2013年01月29日

大寒の月に

       

 1月の21日は、御大師様の誕生した日で、大寒にあたる。
 父が生まれた日であり、偶然にも、友人のご主人の誕生日でもあった。
何故、大根炊きをするのか、そういうことには一向に疎くて無知なのだけど、弘法大師を祀る、甲山大師への、大根炊きの案内が出ていた。
 今朝、一人の美しい老女が、この世を去った。とても美しい人だった。
 昨今、女性は長生きと、レッテルを貼られていることに比べれば、まだ若いけれど、随分長い間、闘病生活を耐えての,天国からのお迎えだから、やっと安らかに眠ることが出来る。
 無事に、子供達が、送ってあげられることも、良かったと思う。

 私が、若かった頃、そんな風に死者の事に思いを巡らしたことはなかった。
 父が亡くなった時にも、私はまだ、若かった。
 父は、せめてあと10年生きていたい、と言い、毎朝、医者に通い、週に2,3回はゴルフに通い、本が好きで、テレビで、野球と相撲、NHKの大河ドラマから、時代劇を好み、人生を楽しんでいた。
 家族は、父が中心となって、集まることが多く、それだけに家族関係がぎくしゃくすることも。でも、そういう頃、若く、情熱的だったと、今は懐かしく、寒々とした空間に、暖かさを感じる。

 一月に亡くなる人は多いような気がする。父は30日、祖父が31日だった。
 そして、その美しい人も、昨日。

  最近は、家族葬が多くなった。
 
  
  
   

Posted by アッチャン at 13:54Comments(0)日々の事

2013年01月28日

レ、ミゼラブル、は、永遠のテーマ。

  


 朝、雨戸を開けると、雪景色。
  ゴミ出しに、」雪靴を履いて、エッジをかけて、よちよち歩く。
  坂道なので、滑らないように、転ばないように。

 スタッドレスのタイヤを買って、やっと出番かな、とも。すでにタイヤの跡がって、凍っている。
 昨日は、尼崎に、再び「レ、ミゼラブル」を観に行った。
  二度目の映画版なので、舞台での先入感が取れて、どの俳優も、適役だと思った。
 特殊メイクが、ジャンバルジャンの変容を見事に作りあげている。コンタクトレンズが 出来てから、目も変えることが出来るようになって、「目は口ほどに物を言い」ということも、特殊メイクで変えられるようになった。

 最近では、家で、映画のビデオが沢山見られるので、わざわざ、映画館に足を運ばなくても、と思うのだけど、劇場に行くと、違いは歴然とする。
 元気な頃は、何本でもはしごして観られたけれど、映画が結構疲れるものだ、と感じるようになった。
 身体のどこも痛くなかった頃がなつかしく思えるが、あちらこちら、まだ痛いと思えるうちは、ちゃんと神経が働いていて、人間が死ぬまで、動体である証拠。



 ジャンバルジャンは、最後に、「今こそ、神の身元に迎えてくいださい。私は老いて、準備は出来ています。」と心臓が弱って、声が続かないような歌い方で、歌う。
 若い頃は、あれだけ、息が続くものかしら、というくらい、肺活量を持って、力強く歌い、無類の力持ちだったジャンバルジャンが、老いて自分の愛するコゼットの元を去る時には、銀の燭台を入れた、わずかな荷物を馬車に運び入れることにも、よろけるほど弱っている。 無理に無理を重ねてきた。酷使した体。イエスが、血であがなった愛で、悪の罪から、救われたジャンバルジャンは、生まれ変わって生きる。「愛する時、神の側にいる」という言葉は、まさにイエスのように人を愛し続けた、ジャンバルジャンが、神の元に迎えられるにふさわしい言葉。
 法は、人間が作ったもの。真の法は「神」の法であり、それは「イエスの愛」


 
私には、忘れられない言葉がある。
   関学のチャペルで、今にも息を引き取ろうとしている人の、メッセージが、流された。病を得たことを神に感謝し、信仰に生きられたことを感謝し、幸福です、との最後の言葉だった。
 結婚して、子供達がいて、幸せな人生だった。病を得たこと、神に試練を与えられたことで、私は、感謝し、神の愛をそばに感じることが出来た。
 まだ、成長期になる子供達と別れて行く辛さ、子供達が愛する人に成長し、愛する人と結ばれる事を、見届けることが出来ないけれど、全ては神の御心なのです。
 私は、神の愛を身体中に感じ、感謝の気持ちで一杯です。

 そのような言葉だったと記憶している。一言言うのにも、大変な状態で、あえぎながら、とぎれながらのメッセージが、関学の本堂の中に流された。

 私も、他の人達も、皆、感無量で聞いていたと思う。涙を流して聞いていた。

 私も含めて、このような神の側にいる人の、言葉を聞いている、人間達の、現実は、というと、とても神の愛からは遠い。
よこしまで、猜疑心が強く、打算的で、自分達の幸せだけを優先して生きている。




 レ、ミセラブルに、出てくる、よこしまな夫婦、時代の荒波をうまく泳ぎながら、
 底辺で生きている、ユーモラスな夫婦が、ジャンバルジャンを救う役割を
果たしている

 良いは悪い、悪いは良い。



 欲ぼけの私は、尼崎から宝塚までのJR320円、それから西宮のコナミに行くのは、お金も時間もかかるので、
 大阪に出て、阪急に乗ろうと思って、チケットを買う時に、JR西宮から歩けば良いということに気がついた。
 
 歩くこと20分、寒かったけど、コナミの暖房した中に入ると、身体が温かくて、汗がにじむほど。


 葉を落とした、裸の木が美しく、冬空に、すっくと立ち上っていた。  

Posted by アッチャン at 14:00Comments(0)映画

2013年01月26日

はり重の、ミックスランチ


    



 昨日も、松竹座に行った。
昼の部のチケットがあるので、最初の出し物は、パスして、猿之助が出る舞台だけ、見るつもりで行ったのだけど、着いたら、2幕目が始まる所で、席について、「毛抜き」を見ていたが、休憩が30分しかないので、途中に出て、はり重にランチを食べに。
 注文して、なかなか出て来ない時があるので、イライラしないで、ゆっくり食べたいと思ったから。
 それに、席に座っていると、体中が痛くて、じっと座ってられなくて。
 最近、また肩が痛くて、おもうように動かせない。ドライアイで、眼が痛い。肩が凝っているので、そのせいもあるのかもしれないが、首も調子が悪い。手がしびれる。
  膝の痛みは、このところ、身体の一部になっている。
  健康の為に、水中歩行は出来るだけするようにしているが、コナミのプールに行くまで、沢山の階段を下りていかねばならない。
 このようなプールには、この先、行けなくなるなあ、と考える。
  杖をつきながら、プールに来る人達がいるが、それもリハビリなのかしら。
お風呂から出ると、心臓がだめで、たちくらみと、しめつけられるので、しばらく座って治まるのを待っている。
調子の悪い時は、いつも同じだな、と元気な時には、忘れていることを思い出す。




