2013年12月31日

12月31日の記事



      



 戦後、日本人は、戦争で誰も亡くなっていない、とドナルド、キーンは言った。
  この言葉は、最高に日本を賞賛する言葉だ。
だが、今日本は、その世界に誇るべき,平和憲法を変えようとしている。
 戦争の出来る国に変えようとしている。
  強い日本を目指す。愛国心を煽り、それを義務化する法律を作る。秘密保護法案の成立で、隠遁体質をさらに強化する。
 経済成長を目指して、武器を輸出出来る国に変えようとしている。
 沢地さんは言った。
「アメリカは日本に金を出させて来たけれど、これからは人も出せと言ってくるアメリカは、国が間違った方向に行けば、国民が修正する。良くも悪くも、公表される。」
 良くも悪くも、公になることが、民主主義の基本である。国民の知る権利が守られることが。
 日本人の良識は、アメリカのそれとは違う。
 曖昧にすることが、日本の良識であり、美徳とされてきた。
 その曖昧性が恐ろしい。国のやることを曖昧に受け入れ,、しらぬまに戦前帰りを受け入れ、しらぬまに、兵役の義務が出て、若者は、戦場に送られるようになる。
 日本は、アメリカが多くの戦死者を出したように、同盟国として、日本も血を流すようになるだろう。
 曖昧な日本人は、まさか、そんなことにはならないだろうと曖昧に考えている。
  曖昧は、日本の良識である。
 白黒つけないで、その中間点を探ることが、争いを避け、お互いの利の落としどころを決めることで、国と国と,人と人との平和的な関係を築ける。
 強者でもなく、弱者でもなく、相手を認め、尊重することで、こちらの利も得ることで、軋轢を避け、戦争に至らない道が開ける。
  その日本式な外交関係を、ここで一気に潰そうとしていしているのが、安倍政権だ。 物言う国に、責任と義務を果たせる国に、強い日本を目指す。強い経済を目指す。
 危険際まりない。戦争をしない国から、戦争で血を流す国に。
 強力な力で、弱者を閉じ込め、言論の自由を弾圧する国に。
強いものが勝ち、弱いものが、弾圧される国に。
 すでに始まっている。数の力で、暴走を始めた,自民党政治。以前は自民党の中に、鳩派と呼ばれる良識のある政治家が沢山いた。
 戦争の悲惨さ,愚劣さ、戦争が人間を不幸にしかしないことを、身をもって知っている人達が、自民党の政治かとして存在した。
今は,老齢化し、蚊帳の外で,叫んでいるだけだ。遠吠えは聞かない。
  冷え切った,中国と韓国との関係をさらに逆なでするような、安倍総理の靖国への参拝。 アメリカも不快感を示した。
 靖国は、戦争を美化し、軍人として、戦死した人間を神格化する神社だ。
天皇陛下は、誕生日に、もっとも印象に残っているのは、第二次大戦であると語られた。戦争で負け、日本が、平和憲法を守り、平和を大切にする国としてここまで来た事を誇りに思うというようなことも述べられた。
天皇陛下自身が、安倍政権の危険性を案じているのではないだろうか。
 日本が、今真っ先にやらねばならないのは、中国や北朝鮮からの恐怖に立ち向かう軍備ではなく、隣国としての友好関係を構築していくことである。
日本は、どの国とも、平和的な関係を築き、共に地球に生きている人人を尊重し、共に、幸せな関係を築けるように、努力すべきだ。
曖昧な関係を常に持ち続けて。尖閣列島の問題も,竹島の問題も、自分の領土だと公に言わないで、曖昧にしていくことが、賢明なのだと私は思う。
  正義は、国の立場によって、不正義に変わる。
正義とは?何が本当に正義なのか? 
 互いを尊重し、両方が認め合う関係こそが本当の正義なのではないだろうか。
 人の犠牲の上に立つ正義などないはずだ。
  
 
   

Posted by アッチャン at 10:35Comments(0)コラム

2013年12月28日

猿之助の忠信

     



