2014年01月29日

新春浅草歌舞伎2

 
     
     


 足先の割れた所でつまずかないように注意しながら、浅草に着くと、靴屋で履ける靴を探したのですが、どれも気に入らなくて、芝居が始まる前にトイレにも行っておかねばあらず、
会場に行きました。
 
  雷門から、浅草寺へのメイン通りは、もう人が一杯で、立ち食いの食べ物やさんの人だかりは相当なものです。
 外国からの観光客がその中でも目立ちます。
 牛コロッケのようなものを揚げている店の前は特に凄い。紙に挟んでもらって、食べてる人、買いたいと待っている人で、ごった返してします。


浅草公会堂の前に、スターの手形があります。
アカデミー賞の会場で知られている、チャイナーズシアター
にあやかってなのかもしれませんが、手を合わせてみる人も多く、カメラで
贔屓のスターの手形を取っています。
 今日は、千秋楽。
挨拶は猿之助なので、ラッキーです。
会場の中に、浅草名物の販売コーナーと、会場を入った所で、様々な種類のお弁当を売っています。
浅草の名店から持ってきたもの、歌舞伎座のお弁当など、松竹座や南座では見られない、庶民的で活気のある弁当売りの声が飛び交っています。





浅草のカツサンド、一度食べたらやみつきだよ。
この牛丼は、売れたら終わり、あと残り3個で終わりです。
十和田の天丼、あつあつ、今出来たばかりの、美味しいですよ。
私はどれにしようかと迷って、買えなくてチケットを切って中に入ったのだけど、お弁当買ってきますといって、また出てきて、それからもまよって、まよって。
助六も食べたい。カツサンドもおいしそう。歌舞伎のお弁当も彩良くて。
天丼旨そう。国産のすき焼き牛丼、これも良いなあ。
で、売っている人にどれが良いかな、と聞くしまつ。優柔不断で困ります。
「浅草の客は、この牛丼買ってくよ。」
この言葉で決まり。冷たい牛でも美味しいんだって。
前から2番目に、昨夜の二人が座っています。ちらっと挨拶して、私の特等席になっている同じ席に。
隣の若い女性は、風邪を引いてせきごんごんしながら買ったばかりのパンフレットを見てています。大きな荷物が足元に。東京の人ではなさそう。
11時、猿之助が舞台から挨拶。面白い話で笑わせて、盛り上げます。わずか5分ですが、
素敵でした。






最初は、愛之助演じる、「義賢最期」これも、仁左衛門の十八番の役処です。この芝居は、
12世仁左衛門が演じて以来、松嶋屋の宝になっているお芝居です。受け継がれた様式の美と、松嶋屋独特の、声で聴かせる人情の熱さ、はかなさ。
仁左衛門そっくりの声使い、せりふです。
仁左衛門が、直接指導したというので、それもそのはずだと思います。
愛之助は、子供の頃に、13代仁左衛門の部屋子になり、大きくなってから、秀太郎の養子になっています。
化粧をすると、あまりの似様に、もしかしたら仁左衛門の、と疑いたくなるのですが。
新ノ口村も、親子の切ない愛情で、観客の涙を誘う、松嶋屋の美学を感じる。
 愛之助が、次の仁左衛門を襲名することは間違いなさそうです。
 




 次の作品は、「上州百両首」
この作品は、京都の春秋座で亀治郎の会で、観た作品ですが、その頃からずっとまた磨きがかかっています。
 2時間ほどの、休憩のない、長い芝居で、この作品は、猿翁さんが、猿之助時代に、
藤山寛美と勝新太郎とのコンビで、見た時におもしろいと魅せられて是非やりたいと思いながら、
寛美とのコンビは寛美の死去でかなわず。勘三郎さんが、勘九郎を名乗っていた頃、、コンビで上演していたもので、原作はオーヘンリーの小説。
おさななじみの正太郎と、正太郎を兄のように慕う、頭の鈍い牙次郎との、固く結ばれた友情を描いたもので、感動を呼ぶ舞台です。
場所は浅草であることも、新春の浅草での感謝の公演にふさわしい出し物です。
相手役を務めた、若手の坂東巳之助は、三津五郎の息子です。さわやかで、声が良く通り、
はまり役で、猿之助とも息もぴったり。素晴らしい舞台です。
間に、観客席の間を二人で、漫才のようにかけあいの台詞で歩くのですが、私のすぐそばの道を通って、まじかに観られたのは、感動です。
浅草まで足を運んで、良かった。フアンなら、これくらい、いつもなんでしょうね。
お金もかかる。時間もいる。そうそうは出来ないこと。
大きなお年玉をいただきました。
 

 
  

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2014年01月28日

新春浅草歌舞伎1

       




 猿之助が亀次郎時代に、毎年お正月と言えば、この浅草で出演していました。
 猿之助を襲名してから、2年目のお正月、襲名披露も昨年暮れの京都顔見せで最後の舞台を終えましたので、一段落。
 お世話になった浅草に感謝を込めて、新春は、浅草に戻っての公演にです。
 浅草というのは、大阪の賑わいとはまた違った、独特の雰囲気があります。
 シンプルさを基本に粋できっぷの良さを感じる着物姿の女性が目立ちます。





