2009年06月30日

炎症が14から6まで落ちた

 吉田画伯の素敵な絵画をインターネットから

昨日の朝、病院に行くと、母は身体が痛くて起き上がれなくて、ベッドの中で、朝食を食べてもらった。熱が7度7分あり、熱の為に関節が痛かったのだろう。トイレに立つまでは大変で、ベッドに腰かけた状態から、傍に置いてあるかにトイレに移動するために、一度立ち上がらないといけない。その行動に出るまでに時間がかかる。水分の補給を、何度にもわけて与える。
 昼食も良く食べたし、夕食は完食した。熱はあるけれど、夕方になると、体の痛みも消えているようだった。
今朝行くと、母は食事を始めていた。味噌汁をのみほした所だった。持って行った卵を2個食べて、ミルクを飲み、食べられないといいながら。
御粥を6分くらい食べた。南部梅を添えると、口あたりが良いので、食が進むようだ。今朝は痛いと言わない。昨夜、3つのコップにお茶をわけていれておいたのを、全て飲み干していた。
 朝久しぶりの血液採取があり、整形外科の診察日。外来に呼び出しがかかった。看護婦さんが車椅子を持ってきて、「忙しいのでお願します。」と言って出ていった。ベッドから車椅子に乗るまで、母は背中が痛い、膝が痛いと言いながらも、私が手伝おうとすると拒む。車椅子に移動するのに、立ち上がるまで、力を入れるのが大変なようだ。筋力が弱っている。
 診察に行くと、血液検査の結果が出ていて、炎症反応が、14から、一挙に6まで下がっていた。このままステロイドをしばらく続け、リハビリも入れましょうと言われた。
リウマチかどうかの判断は難しいと言われるので、私が「CCP検査をすれば、わかるのでしょう。」と言うと、「それをやってないので、来週の採決の時にやりましょう。」と言われる。私はさらに「あれは結果がわかるまで2週間くらいかかるのでしょう。」と言う。医者も、CCP検査をすれば、リウマチかどうか、確定的な判断がつくことは認めた。
「外に検査を依頼するので、それぐらいかかります。と言うので、早くしてもらわないとと思い、「今日にでも」と一旦は依頼したが、どちらにしても、今はリウマチとしての治療をしているのだし、例え、母が良くなって、退院しても、そのあとで結果が出てもかまわないということで、来週の採血の時に出してもらうことになった。
 それにしても、リウマチかどうか、それほど慎重に判断できないのなら、CCP検査を最初からやれば良いのに、と思う。
どこの医者でも、それをやろうとはしなかった。勿論、私も、インターネットで、自由が丘整形外科を見つけ、そこでその検査が重大な決定証拠になると知るまで、知らなかった。リウマチの薬の副作用を避けるために、葉酸が効果的だということで、その医院では、来院する前に、葉酸を飲んでもらうように患者さんに依頼しているというので、母にも、ファンケルのビタミンB群を飲ませ始めている。

今かかっている整形の医者は、まだ若い人なので、それで随分助かっている。仮に老練な医者だと思いこんでいる人だったら、その必要はないでしょうと、頭ごなしに断られ、リウマチではないと断定するだけで終わったかもしれない。
今は新薬が出て、リウマチの治療法も進歩している。母の場合は、このまま、ステロイドで様子を見ながら減らして行き(今は10ミリ使っている)生活の支障がなくなれば、薬をやめていくようにと、医者は考えているようだ。とりあえず、今は、ロキソニンを使わなくなっている。
抗生物質をがんがん入れて、炎症が下がらない時に、ロキソニンがなくては、痛さと熱を抑えられなかった。当の内科医にエレベーターで出会った際「調子が良さそうですから、このままの治療方針で良いのではないでしょうか。まあ、肺炎はあるのはあるのですが、」と言われた。
 今朝の採決の結果は、まだその時にご存じなかったから、やっと6まで下がったので、良かった、やれやれと思っておられるだろう。

 血液検査のコピーをもらった。以前のに比べると、赤血球が少し、増加し、全体に以前は悪かった所が、正常にわずかではあるが近くなっている。
 母は、良くなっている。


  

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2009年06月30日

牡丹亭

東京の映画館での舞台挨拶

http://japanese.cri.cn/205/2008/05/15/1@118178.htm くわしい説明は、このホームページにアクセスしてください。玉三郎の美しさを堪能できます。

 
  京都の映画館で、板東玉三郎が演出、主演を演じた「牡丹亭」という蘇州の昆劇が出来るまでのドキュメンタリーと、蘇州での上演を映画化したものが、7月4日まで放映されていることを知った。
 玉三郎の好きな友人に声をかけると、二つ返事で行くと言う。学校が京都だったので、私には遠い京都も、日常の行動半径の内なのだろう。
 
 京劇もじっくり見たことがなかったので、蘇州の昆劇など、全く知識がなかった。
一部で、玉三郎と中国の人達と共同で「牡丹亭」を作り上げていく過程や、背景となっている、蘇州の庭園、言葉の壁に挑戦する玉三郎の、ひたむきな努力、エキゾチックなホテルのデザインと調度、ああ、蘇州に行ってみたい、と思いがつのる。
 玉三郎が、中国服を着て、町の中を歩いている様は、すっかりとけ込んで、自由で、精神的な故郷に抱かれている印象を受けた。
考えてみれば、日本の哲学は、禅に由来するものが多く、舞台芸術は、能によって、確立されたが、それも、幽玄の哲学的なもの。中国から受けた影響は大きい。
 中国の昆劇は、詩歌と空中を風と一体になって舞う 身体の華麗な動き、とで成り立っている。
 着物の袖が長く、その袖をたぐり寄せ、手を出して、指で表現し、また袖を長く垂らして、動きを軽やかにする。衣に一体となった身体のしなやかな動きは、風に揺られる牡丹の花を表現しているように思われる。
 夢の中で出会う恋人への色香の漂う、愛らしさを玉三郎は、妖艶にして、純粋な美しさ、詩歌を、鳥のさえずりのように歌いながら、風になびく、滑るよう動きで、これ以上の出来はないと思われるほど、見事に演じきっている。五感に響く美の世界に、感極まって涙が出てしかたがなかった。


   

 友人の行きつけの店を紹介してもらった。毎日会館の地下にある、パブハウス。大学の学食を思わせる、ベンチ式の椅子と、素朴な木の大きなテーブルに15人くらい座れそう。安くて美味しい。話声が大きく、がやがやしているが、気さくで楽しい雰囲気の店だ。



 生ビールを2杯も飲んだのに、家に帰ってから、残っているワインを3杯と焼酎を飲んだ。アルコールが入ると、つまみも入る。翌朝、頭がふらつく。ワインの大箱は買うものではない。これからは絶対に買わない、と何度心に誓っていることか。   

Posted by アッチャン at 14:02Comments(0)演劇

2009年06月27日

吉田画伯の最後のメッセージ



 

