明るく生きていけるには?と問いただしている作品。
 
 魚は海に住む。魚を海に流してやれば、自由に楽しく泳ぎ回ることが出来る。
 妹を助けようと、少年時代に、親を殺して、少年院の中にいた、「セイジ」は、
 「 陸の魚 」だ。自殺することも自分に赦せない。
 
 動物愛護協会の人が来て、署名を頼む。セイジは
「人間が多すぎるのだ。動物を殺さないようにするには、あんたが自分を殺して死ねば良い。」
 「命をなんと思っているのですか。命の大切さを否定するのですか?愛情がないのですか。」憤慨して帰って行く。
 「おしつけの自己満足でやっているのですね。」と旅人と呼ばれる青年が言う。

「いや、彼女の言っていることは正しい。」とセイジは言う。

  この会話が、核心的な話の裏付けになっている。

 盲人の祖父を労り、せいじが可愛がっていた女の子がいる。
 祖父の手を引いて、神社で手を合わせてお参りしていた女の子。盲目の老人の為に、音が出るように作った作品を老人の手元に置いて。
  侵入していた無差別殺人者は両親を殺し、女の子は、腕を切り落とされ、魂を無くした。

 盲人の祖父は、神棚を鉈でたたき壊す。
 本ばかり読んでいるセイジに、教えてくれと迫る。
「あの子はなんの為に生まれて来たのか、
 それだけ本を読んでいるのだから、答えがあるだろう。教えてくれ。」

 村の人々は、心を無くした女の子を励まそうといろいろな策を考えるけれど、女の子の目は虚ろで死んだよう、身動き1つしない。
 セイジは会いに行けないでいる。

 住民や友人の策略で、セイジは車を運転して、盲人の家まで。出てきた盲人は、女の子に会ってやってくれとせがむ。
 盲人は、庭で、マキを割っている。
 女の子の前に立ったセイジは、庭に行き、カマを持って、女の子の前に立つ。飛びちる血が女の子の顔に。腕を落としたセイジは、かかえられるようにして部屋を出て行く。

 その夏の体験後、一度も足を踏み入れなかった、その店に、会社つとめの、旅人と呼ばれた男がやってくる。
 その店は形だけが残っている。かつての住人を尋ねると、18才くらいの女の子が出て来た。義手をはめている。
 明るく笑って、元気に生きている女の子。彼女が、この店を継いでいく。

  少女を、奇跡的に救ったのは、セイジが、自らに与えた暴力、ほとばしる血が、少女に恵みの雨を降らせ、彼女の魂が蘇った。
  人間には、、人間の善性があって、この少女をこのような目にあわした責任は自分にあるのだという、自分への責め、その責めの暴力行為そのものが、人間の善良さであって、それによって、人間は救われるのだ、ということをこの映画は表現しようとしている。

  

 

  

Posted by アッチャン at 15:30Comments(0)映画

2012年03月30日

僕たち急行A列車で行こう」

 
   


「僕たち急行」が、見たいとの要望で、大阪の梅田で待ち合わせた。、
ステーションの映画館で、先にチケットを抑えておいて、昼食はそれから。
 チケット売り場に行くと、これは東映の配給だから、優待カードは使えませんと言われた。
 映画を見たい友人は、お金を出しても見たいようだ。
付き合いだから、私も買った。
 


 友人は、目が悪いので、洋画は見ない。
 日本映画なら、字を追わなくても良いので、この前は、レールウェイズ、そして今回は、「僕達急行列車」どちらも彼女好みの映画。見ていて、ほんわかと楽しい映画がお好み。
 今、清盛を演じている、松山さんと、瑛太がコンビを組んでいる。
 鉄道マニアなら、こたえられないのかもしれない。
私はマニアではないけれど、車窓から、外の景色をぼっと、物思いにふけりながら眺めていると、何時間でも大丈夫。
 ヨーロッパを鉄道パスを使って、旅したことを思い出していた。
 誘われないと、知らなかった、面白い世界がある。ブルートレインと何かの電車が、交差する時間とか。もう決して見る事の出来ない、幻だとか。
 阪神電車って、そんなに憧れなのか。
 新幹線とか、在来線、最後の運転に、チケット買ってのる人の興奮がわかるような気がした。
  映画には、一両車だけの電車がいくつか出てくる。日本のローカル線、一両か二両の電車を探しながら、日本を旅するのも良いなあと思う。
 山間を抜けていく、電車の色や姿の美しさ、澄んだ空気の草の匂いが想像される。


 青春切符を使って、のんびり列車の旅が出来るほど、自分の時間を持っている若者は少ない。都会に飲み込まれて、悪戦苦闘の毎日。
 人間の暮らしに、かかせない大切なものを、次から次に破壊しながら、経済発展してきた。
 そんな暮らしに、ユーモラスに疑問を投げかけながらも、現状の変えられない生活をも
楽しく、のんびりと暮らすことを提案している。
 
  駅弁美味しそうだな、と思ったりする時には、誰かと一緒が良いな、と思う。
 1人、黙々と、ひとりでおいしがっていてもつまらないだろうな。
  二人の、仲の良い友達通し、女の子なんていらなくて、意気がぴったりあって、
  恋人同士みたいに好きあっている。
 「女の気持ちはわからない。」と松山さんの台詞が、2度ほど出て来て、そういうことなんだろうな、と。

 女同士の馴染みの良さと、男同士の気楽な連帯感



 昼食は、階下の、イタリアンの店で。チケットで10パーセントの割引きあり
 このレストラン、先日、「お帰りハヤブサ」を見たときに、混んでて、沢山待っていた店。
 なんで?男友達と、お好み焼き屋に変えた。

 空いていて、ゆっくり。平日行けるのは、女性か暇人だけ。
 前菜と、パスタにパン、デザートとコーヒーまでついて、1680円のに決めた。

 前菜の生ハムと、鯛のカラパッチオを分けて。



 パスタは、それそれのお好みのもの。
 量がたっぷりあって、食べられるかな、と心配したほど。



 デザートとコーヒーだけでも値打ちあり。
 デザートの単品は、680円だもの。
 


 どれも美味しかった。さすが、ウィークエンドは混んでる店だ。
 安くて、美味しいと、店は繁盛する。 テーブルの間隔も広くて、
ゆったりしている。
   

Posted by アッチャン at 14:30Comments(0)映画

2012年03月28日

 上杉さん担当最後の「ニュースの深層」小沢さんをゲストに

 
   


ニュースの深層、上杉さん担当の、最終会のゲストは、小沢さんだった。
6年間の、最初のゲストは、鈴木宗男さん。外務省の陰謀で、有罪判決で投獄された議員。
 上杉さんは、バッシングと圧力のもと、公のメディアで、声を出せない人を、ゲストとして迎えてきた。そして、最後に、もっともふさわしい、小沢さんに出演を依頼した。
  上杉さんの小沢さんへの質問で、
 自民党時代、奢りと豪腕だと非難され、自由党時代には、壊し屋だ、気分屋と叩かれ、今度は、金に汚い、金権政治家だと、バッシングを受け、強制起訴までされ、もう政治家として終わったと言われている。この40年間、 嫌だと投げ出したくならなかったのか、上杉さんなら、我慢出来ない、と問うと、
 小沢さんは
 「毎朝、永田町に行くのが嫌でしかたがない。辞めたくなる時もあるけれど、地元の応援してくれる方々、全国で応援してくれ、信頼してくれている人達を思えば、投げ出すわけにはいかない、という気持ちでやってきた。」
 
 民主党が国民との約束を果たす努力をしないで、増税に走ることには反対だ。
 行政改革を行って、国の仕組みを変え、霞ヶ関の中央集権から、地方に財源も権限も移行するという約束に向かって努力をし、その仕組みを変えることで生み出されるお金で、どうしても足りなければ、国民にお願いすることには反対はしない。
なにもやらずに、国民との約束を悉く投げ出して、自民党と同じ政治をやっている。
 それでは、政権交代をさせていただいた民主党ではない。
 民主党を出て行くのは、自分達ではなく、今、政権の座について、国民の期待に応えられない、執行部や、政権を握っている人達のほうだ。
  政治家は、理念とビジョンを持たねばならない。それと同時に、その責任も担う、それが政治家に問われる資質である。
 
 官僚は、大臣の筋が通っいれば、大臣の目指す方向に従って働くものだ。
 その責任は、政治家にあって、官僚に押しつけてはいけない。
  政権を取ったことがないので、官僚の教育を受けて、官僚の意のままに動いている
 のが、今の政権だ。野田さんにしても、一体どうなってしまったのかと頭をかしげる。  社会保証の一体改革だと言っても、その中身は何も示されていない。増税することが目的化してしまっている。

 上杉さんは、
「裁判のことに触れて、検察も司法も、今回の裁判は、彼らの威信をかけた戦いなので、なにがなんでも有罪にすると思いますが。」

 小沢さん
 「今回の裁判で、検察が、田代さんだけではなく、他の人達からも、捏造した資料を、検察審査会に送っていたことが、裁判官によって明らかになった。
 それはとても良かったことだと感謝している。この3年間、自分でもいろいろ考え、悶々とすることもあったけれど、良識をもって、公明正大な判決をしていただければと願っている。」
 と言うと、上杉さんは、「有罪にするのではないかと思う。」との懸念を再び述べて、
 一審で有罪にして、自分達の権威を守り、二審で無罪に戻す、というやり方をするのでは? 
 
