2010年06月27日

母の幸せを願って

 
 

 母の施設が変わることに決まった。22日に、施設を見学し、翌日には、申し込み書と健康診断書を提出し、その翌日に、母のアセスメントをしてもらった。
 
 母は、そこが老人ホームだということを、エレベーターの中に貼ってある、老人達の写真で、気づいているようだった。入居予定の部屋に案内され、質問されると、母の頭には、抵抗、拒絶方法しかない。
 綺麗な部屋ですね。眺めは良いですね、と言うものの、ケアーマネージャーの質問を聞く耳持たずなのだ。お金が高そう、と思っている。

 お昼にサンドイッチをいただいた。母は綺麗に食べて、お皿を合わせて、キッチンに運ぼうと。
 
 私が相談員と、打ち合わせをしている間、母はすっかり打ち解けて、スタッフと話をしていた。

 体験入居をしてから、施設の受け入れが決まるのだが、施設の方で、体験なしで、受け入れてもらえるとのことで、急遽、母の引っ越しが決まった。

 お世話になっている施設には、決まってから、申し出るつもりでいたが、まさかこれほど早くなるとは思っていなかったことだ。

 昨日、弟夫婦、妹と私、全員が集まって新しい施設で、契約をすませた。

 施設は、弟に家から歩いて5分もかからない所にある。全国展開している、介護付きの有料老人ホームで、評判の良い施設。

 宝塚のグループホームに入居出来なかった時には、体中の力と気力が消えて行くような、絶望感に襲われたが、縁がなかったのだろう。
 
 弟の家にお世話になった頃、母が弟夫婦と見学に行った施だった。
入院中、グループホームを勧められて、有料老人ホームという選択は頭になかった。
幾つかの、老人ホーム、様々な形態を見て、この施設が、施設らしくなく、我が家の感覚で、プライバシーも尊重され、ケアーも行き届いているようだ。

 不思議ねえ、と妹が言う。この施設が開設された日は、5年前、弟の誕生日と同じ日だ。

 見えない、糸でつながっているのか、亡き父のお膳立てか、縁のようなものを感じる。


  

Posted by アッチャン at 09:38Comments(0)日々の事

2010年06月20日

しらけムード


 

友人から、選挙があるから、政治については、書かないようにとの忠告があったので、息を潜めていたら、公示日の後では、らしい。
昨日「パック、イン、ジャーナル」で、その話が出ていた。
 民主党のマニフェストが修正され、ばらまきをする財源はないので、修正します。消費税は、当面10パーセントを目安に、議論を超党派で始めましょう。
 積極的に攻めの姿勢の民主党は、サッカーの日本代表に、重ね併せて見ているのだろうか。
 サッカー熱は盛り上がっているが、選挙には、しらけムードが漂っているような気がしているのは、私だけなのだろうか。
 マニフェストに、しがみついて、マニフェストにこだわり続けた、民主党が、あっさりと修正して、ごめんなさい、の一言もない。
 その上、消費税の引き上げまで、出してくる厚かましさ。国民の過半数は、消費税を上げることには、やむかたない、と同意傾向にあるという、調査結果だ、という。 調査というものが、民意を反映していないという、証拠ではないだろうか。
調査をするなら、議員の半数削減に同意しますか? 議員の給料削減に、同意しますか? 議員達の車を軽自動車に変更することに同意しますか?
そういうことを聞いて見たら?

 自らの身を切る、公約がどこにも出ていないではないか。参議院は、良識の府、であり、政策のチェック機能であるのなら、民間からのボランティアでも良い。
 最初は、車を使わずに、歩いて初登城した、長妻大臣は、全く影が薄くなって、 どこにいるのか、働いているのかさえ、わからない。

 選挙目当てか、桝添さんだけが、「居眠りをしている議員などいらない。半数で十分だ。」とまともな事を訴えている。
自民党も、民社党も、スローガンや、公約を聞いていても、むなしいだけ。
 がっかりしているのは、私だけだろうか。民主に追い風が吹いているの?  

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2010年06月19日

奇妙な夢

 

 先日、夢を見た。つまらない夢なのに、鮮明に覚えているのだから不思議だ。
思い出そうとしても、思い出せない、ハッピーな夢がある。どうでもよことなのに、その夢だけは、よく覚えている。
 友人から、買ってきてほしいと、頼まれた靴があった。ロックポート、というブランドの靴で、靴のサイズ、足の長さ、幅などを克明に書いたメールをもらっていたので、気にかけていたことは確かで、あちらこちら、頼まれた通りの適当な靴はないかと、探していたのも確か。
2,3軒、探して、これで良いかな、というものを買った。目方の重い靴なのが、気になっていたけれど、色も形も、気にいってもらえるだろう。と。
 その靴は、まだ渡す機会がないままに、家の中に置いている。
さて、夢の中で、私は、友人に、買ってきた靴を差し出して、履いてみてよ、と促している。ブルーのフエルト製の靴を。
 「こんな色、履けない。」と友人は言っている。
もう一つ、靴を差し出して、私は
 「どちらか、好きな方を選んでよ。」と不満顔
もう一足は、白地に赤のストライブが入ったもの。
 「どうも、こちらも、履けない。」
遠慮がちに、すまなさそうな顔をしている。
「せっかく、重いのに、気に入るかなと買ってきて、いいいわよ。ネットで売るから。安くすれば、買ってもらえるでしょうから。」
 内心、怒っているのだが、そこはこらえて、私は、平気な顔をしている。
「もう、絶対に、たのまれものは、買わないぞ。」心の中で、ぶつぶつ。
「それにしても、どうして、こんな靴を買ったのかしら。」と自分ながら、趣味の悪さに落胆も。これが売れるわけないよな、とも。ああ、お金、パー。喜んでもらえなくて、お金も浪費、なんて、私は、いいかげな人間なのか、

