2013年03月31日

あこや南森町店


      


  大阪は、くいだおれの町、神戸は、はきだおれ、京都は、きだおれの町、と言われたのは、
昔の事だけど、くいだおれ、という点では、大阪は、お客満足度が多いのでは?
高くて美味しいものは、当たり前で、値打ちあるなあ、思わせる店は、だんぜん大阪が、
トップではないだろうか。




この春休みをかねて、道頓堀には、スーツケースをひっぱりながら、若い人達は、たこ焼きに列を作っている。
向かいの、金龍ラーメンでも、ほとんどが、観光客のよう。
私は、歌舞伎座のチケットを取りに、松竹座に行って、その光景を垣間見たわけ。
創業120年を超えた、お好み焼きの美津乃の前で、まだ11時だというのに、開店を
待っている人達がいる。
平日のまだ午前中なのに、なんでこんなに、人が多いのか、と思ったら、地方や、海外からの観光客だった。
南は、復活して、人が多くなっているが、北の方は、オフィス街が多いけれど、夜は
サラリーマンで、平日の方が、賑わっている、曾根崎通りから、お初天神、北新地と言った
メインから、外れて、天神橋から、西天満、あたりも、美味しくて、値段の安い店が多い。


南森町も、それらの一角。
先日、とても美味しい店をみつけた。
阿倍野に、家があって、そこから通って来るという、店のおやじさんは、鮨屋だったそうで、
息子さんも鮨職人だったそう。家族で経営している、小さな店。
酒飲みの友人たちが、きっと喜びそうな店だ、と思う。
日本全国から集められた、酒と焼酎の種類が豊富で、隣にカウンターに座っている、女性客も、日本酒を飲んでいた。
160ミリでの値段は、越乃寒梅でも、どれでも、700円くらいで、半分の80ミリも、出してもらえるので、いろんなお酒を味わいたい人や、それほど強くない人にも、料理に合わせて、楽しめる。
手間暇かけて、丁寧な料理を出してもらえるのも、小さな店の利点でもあるが、
料理人の、心意気がそうだから。




お造りをどれにしようかと、迷っていたら、一人一切れづつみつくろって、出しましょうか、と。
そういうことも、臨機応変に、好みに合わせて、作ってもらえる。
さすがに、鮨屋さん、魚の吟味が素晴らしい。
注文したものは、どれ一つとっても、ひと手間かけて、と言われるように、最高の状態で
出してもらえる。





路地裏にある店だけど、見つけたのは、はやり、「食べログ」での評価点の高さだった。




運よく、その日はカウンターに座れたけれど、予約がほとんどの店。
北の中心から、少しそれるので、なかなか、足を運べない店だけど、
手間暇かけた、「くいどうらく」を楽しむには、こちらもちょっと足を延ばして、
手間かけ必要あり、ということだろう。


いわしのフライ

きくなのおしたし

ちなにも、この店の名前は、「あこや南森町店」

 この近くには、沢山、美味しくて、値段の手頃な店がいjくつもあるようです。

  

Posted by アッチャン at 10:49Comments(0)旅のグルメ

2013年03月29日

映画「愛、アムール」


   


アムール「愛」
老夫婦に起こる現実を映画化した、作品。
脳梗塞で半身不随になった妻を、看病する夫。
二人は音楽家だった。
妻は認知症が進み、夫は、老老介護に体力も気力も
失って、妻を枕で抑えて、死なせる。
妻を先立たせ、自分も自殺する。
看病にかかる金銭問題。
離れて暮らす、娘夫婦は、老人の現状を把握できない。
自分達だって、若いころはそうだった。
たまにやってきて、あれこれ指図をしたり、医者に見せろとか、
病院に入れろ、というだけで、引き受けるわけではないし、
現実に、それは無理な話なのだ。
「生活」がある。



アムール「愛」が、夫婦を結び、長い、幸せな人生を、二人に
もたらした。
二人の間に出来た、娘は成長し、恋をして、結婚。
彼らは、また、愛で結ばれ、愛しあって、暮らしている。
妻は、今の姿を、人にも、娘にも見られたくない。


新進気鋭の若いピアニストが訪問し、教師の半身不随で硬直した手、弾けなくなった姿を
見た、教え子のピアニストは、のちに、「会えた嬉しさと落胆」を覚えるという手紙を、
彼のCDと共に、送って来る。
彼のピアノを聴いていた妻は、手紙の言葉を聞き、止めてくれと頼む。
彼女は、もはや、彼の教師ではなかった。



病院に入れないで、夫が彼女の世話をし、通いの介護を依頼した。
妻は、夫にだけ心を開く。
言葉を失っても、夫にだけはわかる。
疲れ果てた夫、世話をする力がなくなって、
やがて、終わりの時が。



日本でも、老老介護に疲れ果て、連れ合いを殺害する事件が
時々起こっている。
人間が、最後まで人間らしく生き、死んでいくには?
主のいない、アパートに、娘がやってくる。広い空間。
部屋を見渡しながら、座る娘。

アムール、A MOURIR   RIRE 

愛とは、「死んでいく」「死に向けて」と、RIRE 「笑うこと」

 という二つの言葉でできている。




 映画館の傍にある、公園で、桜の花がでに満開だ。

 日本の桜、

 散り際が良い、潔い、つかの間の命を燃やす花、として、古くから

 日本で愛されてきた花




 命短し、というのは、過去のこと。

 昔は、人間50年、と織田信長が言ったように。
 今は、100歳か白菜か、金さん銀さんの後を続く
 長生きの時代。

 桜を命に例える人も少ないだろう。

 寛一お宮じゃないけど、「千年も万年も生きたい」との
希望に向かって、先端医療技術は突進していく

してみると、愛が欠如しているのは、当たり前のことなんだ




 花より団子で、美味しいランチ、栄養を考えて、ちまちま
一杯入ってます。 
サラリーマンに人気の店のようで、ちなみに、お値段は880円
映画のチケットで、10パーセント引きです。

 他のお客は、800円のランチ。どこが違うのか、わかりません。
 同じようなのですが、小さなたらこと、しいたけが、入っているか
いないかの違いでした。
 ご飯も味噌汁も、お変わり自由。



どれでも高い、という人は、隣のカツどんの店に並んでます。
ここは、「がんばってます。600円」の店でした。  








  

Posted by アッチャン at 13:43Comments(0)映画

2013年03月26日

    

母は、いつまでたっても母であることを忘れない。
子供のことは、いつも心配でたまらない。
お金があるかどうかと。体は大丈夫だろうか。
しっかりと食べてるかどうか。
よく眠れるかどうか。
疲れていないか。寂しくはないのか。
世話をしてもらえる人が傍にいるだろうか。
着るものはあるのだろうか。
母は、いつも心配している。
施設の窓から、通る人がいるたびに、
笑顔で手を振るうちに、
幾人かの人たちは、通る度に、
母が座っている窓辺を見ながら
歩いき、母の姿を見ると、
笑顔で手を振ってくれるように
なった。
男の人も、犬を散歩する夫人も
学校から帰って来る子供たちも

母は、いつも笑っている。
施設で働いている人たちは、
母の笑顔に癒されるという。



母にはかなわない。
母の心は、あまりにも大きい愛で
一杯で、有り余るほどで、はち切れそうだ。

誰にでも、持てるもののすべてを
あげたくて、タンスの中を探す
おかしいわね少しは、お金があったはずなのに

お金がないと、自分の衣服を選び出す
これ持って、帰ったらいいわ

持っていった食べ物を、母は食べないで
包み、これ美味しいから、持って帰って
食べてね。という。
お母さんに食べて欲しくて、
持ってきたのよ、というと、
母は笑って、「あら、そうなの。」
と嬉しそうに言う。
そして、私が気づかないうちに、
そっと、私のバッグに入れている。

いつものように、単純な繰り返し。
愛と愛との交換の繰り返し

私は、母を思うと、心が張り裂けそうになる。
心は、母で一杯になる。

母は、自分から、人に話しかけることはない
母はいつも笑っている。
謙虚で、偉ぶった所が全くない
我儘を言わない
辛抱強く、「痛くない?」と聞くと、いつも
「いいえ、どこも痛くないわよ。」
心臓の不整脈が激しい時も、顔がチアノーゼに
なっている時も、
相当の熱があるときにも、
「「いいえ、大丈夫。どこもしんどくないわ。」

その母が
「ここでそのうちに、死んでしまうわ」と言う
死んだら、なにもかもおしまい。

母の体にしがみついて、
いつまでも生きてね。と念願する
「そうだといいけど、そのうちに、死んでしまうと
思う。仕方がないわ。」

母の頬は柔らかくて、気持ちが良い
  

Posted by アッチャン at 17:36Comments(0)日々の事

2013年03月25日

越前陶芸の里から、三方五湖

  
     

  今夜の泊りは、越前陶芸村の旅館に決めていた。
宿に入る前に、越前海岸を見に行くことに。
越前というと、すごく時間がかかるというイメージを持っていたが、
案外早く行ける。
大津からは、高速を使わずに、一般道路をのんびり走り、途中で、
写真を撮ったりして休みながら、3時過ぎには、越前海岸に。
水上勉の「越前竹人形」というイメージを持っていて、暗いと
思いこんでいたけれど、快晴に恵まれ、海もおだやかなので、
そんなイメージはないが、この海岸から、眼下に見える海は、色が黒く、岩も黒く、
時間と共に、波が荒くなって、岩にぶつかって砕ける海が、真っ白になって、広がる。
見ていて、あきない。