 検察審査会も、最高裁の事務方が決め、検察からの捏造を送り込み、検察審査会からの
強制起訴に持って行ったのだから、その捏造は認めてそれでも推察によって、小沢さんにやましい所を認めたという判決をすれば、自分達がいかにも公明正大だと演出できる。
 狙った獲物は、有罪にしてきたのだから、今回だけが例外にはならないのではないか、との懸念は、私もぬぐえない。
 
 小沢さんは、国の未来について
「今は過渡期で混乱状態だが、未来は明るいと信じている。インターネットの普及で、
 自分で情報を収集し、自分の判断をし、自分で選択する若ものが増えてきている。
 選挙に感心のなかった若い人が、選挙に行き、民主党の政権交代をもたらし、大阪を変えたのも、若い人達力が選挙に行ったからだ。
 自分で考え、自分で判断し、選択する人が増えれば、民主による、国民の為の政治が行えるようになる。
  戦後、日本は、経済のことだけに専念して、富の分配を、官僚が行っていれば良かった。グローバル社会になって、国の形も、国民の意識も、自立したものでなければならなくなった。自立した若者達の為に、レールを引く仕事だけはやりとげたい、と小沢さんは言う。
 
確かに、情報を得ようと思えば、私達は、得たい情報を得る手段をインターネットを通じて、CS放送を通じて、得ることが出来るようになった。
 東電の問題、放射能の実態、政府の嘘、検察や司法の権力行使など、真実を知る機会を得るようになっている。
 変わりつつある。変えるのは、御上ではない。国民の一人一人の意識と選択だ。

 電気が不足するのなら、節約しよう。原発の安全神話は崩壊し、取り返しのつかない事態を招くことを知ったのだから、原発を止めようという人々が70パーセントになった。 小沢さんの裁判を通じて、三権分立は存在していないことを知った。
冤罪の苦しむ人が多い。
取り調べの可視化と。送電分離も不可欠だ。

 今、政府は何も機能していない。なにも手をつけない。増税だけ。
不退転の決意は、増税と、真理を闇に葬ることだけだ。  

Posted by アッチャン at 12:39Comments(0)日々の事

2012年03月27日

小沢さんも、「運命の人」

 


梅田でビラを配っている。
  「小沢・国策謀略裁判の行方」と題している。
 以下抜粋
  今回は小沢支持でない人が「無罪でしょう」と予測する人が多いようです。
 その背景には目を奪いたくなるような検察、裁判所の不正、違法行為があります。
 田代政弘検事が作成した捜査報告書に基づき小沢さんは強制起訴となりました。
 その報告書が田代さんの捏造だったのです。
 捏造報告書により起訴は無効であることはいうまでもありません。
 しかも、強制起訴した東京第五審査会のメンバー選定は最高裁事務局が作為的の行ったといいます。
 当局の意のままになる審査員を選んでいたのです。
 加えて、強制起訴後、官政権の重要閣僚が検察官弁護士と通じ小沢有罪に向け、謀議を図っていたというスキャンダルまで浮上する始末です。
 このような不正、違法行為を前にして小沢嫌いの人も有罪とは言えないのです。

 そもそも陸山会事件は特捜検察の完全なでっちあげであります。
土地購入の政治資金収支報告書への記載を代金払い込みでなく登記した時点で行ったことを犯罪になるとしました。土地購入を登記した時点にすることに、違法性はありません。こんな見え透いたでっちあげを何故実行したかという疑問がわいてきます。

検察は罪をでっちあげて、強制捜査に乗り出せば、必ず小沢さんの不正を突き止めることが出来るとふんだのです。全国から検事を呼び寄せ、30億円という税金をつぎ込み、徹底捜査をした。
 ところが何も発掘出来なかったばかりか、検察、司法の不正だけが次々と白日に晒されることになります。このように、小沢さんに「有罪判決言い渡す」ことは極めて難しいことなんです。
 万が一、有罪になれば最も有能、有力な政治家、小沢一郎の活動は制約されます。
 そうなれば、日本は放射能とデフレ不況、および米国の属国に深く沈んで行くでしょう。

 市民が訴える、「大阪宣言」の会
 http://osakasengen.com/ 06-6537-7673

3 月28日 午後6時半より
 ザ、シンポジウム
 「検察、司法、マスコミを改革せよ」

 場所:大阪市立浪花区民センター
 最寄り駅 地下鉄千日前線 「桜川駅」
 7番出口からなにわ筋を南に約300メートル西側

 時間18時30分から21時30分
入場料1,500円(ネット購入1400円)
 主宰 なにわ市民セミナー団

 パネラー&プレゼンテーマ
 生田輝雄氏(弁護士)最高裁裏金とヒラメ判事が冤罪を作る

 平野貞夫氏(日本一新の会)陸山会事件が謀略であることを
              示すこれだけの根拠
 植草一秀氏(政治、経済学者)強固な官僚支配が生み出す「冤罪」
              の構造分析
 山羊啓代氏(歌手、作家)冤罪、政治弾圧を糾弾する市民運動の意義




  山崎豊子の「運命の人」が、TBSテレビで、ドラマ化され、先日終わった所だ。
 沖縄返還の秘密文書で、アメリカとの密約を暴いた、毎日新聞記者、西山さんが、当時の佐藤栄作総理大臣以下、政府の陰謀で、有罪判決を受け、その後に、アメリカから、その事実が公表されているにもかかわらず、国家権力を行使して、有罪のままに捨て置かれている。
 この事件があって、毎日新聞記者の多くが粛正にあった。
 以来、日本から、ジャーナリストから正義は消え、国家の広報に甘んじている。
 身の危険、家族を守る為に。真実に目を背け、官僚政治の片棒をかついで、企業のコマーシャルでいるのが、マスメディアの実態だ。
 
  私は、小沢さんが、手も足も出ない状態で、政治生命をほぼ、絶たれてしまっている と思う。
  私が信じられる僅かな人々が、そろって、小沢さんを塡めようとやっきになっている検察のやりかたには、無理がある、そもそもこの裁判はなりたたない、と最初から言っていたが、国家権力は、自分達のやりたい放題にやれる。また、背後にアメリカがついていれば、何が何でもやらねばならないのだから、真実は、力をそぎ落として、何の心配もなくなってから、明るみに出される。

 私は、もう、国会中継など見ていても、どの議員も、考えているのは、自分の身ばかりで、嘘ばかり並べているとしか、聞けなくなってしまった。

 小沢さんに、望みを賭けたけれど、もう遅い。
 あの、暑い夏の大阪で、小沢さんの演説を聴き、燃えたけれど、菅さんが代表に選ばれた。それが民意だったわけで、その後の強制起訴により、党員資格まで奪われて、民主党の執行部、つまりは小沢さんアレルギーを持ち、反小沢による、政権が続いている。
  消費税問題について、民主党がかかげた国民との約束を果たすことを訴える、小沢さんに、少しづつ、良識のある人達で、小沢さん嫌いの人から、正論は小沢さんにあり、と意見が出て来ている。
 地上波のテレビも少し変わってきた。BSやCSで、真実が語られるようになって、インターネットで、フリーのジャーナリストが物を言うようになって。 テレビ朝日の、報道ステーションで、「番組を降ろされても、」という決意を古館さんが言った。
 久米さんが、番組を降ろされた事実も踏まえての発言だろう。




 今夜は、CSの、朝日ニュースター、8時から、上杉さん担当の最後の日に、
 小沢さんが出演する。どんな話が出るか、楽しみだ。
 朝日ニュースターは、何度も言っているが、朝日新聞が主体の、自由にものが言える番組だった。それも2月で終わる。経営がなりたなくなって、朝日テレビに買われた。
  愛川欣也の、パックイン、ジャーナルは、インターネットで、今後も放送されることになった。視聴者からの要望で、愛川欣也は、私財を投じて、番組を立ち上げる。 kinkinn.TV


 真実を聞ける番組は、後ろ盾のない所でしかやれない。市民のカンパによって支えられているフリージャーナリスト達よって、生涯助手を希望して、出世には見向きもしない、小出さんや、反原発運動を草の根で続けていている、広瀬さん、東芝の設計に携わり、反原発に転身した、後藤さん、元検察官の、郷原さん、ジャーナリストで、番組を下ろされた、江川さん。彼らは真実を語っている。
  

Posted by アッチャン at 11:48Comments(0)日々の事

2012年03月25日

奇跡に守られての」、お墓参り

   


 土曜の朝は、家でゆっくりするのが習慣になっているのだけれど、窓から明るい日差し。晴れているので、母をお墓参りに連れて行ってあげようかと思い立った。
 グランダ夙川に電話して、母の体調をたずねると、問題ないとのこと、朝の体操と、お茶が終わる頃、迎えに行った。
 空がくなって来た。あれほど晴れていたのに。母を部屋から連れて、玄関に来ると、車のフロントに雨がかかっている。
 しまったな、お墓まいり出来るかな、と思いながらも、出発。
 しばらく、母をお墓参りさせてあげていない。自動車に乗せると、危ないから帰ると言い出すので、お墓に着くまで、運転しながら大変なので、もう年だから、良いかな、とも思ったりで、冬は寒いので、インフルエンザにでもかかったら、と半年ほど行っていなかった。
 お彼岸の春と秋ぐらいは、と思っているが、このところ、雨だったり、寒かったり、私の都合もあった。暖かそうだし、晴れているので、この機会にと思ったのだ。



 母は車に乗ると、お墓までは遠いわよ、と言ったきりで、あとはご機嫌よく、雨が降り出しているのに、窓の外にいる人達や、看板の字を追って、ドライブを楽しんでいた。
雨はだんだん激しくなって、お墓の近くになるにつけ、どんどん酷くなる。
 こんなのでは、無理じゃないかな。向こうの方に、晴れている空が少し見える。どうか、どうか、と心で念じながら、お墓に到着した。母を歩かせるのは無理だろうと、思ってたら、事務所の前の車止めが空いた。そこに移動して、母を館内に入れて、小ぶりになるのを待つつもりで、トイレに。