 はり重に入って、ミックスランチを注文した。
 向かいにいる、母と、娘らしき、年配の女性達。娘がしきりに話している。母親はだまって、表情を変えずに、カレーを食べている。
 
前にいて、いやでも見えてしまうので、眼のやり場に困る。耳がわるいので、何を言っているのか、聞こえない。
  
 ミックスランチは、時間がかかるので、食べたいけれど、幕間には、注文できないもの。  母と松竹座に来ていた頃は、今はなくなった、丸万でお寿司か、はり重の
ミックスランチを食べていた。

  前の二人、娘さんが、伝票をバッグの横に、置いている。
 いつのまにか、その伝票は、母親のバッグのそばにあった。
 母親が上着を着ている間に、娘が取って、レジに。
  財布を出し合って。



  私は、ゆっくりと食事し、食後についてくるコーヒーを味わった。
  すっかり忘れてしまっているけれど、私も、あんな風に、口げんかをしながら、食べていたこともあったかのしれない。
  食時をしながら、喧嘩していたら、美味しくないだろうが、寄り添っていたことも
  確か。
  
3幕目からの、「吉野山」、隣に座っている、女性2人がしゃべっている。
  狐なのよ。前に見た時には、もっと続きがあったのだけど。
 聞いている人は、誘われて来ているようだ。

  夜の部で、それが見られるのだけど、私はだまって聞いていた。
  パンフレットを買った、
  もう買わない、と思いつつ、買ってしまった。 
 帰りに、母に会いに行き、見せたが、興味がなさそう。
 あんなに好きだったのに、すっかり忘れている。







は、  

Posted by アッチャン at 12:21Comments(0)旅のグルメ

2013年01月23日

猿之助襲名披露公演、夜の部


    

 松竹座の寿新春大歌舞伎の、夜の部を観に行きました。
暮れの,南座での顔見せに行った時に、ネットで買っていた、1月のチケットまで一緒に券売機から出てきたのですが、その後、南座のチケットを入れていたカバーだと思い込んで、破って、捨ててしまったという記憶があって、どうしたらよいものかと、松竹座に行ったときに受付で聞くと、南座で、まずは聞いて欲しい、と言われました。
 ネットで買っているので、その控えをコピーして、持ってきて欲しいとも。
南座に電話すると、やはりなくて、開演時間の15分前に来て、誰もチケットを使うものがいなければ、入場してもらえると言われました。



 夜の部のチケットは、3階の最後列の、最も安いチケットを6000円で購入したものですが、そういうチケットは完売していて、20000円の1等席しかないので、もし観られなければ、あきらめるしかないかな、と思いつつ、出かけたのですが、記憶では、落としたりしていない、と思っているので、大丈夫だといっても、不安で、チケットをもらうまでは,ハラハラドキドキ。

 無事に入る事が出来て、3階の5列目に行くと、最後列。 それでも、松竹座は、舞台が良く見えました。
 隣の男性が、その向こう側の女性と話し始め、チケットをどんな風に買ったのかを聞いています。女性は、ネットで買って、セブンイレブンで受け取るのだと。
 男性は、博多座には良く行くけど、今回の襲名披露公演は、6月に来る博多座までまてなくて、大阪にやってきたそうです。
  博多座、金比羅座、八千代座、などの話が出て、私も興味深くて。




一度行きたいと思っている,芝居小屋、 八千代座は、ものすごく狭くて、座っているのが大変だとか。でも、すぐ側に、玉三郎が見えて、客席と舞台が一体となった感じだとか。

 3階の最後列席は、2階よりも、声が通って、後ろに人がいないので、乗り出してみても気にならないし、気楽で良い席です。
 通は、安い席で,何階も観るといいますが、チケットが完売で、そういうことはかなわないのが、残念至極。

 猿之助が、もうあまりにも素晴らしくて、楽しませてもらって、もう一度観たいと、ネットで,2万円でも買いたいと思ったのですが、後ろの席か、花道から遠く離れた席なので、あきらめた次第でございます。

 お二人とも、芝居通の方で、各地の公演にも出かけて来た方達。私は、それこそ、最近になるまで、東京までは行かずに、大阪とせいぜい、南座でしか、観ることはなかったのですが。
 男性は、猿翁となった、3代目猿之助よりも、年上なので、今を逃したら、観られないかも、とあせって来られたというのです。
 話は、中車を襲名した、香川照彦に。パンフレットにある、写真の顔は,歌舞伎の顔ではない、と言われて。
 夜の部では、主役を務める、中車さん、この先、生涯精進すると、口上で述べていますが、こればっかりは、なかなか大変、道は険しいでしょう。



 猿之助の源九朗狐は、ひのうちどころなく、それはそれは素晴らしいもので、
 宙づりの場面では、喜びを表現して、何度も身を揺らし
観客を興奮と歓喜に導いて、3階の天井に作られた幕に入ったのですが、私達は拍手を続け、すぐに、今度は階下の舞台に現れて、観客のアンコールに応えて。

 男性は、大阪で、待ち合わせをしている人達がいて、8時には、出て行かないといけないから、と言っておわれたのですが、最後まで,席を離れることが出来なかったのでしょう。宙づりまでしっかり観て、興奮して帰って行かれました。

 良かったね、素晴らしい、は勿論のこと、女性達の「値打ちあるわ。」という声や、道々、「生に限るわ。生でないと。」と気炎を上げる人達の、興奮冷めやらぬ、熱気をあちこちに振りまきながら、家路に向かう人びと。



猿之助でないと、誰もマネが出来ない、という,お墨付きをもらった、宙づり狐六法、 まさしく、四代目の猿之助の十八番当たり役です。ダイナミックでしなやかで、軽やか、  平均台よりも細い所を、綱渡りのように,すべるように進んで行く。身体が狐のように、自由自在に。
 猿之助は、ラスベガスのショウが好きで、良く観に行くらしいけれど、猿之助ほど、変幻自在に自分の肉体をあやつける歌舞伎役者は,他にいないだろう。  

Posted by アッチャン at 16:06Comments(0)演劇

2013年01月21日

映画「東京家族」


   



「東京家族」を、私は全くの先入感なしに、山田洋次監督独自の作品
なの、と見ていると、これは、「東京物語」のリメイクであることに気づいて、
 「東京物語と否応なく比較され、山田洋二監督は、「東京物語」がいかに、普遍的かつ、孤高にある、永遠不滅の作品であることを、証明している、と思いながら、見ていた。

