2013年07月30日

祖父の夢を見た

 
    

 夢を見た。
祖父母の夢だった。
夢は一瞬のうちに見るという。
明け方、暑さで早く目覚めるのだが、
窓を開け放って、再び寝入った間の夢だった。
祖父母が、和歌山の神室という疎開先から大阪の
天下茶屋に出てきて、商店街の一角の貸家にいたのは、
ずっと以前のことで、叔父が結婚する頃には、京阪の門真に
一軒の家を買って、そこに死ぬまで暮らしていたのだけれど、夢は
なぜか、天下茶屋で、祖父の終の棲家になっている。
夢の中では、祖父の家がいくら探しても存在していない。
探しながら、私は酒屋を見つけて、祖父に、お酒をプレゼントしようと思った。
そういえば、祖父に何もプレゼントしたことがなかった、と思いながら。
酒を買い、また祖父の家を探して、暗い道を歩いた。  そして気づいた。
祖父は、すでに亡くなっていることを。ずっと以前に亡くなったことを。
私は深く後悔し、悲しかった。
一度も、祖父に、喜んでもらえるものを上げたことがなかった。
母に付き添って、車を運転して祖父母の家を訪ねたことは何度もあった。
祖母が、母の変わりに、家の手伝いに来てくれたこともあった。
祖母を連れて、有馬に二度、三度、母と共に行ったことがあった。
祖母には、プレゼントらしきものをあげたことが幾度かあった。
祖母とは、仲良く話をしたり、祖母が家では、耐えに耐えている愚痴を
聞いてあげることもあった。
祖母は、私の実家の賑やかさが好きで、母が助っ人を頼むと、すぐにやってきた。
母が交通事故にあい、2,3か月入院していた時には、ずっと家にいて、家事全般をこなし、母の病院の付き添いもしてくれていた。
「そろそろ帰ってあげないと、おじいさんが寂しいらしいから。」と言って、帰りたくない家に帰って行くので、「あばあちゃん、可愛そう。ここに居れば良いのに。」くらいにしか考えなかった。祖父の寂しさを思いやることがなかった。
思えば、祖父を話をしたという記憶があまりない。
刀を研いでいる姿、煙草をくゆらせながら、周りの人の話に耳を傾てて、お酒を飲んでいる姿、硯の炭を擦って、書を書いてる姿、刀にぽんぽんと、白い粉を吹きかけて磨いている姿、そういう姿は思えているけれど、祖父と対面して話をすることはなかった。
ある時、母がいて、祖母がいて、祖父は、顔を紅潮させてお酒を飲みながら、話を聞いていた。祖母が、祖父の話をしはじめた。
 祖父に惚れて、ずっとおっかけをしていたあるお金持ちの未亡人の話を始めた。
祖父は、嬉しそうに、笑みを浮かべて突然、滔々としゃべり始めた。
優しくて、寡黙、古武士のような人だと言われた祖父。
父もその人柄に惚れていた人。
その人から届いた、数多い恋文を、祖母も周知のこと。
侯爵か宮家のほうな名前の女性だった。

おばあちゃん、可愛そう、そう思っていた。祖母は、色恋には無縁のような、田舎者を
自負していた人で、ひっつめの髪に、清潔で地味で、目立たない着物を着ていた。
美人とは言えない。
母が、可愛いと誰からも好かれるのは、祖父の顔立ちと、祖母の心美人を受け継いでいるからだろう。
父は、祖母を、仏さんのような人だと言った。裕福な家に生まれ、乳母つきの祖母だった。幼くして父を亡くし、いつも寂しいという祖母。祖母は「人間は話を出来ることで、生きているのよ。」と私に良く言った。

祖父は、藤沢修平の小説に出ているような、色気のある、古武士のような人だったようだ。

夢の中で、祖父にお酒を持っていけば、きっと喜んでくれると思った。そして、祖父がとっくにいないことを思い出し、祖父に喜んでもらえることを、何一つしていない私を知った。後悔先に立たずである。

言い訳を考えてみれば、あの頃は若く、自分の不幸にばかり気を取られていた。生活も、精一杯だった。母の親孝行に、私が手伝っている、という自負だけがいつもあった
  

Posted by アッチャン at 09:35Comments(0)日々の事

2013年07月29日

松竹座「七月大歌舞伎」

  

      

  松竹座「七月大歌舞伎」は、東京から、橋之助と福助兄弟をゲストに、関西歌舞伎の松嶋屋3兄弟、我當、秀太郎、
仁左衛門、それに加えて、翫雀、扇雀兄弟という、兄弟が揃っての共演が見物の舞台です。
 昼の部は、30年ぶりとかの出し物で、柳沢吉保の出世にかけた生涯で、人を踏み台にし、人を殺し、のぼりつめたけれど、人の真心よりほかに、大事なものはない、と悟るという物語で、橋之助が主演で福助がその相手役。関西人は彼らを迎えての役処を演じている。
二作目は、仁左衛門の「保名」清元の舞踊で、一人舞台。病人の舞なので、動きが少なくて、玉三郎との共演なれば、心も踊る所だけど、だらだらと病人らしく覇気のない舞なので、寝みたくて、うとうと。