こういう夢だった。
 朝、夢だったのだ、とわかって、階下に降りた。

 茶色の皮の、紐靴で、全く特徴のない靴が、ビニール袋に包まれて、片方づつ、畳の上で、もらわれていくのを待っている。  

Posted by アッチャン at 18:17Comments(0)日々の事

2010年06月19日

日常の中の幸せ



 荒れ庭に、花が咲いている。樅の木に押しやられて、身体を隣接した金網から出しているので、花びらが、隣の庭に落ちている。
迷惑になっては、とのこぎりで、ごしごし枝を切り落とした。
黄色い、可憐な花やつぼみを沢山付けた枝が、無残な姿になってしまって、申しわけない。
雨の合間に、枝を土の中にさしてみる。根が付けば、庭の中で、自由な空間を得て、ぞんぶんに成長し、やがて花をつけてくれることえを願って。
残りは、家の中で、草月の華道なみに、玄関の前で、壺に入っている。


 
近所の知り合いから、いただいた、株の太い枝に、重たげに、ピンクの八重花が咲いている。大きな植木鉢のまま、キャリーバッグに入れて、持って来てくれたもの。
 何処でも、先を木って、土にさしておけば、いくらでも増えるのよ、と教えてもらったけど、まだ、花盛りなので、切ってしまうのは可哀想。



草だらけで、どうしようもない庭を、運動不足の解消に、庭に出て、草むしろをしている。昨日むしったはずなのに、今日はもう、草が伸びている。
日本の天候はがおかしいのか、今まで、なかなか大きくならなかった、ハーブが、株になって、ぐんぐん広がって、芝生に進入している。
 切ってあげれば、ずっと動き安くなるのだろうが、自然のままに、放置しているのが、私流。どこを切ってあげればよいのか、わからないから、触れない。

この所、ビニール袋一杯に草を入れては、ゴミ出しに、出している。それでも、どのあたりが綺麗になったのか、わからないほど、草は、人間との戦いを続けている。




なんの変哲もない、日常の中で、嬉しいことがある。
ゴミ用の箱が設置出来たので、ゴミ当番から、解放された。12軒のゴミを一カ所にまとめて、カラスにつつかれないように、青いビニールシートをかけ、その上に網をかける、ゴミ当番が回ってくる。
冬は、まだ明けないうちに、起きて、ゴミ場所まで行くのが、おっくうだった。地面が凍り付いていると、坂道なので、すベらないように、注意が必要。
きちっと、カバーをして、石で、各部を抑える。それでも、時折、カラスがかすかな間から、旨くゴミを引き出すと、石が動いて、辺りをちらかす時がある。
近所で、ゴミの箱が次々に設置されていく中で、一番遅い部類に入っているのではないだろうか。やっと、ゴミの箱が設置された。6軒で一つ、小さなサイズなので、一軒の負担額は1万円ほどですんだ。3ヶ月毎に各家の前に移動させることでになった。
 ゴミ当番がないのは、本当に有り難い。ゴミの片付けをしないと、出かけられないという不便がなくなった。ゴミ当番がやってくる日をよけて、旅行の日程を組まなくても良くなった。
 最近、嬉しいことの一番は、ゴミ当番がなくなったこと。
 荒れ庭に、花が咲いているのも、心躍る嬉しさ。  

Posted by アッチャン at 17:47Comments(0)日々の事

2010年06月17日

病は気から

  写真はニューヨーク



母をなんとか、もう少し、環境の整った施設に変えてあげたいと願っている。
6月にオープンした、施設からは、健康診断の結果、入居が許可されなかった。それまで、奔走し、元気だったのが、一度に崩れ落ちた。
今回の気管支ぜんそくは、なかなか治まりそうもない。
人間、病は気からというけれど、確かに。

そういう時には、薬も、吸入器も、アレルギーを押さえる薬も、たいして効果がない。毎日、気力がなくて、ブログは書けないし、寝てばかり。
有り難いことに、お酒が少しもほしくなく、食べ物の味もたいしてしないので、運動は、全くしていないのに、体重を計ると、以前のまま増えていなかった。
毎日、1万5千歩を自らに課して、頑張っていたのは、夢のよう。そんな気力も体も失せている。
 五木寛之が、一度も病院のお世話にならないのは、元々、丈夫な身体に生まれついたのか、原始的な知恵で、ストレスのない生活を実行しているからなのだろうか。



実際、パリ、ロンドンと晴天に恵まれ、紆余曲折はあったものの、すこぶる元気で、町中を歩き回り、日本に帰ってからも、母の新しい施設を見学したり、相変わらず歩く習慣は継続して、車も、バスもほとんど使わずに、快調だった。