猿之助が亀治郎の会を立ち上げて、10回目の最終公演は、国立劇場での、猿之助48番のうちで最も有名な、義経千本桜の中の、佐藤忠信と源九郎狐の早変わりを演じた時の楽屋裏でのけいこ風景や亀治郎の語り、出演者達の話などのビデオを見ていたので、南座での顔見せは、ひとしお興味深かった。
忠信から、2秒で狐に変身して、床下から出て来て観客を驚かせる為に、どんな方法がつかわれているのかというと、忠信の衣装の下にまとった、白狐の着物に変える為に、舞台上にいてお辞儀をしている間に、楽屋下から糸を引いて、上の着物が一気に取れるように工夫されていたり、天井から飛び出して床に滑りだす為に、回転するための鉄棒があって、それでくるりと回って、床に滑るように出て来る。
楽屋に入ると走りに走って、今度は、本当の忠信として着替えて、窓から顔を出す。その時は、脈拍180も打っているのだけれど、涼しい顔をしていなければならないので、息を整えるのが大変なのだ。
佐藤忠信から、源九郎狐に代わる時には、化粧を変えるので、舞台裏に化粧台を置いて、その場で化粧を加える。
 舞台で、身をそって、階段までそっくりかえる場面では、糸で支えている。その糸を、静御前役の芝雀が、足で踏んで、狐忠信が階段下に落ちないようにしている。


   




欄干の一つが、平均台くらいの幅になっていて、そこを狐忠信が、滑るように走る。
 そのような舞台の裏を見て、説明を受けていたのだけれど、顔見世では、ずっと進化していて、階段から身を反り返る場面では、糸の支えがなくて、静は、離れて立っていて、以前に糸を踏む位置とは全く違っていたのには、驚きだった。
 この舞台、観客は驚きの連続で、エンターテイメント抜群なので、クライマックスのせり上がり、空中を母狐の鼓を持って、歓びのあまり身を揺らせながら、踊りのふりで、観客の顔を見ながら、3階の私のすぐそばを通って消える。その最後の場面では、風を使って、桜の花びらが、吹雪のよう舞い上がり、私の目にも入りそう。服や床に一杯になった花びらを、観客は拾い集めて、記念にといいながら帰っていった。
2千回は、忠信をやると宣言してる猿之助だけれど、この舞台の過酷なこと.
 心臓に負担がかかりませんようにと祈る気持ち。
 
  

Posted by アッチャン at 21:14Comments(0)演劇

2013年12月28日

クリスマス


     
  クリスマスプレゼントなど、最近はもらった事ないので、なんだか気恥ずかしい気分だけど、
 息子から、アイパッドのエアーがヨドバシから送られてきた。
 これがあると、フェイスタイムで、テレビ電話が出来るそうで、アップルのアイディーを取るのに、ネットにつなごうと四苦八苦しながら、なんとか今の無線ルーターで、とあれこれやっていたがだめなので、ドコモから借りている無線ルーターでセッティングし直して、きがつけば、朝の6時半になっていた。
 もう一つのプレゼントは、ポストに投函されていて、従妹から。
モロゾフのクッキーだった。
 従妹には、早速のお返しを送って、クッキーは母の所に。
 母の所に行くのに、ダウンを着こんでから、二階で机の前に立って、探し物をしていたら、焦げ臭い匂いがする。


 昨夜届いた、トヨトミの赤外線のストーブで、愛用していたダウンの後ろを焼いてしまった。ガードがしてあるので、まさか焼けるとは。
 パリにも、アメリカにもこのダウンを着て行った。吉田さんと森に行った時も。
 吉田さんが、亡くなった何年になるかな、と考えてみると、結構長くは愛用していたことになる。
 軽くて、着ていないみたいに軽い。ユニクロでも、軽いもの出たが、着心地が全く違う。


 


6万ほどの値段がついていて、バーゲンで3万5千円くらいで買った。私が買うものとしては張り込んだつもり。
 愛用品も、手の所が薄くなっていたわけで、そろそろお払い箱にしなさいよ、という神様からのプレゼントなのかもしれないと思った。
 軽くて暖かいダウンをみると、買いたくなるたちで、この代わりになるようなものを見ると、予備軍に買ってしまう。勿論バーゲンで。
 今はミズノのダウンをおでかけに着ている。茶色の買って、黒もいるかもと2枚買った。
 
