2014年09月19日

スコットランドの独立は否決だれたけれど


     


スコットランドの独立を問う投票の結果、反対多数で、イギリスに帰属することが決まった。
 あれは、エリザベ女王の戴冠50周年の2002年だったか、1999年だったか、
覚えていないが、イギリスを1か月かけて旅行した時のこと、エジンバラからグラスゴーに行くと、駅で私は、イギリスと言ったら、「ここはイギリスなんかじゃない。スコッチ、スコッチだ。」と熱く教えられたことを、昨日のように思い出される。
 ヨーク駅から、ユースホステルに落ち着いて、街を散策してると、コンサートホールがあって、ポスターを眺めてると、高齢の男の人が、出て来てい、私に言った。
明日、ここに来て、チケットをわずか500円で買えるからいらっしゃい。
 一番前の特等席で、素晴らしい記念すべきコンサートに参加できるから、と。
言われた時間に、チケット売り場に行きました。
 オーケストラと椅子席の間に広い空間があって、そこに座って観る席だった。
スコットランドが自治権利をえて、スコットランド議会が出来るように記念のコンサートだったようでした。
 スコッチは、皆燃えていました。盛りあがりに参加して、小さな旗を持たされて、身体を寄せ合って、肩を組み、大合唱をしたのです。
 コンサートの最後に、オーケストラと一体となった会場の人々と、「蛍の光」を歌いました。
 スコットランド民謡で、卒業式に日本でも必ず歌われる詩です。
スコットランドの人々が、どれほどスコットランドを愛し、イギリズへの違和感を抱いて生きているのかを、身近に感じ、それ以来、スコットランド地方は、イギリスではない、、という感覚を持っていましたので、スコットランドは独立を選ぶあとも思っていましたが、
時代が変わりゆくなかで、世代交代のあり、経済的、文化的にも、からみあって、
双方の利害を優先するという選択になったようです。
 こういう選択はであっても、45パーセントくらいの人達は、賛成だったのですし、
イギリスから、エジンバラに入ると、全く違う空気を感じるのは、今も変わっていない
のではないかしら。
 、清流のピュアな精神と、暗い樽の中で長い眠りを経て熟成され、作りあげられる、スコッチウィスキーの匂いと味を、スコッチは守り続けるでしょう。
 私も、今度はもっとゆっくりと、訪ねたいと思います。
一旅、一か所の旅のパッチワークで。
  

Posted by アッチャン at 22:58Comments(0)日々の事

2014年09月19日

勘九郎、七之助の「錦秋講演」神戸国際

  
      


 神戸国際会館に、勘九郎と七之助兄弟が10年続けている、「錦秋特別公演」を観に
行きました。
友人が早くからチケットを買っていて、私は行けるかどうかわからなかったのですが、
誰にも声をかけずに待っていてくれたおかげで、観に行くことが出来ました。
席は前から12番目の真ん中で、とても見やすい良い席なので、オペラグラスは不要
だったくらい。
特別公演で全国を回っているので、チケットの料金は7000円という安さ。
歌舞伎に馴染みのない客さんに、歌舞伎の楽しさを知ってもらおうと、努力している
のです。




間に、トークがあって、兄弟は、前日まで2日間大阪に宿泊していたのですが、神戸公演が終わると、熊本にとぶそうです。
神戸の観客は、大阪よりは上品だとの感想は、観客が大人しいことを指しているようで、反応が少ないという意味でもあるのです。
 勘三郎も大阪が大好きだと言っていましたが、息子達もそのようで、関東にはない、フランクで飾らない気楽さがあるのでしょう。
玉置浩二も、大阪でのリサイタルではノリノリで、ぶっとばしていましたが、観客が初めから総立ちには参ってしまって、神戸でのリサイタルでは、観客は座って聞いていたので、そのつもりだったら、とんでもなく、最初から最後まで延々と立ちっぱなしだった。
 勘九郎と七之助兄弟は、お父さんが若くして亡くなったので、歌舞伎界での後見を失ったわけですから、立場上も大変なのですが、芸の上でも、自分達でお父さんを越える芸を作り上げてかなけければならないので大変です。
ニューヨーク公演は、3回目でこれが最後の公演だったようですが、お父さんが約束していて、3回目は兄弟二人だけでのニューヨーク凱旋になってしまったので、二人はとても不安だったそうですが、初日が明けて、ニューヨークタイムズ紙の一面に大きく取り上げられて、それ以来連日大入り満員、チケットが買えない人も続出。




