2016年02月28日

花のある暮らし




昔は殺風景だつた。
花より団子だつた。
暮らしに余裕がなかった。
お金がなかった。
日々、食べる事で精一杯だつた。
あの頃が、無性に懐かしい。
倉本聰の、北の国、は、
名作の中の名作だと思う。
自然の美しさは、比類なきくらい
美しい。
貧しい暮らし、純粋な魂が
輝いている。
厳しい環境にあって
人は美しく輝く
人間は最も微力で最も偉大な存在だと
言った、パスカル。
火のような情熱と、人間の本質的善良性を生きる五郎
彼こそ、ヒーローだ。
北の国から、を見て、
若ければ、もう一度やり直せれば、
北の大地に住みたいと思う。
憧れる。
暮らしの中で、切り取られた花が
長く咲き続けて頑張っている。

コシノジュンコが言っていた。
未来から見れば、今が一番若いの。
年はない。過去に生きるのではないの。
そうだ。



今日が一番若い。時間は、未来に続いていく。
過去の時間は消えていく。
破壊から、創造への道を歩もう。
  

Posted by アッチャン at 10:49Comments(0)日々の事

2016年02月25日

乳がん検診




乳がん検診を始めて、4年くらいに成る。
検診というのは、やり始めると定期的に行かないと心配になる。
胃のバリウムなどは、飲んだことないので、全く気にしていなかったのに、胃カメラ検査で、ピロリ菌が見つかって、胃がんのリスクは、25分の1になりました、などと言われると、助かった気分になり、年に一度はカメラを受けるように勧められる。
乳がん検診の場合もそう。
評判の乳腺科で、マンモグラフィーの検診に行ったら、年に一度は、検診に来るようにと言われていたのに、予約が取れない医院だから、つい行かなくて、2年に一度、マンモグラフィーの検査が無料で受けられるので、2年に一度で大丈夫だと思っていた。
市の健康検診センターにちょうど、キャンセルが出て空きがあると言われて受けに行った。
触診は初めて。
その後、バスのような検診カーの中で、マンモグラフィーの検査を受ける。あまりの痛さに、イタイ、と言ったら、
係りの女性が、
痛いのなら、やめても良いですよ。
やめてもらっては困るので、必死の我慢で終了。
結果は、2週間後に郵送とのことだった。
母の所に出かけるつもりで、郵便ポストを見たら、健康センターからの結果通知が来ていた。
中を開くと、要精密。専門医院で、精密検査を受けるようにとのこと。
気になって、センターにマンモグラフィーのコピーをもらいに行き、翌日、紹介状と一緒に、以前に見てもらった専門医院に朝から出かけた。予約は出来ないので、待ったら診察してもらえるとのことだつた。
また、マンモグラフィーの撮影と、超音波で詳しく診てもらつたら、何もないと言われた。
集団検診では、一方しか映さないので、その先に何かあるようだと、良性の可能性はあるが、要精密になるのだとか。
最初から、ここに来ていたら、何も問題ないのに時間の無駄、二度手間、余計な心配、痛いのなんのって。タダほど高いものはない、ということの証拠のようなもの。
なので、絶対に、集団検診カーでのマンモグラフィー検査は、お勧めしません。
良い専門医院に、混んでても、飛び入りで待てば見てもらえるので、最初から医院に行かないとだめです。
触診なんて時代遅れな 検査などしませんから。
  

Posted by アッチャン at 10:56Comments(0)日々の事

2016年02月23日

赤ちゃん誕生




弟の息子に、待望の跡取りが誕生した。
その1週間後に、乳がんの手術をして、ホルモン療法を続けてきた友人の娘さんにも、待望の赤ちゃんが誕生。やはり男の子とか。
弟が孫の話は、外で言わないようにしないといけない、と言っていた。欲しくても出来ない人もいれば、子供が独身で家にいる人も多くなった。
当たり前のことではなくなった、孫の誕生。
私は、息子に子供が出来ても出来なくてもどっちでも良い。
幸せな形を本人なりに選択すれば良い。
私は私の生き方を模索していくだけ。

