2014年04月17日

 フェイスタイム




   
facetime で、息子と顔を見ながら話が出来るので、現地に行かなくても一緒にいる気分。


昨日、甥の結婚式に参列するか否かのアンケートがポストに入っていた。


アメリカまで転送してしたら、間に合わないので、息子の面前で封を切っても良いかを


確認して、封を切り中に書かれている内容を口頭で伝えた。


 こういうことが出来るのはテレビ電話ならではのこと。


画面の中の息子は、相当酔ってる様子。


「聞かないから。」とあきらめ顔の真紀さん。


 心配して気にしてるとストレスが貯まるだけなんだけど、それでも気にかかる。


息子は大酒のみで大食の風貌は見て居られないほど。トトというのがいたね。


 いつ来るの、といつも言ってくれるのは嬉しいが、お酒は控えて欲しい。


親ががみがみ言う年でもない。自覚出来なければ、誰になんと言われようとも


変えようとはしない。


 私だって、人の事は言えた事ではない。


どうも、逆流性胃腸炎らしい。その薬を飲み始めてから、咳が少し楽になった。


 大食いで、酒飲みで、食後すぐに、ごろんとソファーに横になって、早食いで


 お腹は張り出して、肥満ぎみ、逆流性胃腸炎になる資格は充分だ。





 朝、起きた時は、食べるのを控えようと思う。


 夜はお酒を飲まないと思っている。





 それがかなったことはない。


 ちょっとのつもりで、ワインを一杯。


一杯が二杯に。


 酒があると、いくらでも食べられる。


食べては、一杯。一杯飲んではまた食べる。


 


 食べたものが逆流して、喉まで登ってくる。


 それを抑え込んで、ごろ寝。


 


 ハクション、やばい。風邪を引くわ。


 しまった。の連続である。





「 みっともなくて、見られないわ、」


 画面に映る息子の二重あごをみながら、毒づいたものの、


それは、私自身への嫌悪感の表れなのだ。





 
  

Posted by アッチャン at 12:34Comments(0)日々の事

2014年04月17日

いつまでもお元気で

 
     



  「いつ死んでもおかしくないのです。いつまでも生きていると迷惑ですから。」
その人は笑いながら言われた。
母と同じ年だと聞いて驚きを隠せない。
とても92歳には見えない。
 若々しく、聡明で、しっかりした話し方。
一人暮らしをしてこられて、最近グランダに入居された。
 3月の報告会で、隣にいた男の人が、ボランティアで彼女の
お世話をしていると聞いていたが、その男性は85歳だと聞いて
 それも驚いた。
 その女性は、東京の人だとすぐわかる、早口の標準語で話される。
  「85歳までお料理を教えていました。」
 食育の見本のような人だな、と思う。
  「息子が62歳で亡くなりまして、ずっと一人暮らしでしたから、
  もうそろそろお迎えが来ても良いのです。
いつまでも生きていお恥ずかしい次第です。」と終始控えめな笑顔でおっしゃる。
 NKHの朝ドラの主人公、村岡花子は、彼女の女学校の先輩にあたる。
 良く学校に来られたのだとか。その娘さんを彼女は良く知っている。
「ドラマですから、フィクションですから。」とおっしゃる。
「息子さんを亡くされるのは、お辛いですね。」というと
「誰でも死ぬんです。まぬがれる人はいませんから。それが自然なことですから。」
 クリスチャンは、神に召される、という考えが備わっている。
「最初の主人は、戦争で亡くなりましたし、死ぬのは、いつか必ず来ますから。」
たんたんと語られる。気丈な方だ。
 クリスチャンであることで、「救われる」のだ。
 この世の中で、最大の不幸は、子供に先立たれることだ、と言われる。
その悲しみは癒えることはない、と。
 友人も、最愛の息子を若くして亡くしている。普通に笑って、生活できるようには
なってるけれど、忘れることは出来ないし、心から楽しむことも出来ないのではないかと思う。
 信仰を持つことの強さを、この女性に見たように思うが、悠久の時を流れる大河に
辿りつこうとしている今だから、おおらかな言葉が出てくるのかもしれない。

確かに、人間は生きていることのほうが不確実で、死は確約されている。
けれど、私は、彼女のように、信仰を持たないので、母には永遠に生きていて
欲しい。死は、私の外にあって、想像することすらできない。
その人にも、ずっとずっと元気で生きていて欲しい。
「いいえ、いつまでもお元気ですよ。長生きされますよ。」
私は、祈りをこめて言う以外の言葉をしらない。
  

Posted by アッチャン at 01:51Comments(0)日々の事