 薄くても暖かいというのだけど、愛用していたものよりは、細身で、スタイルは良いけど、暖かさに欠ける。以前のがずっと楽なので、ついついそれを着ていた。
 焼いてしまったダウンと同じようなのが欲しい。捜し歩いても、なかなか気に入るものは少ない。
 馬鹿だなあと思うけど、小事で済んだのだから、これから気を付けることにも。
 アイパッドが無事、繋がって、今日、息子から電話がかかってきた。
 リクエストしたから、アイパッド開けてよ。
 朝からぼさぼさ、汚い恰好、部屋中散らかしっぱなしの状態で、初めてのテレビ電話。
 ずっと掃除す時間がないほど、なにあかやと手を取られて、今日から掃除と思っていた矢先。
 向こうは、正月休みに入って、夜の時間。
キッチンのキャビネットが白に代わっている。ウォシュレットを買って、今日付けた。
食器洗いも今日付けた。
息子は随分働いて、ビール片手に。
ミミちゃんもいる。休みでロスからやって来た。
真紀さんも、猫のタマモ。
こっちは寒帯のように寒いけれど、極寒のはすのオハイオは、部屋の中は暖かい。セントラルヒーティングが入っている。
テレビ電話は凄い。
部屋の様子が一目瞭然、一緒にいるような感覚になる。
テレビの前にワインが何本か飾ってあるのを目ざとくみつけた。
 「クリスマスの抽選で当たった150ドルのワイン。お母さんが来たら開けようと思っている。」
 美味しそう、すぐに飛んでいきたい気持ち。


  

Posted by アッチャン at 15:09Comments(0)日々の事

2013年12月27日

顔見世 

  
     


 ブログに書く事が一杯あるのに、書く時間がない有様。
深夜になって、年賀だけは出来あがった。
明日までに出さないと、元旦に着かないから、ぎりぎりの所。
だって、明日は、また朝から予定がぎっしり詰まっている。
京都南座の顔見せに、20日の夜の部、イブの24日は午前の部
で、朝早く出かけた。
夜の部は、猿之助の「黒塚」昼は、義経千本桜の佐藤忠信、
襲名披露の最終公演になる。




顔見世というと、それこそ顔を見せるというので、沢山の役者が役を演じるのだけど、
去年も今年も、休演者の代役で、一人で何役もこなさねばならない役者がいて、今回は、その役を、梅玉がになって、夜の部は、ずっとでずっぱりだった。
そのせいか、客席に空きがつらほら目立っている。
 猿之助と中車の襲名披露も、東京から始まって全国を回っていたので、私も3回目になるくらいだから、そういうことも客席の空に関係してるのかもしれない。
猿之助が、春秋座の芸術監督に就任したので、春秋座で、「猿之助への軌跡」という展覧会を開催中だとのポスターが、南座に貼ってあった。
23日までなので、行けるのは翌日の21日しかない。というので、翌日も京都に。
造形大は結構不便な所にある。バスの乗り場を間違えて、反対方向に。京都行に乗ってしまった。連休なので、バスは満員。雨も降ってきて、車は渋滞。
でも、行って本当に良かった。





猿之助が亀治郎の頃、この春秋座で、亀治郎の会、を立ち上げ、10回の国立劇場での公演までのパネル写真や、公演のビデオ、更に、春秋座の劇場内で、個人の会として、宙つりを許可するのは異例の国立劇場での、忠信の舞台裏から、稽古など、40分にわたって映画上映していて、とても興味深く、24日でのお芝居を観る上において、その楽しさは倍増だった。




森鴎外作の「じいさん、ばあさん」は中車と扇雀の夫婦役で、観客の涙を誘った。
台詞の芝居なので、中車には、うってつけの役処。これからの十八番芸になるだろう。
芝居三昧の連日、まだ耳に、お囃子の音や清元、浄瑠璃などの声が残っている。

  