ニューヨークに行く前日まで、歌舞伎を観に出かけ、飛行機の中でも、疲れ知らず、ニューヨークに着いて、穴あきベッドで床に寝ている状態でも、翌日は早くから、活動を開始していた。
「サプリメントとアリナミン、これが抜群に良いのよ。」と身体の元気を自慢。
アリナミンの話題になり、息子がレストランに勤めていた頃、アリナミンを飲むと、効き過ぎて、ハイになり、気持ちが元気になりすぎて、身体が燃えて、働きすぎて困るほどだったという。



母の入居許可を祈って、期待に期待をかけていて、夜中中、連絡が遅いので、何度も日本とメールを交換して、夜が明け、太陽が登り始めた頃、
「だめでした。詳しいことは、帰ってから。」とのメール。
帰るまで、まってなんかいられない。またメールで問い合わせる。

母が、以前に、ステロイドを飲んでいたこと、骨粗鬆の薬を飲んでいるので、転倒すれば、骨折の心配があるので、気をつけるように、と診断書に書かれたいたのが、不許可の主な理由だった。




面接では、好感触で、年はいっているけれど、元気だし、あとは健康診断の結果だけ、ということで、母が気に入った、見晴らしがよく、プライバシーも守られた、快適な部屋も、仮予約で押さえてもらっていた。
 健康診断で、ないと書かれるのか、心配だったので、誰かに取ってもらってから、とも思ったが、どちらにしても同じでしょう、と言われて。

 母は、骨そしょうではない。ステロイドの薬を投与していたので、骨粗鬆になる危険性があるから、と私の方から、医者に出してもらっていた。確かに、母の骨量は、89パーセントくらいしかなかったので、少し落ちてはいたけれど。ステロイドの性かもしれないし、ステロイドは、とっくにやめている。
 そういう話はあらかじめ、面接ではしていたのだが。



結局、新しく開設するグループホームは、入居時に、出来るだけ問題の無い人を入れたいのだ。一月以上、入院すれば、出て行かないといけないという規定はあっても、一旦入れば、そうむげに、出て行ってもらえない。同じ経営母体の、2年くらい稼働している所では、車いすの人も、大変そうな人もいる。
 「出来るだけは、看るようにしています。」との話を聞いていた。

 新しい、これなら、母に良いだろうと期待した、所だったけれど、診断書に、「転べば骨折の危険性あり。気をつけるように。」とのコメントがあれば、責任問題が絡んでくる。 

 医者から、電話があった。

「往診は今日ですが。
「明日だと思ってましたが。」
「明日は、行けないので、今日に。」
「わかりました、施設に言っておきます。所で、診断書で、どこか悪いところがあったのでしょうか。」
「いいえ、検査の結果、どこも悪いところはなかったですが。」
「断られたんです。なんでも、骨粗鬆があって、転倒したら、骨折する危険性があるから、と書かれていたのが、原因とか。

「そんなことで、だめになるのは聞いたことがありません。お年寄りですから、骨折の危険性は誰でもありますから。骨粗鬆の薬は、事実、飲んでもらってますのでね。」

 高い往診料を払い、毎月、血液検査をしているのに、診断書を書いてもらう、となると、 健康保険がきかないから、1万5千円も支払って、許可してもらえないような、書き方 をされて、母は許可されなかった。
 「骨折の危険があるので、気をつけるように」
 「 お母さんに、活発に動いてもらえないし、高齢でもあるので、骨折しても、最後まで看てもらえる所が良いのではないか、との結論になりました。」



 母に会いに行くと、西日があたって、むせるような暑さの部屋で、母は寝ている。
「 クーラーをいれてもらえますか? 」
「皆、寒いというので、クーラーはだめです。おられる間、窓を開けます。」鍵で窓を開けてくれた。風が通ると、少しまし。
「よく、寝ておられる時が多いです。」

昨日は、母の好きなスイカと、山形のサクランボを持って行った。
むんむん暑い部屋の中で、母に食べてもらった。
 洗面もない。テレビも、冷蔵庫も置けない。机を置くスペースもない。
「ここで、寝るだけ。他に何もしていないのよ。」
「誰か来るでしょ。」
「誰も来ない。ひとりぽっち。いつもひとりぽっち。私は、2軒、持ってるでしょ。あそこに帰りたいのよ。もう帰ろうと思っているの。」

「でも、1人で寂しくないの?」
「1人はねえ。ここは気兼ねないから。気楽は気楽。可哀想な、気の毒なひとばかり。ちょっと、覗いて来ようか。何しているかしら。」

 プライバシーのない、全く環境の劣悪な場所でも、母は不幸ではない。私なら、と気をもみ、身を切られるように辛いけれど、「母の世界」を、理解出来てはいない。
   

Posted by アッチャン at 13:50Comments(0)日々の事

2010年06月15日

パリ祭

 

 


吉田さんから頂いた、お手紙の中で
夏、パリに来ますか?
 7月15日   吉田堅治
の後に
 Pasteur の岡からエッフェル塔を舞台にした花火を観て帰ったところです。
 演出が毎年の事ながら上手です。
 来年は観に来て下さい。
7月13日、14日、です