 心意気は暖かく、下手な若手にも、拍手を惜しまない。芝居をこよなく愛し、若手を育て、温かく見守る姿勢が各所に観られます。
 浅草公会堂は、公会堂と言う名前の通り、シンプルでがらんとして、歌舞伎小屋のような華やかなものではないのですが、座席の前がゆったりして、大きな荷物を置けるスペースがあります。
 余裕を取っているので、舞台への距離があって、2階、3階からは、舞台が遠いのが欠点です。
だからでしょう。一等席は11000円、二等席は6000円、3等は2000円、その差は大きいことがわかりました。
 私のように、地方から来るフアンも多く、隣にいる二人ずれの女性の話を漏れ聞いていると、どうも大阪からやってきた様子。その向こうの女性も、どこかの地方からなのか、
明日は、新橋に海老蔵の舞台を観に行くという声が聞こえてきます。






 私は飛行機とホテルがセットになったものを購入していて、赤坂の東急エクセルを選んだのですが、浅草にすればよかったと後悔しながら、都営の地下鉄のマップをみたり、台東区の観光パンフレットをみていたものですから、隣りの女性に、
「関西から来られたのですか?」とお聞きして、「私も」というと、
 「マップを見ておられたのでそうだろうと思ってました。」との返事が帰ってきました。
猿之助のフアンで、猿之助のおっかけをしている人達。どこにもはせ参じて、後援会に入っておられます。
「明日はどのお席?」と聞かれて、今日と同じ席なんです、というと、
「明日は前の席です、」と言われるので、
「インターネットで早くから買われたのですか??」と聞くと、奥に座って、やたらに歌舞伎の説明をしていた女性が
「猿之助さんの後援会に入っているのでそこで。あなたは入ってないのですか?」とおっしゃる。

 



翌日の午前の部では、前から2番目の席に座っておられました。私がいる席も7番目なので、良く見えるので不満はないのですが。
 浅草のビューホテルにお泊りで、東京にも、毎年お馴染みのお客さん。弥次喜多道中を歌舞伎公演を目的にしているような印象。
 私は朝からお腹を通して、何も食べずに6時半の終演時間まで我慢していたものですから、終わったら、何食べようか、天丼が良いなあ、などと食べることに頭が行き、前夜遅くまで起きてリタので、途中うとうとしたり。
  最初は、お年玉といって、5分くらいの挨拶があります。交代に出演者が出て来ます。







 夜の部では、亀鶴が大きなサイコロを持って現れ、最前列の人とサイコロで勝負して、お客が勝って、プレゼントをもらっていました。
 最初の出し物が、猿之助が博打王に扮して、「博打十王」という舞台ですから、其の前座の挨拶なので。
 地獄の閻魔大王と、サイコロで勝負して、閻魔大王は身の回りのものを掃き出し、最期の賭けに、天国への切符を手に入れます。
 昭和45年に、3代目猿之助が、創作上演した作品で、亀次郎の会で復活上演したもの。
 この浅草は、猿之助通りという名もついているくらい、3代目にも懐かしい芝居小屋で、この演目を楽しみにしておられましした。
衣装も、3代目が作ったもので、サイコロと花札など、正月をいろどるもので、それを身につけて、4代目の舞は、ほれぼれするくらい素晴らしいものです。






 お正月は関西の愛之助が、初めて浅草の正月公演に参加して、仁左衛門の相手役を務めていた、父親の秀太郎さんから指導を受けた、忠兵衛を演じた「新口村」
 愛之助の忠兵衛に、翫弱の息子、壱太郎が梅川に扮して、上方の人情ものを、浅草で披露しています。
 愛之助の化粧は仁左衛門そっくりで、二枚目の美しい忠兵衛で、観客席から、綺麗ね、という声が。
 3作目は、若手の踊りで、華やかさを添えます。
 芝居が終わって、やれやれ食べられます。
天丼を食べようと店を探して、一軒の店に。パンフレットに載っていた店です。




 あまり食べたら、またお腹を壊しそうで、あなごを残して。
大黒屋というのが有名で、いつも人が並んで待っているので、私はそこを避けました。
 浅草の顔見世通りに、ごま油の良い匂いがして、天ぷらは浅草の名物の一つ。
店の人も、浅草歌舞伎はよくみていて、話が弾みました。
 結局、浅草から、都の地下鉄に乗って、青山一丁目で降りて、赤坂見附にある、エクセルホテルまで歩きました。
銀座線はすぐ近くにあって、ホテルでチャックインしてから、銀座線を使って浅草まで行ったのですが、2日間のフリー切符を無駄にするのはもったいないので、メトロに乗り換えないで、歩いてみようと思ったのです。
 ホテルの下に、コンビニがあって、とても便利。サラダやワインにお酒を買い込んで、
ホテルでシャワーの後、リラックスしながら。
シティーホテルなので、快適です。でも浅草に泊まれば、もっと便利で、交通費もかからなかった。2日券を買わまければ良かったのに、私の癖で、つい買ってしまうのです。
それで、疲れるのに、がんばって歩いたり。
  