 トイレから戻ると、あれほど酷かった雨が、ほとんどやんで、空が明るくなって、晴れ間も出ている。
 この間に、と母に大きいかさを渡して、お供え物とタオルを入れた袋だけ持って、お墓に。砂利道が水たまりになっていて、母の足下が危ない。雨はすっかり上がって、傘がいらない。母は私の手から逃れて、水たまりのないじゃりの上を探して1人で歩き、小走りになって、お墓まで行った。

 先日、先に来た弟達がお花を入れてくれているので、お掃除は簡単にして、びしょ濡れのお墓を新しいタオルで拭き、お水を変えて、ろうそくの火をつけて、線香の束に火をつけて、そそくさとお供えしてから、母にお線香を渡した。
 空は晴れて、太陽が出ている。奇跡なのだろうか。父が母の為に、雨を止めたのだろうか。 亡くなった人々の御蔭なのだろうか。
 母の精進が良いのだろうか。


 
 お墓参りを終えて、事務所に戻り、再びトイレに行ってから、再び車に乗った。
 猪名川は、濁流が岩にぶつかって、水かさを増した水が勢いよく落ちていく。
  墓を出ると、再び空は暗くなって来て、雨が降り出した。良かったね、お墓参り出来て、と二人で話しながら、走っていると、突然車にたたきつける音がひどくなって、補聴器を変えた母は、うるさいわね、と。車の天井を抑えると、ばりばりと落ちてくるのがわかる。
 何?これ、と思った瞬間、氷の塊が、窓について、氷だることがわかった。窓を開けて、母の手に乗せてあげると、溶けて行くわ、じっと見ている。ひょうの白い玉が地面に落ちて、跳ね返って、一瞬の間に、白くなって、やがて水になって消えて行った。
 雨がまた激しくなっている。どこか、雨がかからずに入ることの出来るレストランはないかしら、と考えながらも、やはりいつもの函館市場まで行ってみる。
 土曜だから、混んでいれば、入ることは出来ないけど。
 函館市場にくると、また雨がやんだ。よちよち歩きの母の手を引いて、中に。
  母は以前ほど食べなくなってる。5つほど食べると、お腹が大きいからと言って、
 勧めてもいらない、という。すきだったお寿司のはずなのに。
  車に戻って、お供えに置いた、マドレーヌを渡すと、それは美味しいといって食べていた。甘い物の入るところは違うようだ。



 土曜日は、エンジョイタイムというのがあって、3時半から始まる。
 車が混んでいて、グランダに帰りついたのは、調度その時間だった。
 母は、この分だと、泊まりがけで連れって上げられそうかも。
 母を送って、車で帰ろうとすると、母は、「私もついていってあげるわ。あぶないから。」と言って、一緒に出てこようとする。職員が母の手を取って、とどめる。
後ろ紙を引かれながら、私は、車を出した。雨ではなく、顔が雨のように曇っていた。   

Posted by アッチャン at 10:46Comments(0)日々の事

2012年03月22日

六波羅密寺

 

   

 NHKの大河ドラマの影響は凄い。
 六波羅密寺を訪れる人が多くなっている。かくゆう私もなのだ。
 その辺り、京都に行くと、いつも通ってはいて、お参りは何度かしているのだけど、
  宝物館まで、見たことはなかった。
 大河ドラマの「平清盛」を見ていると、清盛像が見たくなった。
 平安後期、平忠盛が六波羅密寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛、重盛に至り広大な境域内には、権勢を誇り平家一門の館が栄え、その数5200余りにおよんだ。
寿永二年(1183)平家没落の時に、自ら火を放つて、血の海と化した、とあらためて見ると、血なまぐさい匂いがして、琵琶の響きも聞こえてきそうな気配が漂う。

空也像

 宝物館の入場料は、600円、お寺は清盛ブームに、潤っている。
  この寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第2皇子光勝空也上人により開かれた西国代7番の札所である。
重要文化財に指定された、15体の像が納められている。
 空也上人立像と、平清盛座像は言うにおよばず、運慶、湛慶座像も、名前を知る実在の人だけに、興味深い。いずれも、鎌倉時代に作られたもの。



 お墓はないのですか、と聞くと、墓はないが、塚はあります、と教えてもらった、清盛塚と列んで、阿古屋が。日本史に詳しい友人に、阿子屋って、と聞くと、地名ではない?と。
 玉三郎さんが、塚の周りを囲む石組を寄贈されている。で、思いだした。
 玉三郎さんが、最も、難しいと言っている、役所だ。見事に演じきるとの評判の高い、 演技。



 以下、抜粋




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 『壇浦兜軍記【だんのうらかぶとぐんき】』の「阿古屋琴責【あこやことぜめ】」とよばれる場面に登場する傾城【けいせい】です。傾城の中でも大役の一つで、典型的な傾城の扮装【ふんそう】である豪華【ごうか】な打掛【うちかけ】や俎板帯【まないたおび】という姿で登場します。阿古屋を演じる女方【おんながた】は、舞台【ぶたい】上で実際に琴【こと】・三味線【しゃみせん】・胡弓【こきゅう】を演奏します。しかしただ演奏するだけでなく、その時の阿古屋の心情も表現しなくてはならないため、大変難しい役とされています。

 琴、三味線、胡弓を、弾かせれば、心の動揺で、音に乱れが出るだろうという目論みに、見事に弾きこなしなしつつ、心の乱れを表現するという役所は、玉三郎さんに取っても、阿古屋の魂が、玉三郎さんに乗り移るほどの精進を必要とする所なのでしょう。




 六波羅密寺と平家一門は、古の人の心を、現代私達に引き継ぎ、魅了しているのです。

 傲る平家は久しからず、諸行無常の響き有り
誰もが、知っている、この言葉ですが、琵琶の音は、諸行無常を表現するのに、なんとふさわしい楽器であることでしょうか。  

Posted by アッチャン at 13:07Comments(0)日々の事

2012年03月21日

 春は曙、なのだけど

 

  


 友人は、パリに着いて、楽しそう。
  非日常の生活は、充実しているけど、毎日が、暮れていく日常の暮らしは、日を数える暇のないほど、早く過ぎる。振り返ってみれば、何もしていないのに。
 今朝、私の呆け具合には、自分でもあきれ果てた。
 マグカップにミルクを入れて、電子レンジで温めている間に、私はマグカップを探して、ないない、棚の中を見たり、流しの奥に入り込んでないかと、探していた。
 どこにもないので、諦めかけて、他のカップを、と思った矢先に、電子レンジの中に入れて暖めていたことを思い出したのだ。
 ね、酷すぎるでしょ。お酒のせいかな。それとも、脳のどこかにつまりがあるのかな。 ぞっとして、怖くなったよ。

 今朝は快晴だ。
 早めに家を出て、一心寺さんにお参りして、それから、叔母の相談会に参加するつもり。 今後の事をどうするのか、甥と姪が寄って、話し合うことになっている。
 私としては、意見は言っても、意見なら、いくらでも言えるけれど、どうすれば、叔母にとって良いのか、どういう決定をするのかの判断は、しようがない。
 本人が決められれば良いのだけれど、本人の意志に従えば、「いつまで生きてても仕方がない。」と言ったり、「歩けるようになりたい。」と前向きなことも言う。
 食事を口から食べないと、他に移れないよ、と言っても、「食欲がない」と食べることを拒否する。かといって、胃瘻にすることは、向き不向きがあり、叔母の場合、胃潰瘍を多発しているので、向かないかもしれない、とのこと。

 何かを決めること、現状から、抜け出すことは、全てリスクを伴う賭けなのだ。
 賭ける、という不確かなことを、甥や姪が、決められるだろうか。
 荷が重すぎる。

 春めいてきたというのに、空は晴れ渡っているのに、心は曇り。

 裁判員に選ばれた人の苦悩はいかばかりか、と思う  

Posted by アッチャン at 09:29Comments(0)日々の事

2012年03月20日

京都祇園「梅の井」の蕪蒸し


  


ぐずの私が、いつも、お彼岸を迎える頃になると、「梅の井」の蕪蒸しが食べたい、食べに行かなくちゃ、とあせる気持ちを抑えることが出来ない。
 もう終わってるのとちゃうやろか、てな懸念を抱いて、いやまだ、お彼岸やないもの。 食べられると思うわ。

  月曜日なら、まだいけると予測して、友人にメールを入れた。彼女から返事が返ってこないので、行かれないのだろうと、半分諦めかけていたら、日曜日の朝、早くに、元気になったから、行けます、との返事が返って来た。
  一度、食べて欲しいわ、美味しいよ、と何度も言っていたので、いざ食べてみると、宣伝の方が勝ってしまって、ということもあるので、人を誘っては、思ったほどじゃないわ、と思われたら、と心配するのだけけれど。

 京都の四条河原町についたのは、11時15分、開店までに少し時間があって、ちょこっとその辺りを歩いて、30分かっきりに、店に入った。
 カウンターに一人いたかなあ、一組は、テーブル席に。

 献立を見ている間に、二組ほど入っていた。
 蕪蒸しと、子供用の鰻丼を注文して、待つ間に、私から見える外の景色に、車でやってくる客達の姿が見える。自家用車で、或いはタクシーで、店の前まで。

足のおぼつかない老人をいたわるようにして、3人で。食通が顔に書いたような、粋な客。
 上から下まで、すきのないお洒落をした、裕福そうな夫婦。
 15分もたたない間に、席はカウンターまで全て埋まっている。

 蕪蒸しは、注文してから時間がかかる。落ち着いた店なので、のんびりと話をしながら
待っていても、客との間隔を広く取っていて、
インテリアも落ち着いていて、気ぜわしい人でなければ、食の空間としては良い雰囲気だと思う。

