2012年08月30日

デイトンのタウンハウス


  


 ワシントンから、オハイオまでの飛行機は、UAエクスプレス。小型の飛行機。アメリカは、自動車と飛行機がメインの交通手段のどでかい国なので、小型の飛行機が、各地にきめ細かく飛んでいる。
  窓際の席だったので、眼下に暗い闇に時折、町の光が広がりを見せている。
 どのあたりか、わからないけれど、シカゴかな、なんて勝手に想像したり。
 飛行機は、ここでも遅れて、着いたら,11時45分、荷物がでてくるまで、外で待っているだろう、息子のことが気になる。
 荷物受け取りの所で,日本語が聞こえた。現地に住んでる人のようだ。
 ホンダの工場があるので、日本人が沢山住んでいるのだろうか。



 外に出ると、すぐに息子がいて、そばに止めた車に。
 真っ新の、大きな車で、中もナビもついて、豪華な内装。
「すごい車じゃない。なんていうの?」
「カムリ。たいしたことないよ。」



 トヨタの車だ。ハイブリットにしたいと言ってたでしょ。というと、それを買いに行って、車体も軽くて、小さいので、カムリにしたらしい。アメリカは高速ばかり走るので、安定性の良い車にした方が安全だから。



 アパートに着いた。朝早いので、起こさないようにしないと。
 息子にも寝てもらって、一人、シャワーの後、ワインを何杯か飲んで寝たら、すぐに寝てしまったらしく、朝、話し声で目が覚めた。




 M さんは、ホンダに勤めるようになって、8時に会社につくように出かける。
 ミミちゃんは、スクールバスが、8時に迎えに来る。
 二人が出てから,息子は起き出して、9時に会社に入る。
  ここは、車がないと、どこにも行けない。

ベランダから


 環境はとても良くて,緑が一杯。車も自由におけるので、駐車場の心配はいらない。
  タウンハウスの2階建て。
  中は広々していて、素敵な住まい。各部屋にバスルームがあって、2LDK。
 家賃は900ドルという安さ。ニューヨークでは、何倍もするだろう。
  朝、ミミちゃんをバス亭まで送って行き、教えてもらった道を帰って来たのに、迷ってしまった。
 どうしよう、困った。歩き回って、またバスが止まるメイン道路に戻って、また道を選び治す。トヨタの白いカムリがとまっていなかったら、見つけられなかっただろう。
ミミちゃんも、道に迷って、お母さんに携帯で連絡したという。




そのために、携帯を持っている。お母さんとの連絡に,学校では禁止されているので、バッグに入れて出さないようにしているという。
 アパートにたどり着いたら、息子はもうでかける所だった。
 鍵かけられていたら、どうすることも出来なかった。




 30分も歩いて探していたことになる。寝間着の半袖をきたまま、出ていたし、鍵も持って行かなかった。
 ああ、怖いこと。
  タウンハウスの一階の人は、中庭側に、バーベキューのセットを置いているのを見ながら、バス亭まで行ったので、それが見える所と探しても、どこも同じようで、わからない。


 
 もう一つ、心配がある。彼らは,携帯を使って、連絡を取り合っているので、家に電話がない。
 ローマに行く日、タクシーをどうして呼んだらいいだろう。
   携帯電話を借りてくれば良かった。携帯がないと、困る。日本で借りて来れば良かった。私の携帯は持っていたけれど、圏外になっている。

   

Posted by アッチャン at 23:54Comments(0)旅行

2012年08月30日

飛行機が遅れて、ワシントンでまた長時間待ち


  


 ひどい、ひどいよ。
成田からワシントンまでの飛行機、20分遅れて、飛び立った。着くのは予定通りだと言っていたけど、遅れた。
お腹が痛くて、トイレに行きたいのを我慢して、入国審査には、二人目だったので、すぐに通過。荷物が出てくるのを待っている間も気が気でない。
手助けしてくれるという係の人に大丈夫だろうか、と荷物を待つ間に聞くと、行けるでしょうなんて。
 もうすでに、搭乗時刻を過ぎている。やっと出て来て、リチェックして、出ると、セキュリティーを通らなければ、ゲートに行けない。混んでいるので、ここでも待つ。やっと中に入り,案内係がいて、オハイオ行きのチケットを見せると,トレインに乗って、一つ目の駅がAです。でも急いで行かないと、と言われて、走ることまっしぐら。長い道。Aゲートに着いてからも走りに走って、息切れそうなくらいに頑張って、やっとゲートにたどりついた。
10分切れる感じsだった。ゲートは閉じて,飛行機は出たというのだ。
カウンターにいけと言われて、次の飛行機は、夜の10時過ぎしかない。




 息子に連絡しないと、迎えにやってくる。
荷物は? 大丈夫なんだろうか。柿の葉寿司とか、入れている。
もう何時間になるの?
 またここで6時間近く待つことになってしまった。
 カウンターから、電話を借りて、息子に入れると、留守電になっていた。
インターネットが出来るラウンジを探して、ルフトハンザのラウンジに行った。
ドメスティックの飛行機チケットでも、入れますか?と聞いたら、大丈夫だった。
中には美味しそうなものがあるのだが、まず、息子にメーるを入れて、それでも心配だから、電話をかけに出た。、
国際テレフォンカードが、10ドルと20ドル、で売っているマシーンに,10ドルをかうつもりでまず5ドル入れ、一ドル5枚入れようしたら、帰ってくる。



店に行って、5ドルに換えてもらって,帰って、来たら、5ドルは消えて、0になっている。10ドル紙幣を入れたら、カードのボタンを押しても出て来ない。
10ドルが返る所はなく、電話番号も書いていない。
空港の人に、これ、て、と説明しても、なんの解決にもならず、10ドルも飲み込まれたままで、やがて0になった。
25ドルの損失。コインにも換えてもらったので、携帯に電話したら、3つくらいの電話機が通じない。最後に、やっとかかった。メッセージは届いていたので、やっと安心。
仕事に差し支えるので、迎えにきてもらうの気が引けるけど、仕方ない。、



飛行機の中では、スクリーンがまともに使えなくて、何度かコンピューターのリセットをしてもらったけれど、だめだった。そのお蔭で、日本語のわかるスタッフと気安くなって話相手になってもらえたけれど。
最後に、お詫びのカードをもらった。機器の不都合があったからだって。



ルフトハンザのラウンジは、ドイツらしく、パンとハム、ソーセージにビールが美味しい、。 ドイツパンを使った、サンドイッチもいろある。
 ここで、夕食をすませておける。
アスパラガスのスープとソーせジのカレーソースが美味しかった。