 吉田さんの娘さんが、吉田さんの絵を送ってくださった。
この1月に、友人が吉田さんを訪ねた時に、預かるはずであった
絵、私が4月に来るからその時に渡すとおっしゃっていたという。
パリのアパートのどこかにあるはずの絵だった。
私宛の名前がかかれていた、と友人が言っていたので、吉田さんの作品をかたづける
御手伝いをしておられる方に、それとなく聞いてみた。探してあれば、知らせてくださるという
ことだったが、見た事ないですね、とのこと。
 頂かなくても、吉田さんが、私にどんな絵を選んでくださっていたのだろう、せめて見たいと
思っていた。それが最後のメッセージだから。
 娘さんのお手紙によると、吉田さんが、東京に来られた時に、鞄の中に入れて持ってこられていて、
鞄の中から出てきたものだとの事、絵の裏側に、吉田さんのメッセージが書かれている。
 きっと、東京で会えたら、と思って持って来てくださっていたに違いない。
御見舞いに伺うのが遅かったことが、あらためて悔やまれた。お電話した日、火葬の日だった。
吉田さんは、最後まで、お元気に話されていて、ご自分が癌だとは、最後まで信じておられなかった。
吉田さんと親しい方が、パリの病院に、強引に連れていかれた時、タクシーを呼ぶのを拒否されて、バスで行くと
言い張っておられたけれど、体力は残っていなかったので、従われたという。病院で、癌ではない、と診断されたので、
日本に帰って、養生することにした。だから、東京の病院で、癌だと言われても、そうではない、と信じておられたという。
腸が詰まって、食べられなかったので、痛みは軽減されていたとのことで、亡くなる前日も、見舞いにきた親戚の方と話をされていた。
御見舞から帰ると、亡くなったという知らせで、そのまま、また東京に舞い戻られたぐらいだったと電話で伺った。
 いただいた絵は、今まで私が持っている絵とは少し違っているように思われる。やわらかな色合いで、観音様をイメージするような、
絵画だと、私には映る。
 お正月の挨拶が冒頭に書かれていたので、そういう絵を選ばれたのだろうか。太陽とも、光り輝く,おおらかな円の下に、頭を出しているもうひとつの円とも、山とも、後光とも、雲とも、調和の取れた、安定した形。明るい、燃えるように輝く絵。
朝夕、般若心経を唱え、三尊からなる、仏像に手を合わせて祈っておられた、吉田さんを明るく照らす、後光のような絵画が、吉田さんの最後のメッセージとして、私に届けられた。
 改めて、吉田画伯のご冥福をお祈りさせていただきます。
  

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2009年06月26日

「命」ほど大切なものはない

 
 
 

母は体が痛くて起き上がれなかった事も忘れている。昨日、今日、朝行くと、すでに朝食を食べた後で、今朝など、看護婦さんが、「あっというまに食べられましたよ。全部です。」と言われる。バナナが冷蔵庫にあり、ミルクはまだ手をつけていないが、お粥300グラムとスクランブルエッグは残さず食べた。ミルクを飲んでもらった。成分を見ると、鉄分が普通の牛乳の15倍も入っている。


 昨日、看護学生の研修最終日で、母の身体日誌という手作りの本を作ってくださっていた。リウマチように、温める方法、貧血に良い食事などを、丁寧に調べて書いてあった。母へのお手紙も。鉄分は、一日に6グラム取らないといけないそうだ。母が毎朝飲んでいる、共進低脂肪は、鉄分が3,6グラム、入っているので、これを飲めば、あとは適当に他の食品で十分補えるようになっている。病院は、考えて、選んでいることがわかった。そのことを看護婦さんに話すと、彼女も知らなかったようで、「私もこれからこれを飲もうかしら。」と言って、これからは患者さんにも勧めてもらえるとのことだった。


 昨日は、久しぶりにシャワーを浴びることが出来た。ここ二日間、朝から平熱になっている。プレドニンは即効性のある薬だけに、副作用もあるので、炎症が治まれば、徐々に減らし、他の薬を使うようになる。リウマチの薬は、随分開発されているので、治らないが、以前は苦しんでいた人達も、元気に生活できるようになっていると聞いている。


 昼食前に、体重計に乗ると、43キロになっている。朝から、散歩する姿を見て、看護婦さん達も声をかけてくださる。「良かったですね。」


病院の中で、歩いて散歩できるお年寄りは、母ぐらいなもの。母はそういうお年寄りを見ると辛くて涙を流す。「かわいそうやねえ。」


 隣の病室の、床ずれの患者さんは、デーセンターでも、内科の医者でも、わからなかったそうだ。そんなことがあるのかと、不思議ではあるが、


母のケースでも、高齢者の肺炎、認知症患者の末期で食べなくなる、痛いと思いこんでいるのではないか、など、ステレオパターンだと思われていたのだから、「いいかげんですよ、こちらがしっかりしないと。」と娘さんが、言われる通りなのだろう。


 昨夕、母は沖縄の踊りを踊り始めた。いつまでも元気でいてほしい。「命」ほど大切なものはない。

  

Posted by アッチャン at 14:21Comments(0)日々の事

2009年06月24日

看板に偽りあり?

 

 

思えば、母のリウマチは、膝に水が溜まり、膨れ上がっていた時にも、兆候が出ていたように思われる。微熱があり、歩くのが困難になり、膝が膨れあがり、足首も腫れていた。グルコミサンを飲むようになってから、歩けるようになっていたが、いつも熱っぽかった。手を取って歩くと、熱いなあ、と思う事が良くあった。最近になって、触ると痛がり、トイレに立つ事もままならず、朝のデーセンターのお迎えに、介添えを頼んで、玄関まで、お尻をつけたまま、いざってしか動けなったのが、センターでは元気になっていた、というので、リウマチの兆候ではないかと思うのが普通なのだ。親指の関節がおかしかったが、手を遣いすぎたのでは?との医者の見方、その次に、手が痛くなって、石灰が貯まっていて、それで炎症が起こっているとの判断、微熱はずっとあったものの、炎症があるから、と。確かに、脱水症状があれば、炎症が高くなる。高熱が出て、内臓関係では?と紹介されて、入院してからは、内臓には異常はないから、石灰による、疑似痛風なので、抗生物質で炎症を抑えようということになり、肺に無機肺があるので、肺炎だということになり、何回か、抗生物質を強力なものに変えても、一向に炎症は下がらない。やっと腰をあげてくれた、整形外科医が、リウマチの検査をしてくれて、陽性反応が出た。そのころになると、赤血球が減少し、貧血状態である。炎症が長引けば、こうなるそうだ。 今朝、母の手の関節が腫れて、節が太くなっている。靴は足が膨れて履けなくなっている。
 病院には、リウマチの専門医はいない。リウマチという看板をかけている医者は多いが、母の場合、膝の時から、リウマチの看板をかけている医者ばかり。病院では、今でも、その疑いがある、というだけで、判定を下したわけではない。
 石灰の炎症だと判断した医者は、母が認知症だから、と痛いと言っていることにまで、疑問を持っていた。神経痛のような痛さがあって、触れると痛いと言っても信用していないような感じも受けた。
 朝の痛がりようを実際に見ていない人は、昼間から夕方にかけて元気なのでわからない。神経が他に行くと、痛みの感覚が消えるので、よけいにわからない。
昨日、看護学生と交代するのに、病室に行くと、妹が来ていた、一緒に5階にある売店に行って来た後で、部屋はクーラーで寒いと思い、消そうとすると、母が熱いと言ってパジャマを脱ごうとしたので、入れているのだと言う。歩いて運動したので、熱くなったのだろう。
母は喜々として、冷蔵庫の中のものを出し、戸棚の中のものを出し、イカリの紙袋と、もう一つの紙袋に分けて、入れて、重くないかを持って確かめている。
 夕食にお造りとお寿司、鉄分にプルーンを買って持って行ったものも。おまけに値札を見て「安物で悪いのだけど。」と恐縮しながら、袋に入れている。元気で動き回っている。
 看護学生も驚いている。朝とのギャップの激しさ。私といる時とは大違いなので、妹に来てもらっている方が、母の回復は早いのではと思う。

