2013年08月29日

 セゾン

   
    

 風があるが、蒸し暑い夜。
 台風が日本に迫っている。
 週末は、また荒れ模様
 雨を待ち望んでいる
  大雨の被害に苦しんでいるのに、
貯水池は、枯渇している。

そういえば、蝉が鳴かなくなった。
窓を開けると、ミンミン、ミンミン
煩くて、煩くて
あの蝉たちは 命の限りに
泣き叫んで、叫びつくして
木の葉のベッドで
永遠の眠りについているだろう

風に乗って、鈴虫の声が聞こえる
もう秋だ 
そっと、忍びよるようにやってきた
秋の気配が あたり一面に漂い始めた
風が秋草の匂いを運んでいる
夏の名残を残しながら
秋が主役に躍り出るのも
すぐそこ、まじか

台風通過が ゴールの糸を切って行く
その後ろから、実りの秋が 
季節の色を染めながら
燃える秋がやってくる
燃え尽きた秋は
木の葉を散らせながら枯れていく

真っ白な雪が、一面を覆う頃
秋は、白いベールに包まれて
木の葉で地面を温めなながら
春の誕生を待つだろう
命の巡りを歓びながら

  

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2013年08月28日

冷え性

  
    

 どこかで、コスモスの花が咲いているような、爽やかな気配が漂い始めた。
今年の猛暑は、これで終わりかな。
 台風が接近しているようで、週末はまた、大荒れの模様だ。
でも、クーラーがいらなくなったのが嬉しい。
 毎晩の熱帯夜、クーラーなしではいられなくて、身体を冷やしてしまった。
夏の冷えは、秋口につけが回って来る。
夏に溜まった冷えが、関節の痛の原因になる。体中だるくて、気力がなくなる。
以前に、ヘルスクラブで、夏の冷えで、すっかり体調を崩してしまった体験を
語っている人がいた。
 暑がりの人は、クーラー病の心配はないけれど、普段の血圧が高いとか、
それはそれで、問題を抱えている。
 私はとびきりの冷え性なので、夏でも靴下をはいて寝るようにしていた。
お腹を冷やさないに、腹巻もしていたのに、今年の暑さには、我慢できずに、
 タオルケットもかけないで、素足、腹巻なしで、クーラーをつけて寝ていた。
プールに入っていると気もちが良いので、普段は40分以内でプールから出るようにしていたのに、1時間も運動して、身体を鍛えているつもりだった。
熱い外は避けて、クーラーの効いている場所にべったり座って、友達とおしゃべりして、
クーラーがガンガン効いて、寒いくらいの映画館で、何時間も映画三昧。
そのつけは、一挙に襲って来た。
 汗は出るけど、下半身は冷たいままでお湯に浸かっても、暖まらない。
だるくて、身体が言うこと聞かなくて、すぐに横になりたくなる。
 膀胱炎のような症状なで、気持ちが悪い。背中がだるい。
 両膝に痛みが出ている。体の関節のたるところに、違和感と痛み。
これらは、夏の冷えのつけが回って来た証拠だと思う。
  急激に体温が奪われるような時には、生命を奪われる危険があるが、
徐々に冷えが蓄積すると、身体のありらこちらの調子が狂って来る。
 人間の身体は、血管の巡りが順調で、よどみなく流れて、体中を循環していると
健康なのだ。
 身体が冷えるのも、血管の流れを悪くする原因の一つ。
プールに入る時間は、30分くらいが適当なのだと、以前聞いたことがある。
 調子に乗って、やりすぎたなあ、と後になって反省。
なんで反省するかというと、体中に支障をきたしてるから。
 
 膝が痛くなって、体重の増加が原因だと思った。
関節の痛みに苦しんでいた友人は、4年かけて4キロ体重を落とした。以来ずっとその体重を維持している。偉いなあと感心する。そのおかげで、手術は免れ、今は全く問題なく歩けるようになって、なんの痛みもないという。
股関節の手術をした友人は、膝も悪いと言われ、、手術は嫌だし、歩く痛さを軽減する為に、体重を随分落とした。
夜8時以降は、なにがあっても食べないようにしている。寝る前の3時間は絶対に起きているという。
今の所、杖をつきながら、仕事も、遊びも頑張っている。彼女の家から駅までの20分の坂道を、毎日往復しながら。えらいな、と感心する。
彼女は、夏でも、クーラーをかけないで、靴下をかかさず、膝のサポーターもして、
暑いのを我慢してこの夏を越えた。

女は、冷したらだめね、というのが合言葉。

  

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2013年08月27日

今日を生きる

   
      
       

  
 小松左京の「日本沈没」私はまだ読んでいないが、沈没の可能性がなきにしも
あらずと思わせるような、東北地方の地震と大津波による自然災害と、福島原発の人為的災害による、大気も海もの汚染。
 温度の上昇によるのか、自然環境の循環を破壊して来たつけなのか、日本全土に、局地的な大雨をもたらし、土砂崩れによる家の崩壊、作物の絶滅状態、火山の噴火、などなど、
 相次いで起こる、驚異的な災害の前に、私達はなすすべもなく、それを受け入れざるを得ない。
 政治に関心を持つ余裕はなくなり、救済の手を差し伸べる力もなくなっている人達が
増えていく一方のような気がしてならない。
 そういう風景を、傍観者としてみている私も、いつ自分にも、そういうことがあっても
不思議ではない。
 憂鬱が日本を覆っている。
そこに拍車をかけるような、歌手の飛び降り自殺の話題で、テレビ局はネタを得た魚のように、連日の報道。
 長く精神を病んでいた。人を信用できなくて、いつも大金をバッグに入れても持ち歩いていたという。
強迫神経症だったのではないだろうか、と思う。
正常だと思っている人間に、精神の病はいつ襲って来るか誰も想像できないことで、
事実だけが、証明になる。
ついこの間、親友の勘三郎を送った、三津五郎に、定期健診で、膵臓腫瘍が発見された。
歌舞伎フアンは、え?と驚き、「なんで、上の方ばかり」と言葉を詰まらせる。

他人ごとのように思って生きてる私達。
いつ自分の身に起こっても不思議ではないことだということが、わかるはずなのに、
わかろうとしない、したくない、拒絶する心を頼りに生きている。

そういう中で、さだまさしの長崎から東北への応援メッセージという、5時間に渡る
コンサートがあった。
引退を考えていた,さだまさしは、もう自分でなくても良いのじゃないか、と考えていたという。震災地にかけつけ、現地の人々に触れて、「今日限りの命を生きよう。」と思うようになった。一日を燃焼する。求めてくれる人がいれば、そこに行き、折れそうになっている人がいれば、元気づけてあげたい。
その応援は、原爆の地、そして故郷から、遠くから届けたかった、とさだまさしは語っていた。