 大分疲れているはずだけど、気が張っているから、そんなに感じない。
次の飛行機に乗らねばならないから。
 着けば,疲れが、どっとやってきそう。



成田とワシントンで,12時間、ラウンジなかったら、待てない。ルフトのラウンジの床で,寝ている人がいた。

疲れている時の、甘いもの美味しい。
ケーキとカプチーノ

  

Posted by アッチャン at 09:49Comments(0)旅行

2012年08月30日

飛行機の中です。



 


言い添えれば、飛行機の中です。
 UAは、実にサービスが悪いのであります。
コンピューター制御になっている、ビデオスクリーン、日本語を撰んだら、ドイツ語になって、さっぱりわからんであります。
 係の人を呼ぶボタン、すぐに消えるのであります。
いくつもランプがついていると、うるさい、てなもんでやんす。

 最後尾にたむろしている、ホステスの中で,日本語のわかる人に、ビデオの不具合を訴えると、一緒にやってきて、マウスの印のようなのを、ホームにひっつけようとしたら、動かない。
で、15分待って、スイッチを切って、やり直しますから、と言われて、待っていた。
やがて、言語選択の画面になったは、いいけれど、矢印が、日本語選択に行かないで、ドイツ語になってしまった。
 そのことを告げると、動かないものは、動かないですから、だめなものは、だめだから、と涼しい顔。こんなことは日常茶飯事のようだ。





 以前に乗った飛行機でも、同じ経験をしているのだが、コンピューターのプログタムに問題があるのですといって、直してくれた。それは男の人だったので、ある程度、知識があったようで、女の人に聞いても無駄だと言うことを学んだだけだった。
従って、前にあるスクリーンは、役立たずに消えている、。他の人達は、ビデオでもなければ、とても長時間持たないと思いながら映画を見ているのだろう。




飛行機の中で、気さくに話せる,。アテンダントの女性がいて、直せるから、と言ってもらったけど、やはりだめ。
 彼女は、オハイオを知っていて、車ないとどこにもいけない所だけど、環境は良いと教えてくれた。
 家でじっとしてます、と言って、それも良い考えだ、と納得。

  

Posted by アッチャン at 09:30Comments(0)旅行

2012年08月29日

伊丹から成田へ


     


 昨夜は、2時間近く、寝ていたのか、うとうとで終わったのか、わからない。
朝、6時に,裏の奥さんが、迎えに来てくれるというので、タクシーを頼まなかったのだけど、いつもは、早い目にきてくれるのに、6時を過ぎて、家まで行って、何度もチャイム鳴らしたけど、出て来られないので、これは、病気で、起きられないのかもしれない、と、あわてて、タクシー会社に電話したら、15分はかかるとのこと。
じゃ、伊丹まで行かないと間に合わない。裏のおばさんには、バス亭まで送ってもらうつもりだった。
タクシーを待っていると、裏のおばさんが、やってきて、その辺りの草抜きをしていたのだそう。
タクシーで行くから、と言うと、伊丹まで行ってあげるから、タクシーを断りなさい、と言われて、タクシー会社に電話すると、もう出た所だ、と。
 恐縮しながら、キャンセルさせてもらった。



 新しい車を買われて、1月に、新しい車に乗せてもらったのに、事故で、買い換えたとか。
ご主人の病院通いと、近所の人を乗せてあげたり、野菜畑にも、庭の木を処理場に持っていったり、でフル活用しているけれど、すごく良い車。
ぶんぶん、走って、おばさんは、しゃべりまくって、伊丹には、早く着いた。その間に、乗るはずの阪急バスを追い越して。
でも、早くついたつもりでも、丁度良かった。買い物して、カウンターに行くと、
沢山の人がチェックインに並んでいて、セキュリティーには、,30分前に入った。
伊丹のANAラウンジは、改装が出来たばかり。東京に行った時には、改装中で閉鎖されていた。
スッカリ綺麗になって、高級感溢れるラウンジになっていた。



咽が渇いて、青汁と、コーヒーをいただいた。
 コードシェア便で、いくつかの航空会社が成田に向かう。ほぼ満席状態。今日は,補助のいるお客さんが多くて、搭乗に時間がかかっていた。




成田に着いて、ワシントン行きが,20分後れて出発すると書いている。
ワシントンから,オハイオへの乗り継ぎ、大丈夫か心配になって、UAのカウンター、どこですか、と聞くと,一番端。アナから、そこまで、免税点が両脇に並んでいる。
成田は,関空と違うなあ、ほとんどのブランドが、店を出している。
UAのカウンターは,誰もいない。そばにあるラウンジで、聞くと、ラウンジに入れる人なら、この中にカウンターがもうすぐ開くので、と。
カードを出して、アナのラウンジに行きたいのですが、というと、この後で、どうぞ、と言われた。そんなに、はしごしても良いのだ。
カウンターが開くまで、お寿司2個と、ワインを少し飲んだ。
その酔いもあって、どうでも良いことを、カウンターの女性とおしゃべり。
彼女は、オハイオに近い、所に住んでいたらしい。
「長旅になりますね。車ないと、どこにも行けませんよ。」
「ニューヨークから、転職したので、乗り換えが多くなって。」
等など。
ワシントンにつく時間は、今の所、定刻になるから、大丈夫だと言われて、ほっと。でも、安心は出来ない。ぎりぎりセーフ出来たら,良い方じゃないかな。後れていると、心臓がアップアップして、咽から突き上げてくる、あの嫌な思い出。




アナのラウンジだと、麺類もある。UAには、ないので、カウンターで、
「おそば食べに行って来ます。また入れますか?」
アナのラウンジでは、アナの出発案内しかないので、UAのラウンジに早い目に帰っておかないといけない。
 時間はたっぷり過ぎるほどあるので、コーチの店で,長財布を見たり、ロエベや、ラコステの店で,店員さんとしゃべりしたり。
 日本の免税品は、日本で売られている値段の10パーセント引き。アメリカに行けば、もう少し安いかもしれない,と売らねばならあない店員さが。
織り財布ばかり持って来た。テレビで、長財布でないと、お金が入らないと言っていた。どうりで、いつもピー^ピー言ってるのだわ。
昨日、妹が、母の愛用していた、ルイビュトンの長財布を持って帰った。
母は、そういう財布ばかり使っていたので、お金に不自由知らずだったのかも。
グッチの長財布もあったのだけど、古いので、カード入れが少ない。
そういう経過もあって、長財布に目が行く。