北朝鮮に拉致された人々を思うと、恐ろしくなる。


越前といえば、水仙の町でも有名で、傍に、水仙の丘があって、海岸から、道を挟んで、
のぼり道になって、灯台へ続く、丘には、水仙ばかり。


もう少し、早ければ、満開の頃で、良い香りが漂っていたのだろう。
越前は、越前かにも、名物の一つ。




蟹シーズンの最後の月でもあって、蟹も食べたい所だが、ネットで調べたら、2万8千円うらいなので、そんな贅沢は出来ない。
私が選ぶ宿は、二食付きなら、1万5千円までの上限を目安にしている。
海岸あたりの宿は、やめて、陶芸村にあう、4000坪の庭に、5部屋の宿、という
「樹香園」という宿に決めた。
通常は18000円のコースなので、悪くはない。利用客の感想を見て選ぶ。
お風呂のお湯は良いけど、小さくて、家の風呂のほうがまし、と書いているので、
海岸沿いにある、温泉のどこかで、入っていこうと思った。



地図にある、温泉のお勧めで、海の展望が、穴場ちゆうの穴場、と書いている、公共の施設に付随している、「さざなみの湯」を選んだ。

入湯料は、400円。
中は閑散で、一人だけ入っている。その人も、すぐに出て、私だけ。
肝心の展望は、隠しの紙を貼っていて、見えない。
次に入って来た人に、展望につられて、ここに決めたというと、その人は
この施設の従業員で、毎日入って帰るのだそうで、以前は、この紙がなくて、気持ちよかったのだけど、外から見えるというので、貼ることに決まったとか。



その人と話をしちるうちに、他の展望温泉についても、情報が。
この辺りは、どこでも、500円で入浴できる。一番人気の所は、土日は、満員で、着替えの部屋も、床はびちゃびちゃ、とても入る気がしないのだそう。
日本海、という温泉は、露天もあり、海と一体で素晴らしいそうだ。
私は、清潔で専用風呂のような温泉で、良かったわけだ。
夕日が素晴らしいらしいが、そでまでは時間がある。



そこを出て、宿に。
確かに、広々していて、掃除も気届いて、良い宿。
食事は、スペシャルというのだけど、量を少なくしてもらっている。
沢山、次から次に出てきたら、もったないので、食べるのがいけない。



体が冷えて、もう一度、宿でお風呂に入った。
コメントとちがって、改装していて、綺麗だし、それほど小さくもない。
お湯は、つるつるで、滑りそうなくらい、とろんとした温泉。
トイレも洗面所も、部屋にないのが難点といえば。
部屋は広くて、12畳もあるのに、窓を開けると、道路が見えて、中が見えるから、開けられない。
トイレは、二つしかない。
この宿は、5室だが、30人まで泊まれる。



料理旅館なので、大広間で、宴会があって遅くまで、ワイワンやかましかった。
食事の味は、申し分なかった。



造りが特においしかった。
すき焼きを用意しました、と言われて、これが、量を減らすのに選んだ、料理のよう。
品数は、5品くらいになっていた。




これでは、何も言わなかったほうが、良かったかも。品数は少なくて、ボリウムのあって、
ありきたりの食事。魚が造りだけで、物足りない。
陶芸の里だけあって、越前陶器の良いものを使っている。



石油ストーブを、廊下や、広間に、置いているけれど、寒くて、冷えあがる。
特に、トイレが寒いし、その横にある洗面所も冷たくて長居は出来ない。



お風呂は、11時まで。
夜中、寒くて、寒くて。
朝食に、食事処まで行く。晴れているのに、屋根から水が流れている。霜だった。
朝の冷え込みと、日中は、上着はいらないほど、温かく、差が激しい。



陶芸の里なので、陶芸会館や、陶芸直売、陶芸の体験など、陶芸に関するすべてが備わっている。
植木や、盆栽を陶器に入れて、売っている。
これは、良いアイデアをいただいた。



備前焼の器を買って、料理が合わないので、処分しようか、でももったいない、と置いていたものを、使って、観葉植物を入れたら、さぞ映えるだろう。



本当に好きな器を買って、それを使ったら楽しいだろうな、と思う。
嫌いなものは、さっさと捨てて。
でも、なかなかそれが出来ないもので、嫌いなもの、というのがない。まあまあ、のものを
使っている。特別ではないにしても。



朝食のテーブルに、小さな一輪挿しの器があって、これなら、買って帰りたいと思った。
同じようなのがなかった。
似たようで、違う。



陶芸館で聞くと、
宿は、相当年代ものの良い陶器を使っているそうだ。 



欲しいものは、手に入らない。
人間の一生は長いようで、短い。
身の回り品、とか、身に着けるもの、というには、長い年別が必要なのではないだろうか。
愛用品というのは、そういうものだろう。
好きだから、買ってみて、気に入らなくなって、捨てていく。
そんな生活はしたくないものだ、と思う。
もう今からでは遅いけれど。



帰りの道は、敦賀から、三方五湖を経て、小浜から、高速に入る道を選んだ。
ぐるっと一周してくるかっこうだ。

三方五湖は、青口うなぎの産地で、うなぎの専門店がいくつか。
徳右ヱ門、という店を、産直の野菜を売っているおばさんから、教えてもらった。
1050円のお弁当をいつも食べるのだそうで、その店から見えている、三方五湖に面した店は高くて、勧められないと。
店のに行くと、美味しそうな、匂いが漂う。


入ると、そんなに安くはない。
京都の「梅ノ井」級の値。持ち帰り用に、お弁当があって、その最低のが、1050円だ。
上がって、普通のうなぎ丼を注文した。




普通でよいのか、と何度も念押しされ、注文を終えてから、なんだか不安に。
不味いのかしら、とか、国産ではないのでは?
他の客は、4200円くらいの、うな重か、それ以上のものを注文していたようだ。
普通のうなどんは、美味しかった。肝吸いもついて、1680円。



1050円の持ち帰り弁当と同じものだろう。
おばさんが勧めてくれたように、とても美味しかった。
梅ノ井でも、並と上、特上の違いは、うなぎの大きさの違いだった。
大きなうなぎが出ても、食べられないのだから、これで十分。





夜まで、ずっとお腹が空かなかった。


  

Posted by アッチャン at 14:44Comments(0)旅のグルメ

2013年03月25日

大津から、越前に

    
     

  
 金曜日の夕方から、2泊3日の小旅行に出かけた。
長らく行かない、琵琶湖で一泊して、北に上がり、越前海岸に
行く予定をたてた。
新しいコンピューターへの切り替えで、四苦八苦していて、
通常使っている、メールへのアクセスができなくて、そのことが気になって、
ホテルの予約は、前日の夜中。


大津プリンスホテルが、わけありの一泊7000円というのに、決めた。
母が元気だったころ、母と一緒に、泊まりに来たことがあった。
その時は、お正月の準部で、お疲れ様、という設定で、6800円だった。
今回もわけありなので、どの部屋になるのかは、ホテル側の都合しだい。
じゃらんでは、20階以下という設定だった。
久しぶりに、使った、高速道路、大津まで1900円もかかった。
父がいた頃は、毎年、お正月に、近江神宮にお参りする習慣があって、
いつも高速道路を使っていたけれど、こんなにしたっけ、と思う。





プリンスホテルは、温泉がないのと、駅から離れていて、不便なのが難点。
琵琶湖ホテルは、便利で、温泉もついているけれど、こちらは随分お値段が
違う。こちらも母と2,3度泊まっている。
母が元気なうちに、あちらこちらと一緒に、旅行できて、良かったと思う。
父母と一緒に、息子を入れて、随分沢山の場所に出かけた。

人間は、毎日、死んでいく。一日、一日、死に向かって、進しか道はない。
だから、今を大切に、楽しみながら生きていたい。
父は他界し、母は、お墓詣りに行く、道すがらも、危ないから、と恐怖を感じるようになっている。父が亡くなっていことも、母には理解できくなっていて、
早くそこから立ち去りたいと思う。



そういう母なので、よけいに、母と一緒に、楽しんでいて、本当に良かったと
思う。
父は、あと十年, 生きたいと言いながら、事故で亡くなった。

大津プリンスに到着して、夕食は、駅の周辺の居酒屋にいくつもりだったが、
遅くなって、中のレストランで。
団体客がどっとはいってきて、エレベーターが混雑。
私の部屋は28階だった。
一階にある、中華の店で、夕食を取った。とても美味しくて、正解だった。
中国人の団体のおかげで、33階にある、レストランをやめて、中華にしたから。
翌朝、琵琶湖傍を走って、マキノを通って、越前に行くルートを選んだ。
琵琶湖を走っていると、一度に、様々なことが思い出された。
子供のころ、車の後ろ座席に、毛布を引き、琵琶湖に海水浴に出かけた思い出。
白髭神社の近く。帰りは、疲れた子供達が、寝て帰れるように。




確か、琵琶湖ロイヤルというホテルがあった。お正月に母と泊まったことがあった。
永原にある、リゾートホテルにも、泊まった。海津大橋の桜が綺麗で名所になっている。



昼食は、その近くで。
外から見れば、普通の小さな、食事処だが、中に入ると、大きな厨房があって、
板前さんは、年配で、美味しそうな店だった。
うなぎもステーキも、まだ入荷していないとのことで、おまかせ定食を頼んだ。
1350円という安さ。夜の定食ぐらいのボリウム。



マキノの近くを走って、次に、海岸線をできるだけ使って、越前海岸に。



  

Posted by アッチャン at 12:45Comments(0)旅のグルメ

2013年03月21日

玉三郎の朗読会

   