倉本聰の、昨日、悲別で、という古いドラマのなかで、
高校時代からの女友達が言った言葉は、倉本聰の考えだろうと思う。
世間では、マザコンがいけないとかいうけど、私はマザコンでない男の人は、信じない。

母親を大切に思わない男の人は、好きになった女性も、大切にしない、ということ。次に好きな女性が現れれば、簡単に別れるということなのかもしれない。







  

Posted by アッチャン at 13:36Comments(0)日々の事

2016年02月22日

新車はアクア

 



 旅行から帰って、翌日は、ヤフーのオークションで売れた品物を郵便局に持って行った。
どれもわずかなお金にしかならない。
郵送費が高いので、ボランティアのようものだけど、
使ってもらえる人がいると思うと人のためになった気がする。
新品で未使用で、あげても喜ばれないなあ、と思うものでも、欲しいと思ってもらえることが嬉しいが、多分続かないと思う。大変だもの。箱とか、郵便局にすぐに行かないといけなかったり、あとの連絡やら。もう疲れた。
それから、病院で全身のCT検査がった。
一月の末に、iPhone6プラスから、sプラスの機種に変更してソフトバンクに乗り変えたので、古いiPhone6プラスをソフトバンクに下取りで出すと、24000円、ソフマップに買い取りが38000円なので、一度売りに持って行ったら、三角マークがついていて、ネットに制限が」ついていた。早く売れないと、値段が下がっていくので先払いできないかと毎日電話をしていた。
やっと支払いが終わって、三角マークが取れたというので、夕方から、iPhoneと息子からもらったアイパッドエアを持ってソフマップに行った。
査定をしてもらって、待っている間に、iPhone6sの使い方を教えてもらった。
査定は良くて、二つ合わせて、新しいアイパッドエア2にポイントで換えられた。
これでどちらも64ギガある。16ギガだと心配しながら使っていたから。
心配していたことがなくなって、その夜は良く寝っれた。
火曜日は、朝から家にいて、車の保険を入れ替える作業をしたり、母の所に月曜に行けなったので、出かけたり。コナミにも行った。明日は車の入れ替えだから、最後のマーチ。まだ十分乗れるのに、買えなかや良かったとも。
株の暴落ですっかり貧困に陥っているのに。
ヤフーの整理も、そういうことも考慮して、整理プラスアルファー。

水曜日は、午前中に、確定申告をすませた。気になっていることは早く片付けておかないと気になるから。
午後、郵便局に売れた商品を郵送に。ゆうぱっくは、850円かかるから、レターパックにしてみたけど、やはり保証がないので、ゆうパックに変えたら、900円かかった。
ゲルマニウムのネックレス、新品を高いお金で買ったものを1000円で。ばかみたい。
そのために、ガソリンスタンドに行くのが遅くなって、タイヤを出してもらうのに5分待って、
兵庫トヨタには、遅れてしまった。

新しいアクアにマーチで使っている冬タイヤを入れて、普通タイヤをマーチに乗せて車を渡す。
新しい車の使い方の説明が、1時間半くらいかかった。
覚えられそうにないなあ。
店長から挨拶があるから、待ってくださいと言われた。挨拶だけだと思っていたら、花束を持って現れた。
車を買ってこんなこと初めてだと思う。
それから、ドアが開いて、そこから乗って、出て行くようになっている。
そろそろと運転すると、工場の整備士が全員片側に、一方にフロントの人達が、まるでバージンロードのようで、気はずかしいかぎり。
こんなこと初めて。
嬉しいのは、スピーカーが6つついているので、オーディオルームのように、音が良い事。それと、椅子に暖房がついていて、とても暖かいこと。
息子が指定した、オプションの白が綺麗なこと。
コナミで久しぶりに、イカリの会長に会ったら、会長も長い間乗っていた車を乗り変えたそう。
セルジオからレクサスへ。駐車場に同じナンバーの大型の綺麗なレクサスが、私の車のすぐ前に停まっていた。
私の番号は、好きなナンバーを選ばなかったら、良い番号とは言えない。でも気にしない。

  