夕食に、入院後初めて、お造りとお寿司を食べてもらったが、二切れとお造りを食べただけ。
薬が変更になることを告げに来た、薬剤師が、薬を飲むと、食欲が増して、肥る傾向に、というので、それは嬉しいこと。
 帰り際、母がそこまで送って行くといつものように。たまたま看護婦さんがいて、少しだけ歩く。看護婦さんが、「お母さんやね。」
「弟さんが来ると、コーヒーを入れようと一生懸命になっていますよ。」
母は、弟と妹には、特別の可愛いさ、かわいそうさ、を持って接している。
先日、ラジオで、かわいい、とかわいそう、という言葉は、意味が違うのはどうしてなのか、という疑問を言語学者への質問があった。ほかの言葉は、皆同じ意味なのに、というのである。おいしい、おいしそう、苦しい、苦しそう、など。
 平安時代は、同じ意味だったそうだ。かわいそうなくらいかわいい、という意味だったそう。
  

Posted by アッチャン at 15:13Comments(0)日々の事

2009年06月23日

リウマチの治療が始まる



 

整形外科から呼ばれた。
「熱は肺炎によるものではなく、炎症反応も高い。血液検査の結果、リウマチが陽性になっているので、ステロイド系の薬を使ってみます。今後は、内科の先生と相談しながら、やっていきます。」と言われた。
「膠原病では?」と私は思っている。母が水分を取っているのに、口がよく乾く。赤血球の減少、貧血は、リウマチの抗体をつくるので、そうなっていくらしいが、膠原病でもそう。
 母のリウマチ症状は、以前からあった。手足が冷たいかと思うと、熱を持って、体温が熱くなる。寒気がする、体がどうも調子良くないから、温泉には浸からないという時に、押して入ると、こちらは心配するのに、気持ちが良いと長風呂になる。心臓の強さ。
 リウマチ患者を扱っているという看護婦長さんの話では、リウマチ患者は、甘いものを良く食べる。それで食欲がないせいもあるが、食欲がないのだそう。
私の友人にも、リウマチの人が数人いる。彼女達に共通するのは、「とても優しくて、気を遣いすぎるくらいに、気を遣う」ということ。
そういう人達は、結婚して、年月を経てのちに、発病している。看護婦さんにその話をすると、確かにそうだ、と同意された。
 母が、寝床から、立ち上がれずに、触るのを拒否して痛がっていた時に、リウマチではないか、膠原病では?と疑って、何度も医者にそのことを問いかけていたのに、取り合ってもらえなかった。リウマチを専門としている医院を信用してはいけない。リウマチ患者は、医者を転々として、長い経過を辿って、やっとリウマチであることを認められるケースも多い。
疑えば、最初から、名医のいる病院に、遠くても,訪ねて、緻密に検査をして、正確な判断の出来る医者に診てもらうことをお勧めします。幸い、今は、情報が豊富で、インターネットを通じて、情報を得る事が出来るのは、本当にありがたいことです。
母の場合も、これからで、まだ入り口にいるだけ。まだ他の可能性もあるし、治療方法も様々。痛みなく、日常の生活が出来るようになれば、いいのだけど、病名がなんであれ。
  

Posted by アッチャン at 14:23Comments(0)日々の事

2009年06月22日

 整理は支離滅裂


 

母は、熱はあるものの、随分元気になってきました。顔つきは、もう病人のようではないのに、体は相変わらず、痛いそうです。金曜日の炎症も、14,5で横ばい状態だから、明日、整形外科の診察があるので、治療方法を転換してもらえるのではないでしょうか。リウマチ用の治療をすれば、炎症反応が好転し、痛みもおさまるような気がしています。
 昨夜は、食事を食べなかったようで、そのことは覚えていました。朝は、最近卵を2個、ほとんど生の状態にゆでて、持って行きます。
今朝は、病室に入るとベッドに座っていて、トイレに行こうとして、立ち上がれないままにじっとしている所でした。 
看護婦さんが入ってきて、夜中も、行けないようでした、というので、紙をチェックすると1回しかトイレに立っていません。いつもは何回も行くのですが、便も一度も行かなかったようです。
 母は、足を何度か、床につけながら、はずみをつけて、やっと立ち上がり、向いにあるトイレに。
 朝食に、半熟玉子2個を飲むようにして食べ、ミルクを飲み、おかゆを3分ほど食べ、お味噌汁も飲みました。これだけ食べれば、充分。
あとは、足腰を鍛えて、ステロイド系の薬で、熱も炎症もなくなるのでは、と期待しています。
今日から4週間目にはいり、疲れも溜まって来ました。金曜日の夜から、土、日と連日で、出かけたので、なおさら疲れが出ているのでしょう。
身の回りの整理をしなければ、と手をつけ始めたことも、拍車をかけています。いらないものを整理して、アパートの一室でも住めるような形に変えるというのが理想なのですが、ほど遠い。
 9坪の文化住宅から出発した時にも、山のような荷物があったのに、その後、増えるばかり。捨てられないものばかり。
 
  

Posted by アッチャン at 14:37Comments(0)日々の事

2009年06月22日

京都、「神馬」


 

土曜日の5時半、京都は人手が多い。なにかあるのかしら、と思うほど。観光客だろうか。景気が良くなって来たのか、昨夜の梅田界隈も、人の頭の行列だった。歩くのももどかしいぐらい、人で溢れていた。
京都に、これだけの人が集まっていても、当然なのかもしれない。
 



少しでも早く、店に行くために、普段は乗った事のない、タクシーに乗ったら、混んでいて、なかなか動かない。ようやく、目的の「神馬」につき、中に入ると、おかみさん(おばちゃん)から、予約で一杯だからだめだ、と断られ、「タクシーを使って来たので、なんとか。」と頼んだら、
入り口でも良かったらと空けてもらえた。やれやれ。



 6月中に使ってしまわないといけない、阪急電車の土日だけ使えるラガールを買っていたので、まだ4回分も残っていて、それが使いたさに、京都までやってきた。京都に、夜来るなら、行きたい所は、「神馬」だ。老舗の居酒屋で、冬に来て、一遍にフアンになった。冬の名物、おでんは休暇中なので、京都のお豆腐やだいこん、蕪蒸しはない。お野菜は、なす料理と、白ずいきの料理くらいなものだけど、突き出しに出た、きゅうりと穴子、みょうがを利かせた酢の物と、カボスの冷たいスープが美味しかった。



