2014年12月22日

食欲は魔性の力がある

 



明日、息子達が帰って来るので、お掃除などをしておかないと。
土曜日は一日中家の中にいたのだが、年賀状をやりだすと、結構時間がかかってしまって、掃除の方は日曜日になった。
 朝のうちに掃除機をかけて、梅田に出かけた。
東京での、私のブログを見て、寿司がたべたくなった友人と、久しぶりに茶屋町の「がんこ」に。
 私は伊根のカニ宿で、間人かに?を満喫してきたという、別の友人からの話を聞いて以来、蟹が食べたくて仕方がない。
 先日も、神戸の西村屋で友人とランチを食べた折にも、蟹がおいしそうだなあ、と思っていた。
 息子が帰ってきたら、城崎の「西村屋」に行って、とも考えていたのだが、「かにはどうでも良いよ。」というので、有馬グランドを予約している。
 ふぐは、この前の日曜日に道頓堀で友人と、コースで食べたので、今の所さほど欲しくない。
 「がんこ」に入って、最初のあてに、蟹を注文した。出て来た蟹はゆで過ぎで、ぎすぎすして全然美味しくない。
 神戸の西村屋の民芸茶屋で時々食べる、蟹チラシに入っている蟹とは大違い。
なにも店で食べなくても、イカリで買って来て、家で食べればよいものを、なぜか、店にこだわっている。
それに、一人で蟹を食べる気がしない。
蟹というのは、誰かと一緒に食べるもの。





がんこというと、大衆的で安価なイメージがあるけれど、値段が上がって、築地のすしざんまいのように、気前のよい値段ではない。
東京はみえっぱりで、気風の良さを優先するから、客を喜ばせる値段を心得ているのだろう。
明日も寿司屋に行くことになっている。
息子は、飛行機で伊丹に着くと、回転すしを食べると宣言している。
それを食べるのが、日本に帰る目的にもなっているらしい。
美味しかった、とまきさんから聞いたので、いてもたってもいられないのだ。
 まきさんが帰る前の日に家に泊まったので、伊丹に送る前に、西宮ガーデンズにある、回転すしの店に行ったから。
食べ物って、魔性の力がある。誘惑的なのだ。




 食欲を抑えることが最も難しいかもしれない。
なんでも良いのではなくて、友人から、パートナーから、身近な人の歓びを追体験したいという欲望は、抑えきれないものがある。
その逆も言える。
美味しいものを食べると、大切な人にも、味あわせてあげたい、という欲望が働く。
こちらの方は、食べたいという欲望ほど強いものではないけれど。
  

Posted by アッチャン at 01:09Comments(0)日々の事

2014年12月21日

東京に行く楽しみは




 東京へ行く楽しみは、歌舞伎もそうだけど、食べる事も。
この前に明治座に来たときに、気になっていたとんかつの店があった。
昼の部が終わるまで、お腹をすかせて我慢して、その店に行くと、閉まっていた。
とんかつの「伊勢」という店だった。
藪蕎麦が向かいにあって、そこで蕎麦を食べて、品川から新幹線で家に帰った。
その余韻をのこしたまま、東京に来た。
羽田から、京急にしようか、モノレールにして、新橋あたりで降りて、プランタンの「モンブラン」を食べようか、それとも、京急で、人形町まで行って、頭に残している、とんかつを食べようかと迷った。
 トンカツが気になっていて、人形町に決めた。





人形町のあたりは、下町の風情があって、私は好きだ。
 浅草にもある、すき焼きの「今半」があり、味噌づけの名店らしい古い造りの店もある。
名物の、「高級タイ焼き」の店には随分な行列が出来ている。
衣類の問屋らしい店があり、甘酒横丁という名前の良い。古くからあるバー。喫茶店もどこか懐かしい風景を残している。
 今半の、向いには、牛かつやコロッケの上げたてを買って食べる人達。
そういう中に、東京と言えばとんかつと言われるような、そんなとんかつの店がある。
 昼の部は、3時までのぎりぎりに近い時間にそこの入った。
 階下はのち帰りようのものを売っていて、階上にあがると、客がまだ沢山いた。
私の後からも、常連らしい客が入ってきた。
 いつものことだけど、それに決めるか迷う。




