2013年09月04日
嘔吐と自由
今年だけの異常気象なのだろうか。
竜巻の恐ろしさが日本にも定着していくのではと
思うと、我が家にもいつでも危険性はある。
アメリカの広大な大地でハリケーンが発生して
民家を巻き上げているシーンはみたことがあるけれど、
日本の狭くて家が密集している所は大丈夫だろうと
思っていたけど、そうではなかった。
昨日、コナミに行くと、お風呂の中で、声高に喋っている
人がいた。
人身事故で、電車が停まっていると言う話なのだ。
彼女曰く
「飛び降り自殺なんて、迷惑な事するのは、人に見て欲しいのよ。
海にでも飛び込めば良いのに、迷惑かけたいのよ。」
飛び散った肉体の話までしている所を見ると、その場に遭遇したの
かのしれないが、私の耳に否応なく入ってくる言葉に吐き気がする。
自殺する人が、誰かに見て欲しいなんて、そんな余裕はないはずだ。
それは映像の世界だけだ。
苦しみから逃れたい、追い詰められた究極の選択なのだけど、自分がどうなってるのかも判断出来ない状態にまで、追い込まれた人の突発的な行動なのだ。
そういう状態を、話のタネにして、笑っている人がいることへの嫌悪感、津波にさらわれた多くの命のことを思うと、無神経だ。
それに同調して、笑っている人がいる。
日本は、最早安全な国とは言えなくなった。
毎日のように、殺人事件のニュースがテレビで流れている。
夕方の、朝のニュースで、ワイドショーで、取り上げられ、無神経に報道されている。
大人よりもずっと繊細で心の傷を受けやすい子供達に、どのような影響を及ぼしている
のだろうか。
アメリカでも、フランスでも、このような事件は取り上げられもしないほど日常的だ。
まだ、日本では事件として話題に上るのだから、まだ少ないと言えるかもしれない。
そのうちに、あまりに多くなって、忘れ去られる日も来るだろう。
そうなれば、自由の国として成熟するのだろうか。
Posted by アッチャン at 00:23│Comments(0)
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