 季節がら、お勧めは、お造りと、鱧料理に鮎の塩焼き、京都ならではの、鯖のキズシと鯖寿司、それに季節のはも寿司。
鱧ちり、螺貝、近海もののマグロ、どれも絶品だった。中でも螺貝は、磯の香りと歯ごたえがなんとも言えず美味しくて、アワビ以上。




 隣に座っている人は、冷酒の種類を変えながら、茄子の田楽、鯖のきずし、をゆっくりあてにして、時間を楽しんでいる。
次から次に、注文して、あっという間に食べてしまうのは、私達だけ。




 他の客の前に、のど黒の大きな魚一匹丸ごと煮つけが、やってきたころには、お腹一杯で、終わるころだった。
この店は、知るひとぞ知る、名店だ。少々不便な、場末にありながら、味にうるさい、酒にこだわる常連さんばかり。
 店を出ると、タクシーが止まった。「タクシーで来たのだから。」というのは、特別のことではなさそうだった。ここに来る人達は
タクシーでやってくる。四条河原町から、1500円くらい。




帰り道、祇園祭のお囃子が聞こえている。まだ早いのに、と思ったら、お稽古だった・窓を開け放した二階からだった。あとひと月で、夏の盛りがやってくる。


上京区千本中立売上がる
 075-461-3635  

Posted by アッチャン at 14:37Comments(0)旅のグルメ

2009年06月21日

あたりまえに生きる


 

先日、NHKの「この人に会いたい」という番組で、北陸の地に、道元が開いた「永平寺」の78代貫主、宮崎亦保さんの生前のお姿が放映されていた。106歳の長寿で、お話がとても新鮮で面白かった。
 「当たり前に生きる」ことが悟りだと言われた。言葉を換えれば、道元の[あるがまま]ということでしょう。
「自然は偉い、花や鳥は偉い。見られようと,見られまいと、美しい花を咲かせ、命を生きている。1回マネをすれば、マネで終わるが、
一生真似たら、本物になる。」
学ぶ、ということは、真似るということ、修行とは、高僧の所作、生き方を生涯真似ると内に、自らの悟りを開くようになる、ということでしょう。
 人間も、自然界に生きるものの仲間で、死ぬ為に生きているのではない。生きることだけを考え、当たり前に、あるがままに、生きる事が、悟り、その当たり前の姿が、「座禅」だということでしょう。
 当たり前に生きる、ということの何と難しいことでしょう。あれこれと思い悩み、どうにかならないかと悪戦苦闘するのが、人間の常でしょう。人と比較して、劣等感を抱いたり、裕福な人を羨んだり、健康に心配があるとくよくよする。平常心ではいられないことが、次から次に起こってくる、それが社会に生きる人間の常なのです。そういう状態から、ただ座って、ひたすら座る、座る事を目的にして座る、それが座禅です。
 頭の中の雑念を取って、ぼーっと座る。空っぽにして座る。座る痛さも忘れて座る。「座禅」が悟りの境地というわけです。
 この境地を、実際に生活する場でも実践できているのが、自然であり、花や鳥たちだということです。川を流れる水、岩であり、木々や草、川の流れに乗って生きる魚達、自然現象です。
 あれこれ悩みがあり、苦しい重荷を背負っている時には、重い荷物を投げ出して、ひらきなおりましょう。どうでもいいと、一旦ほおり出すのも良いかもしれません。ごろ寝でもなんでもしてください。別に座禅でなくても、良いと思います。頭の中を空っぽにして、汗を流すこと、運動も良いでしょう。当たり前に生きる、生きているように生きること、自然と道は開けてくるのではないでしょうか。
  

Posted by アッチャン at 14:03Comments(0)日々の事

2009年06月20日

洗髪


 

「母の熱が7度4分くらいになり、落ち着いているし、洗髪させてもらっての良いですか?」
その日の看護婦さんは、優しくて、感じの良い人だった。 先日も、確か私が帰っている間に洗ってもらっていて、バスタオルを持ち帰った。
実習するのは、研修生で、一緒に補佐しながら教える。
 「また、今度でいいですから。今日は良いです。」
母は、必ず断る。お身体拭かせていただきますが。足湯をさせていただきますが。まだ、シャワーまでは、許可が出ていない。
悉く、母の意向は、「いえ、今日でなくても。」という。
「ベッドで洗いますので、」と言われる。そんなこと出来るの?へー。
シーツを頭の下に引き、ゴムボートのような円形の形をしたものに、頭を入れる。お湯を注ぎ入れる。横は余分な水が流れるようになっていて、バケツで流れた水を受ける。
シャンプーで二度洗いして、ポットに入れたお湯を看護婦さんが、流し、実習生は、髪を洗い、マッサージして、濯ぐ役。汗が顔を伝っているのを見て、母は
「大変ですね。汗が出てますよ。すみません。」
気持ちがよいらしく、うっとりした顔をしている。
こんな風にして、髪が洗えるのだ、と感心する。
 寝たまま、入浴が出きる、循環サービスがあると聞いたことがある。
家での介護に、私の知らない、様々な方法でのサービスがあるのだろう。隣の患者は、ひどい床ずれで入院しているとか。
デイサービスとショートステイを受けていて、なんで床ずれ何や?と不思議に思うけど。
寝たきりで、ケアーしてなかったのではないの?


  

Posted by アッチャン at 12:33Comments(0)日々の事

2009年06月20日

狂言とオペラ「オテロ」

 吉在門の会員メニュー


試みの斬新さに惹かれて、友人にチケットをお願いした。「オテロ」シュークスピア4大悲劇の一つで、ヴェルディーのオペラ「オテロ」は
傑作だ。それと、日本の、能楽の軽業的、庶民的笑いを持つ狂言とが、そう絡み合っていくのだろうか?
 題目の選択に失敗したのかもしれない。場所の置き換えもまずい。デザイナーも衣装に頭を痛めた結果、狂言のシンプルな衣と違和感だけを際立たせる結果となった。
 前回の「リア王」は良かった、という友人の感想は、題目の選択によるものだろう。黒沢明なら、「オテロ」の背景を変えて、映画化しようなんて考えないだろう。シュークスピアだから、というのでは読みが浅い。
 ヴェルディーは、「オテロ」ならばこそ、7年かけて、オペラの名作に仕立て上げられたのだ。恋の三角関係、恋の終わりは悲劇、単純なストーリー、これからオペラに不可欠な要素で、「オテロ」は心の秘めたる思いを歌にするのに、ピッタリ。旋律の美しさで、観客の感覚を揺さぶる。