 牡蠣フライとヘレトンカツのセットに決めた。牡蠣フライとエビフライにも心そそられるが、トンカツの店だから、トンカツは外さない。
ロースが美味しそうだけど、カロリーが気になる。
妥当な選択だと満足。
 牡蠣フライ二つに、とんかつは、大きいのが一枚乗っている。
キャベツとご飯はお替り自由だと言われた。
キャベツがたっぷりあって、ヘレとんかつは、歯がなくても切れるくらいにやわらかで、
 美味しい。残すつもりで全部食べてしまった。




向こうの席に、二人連れの女性がいて、彼女達は、牡蠣フライのようで、いくつか残していた。
男の人でもお腹を満足させるくらいの量があるのに、全部食べてしまいたいほど美味しくて、お腹が一杯なのに押し込むようにして食べた。
関東の食事は、量が多い。とんかつも、キャベツの盛りも、ご飯の盛りも。
 そのお代は、1030円。 
 東京では、とんかつが一番旨い、と誰かに聞いたことがある。
サクサクして、軽い。確かに。旨い。




あと、もう一軒、気になる店がある。築地の「玉寿司」ホテルの並びのある店で、いつもランチを逃している。今回も、芝居が終わって行くと、ランチメニューはなくなっていた。
玉寿司の手巻きが大好き、と誰かに聞いて、大阪の店には行った。
築地の「玉寿司」に、息子と行ったことがあった。
息子の受験で、東京に来たときに、初めて築地の鮨屋を探してやってきた。
東京に良く仕事に来る人から聞いていた、玉寿司はここなのか、と思って入った店。
手巻きは食べずに、にぎりを食べた。
 息子が食べるために生きているようなのは、どうも私の影響らしい。
そういえば、よく、食べに連れて行った。美味しいものにはめがなかった。
 私は子どもの頃から、食べる事に一番興味があったようにも思う。
小学校の、修学旅行から帰って、食べた食事のつけものまで覚えていて、叔母に報告して笑われたことがあった。
 玉寿司のランチが終わっていても、行きたい鮨屋が向かいにある。
立ち食いの寿司屋で、明治座に来た時は、閉まっていた。





すしざんまいの立ち食いの店。
 ワンコインの丼が人気の店。にぎりを食べようと思って入ったのに、隣の女性が、ワンコイン、と言ったので、私もつられてそれを頼んだ。
 づけマグロに、温泉卵がついている丼で、味噌汁付の500円。
大トロ、中トロ、赤マグロの3寛で、500円、というのも頼んだ。
ワンコインを頼んだ女性は、とびこをサービスで頼んで、丁寧に丼の上に乗せて一緒に食べている。いつも来る客らしい。店員が、お饅頭食べない、と箱を出してその人に勧めている。




 東京に来ると、この店に来て鮨を食べる。まぐろばかり食べる。築地はまごろの代名詞だもの。
銀座のキムラヤで、アンパンを買う。これも定番になっている。
翌日、母の所に持って行った。

美味しいと言って食べる母を見ながら、こんなことしか出来ないのが辛いと思う。
母は、私に持って帰らそうとして、丁寧に包み直す。アンパンとみかん。
 母アンパンを二つとみかんを二つ食べた。明日、残りを持って行ってあげよう。
明治天皇に献上したとかいう、木村屋のアンパン。この店も、いつも客で混雑している。



  

Posted by アッチャン at 00:35Comments(0)旅のグルメ

2014年12月20日

佐渡さんの「第九」

    


明日、フェスティバルホールに第九を観に行くつもりだった。
私も買ったのよ、なんて言って、チケットをホールに取りに行く暇がなくて、
自動キャンセルしてしまった。それで良かった。
クレジットで速払いだったら,行かないわけにはいかなかったので、助かった。
明日に迫って、もう身動きが取れないくらい時間に追われている。
東京から帰って、銀行などの用事をすませ、母の所に行った。
息子達が帰って来るのが、火曜日だと思い込んでいたら月曜日だった。
明日は掃除とお布団を干さなくては。
月曜は、医者の予約も入っているので、買い物くらいしか出来ない。






