2010年03月29日
映画「ハート、ロッカー」

http://hurtlocker.jp/
http://oscar.go.com/oscar-night/winners?cid=10_oscars_landingCallout_nominations
ハート、ロッカー
今年のアカデミー賞に選ばれた「ハート、ロッカー」を見た。
混んでいるかなと、前日にチケットを予約していたけれど、案外空いていた。
皆さん、あまり興味ないのかしら。
ドキュメンタリー風に作られているので、最初は、このまま続いてけば、ニュースを見ているような感じがしたけれど、次第に、物語が展開され、引き込まれていく。
若い3人組の女の子達は、つまらないと思ったのか、それとも、映画に中にチケットなしで入っていたのか、始まって、まもなく出て行った。
「 ハート、ロッカー 」は爆弾処理班の話だ。危険を伴いながら、爆弾を見つけて、爆破する前に、処理していく。命をかけた危険な仕事。
カメラは、迫力があり、ダイナミックで、臨場感抜群の作品だ。
一体、何のために、彼ら、カナダ人の兵士が、危険と向かいあって、命の危険にさらされなければならないのか。
アラブ人達は、自爆装置をつけられなければならないのか。
「民主主義とテロとの戦い」とアメリカの前大統領、ブッシュも、現大統領のオバマも、声高に、叫ぶけれど、「国益」の為ではないか。
先日、テレビでアメリカの報道官が言っていた。
イラクは今後10年もすれば、世界有数の産油国になるだろう。

つまり、アメリカは、石油を確保したいがために、イラクに侵攻したのだ。
石油の為に、多くの戦死者と、現地の犠牲者を出し、憎しみの連鎖を作りだしている。
日本が、太平洋戦争に突入したのも、アメリカによる石油封鎖だった。
山崎豊子の「不毛地帯」で、イランの石油開発にかける、ロシアでの長い捕虜体験者、壱岐。
アメリカにとって、兵士達の命よりも、大事なのは、石油、中東の人々の命よりも大切なのは、石油なのだ。
そう思いながら、この映画を見ていると、どうしようもない腹立たしさを感じる。
この映画の中で、処理班の兵士が、仲良くなった子供が、殺されて、体に爆弾を入れられている。兵士は、その建物ごと爆破すると一旦は決めるが、それをやめ、体の中の爆弾を取り出し、亡骸を葬る。
それ以来、子供達が寄ってきても、無視するようになる。辛すぎて、年限的なかかわりを持てないようになる。罪のない子供達が、むごい犠牲者となっている。
久しぶりに、カナダに休暇で帰還した兵士は、まだ赤ちゃんの息子に言う。
「幼いときには、大切なものが沢山あった。おもちゃが大事だった。希望は一杯だった。 だが、大きくなると、だんだん少なくなって、そういうものはどうでも良くなる。今では、一つか、二つ。いや一つだけになっている。」
彼は再び、どこかの勤務地に、爆弾処理をしに赴任していく。
つまり、彼に取って、大切なものは、ただ一つ「命」だということなのだろう。
爆弾を処理するという、危険を伴い、つねに死と隣り合わせの仕事を黙々とやり遂げる、その任務は、「人間の命」を守る為、この世で大切なものは、「命」なのだ、と、この映画は訴えている。
2010年03月27日
亀治郎さんの、7人変化

南座の3月歌舞伎 http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kyoto/2010/03/post_20.html
花形歌舞伎の、夜の部を観劇に。
グループホームで、運営会議があったので、2時半に終わって、急いで出かけた。
お昼も食べていない。朝は小さなパン一つだったので、お腹は空いている。
着くと、すでに幕は開いて、少し始まっていた。
券売機が、地下にあり、これで少し時間を取られる。もう早く見たくて。
ウェブで、3階席の一番前が空いていたのは、すごくラッキーだった。
同じ2等席でも、横側とか、上の方でも、全部詰まっている。
後ろに、声の練れた、かけ声役の人がいて、耳につんざく鋭い個声で、声かけするのがうるさかった。

亀治郎さんが、7人変化を披露する。変わり身の早いことに、会場は驚きのざわめきと、拍手。
通し狂言なので、主役の亀治郎さんの演技と魅力は言わずもがな、歌舞伎の楽しさ、面白さ、醍醐味を、余すところなく、披露してもらえる舞台。歌舞伎のあらゆる技法が、この中に含まれていると言っても過言ではない。
それに加えて、市川猿之助さんの、18番になっている作品なので、スーパー歌舞伎のアクロバット的な演技、早業、縦三味線に、義太夫、常磐津、歌い、なども入って、エンターテイメント抜群の舞台だった。
猿乃助さんが、倒れて、後継者になれる人は?と心配していたけれど、亀治郎さんがいた。古い歌舞伎界を出て、新しい歌舞伎の形、総合舞台を常にリードしてきた、猿之助は、 歌舞伎界の血筋ではない、歌舞伎の好きな、弟子を取って、立派な役者に育てあげてきた。今回、出ている、市川笑三郎は、本当に美しく、艶のある尾山、演技もしっかりして、声もよく通る。右近さんが、後継になるのかも、と思っていて、頼りないなと、物足りないな、と。猿之助そっくりの演技を真似てはいいたが。
亀治郎さんは、スーパー歌舞伎にも出演していたけれど、歌舞伎の方で、踊り上手、演技派としても、人気が高くなっていた。

今回、歌舞伎で、猿之助さんの指導のもと、亀治郎さんは、亀治郎さん独自の技に、猿乃助さんの技がプラスされて、猿之助さんを、継承し、それを超えて、またすごい役者、市川亀治郎を誕生させた、という感覚を持った。
宙づりは、猿之助さんの名物でしたが、亀治郎さんが、蝶と戯れながら、踊り姿を作って、舞い上がって行く様。
私の席は、花道の上の三階席、丁度、亀治郎さんが間近で、見える所、私の後ろの幕までずっと見ていられた。亀治郎さんが、笑いながら、何度も、こちらを見ていたようで、感無量、「亀治郎さん」声をかけて、キャーキャー。

