2014年05月31日

時差ぼけ





今日も良い天気です。夜寝てから2時間半で目が覚める。時差ボケなのだけど、睡眠時間はそれで足りているということなんだろう。
30分はベッドの中にいて起き出す。
夜中、外は暗く、静かな夜である。
テレビをつけると、寝ている人に迷惑だから、ブログを書いて夜明けを待つ。
口の中に入れている、テンプレートは、いつ慣れるのだろう。もにすごい違和感があるのをずっと我慢している。
医者は慣れますと言ったけれど、口のなかが1・5センチ近く開けた状態でいる。太い入れ歯を入れたような感覚。
一日12時間はめておくように言われている。
外すと、歯に隙間ができて、すぐには噛めない。そのうちに、また元に戻って、噛めるようになる。これを続けていると、噛めなくなっていくだろうということがわかる。はめると顎が伸びて、話が出来ない。





外出には出来ないので、家にいる間に、12時間はめる。出来ない時は、10時間以上は必要とのこと。いつもでなくて。
アメリカに来てからは、夜の食事が遅いので、皆が寝る頃、片付けが終わって、シャワーを浴び、歯を磨いてから、つけるので、12時を超える。寝ている間に何度も目覚める。時差ボケもあって、3時間もすると、起き出して、朝まで8時間つけて、朝ごはんに外し、歯を磨いてから、またつける。今はその時間。

そろそろ頭が、ぼっとしてきた。日本時間の夜の9時。
  

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2014年05月30日

オハイオのど田舎、キングエドワード通り





 北海道並みの高地にあるはずのオハイオは、真夏並の暑さだ。半袖姿で丁度良い。
ほとんど衣類は持って来なかったものの、寒さをあてこんでの長袖。ヒートテックでないのがましだけど、買わなくちゃと思って、夕方Mさんが帰ってくるまでに、と出かけた。 晴れ渡った空向こう側に雨雲がどんよりと重たく見える。
しばらく歩いて、傘を取りに引き返した。




 昼真,,1,2時間足らず寝ていたので、気分は悪くない。
 トイレの習慣で、夕方にならないと行きたくないので、それをすませてから出かける。 昼寝の後、ばっちりトイレにも行けたので、途中でもよおす心配もない。
テレビで、便利グッズといって、近くにあるトイレを探してくれるソフトを紹介していsたので、スマフォに入れた。
 アメリカでは使えないので、役にたたないけれど、日本で、あれば重宝する。
知らない場所で,トイレを探すのは大変だ。
 下痢止めのストッパーの会社が提供している。
 パリでも、トイレに行ってからでないと、不安で外出出来ない。
一旦出て従姉妹の家に駆け込んだこともあった。
旅で一番困るのがトイレの問題で、だからバスに長時間乗らない。
これは遺伝だ。まったなしに襲ってくると我慢出来ないのだ。父も私も息子にも受け継がれている嫌な遺伝だ。
男の人はどこでも出来るけれど、トイレに関しては、清潔でないとだめなのだ。
 洗浄器具を持ち歩いている。旅から帰ると、しばらくの間、朝の快便が定着するまで、洗浄器具はバッグに入れて持ち歩いている。
 最近はほとんどトイレに備え付けられている所が多くなったけれど。
 余談になってしまったので、話を戻そう。

のうさぎ


 家から,ショッピングのモールまでは歩いて15分もかからない。
 私の遊び場所はここに限られる。
 実際、このオハイオは,ど田舎である。見渡す限り、家と緑と広い道路に車。
それに、そう小鳥達とりす。今朝は野ウサギが庭で遊ぶのを見た。
  猫のタマは窓から外を日がな眺めて、鳥の行方を眺めている。イマジネーションで追いかけているのだろう。
 アメリカ人の文化というのは、ショッピングなのだということが、ここオハイオのど田舎で証明される。
 買い物好きのアメリカ人は、豊富な食材と外食とショッピングが出来れば、大抵の欲望はそれで果たせている。
 アメリカはクリスマス商戦で景気の良し悪しがわかる。それに住宅の着工数が主な指標。 マイホームと庭でのバーベキュー、家族主義の勤勉な聖教徒主達。