私もあぶれ組でキャンセルチケットが出るのを待っていたのですが、キャンセルなし、と言われてずっと待っていた人達と後ろ髪を引かれながら帰って来たのですが、それも嬉しいことでもありました。
良かった。二人のニューヨーク公演が、こんなにも人気だった。保護者のような気分でした。
そんなことがあったので、二人は身近に感じるのですから。
猿之助のフアンになったのも、パリ公演での、踊りとその後のコンフェランスでのトークと直ぐそばで観た猿之助の可愛らしさに惹かれて。亀治郎の方がぴったりで、猿之助というイメージではないのです。
 玉三郎は別格として、猿之助に七之助が加わって、私の胸キュンは膨らむばかり。
お昼は、向いの西村屋の「民芸茶屋」で。











いつもよりも美味しかった。
茶碗蒸しは、蟹が入っていて、とても美味しかった。
これは本当にお値打ち。
  

Posted by アッチャン at 01:22Comments(0)

2014年09月11日

日本沈没 の危険性

    デュフィー展


 昨夜、ものすごい雷雨だった。天気予報に警報が出ていかとテレビを見ても何もなし。
最近、雨に敏感になっているので、停電しないかと不安になる。
山崩れも心配。
六甲山系は真砂土で地盤が軟弱で知られている。
そういう危険性はあっても不動産会社は、山手に開発を続けて来た。
 私が住んでいる所も、そういう開発地の一つではないかと懸念される。
小松左京の「日本沈没」が現実のものにならないだろうか。
経済最優先だという安倍ノミクスも、沈没しかねない危険性をはらんでいる。
 経済外交に力を入れているようだが、インドの首相からも色よい回答は得られなかった。
中国を配慮してもことだとか。
スリランカに住む友人の話だと、スリランカでも、中国が湾岸を抑えて開発を進めている。
今や中国の手は世界中に伸びている。
 日本の経済は実体として良くなっているとは思えない。
働いている人々の賃金が上がって、暮らしが楽になったという実感をが持てない以上、
経済は良くなったとは言えない。
 2020年の東京オリンピック、開催中に地震が起きたら、いったいどうするのだろう。
物凄い数の人々が集まっている東京で、一体どこに避難誘導できるのだろう。
 東京大地震が起こる危険性は大いに心配されているのに、その場所に、世界中から人は集まってくるオリンピックを誘致するのは、あまりにも楽観的すぎるのではないだろうか。
 原子力発電所の再開が進められている。安全を保障された所から、というのだが、
一体どこに、そんな場所があるというのだ。
 原発の再開は、福島の再来につながる危険性が皆無だというのだろうか。
喉元過ぎれば、熱さ忘れる。
 人間の愚かさと楽観、それが破滅への道につながってはいないだろうか。
  

Posted by アッチャン at 11:21Comments(0)日々の事

2014年09月09日

錦織圭が決勝で負けた

      
     


 錦織圭をずっと応援している。息子と同じ名前でもあり、息子がテニスをしている
こともあり、息子が応援していることもあって、テニスは言うに及ばず、運動とは
からっきし縁のない私が。
全米オープンが開催されているコートは、息子が通っていた場所でもあって、私も連れて行ってもらったことがあるので、馴染み深い気がしている。
WOWOWでしか、放映されていないので、試合を見ることが出来ないのだけど、
準決勝で勝って、決勝進出を決めた時に、息子にテレビ電話をした、というよりもしてしまった。
彼は先週引っ越しして、新しい住居にいるのはわかっていた。
買った家を貸して、仕事場に近いシンシナティーに家を借りると言っていたので、
私は大喜びで、公共の交通がある場所に決めて欲しいと言っていた。
ところが、引っ越し先を決めたというのが、ゴルフ場の傍にある、別荘地のような場所だという。車でも借りなければ、どこにも行けない場所。
「来てほしくないのでしょう。」思わず言ってしまった。
そういうことがあって、私は、歓迎されていないのに、のこのこと大荷物を持って、おさんどんに出かけていた自分が哀れになり、それと同時に何をする気にもなれない無力感を味わっていた。
心に閉まって、顔で笑っていられない性分は、私の幼稚性を現わしている。
テレビ電話の向こうで、横にいる奥さんが手を振ってくれている。
 「嫌味を言うために電話してきたの?」と息子に言われる。
「私が住むわけじゃないのだから、二人が快適で良かったら良いのよ。」と私は言った。
「私はこれから大いに楽しみますから。」と空元気も。
実際には元気じゃない。空しさで一杯なのに。
息子が結婚すれば、母親はお払い箱になると、誰もが感じることだと思う。
結婚して、息子が変わったのではなく、奥さんのコントロールが効いているということ。
 置き去りにされて寂しく思うけれど、
 姑はいるだけでうっとおしいものだと言われるのが普通。
行くと良くしてもらっている。おしゃべりにも付き合ってもらって、辛抱しているのだろう。