そうなのだ。
明日、死んでいるかもしれない命。それが現実だ、と受け止めて、今日生きていることを
もっと大切にして、喜ばねばならない。

パリで、戦争と向き合い、朝から晩まで、平和の祈りを描き続けた、吉田さんは、毎朝、仏壇に手を合わせ、お経を唱えておられた。
 朝、生かされていることへの感謝と、自分の生き様の至らなさ、戦争で亡くなった人達への慰労、吉田さんに関わる人達の幸福と、世界の人々が戦争のない平和を生きることを
神様にお願いすると言われた。
 その頃、私は、他人事のように聴いていたのだが、先日、NHKで「ゼロ戦、かかわった人達から」という3時間に及ぶドキュメンタリーを見てから、吉田さんが、飛行機に憧れた少年だったこと、それが悲劇的な末路を辿らざるを得なかった、戦争という狂喜人間性を失っていく過程、生き残った人間の、死んで行った人への申し訳なさ、戦後、深い傷を負って生きていかねばならなかった人達への、責め。
 
 心の深い部分で、吉田さんを知ることができるような気がした。

 日本沈没が、現実のものであろうとも、今日だけはこうして生きて、笑っていられる
ことを感謝しなければいけない。
たとえ、人の為にならなくても良い。だいそれた考えなど持たなくて良い。
今日、生きて行くことが出来たら、上出来。
 
 
  

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2013年08月25日

雨上がり

    

  雨上がり、コナミに行こうかと思ったけど、今日は家にいることにした。
昨日から、膝が痛みだした。
人間、ちょっとしたことで意気消沈してしまう。
 雑誌に載ってる、サントリーのグルコサミンを飲んでみようかと思う。
 体重を落とすほうが先決だろう、という心の声が。
祖父の口癖は、「腹八文目に医者知らず」であった。
 私が市場から帰ってくると、祖父は「何か旨いもの買ってきたんでっか?」と言って
買い物かごの中身を見にやってくる。
 祖父の好物は、市場で売っているあげたての鯨カツだ。加えて肉屋で揚げたてのコロッケ。どちらも年寄にはヘビーなもの。
 それでも、祖父は、栄養に敏感で、母によく「まんべんなく食べなあきまへん。」と言って、何種類もの食材がテーブルに出なくてはいけなかった。
 それらを、「もうこれくらいでやめておきまます。」と言ってはしを置くのも潔かった。
 腹八分目、にこだわった祖父であったが、身体はいたって弱い方だった。
 孫たちの一人は、医者にしたかったと言うくらい、医者とは縁の切れない人で、
 晩年は、入院と退院を繰り返していた。腸閉塞を起こして入院、手術。
腎臓の機能が悪く、尿毒症。あとの病気は、覚えていないが、私が家を出てからの、母の奮闘は大変なものだったらしい。
 プライドの高い祖父は、おしめをはぎ取って、トイレに行こうとする。廊下を消毒して拭きまわる日々。
 祖父は、正月明けの病院に、血液検査をしてもらいに行って、階段で転んでそのまま入院した。
それが最期の入院になった。

下の世話をやりつくした母は、決して子供達には、という思いがあった。

母の妹である叔母も、ぼけの舅を最後まで世話した嫁の一人だ。筆舌に語りつくせない
ものだ、と言いながら、おどけた調子で、話してくれた。
子供中心の、教育熱心な叔母は、子供自慢だったから、母は知らなかった。
最愛の息子は、毎週のように叔母に会いに来ていると思っていた。
毎日のように、叔母は、母に電話をかけてきていた。
ある朝、叔母は、炬燵の中で、一人で亡くなっていた。
「寂しいわね。人間って、寂しいものね。」叔母のそれが口癖だった。
何が良くて、何が悪いのやら、答えは出ないのが、人生。
死んでしまえば皆同じ、帳尻はあっている、と言うけれど、
私は、そうは思えない。
生きた過程、人間が七転八倒したドラマを、誰もが独自のものとして持っている。
どう生きるか、それは、その人の生き方がそうさせるもので、他には例のないもの。

  

Posted by アッチャン at 17:19Comments(0)日々の事

2013年08月24日

イタリアン「トラットイア・コバスタイオ」

  
     美しいガラスのお皿に盛られた前菜

 西天満は、イタリアンの激戦区と言われています。
舌の肥えた、イタリアン好きの弁護士連中が多いからとか。
イタリアンだけではなく、おでんの店「天満道」など、庶民的な
おでんが、高級店としてなりたっているのも、懐ぐわいの良い、エリート
を称する弁護士村があるから。
デフレが浸透しきっている昨今のことですから、どこの店も客取り合戦には、
余念がない。
昨日、訪れた「トラットリア・コバスタイオ」だって、ネットでクーポンを出していたから、行ってみようか、と。

http://yoyaku.tabelog.com/osaka/A2701/27003615/?cid=cn_ls_ir

チケット切れの2日前、盆休み明けの日でした。
地下鉄の南森町から、徒歩5分、だいたい地図で検討はつけていたはずなのに、
2番の出口に出たら。どちらが、南か、梅田新はどの方向かわからない。


アミューズ

近くのホテルに飛び込んで、西天満はどの方角かと聞き、歩き出したものの、どこらへんでまがったら良いのやら。
南森町は、いくつも出口があって、そこを上がっても、本当にわかりにくいのです。
とぼとぼと暗い道を歩いて、全くわからなくなって、犬の散歩をしている奥さんに聞きました。
レストランの名前を言うと、完璧に知っていて、親切に教えていただいた次第で、予約の7時ぎりぎりに店に到着。
小さい店で、別のテーブルに、4人、奥に2人のお客さん。4人はビールを飲んで談笑している。スマートな感じのグループ。




5000円のスタジオコースが、私達のメニューなので、おまかせでどんなものなのかわからないままに、最初のアミューズが出され、濃厚な味なので、地さなデミタスくらいの器に入っていた。
選んだ、シチリアの白ワインも結構フルーティーなので、癖のないものにしたほうが良かったかな、と思ったけれど、後の料理には違和感なくて、美味しい。
この店は、和歌山の新鮮なお魚と有機野菜を使っていて、どれも軽い。
イタリアンを食べた後は、胃が受けつめないほどで、しばらくは食べられないのだけど、
この店のイタリアンは、どれも凄く美味しくて、もたれない。




肉料理は鴨

前菜の次に出された、パスタは、ホタテ貝、あさりがたっぷり、野菜との相性も抜群なズッキーニなど幾つも種類が入ってる。その中心にある、細身のスパゲッティーにも十分に味が染みこんで、アルデンテ。
魚料理が出て終わりかなと思ったら、鴨の肉料理が出たので、赤ワインをグラスで追加。
デザートも美味しくて、コーヒーも文句なしのおいしさ。
日曜日にもランチがあるようなので、これから、通いになるかも。
こうして書いている今も、ああ、食べたい。美味しかったなあ。
ちなみに、この店の鮮魚は、和歌山の実家の鮮魚店から仕入れた、天然ものだそうで、パスタは自家製麺、鴨は厳正京鴨だとか。


だもんで、

美味し料理をいただくと、家でも料理がしたくなるもので、残り物の野菜をふんだんに使って、つきなみなカレーを作りました。
カレーだけは、自慢の人が多いようです。我が家の自慢カレー。
先日も、料理好きの友人と、カレーの話になって、彼女が作るカレーは美味しいという所から、家の隣に住んでいる、お姉さんのカレーはの話になりました。