 ほとんどは常連さんで、それほど高くはないし、「梅の井の、あれ」が食べたいと、足を運ぶ客に、いつ行っても、味で裏切られない、京都の名店の一つ。

 奥から出て来て、なにやら、店のご主人に声をかけながら、忙しそうに出て行く人がいて、背丈は低いけれど、身のこなし、顔立ちで、「あ、翫雀さん。」と小さな声で、友人に。
 彼女は、翫雀さんといっても、誰かわからない。今南座で、歌舞伎公演に出ているのだろう。南座の前を通ったら、吉右衞門さんの「俊寛」が夜の部でやっているので、彼女に、このお芝居は良いよ、と宣伝していたばかりだった。彼女は吉右衞門さんがすき。
 母も吉右衞門さんのフアンで、別の友人もフアン。もてもての吉右衞門さん。

 翫雀さんは、扇千景の子供、というと、わかりやすい。

この店に、注文して帰られたよう。夜の会食でもあるのだろうか。

 蕪蒸しは、たいていのお料理なら、自分で作れる友人の口にも、超満足だった。
 白身魚、鰻にエビ、など魚も結構入っていて、材料に元がかかっている。
 お出しが難しいとか。上品で、何ど食べても、美味しさは、いつも驚き。



 鰻の名店である由縁は、鰻にあって、友人は、尻尾の方があっさりしているからすきだと言って、私に腹の方を。腹の方でも、胃に負担のない、優しい鰻なのだけど。
 美味しいと喜んでもらえた。味にうるさい、ご主人と「京都に来たら、連れてくるわ、 どこに行ったら良いのか、いつも迷うけど、ここならきっと喜ぶわ。」

 京都に、何度も来ていても、案外、知らない人も多いのだなあ。
 という私も、友人から連れてきてもらって、知ったわけだけど。
 蕪蒸しを食べないと、冬を置いていけないような。
 一年に一度のことだもの

でも、私達は、今年、ラッキーだったのです。
 店のご主人が、「最後の蕪蒸しです。昨日売れてたら、今日はありませんでした。
 明日まで、と思ってましたけど、蕪がなくなったので、これが最後でした。」

 お彼岸に母と来て、「蕪蒸しは、昨日で終わりました。」と言われたことがあって、
 お彼岸までに、と思っていたけど、蕪次第だったことがわかった。

http://r.gnavi.co.jp/k027800/ 梅の井
 
    

Posted by アッチャン at 15:30Comments(0)旅のグルメ

2012年03月20日

 亡くなられた方の暮らしが

 
  
   

パリで、吉田さんが、息子のように可愛がっておられた方のお父様がお亡くなりになったとの知らせを頂いた。
 吉田さんは、言われていた。
 お父様は、1人で日本に暮らしている。私のことは本当に良く面倒を見てくれて、有り がたいけれど、お父さんのことを考えると、寂しいだろうと思う。

その方が、地方の大学に赴任されてからは、パリに来られるのを心待ちに待っておられて、ご自分の寂しさから、尚更に、その方のお父様のお心を思っておられたのでしょう。
 
 異国に生活の基盤が出来ると、仕事の関係で、そうそうは帰って来られないけれど、
 その人は、吉田さんの所にも、時間を作っては来られていて、お父様とは、電話で毎日会話をされ、晩年の何年間か、良く日本にも帰って来られて、親孝行だなあ、私は感心していた。なかなか出来ることではない。

友人の差し入れ

 伺うと、立派な日本建築で、お部屋が広く、素敵なお家で、一人で生活されていたとは
到底思えないほどに、庭も、中も行き届いていて、愛情の深い、優しい人の、心の豊かな人柄が、一面を覆っている。

 吉田さんは、パリのお父さんだったのだと、お二人に共通するものを感じた。



 吉田さんのお宅に伺うと、いつも暖かく雰囲気につつまれて、のんびりさせていただいた。心を開いて、誰でも迎えてくださった、それと同じ空気、同じもてなしをしていただいて、懐かしい感じが一杯でした。

  お土産に、素敵なワインまでいただいちゃって、ピアノの上にある、吉田さんの写真の側にお供えっぽく、置かせていただきました。
  
  池田の人は、文人や、遊び心と余裕のある、生活をしてきた人
 が多いのかな、古典や芸能を愛し、勉強好きの人が多いのかな、と思ったり。


 庭の盆栽に、紅梅が小さな蕾の花を咲かせていました。
   

Posted by アッチャン at 12:39Comments(0)日々の事

2012年03月18日

 又あえるまで


  

土曜日は、たいてい家に引きこもっていることが多い。10時からの、田原浩一郎BS番組「激論」に続き、CSの「パックイン、ジャーナル」が終われば、午後の1時。
 なにやかにやと、ぐずぐず。雨も上がって、湿度はあるので、今日は目が楽だ。
いける時に、と腰をあげて、豊中の病院に叔母を見舞いに行った。
 ヨーグルトに、従姉妹から届いた、いちじくとマンゴーのジャムを混ぜて、持って行く。 豊中で急行を降り、普通に乗り換えて、岡町から、商店街を通り、なにか、叔母が食べそうなものはないか、と物色。たこ焼きはどうだろう。
 あほや、という屋台の店で、先客が2人買っている。その店の名物と書いた、ベちゃ焼き、に目が行った。
 柔らかいのかな。どんなのですか、と聞くと、たこ焼き3個を、卵と一緒にして、お好み焼きのように焼いたもの。それを、と頼むと、イカ焼きに使う鉄板に、挟んで焼くのだ。 ソースとマヨネーズもいれてもらって、病院に持って行く。
 従姉妹がすでに来ていて、丁度帰る所だった。ラーメンとうどんを食べてもらおうと持さんしていたので、あえて良かった。
 叔母は従姉妹から、牧場のヨーグルトを一個食べさせてもらったので、私が持って行ったものは、二口食べて、もういらない、と言い、ベットや焼きは、ひとくちで、後は私が食べなければならない。
  叔母は、見たところ、顔つきはすごく元気になり、平行棒で3往復出来るほどに、回復しているのだが、肝心の食欲がなく、口から食べる意欲がない。
 これでは、胃瘻にするかしないと、この病院から出ることは出来ない。




 死んだ方が良いのよ、と相変わらずの言葉。
 寿命があるのよ、生きたくてもいきられない人が沢山いるのよ。

 死にたいという願望の彼方には、叔母の両親や兄弟姉妹が、待っていてくれて、会えるのだ、という楽観的な希望があるようだ。

 友人のお母さんが、全く食事も水も受け付けないようになって、衰弱するばかり。
  医者もさじを投げて、お葬式の手配までしだしたが、蘇って又もとのように回復したという。
 人間、死に時、というのがあるよ。という。

 叔母は言う。
こんな身体で、お金ばかり使っていて、無駄やわ。

 そんなことないよ。お金随分貯めたじゃないの。働いて貯めたお金を、
 こうして使えるのだもの、無駄じゃないわよ。そのために、貯めて来たのでしょ。
誰かが来てくれないかな、と待っているでしょ。話も出来るし、痛いところもないのだから、快適な状態といえるかもよ。
叔母は納得したように、笑う。
 まあ、そうだけどね。

叔母は、私の帰り際に、愛想なのか、
「嬉しかったわ。」と手を出して、握手を求める仕草をした。

 「又、来るわね。」

又、今度、又、良い言葉だと思う。次に会える時を、心待ちに待つ言葉。
   

Posted by アッチャン at 10:54Comments(0)

2012年03月17日

 安藤忠雄の話を聞いて、物思う。



  空腹を満たせてくれるもの


花粉症の一つの表れなのかな。このドライアイ。
安藤忠雄が、働いて貯めたお金に、お母さんがカンパして、ヨーロッパに、建築を見に行った。
 お母さんが偉い。「あなたに投資をしなさい。」とおっしゃった。
 安藤忠雄は、建築を見ても、何もわからない。何度も出かけているうちに、なんとなく、見えてくるもの、迫ってくるものがあった。見続けて、建築の側で寝てしまうことも。
 ただわからないから、ひたすら建築物をスケッチした。
  大学に行けなかった安藤忠夫は、一級建築士の資格を取って、日本で事務所を開いたものの、コンペには入賞出来ず、仕事はなく、自分の作りたい構想を、大阪市に売り込みに行くが、 一笑に伏されるだけ。
  飛び込みで、家を作りませんか、しつこく、粘り強く、建築を建ててくれる客を捜した。 ボクシングのように、相手に、ボディーキックをぶつけては、すかを食らうようなものだろう。
 安藤忠雄は、本から学んだ。書物から、たいていのものは学べると、言う。

 確かにそうだ、と私は感心して聞いている。

魔法の馬車が来てくれないかな

 昨日、友人が言った。
 デザインというのは、あっちのものとこっちのものをひっつけて、複合するだけなのよ。 彼女は、デザイン事務所の実態を見てきた人。
 安藤忠雄の建築は、敬愛するという建築家の作品とそっくりだわ、と彼女は言う。

 そう。安藤忠雄は、自分の事務所に、沢山の模型を置いている。どれも、他の素晴らしい建築をした人のものなのだとか。
 いつか、これよりも良いものを作ってやるぞ、と目指してるいるのだが、なかなか越えられない、と言う。

友人が言った。
 三浦綾子は、何も経験していないのに、よくまあ、あれだけ、人間の心模様を描けたものだ、と。病床でずっと寝たきりだったのに、と。

 「病気で床についていたから、本を沢山読んでいたのではないかな。それに、ご主人が資料を提供して、動けない分手伝っていたでしょうね。」と私は想像して言う。

 シェークスピアも、自国から一歩も出ないで、マクベスや、ロミオとジュリエット、オセロに、デンマークのハムレット、その国人間であるかのように描き上げている。
 書物から、世界を学んでいたのだろう。


