2014年11月24日

私が惹かれる、高倉健




 この所、高倉健を忍んで、特集がテレビで放送され、映画が上映されている。
私生活を明かさなかった、高倉健の素顔を写したビデオなども放映されている。
 昨夜、NHKが、プロフェショナルの取材で、100時間、高倉健を取材していた
ビデオを編集して、スペシャルという形で放送した。
 ある人は、ヤクザ映画のスターだから、映画にも興味がないし、認めないと言った。
好き嫌いのはっきりしている女性で、受け付けないもの、というのもはっきりしてる。
 私は任侠映画の高倉健を知らない。
私が知ってるのは、「幸せの黄色いハンカチ」や「居酒屋兆冶」の高倉健





 80歳になって、この辺りで話ておきたいと言って、カメラの前で話しているのを聞いて、やはりこの人に魅力を感じていたのは、
そういうことだったからと思った。
 役を演ずる役者の生き方が、画面に現れるから、この40年間、高倉健は、孤独を耐え忍ぶ生活をしてきた、という。
 彼は、撮影中、危篤だった母親にも会いに行かず、葬式にも出ていないと言う。それだけは胸を張って言える、映画俳優として生きて来た、仕事に徹してきた、と。
 その悲痛な悲しみをも、自らに課して、演ずる人間として繁栄させていた。
 「捨てました。耐え忍ぶだけ、耐え忍んで、随分捨てて来ました。そのことだけは胸を張って自慢できる。」
 3年に及んだ「八甲田山」の撮影中、他のオファーは全て断って、この映画一本に集中した。生活が苦しくなり、マンションもベンツもお金になるものは売ったという。
 映画の役作りの為に、捨てたものは数知れない。
離婚後、独身を貫いたのも、幸せな生活を捨てたからだろう。
 その孤独が、相手に与えることで、癒された。





 高倉健と接した人は、誰もが、「優しい人、心をかけてくれる人、義理人情に厚い人。」という。
 そういう人間が、スクリーンの中ににじみ出ている。孤独で寂しい人だとわかる。
 人間をこよなく愛してる人だとわかる。
健さんのようになりたい、という俳優さんは、とても健さんのようにはなれないこともわかっている。自分に厳しく生きることの出来る人は稀だ。
  昨日、最期の作品になった、「あなたへ」を観た。
映画で、夫婦役の田中裕子と不似合だという人もいる。だから観ていられないと。
 確かに、相当年の違う夫婦だけれど、そういう夫婦はいくらでもいる。
 孤独で寂しい二人が、温めあってよりそうスように。
壊れやすい、繊細な心を持った二人。

健さんは言う。
どんなに心を砕いても、手を差し伸べても、其の人を救うことは出来ない。その人の代わりになることは出来ない。人は孤独なんです。自分の時間を生きるしか出来ないのです。
「あなたへ」のテーマもそうだった。
停まっていることは出来ない。生きてるということは、自分の時間を生きる事。それはどんなに愛を尽くしても、手元には残らない。
故郷の海に散骨してほしいという遺言と、亡くなってから故郷に届く手紙には「さようなら。」という言葉だけが書いてあった。
 考えつくしたあげくに、夫がたどりついたのは、「ありがとう」という感謝と、自らの刑務官という職を辞して、自分の時間を「鳩」として生きる選択だった。
監獄の中にいる人達は、伝書鳩を使って、外の世界と繋がろうとする。
「自分は今日、鳩になりました。」と死んだ人間として、名前を変えていきる漁師に言って、去っていく。
 悔やんでも元通りにはならない人生。自分の時間を生きて行くしかない。
「あなたへ」の夫は、孤独な漂流の旅を続けて行くことを選択する。自らを織から放って。
  

Posted by アッチャン at 11:38Comments(0)映画