 新しいコンピューターを買った。今使っているものは、丸四年にもなっていた。どうりで、フリーズして、遅くて、使い勝手が悪くて。
下取りにとってもらうために、新しいコンピューターを早く起動させて、とあれこれ。もう三日目。
友人から、「玉三郎のチケット買ったといってたね。」とのメールをもらった。
今日、正確には昨日だった。
また、ちょんぼをしてしまった。
私はすっかり、22日と思い込んでいた。金曜日だと。なぜそうなったのかわからない。たぶん、新阪急ホテルのトークショウとだぶったらしい。
それにしても、送られてきたチケットの袋を開かずに、よくまあ。
最近、自分でも、ほとほといやになって、本人に愛想尽かし。
でも、今は頭がぼっとしているので、思考停止の状態だから、悲しみはない。
朝になれば、どっと押し寄せてくるかもしれない。
まだ、一太郎を入れてないので、ワードを使ってみた。
間違いを訂正しっていけるので、これは便利かも。
昔は、日本語には、日本のソフトが字も豊富でよかったが、これならまあ、変わらない。

急に暖かくなって、近所の桜も花が咲いている。
お花見は、今月末までだろうか。
やはり、残念。玉三郎の朗読をあれほど楽しみにしていたはずなのに。
大事に、タンスの中にしまい込んでいたチケットを出して、ため息。
さ、もう寝よう。明日は明日の風が吹く。
  

Posted by アッチャン at 02:41Comments(0)日々の事

2013年03月19日

映画「千年の愉楽」




  http://www.wakamatsukoji.org/sennennoyuraku/

  若松監督の遺作となった、「千年の愉楽」を梅田のテアトルで観た。
 生まれて、死んで、生まれて、死んで、生まれて、死んで,人間の輪廻が繰り返される。  殺されても、践まれても、生命は、底からふつふつと沸き上がってくる。
 生き血を吸って生きる、バンパイヤーというものを、想像して作品になった、「ドラキュラ」は、生き血を吸って、永遠に生きながらえている。
 この映画の中で、女の亭主に刺されて、血を流して死んでく,若者は、肉親の血のたたりだと言って死んで行く。
 次に出てくる、若い男は、平々凡々にただ生きていくことなんか出来ない。頭に血が上り、血が騒ぐような、危険な行動を求めている。そこに、泥棒に入る事を誘われて、待ってましたとばかり飛び乗る。最後はおぼれた女の亭主に刺されて死ぬことに。
 最後の青年は、北海道の建設現場に行き、抵抗運動で死んだ、と風の便りに。
 彼らは皆、飯場で働くか、山に入るか、の肉体労働者。彼らを取り上げた、助産婦は、「どんな状態にあっても、私がここにいる。」と言って、有りのままに受け入れる。彼女は、命を取り上げ、この世に送りだす、、千年生き続けている、森の魔女、のような存在でもあろうか。
 女というものの存在は、「命を生み出すもの」で、男というものの存在は、「血を流して死んで行くもの」
 女が男を引き寄せ、死なせる。自然界の全ての生物がそうであるように。
 
 男達は、戦争が好き。暴力が好き、血を見ることが好き。血気に及んで、血判して、刀を振り回して、死に急ぐ。
 何故?男は女に捨てられ、殺されて、生きているからだ。母胎回帰の夢を夢見て生き、死に場所をもとめているからだ。

 DNA的に言えば、元々は人間は女から出来ていて、何かが足りないと、男になるのだそう。
 そういうことから推察すれば、やはり、欠けた部分、失った部分を求めて、完全な形になりたいという願望が、どこかにあっても不思議ではない。

 女は、戦争を嫌い、平和を望むのは、元々、完全で安定しているからだし、命を生み出すものとして、生は受け継がれるから。
女は、子供を産み、母親になると、強くなる。男にはそれがない。女の中で、何千回と死んでいる。  

Posted by アッチャン at 01:27Comments(0)映画

2013年03月16日

TPP交渉に参加するにあたって。

 
    

 
 今日、安倍首相は、TPPに参加に向けて、交渉に入ると、夕方の記者会見で。
 5品目の例外を条件に、それが守られなければ、参加の辞退もありうる、という。
あり得る、と聞くと、ありえない、という心が裏にある。


TPPが、アメリカの言いなりになる危険があるというものの、関税をかけないで、自由貿易に徹することには、私は反対しない。
国に様々な事情はあるとしても、それは国内で解決すべきことであって、国同士は、関税をかけて、保護貿易を行うべきではない。そうでないと、不公平が生ずる。
平等の立場で、貿易するのなら、関税を撤廃して、国の実力をかけて、貿易し、交流すべきだ。

そもそも、米について、遊休土を増やす、不自然な方法を取って、農家を保護すべきではなかった。
自然の恵みを受けて、収穫出来るものは、可能な限り、作り、それが国民を充分に養い、その余りがあれば、途上の食糧難に国に、提供すべき。
 政府は、農家が作った米を、買い上げる形で、補助すべきなのである。
政府は、多額のお金を、援助しているが、現物支給で貢献出来たはすだ。





農家にやる気をなくさせてはいけない。

 美味しいお米を作る日本の農家は、どんどん美味しいお米を作り、世界に輸出すればよい。
 美味しければ、幾ら出しても良い,消費者は,世界中に沢山いる。
 お金を持っている,日本のお年寄りは、沢山食べられない分、高級米を好む傾向にある。
 アメリカでは、10キロ1000円くらいで、結構美味しいお米が売られている。
 そういうのを輸入して、外食産業は、価額を下げて、庶民に牛丼を提供出来る。
 子育て中の、多く消費する家庭は、家計に余裕が生まれる。
 牛肉だって、乳製品だって、海外から、安く入るようになれば、庶民に取って有り難い。
 高級な、霜降り肉を育てて、海外に輸出すれば、世界の需要は沢山ある。

 二極化が進んでいると言われ、それが問題だ、と言われるが、二極化は、消費者の選択の二極化で、日本の農業産業のは発展にも貢献出来る。

 自由貿易、関税の撤廃で、循環作用が生まれる。農家も、乳業家も、自滅する懸念を抱いているが、親である「国」から小遣いをもらっている子供の「農家」が、自立する気がないようなもの。
生き残り、より発展する道は、必ずある。狭い日本だけをあてにしてはだめだ。



インドネシアでは、広大な土地があって、人人の働く場所がない。
彼らは、日本に期待を寄せている。
 日本は、サービス産業で生き,発展出来る。アジアの土地と資源と労働力を活用して、

日本のような、美味しい牛肉になる牛を育てたいそうだ。
日本の酪農家は、インドネシアに活路を見いだすことも出来る。
アジアの土地と労力を、日本の為に使い、アジアの人人の生活に貢献する。
そのためには, 対等で平等でなければ、アジアの人人の信頼を得ることは出来ない。


日本は、アメリカとも、平等の関係で、TPPに参加しなければならない。
 これだけは、やめといて、などと、甘え方をしてはいけない。子供じみた、情けない交渉はすべきではない。
 アメリカの子分として、言いなりになることもいけない。

 国と国とが、例外なく、完全自由化、関税をかけないことを,主張すべきだ。  

Posted by アッチャン at 11:15Comments(0)日々の事

2013年03月15日

心斎橋の美容室


    



風が強いと、体感温度が下がるので、昨日はとて寒かった。
グルーポンで買っていた、美容院のチケット期限切れが迫っていて、電話をすると、5時なら、空いていると言われて、午後、時間に合わせて、出かけた。
ダウンを着ているのに、帽子と、マスクをしても、寒い。手袋が欲しくなるほど。

美容院は、日航ホテルの近くにあるけれど、横道を外れるので、初めての人はわかりにくい。
店の回りに、3軒ほども美容院があるので、ラーメンならずとも、激戦区のようだ。

通常価格は、14000円のメニューがグルーポンで5000円で買っていた。
グルーポンを使って行くのは、気が引けるのだけど、初めての客には、係の人が次に来てもらうために、丁寧で、技術の良さも見せてもらえることが多いのでは?

美容院は、何回か行くと、不満を感じて、変える客が多いとか。
私も、気に入っていた店のカットが、無造作になって、お喋りが増え、店の浮気をしたくなった。

 グルーポンを買ったものの、使わないまま、期限が切れる人も多い。
買ってしばらくは、予約が一杯で、1週間か、2週間先でないと、予約が取れない
ことも。そのうちに、忘れたり、行けなくて、使わないままに、というケースも多々ある。

私も、ついでに行くつもりが、わざわざ、その為に、心斎橋まで行かねばならなかった。



店で働いている人達は、服のセンスが良くて、若くて、可愛いひとばかり。
私を担当してくれた男の子も、親切で、丁寧で、技術もしっかりしていて、
話も自然で、スタイリスト。
日本の男の子って、ほんと、優しい。

美容院を出て、梅田まで歩きたい所だけど、あまり寒いので、地下鉄に乗ることにした。
運動してないから、歩くのに、丁度良い距離なんだけど。
日航ホテルの地下は、グルメ通りになっていて、美味しそうな店が並んでいる。



すし萬が入っていて、看板に引かれて入った。
磯巻きと小ぶりの蕎麦。
すし萬は、大阪寿司の箱寿司がとても美味しいけれど、寒いので、お蕎麦も食べたかった。
カウンターに、常連さんらしい男の人が、一人だけ。
あとの客は私だけという、閑散ぶり。
働いている人の方が多い。