甘いんだよ

 「薔薇の名前」という映画でも、知識の宝庫、歴史の史実。語り継がれた、言葉の書物が出てくる。

  下積みがあって、作品は生まれる。自分に投資した分、それだけ豊かに、脳内の複雑なパズルを組み立てて、作品を、構築していけるのだ、と思う。

  職人になるのに、親方は手取り足取り教えてくれるわけではない。 親方の仕事を見て、親方の技を盗むことで、自分の技を磨いていく。役者だって、そう。
それらは、全て自分への投資だ。

 私の本棚には、積ん読の本が結構ある。フランスで買った本、辞書、美術館のカタログ、
 どれも、積ん読で、そのうちにと思っていたら、最近、目がだめ。根気もない。
 読めなくなって。本を見てはイライラ。
  映画だって、最近は、2本のはしごがせいぜいで、その後、ドライアイに。
  若いときの貯金がない。こつこつ、真面目に、くそがつくほど、馬鹿がつくほど、寝食を忘れて、というくらい、真剣に物事に取り組んだ人だけが、その道を究められるのだ、と思う。

 空費してきた、人生に、空っぽの頭で、嘆いてみても、遅い。
 貯金がない。投資しても、無駄な投資をしてきたのだと、気づいた
頃には、遅かりし、内蔵助。
   

Posted by アッチャン at 14:52Comments(0)日々の事

2012年03月16日

草間弥生「永遠の永遠の永遠」

  
   


  早くから、草間弥生の展覧会が気になっていて、今日、ついに。
 私って、思い立たないと、腰が上がらない質で、つまりは、めんどうぐさがりで、ものぐさな性分なのだ。そのうちに、と暢気に思っているわけではなく、一日が、あっといまに過ぎて行く。
 暖かくなれば、終末が近づけば、人がどっと押し寄せるから、と友人のお願いして、付き合ってもらった。



 彼女は、草間弥生の名前も知らないし、前衛アートや、わけのわからない映画には、全く興味のない人なんだけど、美術館に、問い合わせて、身障者手帳を持っている人の付き添いは無料だと、確かめて、杖のいる友人を連れ出した。
 リーガロイヤルまで、ホテルのバスに乗って行き、地下二階にある、浪花かっぽうの「みをつくし」で、週変わりの昼食を。こちらは20パーセント引きの券を持って来たので、少しばかりの、私のメリットを利用してもらった。

  いつもは、ひっそりとしている美術館に、喜びの花がぱっとさいたような、赤い水玉の白いオブジェに、胸がわくわくして、透明なアクリルの水玉のカーテンに吸い寄せられるよう。



 すごいね、と驚嘆。
 水玉模様は、きっと誰もが好きなのだ。子供の頃から、郷愁もこめて、憧れもあって、 好きなのだ。大胆なのに、統一されていて、古典的でいて、新しい。 
宇宙を彩る、星の数々も、実は水玉、涙のひとしずくが、一杯、一杯、無限に出来ていく。人の目も、水玉のよう。宇宙の目なのかも。



いろんな想像という自由空間に、「永遠の、永遠の、永遠」の草間弥生が、先頭に立って、 魔法の杖に絵の具をつけて、描きあげた作品を次から次に、円盤のように、回転しながら、美術館の壁を埋めていく。



人間には、底知れぬエネルギーがあるのだ。ほとんどの人が、その力を使っていない、眠らせているのだ、と感じさせる。 
とてもとても、果てしなく遠くまで、命の炎をエネルギーとして積んだ、小さな白いロケットが宇宙空間の果てまで飛び続けている。


 
 本当は、誰にでも、あるのかもしれない。永遠に向かって、命の限り、生き続けるエネルギーは、はかりしれないものがあるのかもしれない。
 なのに、私は、それを空費して、何も使わないで、死んで行くのだろうか。
 人間は、宇宙の中の、ほんの小さな存在だけど、その力は、ものすごくて、知らない能力、使わない才能を燃やさずに、散って行くのだろうか。
 あの冷たい、涙のしずく、青い水玉になって、宇宙の空に。


 
 すごい。草間弥生は、すごい。
 トップアーティストになりたい。ピカソを超えて。
 目標が明確にあるのだから、またすごい。
 誰も到達できない場所に、誰も到達出来ないアートを
 200年も、300年も、永遠の、永遠の、永遠



草間弥生の「詩の言葉」も素晴らしい。
 草間弥生は、自家発電しながら、エネルギーが
 どんどん強くなっていく。滑車を走らせて
回転が速くなって、どんどんスピードをあげて
ますますエネルギーを増大させていく。



同行してもらった、友人も、好きだ、と。
 草間弥生は、無関心な人々の心をも揺るがすようだ

 



  

Posted by アッチャン at 01:49Comments(0)art

2012年03月14日

 アンティークの世界

 

    


  友人のブログを見ると、私のとは別世界。美的感覚に彩られている。
 北野坂の優雅な館だとか、一風変わった、あやしげな芸術家の家でのパーティーなど、 美しい暮らしを享受している人達を垣間見させてもらえる。
  刺繍作家のお母様と、人形作家の娘さんが住んでおられる、アンティークな感覚のおヨーロッパ調のお部屋、そういうところに住んでいる人達のブログを読ませていただいたら、詩的で、美しい物、美しい言葉で、上品に綴られている。

  昨夜、遅くまで久しぶりにかかってきた友人からの電話で、孫の世話話を聞いていた。
 彼女だって、美しいものが好きで、個性的な趣味の持ち主で、色合わせ好きだから、カラーコーディネーターになりたいのだけど、ご主人が職業を持つことを赦してくれない。、裕福な暮らしで、お料理は上手で、ご主人の為にすごくつくしていて、職業婦人の娘さんのtだすけをして、まだ小さいお孫さんの、世話に明け暮れている。
 最近、血圧が高くて、薬に頼るようになったというから、きっとハラハラ、ドキドキがいけないのだろう。預かり物、という気持ちがあって、責任を感じているから、特に。

  子供の手が離れても、その子供の孫の世話。幸せなんだけれど、きっと憧れた
 別の生き方もあったに違いない。熱くて、情熱的な人だから。

  私は、自分の心に問いかける。あなたは、一体何がしたいの?
  私の知らない、私の欲望。私の狂気。
  自由で良いね、と言われるが、自由な人っているのだろうか
  私は、いつもなにかに、どこかに、だれかに、囚われている。  

Posted by アッチャン at 13:34Comments(0)日々の事

2012年03月13日

玉三郎の「海神別荘」 

 


 難波パークスで、玉三郎の歌舞伎映画が上映中。
 泉鏡花の作品の中で、玉三郎が代表作だと言っている、「天守物語」「夜叉が池」「海神別荘」の中の、「海神別荘」が16日までの上映なので、思い切って、難波まで出かけた。 梅田には、気楽に行けるのだけど、難波パークスという場所は、
初めてなので、遠い気がしてしたけれど、それに地下鉄の運賃がかかるので、すませることなら、梅田までと、ケチな根性が働いて。

 難波パークスは、難波球場の跡地に出来た、西宮ガーデンズのような、商業施設の複合体になっている。地下鉄の改札出て、歩いても5分もかからず、こんなに便利だったことに驚き。 



歌舞伎映画は特別入場券の2000円なので?プルミエシートの部屋で、朝と昼の2回の上映。
 このシートがすごい。ガーデンズにも、あるのだが、松竹はさらに、もっとゴージャス 。サロンと、トイレ空間がホテルみたい。席はとてもゆったりしていて、隣との間にテーブルがあるので、そこにバッグを置いて、飲み物のトレーを置く場所もあって、と
東宝の上を行く作りになっている。



 2月から上映していたからか、ガラガラの空き状態で、端席を取っていたけれど、真ん中に移動して、首も楽々。

 最初に、玉三郎の作品解説と、舞台の稽古風景や、舞台に上がる玉三郎の美しい衣装姿などが写し出された。
 玉三郎は、鏡花の作品の表現の難しさを語っていた。

専用トイレ

  海神別荘の内容はこうだ。
、財宝と引き替えに、美女が、海の生け贄となって、竜宮に嫁いで来る。海の中に、竜に誘われてやってくる美女を、待ちながら、公子は、博士と問答する。
 
 公子はいう。刑場に引き回される、おさんに、刑罰を与えてると思えない。おさんに刑罰を与えるのなら、牢獄につないで、醜い老婆まで生きながらえさせれば、おさんには刑罰だが、おさんを幸せにしてやっているだけだ。
 おさんのような例は他にあるか、と博士に問うと、歴史の書物を読んで、火破りになった、お七の例が、と言う。公子は、私の好きな女だ、と。

 そこに、美女が到着する。彼女は、自分が死ぬと思っていたのに、こうして元気だと、皆に知らせてあげたい、生きていることを、親に知らせてあげたいという。

 公子は言う。
  そういう心は、不純で傲慢だ。父親は、財宝と引き替えに、娘を売り、めかけと楽しんでいる。お前のことなど心配していない。
 ここにいて、生きて楽しむことだけを考えていればよい。自己満足していればよい。

 美女はどうしても、国に帰って、無事を知らせたいと願い出る。
 公子は、それを赦すが、最早お前は人間の姿ではない、蛇としてしか映らない。
 娘は信じずに、国に戻ると、人間達は、蛇だと恐れて、殺そうとした。
 
海に戻って、なき暮れる娘に腹を立てた公子は、家来に殺せと命ずる。
 縛られた美女は言う。
 殺すのなら、ご自分で刃を向けなさいませ。

 公子が剣を振り上げると、娘は、
 「なんと涼しい目、美しい顔、私は全て忘れました。」

 公子は、剣で、二人の腕から血を取り、共に飲むことで、永遠のちぎりを誓う。
  
 娘は言う。
 ここは極楽でしょうか?

