2013年05月01日

センスが良くて、素敵な人は、垢抜けた人

 
     

 まだ母が、買い物マニアであったころ、母に買ってもらった、洋服を、日曜の廃品回収の日に、思い切って、沢山処分した。ビニール袋に詰めて、3袋。
自分では、到底買えない、高価なものだから、捨てられなくて置いていたけれど、
形が古く、肩パットが入って、素材は良いものの、軽いものしか受け付けない体には、重いので、これから先、着ることはないだろう。
 何度か、袖を通したものもあれば、まだ、値札がついたままのものも。
スタイリストをしていた、大学時代の仲間の一人が、「2年袖を通さなかったものは、まず着ないから、処分すべき。」と言っていたのを思い出しながら。
、立派に、捨てもの、と自分に納得させたはずだけど、出先から帰って、家の前になくなっているのを見ると、心が寒い。
文庫本も、アメリカに送ろうと思っていた日本作家のものや、海外小説の翻訳ものなど、字が小さいので、読みづらいもの、ほとんど捨てた。
まだ読んでいない、岩波文庫を捨ててしまったことで、心が痛い。
 身の回りにある、というだけで、気分が落ち着いているのは、執着心と、物欲が深いわけだけど、心が寂しい。


 
 片づけられるうちに、と、タンスから、重い衣服を出したり、本を運んだりしていたら、
 左手の捻挫した所が、少し良くなっていたのに、ま再び、悪化して、持ち運びに支障をきたすようになった。ずきずき痛んだり。
 
図書館で借りた、字のでっかい文芸書を寝転んで読んでいると、腕は痛いわ、だるいわ。
物持ちから、物なしになって、軽くなった分、少々の重さも、耐えかねる。

今日の、徹子の部屋、に、岸恵子がゲストに。
いつも素敵な岸恵子さん。今日は、夏用の毛皮のコートの中に、黒のドレス。流行だそう。
徹子の部屋に、初回から10回ほど出演での、岸恵子スタイルの写真が、次々に写しだされた。
 お洒落でセンス抜群の、岸恵子さん。スタイルも抜群。
「お洋服を買うのが大好きなので、随分買います。」
「着ないで、とっとくの?」と徹子が質問。
「あげることも多いのよ。上だけあげて、下が残ってたり。」
映し出される、自身の写真をみながら、
「このころは、ウエスト58センチだったの。今はとても。」
この間まで、スカーレット並のプロポーションを保っていたわけだ。


お洒落上手で、あか抜けた人は、随分沢山買って、沢山処分している。

沢山買って、沢山捨てて、沢山お金浪費して、寒い、痛いの思いしてセンスを磨く。自分いふさわしい衣類を身にまとうようになる。
お姑さんだった人は、普段着が着物の人だった。
楽に、馴染んで、着物が良く似合う。時々、洋服を着ると、全くそぐわない。別人のようにやぼったく感じられた。
「着物百枚、といって、百枚くらい、着ないと、着物は着られないもの。」と言っておられた、着物道楽の人だった。毎週、美容院で、頭を洗ってもらって、セットしてもらって。


  

 身に着くもので、その人の人格がわかるもの。その人の思想や、生き方がわかる。
 私の場合、中途半端な性格が、そのまま、身の回わりに現れている。
 
 友人の中に、とてもお洒落上手な人がいる。
学生時代から、自分にあった、ファッションがしたくて、衣服を縫っていた。買うお金までないから、と。
彼女が、最もこだわるのは、色合わせ。カラーコーディネイトになりたかったけれど、ご主人の世話が優先される、裕福な家庭の、奥様になって、それはかなわなかったけれど、
彼女のセンス磨きには、益々磨きがかかって、私のダササと、どんどん開きが出る一方で、
たまに会うだけなのだけど、会えば、新しいファッションの先駆け。
この前、会ったときに、スニーカーを履いて来た。半年以上前のこと。
最近、スニーカーが流行していて、ファッションの番組で、コーディネーターが、スニーカーに合わせた服装を紹介していた。
 流行にさきがけて、誰も着ていない頃に、自分のスタイルに取り入れて、楽しんでいる。
彼女は、多くを手元置かない。家は、いつもすっきり片付いていて、部屋のコーディネイトのセンスも抜群。広々とした空間が、心地よい。
 新しい本を、沢山読む人で、読んでしまうと、ブックオフに持っていくという。
  玉三郎や、猿之助、はいわずもがな、ビート武も、普通の人とは全く違う。
自分という存在を、客観的に見つめ、その自分を最も素敵に見せる服を、沢山着こなしてきたからだろう。



 垢抜けている人、という別名がある。つまりは、身に垢を貯めていない人の事をいうのだなあ。あかすりしたら、身体が軽くなると言われるけど、けっこう、あれ、痛いんだよ。


  

Posted by アッチャン at 13:01Comments(0)日々の事