終わってから、心斎橋をぶらついて、夕方待ち合わせの時間まで。
ネットで買った、チケットの機嫌が迫っていて、友人を誘って「豆助」という和食居酒屋に。
木津市場から仕入れた、新鮮な魚自慢の店で、雰囲気も悪くないし、味もそこそこ。8千円分を4千円で買ったもの。
税サービスが別なので、2千円ほどオーバーして支払った。
わざわざ、心斎橋まで出向くほどの店ではないけど、心斎橋から本町の問屋街ぞいにあるので、結構客は入ってて、料理や飲みものの値段も手頃な店。
8000円は使い切らないと、随分食べて飲んだので、コナミにはとても寄れずに、家に帰って来た。
翌日は、天神祭りで終日出ていて、一日空けて、松竹座の歌舞伎、夜の部を観に。
昼の部の方が、観客は多く、私のもらった席も、二階の前から二番目で、前の人が前のめりに観ているので、それも観劇の邪魔になったが、夜の部は、最上列で、見やすかった。株主への招待は、1等席の2階というのがほとんどで、引き換えの初日の朝に待っていてとらないと、二階の前は取れない。




夜の部の方が、ずっと良かった。
最初の「曽我物語」は、台詞ばかりなので、我當さんのしんみりとした声が、会場に響いて、得意の役処なので、安心して見ていられる。息子の信之助と、翫雀との共演。






二作目の「一條大蔵物語」は仁左衛門のあほうぶりが、旨くて、観客は大笑い。常盤午前には、秀太郎。平家打倒を祈願する源氏の残党に、橋之助、その妻に、仁左衛門の息子、孝太郎。女役としては、孝太郎は相当な才能を発揮していて、舞姿も美しい。
1時間の舞台なので、アッという間に終わってしまったと思うくらい面白い舞台だった。




  

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2013年07月27日

天神祭

    

      
          

  行ってきました。ついに、行ってきました、天神祭です。
大阪に生まれ育って、初めてとは。
 天神祭りの頃が、夏の暑さがピークだと言われています。その上、混みようが半端じゃない、大阪のお祭りです。
 祭り好きでもない私が、全く興味なかったのですが、寄る年波で、日本の祭も、見ておかないと、と思うようになって、友人の声をかけたら、二つ返事で同行してくれるというので、頑張って行って来たのです。
 友人は、子供の頃、叔母さんのお友達の家が、堂島の川べりにあって、天神祭りには、招待され、渡船や、花火を毎年のように見物していたとか。
 11時に天満で待ち合わせ、商店街にある、「大陸風」という中華レストランで早めの昼食をすませて、天満宮に。商店街ではすでに神輿が、各店舗の前で、縁起担ぎをやっていました。
 天満宮に入ると、天神祭りのお囃子にあわせて、女性2人が踊っています。軽快なリズムにのせて。
 祖父がよく口ずさんでいた、なつかしいお囃子、身体が踊りだしそう。
 暑い。耐えられない暑さ。




 おもわず、手洗いの、屋根付きの日かげに入りました。風が通って、涼しい。
 そこにいると、随分暑さが楽なのです。そのそばにいる女性は、朝から来てるそうで、
 前回来たときは天満宮に入れなかったそう。もう入口は入れないだろうと言うのです。
 随分沢山の人が、炎天下にもかかわらずに、立っています。私たちの前は、紐で人が入れないようになっていて、その前に立つ人たちに、係の人が、そこはだめだと整理しています。横にいた男の日は、天神祭りに詳しくて、そばにいる人たちに、説明している。




 そばにある、催太鼓が、一番の見ものだそうで、境内は、神輿を担ぐのですが、30秒も持たなくて、落としてしまう、昔のように、中央市場の腕っ節の強い人がいなくて、誰も担げないというのです。境内は、それでも、人が変わって、担ぎ、外に出ると台車に乗せるそうです。
30人の選ばれた、太鼓打ち全員が、かわるがわる、上下に揺れたり、横倒しになりながら太鼓を打ち鳴らす。
 私たちは、一度どこかで涼んでからくるつもりだったのに、そのまま待たないとみられそうもないので、その場を確保して、ずっと待っていました。約2時間です。




飲み物も持たず、前にある手洗いの水を手にかけたりして暑さをしのぎながら。やがて、3時間になり、太鼓が引き出されました。
 その人の説明通り、30秒もしたら、落ちるので、上で太鼓を叩いている人達、怪我しなかな。
 そのうちに、落ちる度に、おかしくて笑ってしまう。最初はびっくり、迫力に仰天していましたが、しつこいくらいに、同じことが続くので、早く終わらないか、そればかり。




 説明をしてる男の人は、仕事をやめてから、毎年来ているそうです。
 最初の催太鼓が、なかなか動かないので、次のが外に出られません。
 4番目の、獅子舞が、素晴らしいそうで、それまでずっと我慢で待っていました。
 獅子舞と、900人の子供達などの花笠踊りと、竹踊り。




 その頃になると、出演者たちが立っているので、境内の様子が見えません。
 獅子舞の踊りも、ちょろっと見える程度。
 もう限界やね、とついに私たちは、その場を離れましたら、全く見えていない人達が一杯、炎天下でがんばってます。なんとご苦労なことでしょう。
 陸渡行列は、まだこれから、5時前まで続くそう。
 友人は夕方には帰らないといけないので、喫茶店に入って、水分の補給をしながら、しばらくお喋り。
 生き返ったよう。




