2008年11月04日

石川九楊「源氏物語書簡五十五帖」 

 


 石川九楊「源氏物語物語書簡55帖」という展覧会が、京都国立文化博物館の6階で、11月9日まで開催されている。
 スペインのマジョルカ島に在住の画家が、堺町画廊で個展をしているので、その画家と懇意の友人から、時間があれば見に来て、という誘いをもらっていた。友人のブログに、 「源氏物語書簡55帖」の事が書いてあったので、聞くと、石川九楊という書道家だと言う。以前に聞いていた名前なので、是非行ってみたいと思った。堺町画廊は最終日にあたっていたが、住所をプリントした紙を忘れて来たので、京都国立博物館まで行けばわかるだろうと思って、先にそちらの方に。
6階に上がると、石川九楊さんが、図録にサインをしておわれた。2日と3日、午後1時半から3時までと書いている。見ると、丁寧に時間をかけて、作品のようなサインをしておわれる。3時は過ぎているのでは?と聞いてみると、待っている人には、最後まで大丈夫ですよ、と言うので、私も1冊買って、列に並んだ。真っ白な紙に、墨をつけた筆触の動きを、見つめていると、息を飲むような緊張感と、魔法を見ているような驚きの中で、 感動しながら、自分の番を待った。5人くらいの人の図録だったが、それぞれに違った書き方で、一瞬止めて、筆で黒を濃く深く置いた後で、細く糸を引くように。
 紙に名前を書くと、それを見ながら、イメージに合わせて書いてくださっているのだろう。私の番が来て、へたくそな字なので、名前を書くのに、最後の方は手が震えてしまった。書に興味が深く、書に親しんでいる人が、この展覧会を見に来ているのだろう。私のように、何の下地もなく、しかも初めて、なんて言う人はいないにちがいない。

 

 長い時間をかけて創作してくださったサインの書は、素晴らしい作品になっている。
サインをしていただいてから、本当の作品を見せていただくという逆になってしまった。 サインを見て、すごいと感動を覚えたが、実際の作品に触れて、思いは更に。
 古今和歌集や、源氏物語りが、ひらがなで書かれたのではなく、ひらがなという文体が、古今和歌集を世に出したのだ、という。ひらがなの誕生は、日本のルネッサンスだと。
 
 よろずのこと、昔には劣りざまに、
 浅くなりゆく世の末なれど、
 仮名のみなん今の世はいと際なくなりたる。 石川九楊

 「源氏物語」を書くということは、書き方において、その書き手の身体表現、想像力、
背後に歴史と文化、四季が織りなす自然等、無限の織りなす作業であり、それは芸術、文学と同じ作業であり、書き方が、その芸術性、文学性を表象している。

  京都国立文化博物館

 マルグリットデュラスが、バッハを労働者だと言葉で置き換えたが、石川九楊の「源氏物語」は、労働の産物である。カンディンスキーを思わせる、ピカソのエロティシズムを思わせる、クリムトを。音楽性とエロティシズム、心理の葛藤や四季が織りなす、触感と音。
 書き方でその人がわかるといわれるが、その書き方を芸術、音楽や文学の表現手段をして可能にしたのは、かなであり、その手段で源氏物語を書に表した「源氏物語書簡五十五帖」を拝見する機会を得た事は、私にとっても、至福の喜び「たのしみ」だった。  

Posted by アッチャン at 12:02Comments(0)art