俳優達にも、違和感があったのだけど、見ているうちに、私自身の、肉親や親子の関係におきかえ、親近感をもって見ていた。
 東京物語 では、原節子が、亡くなった次男の嫁を演じていて、血を分けた肉親よりも、
他人のあなたにこんなにも優しくしてもろうと、と母親役の東山千恵子が言う。行き場を失って、母親は、次男の嫁のアパートに泊めてもらい、嫁からお小遣いまでもらう。





http://www.tokyo-kazoku.jp/

 山田監督は、「東京家族」という作品に、小津自身を、登場させていることに、映画を見終わって、私は気づいた。だから、この作品は、小津監督に、捧げるという献辞は、より深く生きている。
 父親は、東京物語に出てくるような、「優しい、ものわかりの良い、古きジェントルマン」ではなく、「娘は甘やかし、息子達には、厳しすぎる父親」に作り変えられている。
 次男の、妻夫木が演ずるのは、親に心配をかけてばかりいる息子で、将来の設計もたたない、好きなことしか出来ない息子。父親は、長男と次男を比べては、だめな息子だと決めつけていた。立派に育った長男は、親を棄てて、東京で開業する医者。可愛がって育てた娘は、打算的で、自分本意の人間になっている。
  リヤ王ではないけれど、末娘のように、父親が認めなかった、だめな息子が、
 母親に似て、優しい息子であったことを、父親は、一人残されて、知るようになる。
東京物語では、母親の葬儀が終わって、さっさと帰る長男とと長女。
杉村春子が演ずる、長女が、母親の着物をもらうからら、と言う場面があるが、東京家族では、次男が、長女に「今そんなことを言うことはないだろう。」と怒りをぶちまける。
 母親が倒れる前日に、母親は、次男のアパートに泊まり、そこで、結婚の約束をしている、彼女、(蒼い)を紹介する。それが原節子が演じた、次男の嫁、という設定だろう。
 優しくおもいやりのある女性で、お葬式に次男と一緒にきて、父親を残して、東京に帰ることをためらい、世話をする。
 頑なで、心を開かない父親が、母親の形見の最も大切な時計を、彼女に手渡し、
 良い人と結婚する息子に安堵し、息子を頼むと、深々と頭を下げる。
次男は、母親に似た、優しい息子であることを、父親は、家族に棄てられて、初めてわかるようになる。




  小津安二郎は、生涯結婚しなかった人だ。輪廻と無常観を、家族の生活、人生、関係の中で描いた人で、孤独の人、とも言われるけれど、「母親との繋がりの深い人」だった、と思う。

 私は、東京家族、を見て、最後になるにつれ、泣けて、泣けて仕方がなかった。
 終わった頃には、目がくしゃくしゃになっていた。
 一人ぽっちだという思いは、がらんとした家の中で、ふと風がよぎろうに感じるこがしばしば。
  次男と、息子が重なって見えた。
 。

 息子と結婚してくれる人がいたことに感謝しなければ。
息子が幸せであれば、それで良い。

東京家族は、私の家族なのだ。
 あの母親のように、頑固な父親に寄り添って、全てを受け入れる、聖母か仏様のような母親とは、ほど遠い私の様な母親に、優しい息子を期待するのは、言語道断。
奥さんに優しければ、それで充分。 

隣で見ていた友人も泣いていた。
 脳溢血で倒れて、翌日亡くなったお母さんのこと、思っていたのな、と思ったら、お父さんが亡くなった時のことを思い出していたとか。

東京家族
 
 これは、現代に生きる、私達家族の問題で、山田洋次が「寅さん」で描いた、東京の下町の人情、熱すぎるほどの人情とは、相反する、リアリズムの現実を描いた作品

映画の部屋は、すごく狭くなっている。
  現実には、もう少し、広いはずだけど、小津作品は、固定カメラを使っているのを、山田監督は、環境に右往左往でひしめきあう、人間の肥大化を図っている。

 夫婦で、海を眺めるシーンは、どちらの作品でもあるが、夫婦が、生きたここちと安らぎを覚えるシーン。自然主義を人間の心のよりどころに置いたシーン。  

Posted by アッチャン at 11:57Comments(0)映画

2013年01月19日

映画borderline]


    



夏の、しばらくの間、早寝早起きしていたのに、またルーティンに戻って、夜中まで起きて、朝が遅い、悪習慣に戻っている。
 光熱費もかかるから、さっさとベッドに入った方が良いのに、映画を見出すと、それが終わるまで寝られない。
 テレビの番組がつまらないので、ケーブルの映画チャンネルに切りかえると、次から次に,映画を見てしまう。
 昨夜も、コナミが休館中なので、そろそろ寝ようと、お風呂を湧かしている間に、新しい映画をやり始めて、
 それが終わるまで見ていたので、お風呂に入ったのは夜中になってしまった。
 
フランス語の作品だったが、これはフランス映画ではないな、と思っていたら、カナダの,ケベックの作品だった。

http://www.imdb.com/title/tt1048147/

原名は、「borderline] 
 境界線という題名。日本では、未公開の作品で、ビデオは販売しているらしい。
 
 大人向きの映画なので、夜中に放映しているのだろう。
 フランスから見れば、カナダのフランス語圏は、田舎者というイメージがあるが、
 フランス映画のような、エスプリの効いた,洒落て洗練された所のない映画だけど、
 真面目で、人間の生き方を映画に反映させるような映画作りが大好きなカナダ人気質が伺える作品。

  薬物依存症で精神病院には入っている母親と、その母を溺愛した祖母と、愛しかたのわからない娘。
 依存症は、「愛が欠けていること」による、空虚や孤独から無意識的に逃れようとして、必死にしがみついている状態。
 薬物、アルコール、書くこと、描くこと、などは、「愛の欠如」を埋める手段なのだ、という考えにたって、この映画は作られている。

 この映画を見終わって、お風呂に入り、その後、NHKで、東大震災の、ヨウソの広がり、影響などの調査分析のドキュメンタリーを見た。
  見えない死の恐怖にさらされて生きていかねばならない,幼児や子供達。犠牲になるのは、抵抗の出来ない、受け入れるしか出来ない、子供達。  

Posted by アッチャン at 13:00Comments(0)映画

2013年01月17日

 コーヒーブレイクの話


   


この所、毎日、母の施設とコナミに行く以外、出かけない日が続いている。
  車での移動なので、運動不足になるのを、かろうじて、コナミの水中歩行で,補っている。
 以前は、水中で、チンタラ、歩いていたので、30分も歩くと、身体が冷えて来た。
この3,4日、40分で、30往復を目標に歩いている。
 身体から汗がにじむほどになって、ジャグジーに入ると、すぐに汗が出るほどになった。 泳いでいても、チンタラ泳いでいたので、他の人みたいに、顔が紅潮しなかった。
 寒くはありませんか?と他の人達に訊ねると「運動しているから、暑いぐらい。」という答えが返って来た。
 つまり、私は運動しているつもりで、身体を冷やすために、プールで歩いていたということ。
 40分で30往復は、かなりきつい。心臓がぱくぱくすることもあるくらいだけど、
 これは、心拍数が上がっている証拠らしい。