Posted by アッチャン at 14:31Comments(0)日々の事

2016年02月22日

尾道


ブログの下書きを書いて、投稿しようとしたら、500のスペースが一杯になっていて、
投稿できなかった。
アクセスして、下書きをまず削除し、それから長い間かかって、写真を抜いて行った。
何時間もかかって、手がおかしくなるくらいかかって、やっとわずかに40のスペースが空いただけ。



それで、iPhoneから、下書きにしていたものを投稿しようとしたら、すっかり消してしまっていて、ワードに文章が残っているかと思って開いたら、それもなかった。がっくり。
時間かけて書いたものがなくなっているので、気が抜けた。
有料の、独自のドメインとサーバーを借りて、独自のブログを立ち上げたいのだけど、それも技術不足でむつかしい。
何度か、ブログを消して、やってきたのだけど、限界かな。
尾道に行った時のことを書きたい。



友人は、帰りに尾道に行きたいとの要望だった。雨風が強いとの予報。
友人は、博多のホテルで500のビニール傘を買っていて、私はその後、216円のビニール傘を買っていた。内容は雲泥の差だったが、帰りに捨てて行っても良いと思っていた。私が買ってから、一度も使うことなく、持ち歩いていた代物。使えるなあ、と思っていたら、ホテルを出たら、ぽつぽつ。
傘がいつほどの雨でもない。携帯の折りタタミ傘はいつも持っているが、風があるときは使えないし、頭がカバー出来るほどの小さい傘だから、ビニール傘を買った。
湯田温泉から、駅までの道で、中原中也の記念博物館がある。外からだけ見て、駅に。



湯田から、新山口まで、特急トキに乗るつもりだった。トキは日に4本、新山口から、津和野に走っている。駅に行くと、その前の普通に乗れるから、と言われた。
新山口で,、次の特急トキに乗ると、5分の乗り換え時間しかないとのこと。
乗り遅れたらいけないので、普通に乗った。車内は混んでいて、空いている席は一つ。スーツケースを置いている人の席で、割り込んで入れてもらった。
前の席の女性は、下関に遊びに行くという。山口なら、雪舟庭に行ったのかと聞かれた。
私一人だったら、行っていたのだけど、友人が疲れて、行きたくないというので、五重の塔から、引き返した場所だった。
下関の唐戸市場にも行きたかった所。その女性は、唐戸市場で、さしみを料理してもらって食べるものお勧めだと言う。
私は動きすぎる感があるのだけど、興味が一杯あって困る。
前の女性は、団体だとしたいこと観たい所に行けないので、一人で行動すると言われる。
旅は道連れで楽しいけれど、確かにそれは言える。良い面と悪い面は何にでもあるから。
尾道について、頂上まで、タクシーを使えば良いと思っていた。
友人はケーブルに乗りたくない、怖いというから。
所が、タクシーの値段を聞いたら、ケーブルに乗ると言い出した。
ケーブルまでの道を歩きながら、どこかで昼食を先にしようということになった。
尾道はグルメの宝庫。



イタリアンの美味しい店も多い。友人は、ピザかパンが食べたいことがわかっている。



海鮮が好きだけど、友人がアナゴにも興味を持っていたので、どちらかにしようということに。
観光案内所で紹介された、イタリアンは、28年やっている西山という店。隣は牡蠣の専門店のよう。そこでもアナゴはあるだろう。
迷って、イタリアンから出て来た人に聞いたら、常連さん。美味しいですよ、との一言で決めた。
パスタランチ化、西山ランチ。パスタとメイン料理がついた西山ランチ。
どちらもガーリックトーストがついている。
私は、メイン料理だけのランチは出来ないかと聞いた。
パスタも美味しいけど、メインのサーモンのタルタルソースが食べたかった。両方食べると重い。
朝もしっかり食べているから。
パスタランチと同じ値段で換えてくれることになって、私はそれで、というと、友人もそれに変えた。
飲み物が付いて、私はワイン、彼女はコーヒー。
後で、またほかのものを食べたいから。アナゴが目当て。
どれもすごーく美味しかった。
尾道には、ナポリから移住した、イタリアンの店があるらしい。そこも行ってみたい。
ケーブルに行くと、私は320円、友人は身障者なので、160円。
喜んでいた。
ケーブル乗り場で、友人はチケットを買いながら、怖いというと、前の席に座っていたら大丈夫だと言われていた。
中に入って、3分間、風が強くて揺れた。友人は良く耐えていた。
ケーブルから降りて、文学の道を歩いて、千光寺に着いた。寺の境内からの眺めも素晴らしい。