 友人は天満から帰った後、私はこのまま帰ろうか、渡船を観ようかと迷ったあげくに、
 せっかくだから、見て帰ろう、見られなかったら、それがそれで、と天満から桜ノ宮までの一駅乗るつもりだったのですが、
 天満の駅にも、、もう随分人がいて、臨時の切符を売ってる人が、桜の宮では降りられない,川に行くのなら、天満宮まで歩いて、そこをまがって、というのです。
もうあの混雑した所に行くのはごめんだ、と思い、もらった地図をたどって、JRの道沿いに歩いて行くと、帝国ホテルの前の道に出ました。
 トイレに行きたくて、そばにあるアパホテルに入ると、利用者以外はお断りと書いてます。
 帝国ホテルまで歩きました。帝国ホテルは、さすが一流、そんなことは書いてません。
 それに、帝国ホテルの裏側には、淀川の乗船場があって、沢山の人がビニールシートを並べて座って待っています。
 私は、ビニールシートの間になる、わずかな地道の柵の前に立ち、渡船を目の当たりに見ることが出来ました。
 100艘もの船が、出ていたようです。なかなか風情のあるものです。
 文楽船では、太夫が文楽人形を使って、祝いの舞を披露しながら、乗船者達にサービス。
次に、落語船もやってきます。



 ABC放送などのアナウンスも聞こえてきます。
 私のいる隣では、タイの歌と踊りを舟を利用した舞台でやっています。
そのうちに、花火は打ちあがりました。
 私がいる前の川の対岸のほうに、打ち上げの船があって、花火は迫力満点、皆の歓声が 花火と共にあがります。
 ずっと立ったままの状態で、足が棒になって、ずきずき。
9時の花火が終わるまでいたら、帰られないだろうと思い、8時半頃にその場を離れて、人込みの中を逆流するように歩きましたら、桜ノ宮駅へは行けなくて、また、天満駅まで歩かないといけなかった。多くの人が、やってきて、多くの人が、帰って行く中を、
周りは、ビールの美味しそうなこと。




 出店が沢山出ていて、食べている人、飲んでいる人、歩きながら飲んでいる人達。
天満駅で乗れなくなったらいけないので、私は梅田までは、帰ろうと。
 お腹は空くし、のどはからからだけど、飲まず食わずで、家まで帰ってきました。
シャワーを浴びて、ビールを飲んで、お腹いっぱい食べて、やれやれ、ほっとしましたが、
 足が痛んで、身体は変に暑くて、その夜は寝られませんでした。疲れすぎていたものですから。
 もうこれで、天神祭りは、卒業やな。でも、行って良かった。見てよかった。がんばって、良かった。
さすがやね。大阪の熱い祭り。
  

Posted by アッチャン at 15:57Comments(0)日々の事

2013年07月22日

自民党圧勝

  
    


 自民党の圧勝で終わった参議院選挙、前回のリベンジを果たしたわけだが、最近の選挙は、メディアの予想通りで、誘導選挙の様相が濃い。
その中で、山本太郎は、東京激戦区で、1000人のボランティアに支えられて当選を果たしたというニュースだけは、快挙だ。
市民運動から出たという、管前総理が野心と好き嫌いだけで、政治を動かそうとして、民主党の奈落の底に貶めたが、今回の東京選挙区でも、民主党からの公認を、二日前に取り消された候補を、応援するという身勝な行動で、見事に、両候補の共倒れの片棒を担ぐ結果となった。
 生活の党は、たった一人の当選者も出すことが出来なかった。
会見で、小沢さんは
「自分の責任を免れるつもりはないが、民主党政権の失敗が大きい。」と述べた。

確かに、民主党が、小沢さんを中心にして、やろうとしていた政策は、権力によって、またたくまに、官僚の壁に押しつぶされた。その背後に、自民党がなりふりかまざず動いていたことはうまでもない。
そんなことは、小沢さんなら、百も承知だったろう。

あの暑い、夏の民主党の代表選挙で、小沢さんが、民主党の代表に選ばれていたら、政治は変わっていたかもしれない。
国民は、あの時も、メディアに誘導されて、管総理を誕生させた。

あの民主党への熱い期待を、コテンパンに潰した、執行部の連中は、顔を出さない。存在さえ感じられない。
小沢さんが、信頼を寄せていた、細野さんは、今回の東京選挙区で、初めて民主党の議席を失った責任を取って、辞任するという。
責任を真っ先に取るべき、海江田代表は、続投の構えだ。
小沢さんに支持され、一回目には、代表選挙で代一位になっていながら、小沢つぶしの結託で、野田さんにその座を奪われた海江田さんだが、小沢さん離れの上で、代表についた。

細野さんは、原発事故の後、真剣に取り組み、被災者の信頼も得ていたのだが、海江田代表になってからはインパクトも自身もなくなり、民主党の弁明をすればするほど、むなしく聞こえた。

自民党は、浮かれてはいられないことは自覚している。
振り子のように、国民の表は動くことを経験している。
国民の期待の大半は、「自分たちの暮らしが良くなること」つまりは、収入が増え、暮らしが良くなった、暮らしが楽になった、と実感できることなのだ。