 しかし、こんな風な歩き方を自らに課すと、プールで歩くのがおっくうになって、気持ちよくない。
 以前は、チンタラ、様々なことを想像しながら、ゆったりとした気分で歩いていた。
 水の中をくぐるような感覚だった。水に包まれているという安心感のようなものは、
 生まれる以前に、母親の羊水の中で、自由だった頃の、追体験なのかもしれない。

  外出しないということは、外食しないということで、水中歩行が、ある意味、苦しみにつながると、食べるものへの配慮をするようになる。

 できあがりのお寿司だとか、とんかつは美味しそうだけど,買うのをためらう。
 お腹一杯食べたいし、身体に良いものを、とも思う。
 でも、これは、続かないことも知っている。すぐに歩行は緩慢になって、体重が少しも落ちなくなって、食べたいものを食べるようになる。

  持続出来る人が羨ましい。スターのおっかけだとか、若い頃からのすっとフアンだとか、健康お宅だとか、一つのことに、一生かけて専念する人などは、尊敬に値する。

   変わらずに、好きな食べ物は、きんかん。
  正月に、友人宅のきんかんを沢山もらってきたのを、全部食べてしまって、今は、また買っている。
   私の食べ方が、すごいと言って,友人は感心してくれた。種だけ残して全て食べる。 きんかんを食べ出したら,止まらない。いくらでも食べられる。
  温室育ちのきんかんは、大きくて甘いけれど、自然に育った、青みさえあるキンカンも好き。むしろこちらの方が、香りがあり、酸味もあるので、好き。
  終生変わらない、私のおっかけは、キンカンと銀杏。へんなの。 キンカンの方が凄い。  

Posted by アッチャン at 12:27Comments(0)日々の事

2013年01月16日

安倍自民党は、変わったのか

 
    


安倍政権が、スピード感のある政策を実行にうつすべく、精力的に動いている,自民党への期待が、徐々に高まりつつある中で、民主党が,つい最近まで、政権について、国を動かしていたとは、思えないほど、すっかり陰を潜めて、閣僚だった人達の名前も話題にのぼってこない。

 政権を奪われた政党が、いかに惨めな境遇にあるかを、自民党は、身にしみてわかっているので、次の参院選で失脚しないように、心して、ことに当たっているが、お金をジャブジャブ市中に流し、大盤振る舞いの公共投資による、従来型の景気対策、福島の復興支援も無制限に、新戦略の成長分野への支援を拡大するという、受けの良い言葉と、折れない3本の矢の柱で、景気回復を図り、2パーセントのインフレターゲットを実現させようというわけだが、果たしてそれが出来るだろうか。

 自民党の支持層は、規制によって守られている人達で、いわゆる、族がつく連中だから、思い切った改革をやらせてもらえない。

  老朽化した,道路の補修は必要だが、それを誰が請け負うのかというと、 道路族をよばれる,権力掌握者達だ。
 ここに切り込んで、誰でも、入札出来、その中に、品質良く、安い業者が、 受注出来るようにしなければ、今までと同じ、借金だけが膨らんで、一部の人にだけ、利益が還元される。その受益者によって、票を得ている自民党の政策が、今までの自民党の政治だった。
本当に、「自民党は変わったのか、しっかり見ていかないといけない。

期待できないと思っても、私達は期待するしかない。
  自民であれ、民主であれ、やらねばならないことは、「国民の生活を豊かにする」政策 だ。

  ガソリンスタンドを、住民達は、一口1万円で7口づつ負担し、住民が株主になって、
自分達でガソリンスタンドを経営し、そこで給油が可能になった,地域がある。自分達で、食料品や日用品の店も経営している。収穫するブランド米の販売もその会社から。
 配当はもらわないが、給油が出来、自分達で作ったお米や野菜などを、持ち込んで販売してもらえるというメリットや、配給してもらえるという便利さ、地域の人達のコミュニティーの充実等のメリットがある。

 これこそが、「国民の生活を守る」国民が豊かに暮らすことの出来る政治なのだと私は思う。
地方の事は、地方に。財源を移譲して、地方分権を推進出来るのだろうか。
  国民に、自主独立、その責任を果たす覚悟は出来ているのだろうか。
  国に見放させ、企業の営利に見放され、孤立しかないという,状態に追いつめられて、
 自分達で、やるしかない、と立ち上がっ,住民達が、前向きに考え、知恵をしぼって、
 暮らしを守った。ガソリンスタンドが、当然あるものだと思っていた時には、想像もしなかった生活、生き甲斐のある人生を,自らでつかみ取った実例だ。

 私達、が国に納める血税を、納める人達の為に使うのが、当たり前なのに、そうではない方向に,政権を握る人達は、向かう。
 だまされてはいけない。あきらめてはいけない。他人事として無関心はいけない。

  イエスが言った言葉に「目覚めていなさい。」と弟子達に言う言葉がある。

 ことの成り行きをしっかり見て、真実を見る目を開いておきなさい、ということではないだろうか。
  

Posted by アッチャン at 12:36Comments(0)コラム

2013年01月14日

母を想う



        

 母の所に行くと、両手を広げて、「良く来てくれたわね。」とハグしてくる。
昨日、ここに来たことはすっかり忘れているのだけど、毎日行くのと、2,3日たってから行くのとでは、違うように思うのは、私だけの受け取り方なのだろうか。
 喜んでくれる,その笑顔がみたくて、私は,車を走らせて,会いに行く。

 忙しく家族の世話に目が行っている子供達なら、そうそうは、母親のことにまで、心が及ばない所だけど、1人で暮らしている人間には、母のことがいつも心の中にあって、
 出かける予定のない日には、ほとんど毎日のように、母に会いに行かねば、と思う。

 実際の所、やりかけの仕事を中断して、明るいうちに、行かねばならないので、生活はいつも中途半端で、家は散らかっている。

 帰りにコナミに寄ると、その夜はもうなにもしたくなくて、テレビの前に座ったり、寝転がったりして、日が終わる。
 明日は、と思う。
明日は,早くから起きて、動きまわって、片付けて、昼から、母の所に,余裕で行こう。 母は、行くと、「ここに一緒に寝られるかわよ。ちょっと待ってで。」と立ち上がり、自分のベッドの布団を整える。充分きちんとしている母なのに、二人で寝られるかどうか、確かめるように。