終わって、外に出ると、二人連れの人が、亀治郎さんを指して、この人すごく良かったわ。上手やね。という声が。
「そうでしょ。」割に入って、講釈を垂れる。感激の余韻を一緒に、と割込んだのです。
「くわしいんやね。ありがとう。」言うて、もらいました。
誰かと言っていると、互いに、感激を分け合うことが出来るのですが。隣の席の親子はしきりに、この人すごいね、早変わりに、え、もう?わ、すごい。などわくわくしあって楽しんでいました。
私は、一人で、「わー、すごい。」「すばらしいわ。」「やー」黙って見ていられない。
いつのまにか、後ろのかけ声も気にならなくなって。あのかけ声も、実はそういう風な感嘆の意味なのかもしれません。
「おもだかや」「なかむらや」「よろずや」「まつしまや」などと、屋号の声をかけるのは、「待ってました18番」とか、「亀治郎さーん」とか出てしまう、感無量の言葉だったのかも。今では、声かけ屋がいますけど。
2010年03月26日
時と共に、流れゆく人

一人暮らしの叔母を訪ねた。従姉妹から誘いの電話をもらった。
梅田まではでかけても、地下鉄で叔母の家までが、なかなか。
今度また、ということになってしまって。
今日など、一人でなら、やめているところ。雨が降って、寒いから。
梅田の「がんこ寿司」で松前寿司を買った。美味しいので、次に叔母を訪問する
時には、是非、と思っていた。
叔母とは、叔母が結婚するまで一緒に暮らしていた。叔母が離婚後、家の近くに越してきて、やがて父の会社で働くようになると、我が家で毎日、食事を共にするようになった。 父の妹にあたる叔母は、父に随分可愛がられた。からっとして、陽気な性格の上に、誰にでもあわせる調子の良さで、人好きするタイプである。
「兄ちゃんには随分可愛がってもらった。」という叔母は、母にとっては、小姑。3人の子供の世話に加えて、舅と小姑が二人、住み込みの従業員の世話までと、独楽鼠のように、働きずくめの母にしてみれば、良いご身分だった。
父は、女遊びはしないけれど、毎日、仕事が終わると、夕方から映画を見に行く。叔母は父について行動していたり、姉とダンスホールに行き、青年会の仲間達と、出かけることばかり。
日の当たる気持ちの良い、居間でお客をした。お茶の接待をしたり、レコードをかけて、踊ったりしているのを、私は、扉を少し開けて、覗いていたものだ。
ほとんどの客は、叔母達のボーイフレンド。毎日のように、誰かがやってきた。
好きなように、あっけらかんと生きて来た人だから、死ぬことにも全く執着はないらしい。癌になり、骨粗鬆で2回入院しているのに、手術後も、タバコをやめない。
2ヶ月ぶりに会った叔母は、顔が少しふっくらして、元気そうだった。
歩けば、痛い腰が楽になることがわかってきたらしい。医者に言われても、その気にならないと、歩くきがしない。痛いから、動かない、動かないから、食欲がない。痩せる。痛む、という悪循環を繰り返して、「生きていても仕方がない。」という結論になる。
歩き始めて、腰が少し、楽になり、食欲が出てきて、体力がつき始めた。
叔母は、中華料理を取ってくれた。
「3人で多すぎたら、冷蔵庫に入れておけるから。」と余分に取ったのに、話しながら食べているうちに、すっかりなくなっていた。
「一緒に食べると美味しいから、沢山食べられたわ。」と叔母は満足げに言った。
とりたててどうということのない会話なのに、叔母は楽しかったらしい。
「こんなに食べたの、久しぶり。楽しかったわ。またいつでも来てね。」
叔母の腰に負担がかからないように、1時間で帰るようにしましょうと、申し合わせていたのに、3時を過ぎていた。2時間以上したことになる。
従姉妹と別れて、5時まで、まだ時間があるので、母に会いに行った。
母が寂しがっているのでは?
母はほかの人たちと一緒に、ソファーに座って、相撲中継を見ていた。
「あら、来てくれたの。良かったわ、来てくれて。」
いつものように、笑顔を見せてくれた。母はいつでも、どこでも、変わらない。
2010年03月25日
美味しいイタリアン「アンティカ、オステリア、ウシヤマ」

イタリアンのおいしい店、みーつけた。
地下鉄の中津駅から、5分と書いているが、
梅田の茶屋町から12分くらいで行けますから、
おしゃべりしながらだと、あっとこさで着いて
しまいます。

ランチは、とびきり安いと思う。
1050円で、サラダ、パスタ、デザートとコーヒー
まで付いています。
そのどれもが、一流の味、こんな店は、そうあるもの
ではありません。

土日祝日用に、メインディッシュ付きの、2050円というランチ
があって、それを注文しました。

ワインはボトルで一番安いものですが、さすが、うまい店は、変なワインは
おかないのです。豊穣で十分美味しくて、値段は2300円でした。
梅田から、中津にいくと、結構おもしろそうな店があるようです。
http://r.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27004586/
店構えは、ほんと、小さく、シェフが、一人で美味しく作って振る舞える
だけの人数しか座れない。全部で12人まで。
たぶんお家でも、それぐらいが限度ではないでしょうか。
パスタか、リゾットのどちらかを選べます。
隣にいた、若い男の子のカップル?の話し声。
「パスタにするけど、リゾットも美味しそうや。食べたいなあ。」
「二人で一つづつ取って分けたら?」酔っているので、よけいな
こと、おせっかいを言ってしまった。
私たちのように、心臓に毛が生えて、厚かましくない二人です。

外国(マナーのうるさい)では、自分の取ったものを食べるのが、常識だそうで、わけて食べる
なんて、もってのほかのマナー違反だそうですが、そこはアジア人なら、
中華料理でも、韓国料理でも、わけて食べるものばかり。ナイフとフォークの国とは違います。