その実現のためには、規制を取り払って、地域の活性化を図らねばならない。と同時に、セーフティーネットも張って、弱いところをカバーしなkればならない。

既得権益に切り込んで、官僚支配を打ち破ることが、自民党に出来るだろうか。

勝てば官軍では、すまされない。責任の重さを実感してるいるという言葉は何度も聞いている。
実効あるのみ、結果を出さねばならないとも。国民の声に答え、国民が希望を持てる国に、果たして
出来るだろうか。



それが出来たら、小沢さんも、浮かばれるというものだ。
身を捨ててでも、なさねばならない、民主主義の確立が、小沢さんの政治生命であるから。

 公明党の存在価値が、これから問われるだろう。右翼化を止めるのは、彼らの役目。

 平和主義に徹して、中庸を貫いてほしい。 自民党の右翼化を阻止できるのは、今の所、公明党しかないのだから。

  

Posted by アッチャン at 12:13Comments(0)コラム

2013年07月21日

ポートピアホテル30階ラウンジ


    



  一年ぶりに会った友人と、飲んでお喋り。神戸のポートピアホテルは、三宮から、それほど距離は離れていないけど、30階からの素晴らしい展望は、別世界のよう。
 2時間フリードリンクで、6種類の食事付の税サービス込4200円、というコース。
 友人はビール党で、私はビールから始まって、白ワン、最期はジントニック。
 2時間なので、それで出ないと行かないかと思っていたのだけど、そうではなく、2時間分食事と飲み物が終われば、あとは、話をして長居しても大丈夫。
お酒に合う料理ばかり、量もそれほど多くないので、6種で丁度良かった。
 息子の結婚祝いを出されて、私は関知していないので、受け取れないと辞退したら、
それで、この飲み会の支払いをして結婚を祝ってくれるというので、ご馳走になった。




 こういう形で、息子の結婚祝いをしてもらえて、良かった。
 彼女とは、たまにしか会えないのだけど、それだけに話が長くなる。
 気づけば、10時半。ここはまだ三宮ではない。遠い感じの、ポートアイランド。ホテルから、どこを出れば、駅に行けるのやら、何も書いていない。




 2階のダイニングを覗いて、聞いたら、駅への出口まで案内してくれた。
 三宮までは、友人と一緒だから、わりにしゃんとしていたつもりだけど、阪急に乗ってからは、ふらふら、こっくり。
 駅から、タクシーを待っている間も、気分が悪くて。ちゃんぽんして飲んだから。
 家に入って、ずっとお酒が残って、今朝も、ソファーに横になって、居眠りばかり。
 投票には行ったけれど、そのほかは、寝てばかり。
  
 
  

Posted by アッチャン at 14:00Comments(0)食いしん坊

2013年07月19日

小料理屋「たけうち」

    のどぐろ

 最悪だけど、助かった。
 松竹のホームページで、新歌舞伎座の8月公演の案内で、猿之助がスーパー歌舞伎に出演すると思って、新歌舞伎座のチケット売り場に電話した。
 お盆の頃は、前から2番目、3番目の席があると言われて、電話予約で買おうとした。
 私の癖で、迷いだした。それからまた、新歌舞伎座のページを開いたら、舞台後のトークショウがあるという。行くのはその日にしようとまた電話。
 トークショウんは、笑三郎や、右近は出るが、猿之助は出ないようなので、興味ないから、お盆のすいた日に行こうと、また電話で席を予約。
電話の向こうで、一旦予約したら、変更、キャンセルは出来ません、と言われて、また迷った。それに、郵便の現金着払いで、手数料が700円かかると言われると、また躊躇。
「すいません。売り場に行ってから、買います。」
大阪に行く用事はあった。
 上六は不便だけど、地下鉄で足を延ばして、チケットを買ってから、天神橋の飲み屋に行けば、一挙両得だ。
 少し飲み会には遅れるけれど、大急ぎで、すたこらさっと、歩くこと。谷町九丁目から、地下を歩いて、汗だく。
 やっとこさ、新歌舞伎座に。新しい歌舞伎座は、6階にある。
 劇場のチケット売り場の横に、大きな看板が。見ると、右近の顔。どこにも猿之助はいない。
 私の勝手な思い込みで、すんでの所で、助かった。
右近主演のスーパー歌舞伎は観たくない。猿翁さんのそっくりさんみたいな台詞は聞きたくない。
 ああよかった。買わなくて。ここまで来たのは、骨折り損だけど、不幸中の幸いというもの。
 新歌舞伎座から、元の道を通って、谷九まで結構長い道。膝の痛みをこらえて歩く。

はも鍋

 飲み会の「たけうち」へは、地下鉄の南森町が便利だと聞いていた。この前行った時には、JRの天満駅で降りて、そこから天神橋筋を南森町の方に向いて歩いた。
 南森町からも近くない。不便な場所にある、下田屋の居酒屋。

ワタリガニ

友人の一人は、週に一度は通ってるという。
 それだけに、味は良い。魚料理がメインの店。その夜は、6人だった。
 最初の生ビールの美味しいこと。汗だくで、沢山歩いたのだもの。
 料理が出てくると、6人で分けるから、またたくまになくなる。胃のどこに入ったやら。
 飲んでいるし、喋るのに忙しくて。最後に食べた、巻物の鮨の味、穴九が美味しかった。
 結構な量のお酒を飲んだようで、帰ってから、いかりの「納豆おかき」を食べていたようだけど、翌朝その残骸を見て、ジエジェ。
 夜中、酒が残って気分が悪かった。飲みすぎたらあかん、と後でいつも後悔する。
ブレーキの効かない,意志の薄さよ。頭痛がする。
  

