2013年11月21日

北野坂「松野真理展」

   

 
  北野坂を上がるのは、年に一度、11月,紅葉の季節です。
 松野真理さんが北野坂ギャラリーで,毎年かかさず作品を発表していることは、実は大変なことで、病気で入院した年も、命の証しのようにも思えます。
  誰でも、今年出来たことが、来年また確約されrているわけではありません。
来年への希望をかけて、その年の個展は幕を閉じるわけですが、毎日、かかさず,続けられることは、とんでもなく奇跡的なことではないかと思うのです。
  松野真理さんのブログをについてもそれは言えます。毎日かかすことなく、ブログを書き続ける意志の強さと努力に共通するような気がします。






  今夜、私は珍しく、今夜のうちに、真理さんの個展の紹介をしようと、ブログを書いています。
 ボジョレヌボーの解禁日で、帰ってからワインを飲んで,頭が働かない時間は、その辺のソファーにごろんとして、居眠りしている頃なのですが。
 4階での新作と、2階には、以前の作品が展示されています。
 その両作品を見ると、真理さんの心象風景の相違が際立って見えます。





 4階の新作は,明るく大胆で、遊び心があり、誰が見ても安心して見て楽しむことが出来る作品でしょう。
 それとは対象的に、2階の作品は、心的には深い領域が出ていて、暗さとひたむきさが見えます。
 どちらの作品も、こういう風にしようと思って出来るものではなく、彼女の生き様を表現しているのです。
 昔、私はある画廊の経営者に、真理さんの個展の案内状を出したことがあります。
その方は大阪から神戸に来て、「もっとのびのびと描かれたら良いと思います。」と言われたのですが、今はまさにのびのびと画いている。




 人は、その時の状態によって、画く作品を、どうこう変えるような器用なことは出来ないのが真実なのではないでしょうか。
 今の作品も,安心して楽しめる絵画だけれど、若い頃の、堅い真面目な作品も私は好きです。文学的な作品と言いたい、心に突き刺さる作品なので、それが若さなのかもしれません。
 おしなべて,画家の若い頃の作品は、モノトーンで暗さと、行き詰まった怒りや極度の悲しみが作品に投影されてるものですが、年齢と共に、明るく大胆になっていくもののように感じられます。
 私は、今回の作品の中で、大胆で少し投げやりな作品に惹かれました。女性の顔も、体つきも、そして曖昧な色使いも。



 そして、2階に展示されている作品では、青白い光の中で浮かび上がるような、裸婦のこの作品に。



どれもそれぞれに、見る人の目を楽しませてくれることでしょう。


 作者には気の毒ですが、作品を世に問うということは、まな板の鯉になることの覚悟がいるわけですから、私の様な素人にも、好き放題言われるわけです。すみません。  

Posted by アッチャン at 22:55Comments(0)art