Posted by アッチャン at 16:00Comments(0)演劇

2013年12月16日

利休と歌舞伎に共通する美の世界

  
      樹齢5000年のオリーブ

   西宮ガーデンズの映画館で、海老蔵主演の「利休にたずねよ」を見た。
団十郎が、この映画で海老蔵と演技の火花を散らしていた頃、明日の命を疑わなかった
にちがいない。
思えば、昨年の12月の顔見世で、勘三郎の死去というニュースが歌舞伎界に激震と大きな悲しみとなって、衝撃を与えた頃、勘九郎の襲名披露の公演でもあって、ずらり揃っての、口上で、団十郎が親代わりの挨拶をしていた。
舞台での団十郎が元気がなく、声色の良い、良く響く声がかすれていので心配だったら、その後すぐに、風邪の為,休演とのことで、私は見られて良かったと思っていたくらいで、その翌年に勘三郎を追っかけるようにして、この世に別れを告げた。
巨大な2つの大黒柱を失って、その後の歌舞伎界が心配されたけれど、吉右衛門や仁左衛門が、でずっぱりの活躍で、身体にムチ打って頑張って来て、南座の顔見世では、仁左衛門が休演、中村座で、勘三郎といつも出演していたン三津五郎や福助までもが、病に倒れた。
歌舞伎映画が出来て、嬉しいことに、勘三郎の名舞台が銀幕で見られるようになって、
先日も観た勘三郎が生涯をかけて精進し、到達しようとした菊五郎の不出の名舞台といわれた「春興鏡獅子」を、昨日もまた、難波の映画館で観た。
舞台は、勘三郎がまだ襲名していなくて、勘九郎として2009年のもので、難聴にも苦しめられず、体調も良かった頃の舞台で、その後、勘三郎として、新しい歌舞伎座で、踊ることを心待ちしてながら、新歌舞伎座の舞台を踏むことはかなわなかった。
心技体が一つになって、無の境地で自然に身体がうごくようになって、やっとその境地に到達出来るようになる頃には、身体がついていけなくなると語っていた。笑い顔を残して、腰低く挨拶しながら後ろ向き、去って行く姿が大写しの画面に。
肉体の芸と言われる歌舞伎は、肉体の伝承によって、息子の勘九郎と七之助に受け継がれていく。
踊りの旨さでは、勘九郎の方が旨いと、勘三郎が言っていたので、さらに飛躍した芸となって、のちのよの鑑賞者を魅了していくだろう。
肉体の滅び美学は、物悲しく、美しい。
「利休にたづねよ」でも、宇宙の空間における、行とし生けるものの、もののあわれの美を時間軸で捉えた、美しい作品に仕上がっている。
 竹筒に、椿のつぼみが、一輪さしてある。これから咲いて行くつぼみ。咲いて、首を落とす椿の花に、生きて滅ぶ美を象徴している。
 最も狭い、壁に囲まれた空間の何もない簡素な空間こそが、利休の茶室であることは、旧知の事だが、それは、獄中にも例えられるだろう。
サルトルが戯曲で言った言葉と同じ「幽閉されている時が最も自由だった。」と。
豊臣秀吉の欲望と嫉妬は、生涯つきることなく彼を苦しめ、安らぎを覚えることはなかっただろう。
百姓の出の貧しい秀吉には、黄金が素晴らしく美しく価値のあるものだった。
堺の商人の放蕩息子で遊び人だった、利休には、美の本質を見極める目が備わっていた。
あらゆるものを吸収する黒茶碗が、究極の美だった。
利休の命は、秀吉によって奪われたけれど、利休の美的、精神的宇宙は、茶道として受け継がれ、世界的に広がり、多くの人々の心の平安に貢献し、生き続けている。
歌舞伎の肉体継承の芸道でも同じだと思う。

  

Posted by アッチャン at 14:55Comments(0)演劇

2013年12月15日

もっとも弱いリーダーを

 
       

