2010年12月31日
年忘れ
午前中は、天気が持ちそうなので、朝、母を迎えに行き、車で、お墓参りに行きました。 母は、お墓のある川西まで、遠い、時間がかかる、といい続けるので、私は、そのたびに、1時間ぐらいで行けるわよ、と答え続けなければならない。
「お財布を持ってこなかった。」と言い続けるので、「お母さんの財布は預かっているのよ。ご心配なく。安心しててください。」と言い続ける。
息子はいつ帰ってくるのか、息子はアメリカが好きなのか、日本とどっちが好きなの?これを繰り返して、聞く。
「アメリカで働いているから、帰れないの。」
「え、働いているの?」と驚いて、また、同じ質問を繰り返す。その間に、子供がいると、可愛い、可愛い、と子供の姿を、車の中から。
店の前で立っている人に目が行くと、
「あら、あの人あそこにいたわ。良く見るわ。いつもあそこで立っている人だわ。」
母の頭は、くるくると働いている。
食事を食べたことはない、と本気で思っていて、お菓子を少し食べて、生きているつもりでいる。介護をしてくれているスタッフも話の中では存在しない。食事を食べたことがないと信じている。
「じゃ、どうしてそんな肥えているの?」
「なんでかな。そのへんのお菓子をちょと食べてるからかな。」
私は運転中なので、そちらにも注意を払っていなければならず、かえって、それが,母の話し相手になるには、楽なのだ。適当に、同じように、繰り返していれば良いから。
途中で雨が降り出して、車は数珠つなぎ。お墓に着いた頃には、みぞれが降って、足下が危ない。母は、車の中から拝んで帰ろうと言う。
「わたしだけ、お墓に行ってくるから、ここで待っていて。」と言うと、私が心配で、ついてくると言う。
みぞれは、牡丹雪に変わり、討ち入りのように辺り一面、雪が、斜めに降りしきる。
母には、傘を持って立っていてもらって、手早く、花を変え、ろうそくをつけて、持って行った、お香の線香に火をつけて、母に持たせて、拝んでもらった。
お供えも、袋のままで。
早々と、切り上げて、待合所の中に入り、暖かい飲み物をかうつもりだったが、ほとんどなくて、コーヒーを買うと、まだ暖かくなかった。
帰り道も、車の中で、同じような会話が続く。その上、送ってもらわなくてもこの辺から帰られるから、というのが付け加わる。相変わらず、車は混んでいる。会話はだらだら、車はだらだら。
「
お寿司の、函館市場で、お寿司を食べた。母は美味しい。、美味しいと喜んでいたので、しばらくは覚えているのかと思った。
施設の近くにある、生協に行くと、母はまた驚いて、
「へー、こんな所があったの。広いね。」
最近は、寒いので、いつも母をここに連れてきて、ぐるっと歩き、散歩代わりにしている所。母には、何度来ても、初めて見る新鮮さがある。
弟のお嫁さんの姿を見つけたのは、母の方。
「あら、あそこに。」と。
弟夫婦が昨日来てくれているのだけど、記憶にないので、
「まあ、珍しい。こんな所で会うなんて。」と懐かしそうにしている。
母はもうすでに、昼に何を食べたのか、覚えていない。
彼女は、近所のお友達と顔を合わせて、そちらに方に。
母のヨーグルトを買って、施設に送ると、迎えた介護師の男の子に、嬉しそう。
母は、博士よりも、少しは長く覚えているけれど、その場にいないと、誰が誰だから、わからなくなるようだ。
母がしっかり、その場にいなくても、覚えているのは、私の息子だけになりつつある。
弟のことも、お父さんと、混同している時がある。
昨日、弟が来たことを、お父さんが来ていた、という風に。混同するのは、考えようとして、こんがらがってくるからかもしれない。
母には、母の質問に、根気よく答え、母が望んでいるような、答えをすること、母の話を、真実として聞くこと、心配していれば、大丈夫、安心していて、とお願いするように。
母は、出れば、顔が生き生きとしてくる。頭が働き、話し相手がいて、話しっぱなしなし、好奇心のアンテナが張るからだし、そういうもろもろの結果、気晴らしが出来て、内面のストレスが解消しているのだろう。
これは、認知症の母だけではなく、誰にでも通じることのように思う。
母は、皆様よりも、いち早く年忘れを達成しているわけです。
暗い一年だった方、苦労の多かった方、すっかり、年忘れをして、新しい年を迎えましょう。
Posted by アッチャン at 10:23│Comments(0)
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