2013年05月31日
月末は忙しい

月末は、映画のチケットを使うのに忙しい。
もっと早い目にいけばよいのに、いつもぎりぎりになってから。
グルーポンで買っていたクーポンで、昼過ぎに、美容院を予約していた。
夙川というだけで買っていたら、母のいるグランダ夙川のすぐ近くにある店
だった。
カット、パーマ、トリートメントを含んで、グルーポンで格安の料金が出ている。
ちょっと気が引けるけど、3200円という安さ。
夙川なので、通常の価額は、19000円のメニュー。
パーマ前なのに、丁寧なシャンプー。おかげで、パーマ液が染みて、皮膚がひりひりする。
お客さんは、年配の人ばかり。80歳はゆうに超えていそうな、おばあさん。
東京に行くのよ、と店員に言うのが横で聞こえた。
毛染めの合間に、マニキュアの手入れをしてもらていなさる。
片側の奥様は、写真館でのお写真の相談をしながら、こちらも毛染め中。足もとに、
細いヒールがケープの下から見える。
高級な店だから、年齢層が高いのもうなずける。
この調子なら、西宮ガーデンズで、見ようと思っている映画に間に合わないかな、と
思っていたが、終わったのは3時だった。
次回は50パーセントになるチケットをもらった。ラリーだとかで、1回目は50パーセント、二回目は30パーセント、3回目は10パーセント引きで、3回使ったら、プレゼントがあるそうだ。
グルーポンは、店の宣伝をかねて、顧客を増やすのに、店が提供するクーポンだ。
パーマ液がきつくて、匂いがきついのが気になったし、パーマがかかりすぎた。
そのうちに伸びるから気にしない。
見たい映画は「愛さえあれば」という題の映画だった。
映画の感想はまた別に。
2作目に、「藁のたて」を8時半まで見て、それから、「中学生丸山」。映画が終わったのは11時前。
お尻痛くて、眼が疲れて、へとへとになって、車を運転しながら帰って来た。
月末はいつも大体こんな調子なのだ。
まだ、もう一枚チケットが残っている。
6月にポルトガルに行く予定をしていて、その準備もまだ何もしていない。
いったいどうなることやら。毎日の予定が詰まっている。
なんでこんなに忙しいの?
2013年05月29日
神戸松竹で歌舞伎映画「文七元結」

先週の土曜から、松竹系の映画館で、歌舞伎映画が上映中です。
5月は、勘三郎主演の「人情噺、文七元結」です。
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/06/
最近、歌舞伎に興味を持つようになった友人と、映画館の前で
待ち合わせました。
朝一番は私の苦手なところですので、前夜は早い目に寝ようと
思っていたのに、寝たのは1時半いつもと同じようなもので、
もとに置いている本を読み始めたら、すぐに眠たくなって。
今、バルチュスの,自身を語る、という本を読み始めた所。
バルチュスの話は又にしましょう。
チケットが買えないといけないからと、劇場の前に9時半までに
行きましたら、友人はすでに来ていました。
10時前に、と約束していたのですが。
入場料2000円なので、火曜日と言っても、割引ないから空いている
だろうとは思っていたのですが、私の後ろに、随分人が並んで、
チケットまだあるかしら、と不安そうな声も聞こえてきます。
前売りを買っている人が多いようで、私は、株主用の無料カードを持っている
ので、行きたいという人がいると、一緒に行けば無料なのです。
早く来て良かった、正解でした。
劇場は、満席状態で、私が選んだ席は、真ん中見やすい場所。
隣に来ていたおばあさんに「歌舞伎お好きですか?」と声をかけたら
「60年以上歌舞伎見ていますから、私が解説しますよ。」よいわれて
話していたら、予告編の「刺青」が始まっていて、後ろから「煩い」と
怒鳴られて、熱が冷めてシュン。
本編が始まるや否や、お芝居に引き込まれ、会場は大笑いの渦と化し、
やがて、顔は涙でくしゃくしゃになり、あっという間に終わってしまった。
ああ、悔しい。勘三郎がいないなって、惜しいよ。悲しすぎる。
元気一杯の勘三郎の、人を笑わすことにかけては、他に類を見ない歌舞伎役者。
江戸っ子ならではの、歯切れの良さと間の旨さ。
女房役の扇雀さん、隣のおばあさんが「こんなに上手だとは、今まで思ったことなかった。」
と言うので、「コクーン歌舞伎や中村平成座で、勘三郎さんと一緒にやるようになって、随分飛躍されました。」と説明しました。
実に、楽しい歌舞伎映画ですので、歌舞伎に興味のない方も、歌舞伎の台詞がわからないかたも、誰でも、「歌舞伎って面白い。」体験を映画館でできますから。
山田洋二監督ですから。勘三郎の義理のお父さんの芝翫さんの名演技もご堪能あれ。
1時間半もないので、もっと見たいと名残惜しさはつきねども。

劇場のそばにあるレストランは、昼時にはいつも満員だそうで、
11時半だけど、もう中席は埋まっていて、外にテラス席はまだ空いていました。

欲張りの私は、いろいろランチという、オードブル形式のランチを注文しました。
私だけ、白ワインも注文するはめになったのですが、隣の席の人達がビールを飲んでいるので、この店にも、ランチビールがあるのかな、と思って、ウィエイターに、「ランチワインわりますか?」なんて聞いてしまって、リスト見せてもらったら、普通のワイン。
一番安い500円のを一杯注文。
ワインついて2000円のランチなので、たしたことないけど、
なんでこの店がこんなに人気あるのかしら。
お喋りするには、ガーデンにお花があって、女好みのお店ですが。
さんざんのお喋りの後、今度は、センター街のモロゾフに。

モロゾフでは、ケーキ3品のコーヒーのセットで1150円の特別料金がありましたが、
食べ過ぎるからやめて、コーヒーとケーキの単品だと1100円だから、前者に比べると割高なので、友人の注文にまねて、プリン525円だけに。
この注文の仕方、ばっちり正解でした。
主婦って、賢いです。
アイスクリームと果物もついて、大きなプリン。ケーキならコーヒーが欲しくなるけど、
プリンやアイスクリームというのは、水の方が合うようです。
連日の寝不足と、太った分、コナミで歩く時間を増やしていて、相当の疲れがたまっているので、甘いものが欲しかったのです。
2013年05月28日
映画《舟を編む」

映画「舟を編む」を観に行きました。
http://fune-amu.com/ 舟を編む。
見たいと思いつつ、まだ映画館でやっているだろうと
ぐずぐずしていたら、見て来た友人が、「良かった。」と
いうのを聞くと、急に行きたくなって。
生涯をかけて辞書作りに携わる人達を描いた映画で、
所々に、ユーモラスな場面がちりばめられて、
地味で固いテーマに、エンターテイメント性を入れて
バランスの良い映画に仕上がっています。
言葉は、日々、変化し、増殖していきます。
今充、という言葉が、若い人達の間で使われていますが、
今充実して生きている人達の事を言うのですが、先日
母を囲んで集まった時に、弟が、妹夫婦は今充やな、と言って
その言葉が話題になったのですが、新語や造語が、どんどん作られている。
この映画の中で、新しい辞書「大渡海」を18年かけて、完成させるのですが、
現代人の為に、今までにない画期的な辞書なので、「用例採集」に、若い人達の会話を
聞きながら、初めて耳にする言葉を書き留めて、カードを作ります。
私達の回りに、どんどん言葉の海が広がっているのですね。
気の遠くなるような、根気のいる作業を見ていると、見ているだけの私の身体がこちこちになって、眼はかすんで、頭が朦朧としてくる感じ。
とてもとても、あんなこと、私には出来ない。
これからは、もっと辞書を活用しなきゃ、申し訳ない、と思った。
電子書籍が簡単に読めると、重宝される世の中になっても、本でなくちゃ、と
いう人に支えられて、本屋に本が並んでいるのですが、本をめくる感触がなんとも
いえないのでしょう。
辞書に使う紙を持ってきた業者に、「辞書のぬめり感がない。」とクレームをつける所があるのです。ページをめくる手と紙との感触が、たまらないのでしょうね。
学生の頃、辞書を引くのが嫌いで、面倒くさいほうでしたから、辞書を使いこなして、
年代物のようになった辞書を持っている人を尊敬の目で見ていたことを思い出したり。
私の辞書は、買っとく、おいとくで、どれも真新の辞書。
フランス語の中辞典だけは、結構使った形跡ありですが、他の辞書はまったく、可愛そうなものです。
電子辞書を買いたいと、なんども思っていたけれど、本があるのに、買えずに、ぐずぐず。
この映画を見て、辞書を見直さないとね、と思うのですが、眼の方が辛くなってしまって。
バス停で、息子の小学生時代に同学年だった、近所の息子さんを時々みかけるのですが、
先日、バス停でバスを待ちながら、その人は、首からさげた虫眼鏡で、携帯の字を読んでいました。目が相当悪そうです。没頭して、周りのことは全く眼中にないかのように、世界に入り込んでいるようでした。
2013年05月25日
フィンランド、デザイン展と、鰻の名店「志津可」