Posted by アッチャン at 14:50Comments(0)

2013年07月18日

エアコン

   


 昨日、寝室にエアコンが入った。比較的涼しかったけれど、締め切った部屋に、タイマーを入れて、冷房しながら眠ることが出来た。
 それまでは、窓を開け放して寝ていたのだ。
ここまでは、泥棒さん、上がってこないでしょう、と家を設計した段階で、設計士が言っていたけれど、一応、雨戸はつけてもらっていた。
 風を入れるには、雨戸を閉めるわけにはいかない。
物騒だとこわごわ、寝ていたのが、昨日からは解消された。
 昨今は、熱中症が問題になって、エアコンをつけることに決めた。
 私の事だから、一台のエアコンを購入するのにも、迷ってしまって、なかなか決められなかった。
 寝室なので、2時間ほど使うだけだら、省エネにはそれほどこだわらなくて良い。それも、暑い日だけ。
先週、ヤマダ電機で、広告の品として、出ていた富士通のエアコン、その時には600人待ちだったのに、しばらくすると、三日後にはつけてもらえるとのこと。しかも、値段が、この前聞いたよりも安くしてくれた。土日特価だとか。
平日に買うよりも安いのだそうで、工事も今なら、入れてもらえるというので、それに飛びついた。
 もっと早くつければ快適に過ごせたものを、やせ我慢しながら、うちわ仰いで、手がつかれる頃眠りにつていた。原発反対。節電にあい勤めていたのだが、電力は十分足りているとのこと。電気代は電力会社が好きなように上げていく。

 民主党には、がっかりしたし、小沢さんの、すっかり老いこんで、覇気のない顔見ていたら、終わったなあ、と思う。
 安倍政権は、公明党がいなくても、単独で過半数をと取る勢いで、反原発はどこへやら、
皆、こぞって、目先の景気回復に期待している。

 命よりもお金が大事、という傾向は、本屋に並んでいるベストセラーにも表れている。
 お金儲けの話や、林真理子の「野心を持ちなさい。」という本が売れているが、お金で買えないものはない、という話。

  聖戦と称して、お金で息子の命を売り渡す母親もいる。自由の国アメリカでも、飴をぶら下げて、兵士志願を募る。
  安倍首相は、原発を売らなければ、他の国が売るから、原発はなくならない。求めている国があるから、売り込みに。  経済的大国として、再興する為に、日本の技術を売りに行く。殺人兵器を売りに行く。

 良くならない世の中に、絶望している若者達は、選挙に行かない。行かないと、益々悪くなる。世の中を変えるには、選挙権を行使する以外にはない。
 最悪の状態においても、絶望しても、そこから突破してかないと、打ち破れない壁。
 
  

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2013年07月17日

飛騨古川

   
  
 
 飛騨古川は、高山から特急で富山行列車に乗って一駅。4月の祭には、この古びた宿場町の宿という宿は、満室で、高山あたりに宿を取って、訪れる客も多い。夜の9時半くらいから祭りは始まるので、夜中の臨時列車が運行されるとか。
帰りは、飛騨古川から乗ることに決めていた。高山から飛騨古川までは、バスと電車、二つの方法があるので、切符は買っていなかった。
 バス売り場で、バスと電車、どちらが値段安いかと聞くと、電車だというので、電車でいくことに決め、乗車券を買った。
売り場の職員が、次の特急は、というので、「特急ではなく普通で行きます。」と言って230円の切符を買っていたら、高山から富山方面に行く列車は、ほとんど特急しかない。普通うなんてない。
予定の時間の電車も、当然のこと、特急で、わずか一駅、特急券を追加、バスの方がずっと安かった。バスは、1時間に2本、少なくても1本は走っている。時間も25分くらい。
なので、一時間に一本の特急よりも便利だ。




そもそも飛騨古川に行ってみたいと言っていたのは、友人のほうだった。
テレビで紹介されていて、とても良さそうな所だと。
駅には、キャリーバッグを預けるコインロッカーがなく、タクシーの運ちゃんが、暇そうに客待ちをしていた。コインロッカーはありますか?と聞くと、
「駅にはないよ。ここで預かってくれるわ。」と前の観光案内所を指さした。
 親切なんだ、嬉しやで、中に。
ここで預かってもらえると聞いて。ハイハイ、通常は、一個300円いただく所ですが、小さいので、おまけして、二つで500円でよろしゅうござんす。
 なんや、ただじやない。ちゃかり儲けてはる。
「事務所、5時には閉まりますから、それまでに。」
 4時40分の電車ですから、ご心配なく。」
ありがたいこっちゃ。預かってもらえる所があって。
お腹が空いてたまらない。時間は1時を過ぎている。