お初天神で誰かをインタビュー


 お姉さんのカレーは、お肉と玉ねぎだけを使ったもので、玉ねぎを炒めるのに随分な時間をかけるそうで、聞いているだけで、その美味しさが想像できそう。

今日、私が作ったものは、なすびと玉ねぎ、キャベツ、ピーマン、ジャガイモを、たっぷりのオリーブオイルで炒め、ばら肉を入れて少し炒め、トマト缶とスープを加えて、圧力釜で焚きました。夏らしく、さっぱりとした酸味のあるカレーが出来ました。
カレーの作り方は、材料によって様々で、私の場合は、これが私の自慢カレーなんてのレシピは全くないので、デラシネのカレーとでも呼んでおきましょうか。違った味を楽しんで。

  

Posted by アッチャン at 15:06Comments(0)旅のグルメ

2013年08月23日

フランスの、ガレット料理

   

       


  クーポンを買っていたのが、9月の初めに切れるので、予約を取るために、店に電話すると、全く通じない。お盆休みなのか。
盆が開けて、やっと水曜日に電話が出来た。レストランではなくて、階下にあるコーヒーの販売店に。
予約は2日前からという条件だけど、もう日がない。
友人とも約束の日を決めていた。
明日お願いしたいというとオーケーが出てほっとした。
このまま、予約が取れないと、このクーポンに支払ったお金はかえって来ない、というシステム。
このレストランは、フランスのリョンで、フランス料理を修業した女性の店だとかで、
がレット料理がメインの店だとか。
 店は、水曜日から土曜日までの営業。




大阪の四ツ橋から、歩いて5分の店なので、あまり行かない場所だが、この界隈は、アメリカ村も近く、オフィス街でもあって、美味しい店が沢山あるようだった。
私達が行った店の名は、[ブラッセリー、マセナ]
女はほとんど、女性だった。
12時開店に入ったときのは 客は一組だったけど、やがて満席に。






有機野菜を使ったサラダ、ゴボウのスープ、本日のがレット、コーヒーにデザートというランチのフルメニューにシードルが一杯つくついて、3150円のコースを半額で。
平日のランチに、ワンプレートから選べるようで、クーポンなくても、1350円でがレットが食べられる。美味しそうなサーモンのランチは、プレートが1000円。
コーヒーとデザートはお好みで。



部屋の中は、フランスの本が沢山あって、部屋はくつろげる。
 フランスの田舎町の小さなレストランにいるよう。
サラダは、1回だけなので、皆、沢山盛り上げてプレートに入れている。
ドレッシングも美味しい。中でもラズベリーの干したのと、トーモロコシがとても。
お料理のグレードは、相当高い。




友人は、がレットは初めて。パンケーキも知らならしいから、今度はパンケーキを紹介したい。
がレットに挟んだチーズは、くせのないもので、誰にでも食べられるように作っている。
がレットは、フランスのクレープに似てるいる生地だけど、そば粉で作っていて、パリッとしている。
簡単なコースかな、と思ってたけど、結構ボリウムがあった。
階下がコーヒーの専門店だけあってか、コーヒーがとても美味しくて、たっぷり。
デザートは、フォンデュ、オウ、ショコラ。
丸い形のチョコレートケーキの中に、チョコレートがとろりと溶けた状態。付け合わせは、オレンジのピューレ。
私は全ては食べられなったけれど、美味しかった。
嬉しいことに、コーヒーのお替りが出来る。
友人は、お友達を連れてきたいと言う。
ディプロマの賞状がかかっていた。
リヨンのポール、ベキューズで、2年間料理を学んでいた人。
フランスの気さくな料理を、食べてもらうのが、この店のポリシーになっている。
接待している女性が料理人なのかと思ったら、そうではなく、キッチンにいるのは、ちょっと太った、たくましく、気さくな感じのコックさん。
また、行きたい店だった。
12時から、ランチの終わる3時まででも、おしゃべりしていられる店。




http://sekinecoffee.com/massena/ マセナのホームページ

一人だったら、壁の本棚に一杯のフランスに関する本を読みながらも良いだろう。
暑いので、地下にもぐって、心斎橋の、東急ハンズでお腹こなしにグッズを観て回る。
何でもそろっているのに、私はびっくり。今頃?東急ハンズに驚くなんて笑われるよね。
ぶらぶらしていると、買いたくなるものです。幾らか買った。
 フットバス、赤井英和だった。家にいる時は、ほとんどフットバスに足を入れている。
テレビを見たり、台本を覚えたり、食する時も。
奥さんと一つづつ使っているそうで、その話をしたら、彼女は優しい。
旦那にプレゼントして、自分用にも買いたいそう。冷え性に断然良さそう。デトックスにも。
フットバスは、電気が入って、温度とバブルマッサージもできるようになっている。
実物みないと、お湯入れるのかななんて思って、すぐに冷めるから、熱湯足すのかと思っていた。私も、欲しい一品。
  

Posted by アッチャン at 13:39Comments(0)旅のグルメ

2013年08月21日

映画「少年H」

      

      
http://www.shonen-h.com/ 少年H
  映画「少年H」を神戸のミントで観ました。
 神戸の友人と12時に待ち合わせ、1時半の部をみるつもりだったのですが、
火曜日はレディース1000円だからか、チケット売り場は満員で、1時半の部は
売り切れ寸前、当然私の番が回っていた時には、売り切れ。
 先日、西宮ガーデンズからの帰りにばったり出会った人は、コナミに来ている人で、
単身赴任のご主人と仲睦まじく、梅田で映画を観て来た帰りで、「世界戦争」という映画がとても良かったとのこと。
 ミントでもそれを上映中で、友人は、それも面白しろそうで、観たいとのこと。
二人が言うなら、きっと面白いのだろうと、1時半から始まるブラッドピット主演のそれを見ることにしました。
少年Hも、4時過ぎの部なら十分席があるので、ついでに観て帰ることに。
 世界戦争は、ゾンビが一杯出て来て、全くのエンタテイメント映画ですが、手に汗握る恐怖感を満喫させてくれる映画でもあって、ドキドキはらはら。あほみたいな映画です。
 クーラーが効きすぎて、身体が冷えてしまった。劇場は満席で、いつもかりるブランケットは一枚もなかった。
 チケットの半券で10パーセント引きのレストランで、ランチすることにして、スペインのパエリアの店に。
 すっと以前に、この店に入ったことがあって、美味しくないと思っていたのですが、結構入ってるので、料理人が変わったのでは?と期待したら、同じ。パエリアなら美味しいのかもしれない。
 「少年H」は、戦時中の神戸が舞台の映画なので、神戸の映画館は、動員数が多い。
 この映画は、なかなかの出来で、暗い時代にありながら、神戸らしく、西洋の香り漂う、
スマートで洋風な雰囲気を漂わせ、ユーモラスに描かれていて、陰鬱な影は全くない。
 戦火を潜り抜けて生きて来た子供たちの、揺るぎない精神力の強さ、真実を見分ける鋭さには、共通するものがある。
 三輪明宏も最近は、戦争の悲惨さを語らないといけないと思い、あちらこちらで機会あるごとに語っているが、この映画の中でも、
 昨日までの価値観が、全部嘘だったという教育の転換、人間の行き様の転換、思想のなさ、を見せつけられた少年が、理不尽さの憤りを、父親にぶつけ、それをイエスの如くに受けいれる父を持っていたからこそ、
自分の目で見て、感じたことを学び、自立していく姿を描いている。
人間、何もない所から、自分の力で生きて行くためには、手に職を持っていることの強みを、この映画で感じた。
洋服の仕立て屋である、父親を持った、息子は、絵を画く事が好きで、看板画きの弟子入りとして、自活していく。
 優しくかばってくれた、中学の教官は、焼け野が原で、時計の修理で生計を立てている。
少年の描く、マネの絵画もわからない教官は戦争という傘の元で、威張り、弱いものを痛めつけていたが、稼業の質屋に戻ると、人間が変わったようにぺこぺこしている。
そういう姿からも、少年は、学んでいく。
 少年期に、戦争体験をした少年達の中から、多くのリベラリストが生まれている。
不屈の精神の強さを持った人達が世に出ている。
  妹尾カッパもそのうちに一人。