このお店、夜は、やはりお高いようです。ランチが狙い目、といっても、シェフとすれば、
ディナーで、客の舌を満足させたいでしょうね。
とはいえ、このご時世、そうそう誰だって、夜のお値段は出せません。
手抜きがなく、本格的なイタリアン、コーヒーもデザートも、付け足しではありません。
2010年03月24日
生方副幹事長

生方議員のやり方は、私には、理解しかねる。売名行為としか取りようがない。
小沢幹事長の下で、副幹事長として、小沢さんが一人では出来ない仕事を補佐するのが、副幹事長の仕事。不満があるのなら、内部で、小沢三さんに、直接ものをいうのなら、話はわかるが、産経新聞のような、右翼的な新聞のインタビューに、喜びそうなネタを流すとは、どうにも理解できない。
小沢さんは、副幹事長達に、口出ししないし、個人的な悪口、批判は一切言わない人だから、あまりにも、小沢さんを非難してはばからない、生方さんに、辞表を出してほしいとお願いした所「自分から、やめる理由はない。」と。「それならやめてもらいます。」どこの会社でも、あることだと思う。
会社の社長の悪口を、雑誌に垂れ流して、書いてもらえば、当然やめさせられる。不愉快極まりない存在だ。
「ここで働いてもらわなくてよろしいです。どうぞお引き取りを。」
小沢さんは、自分の事で、迷惑をかけて民主党の支持率が下がるのは忍びなく腹をくくって、耐えに耐え、「副幹事長に戻って、みんなと仲良く、民主党のために働いてください。」と言ったにちがいない。
内心、生方さんのような人間は、大嫌いだと思う。
生方氏は、副幹事長の役を引き受けて、2,3言いたいことがあると言ったが、小沢さんは、時間がないからと、すぐに席を立って聞いてもらえなかった、と言う。「それほど時間がないようではなかったのに。避けたのでしょう。」
小沢さんは、生方氏の顔を見るのは、限界だったに違いない。爆発してしまえば終わりだ。
生方氏は、これからも、副幹事長達と仲良くやっていくつもりはなく、言いたいだけ言って、ぐちゃぐちゃになるだろう、と豪語している。
生方氏が、騒げば、民主党に取ってマイナスになる。お家騒動は、マスコミに取っては、ありがたい。これで、しばらくは、視聴率が保てる。
自民も、民主も、今や、マスコミに踊らされ、利用され、営業のサンドイッチマン。
生方氏は、名前が売れて、連日、テレビにお声がかかっている。
国民は、自分たちの生活に、仕事に、家庭に、不満だらけで強いられた我慢のはけ口に「あいつは悪い」とやり玉にあげるターゲットを求めている。
国民の支持率なんて、マスコミの営利主義に、乗っかって、悪者はだれだ?不満をぶつける人間は、我々の代弁者だ、の数値にすぎない。
生方氏は、民主党の皆が思っていて、言えないことを言っているから、英雄だと思っているが、猿回しの猿ではないか。
2010年03月24日
お彼岸

お彼岸
母は、お彼岸とお盆には、必ず、一心寺さんに参っていた。
母の両親のお骨を納めている。母の妹夫婦も、そこに分骨されている。
母が行けないようになった、今、私は、母がしてきたように、代理で
お参りしている。私がまた、いつまで行けるかはわからない。
一心寺さんは、お墓を持たない人とも、分骨をしている人もいるだろう。
沢山の人で賑わっている。お骨を納めに来る人も多い。
いつもは、夕陽丘四天王寺の地下鉄に乗るのだが、歩け歩け、難波まで
歩いた。結構距離はあった。
母と灼熱のお盆に、無料で蕎麦を配っていて、それをもらえるというので、何人か集まって、ぞろぞろついていったことがあった。

体の悪い人につけこんで、磁器ふとんを売りつける手法だったのだけど、契約すする前に、いろいろなものをくれた。腹巻き、靴下、腕バンドなど、もらって、契約はし、布団と一緒に、母のマンションまで送ってもらった。その後、インターネットで調べたら、似たようなのが、ずっと安い値段で売っている。悪徳商法だった。
ついていった人達は、そろって買っていたけれど、あの中に、サクラがいたに違いない。買わねばどうしようもないという気分に高揚させる。見事な売り込み方。
クーリングオフという制度 があって、消費者相談所で教えてもらったようにして、契約は解除された。
いろいろもらった、戦利品は、そのまま送り返さなくて結構です、使ってくさい、と係の人が言ってくれた。まんざら、そう悪い人達ではなかったのだろう。
母と私は、だまされやすいコンビみたいなもの。大抵は、母がすぐにその気になり、私が制止はするものの、母の衝動買いに付き合う結果になる。

そのかいあって、私はすっかり衝動買いがみについてしまった。
パナソニックのレッツノート、以前から使っているもので十分なのに、安さにまけて買ってしまった。おまけに、ウィルスバスター3年版を、パソコンと抱き合わせで、特別価格で。最新版のATOK10バンドル版を3千円で買えるので、それも。
一太郎200年を入れるつもりだったら、ウィンドー7には、入りませんと書いている。
一太郎2010、というを買ったら、ATOKがついていた。バンドル版が無駄だった。
ウイルスバスターも、必要ない。プロバイダーが無料でセキュリティーソフトを提供してくれているので必要ない。「誰かいらないかな。買ってくれる人ないかしら。」
友人にその話をすると「衝動買いが多いね。」当たってます。

テクテク、難波までの道、そんなこと考えながら、歩いていた。
2010年03月23日
京都の東山花燈篭

歩かなくちゃ、歩かなくちゃ、行かなくちゃ、行かなくちゃ。
京都の花燈篭に。
昨年、母と大谷さんのお参りをかねて、京都のホテルに2泊した時に、丸山公園の花燈篭を少しだけ見ました。
燈篭が、足元を照らし、暗闇の中に、浮かび上がる京都の優美なたたずまい、お寺や、塔の幻想的な風情、来年は、と
思っていた、来年があっというまに来てしまったのですが、
その間に、母の環境はすっかり変ってしまいました。