磯寿司の鯖に、血が混じってて、気持ち悪かった。
新しい証拠でしょうが、私にはだめ。

梅田のヨドバシによって、炊飯器を見た。
夜、寝られなくて、夜中4時半まで起きていて、夜中の、ジャパネットで、炊飯器の宣伝をしていた。
余り、美味しい、美味しい、というものだから、私が使っている、お古を買えたくなった。
というのも、イカリで買う、できあがりのご飯が、あまりに美味しいからだ。
大釜で炊いてるのだろうけれど、家で炊くご飯とは大違いに美味しい。
私が使っているのは、母のお古をもらったもので、二〇年以上にはなる代物で、
IHでもなければ、圧力式でもない。二度炊きなので、時間がかかる。

 テレビで、わーわー言っているので、これは、釜次第なのかな、と。そう思うと、いてもたっても居られずに、ベッドから出て、パソコンを開き、炊飯器をチェックするしまつ。
その結果が、夜、ヨドバシをうろつくという行動に。

 へんな所に、こだわる私。  

Posted by アッチャン at 22:04Comments(0)日々の事

2013年03月13日

玉置浩二の魅力



   写真はパリ


 安全地帯のテレビでのライブと、ルーブル美術館の見方に、猿ノ助が出ているのと、同じ時間帯に放映している。
 どちらも見たいと心は揺れつつ、両方のチャンネルを、交代で見ていたが、結局は、安全地帯のクライマックスへの盛り上がりに、酔った。
 以前は、玉城浩二に魅力を感じて、コンサートにも、出かけて行ったのだけど、へんな、暴露女優と情熱が再燃したのか、結婚の運びになって、魅力が失せていた。
 その後、その女優との破局、重病説も流れる中、やはり元彼女の女性と、再婚して、仲の良い所を披露していた時にも、相変わらずね、と冷めた眼に眺めていたのだけれど、
 元気になって、彼の明るさ、魅力が、はじけるような番組に、引き込まれてしまった。

 そして、思ったことは、男の魅力は、奥さん次第だ、ってこと。
女房の不作は、百年の不作、と父が冗談で言ったいたが、その頃は、私はまだ子供だったので、反発お覚えたものだけど、玉置浩二の、はつらつとした姿を見ていると、確かに、と思う。

姿形を言っているのではない。
魅力というのは、にじみ出るもので、その人が充実し、安定した生活をしているかどうか、人に優しくなれるかどうか、余裕があるかどうか、自分に自信が出ているかどうか、などの複合的な見え方から出てくるものだ。
 それに、欠けてはならないのは、男の色気。



女だって同じ事が言えるのだろうと思う。

玉三郎のように、自分を客観視しながら、自分の理想を創り出した人の魅力は、男とか女の領域を遙かに超えて、 美の領域にある。異性を寄せ付けない純粋な、宝玉 のように、冷たく、澄んで、角を持たず、底深い神秘を漂わせる。
 花の精か、月のしずくか人間臭さはみじんもないので、ここでは問題外なのだが。

玉置浩二は、今年、おかあさん、と言う歌を作った。
もういいかな、と思ったそうだ。
お母さん、お母ちゃん、と叫ぶことが出来ると、彼自身思うようなったのは、大人になれた証拠ではないだろうか。
結婚して、お母さんに、変わる母ちゃんが、自分を包みこんでくれるよになったから、今、「お母ちゃん」と歌えるようになっているのでは?



とても良い歌だった。玉置浩二は、とても魅力的だった。お立ち台の女王言われた、奥さんが、とても賢くて、玉置を本当に愛していて、献身的に尽くして、子供のように甘えさせてあげているのだろうな、と思った。  

Posted by アッチャン at 23:21Comments(0)日々の事

2013年03月10日

それでも生きていく


  


  春の嵐か、窓ががたがたと音をたてている。
生暖かくて、地震が起こらないかと心配される。
3,11から丸の年が経過する。
 壊れたものは、少しづつでも、修復されていくが、愛する人達を失った、心の傷は日ごと不覚なり、空白は益々広がっていくよう。
 NHKのソングスで、辻井さんのピアノ「花が咲く」から、彼が作曲した、曲に、エグザイルのあつしさんが、作詞した、「それでも生きていく」と歌とピアノのコラボを聞いた。心に染みいるピアノと声、作曲も作詞も素晴らしい。
 歌は、閉ざされた心を開き、靜かに染み渡っていく、最も効果的な力ではないだろうか。



パリから帰り、昨日、母に会いに行った。
 忘れられているかも、と思いながら、部屋に入ると、母は、ちょっと驚いたようでもあり、嬉しそうに、抱きついた。
 係の男と子が、廊下にいて、部屋の鍵を開けてくれたので、母は、その子にも、嬉しそうに、ここにいたら、と誘っている。
 母は、「久しぶりね。しばらく来てなかったでしょ。」と言う。
 「そうなのよ。パリに行ってたの。」と言っても、母はパリ、という言葉を忘れている。
 「外国に行ってたのよ。昨日の夜帰って来たの。」というと、
 「外国に行ってたの。誰か一緒でしょ。」
 「一人で」というと、
 「そんなあぶないことしていたら、そのうちに死んでしまうよ。」と一瞬、声を大きくして言う。
そうね、と私は笑っている。
母は忘れていなかった。それどころか、私がそばに居る間、何度も、「外国に行ってたの。」という言葉を繰り返していた。
ほとんどの事は、5分もしないうちに、記憶にないのだけど、「外国」という言葉は、母の頭に鋭くインプットされる。
遠い所、危ない所、とんでもない所、なのだ。



おみやげは、服でもなく、食べ物でもなく、うさぎのぬいぐるみを買ってきた。
可愛い、と私も思う。肌触りが気持ち良い。
母は「犬ね。可愛いいわね。」と揺らしながら、うさぎに歌って聞かせるのは、いつもの歌。

パリのパン屋さんで、朝、バケットと一緒に、クロワッサンを一つ買っていた。
夕食前だったが、パリの味をあげたいと思って持って行った。
焼きたてのパンじゃないし、電子レジもないので、堅くなりかけのパンだけど、母は美味しいと言って食べていた。



留守中に、母の認知症の症状が進んだのではないか、と心配していたけれど、そんなことはなかった。
トイレの水でお茶を作ろうとしたり、服を食べ物と間違って、持って帰るように言ったりする、と聞いていたので、心配しながら行ったのだけど、安心した。
看護婦さんからの報告では、母の巻き爪の治療も出来るようになって、改善されているという。
新しい医者になれて、コミュニケーションも旨く行っているようだ。





「忙しいのだろうと思ってたの。外国に行ってたの。」何度もそういう。

行ってもいかなくても、すぐに忘れる、と思っていたけど、そうじゃない。
行かないと、来ないのかな、と思っている。忙しいのだろうか、と思い巡らして暮らしている。
誰にもきっとそうなのだ。
弟も妹も忙しい人達だから、と理解し、気遣いながら、暮らしている。
会える時の喜びも変わらないし、その時を幸せだとも感じている。



母は認知症だけれど、大切なことは決して忘れない、忘れられない。
忘れていることは、母には、どうでも良いことなので、私達だって、気にしなくて良い。  

Posted by アッチャン at 17:12Comments(0)日々の事

2013年03月10日

日本へ



     


従姉妹の家に帰りの挨拶に寄った、少しだけ挨拶して、と思っていたのに、1,2時間話しして、
アパートに帰ったのは、10時、それから、冷蔵庫の霜取りをするのに、溶けるまで時間かかって、台所の掃除などしながら、ごそごそ起きていて、夜中3時に寝た。
夕方の飛行機だから、ゆっくり出来ると思っていたけど、5時50分発の飛行機だったので、1時半には、出ていかないとと思っていた。朝一度洗濯機に入れ、スイッチを入れて洗い始めてから、ベッドの側に置いていた、黄色い布が、残っている。
友人が日本に帰った時まで使っていたシーツだった。すっかり忘れてしまって、洗濯する時に、洗おうと思っていたシーツだった。



この洗濯機は、日本のと違って、途中でさわらないようにしているので、洗い上がるのを待って、もう一度。洗濯機が洗い上がるまで、1時間半かかる。
 
 朝、残り物を片付けようと、無理して沢山食べた。友人が残しておいてくれた、コキーユ、サン、ジャック。とても美味しかった。山盛りのサラダと一緒に。昨日買った、ミルフィーユの残りは、食べ始めたが、ほとんど食べられなかった。ヨーグルトも残っていて食べたので、もう限界。、ゆでた卵は、リュックに入れて空港に持って行った。





 従姉妹の話によれば、
 私が、ベンチに座って居たときにやってきたのは、警官ではなくて、窃盗団だった。警察は、そういうことに、かかわらない。日本のように、交番所なんてないそうだ。
 路上で、お金を見せたら、刺されるわよ、と。フランス人は、現金を持たないそうで、従姉妹のレストランは、現金払い。現金を持ち歩かないので、出しに行く客がいる。
 私のお金が無事だったのは、ユーロで、金額が少なかったからだという。



日本人は、日本円を随分持っていて、それを狙っての犯行グループだという。
二人だけではなく、回りに、何人も見張っている。数人のグループだそう。
そういえば、彼女を連行していくのかと思ったら、彼女は、また観光の人達に、道を訊ねていた。確かに、人が多かった。見張りがいて、その人達と会話して、連絡しあっている。
 
 両替所で、分厚い束の、日本円を換えに来ているのは、窃盗したお金だという。両替所も、わかっていて、両替している。
 
 パリは、腕の良い、スリがいて、あの手この手を生み出す、頭の良い犯罪者達が、自慢げに横行している街であることは、昔も今も変わらない。
 だます側が、賢くて、それに引っかかって、だまされるものは、馬鹿の笑われ者もの。
 日本人は、お金を持っている、生真面目で、お人好しのターゲットとして、定着している。
日本人は、簡単に謝るので、その時点で、とてもやりやすいターゲットでもあるそうだ。