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2014年01月27日

篠原ト土世展  gallery 星羅

      


 土日にかけて、浅草公会堂に,猿ノ助の歌舞伎を見に行きました。
その話をしたい気持ちは山々ですが、その前に、緊急に,この場を借りて
ご紹介したい事が出来ましたので。
 浅草歌舞伎に行くことはずっと以前に決まっていたのですが、偶然にも、パリ郊外のアトリエで活動されているアーディストの個展の案内状が届きました。
日曜日が初日なので、歌舞伎が終わって、飛行機の予約時間までは余裕があるので、伺うことにしました。
 いつも園内状を頂くのですが、東京まではなかなか。
 案内状の絵画は、郷愁というシリーズで、惹きつけられるものがありました。





 以前に、同じ画廊で、奥様の個展を見せていただいたので、会場は大体わかっていたのですが、お上りさんは、いつまでたってもお上りさん。
人に聞きながらのおぼつかないこと。
 篠原さんんを知ったのは、吉田さんを通じてでした。
 骨董市に来らていて、私は吉田さに誘われて、ご夫妻とご一緒させていただきました。 そこで、サン、ルイのグラスの骨董品を買ったのですが、勧めていただいたのがきっかけで、その後、吉田さんのお葬式でお会いしました。
  吉田さんと同様、フランスに長く、アーティストとして、制作一筋に励んで来られた方々です。





 そういう人の作品というのは、一筋、という言葉にふさわしく、磨きあげられた玉のように、底知れぬ美しさと、鍛錬の上の技術の巧みに裏ずけられたものが光ります。
 毎回銀座の同じ、ギャラー青羅で個展を重ねておられるのですから、コレクターも安定していて、毎回楽しみにしてろおられるフアンも多いようです。

 
 母はよく絵を買っていたものですが、私も絵画が好きで、欲しくなるほうなのです。
 




 
 
 篠原さんの作品も、見せていただいたら、欲しいなあ、と思う作品がにいくつか。
手元において、いつも眺めていたい、と思いにかられます。
 
純粋、透明を追究し続けた道の果てに見えているだろう世界の彼方から照らす光。
深淵の静けさ、宇宙の奥底に溶けこむ畏れと幻惑。







 ブルーを使って、友人が「起源」という題をテーマに描いてるのですが、篠原さんの絵は 、根源の安定さを求める旅であり、彼女の絵画は、安定から、限りなく流れて溶けていこうとする。奥底の深淵へと。男と女の違いを見るようです。

家に戻って、彼女の絵画を観ていたら、篠原さんの作品が欲しくてたまらなくなります。


吉田さんの絵画とも、世界が違うのですが、「起源」をテーマにして描いている友人が、吉田さんの絵画と自分の絵画は、同じ系統のものだと
語っていました。




 吉田さんと、篠原さんの作品を並べてみたらどうだろう。
篠原さんの作品には、「郷愁」というタイトルがついています。
卵のような、真珠のような丸は、卵から殻を割って出て来る、宇宙の存在の始まりのようでもあります。そこからはじき出された存在である篠原さんの、帰ることの出来ないけれど、求めてやまない世界。手探りで求め続ける世界、それを「郷愁」と呼ぶのでしょうか。





吉田さんの作品も、一貫して「命」です。手法は違っても、同じ場所を求めているような気がします。

そして、宇宙の存在としての、私達の心の、魂の、起源でもあり、郷愁でもある、命の神秘なのでしょう。





オブジェも展示されてます。どこか剽軽で面白い。子供のように、遊び心のある作品で、おもわず微笑んでしまうような。


篠原土世展は、2月1日まで、開催されています。

 美術会館ギャラリー星羅
 AM11時からPM7時{最終日はPM5時まで)

  03 3542 3473 会場直通
  
東京都 中央区 銀座3-10-19


 日本連絡先 

 愛媛県西条市福武甲464-7

  


 


 
  

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2014年01月22日

映画「永遠の0」の危険

     



映画「永遠の0」を観ました。
 西宮北口にある、有名な?カレーうどんを食べに行こうと,誘われて。そのついでに。
  びっくりうどんもびっくりの、カレーうどん、タッパを持ってくるように言われました。食べられないので、主人が持ちかえりを勧めるとのことで。
 昼時は行列が出来るので、2時に待ち合わせ。コナミに来ている,名前をまだお聞きしたことのない人ですが、話するようになって、西宮近辺の美味しい店を教えてもらっていたのですが、食べたくなったから、と気さくに誘ってくれました。
 食事の後、ガーデンズで,映画を観てコナミに行くと,調度良い時間になるので、
 一位の人気が続いている「永遠の0」を観ようと思いました。
 あまりこういう映画は見たくないのですが、それほど感動させ、本屋のベストセラーのトップにあるので。
 暮れに会った友人が、「永遠の0」を観てきたの、と言っていたのですが、良かった?とも内容も気かなかったくらいでした。