京都のホテルに泊まり、母の様子がおかしいとは思っていました。相当のショックを受けていたことが、あとの母の行動で、徐々に判明したわけですが、そんなことは後の祭り。
今頃、死んでいたかもしれない母が、まがりなりにも、身体の方が元気を取り戻し、母なりの世界の中で生きることが出来ているのですから、そのことに感謝しなければ。
あれから、一年、京都の知恩院から、清水寺まで、京都の活花各流派が、こぞって活花の競演。石畳の古都京都の門前に活けられます。

人ではすごく、行き帰りとも、立ったままかな、と覚悟していたけれど、帰りは、ラッキーにも、長岡天神で降りた人のそばにいたので、座ることが出来ました。足も腰も、ぴくぴくと疼くぐらいに。
腰を自力で治せると、頑張りすぎ。2時間以上歩いた。
高台寺と清水寺は、夜の特別拝観を実施しているのですが、待っている人が多いのに、桜はまだ3分、出直す楽しみとして取っておきました。

海外からお客様も多く、随分年を取った人達も、重そうなカメラをぶら下げて、どんな坂、こんな坂を、楽しみながら、歩いていました。杖つきながら、という人を見ると、
「なんでー、これしきのこと」とわが身に鞭打つ気持ちになって、それがまた、自虐的な快感にさえなってしまう。

私って、誰かさん達が言う「片やわ、アッチャン」書きながら、確かになあ

そういうわけで、腰がパンパンになるのを我慢して、清水坂から、四条に戻ってきたのですが、夜の京都は、なんといっても祇園でしょう。
はんなりと都踊の提灯が、置き屋にかかっている。旦那はんらしい人を送りに出来ていた、芸子はんあがりの、おかみさんの、なんと美しい着物姿、とびきりの美人。

こういう世界とは、無縁だった、父が一度言ったことがあります。
「舞妓はんあげて、祇園で遊んだら、なんぼくらいかかるやろ。百万か、二百万でいけるかな。やってみるか。」
気が強いのに、こういうことにかけては気の弱い、シャイな父です。ゴルフのキャディーさんに、お年玉を持って行って、渡しそびれてくるくらい。テレくさい。渡せなかった、と気にかけていたことも。
私を誘って、一度、祇園で、舞妓遊びをしてみたかったのでしょう。興味のい私は、あいまいに聞き流して、父はもういないのです。

夜のお遊びの、最も日本的で、男はんが認められた、上品な世界が、京都の祇園でしょう。
置き屋から、家族連れが出てきました。祇園の文化の変っていきます。

祇園の入り口に、沢山の胡蝶蘭がかるので、なんだろうと思ったら、「花吉兆」の開店祝いの花々です。
坂田藤十郎、井上八千代、村田製作所の社長さん、など、
京都にゆかりの常連さん達からのお花ですから、胡蝶蘭もとびきり上等のものばかり。
そうだ、テレビでやってたね。吉兆の息子さんが、新しい吉兆のスタイルで、店を出したことを。
昔ながらのスタイルでは、もう集客は出来ないのだと。

最も変らないはずの京都が、そのスタイルを変えていく。
国際化されていく、京都を目の当たりに見るような気がする。

南座まで来ると、なんと、なんと、亀治郎さんが、猿之助の18番、7変化を演じています。中村獅堂、鴈雀さと、3人のコラボ。
知らなかった。ラッキーです。早速、帰ったら、買わなちゃ。買わなくちゃ。
行かなくちゃで、出かけて、買わなくちゃで帰りました。<
2010年03月23日
薩摩料理「島国」

http://r.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27001887/
お初天神の近くには、大小様々な食べ処、飲み屋が軒を連ねている。
さすが、食い倒れの大阪です。
大阪人は、美味しくて、安い店が好きですが、北新地と大通りと挟んで、隣合わせに、サラリーマンが、たむろする、お初天神界隈の店が。
昔は、新地は、高級な夜の不夜城でしたが、今では、サラリーマンも通える、庶民価格の店が増えています。
「島国」は、薩摩料理の店ですが、食べログの点数も良く、気にかけていた所です。
実は、目的の店は、別にあったのですが、そこは満席で、最近は予約でいつも一杯だとか。
で、あてが外れて、いつも行く、「ヴィーノ」というイタリアンにするか、それとも、以前から行ってみたかった「島国」にするか。「島国」を覗いてみたら、カウンター席が空いていて、引きこまれたわけです。
以前に、一度、薩摩料理の本格的な、という店に行ったことがあるのですが、そことは、雲泥の差がありました。
さつま揚げは、注文してから造ってくれるのですが、やわらかくて、すごく美味しい。
父の親しい友人から、毎年、本場の美味しい店のさつま揚げを送ってもらっていた頃は、本当の所、あまり好きではなかった薩摩揚ですが、すっかり、フアンになってしまいました。でも、一枚か二枚がせいぜい。油ものですから。
刺身の盛り合わせ、新鮮で、味良し。

カウンターに並んだお皿に、美味しいそうなものばかり。つぶ貝、とこぶし、肉じゃが、筑前煮、タケノコ煮、など。
隣の女性が筑前煮を注文するのを、見て、私も。それほど残っていないから、と無料にしてくれました。


つぶ貝は、大きくて、身がしまってとても美味しい。お野菜が好きだと言ったら、店主が、わさび菜をサービスしてくれました。ぴりっとわさびが効いていて、美味しい、と叫んでしまった。隣の女性が、「私もちょうだい」反対側にいた男の人も、「わしにもくれんか。」