私は、パリに憧れ、パリ祭と聞けば、心が躍るのですが、まだ一度も、7月14日、カトーズ、ジュイエに、パリに居たことがありません。
花火の見えるパスツールの丘が、どこにあるのかしら、知りませんが、パスツールは、結核を発見した、科学者の名で、その名の研究所が、モンパルナスから近い、パスツールにあるのは、吉田さんとバスの中から、観て、説明してもらっていて、一度、この辺りをバスに乗っていたら、エッフェル塔が、真っ正面に見える、公園があて、途中で降りて、写真を写したことがあるのですが、その場所を言っておられたのでしょうか。
気管支ぜんそくで、ヒーヒー言っていたのに、身体が少し、元気になって来た証拠でしょうか。
7月14日、パスツールの丘から、エッフェル塔を舞台にした花火を観たい。
吉田さんは、きっと今年も、パリ祭を祝って、エッフェル塔の背後から打ち上げられる花火の祭典を観られるのでしょう。
奥様と一緒かな?そう、きっとそう。10年間ご一緒に暮らしたパリで、毎年、7月14日には、パスツールの丘から、花火を観ておられたのでしょう。

私は、今年も、パリ祭には、行けないだろう、と思いつつ、じゃ、いつになったら行くの?と自分に問いかけています。
 この手紙を、読み直して、吉田さんが、「夏に来ますか?」と私を待ってくださって、
「来年は観に来てください。」と待ってくださって、私は、行けなかったのではなくて、行かなかった。
 パリ祭は、益々遠くなるような気がする。  

Posted by アッチャン at 13:25Comments(0)日々の事

2010年06月14日

 選挙のあり方を改革しなければ


 

国会会期中に、郵政改革法案は廃案になり、公務員改革法案は、提出されないままだった。 どちらも、国民に取って、重要な法案だ。その背後に、大規模な選挙の組織票が存在している。
 暗雲垂れ込めていた、民主党への不支持増大も、管政権の誕生で、一気に回復している今、この勢いを借りて、選挙に突入する。
 亀井さんが、郵政法案を、この国会で成立させることが出来なかったのは、自分の責任だから、と大臣を辞任したが、郵政法案を、成立させる為に、民主党との連立を持続させた。
 亀井さんが、
「政策よりも、選挙を優先するようなら、議員として失格だ。」というのは正しいが、
国民新党のような、小さな集まりでは、どんなに良い政策を掲げたとしても、国会で通らない。与党の力を利用しないと、不可能なのだ。
 民主党は、国民新党の弱点を握っていたから、強気に出た。福島さんが、署名を拒否し、罷免になり、連立から離脱したのとは、わけが違っている。
 可哀想なのは、前原大臣の下で、改革に取りくんで頑張ってきた、辻元さん。彼女は、「政治は権力闘争であることを、小沢さんから、学んだ。菅さんは、権力志向の強い人で、総理になることが目的だった。鳩山さんと違って、リアリストだから、官僚を旨く使っていけるのでは?私はこれからは野党として、厳しい目で、チェックさせていただく側に戻るけれど、馬淵さんと、随分頑張ってきて、道筋をつけた段階で、去らなければならないのはとても辛い。」とコメントしている。

 力を持たなければ、政権を取れない。選挙は、「票」を集めなければ、勝てない。
票をまとめる団体は、利益団体だ。労組も、全国郵便団体も、創価学会の票も、医師会も、全て、利益団体で、「自分たちに有利な政策を」してもらえる政党を支持する組織票。

 選挙の公平さ、平等を計る為には、組織の解体から、改革しなければならない、と私は思っている。
 比例の議員をやめ、市民からの、個人票だけで選ばれた、議員を選出する。どの政党を支持するか、ではなく、どういう人を国会に、送るか、それが大切なのだから。
 比例区の定員は、削減される。選挙で選ばれなかった人が、議員に復活出来るなんて、許せるものではない。
 団体からのしめつけや、組織票を強制すれば、選挙妨害に相当する。これは選挙違反だ。票をお金で買わなくても、同じ事。
 選挙で、票が読める、ということ事態、間違っている。


選挙のあり方から、変えていかなければ、真の「民主政治の実現」は出来ないのでは。  

Posted by アッチャン at 12:45Comments(0)日々の事

2010年06月13日

日本の平和?


 

 今朝のサンデープロで、南アフリカが取り上げれていた。
 豊富な資源で、発展を続ける、南アフリカに、中国が、国家戦略として、人を送り出している。南アフリカに、中華街が出来、多数の中国人が進出し、人口は増えるばかりだ。 反面、日本は、民間レベルでの進出なので、6000人足らずしかいない、という。
 コメンテーターの羹さんは言う。
「日本人が内向きになっていて、外に出ようとしないのが問題だ。海外に出て行かないと、人の交流が出来ない。」

 私は別の角度から、海外に出て行かない若者達、日本人について思う。
日本も、昔は、海の向こうにある世界に憧れて、若者達が出て行った。
パリに何十年も暮らしている従姉妹の話によると、日本の社会から、はじき出された人達が、多くパリや、海外に出て生活をしている。
 被差別を受けた女性達の中で、、日本人通しの恋愛を体験し、お互いに愛し合っていても、周りの差別意識の為に、挫折し、外国人と結婚したり、フランスで暮らしを立てている女性は多い、と聞いた。
勿論、富裕な、恵まれた人達も、パリという華やかな世界に憧れて、生活している。
 パリとは言わず、昔は、日本から、貧困から、一攫千金、出世を夢見て、多くの日本人が海外に移住した。海外での生活は、生やさしいものではなく、人種差別は、甚だしいものであった。人の嫌がる仕事をして、歯を食いしばって、頑張って末に、市民権を得た。
 