 「ええ、ええ、ありがとう。」と私は母を安心さでながら、何度も同じやりとりを繰り返しながら、暮れないうちに,施設を出ていく。
 母は、「その辺まで送っていくわ。」と私のカバンを肩にかけて、部屋を出る。
 重いから、私に持たせないように、と。
最初のうちは、「いえいえ、私が持ちたいのよ。」母の身体を心配して言っていたけれど、 それも運動のうちだから、それほど重くしないようにして、母に持ってもらっている。

 戸口で、母は,施設の職員の手をふりはらうかのように出てこようとする。
 「ちょっと、待って。そこまで。」と言うのを、戸口で抑える職員。
 私は、
「明日又、来るから。明日ね。」と言うと、
「そう、また来たら良いわ。来てね。」と納得して、私が手を振りながら車に乗り込むと、、身体を乗り出すようにして、職員に支えられて、戸口に立って,手を振る母の顔。

母は、すぐに、私が来たことも忘れるのだけれど、私は、つらい思いをひきづって、ハンドルを握る。  

Posted by アッチャン at 14:44Comments(0)日々の事

2013年01月13日

芝居がはねて



    


 芝居がはねて、余韻を残しながら、心斎橋から、本町の問屋街に向かって歩いた。
 「血管を鍛える」という本を読んだので、歩かなくちゃと思う。有酸素運動が、血流を鍛えるのに、有意義に働く。
 私の場合、塩分を取りすぎていたようだ。以前は、おうどんのスープは飲まなかったのに、最近は、飲むようになっている。
 塩昆布と梅で、最後にお茶づけを好むようになっている。ご飯を出来るだけ少なくと思うのは良いのだが、お茶漬けの塩気がいけない。
 塩は何にでも入っている。一日に、理想的には、6グラム、通常の人でも9グラムが適量で、それ以上の塩分を取っていると、高血圧の要因にもなる。
 以前は、低血圧だった,私、最近派、130以下だけど、ぎりぎりの状態の時があるのは、塩分の取りすぎが懸念された。
 好きな丼ものなら、それだけで、一日分の塩分を越える計算になる。
 昨日だったか、ちょうど、たけしの健康番組をやっていて、5人のゲストに、焼きそばを作ってもらい、その塩分を測定するという。



 やきそばに使う,塩分は、5グラム以下が限定値で、皆、それを越えていた。特に、ドイツ人の奥さんは、最も多く、旦那さんは、高血圧だとかで、とんでもない辛い料理を食べさせてもらっていると指摘。旦那さんの血管年齢は100才だと言われているのは、料理のせいだろうという結論に。
 ドイツ料理は、塩気が多くて、ビールのつまみには,美味しいけれど、健康的とは言えない。
 その番組では、女性の舌が、味覚障害を起こしてる例が多くなっているとのことで、そういう奥さんの手料理を食べていると、高血圧になるという。



ついつい、私も、お酒のつまみになるよなものばかり食べていたり、スーパー終わりごろに行けば、できあがりのものを買って来て、それを食事に変えたりで、塩分を取りすぎている。
そのことに気づいて、自分で調理しなくちゃだめだ、と思うようになった。
 外食もやめなくても良いけれど、ちょっと気をつけるだけで、随分塩分を少なくすることは可能だろう。
 まず、単品ものは控える。天丼や、ラーメン、など塩分の多いどんぶりだけ、といいうのはやめて、カツ丼ではなく、ビフカツを。天ぷらなら、野菜を中心に。汁物のスープは飲まない。
 お寿司がすきで、良く買ってまで、毎日のように食べていた。塩分が多い食品の一つ。
 お造りにしたほうが良いらしいが、お寿司を食べる日には、後の塩を取らないようにしよう。サラダの野菜にドレッシングをかけないとか。

頭に、塩分、という文字があれば、ちょっとはひっかかる。
 塩分は、肉体労働する人には、通常よりも沢山必要な。汗で流れ、体内から出るから。 有酸素運動をすれば、塩分は排出される。



 というわけで、松竹座から、昼に食べた、まぐろのこってりいたお寿司の塩分を流すべく、歩いた。

  途中の店屋を除きながら、余計な買い物もしたりして、美容院で、カットしてもらったり。有酸素運動ろは言えない、ぶらぶら歩き。

 美容院を出て、御堂筋に出ると、12月14日から、1月の中頃までの間、御堂筋が、光のルネッサンス。イルミネーションに彩られて、とても素敵だった。
 ああ、よかった。ラッキー。仕事を終えて、歩く人達も、疲れが取れるのでは?



 淀屋橋から、梅田に向かう途中に、スーパーがあって、窓を向いたテーブルに座って、食事をしている。ニューヨークみたい。
 私もお腹が空いてきたし、野菜のサラダを買って、コーヒーを飲みながら。
ドレッシングは、3分の1くらいにして。

   

Posted by アッチャン at 13:02Comments(0)日々の事

2013年01月12日

初春初春大歌舞伎

     
     

  寿新春大歌舞伎を観に行きました。
 松竹座での,お正月公演は、え二代目猿翁、4代目市川猿之助、九代目市川中車の、襲名披露で、席はほとんど売り切れ状態。
 私は株主優待席なので、いつもは、一等席がいただけるのに、二階の一番後ろの8番目で、しかも、夜の部は、なかったのです。
 昨年の暮れに、顔見せで、南座に行った時に、1月の夜の部を買っていたのも、一緒にチケット引き替え機から、出て来ていたことを思い出したのですが、その券をきっと袋ごと破ってしまったようで、そのことも聞きに、受付に行った際に、この2階の8番席も,一等なのですか、と聞くと、それは二等の席だとのこと、売れが良いので、株主は、2等席しかなかったようです。



 ですが、2階の最後列でも、充分よく見えて、東京の新橋での、襲名公演に、かけつけた時よりも、はるかに、見えやすくて、良かったので、自費で買う時には、2階の二等にすればよいなあ、と思いました。
 ちなみに、一等は2万円、二等になると、1万円の半額で買えるのですから、一等は、二階席の5列目まで、通路を挟んで、6,7,8が二等なのです。
 顔見せの南座では、足も動かせないくらい前が狭かったけれど、松竹座は、充分足が組めるくらいの余裕があって、段差があるので、よく見えます。
 オペラグラスがなくても、綺麗に見えます。

  新橋まででかけなくても、良かったかな、とも思うのですが、新橋では、「黒塚」が観たかったので、はせ参じたわけです。



 松竹座の昼の部は、11時に始まって、2時半には芝居がはねるので、夜の部の方は、1時間ほど長くなるので、夜の部のほうが、値打ちがあるわ、とぼやいている人の声が聞こえてきたり。