 

空港へは、地下鉄と、郊外電車を使っていく。オペラからバスも出ているが、事故とか渋滞に巻き込まれたら、時間がかかる場合がある。タクシーは、楽だけど、お金がかかる。シャトレから、空港に15分おきに、空港への直行便があることを調べておいて、時間を合わせて、アパートを出た。今までは、来た電車に乗っていたのだけど、直行便は、途中停まらないので、客が入って来ないし、25分で空港に行く。車両は綺麗だし、空いていた。



パリから、フランクフルト経由で、成田まで。それから伊丹に。パリからフランクフルトまでは、席の予約がインターネットから出来なかったので、アイルを頼んだら、ウィンドーだった。けれど、3席、私一人だったので、アイルも同様だった。係の人の配慮だった。普通席しかないので、前の席は、間を開けて、ファースト並にしている。1時間ほどの短い時間だから、どこでも良いのだけど。
フランクフルトから、成田までの席で、隣の空いた席がないか、と聞いたら、満席だと言われた。
 来る時に、飛行機に乗り遅れて、とんでもない出費と時間がかかったので、それ以来、時間が気になってしかたがない。



フランクフルトに着いて、スターアライアンスのラウンジに入ったのだけど、セキュリティーを通過してから、あると言われていたので、その方が安心だと思って、まだ充分時間はあるのに、ゲートの側にあるラウンジに行くと、インターネットが無料で出来なかった。でも、ドイツ航空のラウンジは、ビールが美味しい。
パリのラウンジでは、お腹が空いて、ビールとソーセージにパンなど、食べていたので、
 もうお腹が一杯で、ビールだけ飲んだ。咽だけがやたらに乾く。ドイツ料理は、ビールを飲むために作られているので、咽が渇くように配慮されている。



エールフランスでは、パリから関空まで直行便が出ているので、翌朝には、帰れるが、私は、スターアライアンスを使っているので、乗り変えが、二回もあって、
時間はかかるが、ANAは、映画が沢山あって、洋画は字幕で見られるのが嬉しい。日本映画も数が多い。狭いはずの、シートだけど、座っていて、違和感がなく、疲れないように思われるのは、日本人に合わせて、作られているからだろうか。
サービスも行き渡っていて、食事も、日本食が割に美味しい。
最初に出されたのは、海鮮カレー。着く前は、キノコ粥だった。

フランクフルトから、成田まで、4本の映画を見た。
「リンカーン」「幸せの黄色いハンカチ」「東京物語」そして最後の「大奥」は実にくだらない映画。ほとんお見てなくて、寝てたかな。



「幸せの黄色いハンカチ」と「東京物語」は、何度見ても、良い作品で、ドライアイの私に、潤いの涙を誘うので、健康的。
山田洋二の原点のような作品だけど、これが最高作品ではないか、とも思ったり。武田鉄矢と桃井かおり、どちらも適役で、若さとイモっぽさが、良くて、名コンビ。
弱さと優しさが重なりあって、そこにお人好しの馬鹿さが、人間的に暖かくて、この後、山田洋次は、「寅さんシリーズ」で良く似た手法をとっている。
 その主人公である、虎さん役の、渥美清が、田舎くさい警官役で出ているが、世話好きで情の厚い存在という役どころの、はまり役が、寅さんへのイメージにつながったのかもしれない。
高倉健も、倍賞千恵子も、過去の陰を引きずりながら、真面目で不器用、弱いけれど、秘めた情熱の強さを持った、優しい人間達を、彼らの地のキャラクターのように自然に演じている。
隣の女性は、音楽を聴いていたり、寝入っていたりしているのに、私は、映画の場面がおかしくて、つい笑ってしまう。笑って、しんみりして、心がジーンと熱くなって、涙を誘う。山田洋二らしい、作品の秀作。



成田について、待ち時間、ラウンジで、おにぎりを3つと又ビールを飲んだ。ここはインターネットが出来るので、チェックしたり。小さなおにぎりなので、三つで一つ分くらい。美味しい。鮭と梅。海苔で巻いている。
成田から伊丹までは、ビジネスシートだった。
 座席を倒して、寝ながら、伊丹に。楽だなあ。
 

伊丹について、モノレールと電車とバスで家まで帰って来た。
 買った、サムソナイトの大きめのスーツケース、一〇年保障付きの、復元性抜群の強固なはずだけど、傷がついて、チャックの回りのビニールがめくれ上がって、しまっている。
 ただ、引っ張るのに、リュックを引っかける所があって、スムーズに動く場所では楽だ。
 リュックを背負って、コンピューターのバッグに、空港で買った、母への土産のラビットぬいぐるみと、チョコの入った袋を持って、スーツケースを引いて。
 自分でも、よくやるなあ、と感心するくらい。
電車から降りて、バスに乗らずに、タクシーにしようかと迷ったけれど、バスで帰って来た。沢山の荷物があると、バス代だけで、乗るのは気がひける。混んでいたらなおさら。
でも、空いてという時間が良かったのかも。中途半端な時間。花金だから、お勤めの人達は、繁華街でまだ飲んでいる時間。早帰りの人はすでに家でくつろいでいる時間。
バス亭からは、坂道を、一人で転がるように、スーツケースが速度を速める。
 家に着いたら、9時を回っていた。
100円の冷凍うどんが、こんなに美味しいとは。何も入れない、昆布だしうどん。
 



  

Posted by アッチャン at 02:11Comments(0)パリにて

2013年03月10日

日本へ



     


従姉妹の家に帰りの挨拶に寄った、少しだけ挨拶して、と思っていたのに、1,2時間話しして、
アパートに帰ったのは、10時、それから、冷蔵庫の霜取りをするのに、溶けるまで時間かかって、台所の掃除などしながら、ごそごそ起きていて、夜中3時に寝た。
夕方の飛行機だから、ゆっくり出来ると思っていたけど、5時50分発の飛行機だったので、1時半には、出ていかないとと思っていた。朝一度洗濯機に入れ、スイッチを入れて洗い始めてから、ベッドの側に置いていた、黄色い布が、残っている。
友人が日本に帰った時まで使っていたシーツだった。すっかり忘れてしまって、洗濯する時に、洗おうと思っていたシーツだった。



この洗濯機は、日本のと違って、途中でさわらないようにしているので、洗い上がるのを待って、もう一度。洗濯機が洗い上がるまで、1時間半かかる。
 
 朝、残り物を片付けようと、無理して沢山食べた。友人が残しておいてくれた、コキーユ、サン、ジャック。とても美味しかった。山盛りのサラダと一緒に。昨日買った、ミルフィーユの残りは、食べ始めたが、ほとんど食べられなかった。ヨーグルトも残っていて食べたので、もう限界。、ゆでた卵は、リュックに入れて空港に持って行った。





 従姉妹の話によれば、
 私が、ベンチに座って居たときにやってきたのは、警官ではなくて、窃盗団だった。警察は、そういうことに、かかわらない。日本のように、交番所なんてないそうだ。
 路上で、お金を見せたら、刺されるわよ、と。フランス人は、現金を持たないそうで、従姉妹のレストランは、現金払い。現金を持ち歩かないので、出しに行く客がいる。
 私のお金が無事だったのは、ユーロで、金額が少なかったからだという。



日本人は、日本円を随分持っていて、それを狙っての犯行グループだという。
二人だけではなく、回りに、何人も見張っている。数人のグループだそう。
そういえば、彼女を連行していくのかと思ったら、彼女は、また観光の人達に、道を訊ねていた。確かに、人が多かった。見張りがいて、その人達と会話して、連絡しあっている。
 
 両替所で、分厚い束の、日本円を換えに来ているのは、窃盗したお金だという。両替所も、わかっていて、両替している。
 
 パリは、腕の良い、スリがいて、あの手この手を生み出す、頭の良い犯罪者達が、自慢げに横行している街であることは、昔も今も変わらない。
 だます側が、賢くて、それに引っかかって、だまされるものは、馬鹿の笑われ者もの。
 日本人は、お金を持っている、生真面目で、お人好しのターゲットとして、定着している。
日本人は、簡単に謝るので、その時点で、とてもやりやすいターゲットでもあるそうだ。


 

空港へは、地下鉄と、郊外電車を使っていく。オペラからバスも出ているが、事故とか渋滞に巻き込まれたら、時間がかかる場合がある。タクシーは、楽だけど、お金がかかる。シャトレから、空港に15分おきに、空港への直行便があることを調べておいて、時間を合わせて、アパートを出た。今までは、来た電車に乗っていたのだけど、直行便は、途中停まらないので、客が入って来ないし、25分で空港に行く。車両は綺麗だし、空いていた。



パリから、フランクフルト経由で、成田まで。それから伊丹に。パリからフランクフルトまでは、席の予約がインターネットから出来なかったので、アイルを頼んだら、ウィンドーだった。けれど、3席、私一人だったので、アイルも同様だった。係の人の配慮だった。普通席しかないので、前の席は、間を開けて、ファースト並にしている。1時間ほどの短い時間だから、どこでも良いのだけど。
フランクフルトから、成田までの席で、隣の空いた席がないか、と聞いたら、満席だと言われた。
 来る時に、飛行機に乗り遅れて、とんでもない出費と時間がかかったので、それ以来、時間が気になってしかたがない。