http://www.eienno-zero.jp/index.html

 命の大切さを訴える映画ではあるし、戦争を生きた人達がどんどんこの世からいなくなって行く。零戦に散って行った人達には、大切な家族や愛する人達がいて、愛の為に,生きようとし、命の大切さを伝えようとした主人公のパイロットについて、現在生きている孫が、真相をたどって行く。
 感動があり、涙するけれど、こういう作品が、かえって戦争を美化するのではないかという懸念がある。
 戦後の復興と発展は、彼らの犠牲の上に成り立っている、という実感は強いけれど、それが靖国を美化することになるのを懸念する。
 日本は、今本当に危ういと瀬戸内寂聴さんは言っている。昭和17年頃の日本に似ていると。
 戦争時代の美しい話はいらない。
 戦争悪を全面的に表す映画が求められる。
無残で残酷で嘔吐を催すほど、強烈に戦争悪を、そして戦争における権力を使って,人間を人間とも思わず、残虐に拷問し、自由が奪われ、死んでいった人達の映画が望まれる。

 アパルトヘイトを扱った「遠い太鼓」や、ベトナム戦争の愚劣で恐ろしさを画いた「キリングフィールド」ナチスのユダヤ人虐殺の現実をつきつけられる映画のような,日本の憲兵や軍部の実態を描いた映画が望まれる。

 美化することで、涙を誘うことがあっては危険を助長している。若い人達が感動してはいけない。  

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2014年01月20日

脱原発で日本は世界の未来モデルに

    


     

 都知事選に細川さんが出馬することで、様々な意見が飛び交っている。
 9ヶ月で総理の座を降りた人、佐川急便の1億円疑惑に説明を求める、年が行き過ぎている、など。小泉さんは、安倍さんへの復讐だ、ジェラシーだ、など。二人共、原発推進だった。
 これは都知事選なので、原発だけのワンイシューでは、焦点が合わない、という意見がいかにも説得性を持っているかのように言われているが、脱原発が、あらゆる問題の底にあって、木の根元なのだ。
 安心して暮らせる町づくり、子供達に未来のある世界を作りあげることが、日本の心臓である東京都に求められる。
  脱原発で,本当の問題は、原発を手放すことによる、回りの国への抑止力がなくなるという懸念だろう。
  原発を廃止し、格納庫を、地下深く埋めることで、地上に住む人間には安全を、地下深く核を持ち続けなければならないことで、核保有は保持し続けることに変わりはない。 東京から、脱原発に舵を取ることで、日本全体が変わる。
  エネルギー改革で、日本の経済は活発化する。
 世界の環境未来モデルとして、世界の注目を高める。安全で魅力的な国を目指すことが、
 国民の生活を向上させる根幹だ。
 日本は、戦後焦土と化した。阪神大震災で、焦土と化した町が見事に新しく生まれ変わっている。
 経済の活性化は、需要をふやすこと。
 東北の復興はまだ進まないけれど、東北は脱原発で、新しいエネルギーを使って、安全で安心な生活のモデル地域にする,絶好のモデルになるだろう。
 舵を切れる人が,都知事に望まれる。
 日本の食が安全であることが、食の輸出の基本である。和食が世界を制覇し、人を健康で幸せな生き方のモデルになるためにも。
 ドイツでは、日本の茶に感心が高くなっている。
 千利休が、昨今注目を集め,西欧で日本の茶がブームを起こそうとしている。
  秀吉の死は、「疑念と不安」のうちに終わった。千利休は、心の静寂と至福の境地を
 世に残した。
心の平和を求め、美しい生き方を追究することが茶道。
 今、世界中で、それが求められている。
 千利休的な視点を持ったリーダーが都知事になったら、東京都は世界で最も魅力的な,世界都市に変わるだろう。
 世界は、無駄に満ちている。そして,求められなければならないものが不足しすぎている。
 エネルギー改革は、人の暮らし方を変える。簡素で美しい世界,自然の恩恵を受け自然の存在としての人間復活が科学技術によって、実現化されることの証明となるだろう。
   

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2014年01月19日

iPad 

 
  