  

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2013年08月19日

映画「嘆きのピエタ」シネリーブス

  

      

  神戸シネリーブスに、アンコールの最終日に行きました。朝一なので、お昼を挟んで、
もう一本、「嘆きのピエタ」を観ました。
アンコールは、、性格の違う夫婦の揺るぎない愛情と、愛の表現が旨く出来ない父親
が、年金生活者達の暖かい愛情と、ボランティアで指導してる、若い音楽教師との暖かい交流で、歌うことで、ストレートに心の愛を表現でき、息子への愛を歌い上げる。
イギリス的な、夫婦の愛、コミュニティーの愛、信頼で結ばれる愛を、ユーモアたっぷりに描いてるいる。

http://encore.asmik-ace.co.jp/アンコール

ハッピーな気分で、昼食は、これまた、ハッピーな490円の海鮮ランチをいただいて、
お腹も満腹。
「嘆きのピエタ」は突端なら、胸の悪くなる暴力シーンで、思わず目をつむってしまうほどの残酷さ。
 これでは、「アウトレイジ」の北野武はとても太刀打ちできない。

http://www.u-picc.com/pieta/ 嘆きのピエタ

 館内は、満席だ。
冒頭は、青年の自慰シーンから始まり、浴室で、血だらけの汚物のようなもの。それを蹴散らして、ナイフをボードに叩きつける。
 旋盤の機械を前にして、取り立てに怯える夫婦。
高利貸しの下で働く青年は、借金のかたを保険で払わせる。身障者にさせるほどの大怪我をさせる。そのシーンもぞっとするが、突然現れた母親と名乗る女性は、「ピエタ」を象徴している。
この世のあらゆる悪や悲しみ、怒り、不幸を、肩代わりする母なる
マリアを表現していて、憎しみが愛を生み出し、頑なで動物的な存在から、愛なくしては生きられない存在へと変えていく。
凄い、この映画には、全てが凝縮されて詰まっている。
金獅子賞に、ふさわしい作品だと思った。けれど、好きな映画ではない。
 日本人の感覚では、北野武までが、暴力的限界では?。
良い映画であることは、間違いないけれど、身が震え、吐き気がする。それはこの映画監督の見事な表現力でもあるのだけど。

 

  

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2013年08月19日

映画「最後のマイウェイ」


     

 映画「最後のマイウェイ」
http://www.saigono-myway.jp/index.html

今全国上映中の映画。
クロード、フランソワの生涯を、彼のヒット曲の数々と共に描いた映画です。
途中までは、ちょっと退屈ぎみだったkれど、というのも、3時間の長い映画だったの
ですが、その長さは全く気にならないほど、彼の歌を聴くのが魅力的な映画です。


中でも、マイウェイの詩は、39歳という若さで、波乱万丈の、並外れた人生をかけ抜けたクロという愛称で、多くのフアンから愛された人間の生き方と同じで、クライマックスに至るほど、感動がこみ上げて来て、終わった後、誰も席を立つ人はなく、随分長いエンディングの文字列を、ぼんやりと眺めながら、彼の歌を聴いていました。
世に名をろどろかせた、アーティストというべきか、芸人というべきか、そういう人に共通しているのは、金に糸目はつけない浪費家の破天荒な生き方です。




それを見事な生き方だと言えるのは、名を成し、人を魅了し、独自の才能を開花させ、人の為に生きたからでしょう。
クロード、フランソワも、そういう人だから、心に残る「マイウェイ」という曲を残しているのでしょう。
勿論他にも、沢山のヒット曲をだしました。
なんと、6千7百万枚のヒット曲の売り上げを果たしています。
恋に生き、情熱に生きた人であるのも、そういう人に共通するものでしょう。
友人のブログから、マイウェイの歌が紹介されていましたので、私も、入れさせていただきました。
マイウェイは、フランクシナトラが最も、長く歌っていて、彼の為に、書かれた曲なのかと思っていたくらいですが、クロードは、シナトラが歌っているのを知って、誇りに思い、感激したようです。
  

Posted by アッチャン at 01:14Comments(0)映画

2013年08月19日

安全地帯のコンサート

 
      

 フェスティバルホールは再建築してから初めてです。
レッドカーペットが階段から敷かれて、映画祭の華麗な
場面を思い起こさせる。
ここは、世界の音楽祭などの、フェスティバル用に作られた
ホールだからでしょうか。
音響も素晴らしくて、音楽用としては優れたホールになっています。
安全地帯のコンサートに行ってきました。
 神戸文化ホールで、随分前に観ことがあり、二回目です。
文化ホールでは、自由席で、二階の後ろの方だったので、今回の
1階23列目の中央という席には、随分期待をかけて行ったのですが。
安産地帯のメンバーが登場するや否や、下からウェイブのように、席を立って
私の前の人達も全員総立ち。




 当然、私も立たなければ見えません。
その後、終了するまでの、2時間20分、立ったまま。
休憩なしで、ぶっ通しの、迫力とエネルギー全開のコンサート。
玉置さんは、大阪、フェスティバルホールでのコンサートが超お気に入りになったようで、このコンサートも追加で計画されたもの。
確かに、音楽家にとって、ここは自分達のパーフォーマンスを最良の状態で提供できる
音響効果の良いホールの上に、大阪の観客はのりが良く、感情表現が直線的に真っ直ぐに
アーティスの胸に飛び込んでくるという魅力があるのだと思う。
亡くなった、勘三郎も、大阪が大好きだったようで、彼のような熱い舞台を実現させるアーティストには、大阪は魅力的なのだろうと思う。



 でも、フェスティバルホールでは、ちゃんと席に座って、音楽を聴きたいね、というのが私の感想です。
 ずっと立ちっぱなしで、手を挙げて、同じゼスチャーを繰り返す熱烈なフアン達の
エネルギーの凄さ。
音楽を聴くというよりも、祭に参加して、その紅潮感に酔いしれてるよう。
 後ろの人達は、アリスから、なんちゃたら、結構沢山のコンサートを観ている様子、話声で。
 私は、今回ので、もういいかな、と思うのに、ご苦労さんなこってす。
フアンは、きっとほとんどの曲を聴きあきるほど聞いて、マイクを向けられると、大合唱になって、これもアーティストとの一体感に酔いしれるのでしょう。