「どこか美味しい店教えてください。」
観光地図を出して、何が良いですか?
飛騨蕎麦は昨日食べたので、他のものでもいなあ、お肉以外のものを、というと、郷土料理で人気のある店が、すぐそこにあります。常賀茂ホテルです。
蕎麦なら、飛騨匠会館の前の、「福全寺蕎麦」がお勧めです。
早速、郷土料理の店のある、ホテルに。
中に入ると、「すみません。もう終わりです。」と言われてがっかり。
「お向かいの岡田さんなら。あそこも美味しいですよ。」
「料理は?」
「お肉料理です。」




仕方ない、蕎麦にするか。私は毎日でも蕎麦なら。私も蕎麦で良いよと友人。
飛騨カレーが有名だから、カレーでも良いね、というので、岡田さんで、私は肉食べようと思ったら、そこは定休日。
蕎麦だ、蕎麦だ。てくてく歩いて、蕎麦屋に行くと、
売り切れで店じまいしている所で、またがっかり。
「ここを行って、古い町並みに入って、左に曲がって行くと、「なかや」さんという蕎麦屋があるます、と教えてもらった蕎麦屋目指して、また歩く。
やっとお昼にありつけたのは、2時過ぎ。
ケンミン賞で取り上げられた、味噌ねぎの天ぷらつきのざる蕎麦を注文。
取り上げられた店は、うちではないのですが、とおかみさん。
のどが渇いて、ビールをぐぐっと。美味しい。ビールによく合う、天ぷらだった。
お蕎麦はあまりかわらないが、つけ汁が昨日の方が美味しい。




 手打ちの蕎麦は、十割も同じ。昨日は、蕎麦に塩をつけて食べてください、と言われたが、ここはそんなこと言わない。
「酒屋はありますか?」
ここを行ったら、両側に二軒、造り酒屋があります。
飛騨古川は、造り酒屋でも有名で、お酒の町なのだというので、友人は酒飲みの旦那に頼まれた、土産を買わないと,この旅は終わらない。
試飲ですっかり酔ってしまった。その前に飲んだビールも効いてる。
 「土産物屋はありますか?」宅急便で送ってもらい、今度は土産物屋探し。
一軒だけ、あります、という方向に歩く。そこに入って、友人が買っている間、私はキョロキョロ。
 店のおやじさんが、「味噌ネギのケンミン賞はうちのものです。それぞれ味が違うので、食べてみてください。サービスします。」
 私は、断れずに、「ありがとう。」
 レストランは終わっていて、味噌ねぎ天ぷらを皿にのせて。
 お腹は一杯で食べられないのに、無理して食べたら、確かに味は違うけど、辛い、きっと美味しいのだろうけどお腹いっぱいで、お酒も回っていて、ヒックヒク。
 また歩き出した。




さっき出会った、車の女の子が、「お堀端は綺麗です。休むことも出来ますよ。」と教えてくれた場所に。
鯉が一杯、疎水に放されている。



友人は、「ここがテレビで紹介されてた所だわ。」
 旦那さんは、彼女が、行ってみたいわ、とテレビで紹介されているのを見て言うと、いつも「これが最高の場所で、他に何もないのに、あほやから、行きたいわ、もっと素敵なんだろうと期待して行って、がっかりするのがおちや。」と言うらしい。
道理かも。

  

Posted by アッチャン at 15:45Comments(0)旅行

2013年07月14日

高山観光

 

 朝、9時40分名古屋まで新幹線に乗って、名古屋発の富山行、ワイドビューの特急に乗れば、午後1時過ぎに、高山に到着。
 さすが新幹線は早い。距離では短いのに、高山まで倍の時間がかかった。
平湯までのバス券を買ってから、高山で、飛騨蕎麦の昼食を取った。観光案内所で教えてもらった店まで、駅から歩いたら、結構距離がある。
駅前にも蕎麦屋ならあるのだけど、なんとなく、奥の店の方が美味しいような気がして。

 


 山菜そばと、そばがきがお勧めの店だけど、ざるそばを注文。
 蕎麦の香りがして、固くゆでた蕎麦の味は格別。蕎麦の値打ちは、蕎麦もさることながら、そばつゆが大事だ。
 買ってかえりたいくらい、美味しい。蕎麦の量も、思いのほか多くて、夕食までこれで何も食べなくて丁度良いくらい。
 風情のある、古い町並みには、観光用の人力車に乗ったカップルがいる。この暑さ、ご苦労なこってす。





 豆菓子の店に入った。ピーナッツに飴をからませた、豆板は私の大好きなもの。出来立てですという、味見をしたら、買いたくなった。
今日は、これか平湯温泉に行くので、帰りに寄ります、と言って、店を出た。
 早めに駅に行けば、予定したバスよりも早く乗れるかもしれないからと、駅の戻った。
最も暑い時間、お風呂に入ってるようだね、と言いながら。





 別天地の平湯から、翌朝、再び高山に戻った。駅のコインロッカーにキャリーを預けて身軽にあった所で、観光案内所に再び。
 見どころは?と聞くと、
「それぞれお好きな所がありますから。」との返事。
私はそれもそうだね、と思って、それでもまあ、お勧めは?なんて聞くと、
高山陣屋とその前にある、朝市がまだ開いてるとのことで、そちらのほうに歩き出した。
高山陣屋は、以前に来た時に父と観光タクシーに乗って、見物したことがある。