  まだベッドの中で、テレビの音だけ聞きながら布団から出るのをためらっていた。
電話がなって、あわてて飛び出した。
息子からだった。
「呼んでいるのに、聞こえないの?」
クリスマスにプレゼントしてくれたiPadにである。
テーブルの傍に立てて、いつ来ても良いように準備はしている。
「電話をかけないとわからないようなら、意味ないよ。」と息子。
電話があって、アイパッドで応答するばかりが続いている。
向こうは金曜日の夜、ビールを片手に。
「あまり飲み過ぎないでよ。」母親の特権である心配性がそういわせる。
「まだ2本目だよ。」
朝と夜の時間差は大きい。
 こちらは、これから起きだして、朝ご飯。
彼らは、金曜日の夜だから、これからレストランに出かけるらしい。
 「荷物届いた?」
 「どうかな。なんかあるような気もしたな。」
 ドアを開けると、一面の雪。
 カバーの下に箱が見える。
 「来てるわ。」
 郵便局から、家の軒先に配達してくれるから、会社に送らないで、と言われていた。
 「開けてよ。」
 別にたいしたものを送ったわけではないけれど、寒いだろうと、温かい下着などを送ったいた。味噌汁になにに、と中から取りだす様子まで見える。
 私の服装はいつもきまって、ブルーのダウン。
息子に持っていったら、こんなの恥ずかしくて着れないというので、以来私が愛用している。我が家の寒さをカバーして、大いに活躍している。
 よそいきの服に着替えて、ビデオの前に座るわけにはいかないので、いつも、お化粧なし、ぼさぼさの起きたてというパターンでカメラの前にいる。
 顔を見ながら、周りの様子を見ながら、息子たちと話をしていると、アメリカにいるようで、寒い中、家まで行かなくてもいいような。
 「すごく寒いのでしょ?」
 「今ね。マイナス9度だ。」
 「ニューヨークがマイナス29度だとか言ってたから。」
 「そういう日もあったけど、しばらく前だよ。」
 雪が積もっているころは、まだ温かいのだろう。
  ビデオは、一緒にいるようで、便利だ。
一人で住んでる気がしない、一瞬。
 
  ビデオカメラは、人を束縛することもあるけど、
 人と人をホットにすることも担っている。
  ふんわりほかほか暖かくなった。
      
  

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2014年01月17日

肺がんの追跡終了

 
   


  CT検査の日が来た。3か月前に撮った映像に、わずかに1ミリの疑わしき箇所があって、
3週間ごとにレントゲンを撮って、肺に変化がないかを調べていた。
 その間、病院を変わろうかとも思ったけれど、とりあえず、3か月後のCTの結果を待ってから、とこの日を心待ちにしながら、体調を崩さないように注意していた。
また肺炎にでもなって、新たな影が出来たら大変だから。
 暮れに友人と居酒屋で忘年会をしたら、隣にいる人のタバコで、しばらく治っていた咳と声枯れが再び始まって、煙草の席は禁止区域だと思って敬遠してたのに、先日、京都に行き、いつも行く「梅ノ井」が長期休業していて、かぶら蒸しが食べられなくて、良く行く、酒屋兼飲み屋に行った。
 席に座ると、両側のテーブルで煙草を吸いだした。
しまった、これはだめだと思い、トイレの傍にある席に変えてもらった。
店員は、難しい顔をして、「この店は全体が喫煙ですから。」と言っていたが、出口の寒い所にある席でしかもトイレの傍なので、煙草の煙りは届かずで助かった。





安い店なので、ばかばか注文して結局、高いものについた。
 店員は沢山注文するので、様相が一点、愛想が良くなった。
 CTの検査までは出て行かないようにしようと思っていたのだけど、ニューオータニの
セレブもお気に入りとかの店にも、凍るような寒さの中、夜に出かけたりもして。
 ネットで買っていた半額のチケットなので、こちらのほうは、超お値打ち。
いつ行ってもほとんど席は空いている。これで経営の方は成り立つのかしら。
 平日なので、ホテルの客は少ないだろうけど。







 鮨が主役のこのお店、その旨さと言えばすごい。だから不便でも足を運びたくなる。
 もっとも通常の料金ではとても。
高級店では、お酒を控えるし、量も多くないから、健康には良い。
こんな楽しみ方をした後での、CT検査だった。
 前夜、ネットで10ミリシーベルトの被ばくと知って、原子力にかかわる仕事をしているから20ミリシーベルトが許容範囲だと言う小出助教の話を思い出した。
年間での量だから、私はすでに3か月前にCTを受けているので、今度で20ミリ?
やめておいたほうが良いのでは?
 病院の検査所に行き、「被ばく量は大丈夫でしょうか?」と聞いたら、
「ちょっと待ってください。」と言われた。
やがて受付の人が帰って来て、「心配なら、先に診察受けて後でいいです。」
診察は、検査後だったのだけど、診察室の受付に行き、その話をすると、医者にカルテを回して。
 被ばくの心配は、係の医者の言葉にもあった。
「CTはそんなにできませんよ。相当な被ばくがありますから。」と前から言っていたのも気になっていた。
診察の順番が来て、その心配を告げると、医者は、
「じやめ、やめますか?」と言う。
「CTでかえって癌にならないでしょうか。大丈夫なら受けたいのですが。」
「1回ぐらいで、病気になりません。結果を見ないと、前のとの比較がわからないですから、それでも良いなら。」
「じゃ受けて来ます。」
検査の結果、前の映像に映っている、1ミリのままだった。
「これなんですか?」
 先生は、
「わかりません。」
「病院での診察は卒業しましょう。」
「咳が出るし、声も枯れてますが。」
「風邪ひいたら咳出るよ。耳鼻科で、甲状腺みてもらっているでしょ。
喉はそこでみてもらってください。」
「咳は?」
医者に行ってください。
会計で6千円ほどの支払い。
今回の騒動で、病院代結構かかったなあ、なんて。
結果の前に、悪ければ、指宿にある病院に紹介してもらうと
まで考えていた。ワンサークル300万円かかるけれど、傷みもなにも
なくて、樹木希林も、中西れいも通った所。
なんでもなかったら、健康保険の支払いが高いなんて、なんて現金なもの。