 コンサートが終わると、ぞろぞろとおとなしく帰って行くフアン。またいつ会えるだろうと次の機会を心待ちに。


 ずっと以前、大阪城ホールで、アリスのコンサートを母と観たときは席に座って、皆、しんみりと効いていた。
 盛り上がりの少ないのも寂しいもの
 
  

 
  

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2013年08月17日

スマフォをドコモで購入

衝動ではなくて、ずっと迷っていたスマフォ、ついに。
昨日、三宮に映画を観に行き、ヤマダ電機に寄りました。スマフォの使い方見ようと思って。何度も店に足を運んでは、まだいいやと帰ってきて、ほっとしていたのですが、ついに。
本当は、ソフトバンクのままで機種変更したいのに、乗り換えでないと、安くならないのが不思議です。かれこれ、8年になりますね、とソフトバンクで番号貰いに行って、それほどになるのかとびっくり。ずっと使っていた携帯電話はまだ十分使える。
AUに変えるつもりが、DoCoMoに。
ソフトバンクの携帯で電話が無料だった人との交流に支障が気になるのですが、
インターネット経由の、ラインとかスカイプだと、どれを使っていても、無料で電話できるし、メールもできるのですが。
スマフォに変えて、メールを打つのも一苦労です。やはり形態が使いやすいです。
肩凝って、力が入るからでしょう。
これを使えるまでには、時間がかかりそう。
安いと思ってたら、実際はそうでもない。オプションに入らないといけないし、通話も700円追。容量が3ギガしかなく、ライトとかいうので、7ギガにすると、1000円あがることになって、看板の値段とは大違いで、AUと変わらない。
でも、さすがNTTドコモ。友人のメール見たら、ドコモの人が一番多かった。
乗り換えでないと、優遇されないというのは、理不尽でしかたがない。
手続き料だとか、双方の二重でかかって、思わぬ出費も。これで各社儲けているのかも。

  
  

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2013年08月15日

京都五条坂の大谷さん

 
      

  猛暑の京都に、飛んで火にいる夏の虫というところでしょうか。
西大谷さんにお参りです。
父母について、お参りしていた習慣から、父もこの世を去り、母は
とても行ける状態ではなく、私一人で、お盆とお彼岸には。
信心深いわけでもないのですが、行くとやれやれ。
 出て来ると、外国人の可愛いい女の子が、日本語で
「ここは清水寺ですか?」と聞いた。
清水寺は、一本向こうの道をあがった所ですよ、というと、
「このお寺はどういう?」という。
私も日本語で説明してから、日本上手ですね、というと、
一年新潟に留学していて、今回は、旅行で来たという。
どこから?と聞くと、カップルの男性はスペイン、彼女はイタリア人。
日本語が大好きなのだとか。この暑さでも、全然元気でさわやかな。
彼らは大谷さんも観たくなったよう。
若いカップルは、この京都を歩き続けるのだろう。
私もウキウキした気持ちになる。



 旅行者に会うと、自分も旅行者のような気分になって、ふらっと京都のどこかに
足を延ばしたくなるのだけど、母の所に行く日なので、とんぼ返りで夙川に。
 南座の隣にある、お饅頭屋さんで、「しんこ」を2つ買って持って行った。
 母が大好きだったもので、南座に行くと、良く買って来ていたもの。
母は覚えていないけれど、美味しいといいながら食べている。
 南座という言葉も忘れている。



母の所から、帰りに、コナミに。この二日間、食事をすませてから、しかも電車で
行ってるので、自動車の駐車時間を気にしなくてよいから、運動をいつもの倍くらいにして、アクアビクスにも参加してガンバったら、ダイエットの効果があった。
でもくたくたで、朝起きると、足がヨチヨチ。
今日は、天王寺の一心寺さんに行かなくちゃ。
 
  

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2013年08月14日

携帯電話の功罪

 
       

   友人に渡したいものがあって、ついでに映画でも見ようというので、サンパルのウェンディーというファミレスで待ち合わせていた。
私の携帯は、電波の入りにくい所もあって、一日しか電池が持たないことが多い。
今日は連絡に使うからと、充電して出かける時に持っていくつもりだったのに、
荷物に気を取られて、うっかり忘れてきていた。
 やばいな、と思ったのだけど、仕方がない。
彼女はいつも早く来ているので、私も30分前にウェンディーズで座っているつもりで早く出た。
 サンパルまでは、昔良く行った。富士商会という文房具屋さんがあることを知って、文具を買いにも。ウェンディーズがあったかどうか、どこにあったのかも知らなかった。
 いいかげんなものだけど、私の得意芸がある。わからなければ知っている人に聞けばよい。
サンマルクカフェがあるので、そこに入り、「ここは元ウェンディーズですか?」と聞いたら、違うと言う。
「ウェンディーズを探しているのですが。」
「そういえば、ダイエーの二階にあったけど、なくなってますよ。」と言われた。彼女はサンパルの一階だと言っていた。
まだ時間が早いので、5階のギャラリーに上がって行った。そこで待てば来るだろう。画廊は閉まっている。事務所の人に、聞くと、そこで待っていれば来られるのでは?
しばらく待って、「そうだ、駐車場に行って、車があるかどうか確かめよう。」と思って、
 駐車場への行き方を聞き、地下二階の駐車場に行った。トヨタの車がいくつかあるけど、友人のらしきものはない。
お盆だし、混んでるからまだなんだ、と思って待っていたが15分待っても来ない。2時になって、日を聞き間違えたのかな、と思いながらまた上に。
 別の人に、モスバーガーならありますけど、と聞いて、モスバーガーを覗いた。
それから、また別の人に聞く。
 ウェンディーズは、テニスショップになっていますよ。そこで待っていた。
、公衆電話があればと探しながら。其のたびに行き違いにならないかと。
で思い出した。勤労会館に行くといってたっけ。
勤労会館はどこですか?また聞く。
隣の建物だった。そこに行くと、女性が絵画らしきものを持っている。
「絵画をもって来られたのですか?画廊はどこにあるのですか?」
彼女も知らなくて、車が混んで遅くなったと言っている。図書館があるので、私が図書館の職員から、2階だと聞いた。
 大きな会場で、搬入された絵画が、テーブルの上に並んでいる。
友人の名前を言って、もう搬入されましたか、と聞くと、
名簿を調べて、「先生の作品は持ってこられてます。」
じゃ、ここの地下にある駐車場に車を置いてたのかしら。時計はすでに2時半。もう会えないなあ。
一階にやっと公衆電話を見つけて、家に電話して、息子さんから携帯の電話番号を聞いた。
それで、やっと彼女との連絡が取れた。
  携帯がないと、どうにもならないのだ。
 私は、時々、携帯を忘れることがあるけれど、それでそう困ったことがなくて、
今までやりすごして来たのだけど、携帯忘れるなんて、と他の友人に言われたこともあるし、忘れる友人もいる。
昔、母が約束の時間に、30分は当たり前、1時間以上も遅れて来て、私が文句を言うと、母は決まって
「これからは約束したらだめだわ。これからはやめておこうね。」というのが口癖で、母と娘は同じことを繰り返していた。
母との待ち合わせは、1時間半まって最後になった。
びっこを引きづりながら、梅田芸術劇場にやってきた。歩けないのに、無理して、私が待っているから、とやってきた。
それが最後。母はその後、一人で外出できなくなった。
そういう母の娘である私も、子供の頃から遅刻の常習犯だった。
「ごめんね。待たせて。」
実際待つよりも、待たせる方が、気が気ではないのだ。年を取るにつれ、私は待たせることが少なくなった。
わたしよりも早く来ていた友人が、のんびりに変わり、待ち合わせの時間を、アバウトに。30分の余裕を持っての約束にしようと。
世の中、何が起こるかわからない。
私は、母で待つのは慣れているので、人を待つことがそれほど気にならない。