そういうことを鑑みれば、日本は、今、なんと平和な国であろうか、充実した国ではないか、と思うのだ。

海外に出て行きたくない、ということを、向上心や、野心、気力のなさ、やるきのなさ、で捉えるべきではないように思う。
その逆なのだ。
 在日の人も、以前の存在した、被差別も、今、日本では、無くなっていることを示してる。平等意識が、浸透しているのだと思う。

今、問題になっている、格差社会、という言葉も、別の観点から見れば、自由に生き方を選択できる社会になっている、ということだ。価値観が多様化出来るようになっている。 豊かな生活をするために、年収200万は必要ない、という若者がいて、地球環境に関心のある若者がいて、スローライフを指向する、中高年の人達がいて、生きられないと自殺する人がいて、誰もが、日本からはじき出されない。いや、出て行きたくないほど充実している。不満感が、ない、ということなのでは?

仕事がなく、インターネットカフェで、暮らしている人もいる。公園で、寝起きし、公共の水道で顔を洗って、スーパーの残飯で食べつないで居る人もいる。
 母子が、生活保護を受けている人達もいる。中には、生活保護を悪用して、だまし取るNPO団体もいれば、もらったお金を、酒や博打、あげくのはてには、麻薬にまでも変身したり。

視点を変えれば、皆、それぞれが、自分の畑を持っている。はじき飛ばされない、城を持っている。居心地がそれほど悪いわけではない。むしろ、良いから、出て行こうとはしない。未来が暗いから、未来に希望がもてないから、内向き指向なのではなくて、居心地が良く、居場所が確保され、それでいて、平等な社会だから、海外に行きたくない、という選択が出来るのだろう。

 
  

Posted by アッチャン at 14:05Comments(0)日々の事

2010年06月12日

政治を科学するということ

 

鳩山総理が、小沢幹事長を道連れに退陣した。8ヶ月間の短命内閣であったが、時間は随分長く感じられた。それほど、多くの話題が、毎日、マスコミの手によって、報道されたということだろう。
 野党時代に、民主党は、自民を批判し、追求していれば良かったのだが、一夜にして、追求される側になれば、自民は、民主党へ反撃を開始した。
政治には、金がつきものであることを、一番よくわかっている、自民党は、そこに目を付け、トップの鳩山さんと小沢さんを「政治と金問題」で、潰しにかかった。検察とマスコミを抱き込んで。
 マスコミは、おもしろい記事になり、視聴率をあげることにやっきになっている。それが死活問題なのだから。
 鳩山総理は、政治を科学する、という理想をかかげ、実地実験で失敗し、座を降りることになった。政治を科学する、とは?
 様々な分子が、それぞれに力を発揮することで、衝突と競合を繰り返しながら、よりよい形に、統合されていく、という意図をいだいたのではないか、と私は思う。
 つまり、それぞれの役目を担われた、鳩山総理を支える閣僚達が、独自の力と経験を踏まえて、創造的な政治を模索し、努力し人間力学を活用して、それを統合して、最後にまとめるのは、鳩山総理の決断にしようと。
鳩山総理の政治運営は、今の所、失敗に終わっているので、管政権に取って代わった。
 小沢さんは、こうなるであろうことを、百も承知だったのではないか。

 今の民主党議員の技量では、とても官僚に立ち向かえないと以前から、断言していた。
政策に口を出さない、という方針で、小沢さんは静観していたが、思いあまって、時々、助っ人を出す程度だった。
 
 鳩山総理は、グアム移転を理想としていながら、その意志をくんで、アメリカと交渉すべき、外務大臣の岡田さん、、防衛大臣、北沢さんは、すでに、最初の段階から、外交官僚の意向に飲み込まれ、他への移設は難しい、というコメントを出していた。

 出来たかもしれない、県外移転だった。先送りすることで、結論を出さなければ、いずれ、独りでに解決が見つけられたであろう。それが政治を科学するやり方だ。

 小沢さんの著書の中で、政治家主導というのは、政治家が、官僚以上に勉強して、知識を蓄え、官僚を働かせて、使いこなせければならない、と言っている。

 今回、一躍、名を知られるようになった、樽床さんは、
「野党時代は、いくら要求しても出てこなかった資料が、与党になると、すぐに出てくる。情報がこれほど、安易に、早く出てくるとは、まったく驚いた。」と言っている。

 小沢さんは、自民党政権で、次期総理と言われるまで、登り付けていた人だから、、そういうことは百も承知していたこと。与党になれば、政治を変えられる。しかし、官僚の壁は厚い。そこをどう乗り越えられるかで、真の民主政治を実現できるか、否かが決まる。

8ヶ月という短い期間ではあったが、鳩山政権の挫折は、政治と金、の問題もあるが、
 周りの大臣達が、官僚の意のままに使われている、という情けなさにあると思う。
 出来たかもしれない、国外移設、県外移設であった。これからでも遅くはない。沖縄の人々の、長く苦しい道のりを思えば、8ヶ月は、あまりにも短かすぎる。