安心したら、とたんに咳が出だした。
安心か、放り出されたからなのか。
飛行機の切符を買わねば。どこかに行かなくちゃ。
今年のマイル稼がなくちゃ。

  

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2014年01月11日

都知事選に小泉元総理の出馬が

  
        


 都知事選に、細川元総理が出馬の意向を固めた。
 かつて、小沢さんがしかけて、野党が政権を取った時の、旗印になった。
佐川急便からの献金疑惑で、総理の座をあっさりと引き、政界を引退した。
湯河原に窯を作り、おばあさんの桜守をしながら、わびさびの世界に遊び心で
暮らしていた人だが、政治への関心は常に持ち続けていた。
 細川さんが目指す所は、利休の美の世界。利休の黒茶碗を目標にして、土をこね、
茶碗を焼いている。
 細川氏の作品の評価は高く、庶民の手からどんどん離れていく。
細川氏が単なるお殿様ではなく、陶芸を学ぶために、師を求め、作業場に寝食を得て、
 内弟子としての修業から学んだことは高く評価するけれど、それも、遊びの一環であり、未知の世界を体験することの喜びにつながっている。
震災後、植樹のプロジェクトを立ち上げ、先頭に立って、作業に励んでる。
自然との共存を目指して、反原発の運動にも力を入れている。
 都知事としての、力量は果たしていかに?と思う。
橋本さんのような、虐げられたもののパワーはない。作家の猪瀬さんも、権力の罠にはまって失脚させられた。こつこつと真面目に働く職人ではあったけれど。
剛腕と言われ、怖れられた面影はどこにもない小沢さんも、結局はおぼっちゃんの理想家だった。権力に押しつぶされた。
 老兵は去るのみ、と言って政界を去った野中氏は、自民党政権の横暴さと危うさに、やめなければ良かったと後悔しているだろう。今は、犬の遠吠え。
野中氏を支えた反骨精神と、戦争で学んだ平和主義は評価されるものであったが、その声が届かなくなった。
 都知事戦には、小泉元総理の出馬がふさわしい。
脱原発が成し遂げられれば、それだけで十分だ。
人間の生活を支える根幹であるからだ。
 小泉元総理が、たてば、必ず当選するだろう。あれだけの知名度があり、やるといったことは徹底してやり抜く政治家であることは、有権者が知っている。
 しかも、細川氏と違って、やくざ的なパワーを持ち、精神力の強さでは、誰にも引けを取らない。
息子とだって、真っ向から対立するだろうし、弟子と称する安倍総理の原発推進を切って捨てるだろう。
小泉さんの偉い所は、間違っていたら、反省し、よりよい世界に舵を取りなおすことが出来る人だ。
 自分を訂正することの出来る人は、自分を客観的に見れる人、権力にしがみつく事なく、
自由な人だ。
人間だから、多くの間違いを犯す、良かれと思って、悪化することは多々ある。それを引きづる人に都政を任せてはいけない。
都市は、日々変化していく。人間の生き方もどんどん変わって行く。臨機応変に、都知事も日々進化していける人を選ぶべきだ。そして決断すべきことは、私欲を捨てて、迷わずに。
小泉政権の功罪は問われる所も多々あるが、理想的な改革者はいない。
 功罪は、紙一重で常に存在する。
失敗から学び、進化していくことが大事だ。



  

Posted by アッチャン at 15:19Comments(0)コラム

2014年01月10日

玉三郎の新春特別舞踊公演、松竹座。

  
      


  待ちに待った、玉三郎の特別舞踊公演に行ってきました。
お正月が来たのだと、実感出来た、華やかな舞台です。
松竹座の正面玄関を入ると、獅子舞が迎えてくれます。
頭をがぶり、テレビの「ごちそうさん」で観たものと同じ光景。
 お正月の一日に、神社で引いた、くじ運の悪さを、幸運に変えて
くれるようで、お祓いを受けた感じ。
友人が、ヴィザで、18000円の入場券と15000円で申し込んで
くれていたので、良い席が当たって、それもラッキー。
松竹座は、満員御礼の札がかかかっていて、さすがに玉三郎の人気は
絶大なものです。
綺麗処の芸者さん、舞妓さんの晴れ姿もみられました。
けれど、玉三郎の美さにかなうものはいません。
舞台の幕間に、場内が明るくなると、一斉周りの人が見えるのですが、
私も含めて、これほどの違いがあるものか、と目を疑いたくなるほど、
舞台の玉三郎の、色艶、美しさ、この世のものではない、と確信する以外には
ないのです。
共演の七之助も、玉三郎についていこうと、必死に踊るのですが、とても玉三郎の
魅力にはまだまだ、ほど遠い。
でも無理はないのです。
積み上げられた美しさ、年齢を重ねて、どうすれば美しく見えるかを、研究に研究を重ねて、身体も心も作り上げた美の世界は、孤高の美、なので、誰も真似の出来ないもの。
そして、一回限りのもの。
昨日、明日に見せる玉三郎の芸とは、違う永遠のものなの。