少し、体重が減ったかな、と久しぶりに、体重計に乗る気になって、
びっくりの、2キロ肥えでした。
水中で歩いているだけでは、痩せるのは期待できない、と思うのですが、
原因は、運動ではなくて、遅い時間の食べ過ぎです。
がっくりきて、朝のパンを抜き、バナナとヨーグルトと豆乳と青汁のとの
ミックスジュースだけにして、この二日間、外食の調整をしているのですが、
全くそれくらいではだめ。
東洋陶器美術館に行くのに、市庁の中で友人と待ち合わせしていたので、
歩いて、30分お腹を空かせて。
市庁舎の前では、集会をやっていて、警官も出ていました。橋本さんへの抗議デモ
のようです。
お腹は空いていたけれど、先に、東洋陶磁美術館に入りました。
フィンランド・デザインの特別展を開催中。

この美術館は、東洋陶磁器では、相当すごいものを展示しているので、時々
観に行くのです。いつ行っても、空いているのも魅力です。
フィンランドガラスは、シンプルでデザイン性の優れ、見るにも、肩が凝らなくて、
楽しめました。
あんなん、百均でも見るよ、とか、こんなの、あげる言われても、困るわ、とか
友人とぐちゃぐちゃ、冗談を言ったり、綺麗ね、と感心して、見入ってしまったり。

好き勝手に観て、ちゃっかり、無料入場なのですから、ありがたいものです。
中之島から、西天満のあたりの、美味しい店を歩いてたら、見つかるわね、と
美術館を出て、橋を渡ろうとしたら、うなぎの店の看板が目に入りました。
あの店、有名な店よ。と言うので、うなぎは、高いね。値段観るだけ見る?
なんて、言いながら、店の前のお品書きを見て、びっくり。
京都の梅ノ井などでは考えられない。

鰻一匹もついた、うな重の上が2000円と書いている。
ミニでも良いね、と中に入りましたよ。
二階は座敷で、この「志津可」という店は、昔から知られた、江戸鰻の老舗なの
だそうです。

上は一匹つきで、中は半分で、1700円、ミニは三分の一ついて、1500円。
お店の人は、上の2000円が、お勧めです、と言われたのですが、食べたいけれど、
肥えているので、鰻のカロリーを考えると、と私は。友人は、後で、ケーキを食べたいというので、思案に思案したあげくに、ミニと、ミニと鰻のサラダがついている、レディース、2000円、というのを注文しました。
お茶碗一杯くらいのうな丼は、ペロリで終わり。
お茶ばかり飲んでいると、お腹が膨れた気分になったね、と。
鰻、こんなに安いわけは、国産じゃないね、と思っていたら、
とんでもない、れっきとした国産の上質のものを扱っている。
そこが、名店の泣き所です。うなぎのぼりに、高くなったうなぎ
ですが、変なもの出せないし、大阪ですから、京都のように、
観光価格はとんでもない。大阪は、旨くて、安くないと
客は納得しませんから。
良いとこ見つけたね、とホクホクで出てきて、次の機会に、良さそうな
店を探しながら、梅田まで歩いたので、これで、少しは運動になっているかも。
太ったので、膝が痛いのも、納得。

友人の食べ方を聞いていると、涙ぐましい努力をしているようで、8時を過ぎたら、
絶対に食べないそうで、11時までは起きているとのこと。
私は9時に帰って、お酒入ると、いくらでも食べてしまうので、運動から帰った疲れで、
すぐに寝転がって、テレビ見て、うとうと。
そんな、食べ方してたら、肥えるわ。
コーヒーのお替りできる、ハーベストにまで歩くつもりだったけど、西村屋のケーキも美味しいので、曾根崎止まりで、西村屋に。

ケーキはどれも美味しいのですが、すぐに売り切れるという、パイの中に、ジャムのようものが詰まったものを注文したら、友人はいたくこれが気にいったよう。 パフェも食べると言っていた、甘いもの好き。
私の半分も食べてもらったら、パフェへの欲望が抑えられたよう。
私は、甘いもの、ちょっとだけ食べたいほうで、喜んで引き受けてくれるとすごくありがたいのです。
一人では、喫茶店に入ると、コーヒーしか取らないけれど、誰かと一緒だと、ケーキを半分づつにしたり、甘いもの好きな人なら、余分に食べてもらえたりで、コーヒーが美味しいのです。
女友達とは、話がいくらでもあって、喫茶店の利用価値は120パーセント。
帰りに、コナミで1時間も歩いて、体重計に乗ったら、また超えていました。
今日は随分、食べるの控えたのに。
2013年05月23日
本日、株価が暴落

本日の株価は、暴落している。
いつか、こんな日が来ると、懸念していたけれど、
すさまじい下げだ。今日のお昼に、銀行から電話があって、
これからは、経済が良くなると言うので、私はそうは思わない
と話していたところ。
毎日、上げている株価はもうバブルだ。
外国はいつ売るかの、タイミングを狙っている。
今、マネーゲームのように、毎日、銘柄を選んで、株価を上げている
のは、国内の投資家であって、外国人は仕込んだ株を、どこで売るか、
観ている、と今日のお昼に、銀行員に話したばかり。
午後になって、株価は急落している。これは外国人の売りが出た
から。
あれよあれよ、という間に、1000円も下げた。株価の値段は、ずるずると下がって行く。
こういう時は、欲を出さずに、素直に売るのが賢明だ。
実態経済が伴わない。給料は上がらないし、輸出は伸びていないのが実態だ。
前にも言ったと思うが、日本は、最早、一億総中流ではなくて、格差を埋めるよう政策
を勧める、野党は存在感を無くしている。、自民党の一人勝ち状態で、国民の支持が厚い。
金融経済の行き過ぎを、反省したはずの日本が、また小泉元首相が推し進めていた、
方向に逆戻りしている。
小泉改革で、景気がめざましく回復していたことを強調し、失われた10年を、取り戻すべく、自民党は、民主党から、政策を転換したわけだが、結局、笑うのは、外資ではないか、という懸念がある。
日本が、以前よりも、更に、傷を受けて、立ち上がれなくなるのではないか、と懸念するのは、私だけだろうか。
銀行や郵便局に預けている、なけなしの預金が、そんな金融ゲームに使われ、目減りしていかねば良いが、と願うばかり。
日本の借金は、国民の貯蓄からのもの。膨らむ一方の借金を、背負っているのは、国民の預金だ、ということを、もっと真剣に考えるべき。
日本は、ギリシャのようにはならない、と言うが、そんなに楽観視していて良いものか。
今日も、ごっそりと、外国が、利益をむさぼっているというのに。
おそらく、日本は、高値買いをして、売れないでいるのではないだろうか。
2013年05月22日
秘密は歌う

