2013年04月01日

映画「アンナ、カレーニナ」

   
映画「アンナ、カレーニナ」

  アンナ、カレー二ナ
トルストイの名作の一つなので、
誰でも知っているストーリーだけれど、
イギリ映画らしい、作品に仕上がっていて、
自然主義が、強調された作品になっている。


http://anna.gaga.ne.jp/

恋をしたことのない、アンナの眠れる情熱を引き出した
青年将校との激しい恋は、一見チャタレー夫人と比較されそうだが、
イギリスの持つ、自然主義の象徴である、チャタレーと森番との恋とは
相反して、フランス風の都会に毒された、自我と虚栄の象徴の破滅的な
恋であって、精神の束縛、を強調している。


映画「アンナ、カレーニナ」
トルストイ自身、貴族社会を嫌って、農村での生活を好んだように、
アンナ、カレーニナ、の中で、農村で生きる青年が、生涯ただ一人の女性
として、愛する、キティーに、求婚して断られ、深い切望と孤独感にさいなまれながら、
自然の中で、労働することで、精神が癒される。

映画「アンナ、カレーニナ」


アンナ、カレーニナを恋した青年将校を愛したキティーは、アンナへの憎しみを胸に
耐えながら、結婚への絶望感を抱いていた。
夫の浮気を愛ゆえに許しながら、子供たちを生み、育てている姉をみて、女の幸福など存在しないと思っていたが、姉に勧められて、田舎に来ると、心が解放され、自然に身をまかせている姿を労働しながら見た青年は、再び彼女に求婚する。
この夫婦の愛に、トルストイは、至高の愛の姿を見出している。
階級の区別なく、人種の偏見なく、キティーは、自然と平和を愛する女性として描かれている。脇役ではあるが、その存在感は大きい。
「戦争と平和」のナターシャには、アンナカレーニナのような情熱を持った女性で、妻のあるアンドレに、生涯の恋をするが、そんなナターシャを、そっと見守りながら、愛するピエールは、平和主義を貫き通し、動乱の世をくぐり抜けて、最期まで生き、ナターシャへの愛を貫く。
理性が屈服して、激しい恋に翻弄され、破壊的な運命をたどらせるのも人間。
フランスのフローベルは、「ボバリー夫人」にそういう人間の情念の愚かな現実を描いている。
トルストイ自身、そういう情熱に、翻弄され、囚われ、苦悩した人間だったのではないだろうか。
悪妻と言われた、妻の虚栄と浪費的な女の恋のとりこになっていただろう。
自然の中で、働く農民と暮らすことで、トルストイは、心の平安が得られたのだろうか。
駅舎の中で、亡くなったトルストイは。

映画「アンナ、カレーニナ」

アンナ、カレーニナの中で、アンナの夫に、ジュード,ローが演じている。
この映画の最重要の、主人公と言っても良い人物を演じている。
この人物こそトルストイの理想とする人ではないだろうか。
本当の意味での、博愛主義の人、平和主義者として、描かれている。
苦悩を抱きながら、許し、憎めず、愛する人物。物静かで、怒らず、心をいつも平然と保っている。キリストのような存在。静かな面持ちの中で、澄んだ目が、パッションを秘めている。ジュード、ローなれではの、はまり役だと思う。
最期の場面、真っ白な花が咲き乱れる、平原で、彼は、子供たちを遊ばせながら、本を読んでいる。
アンナが愛した、息子と、彼女が恋人との間に生んだ、女の子。
 息子は、腹違いの妹を、抱きかかえて、遊んでいる。愛する対象を、母親から、その娘の中に見出したのように。
美しい、自然と、身に優しく振りそそぐ風に乗って。


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Posted by アッチャン at 12:17│Comments(0)映画
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