 小沢さんが、先頭に立っていたならば、この問題で、アメリカに譲歩せずに、第三の道を提案出来たのではないだろうか。

  小沢さんを排除し、幹事長をやめたことで、民主党の支持は、V字型回復している。選挙で、勝つこと、小沢さんの頭には、今の所、それしかない。

 菅さんだけの無投票当選ではなく、樽床さんを立てたことは、実に効果的であった。
民主党には、テレビなどで顔を売っていない人の中に、明日を担うしっかりした議員がいることを、私たちは、知ることが出来た。

 この8ヶ月間で、民主党が唯一国民から、点数を稼いだのは、事業仕分け、だった。この事業仕分は、国民の目に、天下りや無駄な税金の使われ方を、明るみに出すということで、
 評価は出来るものの、民主党議員が、今までの経験を生かした、野党的な攻撃のパフォーマンスに終わり、結果が出ていないことも確か。削られべき所が削られなくて、サービスの低下を招いているという実態が指摘されている。法律を変えなければ、拘束力がない。これでは、暴露しただけ。政治を行ったことにはならない。

鳩山総理の、「思い」と現実の「壁」と同じだ。

選挙後、今度の閣僚達が、管総理のリーダーシップの元に、人間力学をどのように、有効に、現実のものとして発揮出来るのだろうか。
 官僚を旨く使いこなすことが出来なければ、小沢さんが、自ら先頭に立たねばならなくなるだろう。それが出来れば、小沢さんの今までの苦労は、報われる。そのためには、脱小沢、政治家小沢を超える存在としての、有能な政治家が育っていなければならない

 政治は権力闘争だ。既得権力を固持しようとする権力から、民主権力を奪還するための、権力闘争である。沖縄の民意が通らなかった、ということは、民主権力の敗北を意味している。
 政治は、利権闘争だ。官僚の利益から、国民の利益への闘争だ。突き詰めて言うと、お金の奪い合いなのだ。きれい事ではすまされない。
 
  

Posted by アッチャン at 17:06Comments(0)コラム

2010年06月11日

吉田堅治さんのNHKでの放映は、8月9日の夜10時です。

 


 昨夜、吉田さんのご家族から電話がありました。吉田堅治の生涯と絵画を紹介する、ドキュメンタリー作品の放映日が決まったので、そのお知らせです。
 8月9日、夜10時から、45分間、放映されます。
 このブログを見てくださっている方々に、お願いします。
どうか、是非、このテレビ放映を、観ていただくことを、この場をお借りしてお願いさせていただきたいと思います。



 吉田さんは、45年間、パリに在住して、絵を描くことで、命の大切さ、平和の美しさを描いて来られました。
 海外では、高い評価を得ているものの、日本では、ほとんど無名に近い画家でした。

 今回、NHKで放映されることで、吉田さんに、会ったことのない日本の人々が、吉田堅治と知り合われることになります。

 昨夜、吉田さんから、送られてきていた、文章を開いて読んでいました。



 吉田さんへの質問に、吉田さんが、答えられた文章の、コピーです。先日、吉田さんの映画が上映され、その中で、インタビューに答えておられる、吉田さんの言葉と同じ文面のものもありました。

 吉田さんを訪ねる度に、幾度となく聞いた言葉があります。吉田さんが、生涯、絵筆を持って、絵画を描くことに、力の限りを尽くされたのか、その原点になる言葉です。

 師範学校に通っていた吉田さんの恩師である、古城戸先生は、平和主義者でした。血気盛んな少年であった、吉田さんは、恩師の止めるのも聞かずに、海軍に志願しました。

 「吉田、行くな。行ってはならない。銃を持つ代わりに、絵を描きなさい。」

 吉田さんの前で、先輩達が、特攻隊として、命を落として死んで行きました。吉田さんも、命はなかったも同然。神様から、助けられた「命」でした。

「 恩師の恩師、古城戸優先生は、「第二次世界大戦中、銃を手にすることを拒否し、妻と2人の子供を残して宣撫班員となり、ベトナム市民の中に入って死亡」と、吉田さんは書かれています。

 吉田さんは、恩師の言葉を胸に、助けられた命を、絵筆を持ち、「命の大切さ」「平和であることほど、この世の中で、美しいものはない」と訴えることをテーマとして、絵画を世に送り出されてきたのです。




 ある、アメリカの裕福な画廊主は、吉田さんの絵画を評して
「なんて美しい絵なのだろう。」と感嘆します。それこそが、吉田さんの「平和」の表現なのでしょう。

 
 終戦を記念して、海軍特攻隊の生き残りの人達を取り上げての取材が、テレビ取材の始まりだったそうですが、吉田さんの、絵画の素晴らしさに魅せられ、人間性に、深く心を揺り動かされた、ディレクターが、「吉田堅治という孤高の画家と仕事」をこれからも、取材し、放映していかれるとのことです。



 「50年先、100年先に、自分の絵を通して、平和を語り合う人達が出てくることを願っている。自分の絵は、きっと未来で評価されると信じている。なぜなら、命の大切さと、平和の願う心は、人間を創造した
神様の心であり、それを理解できるのは、平和を願う人間だから。」  

