2015年01月24日
鴈治郎襲名披露公演
10日ぶりに、電車で繁華街に出た。
母の施設には通っているが、車で行って、買い物をすませて帰って来るだけ。
施設ではマスクをしている。帰りの買い物でも、マスク。
家に帰ると、手洗いとうがいをしているので、インフルエンザ対策は一応出来ている。
久しぶりに、電車に乗って、人こみの中に入ると、周りは、咳だらけ。
インフルエンザのビールスをまきちらしながら、歩いている人も一杯いるだろう。
午前中に、母の施設にいき、 午後は、松竹座に、歌舞伎を観に。
夜の部を、一月の末の方に予約していた。その間に、どこか海外にと思っていたから。
結局、行けなくて、体調も優れないまま、その日を迎えた。
2階の一番前のセ席をネットで予約していた。端席だから遅れても、途中でセ席を立っても
周りの人に迷惑がかからないので、気分が悪くなれば、と思っていたけれど、無事に、全幕
観る事が出来た。
二代目の忠兵衛
最初の、「将軍江戸を去る」は、橋之助が血気盛ん、潔さを兼ね備えた、東男ぶりと発揮して、旨く演じていた。
将軍、吉宗役の梅玉も、落ち着いた演技を見せて、東役者を迎えての、出し物として、潔さで観客をひきつけた。
鴈治郎襲名の「口上」では、袴の色と、紋を、オペラグラスで見ていると、なかなか面白い。
坂東家の、紋付は派手な山吹色で、目立つ。
松島屋と、成駒屋は、緑色だけど、少し色が違っている。
藤十郎を襲名した、3代鴈治郎は、藤色。
橋之助は、東の成駒屋なので、上方と同じ、緑色。
紋も、秀太郎と仁左衛門は同じだけど、愛の助は、違った紋をつけている。
鴈治郎の息子である、壱太郎は「壱」という紋というように、家名の紋をまだつけられない。
最後に、一同が声を合わせて、「末ながく、ご贔屓ご鞭撻を、」と言った時には、熱いものがながれて、
目がにじんだ。
初代
最後の、愛の助と壱太郎の「棒しばり」は素晴らしかった。 愛の助の、関西歌舞伎にかける情熱が
観客を魅了するに十分だった。
壱太郎は、母親の「吾妻流家元」を襲名したというが、愛の助の踊りには、及ばない。
歌舞伎の部屋子として、入った愛の助が、今、関西歌舞伎を引っ張る若手の代表になっている。
鴈治郎襲披露の「封印切」は、仁左衛門のはっさん役が名演技で、ぴか一。
忠兵衛役をやるには、もっと痩せないとだめだと思う。元気の良い、4代目鴈治郎が、吉田屋は、まだしも、
忠兵衛としては、もう一つ。はっさんとのかねあいの場でも、元気が良すぎるし、太り過ぎ。
二代目鴈治郎と、3代目〈扇雀時代)
上方芝居が、漫才のかけあいの持つ面白さと、松竹新喜劇にも継承されている、「おのしろくて、やがて悲しい」」悲喜劇
を骨頂としてしている。
情愛のある、悲しさ、弱さを表現し、真面目で、実直な働き者の忠兵衛には、二代目鴈治郎の名演技が語り継がれている。
4代目は、おじいさんの演技を目指すといっているのに、あの肥えぶりはいけません。
飲み食いが大好きで、楽天家の鴈治郎には、、芸一筋の、玉三郎や、高倉健、仁左衛門、や最近の海老蔵のように、ストイックなまでの
芸道への執念が要求されます。
4代目
関西で年に何回も、歌舞伎の公演が組めるようになるには、近松座の復活が不可欠。
口上で述べたように、生涯芸道一筋に精進してほしいものです。
食事は、今井の「あんかけうどん」を食べました。
うどんくらいしか、たべられそうなものないから。