 極楽などではない。極楽には、女はおらぬ。男はおらぬ。


 次の高野聖が楽しみ

  超現実の世界の美意識と魂の真実を見いだそうとした、泉鏡花の世界を
 表現するに、ふさわしい作品だと思う。その表現方法そのものの美学も意識して
作られた作品だとも。

  自己満足ということばを、人間の下世話の観点からは、社会のつまはじきものとして、利己心の強い意味で言われたりするけれど、泉鏡花は、下世和の社会に縛られることなく、
自分の欲望の欲するままに、他人に支配されることなく、自己完結することに美的感覚と美的意識を見いだすことの出来る存在だ。

  おさんや、お七に見る、恋の狂気こそが、人間が夢見る美の頂点であり、人間が社会に毒されない、純粋な美しい姿、その姿のままに、死んでいくことの、法悦は、愛の完結である。愛し合う二人は、永遠に血を流し合い、分け合い、溶け込み、絡み合い、美しいままに、美しく、変質することなく、完結された美しさ、喜びの世界へと誘う。
 極楽などという死者の世界ではない。人間世界を越えた、超現実の世界があり、そこは、永遠に美を享受する場所。

  サロメが、ヨハネの首を皿に抱き、恋の成就にうっとりとする様、エミリーブロンテが、ヒースクリフにエミリーの死体を抱いかせて「決して眠るな。亡霊となって、どこまでも私を追い、呪い続けろ」と叫ばせる言葉に、私達は美を見いだし、自分の空虚の中に、熱いものを吹き込まれる。
 「失楽園」があれほど話題になり、「マディソン郡の橋」に家庭の主婦達や、恋を無くした女達は、憧れを抱いたことだろう。

 しかし、その時だけで、現実の生活から、一歩踏み出すことも出来ない。人の目、家族の目、日日の暮らしに、失っていくもの、朽ち果てていくものの大さに気づかない。
 見えない目を持って、心は躍らず、死んでいるようなもの。

 人間が、心の奥深く、求めて、憧れている真実の世界を、泉鏡花は、妖しく美しく表現している。
  鏡花自身、玉三郎自身が、自分の中に潜んでいる狂気に魅せられ、それをどう美として表現すれば良いのかと、冷静沈着な頭脳で、苦悶の連続なのだろう。

  「平清盛」に出てくる、清盛の友、もののふと呼ばれた、義清が、一夜を共にした女性の心欲しさに、殺してしまおうとした、自分の狂気におののいて、
 出家する。西国に極楽があるから、と西行に。 ジェラシーの恐ろしさ、愛の秘薬は毒を持った花。
 愛に破れた、義清に残されたものは、世捨て人となって、自然の美を追究し、自然を愛して、心の宿を庵にもとめるだけだった。

 泉鏡花は、美女と公子の分け合った血が、地上の草花となって、美しい姿を見せていると書いている。その自然を、西行が愛でる時、西行の恋も、魂の成就となって、西行を愛し、美しい詩を生み出しているのだろう。

生牡蠣と白ワイン


最後に、下世話な話になってしまうけれど、

 海老蔵が、美しく、元気で、素晴らしかった。のびのびとして、たおやかで、溌剌として、あまりにも美しい。
 
 泥水の暴力事件で、長い間、檻につながれ、反省を強いられ、最近の海老蔵には、花がない。

 世間の常識は、美の世界では、非常識。 

 精神病院に入れられて、電気ショックを与えられて、廃人になってしまった、「カッコーの巣の中で」のジャックニコルソン

 とまでは、ほど遠いけれど、狂気をなくしてしまったら、良く見てもらおう、客はこれなら気に入るかな、客は、世間は、

 どうみるかとビクビクしながらの、優等生演技になってしまう。

 「自己満足」と「狂気」が、美を創造する。

ランチの牡蠣のリゾット

 一方で、寂しかったのは、玉三郎の美女だった。
 心の目で見なればならないのだけど、映画の大画面は、大顔で写し出す。
 相手役が、獅童さんなら、美男でもなく、輝きなく、特徴の少ない顔なので、
 玉三郎が美しく映るんだけど。





もっと下世話な話

 チケット半券で、階下のレストラン、「コンボ&オイスター」は、生牡蠣一個とワイン一杯プレゼント。

 980円のリゾットランチと。一杯飲んで、もうちょっと、と、恥ずかしさを押して、この店の会員カード
 を見せて、この券とは併用だめでしょ、と言うと、粋なマスターが、

 もう一杯いれましょうか。
 昼から2杯のワインを飲んで、「こいつは春から演技がいいや」 

 酔ってて、いつもはそこまでは手が出ないのに、サンマルクカフェの、チョコグロまで。

 化粧品の店に電話して、4時半からの無料の美顔術してもらうの待ってて。

 本当に、下世話なお話でした。

 1人で楽しんで、美しく?なって、自己満足、でした。

 
 

 
 脚本を読みたい人に。
  http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/3244_24408.html 
   

Posted by アッチャン at 16:43Comments(0)演劇

2012年03月11日

福島原発の現実


   


 朝日ニュースターが、3月で終了する。スタッフもやめる。
このチャンネルだけが、ジャーナリスムの精神をかろうじて保ってきたのだけれど。
 次々に,最後の番組放送が終わっていく。
 国際観察、という番組に、インターネットを通じて、発信している上杉さんと、岩上さんが、出ていた。
 上杉さんは、海外の情報屋、国会の情報をつぶさに取り込むことができる。
 民主党の、政府の中枢にいる議員達の携帯電話を持っている。タイムスの記者をしていたので、世界の情報も得ている。
 福島の原発事故の直後、アメリカには、報告され、それによって、80キロ避難を
決めたのに、上杉さんがそのことを報道すると、デマだ、風評被害だと非難された。
各国が、専用飛行機を飛ばして、国外退去させたのは、政府からのスピーディーの報告によるもので、日本だけが、事の真実を知らされなかった。
そのために、多くの人達が,多大の被爆をしている。
 今も、テレビや新聞で、真実は伝えられていない。
 真実を伝えるジャーナリストは、テレビから追われ、身の危険にもさらされている。
福島原発の現実は、油断を許さない。終息どころか、ぼろぼろの4号機は、地震に耐えられない状態になっている。
この中には、ヒロシマの4000個分の放射能があり、それをどうすることもできない。
これが外に出れば、日本は壊滅、東アジアもあぶない。
そんな爆弾を抱えている。

 今日は、震災から1年、除腺の話が盛んに出ているけれど、あれは、正確には、移腺なのであって、の放射能は、そっくりそのまま残っている。
 雨が降れば、山から放射能が覆う。取り除く、ということは不可能なのだ。

 私達は、現実を知らされていない。都合の悪いことに、ふたをする圧力は高まるばかり
だ。
 昨夜の,朝からテレビでは、福島から非難している人達の厳しい意見に、
出演者は、言葉を失った。
 除腺に使われる膨大なお金を、被災した人達が、復興できるような助成金にしてほしいという意見もあった。無駄なことにお金を使っても仕方がない、帰ることの選択は被災した人人の選択にかかっている。酷い状態を生き抜いぬいている人達の再生の為に使うべきだと。

 どうにもならないことを彼らは知っている。

http://iwakamiyasumi.com/archives/4661  

Posted by アッチャン at 10:36Comments(0)コラム

2012年03月10日

療養病院


   生牡蠣が美味しい季節


 叔母を、ワタミの介護施設に入れてあげたいと思い、従姉妹が、診断書を病院にお願いした。
  2週間かかるとのことで、私は、ワタミに、ベッドをそれまで仮押さえしておいてもらえるかを聞きに電話した。
 すると、病院からすでに2度も電話が入っていて、鼻腔栄養の必要な患者が、施設に受けいれられるのか、という問い合わせだったとか。
 ワタミでは、診断書の提出を待って、叔母の面接には来るけれど、鼻腔栄養は受付ていないので、入居出来るかどうかは、五分五分だと。

  昨日、私は、豊中の病院に、保温にいれた、うどんと、スープ、バナナにカステラを車に積んで行った。
 叔母をベッドに座らせようとすると、叔母が自力で、ベッド脇のパイプをつかみ、起き上がって、足をベッドの下に。座って、自分で支えることが出来た。
 おしめを換えに来た職員が、
「顔つきが違うね。」と感心した。叔母の顔はりんとして、しっかりしているからだ。
 おしめを替えるのに、再びベッドに寝る。

 病院の医者の話が聞きたいと、二階の詰め所に行くと、部屋で待つように言われた。
 すぐにやっていたのは、看護婦長だった。
 「先生は、今日はおられません。」というので、
 「回診は済んだのですか?」と聞くと、
  回診はないとのことで、「では週に一度ですか?」と言うと、
 悪い時はみますけど、との返事で、医者は普段、叔母を看ていない。
 血液検査もしていない。

  日に、一度でも、トイレまで歩かせてほしい、と頼むと、家族でさせたら?と言われた。鼻腔か、口からの補給か、どちらかしか出来ない。両方を併用すると、違反になるのだという。

 歩ける患者なら、療養形病院には置けないという。 リハビリも出来ない所を、特別にしてもらっていたと。

 療養形病院とは、生きている患者の、生命を維持するための、生命力のある患者を、苦しまずに、命を使い切る、生ききる患者の、お手伝いをする病院だということ。

 生ききって亡くなられます、と言う。ベッドで、口を開けて、表情もなく、横たわっている人達は、何度かの危機を乗りこえて、生きている人もいれば、寿命を終える人もいる。 そういう人達のおしめを替え、清潔にしてあげて、床ずれのないようにする。胃瘻か鼻腔か、その人に適した方法で、栄養を入れ、痰の吸引をして、熱が出れば、薬で抑える。 そういう病院としては、評判の良い方なのは、家族の付き添いがいらない、完全看護で、病院の中は、清潔に保たれているから。