兵庫県立芸術センターは、コナミの隣にあるので、そこから楽しそうに帰って来る人達をしり目に、コナミに行くのですが、駅を出ると、看板に、演劇の案内が最近よくみかけるようになって、観たいと思うものが、時々あるのですが、「秘密は踊る」という案内に、
好評をはくした、舞台、という宣伝文句。
コナミのついでに、前売りチケットを買いに行くと、チケット売り場は閉まっていて、
当日になって、開演の2時間前に、電話をすると、予約できるというので。
「チケットは、1時半までに取りにこれますか?」と言われ、行けない、というと、2時まで置いておきます、とのこと。それを過ぎると売ります、という実にのんびり、親切な対応。
私が行けたのは、ぎりぎりの5分前でした。
席は結構空いていて、私の横2つの端席は空いた状態。
この劇場は、友人に誘われて観た、渡辺えりこの一人芝居以来。
昔は、労演に入って、毎月のように、新劇を観ていたのですが、その頃は、大阪の産経ホールや、厚生年金会館、神戸の大倉山にある、文化ホールまで足を運んでいた、熱心さでした。
演劇の道に進みたかった頃の、エモーショナルな高ぶりが、また戻って来たような感覚。
俳優座の15期生の、三田和代と、村井国夫の、いぶし銀の演技が光りました。
ノエル、カワード作の、3部作の一つだそうで、劇作家の最後の作品だとか。

以下、ちらし引用。
舞台はスイスの高級ホテルのスイート・ルーム。
高名な英国人作家ヒューゴ・ラティマー(村井国夫)はドイツ人の妻ヒルダ(三田和代)と長期滞在している。彼はその夜、若い頃の恋人で女優のカルロッタ(保坂知寿)と久しぶりに会うことになっている。
長年、音信不通だったカルロッタが会いたいと連絡してきた目的は何なのか。
ヒルダは外出し、ヒューゴはカルロッタと食事をしつつ、訪問の目的を探る。カルロッタは、自叙伝にヒューゴからのラブレターを載せる許可がほしいときりだすが、ヒューゴは拒絶。いったんはあきらめたカルロッタは、かつてヒューゴがある人宛てに書いたラブレターを持っていると打ち明ける。
文学界の重鎮になろうとしているヒューゴにとって、それはなんとしても隠しておきたい秘密だった・・・。
カルロッタ役の保坂知寿が、二人と比べて、口跡があまり良くなくて、早口なので、私は聞き取りにくい個所があって、こういうことは、演劇で鍛えた人でない舞台で、よくあることなのです。
ユーモアのある毒舌の台詞から、バーナード、ショウ、の作品かと思ったのでうが、中で、文学界の重鎮になっている、文学者のヒューゴの口から、バーナードの名前が出て来るので、違うのはわかったのです。
カルロッタは、年齢に逆らって、年齢を受け入れることを拒む女優で、彼女は、秘密の手紙を持参して、彼がゲイであること、冷血非道な人間であることを、彼に自覚させたい、とか、ゲイの隠れ蓑の自分は使われたのだ。ヒューゴの、鼻もちならない、紳士ぶりを、自分から認めさせたいのだ、とか、のらりくらりと迫るのですが、ヒューゴは、彼女に、一言も詫びる気配はありません。
食事を終えて、帰って来た妻は、お酒に酔っています。
妻は、全てを知りつくしていて、夫の秘密を、貸金庫に保管していることを打ち明けます。同病相哀れむカルロットに、彼女は言います。
「あなたが来られた本当の目的は、あなたの自尊心でしょう。私達は、感情的な人間です。」
「人間の本能と、法の間で、苦しみ抜いた、ヒューゴは、人間を個人として見ないで、人間として、社会の存在として、判断するのです」という、ドイツ人の、献身的に彼を支ええる妻が言います。
ドイツで愛した恋人が、同じドイツ人に依って、殺されました。私は秘書で働いていた時に、ヒューゴから結婚を申し込まれた。ありがたいことだと受けました。」
感情に支配される人間の、苦しみを知り尽くしたうえで、、人間として、自分をも、客観視し、きつい冗談を言い合って暮らす、夫婦。
そういう夫婦の関係を完璧に守りつつ、彼の冷血、孤独で人を寄せ付けようとしないかたくなさを、受けいれてきた、妻が、感情をこめて言う。
「年を取って、私を頼るようになりました。この人には、私しかいないのです。」
カルロッタは、手紙を置いて出ていく。
その手紙を読み、涙を流す、ヒューゴ。
とてもとても、深いお芝居でした。
2013年05月21日
音楽劇「ザ、オダサク」

松竹座で、「ザ、オダサク」という音楽劇を観に行ってきました。
若い人達がメインの舞台で、期待していなかったけれど、終わってみれば
感激して、楽屋の外で、出演者が出て来るのを待つ人達と一緒に、しばらく、ぼっと
待っていましたが、時間も遅くなるので、「デカダンス、デカダンス」と言うところだけ
覚えてしまった歌を無言で口ずさみながら、岐路に着きました。
高校生なのか、中学生なのか、女の子達のグループが、学校帰りのカバンを持って、
「ザオダサク」を観に来ていた姿を、終わってから、劇場から出ていく時に、見かけた
のですが、お小遣いをはたいて、チケットを買って来たのだろうと思うと、なぜか、
胸がジーンとします。それも、織田作之助の半生が、引き金になっていたからでしょう。
http://www.ktv.jp/event/odasaku/
若い人達も多かったのですが、幅広い年齢層の人達がこのミュージカル仕立ての、
青春グラフィティー、「ザ、オダサク」の、主演を演じた、内、博貴、や出演者達の奮闘ぶりを楽しんだよう。
内、博貴、という人を、私は全く知らなかったのですが、ダンスがすごくうまくて、
歌の方は、それほどでもないけれど、ミュージカルなら、フアンを魅了するだけの
技量を持っている人で、これからも楽しみな人です。
私が、この作品で、興味深かったのは、この時代、文化、芸術に飢えていた頃、貧しさが浸透していた頃、結核が、死に病いだった頃、情熱で命の火を燃やし続けて、道半ばにして、無念の死を遂げた、才能ある若者達が多かったのですが、
その短い人生の間に、随分多くのものをこの世に問い、残していたとくことです。
織田作之助は、三校、今の京都大学を中退していますが、その頃すでに、作家として
作品を世に出しています。
夫婦善哉の、モデルになっている、奥さんと暮らすようになったのも、その頃から。
夫の成功の陰に、支えた妻有り、というのが、定説ですが、織田作之助も、その一人。
お芝居では、奥さんは、病を隠して、暮らしの工面から、原稿の手伝いまで、寝る間もなく、夫を支えて、若くして、先にこの世を去ります。
三校の一年先輩であった、森本薫とは、ライバル意識が互いに強く、また生きる気力にもなっていた。
森本薫は、東京に出て、文学座に入り、脚本を書き、織田は、大阪にいて、新聞社で働きながら、文筆を続けていましたが、身体への負担を案じた奥さんの勧めで、作家としての人生にかけるようになります。
森本薫は、文学座で数々の脚本を書き、演出家としても活躍します。彼の代表作は、「女の一生」、其の初演は、空襲警報のなる中、東横映画劇場で。その翌年の1946年になくなります。
舞台では、そのニュースを聞いた、織田作は、自分は書き続ける、まだまだ、生きて、書き続けると、森本の無念を悲しむシーンがあります。
けれど、オダサクは、その翌年に、わずか33歳で、多量の血を吐いて亡くなります。
東京のバーで、原稿をカウンターで書いている織田作之助。
このバーで、坂口安吾と太宰治との3人が会合を終えて。坂口と太宰は、酒に酔って
いますが、オダサクは、お酒は飲めない。
オダサクが愛した、カフェ、は、丸福。苦いコーヒーが好き。
お饅頭をそえて食べるのが好きで、それが「夫婦善哉」の善哉。
法善寺横丁にある、「夫婦善哉」は、ゆかりの店ということでしょう。
自由軒の、まぜカレーも、織田作之助が作ったカレーだそう。