店主は、なまりがあって、島国の人のようです。奄美かな。お料理も、お酒の振る舞いも、豪快です。
水餃子があって、お野菜と一緒に鍋で煮込んだ料理。ここでしか食べられない、オリジナルなものも多いそうで、まだまだ、これから、楽しみな店。
店主が食べてほしい料理は、これからちょくちょく。
酒飲みなら、嬉しいだろうな。焼酎のオンザロック、コップ一杯の中に、氷が浮かんでいる。飲みきれないよ。焼酎の種類、地酒の種類、しっかり揃ってます。
2010年03月18日
特効薬

腰は長引きそうだ。
整形の医者に、この痛みはおさまるでしょうかと
聞いたら、そのうちに、と言われた。
そういわれると、安心する。
医者通いも楽ではない。第一費用が馬鹿にならない。
医者に行く決心がつくまでがなかなかだ。
そのうちに、治ってくるのではないか、と自分流に判断する。
昨日よりも、今日、悪くなると、我慢出来なくなり、結局は
医者に頼らざるを得ない。
自然のままに、医者に行ったことがない、という人は、
よほど修行の出来た人で、達観した人か、それとも
図太い神経の持ち主で、元来丈夫な人に違いない。
病は気から、というのは、本当だろう。
病と気とは、巧妙にからみあっている。
私のように、小心者にして、神経のきつい人間は、
病をこじらせて、医者に行き、
費用もだらだらと払い、医者の「大丈夫です。良くなりますよ。」
との太鼓判を押してもらうか、なんとなく、お金も時間も、面倒になって行かなくなったら
治っている。
私の神経は、長続きしない。いいかげん苦しむと、放棄して投げだして
しまうという、いい加減さに支えられて、大病に至らずに、やってきた。
ようするに、飽きっぽいのである。
病気に付き合っていると、飽きが来る。秋風が吹くころ、病気は、どこかに
吹き飛んで、身体の中から消えていく。
真面目で律義な人だと、こうはいかない。
一生懸命、なればなるほど、治らない場合もあるだろう。
神経の疲れ、悩みごとを真剣に考える余り、鬱病になる。何年も鬱から
出られない。鬱と同棲するようになる、など。
膠原病や、関節リウマチなど、慢性疾患を患っている人に、真面目で、心の変わらない人が
多いのではないかな、と私は勝手に思っている。
病気と心(気)とは、絡み合っている。
いいかげんで無責任さ、といのも、病気の特効薬なのだ。
2010年03月17日
母の心 子知らず

久しぶりに、息子から電話がかかってきた。
私の腰を心配して、かけてきてくれた。
いつ帰ってくるのよとけしかける。
母は、毎日、息子に会える日を待っている。
「アメリカなんて、嫌い。どこが良いのかしら。
私は日本人だから、日本が好きだわ。」
祖母の心、孫知らず
母の心、子知らずなのに、当然だろうな。
会社の上司がやめたので、仕事の量が増えて、
飛行機の勉強をする時間は、ますますなくなった
と、ぼやく。
会社やめようか、と。
またかいな、いらついてくる。
「やめたら、給料もらえないし。」
あたり前田のクラッカー
「僕、考え中」で、踏ん切りがつかない。
ずるずると仕事を続けるのは良くない。会社に残るのなら、飛行機は趣味にする。飛行機で立ちたいなら、会社をやめる。
二頭を追うものは一頭を得ず
飛んで、飛んで、飛ばなきゃ。これしかない、となれば、
猪突猛進、目的に向かってまい進できるわよ。
心配して電話してくれているのに、私は、相変わらずの
お説教を垂れる
人生って、それほど甘くないよね。
食べて行かなくちゃいけないし、その中で、夢を実現させようと、努力している人、一杯いるよね。
息子の方が、私よりも、ずっと偉いのに、
親面しちゃって、彼がわかりきっていることをがみがみ
「日本に帰って、仕事探したら?」
「それはありえないね。65歳までは、アメリカで働く
つもり」
「じゃ、私はどうなるのよ。」
「お母さんは、そろそろこちらに来る準備しておいた
ほうが良いよ。」
母の心、子知らず
私の母を通して、子供の非情さ、身勝手さは、
痛いほど、認識しているつもりなのに、
そう言ってもらうと、嬉しい
私も、弟達にしても、母と一緒に住みたいと思っていた。
元気でいる限り、お嫁さんとトラブルを起こさない限り、
自分たちの生活に、支障がないかぎり
母の心 子知らず
やがて、自分にも、母と同じような時がやってくる
その時になって、母の気持ちがどうであったか、わかるだろうか わかっても、遅い
自分の老いを、なすすべもなく受け入れるだけ
2010年03月16日
グループホームの火災

グループホームで火災が起こった。沢山の老人がその犠牲になった。
原因は、石油ストーブだった。
以前にも、石油ストーブの発火から、老人施設で、7人の入居老人が亡くなっった。
新聞の切り抜きを、妹が持参して、読ませてもらった。
防火体制のすさんさと、夜勤が一人で、どうにもならなかった。
非常口がふさがれていて、夜勤は一人、車椅子の入居者を誘導することが出来なかった、と
夜勤にあたっていた、介護士は、原因について語っている。
作用の病院で、若い看護師が、6人もの、物言わぬ老人の肋骨を上から押さえつけて、骨折させていた。
インターネットで、トイレで、認知症の老人に虐待を加えている様子を、流す人もいる。
閉ざされた世界の中で、身動きの出来ない、言葉を発せない、未来のない、老人達が、昨日も、今日も
どこかの施設で、家庭で、虐待されている。
今回の火事で、志望した老人の家族が、テレビのインタビューに、淡々と答える様子に、悲しみは見えなかった。
「命」が軽んじられてる傾向のある社会、自殺者が急増する、日本で、今最も軽んじられているのは、介護を必要とする、高齢者達ではないだろうか。
夜間、9人に一人、というのはあまりにも酷く、貧しい介護体制。
最低、9人に2人は不可欠、介護保険の改正が望まれる。
民間の小規模グループホームに対する、安全対策基準を厳しく強化して、外部の第三者評価を、年に2回、義務化をして、老人を預かる施設が、介護全般に、改善すべき所の、指導も強化すべきだ。
2010年03月15日
家が建つ