親離れしない息子、子離れできない母親、というのも困る。心配がつきないもの。
 息子達が、快適で幸せであれば、なにも言うことない。本当のことなんだけど、嫌味に聞こえるかしら。
決勝で、錦織圭が負けた。素晴らしいスピーチだった。
涙がにじんだ。
私も、これから、錦織のテニスおっかけやろうかな。と思っていたら、
婚約者がいるんですって。熱が冷めそう。やめて欲しいなあ、結婚なんて。
  

Posted by アッチャン at 12:02Comments(0)日々の事

2014年09月05日

米倉斉加年という人

     


 米倉斉加年が亡くなった。私の好きな俳優だった。
労演に入っていた頃、民芸の舞台で米倉斉加年の独特なせりふ回しに惹かれた。
民芸の舞台は、宇野重吉を初め、北林谷栄、奈良岡朋子、日色友恵、など、地味で、土の匂いがする演技と貧しい人々に寄りそった、民衆演劇、社会派の劇を基本理念としていた。
暗いイメージのものが多かったように思う。
宇野重吉の籠ったような声で、漂白の演技も素晴らしかった。今でも思い出せば舞台が浮かんでくる。
米倉斉加年は、宇野重の後継者として、民芸を支え、演出家としても素晴らしい仕事をしているが、画家としての彼も好き。
ボローニアグラフィック大賞に2年連続で選出された、「魔法教えます。」と「多毛留」の絵本に、直筆のサインをしてもらって買っている。
サインが、其の人の存在感を生々しく残している。




舞台の合間、出番を待っている間に、絵を描く役者さんは、多い。が、文才にも優れている人は多くない。
米倉斉加年は、役者として、演出家として、画家として、作家としてと、多彩で器用な人だけど、その一つ一つが、軽いものではなく、真面目すぎるくらい、真面目に丁寧で、存在感の多大なものばかりだということには、感嘆する。
80歳と言う年齢はまだ若いけれど、突然死だというので、元気なままに、この世から消えていってしまわれたことは、この「多毛留」のようでもあり、魔法を教えてもらったようにも、感じられる。





ああ、舞台を観ていて、良かった、と思うばかり。
「放浪記」の舞台も何度か観た。座長の森光子もいない。奈良岡朋子や米倉斉加年が脇を締めると、j芝居が引き締まる。




カナダのモントリオール映画祭で、若い女性監督、呉美保の作品「そこのみて光輝く」が監督賞に輝いた。
この映画も、暗くて、安易には見せてくれない、重圧感のあるものだったが、もみ終わってから、しばらく席をたてなかった。今も心に深く染みこんで出て行かない。




 民芸の舞台に共通するものがあるような気がする。
  

Posted by アッチャン at 01:43Comments(0)art

2014年09月02日

暇な男達と忙しい女性達


         


