2012年09月18日

生きているうちが華

 生きているうちが華
   

 ニューヨークで長く一人で暮らしていた人が、今月の初めに亡くなった。
ホスピスに入って、最後の時を待ちながら日日を送っていた。
 親友が来日する前日に亡くなったとのこと。
 親友は、この6月から7月にかけて、彼女の為に、日本に帰り、2週間余り、側に付き添っていた。
 もうだめだと言われたのに、奇跡的に、元気になって、笑いながら、親友との時間、幸せな気分で過ごしていたという。

生きているうちが華

 お葬式も、お墓も、お墓参りも入らない、という遺言通りに、お葬式はなく、お骨をおいて、お別れの式を、近親者で行ったとか。

 それでよい、と私は思う。
  生きているいるうちが、人間。人と人との関係性において、人間の価値がある。
 亡くなれば、亡骸で、火葬であれ、土葬であれ、皆、土に帰る。土の一部になって、自然の一部になる。
  モンパルナスの墓地に葬られている、吉田さんのお墓も、50年かその先になれば、掘り返され、他の人のお墓にあてられる、と生前の吉田さんから聞いた。

生きているうちが華

 魂は、魂が生き続けるとしたら、天国に、永遠の住まいを得ている。
 空を見上げる方が、その人の魂に触れることが出来るだろう。
 土を取れば、その人の身体に触れるだろう。

 千の風になって、という歌は、真実のように思える。

 生きているうちが華、生きているうちに、後悔のない人生を送りたい。
 やらずに、嘆くよりは、やるだけやって、力尽きたい。

 瀕死の白鳥のように

生きているうちが華

   かっこの良いこと言っているけれど、現実は無様なものだ。
 コナミからの帰り、眠くて、どうにもならないくて、7時半から寝て、翌朝5時まで寝ていたので、もう大丈夫かな、と思っていたが、豊中の病院に叔母を見舞って、いつもより早く、切り上げて、母に会いに行き、5時過ぎにそこを出て、コナミに行った。
 頭がぼっとしてきたので、水中歩行は15分で切り上げ、お風呂もそこそこに、出て来た。
 車を運転し始めると、もう眠けが襲って来た。
 昨日よりもやばい。途中で止まれそうな所もなく、ほっぺたを叩きながら、運転していた。
 冷蔵庫の中身は乏しいけれど、立ち寄って、買い物をする元気もない。
 やっと小林の坂道まで来て、一瞬、道を外して、もう少しで、壁にぶつかる所だった。

生きているうちが華

 一瞬の睡魔、怖い、怖い。
 それから、家までの間も、眠気に耐えられそうもない、と思われながら、やっと家の倉庫に収めた。
 このまま、寝てしまおうかと思ったが、お腹が空いている。
電子レンジで温めた、お好み焼きを、フランパンで焼き直して、ワインとビールで。
 お腹が一杯になって、歯を磨いていたら、そのまま寝てしまっていた。
 夜中、何度か、目は覚めたものの、5時まで寝ていた。
 車は控えておいた方がよさそうだ。

生きているうちが華

  毎日、車に乗って、通勤している息子達は、そうはいかない。
 気を引き締めて運転していても、自分の限界を超える時がある。
 人には、いつも、眠気が酷いときは、車を止めて、寝るように。
 でも、時間に追われて生活している人達に、そんな余裕はない。
 恐ろしい事態になって、しまった、と後悔するものなのだ。

 今日も、頭がぼっとしている。
 さて、行動に出るか。しなくてはならないことがある。

生きているうちが華
 
 朝、6時のラジオ体操をやっていたので、身体を動かしてみた。
 堅い。動かない。筋肉が、別人のように、言うことを聞かない。
 なんで?あれほど動き回っていたのに。身体はこちこちに膠着
している。

 


同じカテゴリー(日々の事)の記事画像
庭の手入れ
宝塚
一心寺
プレゼント
母の部屋にお花が匂う日
ikariの、野菜だらけのうどん
同じカテゴリー(日々の事)の記事
 庭の手入れ (2016-10-01 16:54)
 宝塚 (2016-09-24 17:31)
 一心寺 (2016-09-23 23:57)
 プレゼント (2016-09-22 18:32)
 母の部屋にお花が匂う日 (2016-09-21 14:23)
 ikariの、野菜だらけのうどん (2016-09-20 12:11)

Posted by アッチャン at 12:32│Comments(0)日々の事
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。