  昼の部の、最初の出しものは、猿弥と笑也の,踊りがメインの舞台で、「スーパー歌舞伎」の役者さん達なので、歌舞伎界に育った人とは違って、型が出来ていない。
 猿之助が、一般の人達から募集して、誰でも歌舞伎役者になれるように、と作った「スーパー歌舞伎」は、宝塚歌劇、っぽくて、スペクタクルミュウジカルと言うべき分野のもの。
 大和タケル、三国志、などを思い出してもらっても、歌舞伎を逸脱して、スーパーなので、小さいときから、肉体芸としてしこまれた役者さんに比べると、型が出来ていないのが、目立つのです。

 まあ、そのお弟子さん達の中で、猿之助そっくりの、声色と動きを自分のものにしているのは、市川右近。
 二番目の出し物で、右近が相務めます「毛抜き」の弾正は、様になっていましたが。



 猿之助は、義経千本桜を昼の部では、「吉野山」を、夜の部では、「川連法眼館の場」で、佐藤忠信、または源九朗狐、を通しで演じていますので、昼夜を観ないと、その醍醐味は味わえないわけです。

 9月の松竹座で、勘九郎襲名公演では、「吉野山」を通してみたのですが、今回は、この舞台は、猿之助の18番で、宙づりをやってのけたのも、猿之助が最初でしたので、
 亀治郎改め、4代目猿之助として、歌舞伎本来の醍醐味を、踊りの名手でも定評のある、4代目の舞台、ワクワクするのは当然でしょう。

 沢村藤十郎の、靜御前との呼吸もぴったりと、見事な踊りを見せてもらいました。
 素晴らしかったにつきる、舞台です。あっというまに、終わってしまう。魅せられているとそう。
 長々としんどい舞台と、時間を忘れて、引きこまれる舞台。



 最後は、「桜門五山桐 」 夜の部の口上に変わる作品で、東京では、海老蔵の石川五右衛門に、猿翁の、真柴久吉を観ました。
 今回は、猿翁が、息子の中車にこの大役を演じさせ,、体力の消耗を押して、演技指導を行っていた,情景が、NHKのドキュメンタリーで紹介されていました。

 猿翁が、体調不良の為に、猿之助が代役を努める、というアナウンスがあって、不謹慎ではあるけれど、東京で猿翁は観ているので、猿之助の久吉が観られるので、嬉しくて。
 
  中車の五右衛門、第一声からして、歌舞伎の声色ではなくて、あの難しさ。
 海老蔵の五右衛門は、声が響き渡り、せりふの重厚な重さと歌舞伎独特の抑揚、立ち振る舞い、姿、歌舞伎の「型」と声色、雲泥の差があるけれど、五右衛門という人物には、役者としての演技で、なりきれていたので、これ以上は出来ないだろうというくらいに頑張っていました。
 



 猿之助の声は、会場中に響き渡って、三階のてっぺんまで、充分な声量。透明で台詞の、間、呼吸ですが、ゆとりがあって、姿形と、一糸乱れず、水もしたたる、気品がみなぎっていました。

 幕間の30分間に、道頓堀のくいだおれの中にあるから、とこの前築地の寿司屋で教えてもらった、「まぐろ三昧」に。
 テレビで最近、社長が、1億5千万でまごろの発競りを落としたことが話題になっていますが、その「まぐろ三昧」の関西出店のお店です。



 まぐろ祭りをやってて、大トロ、中トロ、などの3貫が、890円の所を590円になっていて、それを頼み、店長のお勧め3貫も。
 これは本当に嬉しいことで、これから、松竹座に行くと、ここ来るのが楽しみになりそう。
   

Posted by アッチャン at 15:36Comments(0)演劇

2013年01月12日

心の館「清水」 小料理屋




心の館「清水」
http://tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27013883/

母の所に行き、買い物をして、一旦帰って,夜から出かけた。
  以前に、2度ほど行ったことのある、「清水」に予約を入れた。
  この店は、予約しておかないと、2回ほど、満席で,断られたことが。



   以前に、店主から、鳥鍋が名物だと聞いていたので、寒い時期、食べてみたいと思ったから。
 行くと、予約していた,カウンターには、同伴デートの客が座っていて、店主は
「すぐに空きますから。」と二人がけの小さなテーブルに座った。
  着物姿の女性達は、店があるから、先に出て、お客の男性だけが残って、食べ残しの食事を食べていた。
 席を移るのも、おっくうなので、そのまま、この席にしてもらった。
すでに、新年会のグループが、気鋭を上げている。
 横にある席も、予約の札。
 お酒をキープしている人が多くて、ほとんどが、常連さん。



 3種で1800円、というのが、お得コースになっていて、店の外にも、その品書きが書いている。
 お造りと、金目鯛の煮付けに、お雑煮だった。
 この店は予約すると、突き出しが800円で,必ずつくので、この一番やすいコースでも、サービスの10パーセントと合わて、3000円くらいにはなるだろうが、それでも随分お値打ちには変わりない。



 お肌がつるつるになるという,鳥鍋は、夏場は,事前に予約がいるが、冬場は即日でも。



 コラーゲンたっぷりのスープに、地鶏をあらかじめ焼き目をつけたものと野菜のお鍋。 お造りと、金目鯛の煮付けの後に,,この鍋を持って来てもらって、お雑煮は最後に。



 こってりして、最後に,ラーメンを入れたら,あいそう。お酒のあて料理の店なので、辛い目。
 お初天神の裏側にある、この路地界隈は、小料理の店が多い。
清水、のトイレに、道場さん、落合さんとのツーショット写真が。
 
    

Posted by アッチャン at 00:17Comments(0)旅のグルメ

2013年01月08日

映画「レ、ミゼラブル」

 


 
http://www.lesmiserables-movie.jp/


ミューカルで、何度も観ている、「レ、ミセラブル」だけど、映画は、リアリティーを映像化出来るので、1830年代のパリの街、住んでいる人人の姿など、事細かく丁寧に作られていて、凄かった。
 尼崎の映画館は、新しいので、音響効果も良く、一緒に行った友人が字幕がよく見えるように、と真ん中から少し前に席を取ったら、音ががんがん響いて、失敗し5たかな、と思っていたが、実際に,始まってみると、全く気にならなくなって、そのど迫力を堪能。
 
 最初から最後まで、聞き慣れた、曲ばかりなので、それが、ミュージカルの良さを増してくれる。
 最初の、船底で鎖につながれて、働く,ジャンバルジャンは、年老いて、目つきも鋭く 人間らしさをすっかり失ってしまったように,眼光だけが鋭い人物、メイキャップ効果なのだろうけど、その後、教会から盗んだ銀食器を、牧師から,神様のギフトだと与えられ、生まれ変わって、数年後、市長として登場する時には、全く別人のよう。
 善良で優しく、ヒューマニズム溢れた紳士に変身している。




  大写しの映画だから、ごまかしが全然効かないので、同じ俳優が演じる二しても、年とは別に、人格まで変わるので、そのリアリティー溢れる、ミュージカルの映画化で、最も素晴らしい出来になっているのではないだろうか。
 出演者も全員が,自分の声で歌っていて、吹き替えではないというから、そういうことからも、いかに、このミュージカルに、リアリティーを求めたかが、想像出来る。