コーチは、2万7千円。市販で3万くらいの財布が揃っている。隣のバーバリー、それ以上にロエベ、とコーチの店員さん。
 旅に出る時は、ポケットに突っ込める折財布が必需だけど、普段使いは、長財布、ほしいなあ。
弟が、一つあげようか、と言ってくれて、イタリア製の白色だ、という。
白は汚れ安い。伊丹から飛行機の中で、販売してる長財布に、そんなのがあった。
それもイタリア製でd男性持ちようのもので、2万8千円だった。
私はロエベが、軽くて、柔らかくて好きなのだけど、手が出ない。
 コーチは、しっかり作ってあるが、重いのが嫌なので、男待ちのそれだだと軽いので、欲しくなった。友人が,西宮ガーデンズのコーチの店で買ったのも、そういう感じの。
従姉妹から、長財布で薄くて、外に入れられる所のあるの探しているの、と聞いていたので、友人が、そんなの買っていたわ、と教えてあげたら、早速買いに行き、外側に入れられないので、やめたという。
 難しいものです。欲しいと思う,丁度ぴったしのなんて、そうあるものじゃないのですね。



 まあ、脱線はこれくらい。
 今日は良いです,冷やかしに終わって、時間潰して、アナのラウンジに入った。
生ビールと、いなり寿司をお皿に載せて、生ビールを少し入れて、
麺類コーナーで、かき揚げそばを注文。
みんな、麺類が好きそうで、丁度半分くらいの小ぶりなので、お寿司やにぎりと食べるチ、お腹が大きくなる。
 白ビールも少し飲んで、もうお腹一杯になって、あとは、このように,インターネットでブログを書いている、ちうわけ。  

Posted by アッチャン at 13:55Comments(0)旅行

2012年08月26日

感情と「私」は別物

 
     

  怒りは突然やってくる。怒りは感情に振り回されてるのであって、「私」とは関係ない別物であると、精神医学の専門家が言っていた。
  怒りっている時は、息をしていない。精神をおだやかに保つには、深く吸い込んで、ゆっくりハク、これを繰り返せていれば、怒りは消える、と。

 フランスの銀行から、クレジットカードを送って欲しいと手紙を送った。この3月に、新しいカードになって、そのまま銀行に置き去りになっているので、それを送って欲しいと依頼した。
  待っていたら、昨日、送られて来たのは、クレジットカードの、暗証番号だった。
 急に、イライラ、と怒りが。どういう間違いを。
 カードが来ないので、先日、パリの銀行に電話したら、係はいません、替わりの人の名前が留守電にあって、そこに電話したら、一人は、「休暇中です。」との留守電。もう一人は、「今出られないので、伝言すれば、かけ直す。」というもの。

 私の係の人は、長いお産休暇に入っていた。今年の2月だったか、パリに行き、送られて来た用紙を持って銀行に行くと、彼女はまだ産休で、替わりの女性が応対してくれた。
 パスポートでは、だめで、住民票を送って欲しい、といわれていたので、それを一緒に
 送ったのだけど、なんおことか、わからなかったのではないだろうか。
 住民票を添えて、クレジットの番号を変えてく欲しいと、誤解されたのかもしれない。




 クレジットがないと、ヨーロッパで、ユーロを出すのに困る。 買い物は、日本のものでもかまわないけど。

  もしかしたら、クレジットの期限は切れているけれど、キャッシュカードは使えるのかしら。いらいらはおさまらない。また息していない。ぐぐ、とこみ上げてくるもの。

 思うように、ならない時に、自分の思い通りにしたい、という思いが、イライラにつながっている。感情に揺さぶられる形で。
 どうにもならないことを、なんとかしたい、と考えたって、仕方がないことだ。

 いつも笑っていられる人、怒らない人が、本当にいるとしたら、それは、感情を完全にコントロール出来ている人だろう。

 感情と、「私」は別物なのです、と精神医学者は言う。
 怒りを静めてやると、すーっと、消えて行く。落ち着かせるには、呼吸法です。
 おおきく吸って、ゆっくりはく。
 禅の修行も、呼吸法だけだ。運動選手が、競技の前に、呼吸を整えている人、そういえば、多いわね。

 私は、一人狂わずで、普段の生活に中で、ほとんど、怒る、ということはないけれど、
  イライラすることはあって、感情に支配される。 楽しいことなら、それはハッピーだけど、トラブルとか、心配事なの時は、ストレスになる。



 だけど、なるようにしかならないのが現実。努力したら、それで良いのであって、その先は、神、仏にゆだねるしかない。そんなことで、イライラして、心を乱されるのは、百害あって、一利なし。

 どんな時にも、微動だにしない、落ち着いた気持ちでいられたら、それほど、強靭な精神はないだろう。
 
声高に叫ぶ人が、強いと誤解されたりするけれど、そんな人は、少しも強い人ではない。 本当の強さは、いつも揺るがず、自分を見つめることの出来る人。人の意見に、充分耳を方向け、相手を理解し、共通に納得出来る道を探せる人。  

Posted by アッチャン at 09:48Comments(0)日々の事

2012年08月24日

はつか市ギャラリー「吉田堅治」展覧会

 亡くなっれた奥様を描いた作品

       サムライ、吉田さんの肖像


 二十日市市公民館の中に、吉田さんの展覧会会場になっている、ギャラリーがある。
新しい建物で、ギャラリーは、4部屋くらいの展示場があって、広々した空間を取っている。吉田さんの、8枚の大型パネルの連作も近くから、遠くから、違った見え方が出来る。 今までも、何度か、様ざまな空間の中で、観て来た、絵画だけど、このギャラリーでは、吉田さんの絵画が、描き上げられたばかりのように、つややかささとみずみずしさを讃えているのだ。
 同じ作品でも、随分違いな、と関心した。それは、照明の効果によるもので、展示には、とても大切なことなのだ、ということを発見させられる。
 そういえば、東京に、日光、月光の菩薩を、どのような照明にするのか、テレビで観たことがあった。

版画

 吉田さんの展示は「命を繋ぐ」というテーマになっている。
最初の部屋には、吉田さんが、画学生の頃の、習作の静物画から、戦争で、死んで行った
人々への鎮魂、生き残った自らの心を、黒一色で描いた、「黒の時(代)」
 黒から、パリに出て、色彩の技法を学ぶために、手かげた、版画作品、
 吉田さんの心が作り出す黒と白のシンプルな版画は、西洋の人達には、墨絵の世界のように、神秘で新しいものに映り、その頃、吉田さんが作る版画を、北欧からどんどん注文があった、と、私は聞いている。
 版画の持つ、生きる糧を捨てて、吉田さんは、あえて、絵画一本にすることを決意された。
 それは、まさに「命を繋ぐ」為だったように思われる。
 「サムライ」と題する、作品は、吉田さんが、「これは私を描いた作品」だと言われるものです。