 あわびと作りのコラボレーション

 大阪の能楽堂で、上演された、昨夜の「オテロ」は、背後に松を描いたヒノキの舞台、照明は全く使わず、終始明るく、明瞭な世界で、猿楽の歌舞伎化としても随分無理がある。
私が、あえて、演出させてもらえるとしたら、ソプラノ歌手のデズデーモナには、終始白のシンプルなドレス、オテロは、黒のやはりシンプルな布をはおっただけのようなもの。他の二人の歌手にも、黄色とピンクで同じ形のものを。色と軽やかな自然の肉体の動きを頼りにして、一種幻覚的な存在とする。狂言師達は、狂言衣裳のままで。これも色で分ける。せりふは、歌舞伎役者ぶらないで、お能の歌いを歌うように、しゃべらせる。イヤーゴだけは猿楽としての演技、語り口もそのスタイルで。そうすることで、立て役者であることを際立たせる。オペラとのコラボレーションであるから。ソプラノに歌わせながら、狂言役者には、追いかけるようなセリフのオペラ化。オペラ歌手達には、能楽のお面をつけさせる。せりふの音量はもっとおとして、幽玄の世界として作ると、足の運び、しなやかさと動きの機敏さ(これから猿楽としての特徴)がもっと際立つ。昨夜の舞台では、トランペットと太鼓のコラボレーションで、登場人物が出てくる以前はいいけれど、出演者の声高なセリフまわし、ソプラノの声とあっていない。
 イヤーゴを演じた人は、終始猿楽スタイルを貫いて、姿かたちを決め、動きの素早さ、板を滑るなめらかさ、声使いといい、猿楽として違和感なく、際立ってよく見えた。つまりは舞台に、あっていたからだ。
 演出するとしたら、いくつかの可能性はあるものの、「オテロ」という選択はまずかった。
  

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2009年06月20日

看護婦をまねて

 

 看護婦さんを真似て、母の体を起こしたりしていたら、首が痛くなった。腰もおかしい。中腰での動作ばかりなので、看護婦さん達は、皆、腰がやられると言われる。不思議なもので、白衣を着ると、痛みを忘れるそうだ。腰にいつもコルセットを巻いて、作業するのだという。
今までは、母を起こそうとしても、ものすごく重たくて、どうにも動かさなかった。看護婦さんが、母に「力を抜いてください。でないと重いですから。」と言われるのを聞いて、それ以来母に力を抜いて、と頼むと、うまく動かせるようになった。その結果、私の腰と首が、おかしくなっている。母は頑なに、私の体を心配して、「だめ、だめ、自分でするから。」と拒んでいたが、言われたようにするようになっている。
「すごい力やね。」とか「ごついね、あんたの手、叩かれている。」とか文句半分、冗談半分。
昨日は、点滴の間に、トイレをもよおして、向いのトイレまで行きたがったが、足が立たない。もう我慢できなかったのだろう、ベッド脇の簡易トイレに必死のおもいで、座った。大便だった。オナラの連発。一昨日から、下痢で何回もトイレに行っていた。抗生物質のせいだろう。
 意志とは反対に、体がどうにもならない時が来る。神様は良く考えられたものだ。
 羞恥心と、プライドで、阻止していた、ガードが、自然に開く時が来る。委ねられていると感じると、なんだか嬉しくなる。母が小さくなったように感じた。

、看護婦は、仕事はきついが、やりがいのある仕事だ。母を担当している実習生は、とても可愛い人で、母はすっかり彼女が好きになった。こういう女の子がいるのが不思議なくらいだ。看護婦さんを職業に選びたいと思う子は、違うのかな。彼女なら、ナイチンゲールになるだろう。
 看護婦さんの中で、とても親切で、優しい人が多いが、中には、仕事があらっぽく、にこりともしないで、意地の悪そうな人もいる。そういう人は、プライベートな不満を、患者に転化させているのかもしれない。それとも人間性の違いなのか。
患者の立場は弱い。老人ともなれば、なおさらだ。
 人のお世話をする仕事は、明るくて、親切で、タフで、使命感に支えられていなければ、スペシャリストになれない。志を持っていても、希望と現実との狭間で、日を浴びることなく、その人の善意に頼られ、挫折する人も多い。看護婦や介護士は、貴重な宝、コンディションの良い状態で働けるように、大切にしてほしい。
  

Posted by アッチャン at 09:58Comments(0)日々の事

2009年06月18日

2回目の党首討論

 

昨日、国会の党首討論を見た。麻生さんは、にやにやと笑って、余裕を見せようと踏ん張っている。鳩山さんは、にこりともしない。真剣な顔つきで、麻生さんに向かって行く。粗雑な麻生さんと、緻密に準備し、完全武装の鳩山さんとの、2回目の対決は、鳩山さんの完全勝利だった。
 理想論をかかげて、現実に実行出来ないだろうと、物知り顔で、麻生さんの後ろに座っている自民党議員は、見苦しいの一語に尽きる。政治から、理想や理念はなくなったら、政治ではないだろう。
 「コンクリートよりも、人間を大切にする政治」を数々の、現実に起こっている、悲惨な実態を例に出して、麻生さんに問いかけても、麻生さんは、にやにや笑ってうなずいている。自殺者、特に若い人たちが自殺に追い込まれている事実に対して、麻生さんは「私も年間3万人の自殺者が出る国は異常だと、以前にも言ったはずです。」で、麻生さんの口癖である「なんとなく、、、」のあとに、「裕福であろうと、、、、」つまり、麻生さんは、「裕福なのに」と言いたいのである。母子家庭の補助打ち切りに関しても、「家庭には様々なケースがあって」と言う。麻生さんの頭に中には、追い込まれている人は、それほどいないだろう、と言うスタンスなのだ。つまりは、世間知らずのお坊ちゃん、けた外れの生活を、ごく普通だと思って育ってきた人の頭に中で、想像できる限りの善意?から出る、実態のない言葉なのだ。
 「パンが食べられないのなら、ケーキを」とあまり変わらない。
 痛いところをつかれると、何と言ったか?アニメの殿堂への補正予算をつけたのに対して、
「安部さんの時からの申し送りだった計画で、自分が作ったものではない。」と他人に責任をかぶせようとしたが、
緊急の補正予算で、組むべき予算ではないと切り込まれた。
無神経な図々しさ、やんちゃ坊主の,きかん気ないじっぱり、金持ちの甘やかされたお坊ちゃまの手に、貧しい国民の首は
もてあそばれている。いじめっこといじめられっこのようだ。
自民党議員達は、麻生さんを下ろしたくても下ろせない。ガキ大将に、媚びへつらう側近者の代表である、細田幹事長は、
麻生さんの答弁を「完璧だった。」とめちゃ褒め。まさに裸の王様である。
  