今、私たちは、随分、物が溢れ、欲しいものは、なんでも手の届く所にあって、
健康で長生きすることが、生きる目的のように、なっていて、文化的な生活に恵まれて
いるのに、あの頃の人達の何分の一の時間も、生きていないような気がするのです。
明日をも知れぬ、時代だから、今日を精一杯、命を燃やして生きたのでしょう。
限られた命、限られた時間だから、人間の持てる能力の限りを尽くして、素晴らしい作品を後の世に残していったのでしょう。
舞台は、最期の場面に、桜の大木の下で、喀血して命を絶える場面。一瞬暗くなって、
オダサクが、亡くなった奥さんの膝に頭を乗せて、なごんでいる明るい画面に変わります。
坂口安吾の、「満開の桜の下で」という短編を、使っているのでは、?
オダサクが亡くなったのは、実際には一月です。
5月25日からは、東京の新橋演舞場で,上演。
2013年05月17日
投資の仕方、参考になれば。

株が上がって来ると、私の身体の調子が悪くなる。
最近の景気回復への、期待ムードから、購買力が伸びて、
GDPは、経済通の麻生さんでも、驚きの、3パーセント。
なんとなく、買ってしまう、という人が多いのだそう。
確かに、今までやらなかった人達は、株や投資信託、それに
加えて、為替売買の、フィックスなるもので、がんがん、儲けている
という話だそうで、それが、高額商品、特に、車だそうで、高級車の
受注が、すごいのだそうで、住宅なども、東急から、発売される、
これが、マンション、というものだ、と納得のいく、邸宅への関心と、受注が
結構あるそうで、あんな家を建てるとなると、それ相応の土地が必要なわけで、
アメリカのように、土地はただ同然、莫大な広さが、当たり前の国とは
わけが違うのだから、沖縄とか、軽井沢にでも建てるのでなければ、
少ない土地を、更に、富裕層が高値に吊り上げ、貧乏人は、より不便を強いられ、
ひしめきあうスペースと、物価高に苦しめられはしないか、と心配になる。
ともあれ、転勤だと、電話をかけてきた人に、「私のように、バブルの頃、買った株なんて、
戻りようもないもので、損埋めに必死になっている状態で、とてもとても怖くて、
もう下がるのではないか、もうだめだろう、とばかり弱気で気が小さいです。整理している状態です。」と言うと、
「そうですね。そういう人も多いです。」
と、ここでも、二分化ははっきりしている。
けれども、国民一人当たりの貯蓄額が、赤ちゃんも含めて600万円増えたそうで、
4人家族なら、2400万円というわけですから、購買力は伸びるわけです。
証券会社も、買い手のない時には、うるさいほど電話がかかってくるのですが、この一年、全くかかってこないので、そういう時には、金持ちの顧客だけで、手が一杯なのです。
そして、気をつけないといけないのは、証券会社、法人とか金持ちが、売り抜ける頃に、貧しい顧客に電話で、「ここは買っておいてください。」と勧めるのです。
そういう株を天井で、買わされるという経験を何度かして痛い目に会った個人の株経験者は、万といるのです。
株や投資信託は、決して、生活がかかっているお金でするものではありません。
政府は、100万円までの、投資で、売買される,少額投資を奨励して、利益には税金をかけないという制度を作りました。
これだけですむのなら、良いのですが、人間の欲を煽るわけですから、
損になっていると、それを取り戻そうとして、なけなしの貯金に手を出したり、借入までするようになるのが、危険なのです。
これからは、年金がどうなるかもしれないし、銀行だって、安全ではないのですから、
自己責任で、自分の資産を、減らさないで、物価に呼応して、増やし、守って行かなければならない。
よく言われるのは、分散投資で、リスクを抑えて。
そんなややこしいこと出来ないという人に。
損している時も、それほど大きくなく、このように、株価が上がり、円安になると、
利益が出ているはずです。
もっとも保守的な郵便局が扱う、退職金積み立てとか、年金を積み立てるファンドです。
こういうものは、為替の変動、債券、株、不動産などを、分散しているので、大きな利益には、ならないけれど、物価や経済 の動向に、ついていけるだけの力を持っていますから、
毎月、良い時も、悪い時も、少しづつ、決まった額を買っていく、という方法を取ったら、
長い目でみれば、安心して行える、貯蓄をかねた投資だとは思いますが、それでもリスクはありますが。
2013年05月15日
ビタミン、葉酸やB12の欠乏が、認知症状を引き起こす

夜遅くまで起きる、悪習慣に戻ってしまった。
テレビで、深夜、映画を見だして、止まらなくなるから。
昨夜は、「オペラ座の怪人」をまた、観てしまった。
一昨夜は、英国映画の「オネーギンの恋文」を観終わってから、
ベッドの中で、「親鸞」を読みながら寝たので、昨日は、寝不足で、
気になっていた、叔母の見舞いに、車を運転していたのだけど、
頭がふらついて、途中で、引き返そうかな、とも。
でも、こういうの、以前には、よくあったこと。
運転するのが、怖かった。
人と話をしていて、首でうなずいているときも、気分が悪くなったり。
寝不足と、眼の使い過ぎと、運動不足、が原因だ、とわかった。
大学に通っていた頃、こんな状態が良く続いた。
勉強していてなら、仕方ないけど、今は、どうでも良いことで、自分のストレスを
高めている。
抜け出さないと、いけない。
叔母は、相変わらず、ベッドにくぎ付けになったままの状態だ。
最初の頃は、週に一度は行くようにしていたのに、2週間になり、3週間になり、
この2か月、月に一度になってしまっている。
母の所には、行くのに、叔母になると、気にはなっていて、いつも頭にはあるのだけれど。
病院の近くにいる、従妹は、叔母とは、姉妹の娘。週に一度、タクシーで叔母を見舞ってくれている、という安心感もあって、ついつい、安きに流れて。
歩けさえすれば、と思うけれど、週に二度のリハビリを、叔母は一度にしてもらったという。
リハビリといっても、マッサージに毛の生えたようなものなので、効果は望めないけれど、前向きでない、やる気のなさが、叔母をベッドにとどめている。
食事は、チューブから鼻に流す、ミルク栄養。
持っていった、ミカンさえも噛めない状態になっている。
歯でかまないので、歯茎毎、歯が奥に後退して、噛み合わせることができなくなった。
叔母は、死んで、父母や姉妹兄弟に会いたい、と願っているけれど、ミルク栄養は、
好き嫌いの激しかった叔母の偏食を補って、一時期、認知症が出ていたのだが、そちらの方は改善されている。
先日、テレビで、ビタミンBと葉酸の欠乏で、認知症の症状が出るという。
早期であれば、ビタミン12の注射で効果があるとか。
母は、若い頃、脚気になって、ビタミンBの吸収が悪いと言っていた、ことを思い出した。
母がリウマチ筋痛症を起こして、入院するまで、弟の家にいた頃、お菓子ばかり食べていたようで、食事を作ってもらうのを気遣って、食事をあまり食べなかったようで、それでリウマチの症状を起こしたのだが、それ以前に、マンションで一人暮らしをしている頃、
暮れに倒れて、病院に行くと、そのまま入院。
胆嚢が、膵臓に癒着していた。
肝臓にある、B12は、12年間の備蓄があるそうだけど、それが欠乏していたのではないだろうか、と考えられる。
リウマチ性筋痛症だとわかってから、葉酸の入った、野菜ジュースと、ビタミンB群を飲ませているのだけれど、それは再び、リウマチ性の症状が出ないためだった。
でも、そういう認知症の話を聞くと、母のそれは、葉酸とビタミンB群の不足ではないか、と思い当たる節がいくつかある。
叔母の認知症状も、栄養失調によるものではなかったのかしら。
今でも、記憶が造像力とごちゃになってしまっているところはあるけれど、以前の事もしっかり覚えていて、普通になっている。
ミルク栄養のおかげで、叔母が元気になっているが、寝たきりから、這い出そうという
気概がない。しんどいことはいや。食べるのもいや。いやいや尽くめ。
あきらめの良いのも潔いと言えば、良いけれど、「何が何でも歩いてやる。」というような根性を持っていたら、と私は悔やまれてならない。
母のように、人に迷惑をかけることを、極端に拒むというのも、やりにくいけれど、それが母の体力維持につながっている。
そのうえ、母は、子供の世話をしたがる。重いものは、母が持とうとする。私が一人だからと心配ばかり。子供たちに、お金をあげようと、空っぽの財布を探す。
家族と食事にいくと、自分は食べないで、人に食べさせようと。
どんな時にも、母は、人の心配ばかりして、迷惑かけないように、死なないでいようと
頑張っている。
いつか、その日が来るのが、私には、耐えられそうもない。
2013年05月12日
北野武「キッズ、リターン」

