2009年02月26日
吉田画伯へのオマージュ
パリ在住40年以上に渡って、絵を描き続けてこられた吉田さんの密葬が、今日行われることを、今朝お電話してお聞きした。お見舞いに伺えたらと、思い切ってお電話したら、その方も昨夜知らされて、今朝の飛行機で斎場に向かわれたとのこと。偶然に、訃報をお聞きして、絶句した。吉田さんのいらっしゃらないパリは、想像出来ない。昨年、お伺いして、痩せられたと思い、食が細くなられたと心配したが、次第にお元気になり、息子が訪れた時には、私も息子も、もうこのくらいでギブアップ、とお願いしたほど、あそこにも、ここにもと何時間も歩いて案内してくださった。わずかに3日間のパリで、息子は帰る夜も、もう一度会いに行くと言っていたけれど、吉田さんの方から、夜遅いし、明日が早いからもう来なくてよい、と。吉田さんは、息子の気持ち、思いやりがものすごくストレートに伝わって来るとおっしゃって、おじいさんと孫のように接してくださった。吉田さんは、どこか私の父に似ている。父を慕って、特別の中だった子だったから、吉田さんにも特別の感情を持っている。息子があれほど、人を慕っているのを見たことがなかった。
昨年の3月に訪れた時、奥さまのお墓参りを毎週かかさずされていたのに、寝込んでいかれない日があった。「お墓の写真を撮ってほしい、娘達に、送りたい。」と言われた。一昨年よりも美しく花鉢も置かれていた。墓石は、吉田さんが尊敬する、お坊様が書かれたもの。お墓の前で奥様としばし話をされる。周りから様々な声が聞こえてくるとおっしゃって。
アトリエで、新しい作品を見せていただき、意欲的に仕事をされていた。大きな仕事が随分入って来て、無理をされていたのだろう。10月のユネスコの展覧会が終わって、張り詰めていた気力がなくなられたのかもしれない。12月の末から、吉田さんから、いつもはお返事をいただくのに、なにもないので、メキシコか、ドバイにでも行かれているのかしら、とくらいにしか思っていなかった。
昨年の春に、私が日本に帰る日の前日、お電話で、「さびしくなる。娘のような気がして、さびしい。」と言っておられたのも、体の異変を感じておられたからではないだろうか。声に元気がなくなって、1年前の吉田さんとは違っていたが、寝室の立派な仏像に守られておられるので、気力でまだまだ活躍されると信じていた。
パリに行っても、吉田さんは、もういらっしゃらない。いつでも、どんなときでも、変わらない優しさ、暖かさで迎えてくださった、
アトリエの扉が、開かれることはない。
心からご冥福をお祈りさせていただきます。
Posted by アッチャン at 14:15│Comments(0)
│日々の事