 撰んだ俳優の中で、最もはまり役は、ちびとよばれる、少年だったと私は思う。
あれだけの逸材を見つけるのに、随分、子供達の中から探したのではないだろうか。
 可愛くて、、見事に演じている。歌も素晴らしい。

 ジャンバルジャンの気品性を表現するのに、撰ばれた、ヒュー、ジャックマンは、イギリスの俳優で、以前に、メグライアンとの共演で、前時代プリンス役でも知られている。
 ジャベール警部には,最近の映画では「シンデレラマン」で貧しい底辺の暮らしから、腕と力でのし上がる人物を演じている。彼の名声を確固たるものにしたのは、剣士の役所で、今回の,正義だと信じて,執拗に追い求める,ジャベールの役には、ぴったり。



 そのほかの役も、皆素晴らしい。
 頼りないくて、善良,貴族の血もぬぐえない,マリウスも、ぴったりのはまり役。
 ジャンバルジャンと修道院で育った、コゼットは、清らかで、天使のような美しさを表現出来ていて、アマンダ、セイフライドはぴったり。

 若い恋に燃えて、男は去り、子供を産んだ、フィンティーヌ役のアン、ハサウェイも、熱演。声も良かったけれど、私のイメージとしては、ちょっと違う感じ。もっと小柄で、 母性的で,マグダラのマリアを泉のように、透明にしたような女性。そんな表現にぴったりで、ソプラノが歌える女性はいないので,映画だと、難しい。



 このミュージカルは、最初は、梅田芸術劇場が、まだ梅田コマだった頃、鹿賀さんと、滝田さんとの、ダブルキャストで、話題になって、何度か観に行った。
鹿賀さんの、ジャンバルジャンは、声が透き通って、美しく響き渡るのと、哀愁のある「歌い上げで、素敵だった。
 スッカリ、日本語で馴染んだ,ミュージカルなので、ブロードウェイで観た時も、きっとなお感激出来たに違いない。

 初めて見る,友人は、本で昔,読んだことがあるだけcで、初めてなので、本ほどの感激はなかったようだ。

 私も,マーガレット、ミッチェルの「風と共に去りぬ 」を何度も愛読していて、映画を観て、アシュレーにがっかりした。
 その後、何度も映画を観ていると、アシュレーは、ぴったりのはまり役だという思いに達した。昔の亡霊を抱いている,頼りない人。プライドばかり高くて、メラニーがいなければ、存在していないのも同じような人物。

何故、マーガレットがあれほど憧れたのかしら。それは、彼女にない、気品だった。アイルランドからの移民を父親に,持つ、スカーレットだから、父親とそっくりな性格で、アイルランド人なのだ。下品と言ったらなんだけど、スカーレットは、成り上がりで、アイルランドの暴れ馬。
レッド、バトラーが彼女に惹かれたのは、その野蛮性と自由さ、意志の強さ、我が儘。
レッドバトラーは、アシュレーを否定しながらも、チャールストンの名士の出。もともと紳士なのだが、家のアウトサイダー的な反抗心から、 皮肉な目で、観ていたわけだが、名誉を胸とする,紳士なので、負ける戦に,身を投じるようになる。



 すっかり脱線してしまった。
 レ、ミセラブル、これから、何度も観に行くことになるでしょうけど、
 怠け者の私、最近では、一人で行動することがすっかり,少なくなって、
 一人ではなかなか腰が上がらない。約束してないと、いつでも、になって、その日を逃してしまう。  

Posted by アッチャン at 12:01Comments(0)映画

2013年01月07日

お正月

  

 お正月に,いつも招待してもらって、お邪魔している友人のお宅に、
 泊まりがけで。
  ご主人が酒豪で,おつきあいの時間が長くなると、翌日は二日酔いで、気分が悪くなるので、去年は,日帰りにさせてもらったら、夜タクシーが来なくて、駅まで二人で見送ってもらって、迷惑かけたあので、今年は、勧められる通りに、泊まるつもりで、夕方、お宅に着くようにした。
 コナミで入浴して、飲み支度を調えて、土産物をスーツケースに入れて、がたがた押しながら。
 東京に行った時に、友人が、そんな風にして、旧友への土産を持って来ていたことを思い出して、家にるものを積んで持って行った。
 途中でお酒と、息子さんへのお供えを入れて。
キャリーがあると沢山運べる。
 駅に着くと、車で迎えに来て、ご主人は,車を移動させて待っている間、何度も動かしていたとのこと。バスが行き来する狭い道なので、申し訳ない。
 彼は,緑のジャガーに乗っている。
 お昼も食べずに、待っていたらしい。
 二重に申しわけない。
 あたしの好きな,サントリープルミエルを一箱買っていてくれていた。



 私が悪い酔いしないように、と、今年はビールばかりで。
持っていった、ローストビーフが、美味しいと好評だった。
かまぼこのほうは、それほどたいしたことなくて、想像していたほどではなかったが。
なまこ、マグロのとろと生たこのお造り、鯛の子とにしめ、数の子、などの正月料理に、ビフテキ、長い時間をかけて、ご主人の話を聞きながら。
 仲の良い夫婦で、いつも話題が絶えない。
 食後は、ウィスキーでオンザロックを飲みながら、ご主人の若い頃の乗馬のビデオを見たり、またずっと話っぱなし。
 気づいたら、夜中の3時。
翌朝は、二日酔いもなかった。ワインとチャンポンしなかったからも有るが、手酌で、ということで、私がセーブしていたから。



 遅い朝食を食べて、駅までの道、二人で散歩がてら送ってもらった。
お正月で、一人は寂しいだろうから、と私のことを思ってくれる、かけがえのない友人。

  

Posted by アッチャン at 10:46Comments(0)日々の事

2013年01月02日

大晦日のご報告、今頃?