私の待ち時間で、最高は2時間半。紀伊国屋の前で九州から来ている人を待った。
携帯もない頃、彼女は旅行会社に勤めていて、引率で来ていた。
お客さんの世話で、京都から出てこれなかったとか。
会えて、話が出来て良かった。彼女は、もう帰ってしまっただろうと思いながらやってきた。

海外旅行、関空のカウンターで、待ち合わせた友人が、来ないので、ぎりぎりまで待っていた。
カウンターが閉まって、頼んで、入れてもらったことがあった.
 ぎりぎり、一人で行くつもりでゲートに来ると、友人がいる。ケロっとしている。「先に入っただろうと思っていた。」という。
 今回も無事に会えて、映画も見て、美味しい、うなぎも一緒に食べることが出来たので良かったのだけど、携帯がないと、本当にどうにもならなくなっている。携帯があるから、どこからでも連絡できるという利点が、デメリットにもなっている。
携帯は、いつも携帯してないと意味がない。
  
  

Posted by アッチャン at 10:57Comments(0)日々の事

2013年08月13日

忙しい日


      

  忙しい日
妹たちとグランダで待ち合わせて、母を連れて近くの弟の家に。
皆が寄るのは滅多にないことだ。お盆のお参りとか、母の誕生日
くらいのものだけど、こうして皆が集えるのは幸せな事で、
母が健在なればこそ。
ランチを一緒に食、ということで、鷲林寺の近く、見晴らしの良い
「ながの」という蕎麦屋さんに行った。
お盆は開けているという蕎麦屋さん。
蕎麦自慢の店で、普段は結構なお客さんだけど、通常は休んでいる所の方が
多い店の中で、あけてくれてるの有難い。
弟が、妹夫婦と娘夫婦、私にと、ビール缶とジュース缶の箱を用意してくれていて、
私の小さな車のトランクに入れ、4人の乗用者がいると、車は坂道で速度を落として、
動かない。こんなことは初めてだけど、馬力のなさ。
クーラーを切らないとだめかな、とこれまた熱い事。
先導してくれる弟が、くねくねと住宅街をねって、山を上がって、いつも使うメイン道路を行ったほうがずっと早いのだけど、お盆で混んでいたら渋滞に巻き込まれ動きが取れない道でもあるので、こんな坂、どんな坂のくねくね道を選んだのだろう。
40キロで走っているのに、ついて来ないから、と時々止まって待ってくれていた、BMW
けれど苦労のかいありで、見晴らしの良い、広い空間のレストランは、住宅雑誌に載っておる軽井沢か蓼科あたりの山の別荘を思わせる。
落ち着くね、というのが、共通語になっている。若い頃はそんな言葉は出てこなかった。
蕎麦自慢の主人、というのはよくあるパターン。ここの主人も例外ではない。
天ざる、として注文するのと、天ぷらそばとして注文するのでは、100円の違いがあるが、天ぷら蕎麦をとっても、同じものんあるので、天ぷらそばを注文したほうがお得ですから、親切きわまりなく、何度も。
十割蕎麦か二八蕎麦か、普通の大根か、からみ大根か、など。

母は途中で、いつもの歌を歌いだすのはいつものことで、私はすっかり慣れているが、他の人達は、周りに気を遣う。
気を使っても仕方ないことなので、認めてもらうしかない。気を使って、口を押える人もいるかもしれないけれど、私は逆に、手拍子を打って、合わせる。
どこの家にも、認知症の老人がどういうものかを体験している人がいる。
蕎麦屋のご主人も、「気にしないで、いつでもお越しください。うちの同じです。お元気で美味しいものを食べることができれば、幸せです。」

山里の車でなければ来られないような場所に、美味しいものを食べさせたいという思いでスローライフを楽しんでいる人は、優しくて親切な人が多いような気がする。
母のグランダにつくと、妹の車に、トランクから積み替えて、二人は帰って行った。
私は母のお三時まで部屋で付き添い、一旦家に帰ってから、血液検査の結果を聞きに
医院へ。
休み前なのに、医院はガラ空き。
暴飲暴食なので、きっと凄い結果だと覚悟していたのに、ほとんどは正常値。
だけど、初めて腎臓の機能低下。医者は心配いりません、という。
帰って、調べたら、クレアチンは、今までで最も高い数値。
 家の家系は、膀胱と腎臓が弱い。叔母は膀胱がんで亡くなった。祖父は腎不全から尿毒症になって。なので、腎臓と言われると。
 夕方からコナミに行っても、疲れを感じて、神経はすごい。背中が重い。
樹木希林が言ってた。
「どこが痛い、ここが悪い、ということ聞いても全く興味ない。ええ、そう、それで?」
と聞き返すくらいだそう。
年が行けば、当たり前のことだもの年が行けば、当たり前のことだもの。
明解だ。
 私の腎臓だって、良く使って来たから。働きすぎはないけど、酷使しているはず。
異常なしというのもいい加減なもので、上限と下限のすれすれだと、いつ異常になってもおかしくない。

だから、血液検査もしなくて良いとしなかった。
けど、根性が座ってないから、膀胱には敏感で、医者に走る。膀胱がんで死んだ叔母を知っている。
膀胱に抗がん剤を入れる為に、半年に一度の入院で、其のたびに、麻酔をするので、最期は小脳をやられて、痛みを感じなくなって、認知症のようになって。

認知症は、神様の贈り物だと思っている。
 とても耐えられない心の痛みを、救ってくれるから。


  

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2013年08月12日

 兵庫県立美術館  ルノワールとフランス絵画の傑作

 
     


http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/

兵庫県立美術館で開催中の「ルノワールとフランス絵画の傑作」を観に行きました。
クラーク美術館の貯蔵する名画の数々を、この兵庫で観られる機会です。
 ルノワールというと、フランスで、アメリカで、沢山大作を観ているのですが、
クラーク氏の目と感性で、選ばれたコレクションの数々は、家のサロンでも楽しめるくらいの大きさのものが多く、見てほっとする風景画の秀作が展示されていて、なかなか見ごたえのある展覧会になっています。
クラーク美術館の増築を、兵庫県立美術館を設計した安藤忠雄が手掛けるとにこと。
 そのこともあって、作品が、海外に貸し出されて いるのでしょう。いつになく、沢山の作品が日本で観られるのはうれしいことです。



友人と岩屋で待ち合わせて、そのそばにある「同源」という医食同源の中華の店で、激辛のマーボ豆腐を食べるのを楽しみにしていたのですが、7月からは日曜定休になっていました。
この店のマーボ豆腐は、この店の名物で、激辛だけど、とても美味しいので、日曜日に休みはしごく残念です。仕事中のある平日のランチに、岩屋に来ることはまずないですから。
 目当ての店が休みとなると、今まで目に映らなかった店ががぜん存在感を見せるようになりますが、初めての店、どこが美味しいかわかりません。