 奥様が亡くなられて、奥様を空に浮かぶ「雲」としてのイメージを描いた作品は、
メキシコの「マヤ」シリーズの作品の間に、ニッチの中に展示されている。
 神秘的な光の効果で、命の輝き、を際立たせている。青は、メキシコの青い空の蒼さ。



 一番奥に、祈りの場、が置かれている。
 祈りの場の、外側に、吉田さんが、精魂込めて、書き上げた、「般若心経」の墨のつややかな輝き、今筆を走らせて、今、筆を置いたばかりのように、墨の匂いまで、感覚として伝わってくる。



 何故か、泣けてくる。吉田さんの 命を繋ぐ使命と、平和への「祈り」が全身全霊で、込められた、手筆のエネルギーが、決意が、書き直しの聞かない、毛筆と肉体と精神との統一された、動きを観たからかもしれない。



 とても良い、展覧会だ。二十日市市だけではなく、全国に、巡回して、吉田さんの作品を観る機会があれば、良いのに、と惜しまれるけれど、
 ぼちぼちで、良い、と吉田さんは、きっと、展覧会を実現させてもらった、関係者の皆様に、感謝しておられるに違いない。

 「作品」作品こそ全てだ、と思う。「作品」が、吉田さんの「命」をつなぎ、観る人々の「命」を繋いでいる。



6時にギャラーを出て、雑多な世界に。駅までの、交通量の多い道。
 明日のことを知らずに、生活している人々。私もそう。
 新幹線駅で、夕方の7時に来られる、3人を待つ。
 事故なのか、遅れている。全体的に、遅れが出ている。



 9時49分の新幹線をチケットを買う時間があった。

 娘さんと、甥御さんの奥さん、吉田さんととても親しかった方。
 久しぶりに会って、電車の時間まで、食べて話が盛り上がる。
 楽しい集い。あっという間に、時間が過ぎてしまった。
  吉田さんの「命」が繋いだ、出会いと友情の始まり。

 二十日市公民館
 
家に帰り、暑い二階に風を通さなくちゃ、と上がると、涼しい。
 朝、締め切った部屋で、電話しておこうと、我慢出来なくて、冷房を入れたまま、 
忘れていた。なんということ。
 普段は我慢してつけないのに、私のいない時間、部屋を冷やしていたとは。
   

Posted by アッチャン at 14:58Comments(0)art

2012年08月24日

宮島、清盛の都

    


 広島の二十日市市で開催中の、吉田堅治「命を繋ぐ」展を観に行った。
新幹線の新神戸から、広島に、遅くとも12時くらいには着きたかった。そこから、山陽線に乗り換えて、宮島口で、待ち合わせている。
 山陽電車に乗りはずの電車よりも、前に来るはずの電車の案内があって、宮島口に行くかどうか、尋ねた人は、親切な方で、電車が着くまで、盛りだくさんの話題で、盛り上がって、あっという間に、駅の着いた。
 そのおばあさんは、大きなリュックをいつも背負っている。その中から、ティッシュと、 ウオッシュティシューを出して来て、「これ、便利だから、使ってください。」
 「私も持ってますから。」と断っても、親切すぎて、頑固に引かない人で、頂いてしまった。
 迎えに来てくれていた、Oさんに、これ使って、とお願い。



 宮島口にあるホテルで、ランチを食べながら、話に夢中になっているので、味がどんなだか覚えていない。ホテルからも、小さな船が、送迎用に出ているらしいが、午前中だけだそう。JRの、フェリーで、宮島に。
 随分前に来たことはあると思うけど、こんなだったか、すっかり忘れている。
 世界遺産と、NHKの清盛、も手伝って、大勢の人が押しかけている。



  デッキに座って、海風を受けながら、おしゃべり。私は海が好きだから、冬の寒さの時も、船上に出ている。
  
 宮島は、清盛が造った都で、京の雅と、武士の整然とした強固とシンプルさが、合体されたような美しさ、それに加えて、海の無限への果てしない夢、開かれた、自由との合体を感じさせる。
 引き潮になると、海の上に浮かぶ、朱色の鳥居まで、歩いて渡れる。モンサンミッシェルもそうだけど。
 水上に浮かぶ、都。能舞台も水上に浮かぶ。 
 海の上に、浮かぶ都は、本来は、海の底深く、竜宮の如くに、永遠の都をイメージしていたのでは?
 泉鏡花の「海神別荘」のイメージも沸いて来て、先日観た歌舞伎も思い起こされて、
「海の底にぞ、都有り」と梅に投じる十二単の衣が海に流れ消えていくイメージ。


 
 宮島は、凪なのか、ものすごく暑い場所を抜けると、風が通って、涼しいね、という場所もあって、これも不思議。

 氷食べましょう、と誘われて、私は、今年2回目の、氷だ。
 宇治金時を注文した。たっぷりあって、白玉も入って、美味しかった。


 
 かれこれ、良い時間になってしまって、二十日市ギャラーまで送ってもらったら、閉館まで1時間。


 
     

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2012年08月23日

時間がいつも足りない



    


 頭がぼっとして、ブログ書けない。
毎日かかさず、書いている友人がいる。凄いことだと思う。私はとても、マネできない。時間を旨く使うことが出来ない。
 翌日は、あれも、これも、と考えながら眠りにつく。
 翌日の夜、何も出来なかったと肩を落として、まだ眠りにつく。
時間はどんどん迫って来て、アメリカ行きの準備が、まだまだ。
明日は、いえ、今日だ。広島の二十日市のギャラリーに行く。
広島までの新幹線、随分高いので、高速バスを使おうか、青春切符ではどうだろう、とか、あれこれサイトを見て思案していたら、時間ばかりが過ぎて行く。
 JRの宿泊付きで、日本旅行が出しているのが、交通費よりも安いので、電話したら、
 ウェブでは、もう受け付けていないから、大阪駅のチケットカウンターまで行って、残っていたら、買えます、といわれて、朝から、出かけた。その前に郵便局に寄って、大阪駅についてから、番号札もらって、待たされた。ここはいつも混んでいる。3
 番号を呼ばれて、ツアー番号を控えていたのを出して、まだ空いているか、聞いたら、
 広島には、二人での申し込みしか出来ないのだと言われた。
シングル、と書いてたのは、二人申し込みの、シングルを二つという場合なのだそう。
 時間もったいなかった。
 あっという間に、12時だ。
 シネリーブス梅田で、見たい映画をやっているので、そちらに足が向く。この前は、時間が合わなくて、あきらめて帰った映画だ。
 12時50分から始まるので、その間に、ランチ。お腹が全然空いていない。でも、ホテルで、平日20食限定のパスタランチ1000円、というのがある。この前は、売りきれで、食べられなかったので、何となくこだわっていたから。
 味が見たかった。友人達が、豪華な6000円のビュッフェコースなるものを、食べて、すごく美味しかったと聞いていた。
  アマデウス、というホテル内のレストランは、明るくて、ゆったりしている。
 ほとんど女性ばかりの、グループ。デザートを大皿に盛り上げて、テーブルに帰って行く。甘い物 好きな人には、超嬉しいだろう。わいあい、がやがや、賑やか。
 お料理は、少ないめで、種類が一杯。オーダービュッフェ。
 私のは、1000円だから、ミニサラダ、スープ、パンとパスタだけだけど、パスタの量が二人分はある。パンは食べられない。200円プラスのコーヒーは、ホテルだから、美味しい。
 映画までの短い時間に、急いで食べたので、時間ばかり気になっていた。味は、まあまあだった。
 