 陣屋前の朝市は初めて。赤かぶの漬物や餅、野菜など、自家製の無添加のものを売ってる店が多い。
その中で、おばあちゃんの漬物の味が気にいって、そこで買った。赤かぶ二つ買うと、抽選できる。
 私はカスで、友人は200円の金券が当たった。
高山陣屋の入場券も身障者手帳を持っている人は無料。JRも半額になるので、身障者手帳を持っている人は、おっくうでも、どんどん旅すれば良いのに、と思う。




高山陣屋は、陣屋の中でも、屈指の立派な造りのもので、重要文化財に指定されてるだけに、ここを訪れる人は、皆、驚きと興味を満足させ、外国人の観光客は、感謝の言葉を残して出ていく。
飛騨の匠が業とセンスで作り上げた建物は、どこをとっても、しっかりして、静かな落ち着いた風情を漂わせている。敷き詰めた畳はきっちりと細かく織られ、美しい。




 畳の美しさ、和建築の落ち着き、自然との調和に、心が和らぎ、疲れが取れる。





昔の人達は、風の通りのよい空間を作り、どっしりした囲いで、夏は涼しく、冬は寒さを和らげる工夫をしていたので、ここにいると、外の暑さが嘘のようだ。

 恐ろしい場所も、当然のこととして、陣屋にはある。

 


 年貢の米俵を保存ずる幾つもの蔵は、今、宝物館になっている。 

   

Posted by アッチャン at 07:19Comments(0)旅行

2013年07月12日

奥飛騨の平湯温泉「平湯館」

 
     
  
 涼を求めて、奥飛騨温泉郷の平湯温泉に行きました。
平湯温泉の平湯館は、何十年前になるでしょうか、温泉好きの父が健在で、母と息子の4人で、良く小旅行に出かけていた頃に一度行ったことがあって、以来また行きたいと思っていたホテルです。
冬の終わり、雪の残っている3月ごろだったように記憶しているのですが、当時は、洗い場に天井がなく、父は震え上がっていた事など、今では懐かしい思いでです。
 当時、私は父のお金の負担が少ないようにとの配慮から、安い旅行ばかり探していたのですが、下呂温泉のジャンボクラブ(今はグランリゾートに改名)に4人で出かけたのです。下呂と言えば、草津、有馬と並んで3大名湯の一つなのに、20分もかけて歩いていかねばならなかった、その宿が温泉なしというひどいもので、父をがっかりさせたことも忘れがたい、痛恨の思い出にも。





父は、下呂なら、水明館のお風呂が凄く良い、と言っていましたが、不満の一つも口には出さなかった。
翌日、高山に行き、そこで紹介してもらった温泉宿が「平湯館」だったのです。
バスで当時は、1時間半くらいかかったように思いましたが、今は一時間に一本の割で、穂高まで延長されての運行、平湯まで一時間で行きます。
富山、松本方面からもアクセスできるようになっていて、上高地、白川郷などへのアクセスも。起点の高山では、沢山の外国人観光客が、汗だく観光に励んでいる姿もみられ、そこから上高地や穂高へ行けば、別邸地の至福も味わえるのが魅力でしょう。
温泉が至る所に、沢山あって、一泊ではとても足りない。





高山から、平湯までは、片道1530円かかるのですが、一緒に乗り込んだ4人組の初老の女性達は、手に手に、4000円のフリーチケットを持って、ハイキングか山歩きの服装で荷物を持たないでいるので、近場の人達かと思っていたのですが、私たちが、飛騨古川からの帰り、名古屋までの飛騨高山号の特急に、高山から、乗り込んできて、旅行鞄を下げているので、おそらく高山に宿泊して、歩きと温泉に、バスを利用していたのでしょう。それは、上高地、富山までの2日間フリーチケットでした。
 そういう手もあるなあ。








平湯は、以前の様相とはすっかり変わって、旅館も増え、当の「平湯館」も増築されて、新館が入り口になっていました。
 当時は、季節の良い頃など、とても予約が出来ないほどで、しかも高級な宿だったので、手が出なかった宿なのに、今では、ネットで、信じられないほどの安い値段の設定もするようになっていました。
団体客があって、薄利多売の経営も余儀なくされているとのこと、バブルで旅館を占めている所もいくつかあると、名古屋から来た泊り客の話でした。




以前に来た時には。ダイニングが広く、一杯の客で埋まり、広い庭に、キツネか狸だったかが、餌を求めてきていたのです。
熊襲風情のユーピー通信の記者が、やってきて、一人でダイニングに座ったのですが、どういうわけだったか、その外国人と親しくなって、私たちの部屋まで来て、話をするようになり、帰りの高山見物まで一緒に行動したような記憶があります。
その男性は、サンフランシスコの出身で、サンフランシスコの大地震でお母さんをなくされたとの話を、当時は他人ごとに聞いていたのですが、その後、阪神大震災を体験して、
その恐ろしさが理解できるように。
当時の食事は、食べきれないほどあって、鍋も2種類。