昨夜、北野武監督の「キッズ、リターン」のオリジナル版を見ました。
多分、毎週土曜日の、11時からだと思う。北野武監督作品を、日本映画放送で、
放映しているようで、来週は、ベネチア映画祭で、金獅子賞、グランプリに輝いた
「HANABI」だとか。
http://www.youtube.com/watch?v=MvY6JCFCrQk&feature=player_detailpage#t=52s
以前にも、ブログで書いている「キッズ、リターン」この映画は、私が北野武の作品の中でも、名作中の名作だと思って、惚れ込んだ映画です。
改めて、見て、やはり胸が痛くなり、その余韻は、いつまでも消えず、この映画ほど、青春時代の男の子達を、自然に描き切った映画はないのでは?と思うくらい。
真面目で、教師や、親に取って、扱いやすい、高校生の男の子達よりも、落ちこぼれと教師から、見放され、教室に馴染めず、校庭で、自転車を輪をかくように、乗って時間をつぶしている、二人の高校生達の方が、人間としての生き方を真面目に模索し、大人のつまらない生き方や欺瞞には、耐えられず、腹立たしさや、自分らしく生きたいという欲望と、鬱積したエネルギーを持て余して、はけ口を探しあぐねている。
北野武が、オートバイ事故で、九死に一生を取りとめた、後の、リハビリをかねて作った作品だとか。
その頃、ビートたけしは、泣く子も黙る飛ぶ勢いで、ハチャメチャな酷い番組だし、偉そうな人だ、と思って、私は興味なかった。フライデー殴り込みなど、暴力的で天狗になっていたのだが、この事故を契機に、北野武は再起不能、もうお仕舞だ、と書かれたり。

北野武が、良く口にする「何, 馬鹿やってんの?」という自笑的な、自己を見つめる、もう一人の自分(北野武監督)の視点によって、作られた、当時の心境を、そのまま描き出しているような作品だ。青春の純粋性を、いつまでの持ち続けたいという、北野武の本来のピュアーな人間性と、社会の歪んだ構造を、アロニーとして表現する、明晰な理性とが、この作品を、いつまでも新鮮で,みずみずしい作品にしている。
最期の名セリフ。
「俺たちもう終わっているのかな。」
「まだ始まってもいないよ。」
胸がキュンと熱くなって、明日への希望が湧くシーン。
二人が愛おしくて。
二人が自転車に乗って、校庭を回っている。
笑える場面が一杯あって、胸が痛くなる映画。人間が愛おしくなる映画。

これを書いていたら、小包が届いた。
母の日、アメリカにいる息子から、花が届いた。
今は、アメリカでサラリーマンに収まっている。
彼にも、青春時代があった、今もその中にいるかもしれない。
北野武が、この作品のシナリオに、「so what」と題を入れてい
た。息子は、高校の卒業アルバムに、好きな言葉は?
「what’s up」
2013年05月11日
参院選で、自民の暴走を止めなければやばい。

参院選挙を意識した、各政党だけど、このままの、ムードで行けば、
自民党が、過半数を取りそうで、やばい。
株は上がって、景気は「気から」と、浮かれている場合じゃない。
安倍政権の支持率が高いのは、ひとえに、景気が良くなって国民の給料も
そのうちに、上がるだろうという、期待感の表れだろう。
それに加えて、「世界への積極的な外交」とか。
物言わない日本から、自由と責任において、物言う日本に、飛躍した、というまやかし。
国民の暮らしは、この先、自民党に任せておけば、本当に良くなるのだろうか。
私は、否、としか言えない。
貧富の差は、今まで以上に開くだろう。上が伸びて、下の方に行くまで時間がかかる、というのだが、上だけ伸びて、下の方は、給料はそのまま、物価があがり、生活できなくなる人が増えるだろう。
アメリカでは、お金を儲けても、それを社会に還元しないといけない、という宗教的なモラルがあるが、日本には、それがない。
還元されるとあてにしたら、大間違い。
閣僚、議員団の靖国参拝が、中国と韓国に、軍国主義の再来を懸念させているが、そんなことには、お構いなしの、自民党議員達。
憲法を変えて、日本に軍隊を置く事、集団自衛権を行使して、戦闘地域に、日本の軍隊を派遣出来るようにしたいと狙っている。自由と責任において、と。
脱原発も卒原発も、どこえへやら、この連休に、安倍首相は、トルコに、日本の原発の売り込みに成功した、というので、経済界は湧いている。
さらに、年金問題に手をつけて、民主党案を、破棄し、元に戻して、「働かざるものは食うべからず。」の理念の上に立った、年金制度に変えるために、白紙だ、と。
つまり、本意は、こうだ。
原発はなくさないで続けて行く。
安全なものから、という安全など、ないのは、わかっているのに。
お年寄りも、働いて、年金では足りない分を、補うように。
医療費の自己負担は、2割に引き上げ。
最も恐ろしいのは、日本に軍国主義の復活だ。
2パーセントのインフレターゲットというが、一旦インフレになると、それを止める手だてはない。お札を刷りすぎると、市場にジャブジャブお金が出るので、日本の貨幣価値が下がるから、円安になるのであって、ハイパーインフレを引き起こす懸念性はないとはいえない。
日本の借金は、今、国民一人当たり、900万円、来年には、1000万円に膨れあがる所まで来ている。
このように、危険性をはらんだ、政治を、国民が支持している。
選挙は、国民の意思表示の,権利であり、手段だ。
参議院が、ねじれているのは、安全弁になっている。
そのねじれを解消して、自民党がやりたい放題になるように、
国民が後押しするのなら、そのつけも、全て、国民が負わねばならない。
民主党は、政権交代の末、無様で無能だ、というレッテルを張られたが、
それは、自民党の並々ならぬ権力の奪回の工作が功をそうしたから。
何も変わっていないのに、新しい自民党など、ないのに、国民は
長いデフレ状態から、インフレに向かう船に乗って、酔いしれている
のではないだろうか。
以前よりも、なお悪くなっている。
以前の自民党には、ハト派と呼ばれた、中道の精神を持った、良識のある議員がいた。
日本は、自由主義というよりも、社会主義的国家であった。敗戦から皆で立ち上がり、助け合って、国民が等しく、貧富の差なを少なくして、平等に暮らせることを目的としていた。戦争を永久に放棄した。日本の憲法は、世界で最も優れた平和憲法であることを誇りにしてきたのではないだろうか。
今はどうだろう。
高揚感を煽る議員たちばかりが、脚光を浴びている。
戦争の好きな男達と、戦争の好きな、男勝りの女性議員が、政権の中枢を担っている。
そこに、維新の会も加わって、国会は戦闘好きの人間に占拠されている。
政治なんて、もう関心ない、とは思うものの、参議院は、せめて、「良識の府」であってほしい。平和を祈念する人達の最後の砦だから。
自民党の独断場にしてはいけない。
国民の支持がないから、と声を出さないのは、職務怠慢だ。
小沢さんは、最期の奉公を、あきらめたのだろうか。
国民の民意だから、フェイドアウトするつもりなのだろうか。
離散した民主党は再び、一つになって、自民党の独裁を食い止める
のが、民主党の役目ではないか。
大衆には、信念も理念もないが、「生活」が大事だということは、
肌で知っている。生活を良くしてくれると思われるほうに、なびく。
ヒットラーだって、大衆に支持された人、大衆の心を掴んだ人だ。
ヒットラーを慕ってはないだろうか、安倍政権の高い支持率は。
2013年05月10日
新開公子著「ゴッホ 契約の兄弟」
昨日は、夏日を観測したそうですね。
風邪を引いている私は、ぞくぞく。
図書館で借りていた本の返却日が来て、
車を運転している時も、雲の上を走っているように、
ふらふら。
ゴッホの研究書は、まだ全部読んでいないので、もう一度借りたいと
申し出て。
この本は、手元に置いておきたいくらい、ゴッホについて、詳しく研究された本です。
題名は「ゴッホ 契約の兄弟」作者は、新関公子。発行ブリュッケ 発売
は星雲社。 定価は4600円、プラス税。
読みやすくて、面白いので、引き込まれるようにして、読める本ですから、興味のある方は、図書館ででも、借りられたら、と思います。
ゴッホの絵画が、生前、一枚しか売れなったというのは、間違いで、画商としての才能を発揮していた、テオとの間で、画商とおかかかえ画家としての、契約に基づいて、ゴッホとテオの関係が成立していたことを、この本は、ゴッホのあらゆる書簡集の翻訳と、「ゴッホの手紙」という書物などを通して、推理し、今までの研究書に、新たな見解を示すもので、物語を読むように、面白い。
図書館に行けば、普段は、本屋でみかけない、興味深い本があって、この本は、美術関係の戸棚で、見つけたのですが、他にも、「酒井抱月」についての、豪華な本など、借りられそうで、わくわくしています。
図書館では、欲張りにも、10冊一度に借りられるというのですから、そんなには、二週間で読めるわけないのですが、また、増えた状態で、9冊も借りてしまったのです。
そのうちの、二冊は、ポルトガルの旅行書です。旅行書は、欲しい所だけ見れば良いので、気楽のはずなのですが、一つは、随分詳しく、ポルトガルについて語られているのです。
後は、「親鸞」を激動編の、前巻だけ読んで、後巻をもう一度、と、予約していた、「親鸞」の後編が来ていると電話があって。
予約出来るというので、村上春樹の「羊たちの冒険」と「海辺のカフカ」も。
まだ、全く読んでいなかった、村上春樹の{IQ84}も、誰も後に予約がないと言われて、一緒に借りて帰って来たわけで。
読まないうちから、実はもう疲れているのでありまして。
こういうのが、ストレスになるようで。
風邪で体調悪いから、ごろ寝で、読めば良いと思うのですが、
眼がぼっとして、かすんで、すぐに目が閉じて。
積み上げた本の重さの分だけ、肩にどっかりのしかかって、
肩は重いし、頭は痛い。
コナミに、風邪で行けないし。
欲に溺れて、息が出来ないとは、こういうこと。
、
2013年05月09日
藪医者と名医