 でも私の味に対する感は結構するどくて、はすれがない。
 とんかつの店に入ると、まさしく美味しそうな雰囲気が漂う小さな店で、ご主人と奥さんとの、老舗を漂わせる店。
  とても美味しかった。この界隈のグルメの店としても、情報誌に掲載されているようです。外から見れば、暖簾がかかっているだけの目立たない質素な造りの店で、名前もどどこに書いていたのか覚えてもいないのです。
 阪急から阪神に乗り換えて、岩屋に行けば歩かなくて良いと思っていたのですが、
いくら暑いと言っても、炎天下で日中延々と働いてる人が多いのに、このくらいの距離は、と思って、王子公園から歩いたら、海風が吹いて来て、楽だった。
  暑さのせいか、美術館は日曜の昼過ぎなのに、空いていて鑑賞には最適な環境で、冷房が効いて上着を着て丁度良いくらい。



 外に出ると、お風呂に入っているような暑さだけど、身体が冷えているので、気持ち良いくらい。しばらく歩くと喉が渇いて、冷房も恋しく以前に入った、喫茶店に。
 古びた店で煙草の匂いがするが、客はなし。




 ここのコーヒーは300円という今時ない安さで、本格的な美味しいコーヒーをたててくれるマダムが、
「美術館に行って来られたの?」と以前と同じく。「館内はどうでした?お客さんが暑かった、と言ってましたけど。」
「いいえ、寒いくらいに冷房効いてましたよ。空いてたからでしょうね。」

日本の美術館に行く時は、混むものと覚悟していかないといけないのだけど、ラッキーだったわけで、お盆前の異常な暑さが功を奏したよう。
  

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2013年08月11日

母を思う

  

 部屋に必ず鍵をかけていた母が
 鍵をかけなくなった
 大きな音をたてなくても
 すっと入れるので私は助かるのだけど
 鍵をかけなくなった母も心配だ
 最近は、うっかり鍵をかけていることも
 忘れて、戸が開けようとする

 それでも、私が一人で暮らしていることは
 明瞭な頭の中で覚えていて
 行くたびに そわそわと忙しそうに頭をメグらし
 私をこの部屋に匿う方法はないものかと
 ここに寝ていれば良いのよ
 ベッドの布団を開いて、靴を脱ぎ、
 ベッドのへりに横たわってスペースを取る
 寝て御覧なさい。一緒に寝られるから

 怖いわ
 何がそんなに怖いの
 なんでも、恐ろしいことになるわ
 何が怖いのだろうか
 バイクに追突されたこと?
 引ったくりで頭を打つつけたこと?
 エスカレーターで押されて転倒したこと?
 昔の記憶が、母を怖がらせるのだろうか

 頭を打ったことが、認知症の原因かも
 医者は言った。
 
 母の部屋に入ると、母の調子が読み取れる
 元気な時と、身体の調子が良くない時と
 それでも母は いつも笑うことを忘れない
 もういよいよだめだわ、と言う時
 私は、母の脈を診る
 すごい不整脈で、手は熱を帯びたように熱い
 痛いところない?しんどくない?
母は、あえぐような調子で
「どこもしんどくないよ。痛いところはないよ。」
母は元気なところを見せようとするのか、
いつもの歌を歌いだす
呼吸が乱れた、時折声が折れて 歌ってみせる
母はきっと、昨日元気だったのに、今日お別れ
というように 
笑い顔だけを残して、行くのではないかしら
私は急に寂しくなって
辛さが数倍にもなるだろうと
母の死の時に思いをはせる
  

Posted by アッチャン at 10:09Comments(0)

2013年08月10日

貴婦人と一角獣

 
      

 暑くて、これが日本かとは思われない。どこかの亜熱帯にいるよう。
暑いから、お布団かけないで、クーラーのタイマー2時間で切れるように
設定しているのだけど、切れた頃、目が覚める。
昨夜はトイレに3回も行った。お腹だけが冷えているのか、腎臓か膀胱かもと考え出した。
そういえば、お盆で医者は休みに入る。
この一年、血液検査もしていないので、どこか悪いかもしれないと思いたつと、不思議なもので、医者に行かずにはおれなくなる。
医者に行かずに、そのまま放置しておくほうが良いと思っているのは、健康な時だけ。
 今朝は久しぶりに、朝食を抜いて、出かけた。
医者に、開口一番、気になっている所を訴えた。
 背中が痛い。足が痺れて、座っているのが辛い。なんとなく気持ち悪い。などなど。
長らく血液検査してませんね。朝食は?
医院に来るたびに、朝食を食べているので、この次に、と延期の延期だった。
サプリメントを飲んでいるというと、医者は、サプリをやめてからもう一度検査を、と言われて1年になる。
 そうとう錆びついているに違いないと思いながら、暴飲暴食を続けている。太って、膝や腰に負担がかかっているのがわかる。
大嫌いな注射のついでに、骨粗鬆も末梢神経など、医者は、私のいつもの訴えに応じた検査をしてくれたらしい。
 尿検査の結果、異常なしだというが、気になるのなら、と膀胱炎の薬を三日分だけ処方してくれた。月曜日には、結果が出るからと。
不思議なもので、医者に診てもらうと、たちまち安心する。
 昨日は、友人に頼んで、国際美術館で開催中の、中世美術館から来ている「貴婦人と一角獣」につきあってもらった。
  展示の仕方が壁にかけているので、神秘的な効果は得られないが、仕方ないだろう。
 外出中のタピスリーがなと、パリの美術館は、眼玉をなくしたようだろう。
10月まで、この美術館で開催した後、どこかの巡回するのかな。




 リーガロイヤルホテルまで無料のバスを使って、裏側の近道を通って、美術館に行く。
 混むと嫌だから昼食前に行ったら、すごく空いていた。まだ始まったばかりだし、この暑さ。この美術館は、結構不便な所に建ってるので、足が止まるのかも。
 お腹を空かして、リーガロイヤルで予約をしておいた、ダイニングのビュッフェに。
 予約はいらないほど空いていた。
 メインディッシュがつくと、2900円。ビュッフェだけなら2500円。
 それで十分だね、と言っていたけど、エビフライだの、ステーキだの、美味しそうだ。



 最初に、お野菜を食べると太らないのよね。がつがつサラダを食べて、もうお腹がいっぱいになってしまった。
 焼き飯にスパゲッティー、ピザにカレーにサンドイッチ、リゾットに、冷スープ。
がんばって、がんばって食べた。
 その後は、ケーキとアイスクリームとプリンにコーヒーをがぶ飲み。
90分の制限時間があるので、しゃべっていたらだめというので、最初はわきめもふらすに食べる。もうあかんわ、という頃になって、コーヒーとケーキ。

 株主の割引チケットを持っているので、20パーセントの割引なので、一人2000円。
 リーガロイヤルだから、味は落とせない。コーヒーやケーキは定番で美味しい。
 西宮ガーデンズに人気のビュッフェがある。食べ物の味は良かったが、コーヒーが不味かった。
 ホテルのラウンジに座ったら、コーヒーが1200円ほどするホテル。