朝食


今回は、少量ずつ、私たちの胃袋にほどよい量で、懐石料理自慢の宿の味は、当時美味しかった思い出通りに、どれも薄味で上品な味。
私たちの手軽コースと周りの人達が食べているのと変わらない、。量が多いとか、お肉が、しゃぶしゃぶから、ステーキになってるくらい。
友人は肉料理がだめなので、赤身のシャブシャブ、50グラムあるかないかで、満足。肉好きの私は、飛騨に来たなら、お肉を食べたいこところですが、健康にはこれくらいで良いのです。
 和式の部屋は、トイレも和式なので、狭いけれど、洋室にしました。膝の悪い人なので、洋式でないと困るから。
 この平湯館で、最も記憶の残る素晴らしさは、かけ流しの露天風呂なのです。
女性用のお風呂は、二階に出来ていて、以前に入ったお風呂とは全く違うのです。洗い場は合唱造りの天井で覆われ、露天は、ヒノキと、石のもの。その後に出来たお風呂です。


大露天


聞けば、私の記憶しているお風呂は、殿方が使っていて、深夜1時から入れ替えになるとのことでした。このまま、女湯だったら、友人に自慢していたお風呂に入ってもらえないと心配したのです。はるばる、新幹線と特急飛騨をつかって、こんな遠くまで来てもらったのですから。
 エメラルドグリーンに見えるお風呂なのよ、と宣伝してたので、行きたいという思いを膨らませていた、そのお風呂に、朝早く入りました。そこも合唱造りの檜天井が出来て、以前のように、寒さをこらえて、洗い場にいなくても良いようになっていましたが、
野趣あふれた大きな露天風呂はそのまま。





 源泉放流の、かけ流しで、所々に、お湯の出る竹が出来ていて、打たせ湯を楽しむようになっています。
以前は、男湯と女湯が、一緒で、入り口が違って、混浴にもなるようになっていたのですが、今では、二か所から出はいりできるようになっています。



 温度も丁度良くて、お湯が綺麗だから、そのまま上がって、自然乾燥。そのほうが温泉の効果があるそうです。首の湿疹も、少し良くなった感じ。






この温泉は、硫黄の匂いがかすかにして、4つぐらいの泉質があるようで、お肌がすべすべになるので、美人の湯らしいのですが、果たして効果は?
 以前の本館に、いろりがあるので、写真を撮りに行くと、上品なおばあさんが、いろりに薪で火を起こしています。
夏なのに、と思いました。
「毎日、火を焚いておられるのですか?」と聞くと、
こうしないと、天井の煤がはげて落ちて来るそうです。何十年も前に来られたのなら、すっかり変わったでしょう、と言われます。





 お肌がとても綺麗で、つやとはりがあるので、
「温泉のせいでしょうか。」と聞くと、「顔は洗いません。ぬるま湯で洗います。化粧品に書いてるでしょう。」
「温泉で洗いました・」というと、
「たまには良いでしょう。」と素敵な笑顔。
 この宿の、大女将さんだったのです。美しい人でした。


  

Posted by アッチャン at 14:04Comments(0)旅行

2013年07月09日

台風一過

 
    

 台風一過、アメリカ旋風は過ぎ去り、家は再び落ち着きを取り戻したかの、ように見えるが、隙間風がどこかにまだ残っていて、肌寒い感じが残っている。
一人暮らしに慣れるまで、少し時間がかかりそう。
一応、親の役目というほどの大げさなことではないが、息子のお嫁さんを私の家族に紹介し終わって、ほっとしている。
結婚式も披露宴も苦手な息子なので、なんにもしないつもりでいたけれど、食事会を開くことで、代役を済ませた。
普段着の和やかな集いだったが、フランス料理だけは、披露宴式にふさわしい、申し分のないものだったので、集まってもらった人達の誰もから、満足感の賛辞をいただいた。
1週間足らずの短い間だったけれど、充実して、濃密な時間が持てたことを、歓びながら、アメリカに旅立っていった。
 母は、孫の名前が忘れているけれど、記憶の底で覚えているのか、息子を前にして、フランス料理をほとんど残さずに食べてくれた。席を立って帰ろうとはしなかった。
 時折、息子の顔を見ては、恥ずかしそうに、嬉しそうに笑っていた。
 息子たちがアメリカに立つ日の朝、荷物を積み込んで、母に会いに行くと、母は、息子の手を握って、「可愛い人」と何度も繰り返していた。


買った炊飯器


この人誰?といっても、「わからない」としか答えないのに、私が、アメリカに行くのよ、と言った一言が、母の心に火をつけてしまって、危ないからついて行く、と言い出して、
何度も「外国に行くの?どうして行くの?」と心配していたが、玄関口でいつものように、別れるつもりでいたら、車に乗せようとしても、なかなか乗ってくれない母が、いち早く乗り込んでしまった。
荷物を積んでいるので、母の座るスペースはなく、全員館内に戻るからと、やっとの思いで母に車からでてもらって、職員が、昼食時のダイニングに入れた。
母の気持ちをそらそうとして職員たちが、努力している様子。母はそれでも、「外国に行って、死んでしまったっらどうするの?:と声を大きくしているのが聞こえる。
息子は、心残りで、後ろ髪を引かれる思いで、去りがたかった。
息子達が、空港バスに乗ってから、私は母の様子を見に行くと、母は落ち着いていて、息子が来たことも忘れていた。
けれど、「外国に行くと危ないわ。殺されてしまうわ。」という意識だけはいつまで記憶に残っている。
 可愛い人に、行ってほしくない、いつまでも一緒にいたい、という思いが心の底にいつも留まって消えることはないのだろう

  

Posted by アッチャン at 06:18Comments(0)日々の事