フランクフルトに着いて、スターアライアンスのラウンジに入ったのだけど、セキュリティーを通過してから、あると言われていたので、その方が安心だと思って、まだ充分時間はあるのに、ゲートの側にあるラウンジに行くと、インターネットが無料で出来なかった。でも、ドイツ航空のラウンジは、ビールが美味しい。
パリのラウンジでは、お腹が空いて、ビールとソーセージにパンなど、食べていたので、
 もうお腹が一杯で、ビールだけ飲んだ。咽だけがやたらに乾く。ドイツ料理は、ビールを飲むために作られているので、咽が渇くように配慮されている。



エールフランスでは、パリから関空まで直行便が出ているので、翌朝には、帰れるが、私は、スターアライアンスを使っているので、乗り変えが、二回もあって、
時間はかかるが、ANAは、映画が沢山あって、洋画は字幕で見られるのが嬉しい。日本映画も数が多い。狭いはずの、シートだけど、座っていて、違和感がなく、疲れないように思われるのは、日本人に合わせて、作られているからだろうか。
サービスも行き渡っていて、食事も、日本食が割に美味しい。
最初に出されたのは、海鮮カレー。着く前は、キノコ粥だった。

フランクフルトから、成田まで、4本の映画を見た。
「リンカーン」「幸せの黄色いハンカチ」「東京物語」そして最後の「大奥」は実にくだらない映画。ほとんお見てなくて、寝てたかな。



「幸せの黄色いハンカチ」と「東京物語」は、何度見ても、良い作品で、ドライアイの私に、潤いの涙を誘うので、健康的。
山田洋二の原点のような作品だけど、これが最高作品ではないか、とも思ったり。武田鉄矢と桃井かおり、どちらも適役で、若さとイモっぽさが、良くて、名コンビ。
弱さと優しさが重なりあって、そこにお人好しの馬鹿さが、人間的に暖かくて、この後、山田洋次は、「寅さんシリーズ」で良く似た手法をとっている。
 その主人公である、虎さん役の、渥美清が、田舎くさい警官役で出ているが、世話好きで情の厚い存在という役どころの、はまり役が、寅さんへのイメージにつながったのかもしれない。
高倉健も、倍賞千恵子も、過去の陰を引きずりながら、真面目で不器用、弱いけれど、秘めた情熱の強さを持った、優しい人間達を、彼らの地のキャラクターのように自然に演じている。
隣の女性は、音楽を聴いていたり、寝入っていたりしているのに、私は、映画の場面がおかしくて、つい笑ってしまう。笑って、しんみりして、心がジーンと熱くなって、涙を誘う。山田洋二らしい、作品の秀作。



成田について、待ち時間、ラウンジで、おにぎりを3つと又ビールを飲んだ。ここはインターネットが出来るので、チェックしたり。小さなおにぎりなので、三つで一つ分くらい。美味しい。鮭と梅。海苔で巻いている。
成田から伊丹までは、ビジネスシートだった。
 座席を倒して、寝ながら、伊丹に。楽だなあ。
 

伊丹について、モノレールと電車とバスで家まで帰って来た。
 買った、サムソナイトの大きめのスーツケース、一〇年保障付きの、復元性抜群の強固なはずだけど、傷がついて、チャックの回りのビニールがめくれ上がって、しまっている。
 ただ、引っ張るのに、リュックを引っかける所があって、スムーズに動く場所では楽だ。
 リュックを背負って、コンピューターのバッグに、空港で買った、母への土産のラビットぬいぐるみと、チョコの入った袋を持って、スーツケースを引いて。
 自分でも、よくやるなあ、と感心するくらい。
電車から降りて、バスに乗らずに、タクシーにしようかと迷ったけれど、バスで帰って来た。沢山の荷物があると、バス代だけで、乗るのは気がひける。混んでいたらなおさら。
でも、空いてという時間が良かったのかも。中途半端な時間。花金だから、お勤めの人達は、繁華街でまだ飲んでいる時間。早帰りの人はすでに家でくつろいでいる時間。
バス亭からは、坂道を、一人で転がるように、スーツケースが速度を速める。
 家に着いたら、9時を回っていた。
100円の冷凍うどんが、こんなに美味しいとは。何も入れない、昆布だしうどん。
 



  

Posted by アッチャン at 02:09Comments(0)パリにて

2013年03月08日

ベルシー公園から、ユゴーの家


   

 フランソワ、ミッテラン図書館から、ヴォーボワールの橋を渡って、ベルシー公園を散歩した。
この図書館は、4つの建物が、ブックスタンドの形をしている。図書館が出来て、大きなマンションや事務所のあるビルが
建ち、都会的な発展をし続けているが、以前派、パリの外れで、従姉妹が住んでいる所は、バラックに住んでいるアーティスト達がいて、不便な場所だった。
セーヌ河畔に、レストランが出来、水泳場が出来、ボーボワールの橋が出来て、パリらしくなった。

 この所、ずっと暖かくて、今日はちらちら雨が降っているけれど、傘をさすほどのことはない。







 まだ、花は一面には咲いていないけれど、芽を出しているものや、一番咲のクロッカスは可愛い顔を覗かせている。
 ベルシー公園は、昔、鉄道が走っていて、このあたりは、パリとは呼ばない、田舎だったので、田舎の風景が楽しめる。



パリの喧噪を逃れて、椿姫とアルフレードが、田舎に行くシーンを思い浮かべる。


  
 マリーアントワネットだって、パリに生活するのは、疲れるから、ベルサイユに、田舎屋風の、別荘を作ったよううに、パリで生活していると、きっと息が詰まるのだろう。
すぐ近くにある、ベルシー公園の中に入ると、心が安まる。




 解放された気分になる。



 よく、買い物、と思って来ていた、ベルシー公園から、パルク、ド、サンテミリヨン。何も買う気がしなくなった。
買い物は、日常生活の一部だから、また、雑多な暮らしに戻りそうで、やめた。



 ベルシー公園の帰りに、近くのブーランジェリーで、サンドイッチを買った。
 息子が、サンドイッチの美味しさに、驚嘆していたことを思い出した。
 フィンテンブローで、お腹を空かしたので、サンドイッチを買って、道々、食べながら歩いた。 
 旨いと喜んでもらえると、私が作っているものではないけれど、嬉しい。
私自身は、というと、サンドイッチを買うことはほとんどなくて、家でサラダを作るから、パンを添えて食べる以外に、外で買うまではしない。



買ったサンドイッチは、けしの実がついたパンに、鳥と、トマト、卵にサラダ菜、など、ボリウムがあって、とても美味しい。
今回のパリの、美味しい思い出に、堂々のランクインしそう。




 サンポールに地下鉄を降りて、すっと探している、バッグの店に行こうと歩きながら、シリー、ホテルがあって、その中庭がとても綺麗で、その中に入って、次にあるポルトと抜けると、そこはヴォージュ広場だった。
いつも夕方とか、夜に来ていたので、ホテルの扉が閉まっていて、わからなかった。



 じゃ、ユゴーの家に行けると思い、まだ閉館には充分ある時間に、ユゴーの家に行った。 このミュゼーは、パリ市の無料美術館の一つになっている。






2階が美術館になっている。
ユゴーは、レジオン、ド、ノールを、二回ももらっている。

ユゴーの妻

ジュリエット

ユゴーの妻も美しい人だけど、ユゴーが愛した女性は、控えめな優しさがある人で、彼女と過ごした、シノワズリーの部屋には、沢山のお皿が飾ってあって、彼女の所有愛用品だったよう。
彼女の晩年、死ぬ間際に描いた肖像画も展示されている。


ユゴーの書斎、羽ペンが置いてある。
そして、ベッドもある寝室。最後のデスマスクは暗くて見えない。
そのベッドの前に、ユゴーが座っていた、椅子があり、暖炉の上に、燭台がある。







 映画「レ、ミゼラブル」では、老いたジャンバルジャンは、修道院の中で、死を待っている。そこには、いつも手放さなかった、銀の燭台があり、深々と座れる、肘付き椅子に座っている。

 そこに、コゼットと、結婚したばかりの、マリウスがやってくる。
 夢か、誠か。
ユゴーも、幻想を抱きながら、最後の時まで、この部屋で書き、眠り、燭台の前で、祈りを。



窓から、見えるヴォージュ広場



ジュリエットが亡くなる前の肖像



   

Posted by アッチャン at 23:45Comments(0)パリにて

2013年03月06日

パリはあの手この手のスリが横行している


    

マドレーヌから、コンコルドの方向に歩いた。
 パレロワイヤルから、コンコルドまで、サントノーレ通りが続いていて、昔、良くここまで歩いた。
 化粧品が、タックス込みで4割も値引きで買える店や、当時ブームだった、リトグラフなどを売っている店、ロンシャンも、当時は、値引きしていて、いつまでも変わらない、ロンシャンと言えば、のシンプルなポケッタブルのバッグは、丈夫というのが売りもので、革製のバッグが主流だった。



 コンコルド広場から、シャンゼリゼの凱旋門は、まだはるか遠くに見える。
 ぞろぞろと、凱旋門目指して歩いて行く人達。
 車の排気ガスの空気汚染がひどい。
 道を一筋入るだけでも少しは違うようなきがする。

