2009年04月20日

ロワール古城巡り

ロワール古城巡り
 ロワール古城巡り

ロワール古城巡り


シャンボール城は、パリから、一番近い場所にある城で、古城の中で、一際優美な外観に、あっと声をあげたくなるほど。男性的な作りのこの城は、フランソワ一世が狩猟の為に1519年に建造、その後を継いだ、アンリ2世が手を加えた。17世紀にはいると、太陽王、ルイ14世が、大改造して400以上の部屋と70の階段、365の煙突を持つ、膨大な城に築き上げた。レオナルドダビンチが設計したのではと言われる、階段がある。

 正面から見た城ロワール古城巡り
 
、シャンティー城は、女性的な作り、
 シャンボールは、外から見るだけにして、シャンティー城を目指す。早くパリに向かって、モネの睡蓮の庭のあるジベルニーと、世界遺産になっている、シャルトル大聖堂も見たいという、欲張った計画による。、
ロワール古城巡り

けれど、シャンティー城に来て、気持は変わった。シャンティー城は、ロワール川支流のシェール川を跨ぐようにして建っている。16世紀。財政出納棺ポアティエの妻が築いて以来、6人の女性が城主だったので、「6人の奥方達の城」と呼ばれている。アンリー2世が愛人、ディアーヌド、ポワチエに1547年に贈ったが、アンリー2世の死後、その妻カトリーヌ、ド、メディチによって、取り上げられてしまった。、

ロワール古城巡り

愛人ディアーヌ、ド。ポアチエは、アンリ2世との思い出の詰まった城を、ショーモン、シュル、オワーズ城を購入した、カトリーヌに、強引に、交換させられた、という、夫を巡っての、愛の確執、嫉妬と権威の、戦いがあった。広大な敷地、優雅なたたずまい、優雅なこの、シュノンソー城を追われた悲しみはいくばかりであっただろうか。
女の嫉妬と執念の恐ろしさ。
 昼食は、サンドイッチを食べながら、という計画だったのを、レストランで、に変更。 シャンティー城の中にある、オランジュユリーというレストランに入った。奥に日本人の団体がす座っていて、笑ったり、話し声が聞こえる。あとは2組ほどで、閑散としていた。
 私は、神戸の貿易会社の面接を受けて、震災がなければ、シャンティー城のカーブで働いていたかもしれないという、ゆかりの城。アンボワーズに1ヶ月滞在した折りに、来たことがあるが、ここで働くことは考えられない、と思った。カーブの温度はいつも低い。冷え性にはもってのほか。駅前ではあるが、こんなに寂しい所。

ロワール古城巡り
ロワール古城巡り

 併設されたレストランは、シャンティーを訪れる人の為のものだろう。カーブのワインにあう、お料理を提供している。シャトーのように、エレガントな内装で、お料理も美味しかった。23ユーロからメニューがある。23ユーロのものを注文したら、4品もあり、どれも充実していて、大満足。運転手が飲めないので、ワインは飲まなかった。




ロワール古城巡り

ロワール古城巡り

 城に入り、見学している間に、雨が降ってきた。一時は大降りの雨で、びっしょりと濡れて入ってきた人達がいた。各部屋に暖炉が炊かれていて暖かかった。ロワール地方は、パリに比べて寒い。私達が出ていく頃には、小降りになり、傘をさすのを嫌うフランス人は、気持ちよさそうな雨模様。


同じカテゴリー(パリにて)の記事画像
日本へ
日本へ
ベルシー公園から、ユゴーの家
パリはあの手この手のスリが横行している
フォーションの日替わりランチ
広重への旅のアート、ヴァンゴッホの日本の夢
同じカテゴリー(パリにて)の記事
 日本へ (2013-03-10 02:11)
 日本へ (2013-03-10 02:09)
 ベルシー公園から、ユゴーの家 (2013-03-08 23:45)
 パリはあの手この手のスリが横行している (2013-03-06 21:57)
 フォーションの日替わりランチ (2013-03-05 20:15)
 広重への旅のアート、ヴァンゴッホの日本の夢 (2013-03-05 19:48)

Posted by アッチャン at 16:43│Comments(0)パリにて
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。