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2009年06月18日

リウマチの陽性反応が出ました

 
 今朝、主治医が病室を覗いて、これから説明しますので、と言われた。ナースステーションと病室の間に、部屋があって、そこで医者が、フィルムの写真を見せて、説明しているのをみかけたが、やっと母の病気について、説明してもらえるようになった。
 母の肺のCTを見せて、白くなっている部分がある。これが無機肺で、肺が膨らまないのだそう。まだ小さいので、母に自覚症状がないのだろうという。原因として考えられるのは小さな肺がん、食堂のヘルニア、などだそうで、いつ頃からこうなっているのかわからないが、レントゲンには映っていない。痰の検査をしたいけど、痰がでない。以前には、肺に水は貯まっていないと言っていたのに、ほんの少し、このあたりに水が、と言われるが、線のような状態でわかりにくい。抗生物質が、横ばいで、炎症が下がらないので、今日から又別の薬に変えたという。あう薬が見つかるまで、抗生物質を使うつもりだ。リウマチではないのか、と再び聞いた。膠原病も、リウマチも血液検査で陰性だから違うというので、陰性でもリウマチということもあるのでは?と言うと、「そんなことまで言っていたらきりがない。肺に炎症があるし、これは膠原病の間質性肺炎とは全くちがうもので、単純なものだ。」と言われる。つまり無機肺だという。肺が膨らまない部分が出来ている。
 痛みは疑似痛風だと,言われるので、「それはもう治っていると言われました。リウマチの検査をしてもらっています。」と言うと、「こちらでもしているけど、異常はみられないです。」と言われ、今までの治療方針で、続けるとのことで話は終わった。
 しばらくすると、主治医がやってきて、「血液検査の結果、いくつかの内、一つに陽性反応が出ているようです。整形外科の診察はいつですか?」と聞かれ、「火曜日です。」と言うと、「その時になんらかの話があるでしょう。」と言われた。
これほど、何度も、内科にも整形にもしつこく言っていた事が、やっと反応として出た。けれど、リウマチの判断は、それだけでは下さない。
インターネットで調べていると、今、「リウマチ性多発筋痛症」という病気が増えていて、高齢になるほど発症率が高い。50肩と間違われたり、診断はつけにくいそうだ。ある日起き上がれないほど痛くなったり、痛む部分は、肩、肘、手、足、腰や臀部など、様々な部分に起こる。炎症は2週間でピークに達する、と書いている。リウマチの反応は通常出ないらしい。母のはこれかもしれない。治療は、やはりステロイド系の薬で、症状が良くなるそうだ。つまり真正のリウマチではないが、リウマチと同じ治療で症状が緩和される。20以上に炎症が高くなっていたのは、家で発症してから、丁度2週間の頃のようだ。あんなに痛がって、トイレに這って行っていた。炎症が段々高くなって行き、抗生物質が効かない。
 火曜日の診察で、リウマチではないと結論されても、「リウマチ性多発筋痛症」である可能性は高い。リウマチの専門医に診てもらわないといけない、と書いてあった

 
 
  

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2009年06月17日

「風のガーデンのように」


 


今朝、主治医が入ってきたので、母の様子を聞いてみた。抗生物質の効果がないので、様子を見て、別のに変えると言われる。


膠原病の、リュウマチ熱ではないかと、突っ込んで聞いたら、「高齢者で膠原病を発症する人はあまりない。」といわれ、「肺に炎症があるので、肺炎だから、抗生物質をあうのがあれば、良くなる。」と。母の全身の痛みに関しては、あまり関心がなく、整形外科が下している「疑似痛風」だと言われるので、「昨日、整形外科では、疑似痛風は治っていると言われました。」と言うと、「とにかく肺に炎症があるから、肺炎の治療をします。」と一点張りだ。「こうしているうちに弱って行けば。」と言うと、「そんなこと言われても」と笑って出ていかれた。


 今朝は、熱が8度で、体中痛いところだらけ。昨夜、体を軽くマッサージしてあげると、いつもだったら、私の体を心配するのに、気持ちが良いと言って、じっとしていた。今朝も、痛いという所をマッサージする。気持ちが良いわ、楽になると喜ぶ。「どこに行けば、こういうのしてもらえるかしら。」母は、今までに、このようなマッサージをしてもらったことはなかった。


ベッドに寝ているのも、体に負担がかかるので、あちらこちら硬くなって、痛みが出る。


 看護婦さんが、毎日足湯をしてくださる。それで、体が随分楽になる。足湯のあとは、トイレにも立てるようになる。そのまま今日は歩いて散歩してもらった。部屋に帰ると、隣の患者さんのお世話に家族の方が来ておられ、初めてお話させていただいた。


 4月22日くらいから入院しているので、2か月近い。1か月しか置いてもらえないというわけではなさそうだが、コネかもしれない。


床ずれで入院されたそうで、百歳近いのかと思ったら、92歳だとか。老老介護です、と言われる。妹さんと、昼間交替で来られている。


 朝,夕は、看護婦さんがお世話されている。寝た切りでおしめなので、介護はやりやすいだろうが、入院までは家で、デーサービスとショートステイでを利用して、やってこられた。以前に来ていた方達は、この娘さんの子供達だったようだ。


「頑張らないで、気を張らずに、行きましょう。今は介護保険で随分いろんなサービスを利用できますから。」白髪の、痩せて上品な女性は淡々と言われた。


 


今朝8時に病院のエレベーターで、この前お会いした方に出会った。イカリの紙袋を提げておられた。


その後いかがですか?と伺うと、もうすぐ家に連れて帰ると言われる。病院の食事がまずいので、イカリで買って、


食べられる大きさに切ったり、つぶして、持ってくるのだと言われ、「母も骨折して、」とおっしゃるので、「じゃ、ご主人のお姑さんですか?」


 多額のお金は払えない、とおっしゃるけれど、お姑さんは、お幸せだ。


「背中が痛い、さすってくれ。」と言われると聞いていた。その方が帰られると、病院中に大声で呼ばれると聞いていた。


 


病院のベッドは、ほとんどが高齢者で占められている。病院で亡くなるというケースがほとんどだと聞く。お年寄りに取って、これほど寂しいものはないだろう。癌や重い病気があって、緩和の麻酔がかかさないなら仕方がないかもしれないが、癌であっても、「風のガーデン」というドラマのように、最後は自宅で、家族の世話で看取られながら、死んでい行くことが出来る人は、今では幸せだと思われるようになった。


 


家で、家族の世話で、見守られて、旅立つ。当たり前だったことが、特別のことになってしまっている。 


 

  

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2009年06月16日

気ばかりあせる

  

母は、昨日から、また熱が出て、炎症反応が15に上がっている。金曜日に、抗生物質を変えたのに、上がっている。医者からの説明はなにもなく、今日は整形外科の診察で、強硬に言うと、リウマチの血液検査を初めてすることになった。整形外科の医者は、まだ若く、どこかの病院から、火曜日の朝だけ診察に来ている医者だ。西宮に、リウマチの専門医で、キャリアを積んだ医者を見つけたけど、今はどうすることも出来ない。
 薬剤師が来て、高齢者は、抗生物質が効いて、点滴をやめると、すぐにまた炎症反応が上昇するという。抵抗力がないからだという。それでは、悪循環でしょう、と言ってしまった。
 このような、高齢者をいつでも受け入れている病院(母がかかっている医院から紹介されて)というのは、栄養剤の点滴と抗生物質を入れることで、不味い食事をあてがわれ、1か月たてば、病院併設の、実費の高い、病院に3か月おいてもらうか、自宅に連れて帰るかしかないのだろう。
本気で、患者を治療しようと思っているとは考えられない。この悪循環を断ち切るためには、病院を変わるしかないように思う。隣の病室には、寝たきりの、100歳近いような患者が入っている。治る見込みの全くなさそうな人でも、食事を食べさせ、体を拭いて、おしめを取り換え、看護婦さんが、世話をしている。されたままになっている。そこで亡くなるか、そこからまた別の病院を紹介されるか。ベッドが空いているから、頼んでおいてもらっているのかもしれない。母よりも以前からおられる。
 早くここから母を出さなければ、と思うけれど、私には、なすすべがない。友人から、「紹介状を書いてもらうコネはないの?」と聞かれるが、私に、そのようなコネがあるはずもない。
 看護婦さんに頼んで、先生とコンタクトを取ってもらったので、明日、話を聞く事になっているが、期待した答えは望めないだろう。
私は、母が、膠原病ではないか、と疑っている。リュウマチではないか、と。リュウマチは、相当熟練した医者でなければ、その判断は難しいと言われる。血液検査で陰性でも、膠原病である場合もあるし、陽性でも、ない場合もある。だと、思うとか、ではないと思うとか、その医者の判断に頼ることになる。故に、確かな診断が出来る、専門医の中でも、経験を積んだキャリアのある医者に診てもらわなければならない病だ。
もしリウマチなら、抗生物質は効果がない。判断を間違って、間違った治療に頼っているだけの、若さと体力がないのだから、これ以上衰えないように、確かな診断をしてもらいたい、とイラついている。
  