明日のフェスティバルホールでの、佐渡さんの指揮による、第九は、もう一度聞きたい
と思って、フェスティバルのネットでチケットを予約したのだけど、考えてみれば、
一度聞いたのだし、歌舞伎も行くので、そんな贅沢は控えた方が良いとも思った。
大阪のシンフォニーホールで、母と感動した、佐渡さんの熱気あふれる指揮で、感情が盛り上がって行く。涙があふれた。
その感動をもう一度、と思ったのだけど、二階の後ろの席では、それが伝わってくるかどうか、とも思った。
あの頃の佐渡さんは、5千円で聴けたのに、今では世界の佐渡さんになり、高額なチケットの西宮でのオペラも売り切れるのが早い。
弟からもらったチケットで、西宮芸術劇場での定期公演を聞きに行った。
サンフランシスコでの素晴らしい演奏の後だったので、音が違い過ぎた。それもそのはず、
まだ一人前に育っていくための人達を集めての専属オーケストラ。育てる事を目的にしているオーケストラなのだとか。
 彼らが巣だって、世界で演奏家として活動するようになる。音の上達を聞くのが楽しみなのだと言われて納得。
 佐渡さんの音楽家を育てるという目標がそこにある。
 第九の感動は、思い出の中にしまっておこう。
 もっともっと感動するかもしれないし、がっかりするかもしれない。
だいたい、二番目は、二番煎じになる。





第九は、年の暮れになると、どこかで聴きたいと思う。
シンフォニーフォールで、朝比奈隆の「第九」を聞いたことがあるが、佐渡さんの熱狂的でダイナミックな指揮に、身体ごともって行かれて、溢れるような感動を抱いて、母と興奮しながら家路についた思い出を大切にしまっておこうと思う。
  

Posted by アッチャン at 00:46Comments(0)日々の事

2014年12月19日

12月大歌舞伎に玉三郎を観に




飛行機の欠便が心配されましたが、関西から東京へは問題なく、少し遅れて、揺れた程度で、羽田に着きました。
 歌舞伎座での12月公演は、玉三郎が出ているので、とても楽しみにしていたのですが、
3階の花道が見えない、側の席での、夜の部。海老蔵の「雷神不動北山桜」の通しなので、
この席で良いかな、と思って安い6000円の席を買ったのです。
昼の部は、玉三郎が、二幕出演するので、18000円の席を買ったのですが。
 舞台から声が上がるので、聞こえにくいかと思って、イヤフォーンを借りたのですが、
問題なく良く聞こえて、歌舞伎座の杮落しで一階席から全く聞こえなかったことへの心配は無用。舞台からの距離も遠くないので、顔も割合良く見えて、オペラグラスもあるので、
 問題なかったのですが、芝居自体が、もう一つで、感動するほどのものではありませんでした。





高いので、身を乗り出すと怖いというのも、お芝居に集中できないこともあったのかもしれませんが。
歌舞伎十八番の「毛抜き」「鳴神」は、何度も見ているので良く知っているのですが、
玉三郎の雲の絶え間姫よりも、以前にみた、七之助のそれのほうが、良かったように思いました。3階の横からなので、花道が見えず、声だけとか、顔も上からしか見えなかったからかもしれませんが。
 ホテルは、歌舞伎座の近くにある、ヴィアインなので、ワインとサラダを買ってすぐにホテルに。風邪気味なので、ワインを飲んで、薬を飲んで、早く寝るようにして、翌日に備えました。
 昼の部は、14列目なので、楽しみにしていました。





何が一番だめかというと、舞台が広すぎて、観客席が遠すぎることです。
 歌舞伎小屋という感じはしません。
南座は、最高の小屋なので、舞台と観客が一緒になって、お芝居を作っている感じがするのですが、東京の歌舞伎座は、大舞台なので、立ち回りや、動きの大胆な荒事には向いているのかもしれませんが、関西の松竹座くらいの大きさで十分ではないかしら。
春秋座の舞台も、猿之助が理想の劇場として作ったもので、割合に小さい舞台で、観客席はどこからも舞台が見えるように、段差があって、とても良い造りです。
 東京では、「明治座」もそれほど大きくなくて良かった。
 昼の部の「幻武蔵」は、玉三郎の演出で、期待していたのですが、これももう一つでした。
後ろの席から聞こえて来た声は
「ああ、だめ。だめだわ。獅童が下手。獅童の演技悪い。」
というのですが、それだけではないと思いました。