お参りしながら、友人は一人笑い出した。恐怖も、お金で耐えられる自分のいい加減さに一人笑っている。1500円のタクシー代だと言われて、一編に気持ちが変わることに苦笑している。
降りながら、尾道の文学館などを訪れる道は大丈夫



尾道文学の館が、一番面白かった。林ふみ子の東京での部屋が再現され、写真がずらりと並んでいる。
説明するボランティアのおじさんの説明がまたとても面白い。
林ふみこは、悪女の極みで、しかも最高の女性でもある、というフレーズから始まる。
どんなに悪いかというと、貧しかったふみこは、男の援助で女学校に行けた。その学校で、悪いことばかりやっていて、札付きの不良だった。
すごいのは、川端康成が、ふみこの死の葬儀委員長をしていて、「生前の悪事は、仏になって、償ったので、許してあげてください。」と述べたとか。



ふみこに男の人達がふりまわされ、みつぎ、援助して、それでのし上がった女性。背丈は143センチで、美人じゃない。燃えるような情熱に生きた女性だと私は思う。
パリに行き、当時のフランス文学者の頂点にたつ日本人や、ジャンコクトーも恋のとりこになって、日本まで追いかけてきたという。
つまり、魔性の女なのだ。



そういう女性はいる。岡本かのこ、与謝野晶子、瀬戸内じゃくしょう、など、情熱に身を悶えて生き女性達。
だけど、林ふみ子は、悪女であることで、トップだった。
おもしろい。彼女は、養子をもらっている。そのこも盲目的に愛したのだろうなと思う。
貧国が抜けなかった女性。
尾道を下りて、アナゴ丼を探して歩いた。
商店街でマップを見ていたら、紳士が声をかけて、困っていることがあれば、と。
あなごが食べたいというと、もう閉まっているかもしれないが、まだ空いているかと言って、
すし屋の店に聞きに行かれた。



大丈夫だから、と言って、その紳士は店に入るように言って立ち去っていく。
あなごの押しずしとにぎりのセットなら出来るとのこと。友人は生魚の食べられないものがあるので、
聞いていると、食べられるものばかりだったので、海苔巻きにぎりのセットを頼んだ。
その店の寿司も、とても美味しい。また食べたい。
早めの夕食になった。尾道の駅に着くと、美味しそうなアナゴがたっぷり乗った、アナゴ弁当がある。
あれもこれも食べたいモノばかりの尾道。
友人はラーメン食べないけど、私は尾道のラーメンも食べたい。うどん屋も並んでいて、そこのかきあげの天ぷらうどんも有名。美味しいそうだ。お好み焼き尾道名物。

  

Posted by アッチャン at 12:54Comments(0)旅のグルメ

2016年02月16日

山口から湯田温泉に




翌朝、ドーミーインの朝食をお腹いっぱい食べて、満腹状態で、ホテルを早めにチェックアウトして、博多の商店街を見ながら、博多座の隣にある、アジア美術館に。


商店街に立派な神社があって、梅の花が咲き始め、見事な鉾が飾ってある。雨が激しくなってきたので、傘をさして。


友人は杖がいるので、傘と杖で足元があぶないのは、負担がかかる。



雨だから、観光はむつかしいと思って。



アジアの作品を集めた、ユニークな美術館で、みたことのない作家の作品が興味深い。抑圧された人々の自由解放運動傾向の強い絵画が多い。


モンゴール、ベトナム、カンボジアやインド、に中国などのアジア全域の絵画を集めている。200円の入場料だから、あまりないのかと思ったら、結構中が広くて。


美術館で疲れて、博多から、山口に移動。


湯田温泉で荷物を置いてから、山口に行くつもりだったけど、山口が次なので、ホテルによっていたら、時間もなさそうなので、まず山口まで行ってから、湯田温泉に行くことにした。
私一人だったら、歩くところだけど、歩く距離を少なくするために、
山口駅からバスで、県庁前で降りて、そこから、旧藩政門、県庁を見て、香山公園に入り、国宝の五重の塔を見に行った。