  猪瀬さん、東京オリンピックの招致活動では、マスコミにももてはやされ、大いに知事としての株を上げていたのに、今は、質問攻めで、さらし首のような酷い扱いを受けて、
頭から汗が流れ落ちている様子がテレビの大写し画面に映され、マスコミの餌食になっているのを見ていると、恐ろしくなる。
猪瀬さんの言っていることは、私は本当だと思うのだけど、辻褄が合わないとはやし立てる議員とそれを後押しする、マスコミ関係の出演者達。選挙に全く素人の猪瀬さんは、言われるままに、行動してきただけで、舞い上がっていた、という答弁が本当の所で、よく覚えていないのだと思う。
嘘を言えるような人ではないと思う。もわかっているうえで、騒ぎ立ている。その影で
国民が最も真剣に考えねばならない問題が、闇に伏された。
小沢さんも、こてんぱんにやられた。
立ち上がれないほどに、痛みつけられた。
毎日、毎日、検察が乗り込んでいくシーンが流れ、小沢悪のイメージがどんどん膨れ上がり、民主党の中で、小沢さん嫌いの議員の7奉行とかが、田中角栄を小沢さんを結び付け、金権政治の最後の大物のように扱い、クリーンなイメージを装って、排除した。
 
ホリエモンも同じように、忌み嫌われて、血の洗礼を受けた。
鈴木宗男、三井さん、西山さん、その他、数えきれないくらい、多くの、正しいことをやろうとした人、権力を脅かす、じゃまものは糾弾され力をそぎ落とされ、地に叩きつけられた。
 マンデラ元大統領の葬儀に、参列し、最も偉大なる人間だと称えている人達が、権力を保持するために、じゃまになる人間を排除してきた。

 猪瀬さんが注目されている間に、もっとひどい悪業が、かき消され、問題にもされなくなっている。
 秘密保護法案が、可決されてしまった。沖縄返還における秘密文書の公開をしようとした、毎日新聞の記者、西山さんの話を、山崎豊子は、そうしても書かねばならないと、取材を重ねて、「運命の人」を書いた。
 あの事件以来、マスコミは、権力の犬に成り下がり、報道の真実を主張できなくなった。
反省を促したのは、3.11での、放射能被害の隠ぺいであった。
 秘密保護法がなくても、今までも、真実は隠されてきた。
 北朝鮮を批判するが、安倍政権になって、死刑執行が加速されている。
 この先、言論の自由が弾圧され、国粋主義的な思想が進行していくような気がしてならない。
 強いリーダーなどは、必要ないのに、国民は強いリーダーを求めた。
 強いリーダーこそ、危険なのであって、国民の生活を脅かすものであると私は思う。
 最も弱いリーダーでなければならない。最も力のないリーダー、それこそが、真の強さを持ち、国民の傍に寄り添い、国民の声に耳を持つリーダーだと思う。目には目では、いつまでたっても平和は来ない。マンデラを崇拝する心があれば、それに学ばねばならない。
マンデラは、自分を痛めつけた人達の心情も理解し、許した。
そして、自分の功績ではない、多くの人達の努力と力がだと。
獄死した多くの人達、弱い者たちの、もっとも弱いリーダーとして、マンデラの存在がある。マザーテレサや、イエス、ガンジーにも通じる。
人間は、真に勇気のある人を知っているのに、真に平和を願い、正しい道を自らも歩んだ人を知っているのに、それは絵にかいた餅のように、関係ない所に追いやって、逆の道を歩む。
南アフリカでの人種差別は無くなっても、世界中の人種差別は、益々激しくなっているのではないだろうか。人間が平等でなければならないという根本的で最も大切な事から、どんどん遠ざかって行く。

  
  

Posted by アッチャン at 10:18Comments(0)日々の事

2013年12月10日

紅葉の京都とドライアイ

 
      

 しばらくブログを書いていなかった。コンピューターの調子が悪いのか、ブログの掲載サイトが問題なのか、写真が入れられなくて、その無駄な努力で疲れてしまって、ブログを書き気になれなかった。コンピューターのお困り相談に電話をしたら、エクスプローラーに問題があるのでは、ということで初期化した。
 写真が沢山あって、紅葉の写真が美しいので、冬きたりなばではあるが、ブログに入れたくて。
 友人のブログは、毎日かかさず、きちんと書いている。
 コンピューターの前に座ると、坐骨神経痛が出て、ドライアイもひどくなる。