   コーヒーブレイク


 大晦日、あらかじめ、お掃除をして、スーパーのリサイクルボックスに入れるものを積んで、車のエンジンをかけると、全部の箇所に、電気がついて、変な音がするが、エンジンがかからない。ガガガー、ガガガー。
 大晦日に、車の故障。車検から、修理までしてもらっている、近くにガソリンスタンドに電話して、気が引けながらも、来てほしいと頼んだ。内心、大晦日の一番忙しい時間だから、人手がないのでは?と諦めに似た気持ちだったが、しばらくしたら、来てくれるとのこと。
店長がやってきて、故障はバッテリーだった。
店長は,今日すでに5軒、バッテリーの交換に行って,丁度帰って来た所だったとか。
一旦店に帰り、バッテリーを持って来て,交換してもらった。やれやれ,助かった。
こんな時だから、負けてなんて言えない。有り難いのが先立つ。
 店長の方から、安くしてくれるとのお言葉。
 「美人は徳ですよ。」なんて,嬉しいことまで。

「今度は力仕事をしますよ。」見るからに、一人暮らしだということがわかる。ガレージの中は山のようながらくた。

支払いに,店に行くと、車が一杯で、しばらく路上で待つくらい。
 店長は、値段はこれだけだと言って、電卓を。「お金ばかり出してもらうのは恐縮するから。」と。
 先日、冬タイヤを積んで,タイヤ交換に行くと、3年使った冬タイヤのゴムが堅くなって使えない。
 通常のタイヤも、この前,オイル交換した時に、交換時期が来ていると言われていた
店長に「出来るだけ負けてあげてください。」と言われた店員は、仕入れ帳を見せて、原価で、500円の作業量だけで、値段を出した。
 普通タイヤに、アルミホイールを買って、今着いているにを、スタッドレス用にした。m春に、普通タイヤの交換分まで,前払いしていたから。その前にも、オイルの交換時に、別のオイルも交換したので、出費があった。
  家でバッテリーがあがったので、良かったですよ。と店長。
確かに、それもラッキーだった。 乗って出かけている時だと悲惨。

 母の所に行くと、お餅つきがあるとのことで、私も一緒に参加した。
コナミが6時に終わるで、早い目に出た。
家のゴミも捨てることが出来て,母にも会いに行けて、コナミにも。車様様。
コナミのプールで歩き始めて、今日はいかりが、6時で閉店だということを思い出した。昨日も行って、買い物はしていあるが、母に持っていった、田村のみかんが、とても美味しいのと、ベルギーチョコを使った,ザッハを買って、二日におよばれの友人に持って良いってあげたい。というので、コナミはさっとお風呂にはいって、イカリにマにないように出た。
 門戸のイカリは大きいので、品数がとても多い。
 沢山の人が来て、値下げするのを、取り合うように買っている。
私は,前日もその前にも、イカリで大概のものは買ってしまっていたので、いるものはなかったのだけど、つられて、8千円も買ってしまった。
 その中に、写真のおせちも。

 みんな,知っているののだ。大きな祝い鯛を、二つも買っている人がいる。
 ふぐや、お造りなどの魚は、どんどん売れていく。だって、何千円引きなのだ。

 ザッハは、とっくになかった。ケーキ類は全てなし。
 おせちの大きいのも、寿司も、とにかく、3日間休むから、生ものは、おお値引き。

 知っている人は、これで、毎年、この日にかためて、やってくるのだろう。
 籠に二つも三つも、盛り上げて買っている人もいる。
「予算オーバーだったわ。」と店員に2,3万を支払っている。

 関西スーパーの10パーセント引きの日に、苦楽園の店に入るために、ずらっとベンツやBMWが並んで待っている。
 金持ちほど、けちだと言うけど、すごいなあ、といつも感心して見ているが、大晦日のイカリは、狙い目中の狙い目なのだろう。
 家族のいる人達は、いいなあ。かいがい有るもの。  

Posted by アッチャン at 10:43Comments(0)日々の事

2013年01月01日

あけましておめでとうございます。



   いかりのおせち一人用?



  あけまして、おめでとうございます。
 旧年中は、このブログを見ていただき、
 本当にありがとうございます。
 飽きっぽい私が、なんとか、飛び飛びにでも、
 続けて来られたのは、読んでくださっている方が
いてくださっているお蔭です。
  今年もよろしくお願い申し上げます。 

 大晦日の夜、テレビで、オーケストラの終了と、新年を迎える時間とがぴったりという感動的的なシーンを、一人で見ていますと、子供の頃の,家族が賑やかだった頃のことが,何故か思い出されました。
 昔は、夜通し、店が開いていて、母達は忙しく、まだ働いていました。
 新年の朝は、父が一番風呂に入り、私達家族は、新しい下着に袖を通す習慣がありました。



 物の豊かな時代ではなかったので、暮れには、庭に杵と臼を置き、家族と従業員が総出になって、餅つきをしました。
 会社画扱っている、重油のボイラーで、餅米を炊きあげる野で、次から次に、できあがってしまうので、男達は、餅つきに,汗を流し、母は,水取り役で、かけ声が、冬の空に舞い上がっていくようで、
 子供達は、できあがった餅をこねる役を授かって、餅箱は,何倍も餅で埋め尽くされ、それらは、働く人達の,正月用の食に役立ったよいうです。


 家中に,醤油と砂糖、しいたけや、ごまめだどの混じった匂いがして、
すっかりお掃除を終わった、部屋という部屋は、ぴかぴかに磨き上げられて、張り替えを終わった,真っ白な障子から、ほんのりと、のちの匂いも漂って、
 しんしんとした,神聖なお正月の、独特の匂いと空気を思い出しました。
幸せな時間は、心の思い出の中で、決して消えることなく存在しています。





オーケストラの最後は、「運命の力」です。
私の人生も、運命の力によって、ここまで、私を運んできたのでしょう。
 たとえ、自分が選択し,切り開いて来た道だと自分の意識ではそう思っていても、その そういう意識に導き、二者択一か、それとも迷いなくの道を選んで来たとしても、それの背後には、「運命の力」があるのではないでしょうか。

 人気のない部屋で、年越し蕎麦を食べ終わった頃、電話がなりました。
息子からです。
アメリカは、まだ大晦日の朝なので、明日にでも電話しようとお持っていたのです。
深夜に、息子と話しが出来て、沈黙がはじけ、部屋中に、声が広がって、
しばし、賑やかな時間。

 私のお正月は、息子の声で始まりました。
 朝までテレビの討論を4時くらいまでがんばって見ていたけれど、そこまで。
新年も寝坊から。
 徹子の部屋を見ながら、お雑煮を食べて、逝ってしまった人達の,楽しいトークを見て、 生きているうちに、一生懸命生きることだけ考えて、未来に向かって,生きていくことだけ考えていなさい、と亡くなった、森繁さんの言葉に、勇気づけられる思い。
そのつい前に、「エンディングノート」を作っておきなさい、との経済学者のコメントアドバイスを受けて、書いておこうか、なんて考えて、すっかりしょんぼりしていて、やらない掃除なんかもやるきになってたものですから。

今年の目標は、未来に、幸せの期待を一杯抱いて、ワクワクしながら生きて行くことに決まりました。

  ヨーロッパを、以前のように、リュックを背負って、小さなキャリーバッグをひっぱって、旅したい。
 母がいるので、長くは行けないから、小旅行になるけど、お尻を軽くして、身軽に。

 元気出して、いきまっしょ。

 おつきあいくださって、よろしくお願い申し上げます。
   

Posted by アッチャン at 13:22Comments(0)日々の事