獅童は風邪を引いているようで、声が鼻声になっていて、昨夜のような、張りがなく、伸び伸びした演技が出来ていなかった。演出もあまり良くなかった。
最期の舞台は、玉三郎と海老蔵の「二人椀久」という舞踊なので、これを一番の楽しみにしていたのですが、海老蔵の踊りが旨くない。形だけ作ろうとしているのが見え見えで、固くて、玉三郎とあっていない。顔に表情では踊れないのです。
まあ、南座で、昼夜ともに、素晴らしい踊りを見ていたので、見劣りしたのも仕方ないのですが、踊りの舞台としても、二人の舞ですから、広いのは不利。
勘三郎が、この劇場が新しくなるのを楽しみにしていたのですが、以前の舞台は、私は知らないので、なんとも言えませんが、勘九郎と七之助が、大阪の舞台が好きだ、というのもごもっとも。
南座は、歌舞伎役者が好む小屋。
関西が関東に誇って良い舞台です。





演ずる役者と観客の呼吸があって、熱気の感じられるのも、関西の舞台。
東京まで行って、お金も沢山使って、こんなお芝居を観るために。
愛之助が頑張っていたくらい。仁左衛門から、手とり足とりおしえてもらった≪義賢最期」
そっくりの演技でした。この芝居は、浅草公会堂で、1月にも観たのですが。
 
  

Posted by アッチャン at 14:31Comments(0)演劇

2014年12月11日

南座顔見世、昼の部






今日は、南座,の昼の部を観に行きました。
今日の席は、3階の右側、二番目の席なので、観にくいのを承知の上だったのですが、
舞台が近く、声も良く聞こえるので、この席もまんざら悪くないなあと思います。

新しく張り替えた、檜の香りが席まで漂っています。
 斜めに浅く腰かけて、腰を前かがみにして、身体をひねっているので、身体への負荷が
あります。






 やはり、3階の一番前が見やすくて良いのですが、ネットで昼の部は、売りきれていたのです。
 10時半に始まって、4時前までの4作品を見るのですから、疲れるはずですが、どの作品もとても良かったので、それほど苦にならなくて。とにかくどの作品も充実した演技と内容で、見ごたえのあるものでした。
 最初の出し物は、パスしても良いかなと思っていたのですが、朝早く出かけて良かった。
 扇雀の藤十郎は、憂いのあるりんとしたクールな役処が、扇雀のマスクと身のこなしにぴったりして、はまり役です。
 昔の扇雀は、翫弱に比べて、見劣りしたものですが、東京で中村座に加わってから、芸の幅がぐんと良くなって、今では旨いと感心するほど。
 大阪で、ただ美しいだけの扇雀から、東京で脱皮して、なんでもこなせる太い役者に成長した。今は油の乗り切った時期なのかも。
 相手役の孝太郎も、健気で一途な苦労人肌の女房役がぴったり。





二番目の「新ノ口村」は、梅雀の忠兵衛に秀太郎の梅川、地年老いた父親に、我當。
 しっとりした、重鎮の演技が光る名作に仕上がっていて、雪の白さに溶けるような、静かで美しい舞台だった。
 3番目は、幸四郎が、見事な演技。関東のものは、男芸が主流で、気風と度胸の良い、小気味よいものが多く、落語風の笑いを取るものが多いように思われる。
 居直って言聴かせる場面や、台詞を回して行く「弁天小僧」のような場面もみられて、
面白い特徴があるなあ、と思います。
 18世勘三郎に捧げると番付けに書いてある、
こういうことだったのか、と納得の最後の出し物は、〈仮名手本忠臣蔵の7段))
 由良の助には、仁左衛門。この役は何度も見ているのですが、この芝居の主役は、
勘九郎と七之助で、勘九郎に勘三郎が乗り移って、勘三郎が演技をしてるような錯覚を覚えさせるくらい。
 七之助のお軽との息の合った素晴らしい演技。