 市民病院にかかっているついでに、眼科で調べてもらったら、ドライアイを指摘された。
ずっとこれには悩まされている。特に冬の乾燥が悪いらしい。何か月に一度は、検査してもらうホームドクターを選ぶように言われた。以前かかっていた眼下には行きたくない。
 親先生は親切で優しい人なのにリタイアー、息子は不愛想で威張っている。その上、白内障の手術を、息子が日帰りでやっている。
 先日から、また酷くなった。目が痛いのはいつものことだが、友人と夕食をしてるときに、急に痛くなって, ゴミが目に入った感じがする。何度目薬を差しても治らないので、
翌朝、気になっていた眼科に初めて行ってみた。



 図書館の傍にあって、私はいつもそこを通るので、以前から眼科があるなあ、と思っていた。外から見ると随分小さな医院で、ひっそりした感じだったが、ネットで見ると、病院で医長と部長もしていた女医さん。アメリカの病院にも留学してる。
 白内障の手術は、病院に紹介してもらえる。
 行ってみると、中は広くて、沢山のスタッフがいて、患者も多かった。




私の目は、ドライアイで傷らだけになっていて、其為に、物が入ってごろごろしたように感じるのだった。
 白内障は、ほんの初期で、問題ないとのこと。問題はドライアイだった。角膜が傷だらけ。
 この前、紅葉を見に今日に行った時にも、眼が痛くて、鼻まで真っ赤にしていた。
目薬が染みて、余計に痛くなる。目薬を差すと、痛くて涙が出るのに、すぐに乾燥してまた目を開けているのが辛くなる。目薬とドライアイ悪循環。




コナミのお風呂に入っている時は、眼の傷みがなくなる。湯気で目が潤うから。
秋晴れのからっと晴れた、京都で、燃えるような紅葉を楽しめたのだけど、ドライアイがお伴では。
 風情のある、うどん屋さんが、落柿舎の隣にあった。



 庭でいただくのだけど、待っている人の順番が分からなくなるから動かないで、と言われて、長椅子にずっと座って待っていたら、後から来る人達が、テーブルに座って、先にゆげの立ったうどんを食べている。
 移動しても良いですか?しびれをきらして聞いたら、どうぞというので、テーブルのある席に移った。
そこに、出て来たうどんは、冷めていて生ぬるく、うどんがのびている。
 早くから注文していた分を忘れていたようだ。




 出来上がって、置いてあった違いない。 大忙しでてんやわんやの亭主が、
一人で運んでいる。中では、奥さんが注文を受けて作っているようだ。



紅葉の季節なので、借景の眺めが庭から素晴らしいと自慢の店だった。
  

Posted by アッチャン at 14:55Comments(0)日々の事

2013年12月10日

顔見せ

   

   


 師走は、京都南座で恒例の顔見せ。
猿ノ助の襲名披露は、京都が最後を飾る。
 昨年の顔見せでは、市川團十郞を舞台で観ることが出来たが、その後体調不良で休演、 そのまま、病床につき、帰らぬ人となってしまった。
 今年の顔見せでは、仁左衛門が休演と聞き、病が再発したのではないかと心配したけれど、右肩の手術だとわかって、それなら大丈夫なので、ほっとした。
 勘三郎と親しかった,三津五郎までが、癌の手術で今年一杯は休演。ゆっくり休んで充分休養して欲しい。
 来年の四月に,中村歌右衛門を襲名する予定だった,福助が脳出血だというニュースが流れてきて、歌舞伎の大御所を二人も失って、歌舞伎界は大きな打撃を受けただけでなく、次から次に、無理をして穴を埋めて来た,看板役者達が、疲労とストレスも重なって病に倒れていくのは、なんとも悲しく、痛ましい。
 そんな中で、若手と言われていた人達が、歌舞伎界で重責を担い、立派に素晴らしい芸を披露しているので、歌舞伎界は代替わりの時期を迎えたのかもしれない。
 海老蔵、猿ノ助、勘九郎、七の助、染五郎、菊の助、愛の助、獅童、松禄、頼もしい役者達が後を絶たない。
 そういう中で、顔見せでの、初日に,体調を整えて,猿翁が口上の舞台に姿を現し、目に涙を浮かべながら,客席に挨拶されていた。
  歌舞伎役者の中でも、猿ノ助の早変わりは、身体にものすごい負担を強いるもので、身体を酷使し続けながら舞台を勤めて来たもので、それを受け継いだ4代目の猿ノ助の早変わりの様子を舞台裏で見ると、心臓への負担がどれほどのものか,言葉を失うものだ。 勘三郎の舞台を,映画化したものが上映されているのを見ると、全身汗が吹きだしている。