 ターミナルケアーの病院を、療養形病院と言う。病院を3ヶ月づつ、転々とした患者が、ここに来て、最後まで安心してケアーしてもらえるというので、金銭の余裕のある患者の家族はとても感謝している人が多い。

叔母は、今、最も安定して、良い時期だと言われた。
 痛みもなく、楽で、頭も明瞭になって、話も出来る。歩くことも少しは出来る。コーヒーなど、好きなものを楽しむことも出来るようになっているけれど、圧迫骨折もしているし、胃潰瘍にもなりやすい体質だから、施設に行き、ベッドから転んだら、もうだめだ、という。歩いても、負担がかかると、また痛み出すという。

 そう言われると、施設へ、リスクを承知で、入れるという決断は出来ない。鼻腔を外すと、たちまち、t体力が低下する。食べる意欲のない人に、無理に食べさせることは出来ない。
 こんな状態で、と健康な人間は思うけれど、こういう状態でも、叔母に不満だないのであれば、他の生き方は出来ない。

 環境の良い、手厚いケアーが受けられる、鼻腔でもいける所もあるにはあるけれど、
 施設プラス病院の費用もいるくらいの高額になる。叔母には、それほどの余裕はないだろう。
 入居金が2千万、月額が40万くらいする。よほど余裕のある人にしか与えられない機会だろう。

 病院の看護婦長は、トイレに行かせたいのなら、家族でしてください、という。
食べさせたいのなら、家族が持参して、或いは、車椅子に乗せて、レストランに行かれたら、と。介護タクシーを雇って、デパートに行かれても良いでしょう、そういう許可なら、 私が院長から、もらいますよ、と。

 そんなことが出来るようになっているとは?、初めて口にされたこと。
 叔母はそういうことが可能なくらいには、回復していることは認めている。
 それで、不都合があれば、病院に入院しているのだから、対処の方法はあるから、誰もこの病院からは出られないです、と。

説得力のある話だ、とは思う。
 一旦、この病院を出ると、もう引き受けられません。他の病院を探されたら良いですが。 どこでも良いのなら、ありますよ。遠い所とかだと。


 旨い脅しの殺し文句。患者の家族は、びびってしまうだろう。  

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2012年03月07日

母の補聴器作り

 


   



いやあまいった。
 おかしすぎて参った。
 母の補聴器を新しく注文することになって、「7年前に作ったような、二つで80万なんていう高級なものはいらない、ぼったくりだ、」と弟が言って、ゴルフ仲間の知り合いの医者に聞いたら、 最高級でも、片耳10万円で、通常は両方で10万で充分だ、との話を聞いてきた。
  補聴器は、難聴の人用に、自立支援の為のものだ、という考え方では、5万円の補聴器が、現物支給されることになっている。その観点から、その医者は弟に述べたものだろう。その場合、耳にかけるタイプで、簡単なものになり、聞こえる、というだけのものになる。
  環境に合わせて、あらゆる音に合わせて、音を取り込むような高度なものになると、 どこのメーカーでも、両方で80万円くらいするが、日進月歩で、母と同等の性能では、40万くらいになっていて、いる場所に合わせて、内部の装置が変化する、更に性能が良くなっている。

 けれど、母には、そんな補聴器は使えない。水に入れたり、なくしたりするから。
 
 西宮あたりで、補聴器の専門点で、修理や、メンテナンスをしてもらうのに、母を伴って行ける所はないか、と探したら、認定補聴器の店があるので、電話をかけて聞いてみた。
 母の様子を聞いて、補聴器を作るのはやめておいた方が良いでしょう。捨ててしまうから、と言われ、ポケットに入れて、耳穴に入れるというようなものはどうか、と言うのだが、そういうのは、弟が幾つか安いのを買ってきて、すべて無駄になっている。
 このまま、聞こえないと、認知症が進むので、というと、じゃ、同じ形で、保証が一年のだと手頃な価額である、という。
 弟が推薦していた、シーメンスよりも性能が良い、といわれて、それで、とお願いした。母を車に乗せていくのも大変なので、店が終わってから、道具を持って
施設に来てくれることになっていた。

 お天気はよくなって、実際に、どんな店なのか、どういうものを言っているのか、わからないと、と母を乗せて、お昼間、その店に行くと、先客があって、待たねばならなかった。
 店内は、ごちゃごちゃといろんなものが置いていて、以前の集音器がガラス戸棚に一杯入っていて、油絵が幾つもあって、猫の置物が。
 母はその猫の置物を見て、「こっちをみているわ。」というので、母に持たせると、置物を揺らせながら、大きな声で、歌い出した。あんたは可愛いね。お利口さんやね。

 たけくらべの歌を、歌っている。
 補聴器の聞こえ検査をやっている最中に、声を張り上げて。音程の狂った歌が鳴り響く。 週刊誌を見せると、たけしの表紙で、しばらくはおとなしく、好きな人、かわいいね、と見て大人しくなるのだが、飽きると、外に出て行く。
 トイレに行きたいというので、奥のトイレを借りるので、品物の渦の間を抜けて。
奥には、サクソフォンが2つ、スプレーなど、ごちゃごちゃに置いていて、
 洗面所は汚いし、トイレも掃除などしたことないのでは?
 オタクっぽい。壁には、幾つも、インターナショナルの免状がかかっている。
 男の客は、コンピューターで調節された、耳かけがたの補聴器を、貸し出ししてもらって帰った。
 箱形の中に入って、耳の測定をしないといけないのだが、母は怖がって入ろうとしない。
 扉を開けた状態で、耳にマイクロフォーンをつけてもらったのまでは良いけれど、
 店の店主が、手真似で、聞こえるか、と合図するのだけど、母の反応がなくて、計りようがない。
 そこで、今度は、箱から、様々な音が出るものに。鳥の声とか、ピイピイーとか。
 イヤフォーンをしていないで、大きな声で、聞こえるかどうか聞く事が出来る。
それによると、高度の補聴器でないとだめだ、ということで、勧められたのは、軽度と中度なので、別のものでないとと。

 そこで、私が、さっきの人の様に、耳かけのものをコンピューターで、調節しながら、どの程度聞こえる調べて来たら、と提案。それをやってみると、それほどの難聴ではない。
二つで199000円の、
 軽度と中程度、の勧められたものが使える。それに決めて、耳の形を取ることになった。
 店主が、電灯のついたペンライトを使って、綿を内部に入れようとすると、母は、怖がって、させてくない。恐ろしがって、外に飛び出して行く、その早さ。
 なんとか説得しようとしたけれど、店主の顔はオタクっぽくて、仕草はおかしいし、
母は気持ち悪がって、パニック状態に。

 これでは無理だから、夜に、施設に来てもらって、そこなら、落ち着くから、と。

 母の夕食後、再び、施設に行くと、すでに、店主が暗闇の中に立っていた。大丈夫ですかね。日をおいた方が、というのを、30分もすれば忘れるので、と言って来てもらったのだけど、一緒に行くと、思い出したらいけない。念を入れて、私達が部屋にいるところに、入って来てもらうという設定をした。
母は食後、ダイニングを出て来たばかりで、私を見ると、わーー、嬉しい、と抱きついた。
来てくれると思わなかったから、びっくりしたわ。嬉しいわ。
 母は上機嫌で、私が今夜は泊まると思っている。部屋に入ると、私の上着を洋服ダンスに入れて、今夜は、このベッドを使ってね、といそいそと。

 そこに箱を持って、介護職員に伴われて、オタクが入って来た。
 母は、笑顔で迎えてくれたんで、忘れているのかなあ、と思った。オタクさんは、箱から、例の道具を出すのに、緊張して手が震えて、落としてしまった。
 ペンライトは使えないので、綿を入れようとしても、母が拒否するので、私が、そっと入れた。綿にひもがついていて、粘土を入れて、型を取り、それを引き出すため。

 粘土の入った、筒を見ると、大きな注射器のようで、母は、再び、すごい拒否。
店主は、自分の耳に入れる仕草をしてみせて、痛くないよ、と言うと、あなたしなさいよ。


後ろから、見えないうちに、と後ろに廻ってもらったけれど、母の警戒心は収まらない。
介護職員も一緒になって、怖いことはなにもしないですよ、と言うのだが、昼間の時と同じ。「死んでしまう。死んでしまいますよ。」と叫び出す。
ほとほと、もう無理ですね、と店主と顔を合わせて諦めかけて、私は、パニック状態の母の両手を取り、お願い、お願い、頼むから、落ち着いて聞いて、と大声をはりあげて、ジョウタロウがね。作るように頼んだのよ。というと、弟の名を聞いて、一瞬大人しくなった。
 新しい補聴器を作るように、と頼んだのよ、と言うと、ええ?という表情に。

 そこに、弟のお嫁さんが入って来た。母の意識はそちらに向いて、その間に、粘土を後ろから。母は、粘土が入っても、気がそっちのほうに行っているので、やっとのことで、耳の型を取ることに成功。
 店主は、綿をきっちり中に入れたかったので、型がうまく取れているそれが心配だと言っていたが、大丈夫だ、とのこと。

 もう、本当に、疲れ果てた。大変な一日だった。
 弟のお嫁さんに、店主を送ってもらって、私は母と部屋にいた。
 店主は、おったまげてしまって、「こんなことは初めて。」と体験だったそうで。