先日、行った、プチパレおグランパレの間を通って、セーヌ側に出た。セーヌも川辺に降りて、ポン、アルマまで歩く。



バトー、ムーシュの船着き場があって、バスが何台も駐まって、船から返って来る観光客を待っている。

私はこんなにパリに来ているのに、一度も船に乗ったことがない。
昔、従姉妹の友人でフランス人の男性が、バトームーシュを、小笑いしていた事があった。

今では、他の観光船が沢山出来て、セーヌは、船の往来で、いつも、船が観られ、賑やか。



ポン、アルマで上がって、エッフェル塔が近くに見える、セーヌに沿った道のベンチに座って、地図を見ていると、若い女性が寄ってきて、地図を見せて欲しい、と言った。
彼女は、泊まっているホテルがどのあたりなのかがわからなくなったと言う。
 私は、彼女に、ここは、ポン、アルマだけど、ホテルの名前は覚えているのか、などと、地図を見せて、思い出せるる?とか、一生懸命になっていた。
彼女は、タクシーでないと、言って、財布の中から、お金を出した。両替して欲しそうにするけど、私は、どこかわからないお金に換える気はない。
すると、すぐに、ポリスだ、と言って、身分証明書を見せ、彼女に、パスポートの呈示を促し、私には、お金のやりとりは違反だ、と言って、私にパスポートかコピーがあるか、と。
コピーを見せると、今度は、財布を出すように言う。



財布を出すと、偽金かどうかの透視をしてみせ、幾らあるのかを数えている。
 ドラッグを売ってるから、とか言って、どこかに報告しながら、しつこく聞かれる。
私は、彼女はホテルがわからなくて、私に聞いただだ、と何度も。
今度は、また財布のクレジットカードを見せろ、という。
クレジットの名前をチェックして、他にお金はないか、とか、隠していないか、とか。
 この日本人は、問題ないとか、小さいマイクで、報告し、それから、また、お金を見せろ、と言う。
お金を出すと、それを数えて、また返してくれた。
 2回も同じことを要求するのはおかしい、と思うが、それ以外にお金は?日本円はどこかにないのか、と聞いて、ないというと、お金を返してくれて、女性を促して連れて行くのか、と思ったら、すぐにその女性は、ほかの人に話かけているし、私服警官らしき男は、そのまま立ち去った。

ああ、怖かった、あと味が悪くて。

こういう同じような手口で、警官を装って、同じような手口で、お金を取られたケースが続発しているようだった。
 二人はグルで、彼女がお金を出した、タイミングでやってくる。




幸いなことに、私はお金を返してもらって、被害はなかった。
彼女を一生懸命に、かばったからなのだろうか。それとも本当の警官だったのか。
タイミングが良すぎるし、そのまま、彼女は解放されて、それまでにも、彼女には、パスポートを見せろと言っただけで、彼女は、チェコスロバキアから来たと言っていたけれど、あのお金は、どこのお金なのかも、偽金検査もされなかった。
やはり、窃盗グループの可能性の方が大きい。

そういえば、セーヌ河畔で、若い女性達が、署名を求めて、そこに寄付金を要求するという手口で、お金を盗っていた。
私も署名してから、お金を、というので、ノーと言って、立ち去ると、後ろからすごい罵声が飛んできた。後で、そういう女性達がうろついて、仲間で話ていているのも見ている。

手口が、ますます、巧妙になっているのだろう。  

Posted by アッチャン at 21:57Comments(0)パリにて

2013年03月05日

フォーションの日替わりランチ

   

 
 日本でも有名な、フォーションが、ランチ時に、日替わりメニューを出していて、18ユーロで、料理とワイン一杯、コーヒーがつく。

 どこかわからなくて、ランチだと言うと、一階のレストランに案内された。
25ユーロになっているので、18ユーロの、と聞くと、それは地下だ、という。

 座ってたけど、地下に移動。旅の恥はかきすてである。


地下は、ワイン倉になっていて、大きなテーブルのカウンター席。来ている人達は、皆、お金持ちそうなひとばかり。
ワインを撰んで、一本囲んで、話している、男の人達も。





 初めに、アミューズの小さなカップ。冷製スープのようなもの。

次にワインを撰ぶ。赤か白かロゼか。

パンとワインが出て、しばらくは、料理待ち。



今日は鴨のカラメルソースかけ。下にクスクスと卵のほわっとしたものが。結構沢山あった。

最後のコーヒーは、さすがに、美味しい。




この店は、単品なら、コーヒーが4ーロ。ワインは一杯6ユーロくらいだ。

特別美味しい店ではないけど、悪くない。

11時から、4時までなので、遅い昼食にも使える。
ピナコテックの側にある、フォーション。  

Posted by アッチャン at 20:15Comments(0)パリにて

2013年03月05日

広重への旅のアート、ヴァンゴッホの日本の夢

 


この二日、晴天に恵まれて、暖かく、過ごしやすい。
 に日曜日は、第一日曜にあたるので、主立った美術館は無料なので、
 どこも混雑している。
 日曜日、ピラミッドから入ると、凄い人なので、装飾美術館のそばから、入ると、地下のショッピングセンターに通じるので、並ばずに入れるというので、そこから行くと、荷物のチェックがあって、並んで待たされた。 
 翌日は、美術館の休館日なので、朝、早い目に、ゴッホの「日本への旅」という特別展を開催中の、マドレーヌにある、パリの新しい美術館「pinacotheque]
に行った。
http://www.pinacotheque.com/

思うは誰も同じなのか、前に、何度かそこを通ってみている時よりも、ずっとチケットを買うために並んでいる。

この美術館の展覧会は、素晴らしいと評判で、いつも人気なのだけど、特別のものだと、中が小さいこともあって、入るのに、ものすごく待たねばならないらしい。

 入場料は、、広重との2つで、17ユーロだった。



 ゴッホの絵画の中でも、知らない絵が沢山あって、安藤広重の錦絵から受けた影響が、この絵のここに、と言う風に、説明されていて、美術フアンに取っては、興味深い。
 入っている人達は、フランスで書かれた、説明を熱心に読みながらの鑑賞なので、足が止まって、前に進まない。
中に入ると、空いている場所があって、その絵を観ながら、先に観られるものを観ておいて、後からまた、と言う風に観れば、効率良く、充分鑑賞することが出来た。

広重の錦絵

 テオが、美術商をしていたので、錦絵に出会うきっかけになっようだが、
その頃、画家達の中で、お金に余裕のあった、モネ、マネ、ロートレックなど、浮世絵をコレクションしていて、それらを見せてもらう機会もあり、ゴッホは、強く、浮世絵を生み出す、日本という「ジパング」を求めて、パリから、プロバンスに移った。
 プロバンスの輝く太陽の下で、ゴッホは、錦絵の、「素早く、一気に、大胆に描く、錦絵の、デッサンと構図を取りいれて、ゴッホ独自の絵画を模索し、勢力的に取り組んだ。
 ゴーギャンを呼び、一緒に生活していた頃は、ゴッホはゴーギャンに、ゴーギャンはゴッホに、触発され、互いに嫉妬するほどの、互いの才能だったようだが、
 二人は、共通して、そして違ったスタイルで日本の浮世絵に深く影響されているのがわかる。
ゴッホの「種まき」や農夫達が、仕事に疲れて休んでいる絵画の、「麦」に太陽の光が注ぐ様子、浮世絵に描かれている、人物達のおおらかさにも、きっとゴッホは惹かれていたのだろう。





 ゴーギャンが去り、ゴッホは、耳を切り落として、ゴーギャンに送る奇怪な行動をとって、精神病院にニ入院する。その頃にも、錦絵の影響は、益々深く、より大胆に、シンプルで大胆な絵を描いている。

 精神病院を出て、ゴッホは、オワーズに来て、糸杉の絵画を描いている。
 糸杉の絵画などは、ゴッホの頭の中で、触発された、「浮世絵」の構図が、つきない夢と幻想にもなって、現れていたに違いない。

 「オワーズの教会」はそのようなゴッホの絵画であり、「糸杉」の絵画の中でも、際だって素晴らしい、糸杉の絵には、おそらく、ゴッホとテオが仲良く、描かれていると私は思う。
 テオが結婚してからも、ゴッホへの援助は惜しまなかったテオだけど、子供が生まれて、 生活にも、苦しくなってきたテオを頼っているゴッホの不安、絶望、深く根ざした、ヨーロッパ的な信仰心、との重圧に耐えかねて、ゴッホは麦畑で自殺したのだろう。

 ブレ、と呼ばれる麦畑、は、ミレーの絵画の中でも、「自然の中で育まれ、働いて、夕日を浴びて、祈る農民達」の姿がある。

 ゴッホは、きっと、そのような、働く人、だった。労働者としての絵描きだった。
 浮世絵の中に、おおらかに働き、生きている、日本人の一人だったかもしれない。

勤勉実直なゴッホが、安らぎを求めて行った、アルル。そこは、フランスの国、カトリックの支配する国。そしてゴッホは、牧師の息子なのだ。
夢の中を生き、幻想に走ることで、かろうじて、生きられ、自分を絶対的に信頼し、支えてくれる人がいての、生きる力だった。

 太陽を浴びて、日中、ゴッホはピストル自殺を遂げた。
 一本の糸杉がそびえ立ち背景は、アルルでゴッホが描いた「星降る夜」のあの青く透明な空だ。

星降る夜に描かれている、男女は、「テオと奥さん」ではないだろうか。
テオの結婚を、とても喜んでいたゴッホだった。と同時に寂しいゴッホでもあったのではないだろうか。
満点の星が輝く、夜は、太陽の裏側の色だ。


他に、3.11の津波で被害を受けた人達の顔写真と、その場の状況の写真が展示されていた。



大写しの顔写真は、フランス語では、フィギュール、と言うが、その人の、全人格と歴史が刻まれているとうので、
絵画の中でも、肖像画として、レンブラントなどは、何度も自画像を描いているのは知られていることだが、

