2011年03月14日

天災よりも、恐ろしい人災


 天災よりも、恐ろしい人災

友人と会って、原発の話を聞きながら、お寿司を食べていたら、味がわからなかった。
 私達も、食べるもの節約しないとと話ながら、暗い気持ち。
話を聞き、話をすることで、心が軽くなる。
 
私のメールに、関西電力の友人からの転送メールを、皆に送ってほしいというメールが入っていたと話すと、それはやめておかないと、いたづらメールの可能性がある、メール回線を麻痺させ、混乱を招くだけだ、と言われた。
 確かに、関東の周波数と、関西の周波数が違うので、報道では、50ヘルツ内での、節電に乗り出す。
変換回路を経由して、関西から送ることは出来ても、わずかだとか。
そういえば、テレビでも、メール妨害や、不正確な情報を流しているので、注意するようにと言っていた。
 車のことも、地震で無数の車が流され、燃えているのを見れば、実につまらない話で、そんなことはブログに書くようなことではない。
 友人の適切なアドバイスで、私は随分、助かっている。メールも、もう少しで、友人達に転送する所だった。車のことも、友人の言うとおり、そんなことはたいした問題ではなかった。

 エネルギーの節約に関しては、徹底している。おはし一本にしても、紙一枚にしても、有効な使い方に徹していて、靴は一足あれば、それが使えなくなるまで使う。余計なものはいらない。

 私達は、当たり前のように、エネルギーを消費しすぎている。安い燃料を求めて、安易に、原子力発電所を、日本の各地に作ってきたのではないだろうか。
自然の災害はまだ、命がある限り、やり直せるけれど、人間が作り出した核は、予測不能な結合や、化学反応を引き起こす。爆弾をかかえて生きていると思った方がよい。

日本は、壊滅的な打撃を受けた。天災は、防ぎようがないけれど、復興が出来る。
阪神淡路大震災の後、神戸は復興できるのか、と心配されたけれど、見事に新しく蘇り、より美しい町になっている。

広島、長崎は、復興は出来たけれど、被爆は、体内被曝、その子供にも、その子供にも、いつどかで、出てくるのか、予測出来ない。

人間が作るもので、完全に安全というものはない。ならば、原発にエネルギーを頼ることは、やめるべきだ。
無知な私でも、恐ろしいことを、人間はやっているのだ、と今回の原発の地震による、衝撃が引き起こした問題で、気づくようになった。

いるものを、供給するのではなく、需要を抑える努力を。人間の叡智を、人体の安全を基本にした、開発技術に切り替えなくてはならない。
 危険を隠し、コストを抑え、被害を露出させて、初めて問題になるような、お粗末な「人間の愚策」を許さない、民衆の知識と目と力が、「人間の叡智」を高めることになるのだ。


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Posted by アッチャン at 11:29│Comments(0)日々の事
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