Posted by アッチャン at 15:24Comments(0)日々の事

2009年06月16日

夏時間の庭

http://natsujikan.net/

コロー

 どこかで見たな、と思いながら見ていると、そうだ、去年の春に、パリの映画館で見た映画だった。
パリ郊外の画家のアトリエ兼田舎家に、子供3人と孫たちが集う。その日は、母親の誕生日、夏の時間。
画家の姪にあたるのが、3人の子供たちの母親で、彼女は、夫の死後、すぐに元の姓を名乗り、画家のポールと
共に暮らし始めた。以来、ポールが亡くなってからも、彼の愛した家具、絵画に囲まれて、家政婦と共に、暮らして
来た。75歳の誕生日に、彼女は、長男を呼んで、自分が亡くなったら、美術価値の高い、品々を、美術館に寄付し、売れる
ものは売るように指示する。
 彼女が亡くなり、長男は、思い出の多い、家を子供たちの為に残そうと提案するが、あとの二人は、中国とアメリカに暮らし、
それぞれの事情で、売って換金したいと言う。長男は、あとの二人に従い、家を処分せざるをえない。コローの絵画だけは残したいと
思うが、二人から買う事は出来ない。
 母親は、二人が海外に住んでいることで、そうなることはわかっていた。莫大な相続税がかかるので、ほとんどのものが、美術館への
寄付に。残された遺品を処分する日、甥の運転するタクシーに乗せてもらって、家政婦がやってくる。
 長男から、何かほしいものを、と言われて、いつも奥さまの為に花を生けていた花瓶を一つもらった。
「高価なものはいただいても困るから。」と花瓶をかかえて、連れてきてくれた、甥に言う。
オルセー美術館に、母親が使っていた、アールヌーボーの家具が、飾られている。長男夫婦は、通り過ぎて、あまり
見られることもない家具を見て、悲しむ。棚の中に、家政婦が持ち帰ったのと同じ作家の花瓶が展示されている。
「彼女から来た手紙を読んで泣けてきたよ。」と長男が言う。
「返事書いたの?」と妻。
「書かなきゃ、だめよ。」
 美術品としての、本当の価値は、生活の中で、花瓶に花を活け、毎日楽しむこと。家具や、花瓶は、美術館の中で、見るものではないけれど、
愛用した主を亡くした、家具もまた、本当の命を失ってしまうのだろうか。作品としての価値として、独立した存在なのだろうか。
 少なくとも、まだ、老家政婦が、主なき花瓶に花を飾り、主と共に生きていることは確か。
家が人手に渡る前に、子供達に開放する。学校の友人達が大勢集まって、にぎやかなパーティーの準備をしている。
 長男の娘が主催した、パーティー。彼女はボーイフレンドを探して、おばあさんと良く散歩した思い出の場所に来る。
「おばあさんが、私に子供が生まれたら、この家に連れて来てねと言っていたのよ。」と涙ぐむ。
映画は、そこで終わっている。
 家も、美術品も、人の生き方、人生の移り変わりとともに、変化していく。画家が精魂込めて描いた絵画も、愛蔵品も、愛着のある生活の道具も、全て。そのことを、祖母は知っていたけれど、彼女は、いつまでも生き、ひい孫の顔をこの家で見たいと願っていた。その事はかなわないけれど、彼女の素質、本質、命は、孫の思いでと、その子供の誕生によって受け継がれていく。美術にかける愛も、受け継がれていく。

  

Posted by アッチャン at 07:43Comments(0)映画

2009年06月15日

夢、御殿山



http://homepage2.nifty.com/kourei/yume.htm
いつも冷静に、客観的にアドバイスしてくれる友人がいる。夜、電話をかけて相談に乗ってもらった。
彼女のお母さんの場合、特別養護老人ホームに、申し込んでいたという。入っても、断ってもいいから、申し込むだけは
しておいた方がいいとアドバスされた。翌日、弟のお嫁さんに電話すると、ケアーマネージャにも、そのように勧められているという。
 家で、介護できなくなった場合、いざそういう所でお願いしたくても、待っている人が一杯いる。申し込んでおけば、空きがあれば言って来てくれるから、いらなければ断れば良い、という。4か所ぐらい、選んで申し込んでおくとよい、と。
 同じようなことを、他の人たちもアドバイスされ、申し込んでいるのなら、ダブル、トリプルブッキングなので、案外早く順番が回ってくることもあるのだろう。
 有料の施設で、高額の所はあるだろうけど、そこが果たして良いのかわからないし、質素倹約の母は、望まないだろう。今、入っている病室でも、いくらくらいいるの?と聞くので、私が、「すごく安いのよ。ほとんど費用はかからないの。」と言うものだから、「ただだから、有難いわ。費用がかからないらしい。」と安心している。高額の有料老人ホームなど、入る気は全くない。こんな年になって、死んでしまうのに、勿体ないのだ。そのようなお金があるのなら、必要な人にあげたいと思っている。
 母は、どこで情報を得たのか、「お金持ちの人ばかりいて、愉快な老人ホームがあるらしいわ。楽しいらしいわ。入っている人が皆喜んでいるって。」
と言いだした。そんな所は、気ままに自由に暮らせる、金持ちが、将来の安心保障をかねて、優雅に暮らせる、独立マンション形式のホームで、金に糸目はつけないという意味で、特別な老人介護付きのホームに違いない。
 私が聞いた、特別の方は、特別な介護の必要とする老人に入居資格のあるホームだ。
宝塚には、いくつかの、施設があるが、それぞれ、設備やグレードが異なる。その中で、私が将来お世話になりたいと思うような施設がある。
 ほとんどが、個室で部屋は広く、母のように足や膝の悪い人に、ほしいなと思っている、足湯のプールがある。母は背が低いので、コナミなど正式競技に使う競泳用のプールは首まで浸かって、歩けない。プールまで階段で下りなければならないから、それだけでもだめ。フロアーも、食堂も、広々して、ホテルのよう。リハビリ施設も、芦屋市民病院のように貧弱なものではない。充実した設備にゆったりした空間。 まるでホテルのような外観、イスのまま、湯船に。感電のオール電化システム。