フランス人にとっては、絶望の淵に立たされた人達が、どうして、これほど強く、明るく、試練を乗り越えて、生きて行けるのかは、驚異なのだろう。

今回の、錦絵、に影響を受けた、ゴッホの絵画と、通じるもの、フランス人にはあるのだと思う。だから、この機会に、その写真の展覧会も一緒においたのだろう。




フランス人だからこその試みだ、と思う。ユマニストとしての。  

Posted by アッチャン at 19:48Comments(0)パリにて

2013年03月02日

市立美術館とプチ、パレ


   


 PERで、ポン、アルマで降りて、市立美術館に。
 パリには、無料の美術館や博物館が幾つもあるが、パリに来ると、いつも行くのが、この市立美術館。
ここにある、デュフィーの「音楽の部屋」と、「マチスの部屋」は必見に値する。



 他にも、常設で展示されている絵画に、フェルナン、レジェの作品も多いが、
 藤田が、渡仏して、モンパルナスの寵児となって、キキを連れていた頃に描いた、
 白い肌の裸婦の絵がある。


 
 今回は、特別展に、会場を沢山使っていたので、常設は少なかったけれど、
これだけ観られれば、充分。

写真展をやってて、Martin Frank へのオマージュという展覧会で、画家の肖像写真の中で、
ジャコメッティーとシャガールのが。






 なんといっても、空いているのが、良い。
観光客は、ルーブルとオルセーで、精一杯なので、時間の余裕がないと、まずここまではいけない。

 ボナール、ピカソ、マチスなどの小作品も幾つか。





 小さい美術館だから、疲れないし、デュフィーの「音楽の部屋」は、休みながら、楽しめる。
向かって左手に、科学者達、右側に音楽家や文人達が、描かれている。


左の端







右の端

ディフィーの作品を見ていると、楽しそうに描いているなあ、と思う。色が綺麗だ。その色を、裏の電気装置が効果を出している。

隣にある、パレ、ド、東京 では、斬新的で革新的な試みの展覧会をいくつかやっていて、ここは有料。
カフェがあり、休むのにも、良い場所になっている。



アルマ、モルソーから地下鉄に乗って、シャンゼリゼ、クレマンソーに。
フランクリン、ルーズベルトで、乗り変えると、地下鉄の案内が、タッチパネルになっている。


ちゃんと日本語でも駅の名前が書いている。
さすが、シャンゼリゼから凱旋門あたりは、観光客のるつぼみたいなもので、サービス満点。地下鉄の中も、おしゃれで綺麗だ。




プチ、パレも、無料。
無料のチケットを交換してもらって、入る。
ここの展示品の数が、凄く沢山あって、ちゃんと観ようと思えば、時間がかかるが、そこは無料のありがたさで、暇人なら、何度か足を運べる楽しみにもなっている。





まず、ナンシー出身の、エミール、ガレの作品を観て、庭も優雅だけど、今は冬。



クールベの、作品も、秀作がある。



日本のジャポニズムの影響を受けた、陶器作品などもユニーク。



ブルーゲル二世の絵画もあった。



それに、ドーミエの油絵画が2点。



細かく観ていくと、結構おもしろそうな美術館だ。

閉館時間が来て、外に出ると、向の、グラン、パレに人が集まっている。
ここは、以前に、各国の画廊が集まって、作品の紹介と売買もする、展示会を観に来たことがあった。それは入場料が20ユーロだった。



今夜もなにか、大きなイベントがありそうで、プレス、とインビテーション、それにスタンディングのカードがある。
スタンディングの前に人がいるので、わからないままに立っていると、次から次に、素敵なファションをした、芸能人のような感じの人達や、ファションモデルかと思われるスタイルの良い女性や男性達が、入って行く。招待カードを渡して。

で、最後の人が入って行くと、係の人がちょっと中に入って出て来た。
デゾレ、「残念だけどごめんなさい」と言う。
待っていた人達は、がっかりして散らばる、。専門的な大きなカメラをぶらさげている人達もいた。
私は、なんだったんだろうと思って、看板を後で観たわけで、それは、venessa bruno]と書かれていたわけで、
帰ってから、調べたら、「デザイナーの新しいファションショー」だったわけ。



疲れがとれないまま、いつもどこかに出かけている。  

Posted by アッチャン at 17:27Comments(0)パリにて

2013年03月01日

マレから、ヴォージュ広場あたりを散歩して


   パリの図書館



 ブログを書こうと思い、その前に、日本の様々をチェック。明石での「言の葉」コンサートのチケットをそこで買えば良いかと、玉三郎のホームページを見たら、今月のブログが
載っていた。
http://www.tamasaburo.co.jp/ 玉三郎ホームページ

毎月、初めに、近況が語られる。




その中で、オルセーとルーブルに行った時の話が出ていた。
 オルセーには、休館日に、一人で観ることが出来たそう。
その中で、私が、感動したのは、玉三郎も、ゴッホの「星降る夜」に心が震えるほどの深い感情を抱いたと書いていて、それに、「オーベールにの教会」には、言葉ではあらわせないが、深い感動を覚えたと。



 一緒だ。やはり、玉三郎も、この二つの絵画に、心を奪われたのだ。読むうちに、鳥肌が立って。

 そして、沖縄の「組踊」の稽古をしている。
京都芸術劇場に、人間国宝になっている、沖縄の「組曲」の踊り手によるものを観たくて、
出かけて行った。その時から、興味を持っていた「組踊り」玉三郎のも観たいなあ。

玉三郎と、心に響くものが、一緒だと思うと、凄く嬉しい。共通の思いを抱いているという喜びと共に、自分の見方への信頼のようなものが。



玉三郎が去ったパリ。、

 今日は、マレを歩こうと思い、さて、でかけようと思ったら、帽子がない。中華料理店意外には考えられない。
帰りに取りに行くことにして、地下鉄のサン、ポールで降りて、マレ地区を歩いた。
この地区に、私が欲しい、バッグの店があるとか、でもそのバッグ屋さんの名前を書き留めたのを日本に忘れて来て、いつも持っているバッグなのに、ブランド名がわからない。
 以前は、プランタンにあったが、今はなくて、どこでも見かけない。



 マレ地区は、歩くだけでも、楽しい地区なので。個性的出センスの良い店が、古い町並みの中に、点在して店を出している。
マレは、ユダヤ地区なので、以前に、髪の長い、黒ずくめの人達を見かけたものだけど、最近では観光地になっているようだ。

 マレには、ピカソ美術館もあるが、今は閉館中。



 マレは、1900年までに、6000人のユダヤ人が、ルーマニア、ロシア、ハンガリー、オーストリアからここに、居を構えた。その後、1914年までに、3000人が更に、ここに移り住んだ、とか。

 この界隈にある、カルナバレ美術館は、パリの風景の変遷やパリで暮らしていた人達の生活や、ルイ16世の部屋などが展示されている。
ここは無料の美術館で、貴重な資料を持っている美術館でもある。

フィロソフ

カルディナレ



日本人画家の、赤木さんの作品も沢山入っていると、従姉妹から聞いていた。



 ピカソのセザンヌから影響の強いと思われる、絵画があった.


パリの風景や、建物を、克明に描いた、赤木さんの作品は、パリ建築の設計や構造、外観を精細に描いたものだから、だとか。絵画も沢山あって、ゆっくり観る時間がなくて、閉館時間がきた。

 カルナバレを出て、ヴォージュ広場のほうに向かって歩いた。
 パリで最も美しい広場を言われている。公園を挟んで、四方に、美しい煉瓦色の建物が建ち、その一階は、ギャラリーが店を開いている。

 ユゴーの家



ユゴーの家も、この一角にある。



 以前と同じ、作品をずっと飾っているので、専属のアーティスを扱っている店が多い。





ヴォージュ広場から、バスティーユ広場まで歩く。






バスチーユ広場の向こうに、オペラ座の中が明るいく、人が動いているのが見える。
今夜は、公演があるのだと思って、5ユーロの立ち見席の売り場に行ってみた。
当然の如く、立ち見席は売り切れ。


6時から売り出されるのに、1時間半前から皆、並んで待っている。
私も常連だったが、今回は、パスだな。
 最上階まで、駆け上がって、持ち場を確保する元気がないわ。それに、この寒さの中を、震えながら、外で並び待ちまでして、5ユーロの席を買う気にもなれない。
売り切れているのだもの、そうやって買いに来ている人達が沢山いるのだ。



 もし、あれば、きっと買って、観て帰る所だった。
 バスティーユから、8番腺の地下鉄で、マドレーヌに行った。
帽子を取りに。




 中華料理の店は、客が一組。ランチとは大違いの閑散。
「昨日、帽子を忘れました。」というと、
 店主が、笑いながら、帽子を出してきて、おどけて帽子を回して見せる。



 良かった。
他のレストランも空いている。夜はこんな感じなのだ。不景気だもの。
パリの若い人達は、食べられないので、痩せている。
 マドレーヌにある、フォーションには、人がいる。お金持ちと、貧乏人の較差は広がる一方だ。


マドレーヌ広場のお花屋さん
 カフェにも若い人達が。外はまだ寒いのに、
 テラスのテーブルに座って、おしゃべりしている。
パリは、たばこ好きが多い。カフェかワインとたばこに、テラス。



 帰りに、モノプリで買い物をどっさりして、アパートに帰った。
テレビでは、元気な年寄りの生活、長生きするための涙ぐましい、健康運動などのドキュメンタリーが映されている。

 どこでも同じ問題が取り上げられている。
   

Posted by アッチャン at 20:40Comments(0)パリにて