 「あの日、あの頃、愛の記憶」期待しすぎてたので、まあまあかなあ。

 3時に終わったから、母の施設に行く前に、ユニクロに行くつもりで、ヨドバシに。
 ソフトバンクの携帯の所で、クレジットを変更してもらわないといけないことを思いだした。
 
 順番待ちの番号もらって、ここでも待っていた。私の携帯の古さを見て、受付の人があれこれ勧めてくれる。
  携帯変えてもいいくらいなんだけど、また、2年間拘束される。
カウンターで、スマフォの事聞いたりして、また時間を使ってしまって。
7階のユニクロで、あれこれ見て、気づいたら、4時20分だ。いつもの時間に、母に会いに行けない。あわてて、電車に乗って、母の施設についたら、5時だった。
 6時の食事時間まで、母の話相手をして、コナミに。
 コナミでも、クレジットを変えてもらうのに、かれこれ40分待っていた。
 水中歩いて、家に着いたら、10時前。

 いつもこんな調子で、家はいっこうに片付かない。広島に行く準備にも時間がかかった。
出来るだけ軽く、と思って、最少減に、コンパクトにしているつもりで、荷物が増えていく。
 出来たら、夜遅くに、日帰りで帰って来たいけど、無理だろうな。
  
時間が足りない、というあせり。
 安ホテルは、電話でキャンセル効くのを予約している。ホテルを一晩決めるだけでも、格安探して、時間がかかる。
 だから、出かけるとなると、時間と体力の消耗と、ストレスがかかって。

 建設的なことじゃなく、空回りしてるような感覚、なにやってんのかな、私。
  

Posted by アッチャン at 02:32Comments(0)日々の事

2012年08月21日

 あやうい日本の平和

 

   

  尖閣列島に、日本の地方議員達が上陸して、日本の国旗をふりかざし、岩山にくくりつけている。
 石原都知事が、尖閣列島を東京都が購入することを宣言してから、尖閣は、争いの場になるつつある。
 韓国の大統領が、竹島に上陸して、韓国の国旗をふりかざしている。

 先日、NHKで、今年の3月に亡くなった、城山三郎の詩を紹介していて、
 最近の危険な動きは、「旗」に象徴されていることを、改めて感じていた。
 その動きが、エスカレートしていっている。

旗振るな
旗振らすな
旗伏せよ
旗たため

社旗も 校旗も
国々の旗も
国策なる旗も
運動という名の旗も

ひとみなひとり
ひとりには
ひとつの命

 戦争へのきなくさい動きが、芽を吹き出してはいないだろうか。
 戦争は、忘れた頃にやってくる。
 終戦記念日ではなく、「敗戦記念日」だと主張して、声高に叫ぶ人間が
 テレビに映っている。

 竹島や、尖閣、北方領土にしても、互いに、自分のものだと主張し続ける限り、
 争いは収まることなく、強者が弱者を殺戮する形で、奪い取るようになる。
 それが戦争では、ないか。

  何も利益を生み出さない、価値のない岩場だったら、魚の捕れない、汚染された海であったなら、いらない、と主張し、その岩場の管理を放棄し、相手の責任だと互いに辞退するだろう。

 平和的な解決を模索しなければ、ならない。方法はただ一つで、シンプル。
 分け合うことだ。
 資源があるなら、一緒に開発して、その利を分け合おう。
 領土は、みんなの物であって、誰のものでもない。神がこの世を作ったとしてたら、
神のギフトだし、自然が作ったものだとしたら、自然のギフト。

 民主的な話会いは、共有出来る事を模索し、共に納得の行く方法を見いだすことに、その目標がある。

 竹島も、尖閣も、北方領土にしても、自然の恵みを、共に分かち合うこと。互いに、「旗」を下ろし、「旗」をたたまなければ、平和はやってこない。  

Posted by アッチャン at 11:21Comments(0)日々の事

2012年08月18日

映画「かぞくの国」

    

 「かぞくの国」室内から、むせび泣く声が聞こえた。
終わって、すぐに出て行く人はほとんどなかった。
 言いようのない、暗い重さと、自由の国で生まれ育った、妹の兄への率直で影のない明るさ、そして在日朝鮮人の「オモニ」の息子への愛情の美しさが際だった。
 16才で、夢の国を信じて、息子を北に帰した、父親は、朝鮮人としての誇りと忠誠を持ち続けている。25年ぶりに、治療目的で、3ヶ月の帰国が赦された息子には、同行してきた監視役が、24時間言動を見張っている。兄に課せられた、役目があって、妹を日本でのスパイ活動に引きこむこと。
 真っ向から断る妹。買い物に出た兄は、ウインドウに飾ってあるスーツケースに魅せられて、店内に入る。
  リモワの銀色のスーツケース。値段を見て高価なのに驚く。
 スーツケースは、自由の象徴で、どこにでも好きな旅に出て行ける、自由、兄の境遇では、到底望めない世界、妹には、そういう世界で生きて欲しい。 あの時、もしも父に反発して、帰国を断っていたら、好きな女の子と結婚も出来たかもしれない。父親に抵抗することが出来なかった、優しい気弱な息子。父に逆らう勇気があれば、違った生き方が出来た。日本の歌を自由に口ずさむことも赦されない世界。
 北朝鮮には、妻と子供達がいる。