Posted by アッチャン at 11:48Comments(0)art

2010年06月10日

小沢さんのもくろみ

 

 昨夜、堺屋太一が、BSのフジテレビに出ていた。
景気を良くする為には、公務員を、身分から職業に変えることから始めなければならないと言った。一緒に、出演していた、みんなの党、幹事長で、元通産省の官僚だった江田さんが、民主党が労働組合に支援を受けている限り、公務員改革は出来ない、それは人の道に反することだからと。
 公務員を職業に変えれば、仕事の出来る人は抜擢され、出来ない人間は、切られることになる。50歳くらいの高級取りになれば、給料ダウンに。給料の2割削減を、口では言っていても、民主党にはやれっこない、というわけだ。それが出来る人間は、選挙で票をもらって、政策で寝返る、非人情で冷血な人間だけだ、と。官房長官は、まさに、労組の中枢にいる人間だから、よけいに出来るはずはない。
 その話から、思うことは、小沢さんが、2人候補に立てている、立候補者の1人は、公募で選ばれたり、しがらみのない若い人達が多い。選挙は、辻立ちと、国民の声を聞くこと、どぶ板選挙につきる。小沢さんは、民主党議員に週末には、地元に帰り、辻立ちをするように指導している。
 小沢さんの頭の中には、現職の議員でも、組織やしがらみのついた議員は、切り捨てて、無党派層に選ばれた議員を、増やして行くべきだという考えがあるのではないか、と思う。 今はまだ、その過渡期で、まずは、民主党が勝たねばならない。その為に、労組を必要としているけれど、衆議院の圧勝から、自民党についていた、経団連、医師会など、自民党の支持母体にゆさぶりをかけて、民主党支持を取り付けている。
 今回、問題となっている、静岡選挙区に立候補している、若い女性に、県連からの応援はないが、小沢さんの私設秘書を送り込んで、応援している。
 2人が立って、2人当選すれば良し、どちらかが落ちるとしたら、新しい人を当選させたい、と小沢さんは思っているに違いない。
 現在も、衆院選を戦って、勝ち抜いた若い議員達と、参議院選で、当選する新人議員を教育し、民主政治を実現していく以外に、開かれた道はない、と思っているだろう。
 代表戦で、対抗馬として、出てきた、樽床さんを見ると、いかにも小沢さんが好感を持つタイプだ。
 苦労人で、毎週、土日は地元に帰り、国民の声を聞き、人情みのあふれた人柄がにじみ出ている、体育会系の議員だ。
 小沢さんは、直感で、勝てる人がわかる、政治に向いているかどうかがわかる、と言っている。人から好かれる人、人の為に汗を流すのが好きな人、苦労した人、活気のある人だ。
 原口大臣、細野さん、小沢さんが好きな、議員には、共通した、誠実さと暖かさ、頭の良さがある。
 方や、小沢さんと距離を置く、議員達は、弁が立つインテリタイプで、包容力に欠け、暗い感じがする。まじめでこつこつ融通の利かないタイプで、一方的な考えにとらわれやすそう。攻撃的な野党議員ならしも、与党になって、懐の深さ、強かさ、駆け引きの狡さに加えて、相手を凌ぐ、賢さが必要だ。

 そういう人材を、育て、真の民主政治を、しがらみのない形で実現しようと考えているのが、一箇所に、2人の候補を立てた小沢さんのもくろみではないだろうか。

 今は、選挙に勝つこと、次の9月の代表選には、小沢さんが、先頭にたって、民主政治の実現に向けて、頑張るつもりでいる。そのときには、小沢さんが、これと思った議員達 と、新しい体制が出来るのではないか、と期待している。  

Posted by アッチャン at 17:33Comments(0)日々の事

2010年06月09日

 写真アート

 

 美術館に展示されている作品は、人が鑑賞するためのものであることは言うまでもないが、写真に、飛び込んで来る、鑑賞者の姿をのけようとしていたら、美術作品と、人間との、共同作品を、撮ってみたくなった。
 意図的に、美術作品と、そこに参加している人間との、ベストショットを探して見た。おもしろい作品になっていると、私が自己満足している、写真をピックアップしてみた。 












赤と黒







白と黒のオブジェ






  

Posted by アッチャン at 11:15Comments(0)ニューヨークにて

2010年06月02日

フリック、コレクション


 


日曜日の朝から、息子達は、ボストンの友人宅に、車で出かけて行った。
土曜日、休んでステーキを食べたので、少し元気になった。地下鉄で、フリック、コレクションを見に行った。11時から1時までは、好きな料金で入場出来る。
地下鉄は、なかなか動かず、動き出しても、途中で、のろのろ運転になり、すぐに停車する。
いつもは、25分で行けるのに、1時間半もかかった。オバマ大統領が打ち出した、公共事業の拡大で、地下鉄も工事中。休日と、平日も夜の間、工事が続いている。
地下鉄の中はクーラーが効いているので、寒いくらい。上着を持って行く方が良い。