ついに、我が家の前に、
家が建つ。
自慢の夜景とおさらば
ピンポン
朝、早くから、誰だろう
御挨拶に
ピンときた
いよいよ来たな
建築工事のご挨拶
荒れ果てた庭に
素晴らしい借景が
ちりばめられた宝石
闇夜に、燦然と輝く
建築物のばけものが
私の視野から
巨大な バリケードで
光の輝きを奪う
ブルドーザーが
騒音と埃をまきあげて
秘密の宝物を
容赦なく 奪っていく
家が建たなかったことが
奇跡だった
空き地だったことが
夢だった
ピンポン
目を覚ましてください
これが現実です
鉄筋とコンクリートの
コラボレーション
騒音と汚染をまきあげて
不夜城を 壊していく
2010年03月13日
子供と母親

整骨院をやめて、整形外科に通っている。
車で、15分くらいかかるので、家の近くに変わろうかと
思っているが、親切な先生なので、ふんぎりがつかないでいる。
医院の壁には、表彰状がいくつもかけてある。
地域の救急医療や、介護医療への貢献に対する感謝状と表彰状。
看護婦さん達も、親切で、感じの良い人ばかり。
車の検査受けに出す前に、今朝も、リハビリに行った。
帰りのラジオで、母親との思いでをファックスで募集したものを
読みあげていた。
入院している母親に、ありがとう、と言われる辛さから、
ありがとうはやめてよ、と「すみません」と言ってもらうようにした
息子さん。
注射の1本も変わってやれないのに、ありがとう、と言われると、どうしようも
なく落ち込んでしまう。
「すいません」なら、いえいえと鼻をこすりながら、おどけてみせられる。
最後の一日になってしまった夜、母親に「また来るからね。さようなら。」と
別れを告げた思いでがよみがえる。
行くたびに、
病院を出る時に、「このまま会えないかもしれない。」と寂しく思ったこと。
その頃の思い出は、楽しかった日々だった、と。
一人の女性は、八つ当たりしていたことを、母の入院で反省したけれど、今は又
元気になって、優しさに甘えて、ストレスのはけ口に、との反省の弁。
それぞれの子供だった大人と、お母さんとのドラマ。
母親にストレスをぶつけたり、八つ当たり出きる人は、お母さんの前で、子供でいられる
人だ、と思う。親に遠慮のない人、距離のない人、甘え、頼っている人。
母は、いつまでも母であり、子供はいつまでも子供のままの人。
「いつまでも、あると思うな、親と金。」
父の残した数々の中の一つの言葉。
私の教訓になっていて、それらが、私の行動思考を形成しているように思う。
2010年03月12日
不幸な出来事が、幸せも運んでくることも

朝、早くにメールが来ていた。
飛行機の大嫌いな友人が、これから飛行機に乗るまでの、時間待ちに書いたメール。
身内に不幸があって、急きょ北海道に。
時間が待ってくれない。
私は、ぎっくり腰で、身体が思うように動けない
彼女が、私のように、ぎっくり腰でなくて良かったけれど、海外には絶対に行かないわよ、飛行機がいやだから、と大嫌いな飛行機に、無理やりにでも 乗らないわけにはいかない時がある。
ご主人にしがみついていることだろう。
恐ろしい思いというのは、抑さえようがない。
がたがた震えて、時間を耐える
御主人が、英雄に見える 頼みの綱になる
不幸な知らせは、突然やってくる
そして、ご主人との深い絆を運んでくる
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11:10
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2010年03月11日
鳩山総理の優しさは?

今日の参議院予算審議で、以前に質問に立った、西田議員が質問に立った。
厳しい追及も、暖簾に腕押しという感じで、淡々と、人ごとのように、 鳩山総理は、受け答えしている。
民主党議員達は、鳩山総理の人柄を褒める。誰にでも優しい人だ、と。
鳩山総理の口から、暇がなくて、室蘭には一度も行っていない、母親に会うのは、年に1度か2度、と聞くと、この人は本当に優しい人何のだろうかと疑念が沸く。
お世話になった人達から、そのお礼も言われたことがない、というようなコメントを聞くと、優しい人なのだろうか、と思ってしまう
宇宙人だから?
鳩山総理の口からは、友愛や、命を守る、自殺者0を目指して、などと、誠実でけなげな言葉が、目白押しに出てくる。
力を込めて、熱く語っている。
自分を信じてほしい、辛抱強く、もう少し待ってください。必ずや、国民の期待に応えます。
なんか、白地らしく、存在の絶えられない軽さ。
ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ、と歌ったり、奥様とデュエットで、演劇に出演したり、 ファッションショーにも、臆することなくポーズで決めて、サービス精神なのか、自信がミーハーなのか、よくわからない行動や、歯の浮いたような発言が、今の真面目そうな鳩山総理の背後に見えかくれする。
同人物の、光と影の部分が、白日の下にいつもさらされた形で存在する
宇宙人というものだから、だろうか。
2010年03月10日
可愛そうな母