 タバコの煙が受け付けなくて、飲み会に足が遠のいてそろそろ一年になる。
元気でいるかと、友人の一人に電話した。
仕事に出たのかと思っていたら、電話がかかってきて、迷惑電話が多いので、固定電話は応対しないようにしてるらしい。
携帯電話を主流に使っている。
最近は、仕事の量が減って、ほとんど家にいるので、退屈を持て余しているという。
 手持ちぶたさな男達とはうらはらに、女達は忙しい。
若い頃よりも、ずっと忙しい女性が多い。
亭主元気で留守が良い、と言っていた頃が、女達の天国ではなかったかとも思える。
 一日中、鬱陶しい顔を見ながら、三度の飯を待つ男達の世話をし、結婚した娘達は
孫を親に預けて、自由を楽しんでいる、なんて、人結構多いのじゃないですか?
 電車の中でも、映画館や、モールでも、小さな子供に振り回されて、マゴマゴしている
姿をよくみかける。
 私のように、寂しいはずの一人身でも、老いて行く母親がいると、いつも時間に追われるような生活で、忙しくてたまらない。
 何もしないのに、時間は隼の如く駆け抜ける。
 男達がどうして、暇を持て余すのか理解に苦しむ。
よりたいことは山ほどある。出来ることが限られて、牛歩の如く、の私には
どう考えても、暇ということは想像さえ出来ない。
 それとも、私がどんくさくて、牛歩でしかなにもできないのかなあ。
  

Posted by アッチャン at 13:57Comments(0)日々の事

2014年09月02日

jyosei

 タバコの煙が受け付けなくて、飲み会に足が遠のいてそろそろ一年になる。
元気でいるかと、友人の一人に電話した。
仕事に出たのかと思っていたら、電話がかかってきて、迷惑電話が多いので、固定電話は応対しないようにしてるらしい。
携帯電話を主流に使っている。
最近は、仕事の量が減って、ほとんど家にいるので、退屈を持て余しているという。
 手持ちぶたさな男達とはうらはらに、女達は忙しい。
若い頃よりも、ずっと忙しい女性が多い。
亭主元気で留守が良い、と言っていた頃が、女達の天国ではなかったかとも思える。
 一日中、鬱陶しい顔を見ながら、三度の飯を待つ男達の世話をし、結婚した娘達は
孫を親に預けて、自由を楽しんでいる、なんて、人結構多いのじゃないですか?
 電車の中でも、映画館や、モールでも、小さな子供に振り回されて、マゴマゴしている
姿をよくみかける。
 私のように、寂しいはずの一人身でも、老いて行く母親がいると、いつも時間に追われるような生活で、忙しくてたまらない。
 何もしないのに、時間は隼の如く駆け抜ける。
 男達がどうして、暇を持て余すのか理解に苦しむ。
よりたいことは山ほどある。出来ることが限られて、牛歩の如く、の私には
どう考えても、暇ということは想像さえ出来ない。
 それとも、私がどんくさくて、牛歩でしかなにもできないのかなあ。
  

Posted by アッチャン at 13:53Comments(0)

2014年09月01日

歌舞伎映画「野田版 研辰の討たれ」

 


 先日、神戸松竹で観た、歌舞伎映画「野田版 研辰の討たれ」の中で、引っかかった台詞がある。
仇を追っている兄弟が、敵を追ってあてどなく旅を続けて、疲れ果てている
状態を、「なかなか死なない、がん患者の看病に疲れ果てるようなもの」という
台詞が入っている。
 この台詞は、癌を患っている人に対して、侮蔑的で、不適切な言葉ではないだろうか。
この芝居の中で、追われている、敵が勘三郎の役なのだけど、命が惜しいと命乞いをする。
生きテー、生きテー、と切実に語るが名帳場が、悲しい。
人は桜のように、潔く死んで行くものではありません。秋の紅葉のように、真っ赤に焼けて、一片、一片、はらはらとおちて死んで行くものでしょう。
勘三郎は、勘九郎から勘三郎に襲名を終えて、まだ元気な頃の舞台です。
まさか自分の身体が癌の病に侵されるとは、想像もできなかったことでしょうが。染五郎と勘太郎が、敵討ちの兄弟を演じていて、許されて助かったと喜ぶ勘三郎を、だまし討ちにして、故郷に錦を飾る兄弟。
紅葉を一片が横たわる身体に、ひらひらと落ちる所で幕はおります。
不適切な言葉が気になる所もあるお芝居でしたが、勘三郎がその後それほど時間も経たないのに、癌で亡くなったのは、一緒に芝居を演じていた役者達も、たまらない気持になるのではないかと思います。
残して良いものと、辛いものがあるのです。
笑わせる為に作られたお芝居ですが、複雑な気持ちで、笑うに笑えないお芝居です。
  

Posted by アッチャン at 00:28Comments(0)映画