本格的な風邪をひいたよう。昨夜は寒気がして、早く床についた。
母の所でも、マスクが離せない。食べ物を持って行っても、マスクは外さないので、
母だけに食べてもらうようにしていた。
来週、母のギブスが取れる。ギブスを取るのに、電気ドリルを使わねばならない。
この前、診察時に、一旦外して、レントゲンを撮ったら、まだ、ということで、新しいギブスを巻いた。
その時には、母をベッドに寝てもらって、4人がかりで、母に見えないようにするのが大変だった。
それを、また繰り返すわけだ。やれやれ。藪医者だ。
愛想は良いし、気さくな医者なのだけれど、母の病状を、認知症だから、と決めつけて、リウマチ性だとは、認めようとしなかった。
痛いと思い込んでいるので、あてにならない、というのだ。
ついに、高熱が出て
、母の身体的痛みは極限に達していた。紹介してくれた病院でも、肺炎扱い。
1か月の抗生物質投与をしても、ますます悪くなるばかり。
しつこく食い下がって、リウマチ性筋痛症のコピーを見せ、整形で、その疑いを含めて血液検査してもらったら、反応が出 た。
リウマチには、ステロイドが有効で、次の日から、母は痛みを訴えなくなり、楽になって、 嘘のように消えた。
大抵の医者は、患者の言うことを聞かない。
今、入院先のベッドで寝たきりの叔母に関しても、「病院の意向に逆らって、嫌われてはいけない。」と従妹達が言うので、病院のやりたいように扱われている。
筋トレを毎日すれば、歩けるように、なるのでは?と私は思うのだけど、マッサージ程度のものしか、カリキュラムにはない。
看護婦長に、頼んだけれど、「そんなことはこの病院ではしません。病院が違います。」と切って捨てるような答え。

誤診や、不親切な対応に、涙を飲んだ病院の家族は、多いのではないだろうか。
母の場合、幸い、入院先の内科部長(医者が肺炎として紹介状を書いた人)が、何度か抗生物質を変えた後でではあるが、
私のような、素人の意見に、耳を傾て、「肺炎だとは思うけれど、整形に依頼しましょう。」とご自分の誤診が明らかになるようなことでも、引き受けてくださったので、母は助かったけれど。
藪だとわかっていても、近くに、整形はないので、何年振りかで、骨折のレントゲンなら大丈夫だろうと思って連れて行ったのだけど、ひびか骨折か、わからない、という。
ギブスを外したら、まだ少し、というので、また新しいのを巻いた。
赤ちゃん言葉で、母に接するのも、違和感がある。
私が通っている、宝塚の医者は、五十肩を、一日で治してくれた、というインターネット上のコメントを見て、行った。
確かに、一本の注射で、楽になって、それ以来、通っている。
氷上郡で、働いていた人で、救急医療に貢献した、という表彰状が、いくつも飾ってある。
おっとりした、いかにも人の良い感じのする医者だ。
サプリメントは、信用していない、と言われて、やめたら、どうってことない。
自分で治すものですよ、医者はその手伝いをするだけです、と言われて以来、身体を動かして、治すようにしている。
母の胆石の手術を依頼した、住友病院の医者も、インターネットでのコメントを見て、宝塚病院の担当医に、紹介状を書いてもらった。
母は、手術をしないと、助からなかった。病院では、年齢を考慮して、体力的な見地と、手術する医者の手が、半年先まであかないという理由で手術はしないと言われた。
住友病院に行くと、「手術を早い目に入れましょう。」とスケジュールを見ながら、日を決めてくれた。インターネットでの名医との評判で、患者がどんどん増えて、忙しくて、という話だった。看護婦は、彼女のおばあさんは、92歳で、この先生に、手術をしてもらって、元気だから、心配いりません、と。
医者は、毎日、朝、晩に、患者のベッドを訪問して、気さくに語り掛け、患者を励まし、話し相手にもなっている。
不思議に思って聞いたら、病院に住み込んでいる、とのこと。仕事一筋のあかひげ先生。
弟が、この先生の手を見たら、手術の旨い医者だとわかる、と言っていた。ゴッドハンド、という手をしているのだろう。
そういう医者達と、藪医者との違いは、どこから?
2013年05月08日
ファッション感覚

