2012年04月05日

アルルとゴッホ

   


友人のブログから、ゴッホの絵画と、音楽のコラボのビデオを見させてもらった。
  
 
http://youtu.be/oxHnRfhDmrk

アルルで橋の上から、「星降る夜」の原風景を眺めた夜、7月の、アルルの写真祭りの頃、従姉妹の友人で、写真家の男の人が、ゲストを乗せて、車でアルルに行くというので、同乗させてもらった。
 8時間の運転中、お昼に立ち寄ったレストランで、係のマナーが悪いと、怒鳴り込んだ写真家に、気の荒い人だなあ、と怖かったけれど、芸術家って、皆、どこかそういうところがあるし、そうでないと、一途にやって来られない。
 アルルで、最初に、泊まったホテルは、アルルの場外にあって、その宿の主人から、
その夜に、アルルのお祭りの前夜祭があると教えてもらった。
 私の目的は、アビニヨンの演劇祭を見る事で、アルルを見物して、くらいに思っていたのだけど、民族衣装をつけ、各村々から集まって来た人達のパレードを見て、アルルのお祭りがこれから始まるのを知って、その後1週間、アルルのユースホステルに泊まって、 忘れられない、思いでの地になった。




 アルルは、ゴッホに取っても、特別の場所。ジャポニズムに憧れたゴッホが、明るい太陽を求めて、アルルにやってきた。
 そこに、ゴーギャンをパリから迎えて、2人の共同生活が始まる。情熱家で真面目なゴッホと、商売人であり、冷静で利己主義のゴーギャンとが、仲良く暮らせる日は短かった。 ゴーギャンは、ゴッホの才能に嫉妬していたが、傲慢な態度で、その劣等感を隠していた。ゴーギャンは、出て行くと、ゴッホは自ら、耳を切り落として、それをゴーギャンに送る。
ゴッホとゴーギャンが住んだアパートは、黄色い部屋、という絵画に。
 ゴッホのカフェ、アルルの跳ね橋、アルルの城外にある、橋から見た「星の夜」


 ゴッホの散歩道。
私も同じように、炎天下のアルルを、毎日、歩いた。夜には、満点の星が、川面に揺れて涼しかった。

 ゴッホは、アルルの精神病院に入院する。病院の中庭は、中心から四方に分かれて、様々な花で埋め尽くされている。病院の2階から、ゴッホは絵画を描いている。



 ゴッホが、今も、息づいている町、アルル。
 このビデオは、アルルとの思いでと共に、ゴッホの心象風景が、伝わってきて、
 アルルにいた、私の心象風景をも、蘇らせてくれるような。
 ちょっと落ち込んでたのだけど、悲しいけれど、甘く切なく、生命の躍動が。

http://youtu.be/5OtK_sP6_fM  one more again with Vincent   

Posted by アッチャン at 15:46Comments(0)art

2012年04月05日

幸せの秤

 

   


 友人の隣に住むご主人のお姉さんは、息子夫婦と同居している。
以前は、良く、友人の家にやってきて、話し込んで、食事も食べて、長居するのが
習慣だったが、息子の結婚後は、用事が終わると、すぐに退散するようになったとか。
 「随分、気を遣っているのでしょうね。」というのが、私達の想像するところ。
 離婚後、母子家庭で生活してきて、息子は結婚しても、一緒に、と言ってくれて、
 外から見れば、今時そんな孝行な息子はいない、と思わせるのだけれど、
 お姑となった、ご主人のお姉さんは、以前にもまして、頭痛が酷くなっているので、
 友人は、ストレス解消に、夜のライブに誘うと、ライブの始まる8時には、家に帰っていないとと、キャンセル。
  お嫁さんに、遊んでいると思われたくないのでしょうね、と言うと、お嫁さんは、良く出かけたり、友達と泊まりがけで遊びに行っているそうで、そんなときには、
 親子水入らず、息子の為にいそいそと料理をして、息子も母親と独身時代と変わらず、 話をするのだそう。



 息子を亡くして夫婦ふたりっきりになっている友人にとっては、それ事態が羨ましい
話なのだけど、息子の結婚で同居すると相談を受けた時には、友人もご主人も、反対したのに、「可哀想なのよ、お姉さん 」と自由のなくなった身に同情を寄せている。

 私が、枚方の長尾という所に、16坪の小さな家を建てて、2年ほど住んでいた。
 息子がまだ1才にならない赤ちゃんの頃、病気ばかりするので、空気の良い場所に、
と元主人の名義で買ってもらった土地に、小さなプレハブの家を建てた。周りは、田んぼで、隣と、裏に家があって、裏の家に、やってきたお嫁さんが、私の家に遊びにやってくると、裏からお姑さんが、「なになにちゃん、帰って来てください。」という声が聞こえる。そのうちに、彼女は来なくなった。
 お姑さんにしたら、「よけいなことをしゃべられている。」という勘ぐりがあったのだろう。
 そういう体験があるので、友人の話は、その逆であるが、昨今は、若い夫婦は強くなり、  自分の家を開け放した、姑は、気を遣って、小さくなって、不自由を甘んじて暮らすように なっている。


 どちらも、ある幸せ、であることは確か。
 人間の最も不幸は、「孤独」であることなのだから。  

Posted by アッチャン at 11:42Comments(0)日々の事