一幕だけど、1時間40分にも及ぶ、最も時間の長い芝居で、ほとんどが、勘九郎としtの助の見せ場です。
 今年の南座の顔見世は、本当に見ごたえのある舞台です。
去年は、仁左衛門が欠場で、梅玉が、何度も出ずっぱりだったのですが、今年の、東西合同歌舞伎は、一度だけではものたりない、も一度みたいと思わせる魅力的な舞台です。
  

Posted by アッチャン at 23:31Comments(0)演劇

2014年12月10日

南座恒例「顔見世」





師走と言えば、南座恒例の「顔見世」です。
行ってきました。
夜の部です。
3階の一番前の席が良く見えて、チケット代金が手頃なので、一番先に売れるようです。
あるにはあったのですが、その端席の角から、二等のB席で、そこが空いている日が一日あって、そこをゲットしたのですが、席の前は広くて良いけど、背もたれを使って座ると、舞台の半分しか見えません。なので、席の後ろにバッグをはめて、席の前半分に座って。
お金はただとらない、とはほんと。
 最初の出し物は、師走恒例の忠臣蔵を題材にしたもので、藤十郎と秀太郎の台詞が全く聞こえない。イヤホン借りれば良かった。
 歌舞伎界の重鎮中の重鎮のお二人ですから、声が出ません。
 壱太郎さんと藤十郎は親子役ですが、おじいちゃんと孫の関係。さすがに若い役者の声は良く聞こえます。そこに虚無僧姿の、幸四郎さんが。
 幸四郎さんの声はやっと聞こえる程度。私の耳が遠いせいかなと思って、隣の女性に聞いたら、やはりその人も同じようでした。
 嬉しかったのは、元気を取り戻した、仁左衛門の「祭」
 仁左衛門の18番にもなっている、小気味の良い江戸っ子のいなせな色気たっぷりで、
それは見事に踊って見せてくれました。






 待ってました、の声がかかる、この「祭」は勘三郎も病気復帰で元気な所をアピールしていたのですが、仁左衛門も、去年の顔見世は、肩の手術で舞台に出られなかったのです。
 8年間も、傷みをこらえて、舞台に出ていたとか。
すっかり元気になって、すれはそれは見事な、魅力あふれる踊りと絶妙の間。後姿で踊る姿のなんともいえない形の良さ、息をひょいと抜いて、硬い表情からふわっとした笑顔を振りまく。
 舞台はあっと間に終わって、割れるような拍手です。ほれぼれさせていただいたわえー。
3番目は、「鳥辺山心中」橋之助と孝太郎のコンビは二回目。
  吾妻男と祇園芸者との道行とう、今回の東西歌舞伎にふさわしい出し物。結構良かった。
  でも、でも、最期の「爪王」で酔いました。





勘九郎と七之助のコンビは、どこのどのコンビよりも健気で、しっかりタグが組まれていて、二人の演技の高上ぶりは、見るたびに驚かされます。
 若さ一杯。躍動感のある早いきびきびした動きで、呼吸も一つになったような緊張感も漂って、まだ、仁左衛門のような、ゆとりはないのは当然ですが、
切磋琢磨を繰り返しつつ、場数をどんどん踏んで行って、お客さんを、喜ばせることに集中しながら精進を続けている結果は、どの舞台にも現れている。
 素晴らしい、と口に出したくなってしまうくらい良かった。
隣の女性も、祭りと爪王で、師走を元気に過ごせると言って帰って行かれた。
南座を出て、信号を待つ間に、聞こえてきた二人ずれの粋な着物姿の女性達。
「最後で救われたわ。」
それほど、「爪王」で、七之助の鷹〈女〉と勘九郎の「猿」の踊りに魅了され、
また元気をもらったのでしょう。




その前の、「鳥辺山心中」も「九段目」も暗い芝居で、気が滅入るのはわかります。
昔は、顔見世が終わるのが遅くなるので、最期の出し物は見ないで帰る人もいたのですが、
最近では9時頃はねるので、最期の舞台は余韻を抱いて帰るに、ふさわしいものが選ばれるのでは、と思います。
その資格十分の「爪王」と「祭」これだけで、もう十分だとも思います。
  

Posted by アッチャン at 16:02Comments(0)