痛み止めを飲んで、母の施設に行った。3日間行っていなかった。その間に弟夫婦が行ってくれているかも、と期待して、家で寝ていた。
面会帳に、弟達の記帳はなかった。
4階の部屋に上がると、テーブルに座っている、母の後ろ姿が見えた。おやつが終わる頃、お皿にクッキーが残っているGさん。その人は、口にものを入れるのも、大変な作業。長い時間をかけ、自力をふりしぼっている。
おやつに足そうと、持って行った、スナックパンは、夜のおやつに出しますと言われた。
「どうしているのか心配していたのよ。病気でもしているのじゃないか、それとも、外国に行ってしまったのではないか。良かったわ。来てくれて。」と母が言う。
「おひな祭りに来たじゃないの。ぎッくり腰で、休んでたのよ。しばらく行けないわ。」
「どうしているのか、心配してたのよ。良く来てくれたわ。久し振りだわね。安心したわ。ところで、Kちゃん、帰ってくる?何時帰ってくるの?もうずっと日本にいるのでしょ。」こういう会話が、延々と繰り替えされる。
リビングは、灯油のストーブ一つだけで、寒い。エアーコンディションは形だけで、使用していない。
ヘルパーは、ノートの記帳に専念していて、テーブルの前で、入居者は、無表情のまま座っている。
母が話し、私が同じ答えで返す。
母の部屋は、寒すぎるので、部屋にいることが出来ない。たった一つの灯油ストーブでも、人気があるので、まだましなのだ。
殺風景だと思ったら、おひな様が無くなっている。白い壁がむき出しになって、一枚の習字が貼ってるだけ。
「 何か歌いましょうか。 」と歌い出すと、そばにいる女性達は歌い始めた。男達は、無反応。何もすることがなく、食べることだけが楽しみの毎日。
母の部屋に行き、タンスの中に、小さな最中をいくつかとナッツの袋を忍ばせた。母は、それを取り出し、「これ持って帰って、食べて。」と言う。
「今持ってきたのよ。」この繰り返し。
最中を母に手渡すと、「美味しい。」と言って、食べてくれる。それほど美味しくないが、夜、母は、タンスの中に入れてあるお菓子を食べることくらいしか、楽しみはないだろう。
明日のお風呂の用意に、4階に上がってきたヘルパーさんが部屋にやってきた。
「お母さん、この前から電話がなると、私だわ、と言って、飛んできて電話機を取られるのです。電話がなる度に。声が聞こえないのに、電話は聞こえるのですね。お母さん、喜んでおられますわ。ずっと待ってられました。どうしているのかしら、もう来る頃なのよとおっしゃって。」と言われた。
母は、私が来るのだけをひたすら待っているのだろうか。
可愛そうな母。なんとか、元気でいなくちゃ。
2010年03月10日
治癒

整骨院に行き始めて、痛みはひどくなる一方。
昨日は、連日で、詰めて来るように言われたけれど、その後で、益々痛くなった。
今朝は、座っていても、神経がされるようで、じくじく痛む。
整形外科に行けば、整骨院には行けなくなるが、それを覚悟で、以前に通っていた
医院に行った。
「整骨院に行っていたのですが、益々痛くなってきて。」と言うと、
「整骨院には、痛みが取れてから行かれたら。」と言われた。
レントゲンを取ってもらい、骨には異常がなかった。
「薬出しましょうか。」
「お願いします。」
リハビリ用のウオターベッドに乗ると、気持ちが良かった。次に電気。これらは、整骨院にも置いているもので、マイクロの電気は整骨院でもしていた。
違いは、低周波と、そのあとの手技。整形外科は、それがない。
ベッドを持ち上げた後、コナミに行って歩いたのが、悪くした原因だろうと、医者は言う。 痛いときには、無理に付加をかけるのは良くない。
身体を治すのは、私自身で、薬が治すのではありません。薬は治すのを手伝っているだけです、と言われた。風邪薬にしても、どの薬にしても、補助剤なのだ、と。
痛いと、筋肉が硬直して、よけいに治りにくい。緊張をほぐし、痛みを抑えると、身体が楽になり、動き安くなるので、身体が修正されていく、のだと言われた。
整形外科に行くと、痛み止めと貼り薬、リラックスを助長する器具、電気や低周波などのリハビリ設備、など。ブロック注射をすると、動きが楽になって、動き安くなる。
これらは、全て、自分で自分の身体を治す、補助手段、手をさしのべる手助け。
骨折していれば、そこを接続する。膝関節が悪ければ、手術する。それらは、あくまでも、自力で治す、補助だ、ということなのだ。
脳梗塞で、動かなくなった身体が、動くようになる人もいれば、そのまま硬直してしまう人もいる。
リハビリは、専門家の補助によって、患者が、自力で治していく。そこに、限界はないのだ、と、私は、医者の話から、想像出来た。
医者が、「整骨院に痛みがなくなれば行きなさい。」と言われた理由はそこにある。
整骨院で、痛みが取れていくのなら、行けばよい。痛みが治らないのなら、やめておく。 自分の身体次第なのだ。
「 整骨院に通って、長くかかりましたけど、治りました。」という人の話を聞けば、
根気良く通えば、治るのかな、と思った。根気よく、通って、治したのは、その人の治癒力だった。
低周波、マイクロ、電気など、効能は、痛みを和らげると書いている。手技は、筋肉をほぐしてやる役目。動きやすくする、というのが、整骨院の仕事。
相性があります、という人がいる。補助なのだから、相性があるに違いない。どの医者も、整骨院も、患者が自力で治すのに、効果的な補助をすれば、良い、ということ。
整形外科に行って良かった。自分の身体、痛いときには、いたわって、痛みが取れれば、
自然に動き出す。それで良い。薬の補助に頼るとしよう。
2010年03月09日
ひな祭り

