2006年11月30日

存在の耐えられない軽さ

毎日のように、殺人、自殺、子供の虐待、のニュースが流れている。以前に「存在の耐えられない軽さ」という映画があった。日本の現状は、それに近いものになってる。重い物よりも、軽い物が重宝される。汗水垂らして働く喜びだった「重い仕事」よりも、頭を働かせてお金という薄っぺらな軽いものを扱う仕事に憧れるようになった。ライブドアーの堀江社長が、その良い例だ。今でも彼の行き方に共感している人は多いのではないだろうか。刑務所に入っている間に、読書三昧、美食で太っていた身体は、健康的な生活のお蔭で、すっかりスマートになった。彼はまさに「存在の耐えられない軽さ」を象徴している。
集団自衛権は、存在を軽くする為に拍車をかけるだろう。日曜の朝、この問題を巡っての討論で、加藤元幹事長が言った言葉の重さ。
「もしも、イラク戦争以前に、集団自衛圏が国会で承認されていたら、間違いなく日本は、イギリスと同じ立場に立場で戦って、沢山の死者を出していたに違いない。」
この言葉は、命を決して戦争などで落としてはいけない、戦争はいかなる状態においてもおこしてはならない、という命の尊さを訴えるものだと私は思う。きわめて人間らしい、ヒューマニズムの観点にたった発言だ、と私は思う。
 その一方で、小泉元総理には、存在の耐えられない軽さを感じる。
「会社も色々、人の意見も色々」「昨日の敵は今日の友」「使い捨ての駒」等々、発言の軽さ、情の薄さ。ブッシュ政権の過ちをアメリカ国民がノーと拒否しているのに、彼は「ブッシュ政権を何処までも支持いたします。」と言ってましたっけ。さらば総理の座よ、と潔い去り方、かっこよさをアピールしているように見えるけれど、「私、もう関係ないから、消えましょう」
 加藤さんは、ファナティックな右翼団体の一員に家を焼かれた。
日本の平和憲法は、他に類を見ない素晴らしいもの。この憲法が今変えられようとしている。
 恐ろしいのは、戦争をしたがっている人達が増えているということ。戦争をゲーム感覚で捉えている人達、家庭内暴力を、その代償にしている人達、弱い者をターゲットにして、精神的殺人や、暴力的殺人で、エネルギーを発散させている人達が増えているということ。かつて、貧しさと労働によって、消費していたエネルギーは、金銭という軽さによって、消費できないエネルギーの鬱積を禁を侵すという犯罪者的行動にかりたてている。まともなことをしていてもむくわれない世界だから。「存在の耐えられない軽さ」だから。





Posted by アッチャン at 15:37│Comments(0)
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