   


 今、上映している、「春興鏡獅子」は、勘三郎が最も大切にし,最も好きだった舞台だというが、激しい体力を要求するもので、肩で息している。菊五郎の名舞台で、誰も右に出るものがいないと言われた踊りで,並はすれた体力を要求する。
 踊れる心境に達しても、体力的に踊れない時期が来ると勘三郎が言っていた。
  歌舞伎十八番の「勧進帳」の弁慶も、身体への負担は過酷なもの。
歌舞伎は、それほど大変なもの。衣装も重い、鬘も重い。普通なら首を動かすだけでも負担がかかる。
 歌舞伎の舞台は、日日命を削って、より完成された舞台を、先人を超えた芸を目指しての戦いを続けている役者達の、血と汗の結晶なのだ。
今年の南座の顔見せ、心して観劇したいと思う。  

Posted by アッチャン at 00:23Comments(0)演劇

2013年12月05日

 秘密法案が、今日強行採決する

 

   

 自民党に再び政権をゆだねたのは、他ならぬ国民であるが、自民党政治に戻したら、民主主義政治は絶望的だと言い続けていた小沢さんが正しかった事を悟った所で,もう取り返しの付かない所まで来てしまった。
 政治に絶望している私は、何かを言う言葉も失ってしまっている。
 あまりの横暴、あまりの傲慢、自民党体質は、全く変わっていない。健在そのもので、2権力を持つ者達の、権力を保持し、拡大するための政治、それが安倍政権の本質である。 株価が上がり、景気が良くなっているという錯覚を植え付け、その恩恵を、富士山の裾野に広がって行くのだと期待している国民があいるとすれば、その希望は、絶望に変わるだろう。
 実態の伴わない経済は幻なのと同様に、安倍政権への政治は、国民の生活をさらに深刻なものにし、国民の負担を強いるものになるろいう幻でしかない、ということにやがて気づかされる事になる。
 国民の声を聞かない政治は、遅かれ早かれ崩壊する。
自民党が秘密法案の成立を急ぐわけは、官僚の官僚により官僚の為の政治を確立し、国民の知る権利を剥奪し、都合の悪いことは、葬り去る為である。
 小沢さんは、何故沈黙しているのか。
 小沢潰しに完勝した,権力の陰にいる人達に、恐れるものはない。
 安倍首相というお祭り騒ぎの好きな、馬鹿殿がトップなのだから、裸の王様も同様である。
 どんな悪政であれ、失敗であれ、開示することが、次の失敗を生まない、礎となる。
人間は愚かなもので、常に間違いを犯すもの。そこに救いと明日への展望を見いだすためには、常に明るく照らす,灯台の光が、羅針盤が不可欠である。
 それは、情報の開示だ。明るみに出すことで、国民の知る権利,民主主義は守られる。全体主義に、恐怖政治に、確実に、急速に,足を進めて行く,数にものを言わせた自民党政権。
 真摯に国民の声に耳を傾けなければならない、と言っていた,石場幹事長も、本症を表した。 
 国民が、民主主義を叫ぶ声を、テロだと。 、

何を言っても,言霊にはならず、空しさと敗北だけ。
 正しい事を知り,言動する人達は、常にマイノリティーなのだ。
   

Posted by アッチャン at 10:29Comments(0)日々の事