2013年08月19日

映画「嘆きのピエタ」シネリーブス

  

      

  神戸シネリーブスに、アンコールの最終日に行きました。朝一なので、お昼を挟んで、
もう一本、「嘆きのピエタ」を観ました。
アンコールは、、性格の違う夫婦の揺るぎない愛情と、愛の表現が旨く出来ない父親
が、年金生活者達の暖かい愛情と、ボランティアで指導してる、若い音楽教師との暖かい交流で、歌うことで、ストレートに心の愛を表現でき、息子への愛を歌い上げる。
イギリス的な、夫婦の愛、コミュニティーの愛、信頼で結ばれる愛を、ユーモアたっぷりに描いてるいる。

http://encore.asmik-ace.co.jp/アンコール

ハッピーな気分で、昼食は、これまた、ハッピーな490円の海鮮ランチをいただいて、
お腹も満腹。
「嘆きのピエタ」は突端なら、胸の悪くなる暴力シーンで、思わず目をつむってしまうほどの残酷さ。
 これでは、「アウトレイジ」の北野武はとても太刀打ちできない。

http://www.u-picc.com/pieta/ 嘆きのピエタ

 館内は、満席だ。
冒頭は、青年の自慰シーンから始まり、浴室で、血だらけの汚物のようなもの。それを蹴散らして、ナイフをボードに叩きつける。
 旋盤の機械を前にして、取り立てに怯える夫婦。
高利貸しの下で働く青年は、借金のかたを保険で払わせる。身障者にさせるほどの大怪我をさせる。そのシーンもぞっとするが、突然現れた母親と名乗る女性は、「ピエタ」を象徴している。
この世のあらゆる悪や悲しみ、怒り、不幸を、肩代わりする母なる
マリアを表現していて、憎しみが愛を生み出し、頑なで動物的な存在から、愛なくしては生きられない存在へと変えていく。
凄い、この映画には、全てが凝縮されて詰まっている。
金獅子賞に、ふさわしい作品だと思った。けれど、好きな映画ではない。
 日本人の感覚では、北野武までが、暴力的限界では?。
良い映画であることは、間違いないけれど、身が震え、吐き気がする。それはこの映画監督の見事な表現力でもあるのだけど。

 

  

Posted by アッチャン at 12:15Comments(0)映画

2013年08月19日

映画「最後のマイウェイ」


     

 映画「最後のマイウェイ」
http://www.saigono-myway.jp/index.html

今全国上映中の映画。
クロード、フランソワの生涯を、彼のヒット曲の数々と共に描いた映画です。
途中までは、ちょっと退屈ぎみだったkれど、というのも、3時間の長い映画だったの
ですが、その長さは全く気にならないほど、彼の歌を聴くのが魅力的な映画です。


中でも、マイウェイの詩は、39歳という若さで、波乱万丈の、並外れた人生をかけ抜けたクロという愛称で、多くのフアンから愛された人間の生き方と同じで、クライマックスに至るほど、感動がこみ上げて来て、終わった後、誰も席を立つ人はなく、随分長いエンディングの文字列を、ぼんやりと眺めながら、彼の歌を聴いていました。
世に名をろどろかせた、アーティストというべきか、芸人というべきか、そういう人に共通しているのは、金に糸目はつけない浪費家の破天荒な生き方です。




それを見事な生き方だと言えるのは、名を成し、人を魅了し、独自の才能を開花させ、人の為に生きたからでしょう。
クロード、フランソワも、そういう人だから、心に残る「マイウェイ」という曲を残しているのでしょう。
勿論他にも、沢山のヒット曲をだしました。
なんと、6千7百万枚のヒット曲の売り上げを果たしています。
恋に生き、情熱に生きた人であるのも、そういう人に共通するものでしょう。
友人のブログから、マイウェイの歌が紹介されていましたので、私も、入れさせていただきました。
マイウェイは、フランクシナトラが最も、長く歌っていて、彼の為に、書かれた曲なのかと思っていたくらいですが、クロードは、シナトラが歌っているのを知って、誇りに思い、感激したようです。
  

Posted by アッチャン at 01:14Comments(0)映画

2013年08月19日

安全地帯のコンサート

 
      

 フェスティバルホールは再建築してから初めてです。
レッドカーペットが階段から敷かれて、映画祭の華麗な
場面を思い起こさせる。
ここは、世界の音楽祭などの、フェスティバル用に作られた
ホールだからでしょうか。
音響も素晴らしくて、音楽用としては優れたホールになっています。
安全地帯のコンサートに行ってきました。
 神戸文化ホールで、随分前に観ことがあり、二回目です。
文化ホールでは、自由席で、二階の後ろの方だったので、今回の
1階23列目の中央という席には、随分期待をかけて行ったのですが。
安産地帯のメンバーが登場するや否や、下からウェイブのように、席を立って
私の前の人達も全員総立ち。




 当然、私も立たなければ見えません。
その後、終了するまでの、2時間20分、立ったまま。
休憩なしで、ぶっ通しの、迫力とエネルギー全開のコンサート。
玉置さんは、大阪、フェスティバルホールでのコンサートが超お気に入りになったようで、このコンサートも追加で計画されたもの。
確かに、音楽家にとって、ここは自分達のパーフォーマンスを最良の状態で提供できる
音響効果の良いホールの上に、大阪の観客はのりが良く、感情表現が直線的に真っ直ぐに
アーティスの胸に飛び込んでくるという魅力があるのだと思う。
亡くなった、勘三郎も、大阪が大好きだったようで、彼のような熱い舞台を実現させるアーティストには、大阪は魅力的なのだろうと思う。



 でも、フェスティバルホールでは、ちゃんと席に座って、音楽を聴きたいね、というのが私の感想です。
 ずっと立ちっぱなしで、手を挙げて、同じゼスチャーを繰り返す熱烈なフアン達の
エネルギーの凄さ。
音楽を聴くというよりも、祭に参加して、その紅潮感に酔いしれてるよう。
 後ろの人達は、アリスから、なんちゃたら、結構沢山のコンサートを観ている様子、話声で。
 私は、今回ので、もういいかな、と思うのに、ご苦労さんなこってす。
フアンは、きっとほとんどの曲を聴きあきるほど聞いて、マイクを向けられると、大合唱になって、これもアーティストとの一体感に酔いしれるのでしょう。



 コンサートが終わると、ぞろぞろとおとなしく帰って行くフアン。またいつ会えるだろうと次の機会を心待ちに。


 ずっと以前、大阪城ホールで、アリスのコンサートを母と観たときは席に座って、皆、しんみりと効いていた。
 盛り上がりの少ないのも寂しいもの
 
  

 
  

Posted by アッチャン at 00:14Comments(0)art