雨は上がって、気持ちの良い気温だから歩きやすくなっていた。



国宝に指定されているだけあって、五重の塔は、素晴らしく美しい姿。梅は咲はじめている。梅を通してみる塔も、池を通してみる姿も素敵。


そのそばにある、
瑠璃光寺を見学して、観光案内所で勧められた、見どころ二か所はパスして、県庁前まで戻って、そこからバスで湯田温泉に。雪舟庭が見たかったのだけど。友人は疲れが限界。タクシーに乗れば簡単なのだけど、タクシーは乗らない人だから、今日はここまで。県庁のバス亭で待っている間に見つけた、バスの半額券で、湯田温泉まで110円で行けた。ついでの2枚ほどキープしておいたのだけど、使わず。


ホテルは大きくて、湯田温泉のバス停の前にあった。高級旅館「松田屋」の隣。3館に増築され、エレベーターが充実しているので、車いすの人でも大丈夫。JTBでとったのだけど、値段も高くないので、温泉は大きくて、露天は100パーセントかけ流し。露天も広くて庭を見ながら。ホテルに着くと、雨がまた降り出して、明日は、風が強いとのこと、雨風がひどいと、観光できない。津和野に行く予定だったけど、友人が行きたいという、尾道に行けなくなるからやめた。時間が足りない。



白虎の温泉と言われ、美人の湯。硫黄の匂いがして、肌がつるつるになる。
風呂にある、ピーリングで友人はごしごし顔の角質取りを必死でやっていた。何度も何度もしているので、顔がひりひりしない、というと、気になっていた鼻のゴマのように黒くなっていた所が綺麗になったそう。ピーリングは効果がある。元々色白の美人が、垢抜けて美しくなった。一段と色の白さが際立って関心した。抜けるように色が白い。
ホテルで働いている人達は、とても親切で、感じがよく、温泉は大きくて、ゆったりしていて、掃除が行く届いている。



夕食は、ふぐ3品がメインのものを選んだ。と言っても、一泊二食で16500だから、期待はできないと思っていたが、お料理が綺麗で美味しくて。とらふぐの味がとても良い。さすがに本場。



ビールとお酒酸種類のおためしを選んだ。好きな銘柄を三種類選べる。


高いものばかり選んだら,獺祭というお酒が入っていて、それは、他でも、一本だけしか買えないと書いていたもの。
山口出身の安倍総理が、オバマさんに持って帰られたとかの銘酒とか。


どれも美味しかった。日本食には日本酒がよく合う。


贅沢な料理と気持ちの良い温泉、贅沢だわね。一人だったら、楽しめないこんな贅沢が出来る。ドーミーインは、温泉付きで気に行っていたけど、旅館とは雲泥の差だ。中国人もいないし、ゆっくり楽しむことが出来る。


寝る前に、私だけ露天に浸かりに行った。本降りで露天はどしゃぶり。友人は早く寝て、次の日に備えた。



昨日商店街でビニールの傘を買ったものの、まだ使っていない。明日は使うかな。


  

Posted by アッチャン at 01:54Comments(0)旅のグルメ

2016年02月15日

博多座、玉三郎特別舞踊公演




玉三郎の舞踊公演が、二月の博多座であるので、チケットを買っていました。
博多座は初めてなのです。
飛行機で行こうかと思っていたのですが、おとなび、というのが、2泊三日の西日本ののぞみまで乗り放題のチケットがあることを知って、JRで行くことにしました。
せっかくだから、友人を誘ったら、玉三郎は興味ないけれど、旅に付き合ってもらえるというので、二人旅になりました。
どこでも乗り降り自由だというので、広島に立ち寄って、広島焼きを食べようということで、
広島焼きを食べるためだけに、広島に下車。お好み焼きの美味しい店を、駅にいたボランティアの女性に聞くと、「麗ちゃん」という店だが、いつも並んで待っているから、とのこと。