去年から、風邪を引かずに、頑張って来たが、昨日から、鼻風邪の模様。
アレルギー性の、鼻炎かも、とも疑われるが。
書類がテーブルに上に、山のようになっているので、それを整理し始めたので、
埃で鼻アレルギー出たのかもしれない。
散らかしっぱなしの家の中にいると、ストレスになる。
私は一人なのに、どうしてこう、すぐに散らかるのだろう。
気にならない時は、平気なので、そういう時は、毎日のように、出かける用事が
ある。服を着替えるのに、一応、どれを着ていくか、着たり、脱いだりり
どれも、ぱっとしないものばかり。
顔に似合わない。
若い頃は、どれを着ても、顔がその服に合わせたのけど。
電車の中で、後姿の素敵な人がいて、スタイルは抜群だし、背もすっと伸びて、洋服のセンスも良いので、若くて、素敵な人だろうと想像していたら、彼女の顔が、何かの拍子で、こちらに振り返った。
ジェ、ジェ。おったまげてしまった。
おばあさん。
服と顔のギャップが大きいと、センス良いとは言えない。
本人は、魔法の鏡で、自分の姿に満足しているのだろうか。
ナルシスが、水辺に映る、美しい顔を見て、その美しさに魅せられたことから、ナルシストという言葉が生まれた。
鏡の前に立って、自身をあまりに劣等感で、見るのもいけないけれど、自分の実像が見えていないというのも困る。
着たいものを着たらいいのだけれど、顔と衣服のギャップが大きいものは、着たくない。自然に似合っている人を見ると、
良いなあ、と感心する。個性がその服に現れている人も素敵。アーティストは、独自のファッション感覚がって、色に凝っている。目立つファッションが、その人のユニークな人柄を表しているのも素敵だ、と思う。
けれど、最近、時どき、顔と衣服のギャップがあまりにはなはだしい人を、時々見かける。
ああいう風には、なりたくない、というのも、ナルシストなのかもしれないけれど。
ファッション感覚が優れた、友人がいる。
彼女は、主婦。
常識的で、心も安定している人。小さな人なので、背が高く見えるように、高い位置にポイントを置くのよ、と聞いたことがある。
「私たちの着るものは、難しいのよ。」と言っていた。
めだたないけれど、きらりと光る、行き届いたファッション。
その場に、溶けこんで、浮かないし、沈まない。
ファッションにうるさい、男達が、一様に、彼女のファッションセンスをほめていた。
そういうことなんだ。
人の振り見て、我がふり直せ、という言葉があるが、そういう着こなし上手になるには、
自分の弱点を客観的に見る目が必要で、試行錯誤の時間をかけて、積み上げられるもの
なんだ。
先日、村上春樹が、京都大学で講演するのに、車から降りてくる姿があった。
野球帽のような帽子を、後ろ側にかぶって、チェックのシャツを着ていた。
このファッション、どこにでもいる、目立たないファッション、
神宮での、野球観戦をするのも、きっとこのかっこうだろう。
村上春樹だと、誰もわからない。
普通の人間だから、普通に生活していたいので、公共の場には顔を出さない、とか。
普通の人でありたい、という人の、目立たないけれど、どこかかっこいいファッションだ。
アメリカの匂いがする、フランクなファッション。フィッツヘラルドや、ヘミングウェイの匂いがするファッション。
2013年05月07日
美味しさの、神秘

若い頃には、美味しさのわからなかった食べ物で、最近になって、美味しいと思えるようになったものが、いくつかある。
ざる蕎麦についてくる、蕎麦湯がその一つ。
水と変わらないような、薄い蕎麦湯ではなくて、とろっとした濃い蕎麦湯を出してくれる店の、蕎麦は美味しい。
母は、蕎麦湯が好きで、蕎麦を食べ終わると、残りのつゆに足さずに、そのまま飲んでいた。私は、母をまねて、飲んでみるのだが、若い頃は美味しいとは思えなかった。
蕎麦のゆでた後の残り湯なんて、と思っていたのだけれど、最近、蕎麦湯の為に、越前など。打った、生蕎麦を買って、蕎麦湯を楽しんでいる。
とろりとして、甘みのある、蕎麦湯が美味しい。
蕎麦湯を好むようになったのは、蕎麦湯の焼酎割からだった。
道頓堀の「今井」という老舗のうどん屋で、修業したご主人が、土日だけ、十割蕎麦を打って、限定で販売していた。今もそれは継続されているだろうが、母が入所していらい、行かなくなったので、その後のことは知らない。
そこで、白く濁った蕎麦焼酎を飲んで以来、蕎麦湯が好きになった。

城崎への行きかえりに、豊岡にある、蕎麦屋に寄る蕎麦の店がある。
その店の女主人は、蕎麦湯が自慢で、「ほかの店ではこんなに、濃い蕎麦湯は出しませんよ。」
と客に蕎麦湯を出すときには、必ず付け加えるほどの、自慢振り。
豊岡あたりに、あると、出石蕎麦が名物。車で寄るので、お酒は飲めない。そば焼酎もいただけないけれど、蕎麦に惹かれて、立ち寄るのが決まりになっている。

素麺も、最近になって、好むようになった。
頭痛持ちの私が、素麺を食べると、頭痛がした。
敬遠していた、素麺が、これほど美味しいものかと感激したのは、
夏の風物である、「はも鍋」の後に、入れる素麺の味だった。
生の鱧と玉ねぎで、出汁が美味しくなった所に、素麺を入れて、出汁を一緒に頂く。
薬味に、ゆず胡椒の香りと、三つ葉。
なんとも美味しいものだろう。それ以来、家でも素麺を湯がくようになった。
蕎麦にしても、素麺にしても、湯がき加減と出汁が命。勿論それ以前に、質の良い素材でなければならないけれど。そして、薬味。
京都の蕎麦に、使われる七味には、山椒が入っていて、美味しい。

蕎麦より、うどんの方が好きだという人も多い。蕎麦アレルギーだという友人がいる。
彼女も、うどんの汁が大好きで、残さず飲み干すのだけど、
うどん好きの人は、スープが好きな人が多い。
私は、以前は、ほとんどスープを飲まなかったのだけど、
最近は、その美味しさがわかるようになって、少し飲むように
なった。
京都の、大谷さんの傍、清水寺への上道の角にある、うどん屋の、
うどん出汁の旨さに、夏の暑い時期なのに、熱い汁をすっかり飲み干してしまった。
あまりのおいしさに、やめられなかった。
甘めの濃い汁だった。山椒と唐辛子の、絶妙の薬味との相性がたまらない。
讃岐に行くと、ゆでたてのうどんに、醤油とネギの薬味に、天かすや、生卵を
かけて、ぶっかけ、といううどんが定番。
ふらりと入ったうどん屋さん、坂出の「日の出うどん」と言った。
毎日、昼食に、うどんを二玉くらい、食べて暮らしてる、常連の客で、その店は賑わっていた。
うどんが、美味しいと思うようになったのは、その店以来だけど、やはり蕎麦の方が私は好きなので、麺類の店では、必ず蕎麦を注文する。

以前は、パリで、うどん屋や蕎麦屋を出しても、やっていけなかった。
肉食の西洋人には、あっさりした味がわからない。醤油くささも受け入れがたいものだった。
それが、今では、うどんを食べている人を見るようになった。
子供の頃、家の昼食といえば、毎日、決まって、うどん、だった。
給食を拒否して、毎日、昼食を食べに、家に帰っていた。
甘いあげの入ったきつねうどんか、肉うどん。
おそらく、父や祖父が、それを好んだからだろうが、工場の人達も含めて、簡単にふるまわれるものだからではなかっただろうか。
私が、蕎麦を好む理由に、そのころの、うどん、の味と、イメージがこびりついているからかもしれない。
2013年05月06日
京都、寺町、本能寺

京阪沿線は、家から不便なので、阪急沿線の京都に 足が向いてしまうのですが、
連休中は、電車が混んで、十三からの乗り換えだと、座れないのですが、最近、お腹の
調子が良くないので、梅田に回っていては、時間がかかるので、十三から乗り換えて、
立っていたのですが、後ろに持たれると、丸パイプがごつごつ、背骨にあたって痛かったので、梅田周りにすれば良かったと後悔しつつ、京都について、トイレ探しに、マルイデパートに行くと、地下のトイレは数珠をつくって順番待ち。
二階に上がってみると、婦人服の階だから?