すごく値打ちあるね。食後、子供たちの絵画教室の絵をみた。皆、本当に上手だ。
 子供の絵は、感じたままを素直に描くので、こんな風にとても大人は画けない。のびのびして、おおらかで、優しい眼差しや想像力の飛躍がある。




 ロビーの椅子も豪華。送迎のバスあり。涼しいし、最高だね。
その前夜は、新地の天ぷらが名物の店で、たらくふの食べ過ぎ。お盆は暇になるから、
せいぜい、粗食が楽しみ。

  

Posted by アッチャン at 12:02Comments(0)日々の事

2013年08月06日

安全地帯のコンサートチケット

 
  イトーダイニングの泡ぷちでざーと

JCBの雑誌で、猿之助が出演している「ベニスの商人」が紹介されていた。
売り出し日は、7月26日、歌舞伎を観る日と重なって、劇場から電話で予約した。
雑誌に予約ナンバーを買いて、翌日、西宮のローソンで、予約に従って、チケットをもらった。
係の人がすべてやってくれた。席は決められてなかったので、もらったチケットが良いのかどうか
わからずに、家で調べたら、西宮の劇場で買うよりもずっと良かった。
雑誌での公演を知って、まずは劇場に問い合わせたら、一階の後ろと二階しかないと言われた。
売り出しはずっと前からだった。JCBでは、席もわからず、ローソンでの手数料がかかるが、
もしかして、もっと良い席があてがわれるかも、と思って、初めてこういう買い方をした。
通常は、席を見ながら、直接買うのだけれど。
JCBチケットで、安全地帯のコンサートのチケットも先行予約という形で売っていた。
こちらは、インターネット上から申し込みが出来た。
昨日、梅田に出たので、チケットの予約番号を書いた手帳を持ってローソンに行った。
予約番号の下に、二段目の10桁という数字を入れないといけないようになっていて、
どうすれば良いのかわからない。






友人と、新地のイトーダイニングで、ステーキランチを食べて別れた後、道頓堀の松竹座まで、
歩いた。
10月の南座での、玉三郎公演のチケットをもらうために。
道頓堀の近くにある、ローソンは、梅田のように、人がいないので、またチケット交換機の前で、
ためしてみたがわからなくて、電話で問い合わせると、ローソンのIDがいるという。
家に帰って、調べないと、そういうにあったどうかわからない。
ローソンチケットというのは、面倒くさいものだな。これでチケットが取れないと、パーになるのかしら。
松竹座から、予約した「ベニスの商人」は、電話番号の入力が必要だった。公衆電話から申し込んだら、電話番号の入力を、と言われた。
 
携帯電話を使って申しこみのやり直している間に,幕間の30分が来て、食事が出来なかった。
チケットの予約も、大変なら、ローソンでの引き取りも苦労する。
安全地帯のチケットをもらいに、またローソンまで行かないといけない。ID番号はやはりあった。JCBチケットのID番号だった。
フェスティバルホールも、新しくなってからは行ってないので、楽しみ。チケットは、3階かもしれないけど。
全席指定で、一律料金。フアンクラブに入っている人は、あらかじめ席を確保しているから、一般はその残り。

オークションに、安全地帯のチケットが沢山出ている。一階の良い席が。プレミアつきで落札されるのだろう。



最寄りの駅で夏祭り。
浴衣を来た、少女からおばあさんまで、色とりどり、夏らしい風景。
  

Posted by アッチャン at 14:53Comments(0)日々の事

2013年08月03日

love

  

 基本は愛

愛はどこから来るのでしょう

偶然から

突然変異

愛してしまったら、止められない





愛されたことはありませんか?

愛されたことない

それは嘘です

愛されている

だからあなたは生きているのです

孤独の中にいても、あなたは

一人ではない

孤独に抱きしめられているのです

誰かに話しかけているのです

孤独のあなたに

愛したことはありませんか?

誰も



それは嘘です

あなたは誰かを愛さずにはいられません

あなたが生きているのは、愛しているから

最も、貧しくて、可愛そうだとしても、

そういうあなたを抱きしめる、あなたを

人間は、一人ではないのです。

あなたを抱きしめる、別のあなたがいるのです。

どんなに病気で苦しく辛く、貧しくひもじくて、希望の

見えない時でも、どうにかして、希望の光を見つけようとする

あなたがいる。だから生きているのです。それは愛

基本は愛

偶然から、地球の果てから、宇宙の底から 悲しみから

愛は愛から。  

Posted by アッチャン at 12:04Comments(0)

2013年08月01日

映画「風たちぬ」

   

http://kazetachinu.jp/

   夏休みとあって、西宮ガーデンズは、親子ずれで込み合ってる。
その中にある、シネマも同様で、7月の最終日に「アンコール」を見に行くと、
すでに席はなかった。
その前日に、友人と待ち合わせ、涼しい所が良いだろうと、西宮ガーデンズに行った。
まだ11時だからか、映画館のどの映画も空席が一杯で、人も少なかった。
友人が「アンコール」を見て、とても良かったと言っていた。
私も、この映画が見たかったので、翌日、もう一枚残っているチケットを使って来るつもりで、
その日は、「31年目の夫婦喧嘩」を二人で観ることに。
東宝の株主に割り当てられる、無料のチケットが、月に1枚の割で、息子名義と2枚使える。
見たい映画の時に、と思って、大事にしていると、2か月にわたっての使用期限がいつのまにか
来ていて、あわてて4枚を使わねばならない時がある。
友人とランチして、おしゃべりのつもりだったけど、チケットが余ってるので、付き合ってもらった。
彼女は、神戸の人なので、三宮にはバスで毎日のようにでかけていて、空いた時間に好きな映画を見ているよう。
このところ、すごく忙しくて、映画を見る時間がなかったので、7月までに使い切る映画館のチケットを沢山残した
ままで、もったいないことをしている。
本を読んでいるのよ、と友人が言った「風たちぬ」のアニメ映画の席がわずかに残っていたので、それを見た。
アニメ映画は、それほど興味ないのだけれど、宮崎アニメは、結構見ている。
その始まりは「千と千尋の神隠し」この映画はとても感激したと同時に、宮崎人気は最もだと感心した。
以来、見るようになった。
「風たちぬ」はアニメによって、ファンタスティックなものにしていて、良い作品に仕上がっている。
飛行機作りを夢見た少年が、彼の想像力と知識とひた向きな努力によって、最軽量で最高速度を出せる飛行機の開発に
成功するけれど、それは,戦争の道具として使われ、ゼロ戦だった。生きて帰って来ることの許されない、悲惨な道具。
関東大震災にしても、これが事実を再現する映画だったら、眼をつむりたくなる光景だ。
若い男女の純真な恋も、これほどの愛らしさをもった、夢のあるロマンには描けないだろう。
アニメだから、この映画は、人々の心に、夢と暖かさを残している。
風たちぬ、いざ生きめやも」という詩は、フランス人の詩人ヴァレリーの「海辺の墓地」の最後の一節から取ったもの。
風ぞ立つ さればわれ生きるべく努めざらめや

  

Posted by アッチャン at 11:31Comments(0)映画