行ってみて入れなかったら、教えてもらった別のビルに行くことにて、駅ビルの2階にある、お好み焼き屋がならんでいるレストラン街に。
12時ぎりぎり。やはりその店だけ、行列が出来ていたけれ度、中広そうなので、待ってみることに。
先に注文を聞いて焼いているので、食べれば出て行く客ばかりだから、席には早く座れました。
しばらく待って、麗ちゃん、の一番人気だというスペシャルが運ばれてボリュームがすごいので、多すぎると思ったのだけど、美味しくて、ペロっと平らげてしまった。



確かに人気店だけだあって、美味しい。値段は1280円だった。
たことえびがたっぷり入って、豚が乗って、もやしもたっぷり。くせになる味。
一時間早く、広島から乗れたので、途中、小倉で降りて、門司港に。
門司港は、随分前に行った時とは様変わりして、すっかり観光地になってしまったいて、
雰囲気が違って見えた。



お雛祭りのイベント中で、お雛様や雛飾りをたっぷり見せてもらったで、翌日行くはずだった下関の、長府にはいく必要がなくなった。


跳ね橋が上がる時間に出くわしたので、それも見ることが出来た。



お昼のお好み焼きで、何も食べられない。
一時間ほど歩いて、門司港から小倉をへて、博多に。
門司港の駅がレトロで素敵だった。



博多は、駅から歩けて、博多座にも歩いて行ける場所を探して、温泉もついている、ドーミーイン博多祇園に予約していた。
二人なので、ツインを予約。二人で食事なしの20000円だけど、ヤフークーポンを使って、5000円引き。
朝食が名物なので、1200円の朝食は、見てから決めようということで保留。
部屋でコーヒーとアイスクリームで休んで、私は博多座に。
友人は部屋でテレビを見て待っているという。劇場は中州の商店街を通って
ホテルから10分程度。雨が降っていた。



博多座に行くと、私が思っていた時間よりも遅くて、舞台がはねるのは9時頃。
それまで夕食を待ってもらうのは忍びないなあ、と思って電話したら、気にしないでという。
博多座の劇場は、扉がクラシックで席も座りやすいし、席の前が広くて、贅沢に作らてている。
私の席は前から3列目の真ん中。よく見える一等席。


最初は、「船弁慶」
能楽風に作られた、歌舞伎のオリジナル。
獅童の弁慶、児太郎の義経、玉三郎の静、で、静の動での舞と声の抑揚の美しさで、魅了的な玉三郎の豪華な能衣装に美しさが際立つ舞台。
弁慶と義経が船に乗り込むと、海が荒れ狂い、平家の智盛の怨霊(玉三郎)に立ち向かう。玉三郎は美しい静と、恐ろしい鬼と化した智盛の二役。
1時間以上の舞台を楽しませてもらった。
二番目は、獅童と児太郎の二人だけで、玉三郎は出ない。残念。
最後が、二人藤娘。玉三郎と児太郎。
二人藤娘は、菊之助との舞台では、一時間以上だけど、今回は25分。
玉三郎の裾の動きが少し以前とは違うのが気になった。
動きは児太郎よりはずっと自然で動きが少なくなっていても、可愛さがあって、さすが。



でも、児太郎も上手くなっている。児太郎は、福助の息子で、歌右衛門を継ぐと言っていた福助が病から復帰していないのが心配される。
玉三郎は、児太郎を育てることに力を入れているのがわかる。
将来、歌右衛門を襲名することになるのではないかと思われる。歌右衛門を受け継いで、
玉三郎だけしかできない、阿古屋。を、児太郎に受け継いでもらおうと思っているのではないかと思う。
福助の弟である橋之助が芝翫の名籍を継ぐ。歌右衛門を福助が継げないなら、望みは息子の児太郎に。踊りが上手くなって、児太郎に3舞台を演じさせている、玉三郎の思いがわかるよう。

  

