2012年08月03日

原発ゼロを目指して

 
 目に凉を

 午後3時、アスファルトからの熱気を含めて、目がくらむような暑さだ。
 支払期限が7月までだったので、市役所に電話したら、郵便局なら受付ていると
言われて、歩いて近くの郵便局に。
  頭がふっとして、熱中症は、こんな風になるのかしら。郵便局に入ると、クーラーが効いている。中で一日中仕事をしている女性達は、身体が冷えないだろうか。
 このまま、ここから出たくないくらい、外は暑いけれど、原発に頼らない生活をしていく為には、クーラーが効きすぎている、映画館や、この郵便局などの、節電への無関心を哀しく思う。せめて、28度くらいに節電してほしい。
 帰り道、窓を開けている家が目立つ。貧しい暮らしぶりは感じられないけれど、サラリーマン生活に中でも、郊外に一戸建ちの家を構えている人達は、節約が基本で、生活基盤を築いて来た。そして、多くは、年金暮らし。子供達は結婚して、孫が来る。
 そういう人達が、普段節約して暮らしているのは手に取るようにわかる。
 熱中症で亡くなっているのは、高齢者が多い。クーラーをつけないで、寝ていたとか。 節約はほどほどに、クーラーを適当につけて、熱中症にはくれぐれも気をつけて、と
 テレビでも呼びかけているけれど、その効果はいかなるものか。
  人には、それそれ生き方があって、頑固にそれを守り続けて生きている。 
 
 私の場合、今年、節電のために、新しいクーラーを買ったのに、使うつもりで買ったのに、使っていない。
 我が家の温度計は、家の中でも33度になっている。クーラーをつけたい。つけよう、と何度も。でもつけられない。この時間、私と同様に、一斉にクーラーをつけたら、関電の思うつぼになる。やはり足りない、と関電を援護することになる。
 そう思うと、つけられない。つけてはいけない、と思ってしまう。

 なんとしても、原発のような、人間が制御不可能なものは、止めなければならない。
そのための、最も効果的な方法は、電力が余っていることを示すことだ、と私は思うのだ。
 
クーラーをつけないで、どこまでがんばれるか。
 母の施設に行くと、涼しい。母は、長袖の服を着ている。じっと座って入ると、足腰が冷えるように思うくらい。
 暑がりの人は、がんがんクーラーをつけてないと、身体が燃えて我慢のならない人もいるが、私は、冷え性なので、クーラーはいらないほうだった。
 最近では、身体が熱い、と感じる。多分、血圧と関係あるのだろう。

 病院や、老人施設、身体の自律調整の利かない人達の為に、夏の冷房は必要不可欠だ。
命とかかわるだろう。
だから、そういう人達が、電気を使えるように、私は、節電しなくちゃ。なんとかやっていけるうちは。  

Posted by アッチャン at 11:03Comments(0)日々の事