 七之助も、一人で舞台立つ、最期のお染、久松の二役では、十分に良く踊って、
色香も発揮していました。
 そこに、玉三郎が登場すると、その華やかな色香が、がくっと落ちてしまうのです。
しかし、これは七之助にとっては、精進の目標が更に遠く、希望がさらに大きくなっている証拠であって、きっと将来は,素晴らしい女型に育ち、踊りの旨さを、更に磨いて行けるでしょう。
舞台の装置、美術も、玉三郎の演出だと思われるのですが、日本の象徴的で、大胆な美しい舞台で、目を見張る思い。
正月初めの目の保養にも一役買っていました。
玉すだれって、可愛くて、華やかで、粋で、冬のはずのお正月が、新春と言われるにふさわしいものです。その玉すだれがふんだんに使われて、お客を暖かくもてなしています。





パンフレットにもなっている、藤娘は、出し物の中でも、最高で、玉三郎と七之助の二人での
共演は、藤棚から、藤が垂れるように咲く様の美しさ、可憐さを見事に表現していて、素晴らしかった。
お芝居でも、舞台にしても、見終わった時に感動もひとしおながら、時間を置いて余韻がり、更に
愛しく思えるのは、その舞台が放つ力の強さにもよるのですが、玉三郎の舞台は、いつも
どれも、眼にやきついて離れることはない。
どの一瞬も、渾身込めた魂の演技で、観客をひきつけるからでしょう。
あの眼が、あの憂いが、あの体の動きが、あのすべてが、眼に浮かんできて、心を熱くさせるのです。
  

Posted by アッチャン at 11:49Comments(0)演劇

2014年01月06日

豊かさとは


      暮れに頂いた、西陣織のカレンダー


お正月にいつも招待してくれる友人宅を訪問しました。
暮れにも会ったので、今年は家でゴロゴロしていようかとも
思たのですが、お布団も干したよ、というメールをもらって、
重い腰を上げて出かけたのですが、すっかりご馳走になり、
初笑いで、お腹が痛くなるほど笑わせてもらって、豪華な
調度品に囲まれて、バカラのグラスの数々で、ワインやら、
レミーマルタンの最高級のコニャックを開けてもらって、
贅沢なお正月をさせていただきました。
家に帰って、比べれば、なんと殺風景な我が家でしょうか。
駅まで、愛車のジャガーで迎えに来てもらっていて、家に着くと、ステレオで
モーツワルトの四重奏。、雰囲気づくりをしてもらって、
早速、友人自慢の手料理を充てにしてビールから。

夫婦ともに、昔からの友人ですが、子供も小さかったり、離れていたので、
その頃の生活は、あまり知らなかったのですが、家を増築した時に買ったものだと
いう高級なインテリア家具の一つ一つ、乗馬関係のコレクションに、レプリカとはいえ、お宝で出せば高い値のつくGUNものなど、凝り性で、一流のものしかいらないご主人が集めたコレクションに囲まれての生活を楽しんでいるのを見て、こういう生き方が、熟年夫婦の生活を豊かなものにしていて、賢明なお金の使い方だなあと思った。
「お金がない。」と笑っている。今は、歴史書や小文書などの専門書を随分買い込んで、家で勉強に余念がない。
居合抜きの稽古に励み、わずか二年で道場を開き、弟子が15人くらい。
道場も自分で建てた。ヒノキ造りの増築を見せてもらって、私はその器用さに驚くばかり。
 出来る人は何でもやりこなす。大工さんも舌を巻くほどで、創作意欲が強いので、各所に工夫をして、夏場は全開できるようにし、釘を使わず、木組みで作りあげ、支えるためには鉄の補強を隠しで仕上げている。
 毎日が充実している、好きな事をして、好きなものに囲まれて、健康にも良いのだから
言うことない。
 
とかく安ものばかり買って、何度か買い替えている我が家の絨毯よりも、ずっと色鮮やかで美しく、痛んでいないのに、何十年も経っている。ペルシャ絨毯は汚れないそうだ。
美術館に寄贈できるようなもので生活しているということは、無駄のない生きかたをしているということになる。
 お金の余裕があっても、ひたすら貯蓄に励む人の方が遥かに多い日本。
文化が育たないのは、日本人の多くは貧しかったし、勤勉で真面目、贅沢を嫌う風潮によるのかもしれない。
 貧しい暮らしをしてきた人と、親の代から、遊びを知って来た人との間には、隔絶された、美の世界があるのかもしれない。
口の肥えた舌を持っている人が満足する料理と、口に入って、お腹が大きくなれば満足という人の料理との違いのように。
  

Posted by アッチャン at 16:01Comments(0)日々の事

2014年01月01日

1月1日の記事

 
       

 
 明けましておめでとうございます。
おだやかな良いお正月です。
昨年の暮れに、食べ過ぎて、胃を壊したようで、
そんな時には、やたらに食を買い込む傾向があるのですが、
冷蔵庫の中は、消費期限を越えた食品が残ったままの状態で
一応、お正月だから、おせちはいただかないととおもいまして、
大晦日の5時ごろ、母に会った帰りに、門戸厄神のイカリ
に行きました。