Posted by アッチャン at 11:36Comments(0)歌舞伎

2016年02月08日

老死




老人の死因に引き金となるのは、脱水症状が多い。
父の命日に、母の所に行き、母にシュークリームを食べてもらった。その日、顔色が黄色い気がして、黄疸が出ているのではないかと思って、部屋に入って来た職員に母の色について言うと、
目の表情に元気がないですね、と言っていた。
月曜日に行くと、母はベッドの中から動かずにいた。看護婦が、小水が出ていないので、器具を入れることも検討したが、朝出たので、と言う。食事はあまり食べないが、便は普通に出ているとの報告があった。水分が足りないのではないですか?と私は言った。ベッドン伏せたままで、帰る時もベッドの中にいた。
水曜に行くと、やはりベッドの中にいた。毎回持っていくみかんを食べてもらった。
母は顔をしかめて、ベッドに臥せっている。心不全があるので、胸が痛いのではと思った。
高年だから、いつどのように体に変化があらわれても仕方ないとは思っている。弱っている。
お花が変わっているので、妹が来てくれたのだろうと思い電話した。
母はやはりベッドにいたようだが、食事は食べていると言われた、とのことだが、私が水曜日に行くと、食事は副食だけ少し食べる程度だと、違った報告。
木曜日、医者に行っている間に施設から電話があった。折り返し電話したら、医者が検針日ではないけれど、来ていたので、診察してもらって、血液検査をしたとのこと。
元気だと、血液検査をさせないのだが、検査が出来て良かった。
熱が下がらないので、抗生物質を処方された。
私は、以前に母が脱水から、熱を出し、肺炎だと言われて、病院に入院したことを思い出した。
水分が不足しての熱ではないかと。母の所に持ってくるお茶が減らないままに交換されていることを思い出した。金曜日もそうだったので、職員に、持ってくる時に、飲ませてくれないか、と頼んだ。
持って行ったみかんの皮をむいて、食べてもらった。一時間半かけて、5つ食べたので、少しは水分が取れた。
事務所により、ポカリスエットを飲ませて欲しいとお願いした。
施設では、夏場はポカリスエットを使っているが、冬場は飲ませていないとのこと。
買ってきましょうか、と言うと、冷蔵庫にまだあるので、次の買い物のときに買ってきます、と
いう。施設で買い物を頼むと、別料金がかかるのだけど、それは施設の意向に従うようにしている。水分の不足で熱が出ているようだ、と私は主張した。抗生物質は効果がなく、血液検査の結果も一部だけ出ているは、異常はそれほどないとのこと。
施設では老衰だと思っているようだった。
日曜日に行くと、母は元気になって、食欲が出て来たとのこと。ベッドにポカリスエットを持ってきて飲ませた形跡がある。
持って行った、美容ドリンクを飲ませると美味しそうに飲んだ。麦茶は、300ccほど飲んだ。
持参した、すじと大根、ニンジンを柔らかく煮込んだものも、食べてくれた。口に入るタイミングを計って。少しづつ口に入れた。
みかんは三つ。
やっと元気を取り戻したよう。
家族でないと、こういうケアーは出来ないし、望めない。
脱水症状で熱が出て、肺炎を起こし、最後を迎える老人の死を、老衰による自然死と判断される。
植物でも、水やりを怠ると、枯れる。
動物は、自ら食べる元気がなくなって、口にしないようになって死ぬ。人間なら自死と同じ。
母の場合でも、自分から飲まないから、水やりをしてもらわないと、枯れて死ぬ。
私は自然に逆らっているのだろうか、と思う時もある。
何年か前に、母が膵臓炎で入院した時に、病院では手術できないと言われ、持っても半年だと言われた。
胆石の名医だという医者を探して、資料をもらって、母と住友病院に行った。
手術ですね、と言われて、安堵と共に、二人で喜んだ。
その後、母は物忘れが激しく、怒りっぽくなり、認知症の症状が出て来た。
弟の家でしばらく暮らしていたが、まだその時は、温泉にも行けたし、家で泊まりに来ていた。
脱水から熱で肺炎になり、芦屋市民に入院した時にも、病院では抗生物質が効かないので、いずれ肺炎死を迎えると判断していた。
私は母が体中痛がるので、リウマチではないかと主張して、その検査を何度も頼んだ。
病院では、医者は自分の判断が誤診だということを認めたくない、が、責任も取りたくないので、整形に回してくれた。
私はリウマチ性筋痛症である可能性があると主張していた。何度かの検査の後で、リウマチ反応が出た。ステロイドを処方され、その翌日から、嘘のように母の痛みは消えた。
食欲が出てきて、母は回復した。まだそのころは、母の認知症は軽かった。
グループホームに入り、一年後に、今の施設に移転。徐々に母の認知症は進んで行った。
人間である以上、私達はいずれ死ぬ運命はまぬがれない。
母は、何度か死の機会を逃しているのかもしれない。病院も、施設も、仕事として人間を扱い、マニュアルに従って、人間の生死を預かっている。
友人は、母は幸せだと言い、そういう世話が出来る私が幸せだと言う。