 突然の帰国命令。明日、帰国しろ、という命令の電話が、上層部から監視役の同胞に宣告される。なんとしても兄の手術をしてあげたいと、必死になっていた妹は、突然の帰国命令、その意味が理解出来ない。病気を持ったままの帰国は、兄に死を宣告することに等しい。問い詰める妹に、兄は言う。
 「あの国では、考えると、頭がおかしくなる。だから考えることをやめた。あの国では、ただ従うだけなのだ。突然、何が起こるかわからない。命令が下されるままに、受け入れる、それしかない。」

母親は、貯金箱の仕送りに貯めているお金を出して、かけて出て行く。
 翌朝、監視員が迎えにやってくる。
 真っ新の洋服を息子に用意した母親は、監視員にも、心づくしの背広とボストンバッグに入れた洋服類を用意していた。
 何もしてやれない母親の替わりに、せめて息子の為に、監視員が力になってくれる事を信じて。母親は、自分達を見張っていた、その監視員にも、家族があるでしょう、と言う。
 新しい洋服に身を包んで、車に乗り込む兄。妹は、兄の手を離さない。車から出た兄は、無言で妹を抱きしめて、促されて、再び車に。引き裂かれるように、車は妹の手を振り払って、走り出す。



 泣きくれていた妹は、突然、出て行く。
 リモワのスーツケースを買って、繁華街から大通りの交差点を、それを引いて歩く妹の姿で、この映画は終わっている。

 果たして、それを兄に届けたのだろうか?そうではないと思う。兄の束縛を、はねのけるように、妹が、朝鮮という国との決別、自由の国で、何者にも、たとえ、親の束縛にも
 反抗し、自ら信じた道を生きて行こうという、決意がそこに描かれている。

 妹の目線で描かれた、この映画は、彼女の実話をもとにして、ヨン、ヤンヒ自身が、脚本と監督を手がけている。演じているのは、奥田英二と安藤かずの娘、安藤サクラ。
 この女優は、素晴らしい感性と、豊かな才能を持って、この役を見事に演じている。
 兄ソンホ役には、昨年CX「蜜の味~A Taste Of Honey~」に出演し、今年もNHK大河ドラマ「平清盛」、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』他、待機作が目白押しの井浦新。
 「密の味」で初めて見てから、憂いを含んだ個性的な俳優だ、と注目していた、希有な役者の一人。 

 母親役には、いつも明るさと聡明さが際立つ、宮崎美子が演じている。



  少年の頃、拉致されて、北朝鮮で、幹部になっている息子の元を、何度も訪れている、母親がいる。母と息子の、遠い隔たりを、長年に渡って。通い続けた母親。持てるだけの荷物を運んで、仕送りを続け、幾度となく、北への道を目指した母親
 の気持ちが、この映画の中の母親の姿から、想像される。北に仕送りを続ける在日朝鮮人の人達の心も。

http://kazokunokuni.com/s_phone/cast.html 
 
   

Posted by アッチャン at 19:04Comments(0)映画

2012年08月13日

松本俊介「生誕100年」展覧会



   


http://www.nhk-p.co.jp/tenran/20120523_163046.html y 市の橋

昨夜、NHKの日曜美術館で、松本俊介 の絵画を紹介していた。
 いつも、日曜美術館を見ているわけではない。オリンピックを見ていて、チャンネルを変えたら、「松本俊介」という言葉が飛び込んできた。
 初めて、松本俊介の絵画「立てる像」を展覧会の一作品として見たときに、強烈な印象を受けた。
 その時に、松本俊介、という名前を覚えていて吉田さんの、絵画展が、鶴岡八幡宮で開催された際に、神奈川県立美術館で、「立てる像」のポスターを見て、入ったら、松本俊介の絵画が、この美術館のメインだった。

 戦後のY市の橋

 そして、昨夜、松本俊介の画業を作品と共に、紹介されていた。
 「Y市の橋」を、松本は、何度も描いている。実際の風景では、ない建物や、実際には、見えるはずのない、視界から離れた所にあるものを、視界の中に、デフォルメして、風景画が描かれている。
 「立てる像」も同じだ。人物が、風景よりも、遙かに大きく描かれて、「私」という存在そのものを、描いている。

 松本の絵画は、心象風景だと解説されている。そうだ、私がこれほど、強烈な印象を受けて、この人の絵画に心を惹かれるのは、松本俊介の「心象」だったに違いない。

 来週の、日曜日の朝、この放送が、再放送されるのではないか、と思う。以前に、夜見ていたものを、次の日曜日の朝、見たことがあったから。



 松本俊介の今年が、生誕100年にあたるとか。
 戦争中に、戦争に荷担して、戦争を鼓舞するような絵画を描いていた画家達が、戦後、カメレオンのように、変わり身の早さを見せるのを、認められなかった画家の一人だ。
 吉田さんは、「フジタ」の絵画を認めなかったように。吉田さんが、黒一色でしか、絵画を描けなかったのも、「心象」

 松本俊介の「y市の橋」を模写してみせた、斉藤さんは、松本俊介が、昭和23年の6月に、36才の若さで、この世を去る年に、病床を見舞った画家だ。
 気持ち良く描けたよ、という絶筆となった、「建物」1948年5月は、松本俊介の「心象風景」そのもので、黒の線が自由に踊るように走っている。



 この展覧会は、宮城で開催中、次に島根に行くよう。世田谷の東京で、11月にも。



  

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2012年08月08日

心身は一体。オリンピックを見て。



    


 人間の心ほど、壊れやすいものはない。そして、心ほど、強固なものはない。
相反する言葉だけど、それは事実だ。
強靭な心は、ひとえに、精神力の鍛錬のたまものだけれど、それは同時に、身体の鍛錬と不可分だ。
 禅の修行者が、悟りを得るまでに要求される、心身の鍛練がそれを証明している。
オリンピックで、勝敗を分けるものも、心身の鍛練で、揺るぎない闘争心と鍛え上げた訓練による、身体の持てる能力を発揮出来るかによるように思われる。
心に不安は、心配をかかえると、その隙にやられてしまう。
 勝てたかもしれない試合、ミスがなければ、と後悔している選手達が、更に、次のオリンピックに向けて、リベンジを狙い、更に強固な身体作りと強い心を養うことを、自らに誓っている。
 オリンピックは、参加することに意義がある、と私達が言ってきたことは、最早死語となりつつある。
 メダル争いに、終始している。
最も美しい色のメダル、金が目標になっている。日本は、今回のオリンピックで、お家芸の柔道男子が、金メダルを取れなかった。サッカー男子の昨夜の試合を見ていると、心の折れが、勝敗を分けたように思われる。心がひずんで、身体が思うように動かなくなった。 敏速な判断が出来なくなった。
体操の内村選手も、ストレスというものを感じたことのなかった人が、団体戦では、プレッシャに押されて、あるはずのないミスをした。
個人団体では、金メダルを取れたのは、最初に、苦手な鞍馬をクリアー出来たことが、その後の演技を押した。