施設から、おひな祭りに集まる時間の案内があった。妹と弟のお嫁さんにメールで連絡した。
妹が娘二人と赤ちゃんを連れて、来てくれた。
おひな祭りと言っても、他の行事と同じで、することは決まっている。皆で、唄を歌うだけだけれど、家族が側に寄り添う、ということが、一番の行事だ。
いつも難しい顔をして、周りの人に説教ばかりしている人の笑い顔を初めて見た。
あんなに、優しい顔を見たことがなかった。
親子揃って、美人揃い。
3階の入居者と合同で、今回は、3階で行われた。
母は長い間、3階の人達に混じって、3階にいたので、入居者の顔ぶれはよくわかっている。
見たことのない人がいた。入れ替わりがあったらしい。
一番若い人がいなくなっていた。可愛い人で、私が一番好きな人だった。
妹付き添ってくれているので、私は4階で、母のサプリメントを袋に詰める作業をする。姪達も4階の母の部屋にいた。それぞれの赤児は、すやすやと眠っている。
4階では、介護士が、雛祭りのパンを焼いている。素人はだしの出来栄えだ。
「わあ、すごく綺麗ですね。パン屋さんみたい。」と私が言う
「パン屋に勤めていましたから。いずれは、パン屋さんをしようと思っています。」
そうか、それで、この施設で、毎月パンの日があるのだ。
3階に下りると、歌会は終って、それぞれの階で、これからおやつの時間。
介護士さんが、焼いた、アンパンが、お雛祭りのおやつ。
参加している家族にも、ふるまわれた。
母は、食べずに、妹や娘達に 食べさせようする。
「皆、もらっているのよ。」と言っても、大好きなアンパンなのに、
食べようとしない。
私が、誘い水に、小さく切ったパンを口に中に無理やり入れた。
母は、それが美味しくて、自動的に、手と口を動かし始めた。
「美味しいわ。」
私は自分用にもらったパンを母の机の中に入れた。夜のお楽しみ。
妹達は、昼食をまだ食べていない。外出届には、前もって記入しておいたので、
おやつの時間が終わってから、隣の神戸屋に行った。
母は、ここでも、なかなか、自分から食べようとはしない。赤ちゃんに気を取られている。
母と私は、いつものシューとコーヒーとの組み合わせを注文した。
私は、母の目の前にお皿に、シューを乗せ、サラダを分けてお皿に。
母が、いつのまにか食べ始めた。食べ始めると、次から次に、シューに手が行く。
サラダバーのパイナップルを乗せると、それも美味しいと言って食べている。
「エレベーターに一緒に乗って来た人が、パン代300円請求されてたけど。」妹の娘が言う。
「聞いてないけど、施設に帰ったら、聞いてみるわ。」
妹達と別れ、施設に母を送り、パン代のことを尋ねると、
お金を払わないといけないようだった。
一人300円ではなく、200円、人数が多いから、まけてくれたのかも。
何かと言えば、お金。どこでもなのかしら。世知辛い世の中。
2010年03月08日
私の故郷

ラジオから、
ファドが流れている
ものがなしい 響きは
どこか 懐かしく
心に 染みる
私は、どこから来たのだろう
私の 故郷はどこなのだろう
私の故郷は 日本ではないような
アウトサイダー
意識は そう よそ者
根無し草 わすれな草
スペインの血が入っていせんか
フランスで あなたと似た人を
見ましたよ
ラジオから、
ファドが流れている
もしかしたら
私の故郷は、ポルトガル
昔、昔、ポルトガルから
流れ着いた 祖先
故郷を懐かしむ
ファドの 物悲しい響き
心が 震える
2010年03月06日
ぎっくり腰

腰は、日ごとに悪くなった。
歩くと、響く。中腰になると、痛みが走る。動けない体勢も
いくつか。コナミで歩いて、お風呂に浸かれば、良くなるだろう。
というのが、間違っていた。
頸椎の痛みを抑える、痛み止めを飲んで、出かけた。坂道を歩くと、いちいち腰に、ずしんと響く。
松竹座の椅子に座っているのが辛いので、ダウンコートを丸めて、腰にあてると、楽になる。
痛み止めが効いて来て、居眠りばかり。起きている時間の方が短かった。ココ、シャネルを、ミュウジカルしたお芝居で、シャネル役の真央さんは、相変わらず美しいが、シャネルにしては、背丈が大きすぎる。
ニューヨークに写真展で見た、年老いたシャネルの顔が、浮かんでくる。
相手役の男の子が可愛くて、若い。宝塚の男役のようだった。翼、という人。
たしか、私の嫌いな、占い師が、タッキーと呼んで組んでいた男の子のパートナーだった人だと思う。
芝居が終わって、写真を取っておこう。誰かのコメントが貼ってある。
森光子さんだった。二人のコンビが素晴らしいと絶賛していた。やはり、ジャニーズ。
いつものように、水掛不動産にお参りして、帰って来た。家の近くに、整骨院があるのは知っていた。
以前に、鎖骨を折った時に、整骨院で、長い間苦しい思いをして治してもらった経験があるが、整形外科で手術すれば、2週間で治ったことを、後で知った。
それまでは、実家の近くにある、整骨院などに、通っていた関係で、その整骨院にも、時々お世話になっていたが、2ヶ月も、鎖骨を治すのに、ひどく痛い思いをしたあげくに、 後に、整形外科のレントゲンで、鎖骨がずれていることがわかった。金で止める手術あおしていれあ、完全に治って、しかも楽だったらしい。
それ以来、整骨院は避けていたので、3年目に出来た、その整骨院も、横目で見るくらいだった。
コナミで、高周波治療器の体験販売をしていた。頸椎が痛むので、試してみた。3度通って、痛みがなくなった。体験販売は、期間延長しているが、器具を勧められるので、行けなかった。
松竹座の帰りに、バス停留所の前にある、整骨院が目に入った。整骨院というのは、ああいう器具を使っている。電気をかけてもらえば、楽になるかも。
一旦家に帰り、荷物を置いて、整骨院に行ってみた。
電気をかけてもらい、先生が腰の治療にかかる。ぎっくり腰だ、と言われた。動かない方が良い。お風呂は軽く、長く座るのも、立つのも良くない。
腰は以前から、悪いでしょう、と言われた。
悪い所と言えば、腰は勿論、肩も、首も、膝も、尾てい骨も、体中。コナミで水中歩いたり、散歩したり、痛みは出たり、引っ込んだり。ぎっくり腰になりかけ、というのは何度も体験している。
ぎっくりにならないように、と水中歩いていたら、ぎっくり腰なので、歩かない方が良かった。自己流の逆治療。