 「夢、御殿山」という名前の施設で、以前に宝塚のケアーマネージャーから、人気のあるデイセンターだと聞いことがあった。
電話すると、やはり、とても人気があり、沢山待っている。デイセンター、とショートステイもあって、そこのデイや、ショートステイを利用しながら、是非ここに入りたいと順番が来るのを待っている人がいる。そういう人達が優先になると言われた。「寝たきりにしない。」ことをモットーにしているので、介護5の人でも寝たきりの人はいないそうだ。費用は、公費なので、とても安い。それこそ、国民の節税で金に糸目をつけずに作った施設というわけだ。
 特別に、手厚い介護体制と人材を使って、寝たきりにしない、させない介護のモデルケースのような所なのだろう。
 私も、いつか自力で生活出来なくなり、介護のお世話にならなければならない時が来る。こんな所に入られれば、と思った。誰でも願う事は同じだろう。「夢、御殿山」とは、ふさわしい名前をつけたものだ。
  

Posted by アッチャン at 14:24Comments(0)日々の事

2009年06月14日

体制変えても体質は変わらない。


 


夕方、コナミに行き、その帰りに、病院に寄ってみた。いつもの駐車場に入れると、面会終了で、中に入られない。正面玄関のそばにある、
救急の駐車場に入れ、救急出入り口から入る。
 病室を、そっとのぞいてみる。母はもう寝ているかもしれない。母はベッドに寝た状態で、こちらを見ている。テレビをつけて見ていた。
ベッドで寝ている母の顔付きは、弱弱しく精気がないが、起き上がると表情に活気が戻ってくる。
母は、私を、弟のお嫁さんと勘違いしていている。私の顔を指差して、「この人誰?」と尋ねても、「さあ、わからない。ボケてきたわ。さっぱりわからない。」と答える。私がいつも持っている、派手な模様の大きなカバンをゆびさして、「これ誰の?」と聞くと、私のものだとわかっている。
 でも、弟のお嫁さんの名前になる。弟が確か来ていたわね、そこに座っていた、ということはわかっている。それもうっすらと。
点滴の抗生物質が効かなくて、薬を変えたのかもしれない。不安がる母に「薬のせいなのよ。ぼけてなんかいないから。」
 冷蔵庫に買い置きしておいた、ジュースの中から、野菜ジュースを選んで、飲んでもらった。熱は下がっているようだ。薬がまた効いている。
私はほっとする。昨日の朝は、とても自力では立ち上がれないのに、じっとベッドに座った状態で、そばの簡易トイレまで行かれずに、見つめていた。「もう、いよいよだめになってしまった。」と弱気が出ている。朝は少しあると言っていたが、私が額に手を当てると熱いので、計ってもらったら、8度にあがっている。血液検査の結果、炎症は14まで下がって、そのまま横ばいだと、母の主任の看護婦がいう。
 それでは、先週の同じ、医者が、炎症が横ばいなので、効いていないから、やめましょう、と言ってストップした時の状況と同じ、5日間投与しての金曜日だった。翌週の月曜日に、肺に炎症が見つかったから、と再び、強い薬を入れ、20以上あった炎症が14まで下がっていて、医者は「薬が効いているので、10日もすれば退院できるでしょう。」と楽観的だった。
「肺に水が貯まっているのでしょうか?」と聞くと、「誰がそんなこと言っていつのですか。貯まっていませんよ。」と言われてほっとした。介護士から、「肺に水が貯まっています。」と聞かされていたので、それを主治医の口から確かめければ、と病室を出て行くのを、追いかけて聞いたのだった。
 月曜日から別の薬の投与で、5日目、横ばいだと言う。その上、その看護婦は、「肺に水が貯まっていますから。」と言いだした。
「先生にそのことを伺ったら、貯まっていない、誰がそんなこと言いましたか?と言われたのですが、その後にまた状況が変わったのですか?」
と聞くと、彼女は「私も他の介護士から聞いたのです。じゃ、誰かのカルテと間違ったのでしょう。失礼しました。」という。私が聞いた介護士から聞いたのだろう。CT検査の紙に、絶食の個所を消し忘れていたのも彼女だ。介護士同士の連絡も不十分で、いいかげん。
紹介してくれた、医院の医者が、「評判が良くないみたいですけど、そんなことないのですがね。僕と同じ阪大系で、それほど悪いことはないのですが。」と言っていたし、私も初めはそう思っていたけれど、次第に、患者の不満がどこにあるかがわかってきたような気がする。
医者は、看護婦まかせにしている部分が多い。看護婦は派遣の人が多いので、沢山の人が変わるから、連絡不行き届きが多々ある。食事はまずいし、市販品の使用が多い。ご飯にふりかけは、今までどこの病院でも見たことがない。レストランは4時で閉店。売店は5時、弁当はわずかしか置いていないから、いつも売りきれで、食べられるものといえば、菓子パンくらい。あとはインスタントものばかり。周りに売店が一軒もなく、バスは一時間に1本。不人気の条件はそろっている。2,3日の間は、良く見えて、しばらく入院となると欠点があちらにもこちらにも表れてくる。
母が、「こんなとこだめだわ。」というのは当たっている。どこが、ましですよ、なんですか。ひどい病院が他にも一杯なんでしょうね。体制が変わって、良くなったと言われたけど、体質は変わっていないのでしょうね。
  

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2009年06月13日

息子が免許取得後の初飛行

http://www.youtube.com/watch?v=skYOBwIgjdY



息子が、プライベートのパイロット免許を取得した。職業パイロットになる為には、まだ入り口の所を通過したぐらいだけれど、通勤しながら、週末だけしか、訓練出来ないので、最短時間の訓練で合格したので、頑張っているな、と思う。
 自家用飛行機の免許が取れたわけで、お金持ちなら、早速飛行機を1機買う所だろうが、安月給の息子には、夢のまた夢。飛行機で、なんとか食べていけるようにならないか、と希望をつないでいる。
日本なら、飛行機会社が、養成学校を持っていたり、国立のパイロット養成学校に入学すれば、プロへの道が開けるが、年齢制限があるだろう。
 アメリカでは、能力と機会があれば、誰でも、パイロットの資格が取れるし、日本とは比べ物にならないくらい費用も安い。
 まずは、自家用免許を取ったので、ガールフレンドを乗せて、初飛行をした模様を、息子のブログで拝見した。ビデオ月付きで、ランディングに何度もバウンドする様子がうかがえる。
 彼女は、おそらく血が凍る思いをしたにちがいない。最初、快適だった空の旅が、ランディングでトラぶったとか。人を横に乗せると、余分に緊張するので、リラックスした運転が出来なかったのだろう。私もよく、ミスってしまいがちになる。
免許が取れたといので、「おめでとう」と言うと「いつでも空をご案内します。」という返事が返ってきた。あな、おそろしや。ご辞退します。
 訓練校で、体験飛行、というのがあって、運転を体験することが出来る。それに、ガールフレンドは同乗した時に、「死ぬなら一緒」と覚悟して乗ったとか。
 「命、短し、恋せよ,乙女」なんて古い歌があるようだけど、私は、息子と一緒に心中するわけにはいかない。恋人ではありませんし、財産というほどのものはないにしても、二人一遍に死んでしまっては勿体ないし、身障者になるのも、一緒では、助けようがなくなりますから。

  

Posted by アッチャン at 14:28Comments(0)日々の事