 今回のオリンピックで、団体戦の強さが目立っている。チームワークでの戦いで、メダルを取る種目が多い。
  日本が野球に強いのも、チームワークが得意だからだ。自分の立ち位置を、周りの人との関係によって、把握することが旨い。

 くしくも、「二番ではだめなんですか?」と言わしめた、日本的な言葉が、今回のオリンピックでは、銀メダルのラッシュとなって、証明されている。
皆で渡れば、怖くない。田植え民族の民族性が、オリンピックへ支援と強化によって、
 メダル争いに負けない強さを作っていた。 
 
 心を囚われないで、無心に戦えれば、自ずと持てる力の全て、それ以上の力を発揮出来る。人間に備わった、底知れぬ能力が、どこまで伸びていくのだろうか。

  心ほど、壊れやすいものはない。昨日まで、安定していた心が、ある小さな言動によって、すっかり打ちのめされ、心が傷つくことがある。
  修行が足りないのだ、と私は思うけれど、一旦囚われると、そこから抜け出せないで、 何もする気になれない時がある。心が痛む時、そこから抜け出す方法は、ただ、がむしゃらに、身体を疲れさせることだろう。がむしゃらに動くことが一番。  

Posted by アッチャン at 11:17Comments(0)日々の事

2012年08月06日

玉三郎「ひかりの中で」1979年初版

 

  


 玉三郎の「ひかりの中で」1979年出版の写真集を、大阪の地下街になる古書の店で買いました。
 なんと、たったの3百円でした。
 委託で、置いて行ったもので、持ち主が自分で値段をつけるそうです。
 友人がみつけてくれたもので、感謝、感謝。
帰りの電車の中で、開いて見て、その値打ちがわかったのですが、1979年の初版本で、玉三郎自身が、写真を選んで、作った本。詩的な美しさと哀れを感じさせる、風情のある本に仕上がっています。

 店の店主は、「アマゾンに出せば、高く売れるゆうて、本を買いに来ますわ。」
 身辺整理をしないといけないと、朝から、二階の書斎で、汗だくになりながら、書類の整理をしていたりしている昨今、もう何も買わないと思っていながらも、先日、東京に行って、「七月大歌舞伎」のパンフレットは買ってきた。
 買わないつもりだったけど、東京まで、飛行機とホテルまで 取って、行って来たのだもの、と記念に。
 玉三郎の「舞台写真」は、若い頃のもので、白黒の写真を中心に、カラーを交えているので、本を作るにあたっても、買いやすい値段になっているが、白黒で、線の動きの美しさを際立たせる効果にもなっている。
  何度も見て、楽しめる本なので、買って本当に良かった。

 ネットで、引いてみると、アマゾンで、沢山売っている。
 最も安い876円から、6000円くらいまでの幅がって、本の程度によるのか、その店のつける価値の評価によるのかはわからない。

 私が買った本は、経年のものではあるけれど、結構程度の良い物だ。

 アマゾンでは、私も自分の専門書を売りに出しているが、これが大変で、返品されて、 余計に、支払いがあって、随分損金が出たり。
 いちゃもんつけて、返品依頼のメールが入り、なかなか送り返して来なくて、すっかり読んでしまってから、送料着払いで、送り返される場合があって、アマゾンには、手数料を払って、入金額が少ないので、逆に、支払いが増える。
アマゾンからは、一両日以内に出荷を要求されるので、
迅速な 時間と手間と、何していることやら。 アマゾンからは、年会費を取られてもいることも知らなくて、「え、こんなに払っているの?」

 アマゾンは、便利だけれど、古本屋さんで、偶然に見つけて、買った本の喜びの方が、
はるかに大きい。

 店主が、「本は捨てたらあきまへん。」
そうだよね。持ち込んで、古本屋の店先に置いて帰るのが良い。ボランティアに売りあげの中から、支払っているそうだ。
 
   

Posted by アッチャン at 11:59Comments(0)日々の事

2012年08月03日

原発ゼロを目指して

 
 目に凉を

 午後3時、アスファルトからの熱気を含めて、目がくらむような暑さだ。
 支払期限が7月までだったので、市役所に電話したら、郵便局なら受付ていると
言われて、歩いて近くの郵便局に。
  頭がふっとして、熱中症は、こんな風になるのかしら。郵便局に入ると、クーラーが効いている。中で一日中仕事をしている女性達は、身体が冷えないだろうか。
 このまま、ここから出たくないくらい、外は暑いけれど、原発に頼らない生活をしていく為には、クーラーが効きすぎている、映画館や、この郵便局などの、節電への無関心を哀しく思う。せめて、28度くらいに節電してほしい。
 帰り道、窓を開けている家が目立つ。貧しい暮らしぶりは感じられないけれど、サラリーマン生活に中でも、郊外に一戸建ちの家を構えている人達は、節約が基本で、生活基盤を築いて来た。そして、多くは、年金暮らし。子供達は結婚して、孫が来る。
 そういう人達が、普段節約して暮らしているのは手に取るようにわかる。
 熱中症で亡くなっているのは、高齢者が多い。クーラーをつけないで、寝ていたとか。 節約はほどほどに、クーラーを適当につけて、熱中症にはくれぐれも気をつけて、と
 テレビでも呼びかけているけれど、その効果はいかなるものか。
  人には、それそれ生き方があって、頑固にそれを守り続けて生きている。 
 
 私の場合、今年、節電のために、新しいクーラーを買ったのに、使うつもりで買ったのに、使っていない。
 我が家の温度計は、家の中でも33度になっている。クーラーをつけたい。つけよう、と何度も。でもつけられない。この時間、私と同様に、一斉にクーラーをつけたら、関電の思うつぼになる。やはり足りない、と関電を援護することになる。
 そう思うと、つけられない。つけてはいけない、と思ってしまう。

 なんとしても、原発のような、人間が制御不可能なものは、止めなければならない。
そのための、最も効果的な方法は、電力が余っていることを示すことだ、と私は思うのだ。
 
クーラーをつけないで、どこまでがんばれるか。
 母の施設に行くと、涼しい。母は、長袖の服を着ている。じっと座って入ると、足腰が冷えるように思うくらい。
 暑がりの人は、がんがんクーラーをつけてないと、身体が燃えて我慢のならない人もいるが、私は、冷え性なので、クーラーはいらないほうだった。
 最近では、身体が熱い、と感じる。多分、血圧と関係あるのだろう。

