2014年05月11日

母の日のプレゼント

 
     


  今日は母の日です。
母の日のプレゼント、今年もお花が届きました。
アンケートでプレゼントの一番はお花だそうです。
若い頃、生活に追われていた頃は、花より団子でした。
その頃は、母の日には、幼稚園で、小学校で学科の中で
制作してきた、作品がプレゼントでした。
エプロンをもらって、なおしこんだまま、どこかに。
お母さんのいる子は、赤いカーネーション、いない子は
白いカーネーションなんて、今思えば結構、
差別的ではないかと思います。
どこからそういうことになったのでしょうか。
弟が、母の日に、白いカーネーションをプレゼントしたことが
あります。
縁起が悪いんじゃないの、なんて言っていたことがあるのですが、
そんなことはどうでも良かったのです。
最近では、カーネーションは、ありふれているから、バラだとか他の花束も
売れているようです。
母の日になると、急に値段が跳ね上がるカーネーションよりも、お値打ちだと
いうこともあるのでしょうが、中にカーネーションが入ると、母の日価格に。
母の日も終わりころ、カーネーションの安売りが始まります。
クリスマスのケーキのように、売れ残ると困るから。

 花より団子だった頃、私の好きな歌がありました。
石川啄木の歌です。
「友がみな、我より偉く見えし頃、花を買い来て妻と楽しむ」
昔は、きっと花は高級品だったと思います。
 今は輸入品が安く入って来るので、どこも花で溢れていますが、
殺風景で、粗末な部屋の、丸いちゃぶ台の上に、一輪挿しでしょうか
 と想像でいきます。

母の父親は、牧水が好きで、
母は父親が口にしていた歌を母も。
「幾山河越え去り行けば 寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」

こういう歌は覚えているものです。
母と子供の遊びは、下敷きを使って百面相の勝負です。
笑った方が負けという簡単な遊びです。

私はそのような、素晴らしい母親がいながら、息子には、何も母親らしい思い出を
作ってあげなかった。
自分の不幸感にひたっていた。自分のことで精一杯。
花より団子だったのです。
殺風景な部屋の、味気のない家庭しか、子供には。
祖父は、貧しい暮らしの中で、幼い母に、わずかなお菓子をカバンの中に
入れて帰って来たそうです。
父親が電車から降りて来るのを、冬の寒さの中も、待っていたそうです。

父親は、どれほど幸せを感じたことでしょう。煙草を買うお金を詰めて、母の
為に、駄菓子屋で、一つのお菓子を買ったのでしょう。
若山牧水の、其の歌は、母にとっては父親の心境を歌ったものであり、
父の存在そのものだったのだと思います。

私は息子に、反面教師にはなれたことで、それだけは自慢できる。
 奥さんを大切にして、仲の良い家庭を持っています。
「あんな優しい人はいない。」と彼女からも言われま。
こんな母親のに、今年も、母の日の素敵な花束が贈られてきました。
感謝すべきは、私のほうなのに。
面がゆい気持ちで、でも嬉しくて。

  

Posted by アッチャン at 10:30Comments(0)エッセイ