食べ過ぎの原因




昨年の閉店時間もわからずに、行きましたら、イカリの食品が
ほとんど半額になっていて、それをお目当てに来た人達が、
カートのこぼれるくらい、正月用のお造り、お寿司、にらみ鯛に河豚などを
買っているのを見て驚いたのですが、私は遅かりし内蔵助で、ハゲタカが残したものは、
通常の食品ばかり。






その教訓を生かして、大晦日の5時に入場したのですが、やはり多くの人達でにぎわっていましたが、目当てのおせちは、なかったのです。
その上、半額になるまでにはまだ時間がありました。
 しばらく待っていると、なまこが半額になって、取り合うように、一個ゲット。
4900円のふぐが1000円引きになって、家族のある人には嬉しいでしょうが.
パンもほとんどなくて、野菜はその前日に山ほど買っていたので、おせちに入れる煮しめがあったので、ヒラメの造りと、ぶり、などを買って野菜果物を買って、正月用のお酒を買って、結局、恩恵にはならずに、通常の買い物で帰って来たのです。




 イカリの客から、こぼれ聞こえる声は
「去年は半額になってたけど、今年はなにもないね。」
売れに売れているわけで、イカリの食品管理も賢くなったわけで、売れ残りが極力なくなるようにもなっていて、その上、株の上昇で、懐具合の良くなった客が、大盤振る舞いできるわけで。
帰りにイズミヤに寄ると、昼間は入れなかった駐車場も一段落して、空が見えるようになっていました。
お花を買おうと思って入ると、イズミヤの方は、お花もどんどん補給している様子。
おせちはあるかとみると、3000円のおせちが、あと4つ残っていて、美味しそうではないにしても、NHKの「ごちそうさん」で観たおせちの由来を考えれば、食べておかないといけないような気がして。
家に帰って、お花を活け、ヒラメの造り(これも2人分は十分ある)を切って、イカリの煮しめと、お銚子一本つけて、テレビを話し相手に、ぼそぼそ食べていますと、美味しいはずの造りも、イカリの煮しめも、味気ない感じ。
ただ、お酒だけは、五臓六腑にしみわたって、心を溶かしてくれます。
 酒の威力は甚大です。
大晦日は第九でしょう。N響の第九を聴いていますと、感極まって、いつも熱いものがこみ上げてきます。
オリバーストーンの言葉が、まだ耳に残っているものですから、第九の言葉の力が、余計に心に響きます。
文学の力、音楽の力が、人々を平穏で、和を大切にする、平和への誤りなき、道を照らす
年になりますように、と願わずにはいられません。
一瞬でも、そう願う心を、一瞬でも共に持てる瞬間があることは、とても大切なことだと
思うのです。

一人でお墓詣りに行きました。



昔、母も父も元気だった頃、大晦日、お節料理ができて、掃除も済ませた夜に、母について買い物に出かけました。
大晦日には、商店街は、売り尽くしで、商品を負けてくれるのです。
父や叔母が紅白を見て、のんびりしている時間です。
お正月には、新しい服と下着をつける習慣が、いつできたのかわからないのですが、
そういう習慣になっていて、家族の人揃えを買いに行くのです。
母が「もう少し負けて。」というのが恥ずかしくてしかたなかった。
母だって、顔を赤らめながら言っていたようですが。


 そんな母の事を思い出しながら、今では、私も恥ずかしい心を抑えて、だめもとで値切れるようになりましたが、それも年の功でしょう。
 その習慣は、今、私には適応していないけど、母には、という思いで、続けています。
 前夜に買った下着と上着と、家にある新しい、ベッドパッドを持って、母のいる施設に行きました。
 係の人にお願いして、元日の朝に、それらに着替えさせてくださいと。
 母は、もうそんな習慣を覚えていないでしょうが、母が私達の幸せを願い、新しい、真っ新な気持ちで新年を迎えるように、と願ったことを、私は母にお返ししてあげたくて。
 第九も、母の影響です。
 
佐渡裕の第九、母と聴きに行きました。あの時の感動、最高の第九でした。
 母と手を取り合って、「良かったわねえ。」と言いあった瞬間は、私に取って
永遠の時間です。
 人を思いり、きずかい、人にギフトをしたい、幸せを願い、人がハッピーでいて欲しいと願う母の心は健在です。認知症になって、言葉も旨く表せなくなっている今も、本当に大切な事は、少しもぶれずに、健在です。自分の部屋がどこなのか、ついさっきの記憶が消えてしまっても、子供達が、子供達であるのか否かもわからなくなっても、健在です。
 だから思うのです。サン、テグジュベリの言葉のように、
「本当に大切なものは見えない」けれど、心は、一点の曇りもなく、輝き続けることが出来るのだと、更に透明で美しい夜空に光る星を抱く、宇宙のように。


  

Posted by アッチャン at 13:21Comments(0)