  

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2016年02月03日

清原に見る精神のもろさ



    

かつて、子供たちの夢だった清原が、これほどまでに転落に道を辿るように
なったのは、薬物中毒によるものだった。
美しい奥さんと可愛い子供たちに見捨てられ、寂しさから麻薬に手をだしたのだろうか。
そうではないと思う。それ以前に薬物中毒のために、大切なものを失って行ったのだろう。
かつて、私は、清原フアンで、清原を見たくて、野球場に足を運んだこともあった。
退団のセレモニーは、英雄のふさわしい、感動的なものだった。
野球をやめた清原は、注目されることがなくなり、自分の進むべき道の方向感を失って、
薬物に頼るようになったのではないだろうか。弱さゆえに。
清原は、精神的に弱い人間だと思う。
清原が、転落の道を辿ろうが、私には、どうでもよいことだけれど、清原の子供達のことを
思うと、父親としての清原にいいようもない腹立たしさを覚える。
それと同時に、薬物の恐ろしさへの恐怖と、薬物に侵されていく、肉体のもろさ、弱さに悲しさを覚える。
絶大なフアンに支えられ、波乱万丈の野球人生を送って来た清原が、人生の目標を失ったとき、
地獄のような苦しみを、薬物に変えて耐えてきた。
私達は、清原から、学ぶべきものがまだ多い。薬物の怖さ、恐ろしさを学べた。
そういう意味で、清原は「地に堕ちた英雄」としての存在は維持している。


  

Posted by アッチャン at 13:02Comments(0)日々の事

2016年02月02日

母のお針箱





弟が、二階から、箱を持ってきた。
一目見て、それが母のお針箱であることがわかった。
なつかしさと悲しさがこみあげてきて、涙があふれた。
母が今も元気で、頭がしっかりしていたなら、なつかしいわね、
で終わっただろう。
母が夜なべして、縫物をしていたお針箱。布のひっかけがついた、
3段の立派なお針箱。中に、着物のしつけ用のへら、糸切ばさみ、
つかいかけの糸や、つかなくなった衣服から取ったボタンなど。
母は夜遅くまで、このお針箱の前で働いていた。
このお針箱は、3段引き出しのついた、木造の大きなお針箱で母が欲しくて買ったものだった。
今、弟が裁縫をするようになって、使っている。
最近暇になったので、衣服のリフォームを楽しんでいる。
幅広の古いズボンを、今様に幅をつめたり、後ろポケットに、長財布が入るように中ポケットを付け直したりソファーのカバーを付けたり。
弟は、母使っていたお針箱の中にあるものを使って、母を愛しんでいるのだろう。
母がすぐ近くにいるけれど、弟はあまり行かない。
今の母の姿を見るのが辛いのだろう。
母が使っていた道具を使うことで、母の傍にいるようななぎさめになっているのだと思われた。
良く働き、いつも明るかった母。誰にも等しく愛を注いだ母。
優しい母。自分はいつも後回しで、人の幸せばかり願っている母。
誰からも好かれる母は、それにふさわしい人だから。
父は、母がいれば、誰もいらなかった。
母は、今も心配りが深くて、人を気遣うことは変わりない。
優しくて、笑顔が素敵だから、大好き、と施設の職員達
は言ってくれる。
記憶が日々薄れていく中で、母の中核は失われることはない
のだけれど、
母と話が出来ない悲しみは深い。
テレビで、トムハンクスの映画が映っていた。
母と一緒に映画館で観た映画。
トムハンクスの後ろ姿がかっこいいわね、と言いあった。
ああ、あの頃は元気だったのに、悲しみが襲う。


  

Posted by アッチャン at 14:52Comments(0)日々の事