2013年02月23日
パンテオン、中世、モロー、オーランジュリー
朝、まだ雪が舞っていた。道路の橋に、昨夜の雪が風に寄せられて,残っている。
凄く寒い。手袋の嫌いな私も、なくては歩けないくらい。
バスを待っている間も、動いていないと震え上がるほど寒い。
ルクサンブルグ公園で降りて,パンテオンまで上がっていく。
バスの中も、冷え冷えしていて、パンテンの中にはいっても、所どころに、ストーブが置いているくらいで、寒かった。
子供達が、郊外学習に来ていた。パリの子供達は、よく、あらゆる美術館に来て、授業している。実物を前にして、贅沢な授業だ。
聖女ジュヌヴィエーヴ祈願して病気を治してもらった,ルイ15世が、このパンテオンを作った。
ユゴーがここに埋葬sれるようになて、民間人もここに埋葬されるようになったという。
墓所のある地下に、降りると、ルソーとヴォルテールのお墓が両側にあって、その奥に行くと,ユゴー、エミールゾラ、ボーマルシェ、などのお墓がある。
人間は必ず死ぬので、このおほうが現実なのでしょうが、気持ちの良いものではない。
ルソーとヴォルテールは、啓蒙思想家、哲学者として、18世紀の代表的な人物だから、特別に扱われている。
パルテオンを出て,中世美術館まで歩いた。
ここは、吉田さんが,息子が来た時に,パリ中を歩いて,案内してくださった時に、美術館には、入らないで、見た所。
昔、一度,美術館を見て、感激したことがあった。まだパリも、ヨーロッパも知らなかった頃だ。
ここは、タピストリーが素晴らしいので、知られている。
その中でも、「一角獣と貴婦人」が有名だ。
その部屋で、何枚かの素晴らしいタピストリーに囲まれるようにして、しばらくみていたら、一角獣が、とてもかわいらしく描かれているのがあった。他の一角獣は普通に描かれているのだけど。
それにしても、これほどの美しい、タピストリーは見たことがないくらい、素敵だ暗い照明に浮かび上がって、魅せられる。
これだけで、この美術館に、足を運ぶだけの値打ちは充分ある。その美しさ、優美さ、中世の宝物よりも魅せられる。
中世美術館を出て,サンジェルマン、デ、プレの方に歩いて行った。
ドラクロワ美術館に行く為に。
お昼時、お腹が空いていた。
息子と入った、「レオン」が角の所にあって、沢山、人が入っている。
ベルギーの本場から、店を出している、ムール貝の専門店だ。
11,5ユーロだったかの、ランチメニューの紙がはってある。
サラダと、料理と,デザートで。
安い店だから,人気なのだけど、ムール貝の好きな人にも、うってつけのお店だ。
隣の女性は、ランチではなくて、沢山入ったムール貝を注文していた。ベルギーと言えば、ビール。ムール貝には良く合う。
けれど、私は白ワインに。寒いからビールを飲むきになれなくて。
隣の女性は、ビールをちびりちびり,ジャガイモのフリットをおかわりして、ムール貝を食べている。
私の注文したものは、形だけのサラダに、400グラムの,ムール貝、ジャガイモのフリットついている。
デザートに、プリンのブリュレ。
どれもたいして美味しくないけれど、安い店だから、ムール貝の好きな人達は、充分満足している。
ムール貝も、一度は食べないと、パリに来た気がしない。昨日のレストランが美味しかったので、口が肥えていく一方だ。
ドラクロワの庭
ドラクロワ美術館は、画家が最後を迎えた,アトリエを開放しているので、作品はほとんどない。「冬の花 」という展覧会を開催中。
庭には、花が植えてあって、ドラクロワは、花を愛して、そのスケッチなども展示している。
ドラクロワ美術館の入り口
そこから、地下鉄に乗って、トリニテにあるモローの美術館に。
ここは、何度も来ている。モローの館が美術館になっている。
二階に上がると、アパートの部屋、3階と4階に、モローの絵画と、莫大な数の,デッサンやスケッチが納められている。
時間があれば、一日中居て、じっくり見なきゃやいけないくらい、沢山あるけれど、
私はいつも雰囲気を味わって、しばらく見て帰るだけ。
あと、もう一軒、私の大好きな、「オーランジュリー」にも行きたかった。
コンコルドに出て、オランジュリー美術館では、閉館までの,1時間半、たっぷり取っていた。
ゴーギャンの風景画
ここは、モネの「睡蓮の部屋」で有名だけど、ルノワール、ゼザンヌ、モネ、等の素晴らしい作品ばかり。その上、ルソーの絵画も他では見られないくらい沢山ある。ローランサンの作品も。
ルソー
ローランサン
モネ
ルノアール
そして、ユトリロの、白の時代の絵画、中でも、最高傑作は、「ベルリオーズの家」だろう。ユトリロの絵画は、なんといっても、白の時代、のものが良い。
ユトリロ
マチスとピカソの作品の、素晴らしいものばかり。それに、モジリアーニ、ドラン、最後に,スーチン、沢山の絵画が見られる。
これほど、各作家の,授玉の、粒ぞろいの美術館はないだろうと思われるくらい。
それというのも、ここは、ポール、ギヨームが、こよなく愛し,手元に置いていた作品を展示しているから。
ローランサンの絵画は、「ピカソとルソーの間」と言った,詩人、アポリネール。
アポリネールが中に入って、ローランサンは、ギヨームの妻,ドメニカ」を描いている。
ギヨームに、絵画の収集と、画廊を作るのを勧めたのは、アポリネールだったとか。
モジリアーニ
終わりまでの時間、モネの睡蓮の部屋で、足の疲れを休めながら、椅子に座って、ぼっと睡蓮の池を眺めていた。
睡蓮の部屋は、奥と、手前と二つある。こんなに空いているのは、めったにないこと。
私は思う。
日本人も、アメリカ人も、大好きなモネがいなければ、印象派の作品が、絵画の歴史を塗り替え、その頂点に、君臨して、印象派の流れをくんだ,一連の絵画の宝庫は生まれなかったのではないかしら、と。