ドレスを着替える部屋や、メークアップルームも備えた、素敵な夢のあるトイレです。
元、阪急だったデパートが、今は、マルイに代わって、若い人が好みそうな品揃えで、値段も買いやすいものを揃えて、カラフル。トイレを出ると、ソファーと、書棚があって、
本を読みながら休めるようになっています。
友人と待ち合わせなどに、ここは格好の場所だな、と思いながら、喧噪の町中に。
待ち合わせをしている、川沿いの、いつもは人のいない場所にも、一杯の人。


昼から開いている、居酒屋に行くと、まだ2席空いていて、ラッキー。
昼から、同窓会らしいグループが、座敷席でわいわいやってます。
他の席も、グループが多くて、店は12時開店、まだ15分もたっていないのに、大忙しのてんてこまい。
春は、京都名物のタケノコ料理を初め、京野菜は、錦市場の食材を使った、料理で、品数が一杯。値段も安い。
ここを出るこるころには、いつもお酒に酔ってしまっているので、遠くに行く気がしなくなる、という欠点があるのですが。
いつもは、空いている寺町も、一杯の人。

お蕎麦を食べに、「田毎」に行くと、ここも満席だったので、寺町を歩いていて、安い食堂があって、そこで、にしん蕎麦を注文したら、値段はただとらないで、蕎麦がだめ。

鳩居堂も混雑、どこも混雑、本能寺は、特別行事をしているよう。
いつもは、500円の,宝物館の入場料が、3日間だけ200円。
本能寺の開寺600年祭のかのお祭り行事だそう。

全国から集まって来た、日蓮宗の信者さんたち、お坊さんたち。
私は全く関係ないのだけれど、本堂の、お線香の香りが良くて、この日の為に、金化粧をし直した、本堂の飾りなどを見ながら、坊さんたちが、椅子を並べて、準備をしているのをしばし、楽しんで観させてもらいました。

ある創価学会の熱心な信者さんが、創価学会の、そもそものなりそめは、日蓮上人に由来するとうようなことを話していたことをふと思い出したり、日蓮宗と言えば、
宮沢賢治が熱心な信者だったことを思ったり。
私は、今、五木寛之の「親鸞」を読んでいる。
五木寛之の文章は、風のように、心を抜けていく軽さと、誰にでも理解できる、たやすさがある。小難しいことや、インテリを鼻にかけるような所が全くなくて、すらすらと、頭をさえぎって行く。
ただ、私に聞こえてくるのは、五木寛之の、どこかなまりのある、話し方。
インドで、五木寛之は、ブッダの歩いた道、を歩きながら、ブッダの言葉を読み上げていた。その声で、その語り口で、私は「親鸞」を聞きながら読んでいるという感覚がある。

行事にいそしんでいる人々の姿を見ながら、この行事での、晴れの日の楽しみ、こそが、
信者さんたちの、幸せと生きがいなのだろうな、なんて。
酒に十分酔っている、部外者は。

帰りの電車も、満員で、しばらくは立っていたけれど、カバンをお尻にひいて、床に座り込んでいたら、いつのまにか、寝ていた。
前夜、3時間の睡眠だったので、お酒と睡魔で、気持ちよく。
他の人達は、皆、立って、行儀が良い。
飲んだくれの、おばはん、、と思っているのだろうな。そうだもの、当たり。
2013年05月01日
センスが良くて、素敵な人は、垢抜けた人

まだ母が、買い物マニアであったころ、母に買ってもらった、洋服を、日曜の廃品回収の日に、思い切って、沢山処分した。ビニール袋に詰めて、3袋。
自分では、到底買えない、高価なものだから、捨てられなくて置いていたけれど、
形が古く、肩パットが入って、素材は良いものの、軽いものしか受け付けない体には、重いので、これから先、着ることはないだろう。
何度か、袖を通したものもあれば、まだ、値札がついたままのものも。
スタイリストをしていた、大学時代の仲間の一人が、「2年袖を通さなかったものは、まず着ないから、処分すべき。」と言っていたのを思い出しながら。
、立派に、捨てもの、と自分に納得させたはずだけど、出先から帰って、家の前になくなっているのを見ると、心が寒い。
文庫本も、アメリカに送ろうと思っていた日本作家のものや、海外小説の翻訳ものなど、字が小さいので、読みづらいもの、ほとんど捨てた。
まだ読んでいない、岩波文庫を捨ててしまったことで、心が痛い。
身の回りにある、というだけで、気分が落ち着いているのは、執着心と、物欲が深いわけだけど、心が寂しい。

片づけられるうちに、と、タンスから、重い衣服を出したり、本を運んだりしていたら、
左手の捻挫した所が、少し良くなっていたのに、ま再び、悪化して、持ち運びに支障をきたすようになった。ずきずき痛んだり。
図書館で借りた、字のでっかい文芸書を寝転んで読んでいると、腕は痛いわ、だるいわ。
物持ちから、物なしになって、軽くなった分、少々の重さも、耐えかねる。
今日の、徹子の部屋、に、岸恵子がゲストに。
いつも素敵な岸恵子さん。今日は、夏用の毛皮のコートの中に、黒のドレス。流行だそう。
徹子の部屋に、初回から10回ほど出演での、岸恵子スタイルの写真が、次々に写しだされた。
お洒落でセンス抜群の、岸恵子さん。スタイルも抜群。
「お洋服を買うのが大好きなので、随分買います。」
「着ないで、とっとくの?」と徹子が質問。
「あげることも多いのよ。上だけあげて、下が残ってたり。」
映し出される、自身の写真をみながら、
「このころは、ウエスト58センチだったの。今はとても。」
この間まで、スカーレット並のプロポーションを保っていたわけだ。
お洒落上手で、あか抜けた人は、随分沢山買って、沢山処分している。
沢山買って、沢山捨てて、沢山お金浪費して、寒い、痛いの思いしてセンスを磨く。自分いふさわしい衣類を身にまとうようになる。
お姑さんだった人は、普段着が着物の人だった。
楽に、馴染んで、着物が良く似合う。時々、洋服を着ると、全くそぐわない。別人のようにやぼったく感じられた。
「着物百枚、といって、百枚くらい、着ないと、着物は着られないもの。」と言っておられた、着物道楽の人だった。毎週、美容院で、頭を洗ってもらって、セットしてもらって。

身に着くもので、その人の人格がわかるもの。その人の思想や、生き方がわかる。
私の場合、中途半端な性格が、そのまま、身の回わりに現れている。
友人の中に、とてもお洒落上手な人がいる。
学生時代から、自分にあった、ファッションがしたくて、衣服を縫っていた。買うお金までないから、と。
彼女が、最もこだわるのは、色合わせ。カラーコーディネイトになりたかったけれど、ご主人の世話が優先される、裕福な家庭の、奥様になって、それはかなわなかったけれど、
彼女のセンス磨きには、益々磨きがかかって、私のダササと、どんどん開きが出る一方で、
たまに会うだけなのだけど、会えば、新しいファッションの先駆け。
この前、会ったときに、スニーカーを履いて来た。半年以上前のこと。
最近、スニーカーが流行していて、ファッションの番組で、コーディネーターが、スニーカーに合わせた服装を紹介していた。
流行にさきがけて、誰も着ていない頃に、自分のスタイルに取り入れて、楽しんでいる。
彼女は、多くを手元置かない。家は、いつもすっきり片付いていて、部屋のコーディネイトのセンスも抜群。広々とした空間が、心地よい。
新しい本を、沢山読む人で、読んでしまうと、ブックオフに持っていくという。
玉三郎や、猿之助、はいわずもがな、ビート武も、普通の人とは全く違う。
自分という存在を、客観的に見つめ、その自分を最も素敵に見せる服を、沢山着こなしてきたからだろう。

垢抜けている人、という別名がある。つまりは、身に垢を貯めていない人の事をいうのだなあ。あかすりしたら、身体が軽くなると言われるけど、けっこう、あれ、痛いんだよ。