 フリックコレクションのチケット売り場に並んでいると、この美術館の質の高さ、建物の気品の良さか、自由に決められる料金でも、それなりに払っている。他の場所では、殆ど、1ドルの人ばかりなのだけど、私の前の人は、二人で20ドル払っていた。
フリック、コレクションは、全館撮影禁止。作品は、どれも素晴らしい。イヤーガイドを貸してもらえる。
 個人のコレクションなのに、優れた作品ばかり。フェルメールの絵画が、3点もある。
エル、グレコの絵画をアメリカで最初に購入したのも、フリックだとか氏。



レンブラントの自画像の中で、最高傑作と歌われる絵画が展示されている。
ターナー、ルノワール、ホルベインが描いた、トーマス、モアと、トーマス、アダムスの肖像画、調度品や、銀細工もの、すべて、どれも見事で、貴重なものばかり。

 中庭を挟んで、実際に5年間住んでいた館が、そのまま美術館として使われている。  

Posted by アッチャン at 18:01Comments(0)ニューヨークにて

2010年06月02日

ステーキハウス「WOLFGANG’S]


 


元気を自慢していたのに、期待していた知らせが、だめだと決定したとたんに、気落ちして、体調も落ちてしまった。
 一睡も出来ずに、夜を明かして、咳が出だした。全身がだるく、疲れがどっときた感じ。日本に帰れば、することは一杯あったはずなのに、それがへしゃげて、身体もへしゃげた。 夜は、レストランに予約を入れてくれている。
薬を飲むと、やっと眠たくなり、夕方の4時まで寝てしまった。
 毎日、3,4時間の睡眠で、なんともなかったのに、気持ちが入らなくなると、がたがた崩れる。
 夕食は、ステーキだ。 
マンハッタンにある、WOLFGANG’S という、レストランで、小泉元総理も、ロバート、デ、ニーロも訪れた、名店だそうだ。





マンハッタンの南の端の方にある。
ブルックリンにある、「ピーター、ルーカース」は、フランクな店だけど、ここは、高級店というイメージ。来客は、正装している人が多く、いかにもハイレベルな人達のよう。 ステーキの値段は、ピーター、と変わらず、2人前で80ドル。この店二来ると、必ず注文すべし、と書いてあったという、ベーコンも注文した。
 野菜は、オニオンとトマトをスライスしたものと、ほうれん草のペースト。
ワインリストを見ると、最低で48ドル、上はきりがない。メルローが良いというので、55ドルのメルローに。
美味しそうなパンが山盛りになって出て来た。
 タマネギとトマトのスライス、とベーコンが来た。



一枚が分厚くて、とても美味しいけれど、これでお肉は満足という感じ。
よせばよいのに、息子は二枚も注文したものだから、食傷気味のようだ。
 私達は、半分でよかった。味は最高だけど、ベーコンの厚切りは、ステーキを食べているの同様。
 メインのステーキが運ばれると、給仕は、パンを持っていってしまった。ピーターの倍くらいの大きなステーキ。ティーボーン。
ベーコンにするか、ステーキのするか、どちらかにした方がよい。ステーキは、勿論美味しかったけど、美味しさが、ベーコンで半減。それに量が多いので、食べきれずに、残してしまった。パンも食べずみに、肉だけでお腹が一杯の状態。


赤ワインが、肉食を大いに助けてくれた。
もうしばらくは、食べたくないかな、と思ったが、そうではなかった。あんがいあっさりしていた。翌朝、また食べたくなって、ハムを代わりに。
日本のお肉だったら、あれだけ食べて、翌日も、肉なんて考えられない。アメリカのステーキは、あっさりしている。だから、あれだけ、沢山のお肉を消費出来るのだろう。
ベーコンの味は、忘れられない。外せない、という、感想は、正しい。
ああ、また食べたい。絶妙の味。



  

Posted by アッチャン at 05:20Comments(0)ニューヨークにて

2010年06月02日

MOMA,草間弥生と、ルイ、ブルジョワ



 ルイ、ブルジョワの作品


 MOMAで、女性のアーティストを特集に取り上げている。
 ルイ、ブルジョワと、日本の草間弥生の作品も、別の階で。
 MOMAの常設に、草間弥生、という人の小さな作品を見ていたので、名前は知っていたけれど、今回は、沢山の作品を見る事が出来た。


 草間弥生は、16年間ニューヨークで活動し、その後日本で、前衛彫刻、絵画、映画、デザインなど多面に渡って作品を制作している。水玉の可愛いデザインの携帯など、若い女性に草間弥生のフアンが多いのだそうだ。
 
 ルイ、ブルジョワは、パリに市庁舎で名前だけ。その後、グッゲンハイムで特別展をやっていた。ルイ、ブルジョワ、という名前を、パリ市庁舎の垂れ幕で見たときには、「市民、ルイ」という人で、民主化運動の啓蒙家何おかな、と思ったが、彫刻家だった。くさまやよい、も、同じように、絵画と共に、彫刻家でもある。



 二人は、共に、1920年代に生まれ、ニューヨークで、前衛彫刻家として、脚光を浴びた芸術家。

草間弥生


 
 メトロポリタンと連動して、ピカソ展と、女性に光をあてた展覧会が、MOMAでも。
メトロポリタンでは、「アメリカの女性」の服装で、その時代と意識との関わり合いを考察する展覧会を開催中。




  

Posted by アッチャン at 03:37Comments(0)ニューヨークにて