 私は、おかしくて、笑える。母の怖がりようと、パニック状態。
 店主オタクの怯えた、青い顔と仕草のおかしさ。

 
一件落着であるが、翌朝、肩が痛くて。変な力を入れたようだ。
 この先、補聴器は、どこに行ったのか、宝探しの毎日が続く。

出来上がったら、コンピューターを持って、来てくれることになっている。
    

Posted by アッチャン at 12:17Comments(0)日々の事

2012年03月03日

ワタミの介護施設「 レスト、ヴィラ 弁天町」

レストヴィラ弁天町の内部

すごく忙しい一日だった。
充実した,一日だった。
昨夜、近くのガソリンスタンドに、電話した。
3月に車検が迫っているので、事前の予約割引きの案内を探したらなくて、
なくても、割り引いてもらえるのか、聞いてみた。
車の番号を言うと、調べてくれた。
 明日なら 空いていると言われた。スノータイヤを替えたいので、車検と一緒に割り引いてくれるので、翌朝、タイヤを車に積んで,持って行き、そのまま、梅田に。
インターネットで、ワタミの介護施設はないか、と調べたら、去年の9月にオープンした,有料老人ホームが,弁天町にあった。
 電話して、叔母の症状をすと、受け入れ可能だと言われ、早速、見学を申し込んだ。
昼食を500円で試食できる。従姉妹と妹、3人の予約を入れた。

500円の昼食、豚のショウガ焼き。



 ワタミの会長が,テレビで語っている、介護の目的が素晴らしいと思っていた。
パンフレットにも、4つのゼロを目指している。
 鼻からチューブを入れて、ミルク栄養を入れて、ベッドで寝たきり、おしめを余儀なくされている、叔母は、最近、歩行の練習を始め、少しは口から食べられるようになっている。叔母を普通の生活ができるようにしてあげたい、そう思って、ワタミなら、と期待をかけた。
 施設は,期待以上に,素晴らしい。これまでに見た物の内で、最高だ、と思った。
施設は、やはり、鼻腔からの栄養補給をしている人は、入所できないとのこと。


 
 胃瘻の処置をして、施設で,口から食べるようになるようになれば、と言われるが、
鼻孔から入れてるのは、普通に食べられるようになることを期待してのことなので、
 鼻孔をやめて、口から食べることを試みて、それがだめなら、胃瘻の処置を取るという方針で,施設に入れて欲しいと提案した。

美容室

美容室の中の待合

 要は、病院がどのような診断書を出すのかで、施設が受け入れてくれるかどうかが決まるのではないか、と思う。
 療養型の病院は、入居患者の終末期を引き受ける病院だから、全員おしめで、ごとんどの人が、胃瘻に。寝たきりで、生活への復帰は全く考えていない。
そういう患者を、確保しておくのが,病院の方針なのだから、復帰可能な人間であるというような診断書を書いてくれない懸念がある。


部屋、19平米。トイレ、家具付き



 鼻孔でないと、口からの食事は無理だと言われ、座る事も無理だと,病院からは言われ言われているので、そのまま書かれたら,入居の望みが薄くなる。

 私は、世の中に、そういう状態から、復帰できる可能性のある人が、
多額の介護費用の犠牲者となって、生きる屍のような状態に置かれているのではないか、と思う。

叔母に予約した部屋。2,3階は介護重度の人用。
 
 私は,高齢者の胃瘻には反対だ。終末期を迎える高齢者だから、生活復帰に努力しないという施設や病院の方針にも嫌悪を感じる。
 人間が持つ力と、寿命を,精一杯引き出すお手伝いをするのが、介護の役割だと思う。 口から、美味しいと思って食べ、介助を受けながら、トイレに行き、おしめをしていいいても、自力で排泄できる、ベッドで寝たきりではなく、車椅子で、日常の人間らしい暮らしができるような、介護と介助であるべきだと思っている。

特殊浴、他にひのきなどの一人用が9カ所

 ワタミの見学を終えて,車検ができた,車を取りに行き、母に会いに行き、しばらく母の話し開いてをしてから、近くの弟の家に、ワタミのパンフレットを持って行った。
 それから、コナミに行って、30分水中を歩いてお風呂をすませて家に。

 元気だね、と友人から言われるけれど、私だって、いつまでこんなにしてられるのか、 いつまで車を運転して、駆け回れるのか、誰も明日のことはわからない。


喫茶ルーム、叔母が好きなコーヒーが自由に飲める


 元気で,最後まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自力でトイレに行き、
自分の考えをしっかり持って、あまり苦しまずに,死にたい,誰もがそう願っている。
 病気になったら、介護施設にお世話にならねばそういう心配をして、お金を貯めている人は多い。

有機野菜栽培の屋上庭園、かなり広い。ぐるっと散歩。見晴らしは、360度。

 予防介護を、自分の為にすることが、有効な生き方の一つではないか、と思う。
身体に良いこと,身体が喜ぶことに、頭に良いこと、頭が活性化されることに、
投資する、という考え方が。

叔母が予約した、入り口。廊下は広くで、趣味が良く、暖かい雰囲気が全館に。

貯め込む人は、ストレスも貯め込む。呼吸ができなくなる。
人間のメカニズムに反している。吐いて,吸う、ゆっくり吐いて、ゆっくりと吸い込む、腹式呼吸が、健全な生き方にも通用するのではないだろうか。


ちなみに、このワタミ、高くはないけれど、国民年金の国民年金では、とてもまかなえない。

 部屋は、380万から790万までだから、入居金はいけるとしても、月に何もなくても189000円はかかる。
 底に、介護度によりの1割負担。5だと、26000円くらいかかる。
 個人的に、かかるものは別なので、総額22万から24万くらいまでだそうだ。

家族室から、ダイニングが見える

 マンションを買うとしたら、随分かかるから、部屋と、供用に使う、ダイニングやリビング、に喫茶ルームなど、を、入れると、
 叔母の場合、、入居出来たら、580万で、終身使えるのは、安い買い物だ。




 母も、こんなに広々した所に移してあげたいなあ、と思った。可動空間が広く、高級マンションに住む感覚。
 日に5つもリクレーションがあって、リハビリ体操や、健康面でも充実しているし、なんといっても、週に1度は
 お造りが出る。母はお造りが大好きで、食事の味が、飽きのこない美味しさになっている。

 都会のマンションが好きな母には、360度の夜景は、たまらないだろう。
 入居者の顔が良い。介護の人達の笑顔が良い。




 認知症の軽減に、努力してもらえるとか。



 母は生活は自立しているので、運動不足を補えて、楽しいアクティビティーが一杯あれば、忙しさに紛れて
 充実した暮らしが出来るのでは?

 叔母のことが決まるまで、出て行けないかなあ。

廊下

 

 
 

   

Posted by アッチャン at 14:18Comments(0)日々の事

2012年03月01日

西天満「寿司 英」

 

  

 西天満は、法務局があり、界隈に法律事務所が多い。
 この辺りには、洒落た、食事の出来る店があると聞いていたけれど、梅田からは、歩いて20分ぐらいあるので、足がむかなかったが、グルーポンで、鮨のクーポンを買っていたので、寒い中、行ってみた。
 鮨8貫と赤だし、生ビール2杯ついての3000円に少し足らない額だった。
 ヒルトンの源氏で、料理長をしていたという店主が、どの人なのかわからない。



 
二人で切り盛りしている店で、カウンターだけの小さな店の風情だけど、二階にテーブル席があるのだそう。
 4軒長屋のようにならんでいる店の秘一つで、角の店を間違って覗いて、お隣です、と言われた。
 一階のカウンター席の奥に3人の客がいた。お造りがカウンターに載っていて、わいわいと話をしている。どうも、この人達は、弁護士か、そのあたり。
 お任せなのか、カウンターの中で、板前さんが、せっせと次の運ぶ料理を作っている。 お酒の種類は、こだわりを見せて、春鹿、呉春、などと、焼酎にうるさい人が喜びそうな品揃えが列んでいる。

 サントリープレミアムの生だから、ビールも美味しい。



 料理が酒を選ぶという。ビールが出て、のどの渇きを潤して、突き出しの野菜の酢の物はしゃりとして新鮮で美味しい。
 鮨のガリが、そんぞそこらのガリとちがって、美味しい。勿論手作りに違いない。
 品書きは?と聞くと、ないものが多いので、とのこと。
 まだ7時だから、売り切れはないだろうが、と思うが、寒いので、仕入を抑えたのではないかと私の推測。



 人肌の鮨米は小さく、上品な鮨の形で、ネタを吟味した鮨は、とても美味しい。


 いつのまに、8貫カウンターに乗ったのか、覚えないままに、金目鯛の煮付けを勧められて、頼むと、奥の3人に作るのと同じ物で、まことに上品な器に、わずかに盛られた金目鯛の煮付けだった。
 鮨をいくつか、注文した中に、8貫分のものが混じっていたのだろう。
 ぬる燗を2本追加して、追加の支払いは3800円だった。
 これを正式に支払うと、16000円。とすると、やはり、私ら、気楽に来れる店ではありません。


 
 江戸前の鮨は、こういうもので、食べるというよりも、つまむもの。酒のあてにして、楽しむものだろうな、と思いながら、とトボトボと帰って来た。





昼のランチは、850円だとか。カウンター席は、全部で10席ほどなので、20分かけて歩いて来ても、満席で食べられない可能性は大きい。

ちなみに、表に貼っていた、お品書きは、高くないけれど、注文してもないものが多そう。 日によるのかも。

 

http://r.tabelog.com/osaka/A2701/A270103/27061958/dtlrvwlst/3581577/ 寿司、英 口コミ  

Posted by アッチャン at 15:36Comments(0)旅のグルメ