 病院や、老人施設、身体の自律調整の利かない人達の為に、夏の冷房は必要不可欠だ。
命とかかわるだろう。
だから、そういう人達が、電気を使えるように、私は、節電しなくちゃ。なんとかやっていけるうちは。  

Posted by アッチャン at 11:03Comments(0)日々の事

2012年08月02日

上野公園「ベルリン美術館展」


   


 東京から、帰りの日、飛行機の時間は3時なので、上野の国立美術館で開催中の「ベルリン美術館展」で、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」を観に行った。
 東京都美術館でも、「青いターバンの少女」のポスターがあった。国立美術館で、
これから先の巡回を聞くと、福岡だと言われた。
 京都に来ないのなら、観ておこう。 待ち人なくて、空いて居た。入場料の1500円は、 私としては奮発だけど、暑い中、せっかく来たのだもの。
ベルリンに、見に行けるかもわからないから。





 館内は、比較的空いて居たので、「真珠の首飾りの少女」の前に立ち、充分鑑賞させてもらった。
 さすがに、東京、常設展が充実していて、授玉の作品が沢山ある。川崎製鉄の、松方コレクション。
 海外で観たのと、同じ作品も。
 彫刻も多いけれど、全部は見られなかった。
出来たら、東京都の美術館で、もう一枚の、フェルメールを観ておこうと気が焦って。


フジタの素晴らしい作品



 歩いて、5分、美術館に着くと、待ち時間が15分、無理そう。
 受付で、次の巡回先は神戸だと聞いて、じゃ、行けるなあ。
 産経新聞社主催の「書道展」が開催中なので、時間まで。
 総理大臣賞とか、都知事賞だとか、産経新聞社賞、だとか、力作がずらっと展示されている。随分沢山あって、その中に、片岡鶴太郎(笑)、佐久間良子(月)、コシノヒロコ、の3人の特別展示の作品があった。



  上野公園駅の前で、反原発の署名を求められて、サインした。
 金曜日の脱原発デモに、私も行くつもりだったけど、何故か中止になっていた。
 カンパをしてほしいと言われて、わずかだけど、1000円。
 彼らは広島の8月7日のデモに参加する予定だという。
 その後、土曜のテレビ「激論」に、官邸前のデモをしかけた、人達が出演していた。
 最前列の女性は、リーダー的な存在らしく、鳩山さんが官邸前デモにいたときにも、横にいた女性だ。
 ノースリーブの両腕に、大きな竜の入れ墨をしている。ファッションなのだろうが。
 田原さんに、「何故、地方に行かないのか?」と聞かれて、「お金がないからだ。官邸前なら、交通費が出せるけれど、地方までは。」と言っていた。
 上野公園で、彼らは、交通費の為に、カンパを募っていたのだろう。



 官邸前デモに、参加して、演説していた、瀬戸内寂聴さんが、「政治家はわからないのです。お金持ちは、貧しい人間のことがわからないのです。」と言っていた。
 
 帰りの飛行機の中に、自民党の世耕議員が乗ってきて、ファーストに座った。続いて、民主党の石井一議員が入って来て、ファースト席に座った。

石井議員、秘書が迎えて


 私に席は、ファーストのすぐ後ろだったので、アテンダントが愛想よく対応している姿も良く見えた。
当然の特権だといわんばかり。むむっとして、席を立って言いたいことが、とも。
 「あなたがた、せめて、エコノミーの席に座って、隣の人の意見でも伺えば?」

 確かにそう。彼らは全くわかってない。わかろうともしない。民衆の「生活を守る」なことなど。 
  

Posted by アッチャン at 13:10Comments(0)art

2012年08月01日

二日で6本、映画三昧

 


  今日は、朝から、横になっては、寝てしまう。疲れ切っている。
 30日に、映画を3本観た。最初に「ちひろの世界」その次は「屋根裏部屋のマリア達」 それで帰ろうと思ってたのに、「スパイダーマン、ライジング」を観た。
  若い頃は、日に4本でも平気だった。「良く何本も観られるわね。」と感心されたが、 最近、身体でわかる。確かに負担が大きい。
 翌日は、月末で、テアトルの優待券が、8月からは、少なくなるので、観ておかないと、と身体を押して、出かけた。本当の所、家で休んでいたかった。
 梅田のシネリーブスは、20分近く歩かないといけない。
 アスファルトがもえて暑い。
 映画は「クレージーハウス」中は満席で、映画はもう始まっていた。
 与えられた席は男の人の間の席で、画面に映るのは、裸の女性達の、セクシーな踊りばかり。座って入るのが、落ち着かない。
 世界で最も美しい女性を作り出している舞台だ、というけれど、男の人の気配が嫌で、 出たかった。

 次に、何を観ようかと、歩き回って、1時間半も。
 テアトルで、夜の8時半からの「ベティー、ブルー」のチケットを予約した。4時からの部は、始まって10分たって、一番前しか席がないので。
http://youtu.be/G9W1KX5MO-Y ダークナイト、ライジング


  昼食を食べる時間を取って、5時からの「ダークナイト、ライジング」を観ることに。テレビで、一押しの映画だと言っていたけど、前作の「ダークナイト」それほどではなかったので、あまり観たくなかったもの。
 所が、この映画、凄く面白かった。3時間近くもあるのに、夢中になって観ていた。
 「スパイダーマン」は、前作のトビーのスパンダーマンが面白くて、その後編かと思って入ったのだけど、同じような筋書き。でもこれも結構楽しめる。
 

http://www.betty-blue.info/ ベティー、ブルー


 最後の「ベティー、ブルー」は、25年前のデジタル、リメイク映画。前に観ているので、良かったという印象はあるけれど、内容は忘れていた。
 この映画は、フランス名画の一つだ。リメイクされるのは、当然。大切な映画だ。
 フランス的な、深層心理と愛がテーマになっていて、ユーモアがあって、しかも、奥深く、人間的だ。
http://yaneura-maria.com/pc/
 「屋根裏部屋のマリア達」は、とても楽しい映画で、誰もが、楽しめるし、ハッピーになれるので、今の暗いご時世には、生き抜きと、ちょっぴり希望も持てるから、娯楽映画としては、お勧めだけど、
「ベティ、ブルー」という映画は、「映画芸術」作りの王道として、「映画」を観た、という幸福感を抱く作品。

 疲れている、ぐったり。  

Posted by アッチャン at 14:15Comments(0)映画