晴れ着は日曜日の教会と、その後での様々な交流の催しに。プレゼントも重要な要素。
 ああ、どこにも文化施設らしいものは見当たらない。
 田舎だと思っていた,我が家は立派な都会だと認識する。
 ニューヨークやパリに行かなくても、近くに,劇場もあれば、映画館もある。立派な芸術劇場も備わっているし、宝塚は音楽と花の都。図書館もすぐ近くに点在している。
少し電車に乗れば、大阪の繁華街や京都にも行ける。歌舞伎座もある。映画はジャンル別に揃っている。ギャラリーもある。
ここには,何一つない。ない、。ない。
 家でアートを飾ってそれを眺める。豊富なチャンネルを誇るテレビと、お好みもレコードを買って来て、家で楽しむことくらい。
日曜大工が盛んで、専用のスーパーには、ないものはない。それにアイケア、日本ではイケアとして名高い。
ガーデニング用品も素晴らしく揃っている。
 それがアートなのだ。
絵の道具があれば、絵になる風景にことかかないだろう。





アメリカ人は甘いものが大好きだ。アイスクリームにチョコを練り込んだクッキー、ケーキ。良く動くから,甘い物を要求するのかもしれない。
 動かないで食べてばかりいる人達は、くじら並になる。そのどちらか。
 また脱線。





デパートで半袖のもを見ている間に時間を忘れて,気がつけば7時前。Mさんが家に帰っている。レジは混んでいて、買わずに引き返した。
 曲がるところ間違えたのか、また道に迷ってしまった。そこでまた脱線。

同じ家のようなのが立ち並ぶ通りをうろうろして、やっと見つけた。

Mさんの車がガレージの中にあった。
   

Posted by アッチャン at 18:28Comments(0)旅行オハイオ、デイトン

2014年05月30日

デイトン、キングエドワードの家




 息子は会社の帰りに、カムリで迎えに来てくれていた。
 今年の5月から、シンシナティーにある、本社に変わったので、通勤に時間がかかり、毎日が大変なのが心配。
 朝は7時に出て行く。夜帰るのは8時。仕事に家事もアメリカ人並にやっている。
アメリカ人は,5時に帰るのに、日本人スタッフは、日本式に残って仕事をしている。
 これでは身体が持たないのではないかと心配する。
日本では、共稼ぎの場合、女性の負担が大きい。 
  家事をし、子育てをしながら,家計を助けるたあめに働いている女性が多い。
 エリー社員の妻は家事に専念する人が多いが社会進出出来ないで自立の道をふさがれる人が多い。
  アメリカ人女性は、仕事を持っている事が当たり前で、家事は夫がするのが当たり前なのだそうで、息子はアメリカ人並に働かされているけれど、それがかえって良いのではないかと私は思う。
 会社でのストレスが、家事をすることで、解消される効果になっているのではないかと思う。全く違ったことを組み合わせてするのが良いと思う。
良く動くことで、身体は丈夫になる。





 家事全般出来れば、一人になっても困らない。奥さんにまかせている人は、一人になると、にっちもさっちも行かなくなる。
 奥さんに先立たれる夫は、その先長生き出来ない人が多い。その反対に夫に先立たれる奥さんは,長生き出来る人が多い。
 母を見ていても、良く働いたので、身体が丈夫なのだと思う。
 母の年代の,人が今、とても長生きしている。
 金さん、銀さん、その娘達が、口を揃えて言ってるのは、「よく働いた。」という言葉。






母の施設にいる人達を見ていても、それはすごく感じる。車いすの人達と、とことこ歩けける人達との差は、よく働いた人と大事にされた人との差のように見える。
 息子は,桜の木を植えたの見せたいと言って、家に入る前に裏側にまわった。
 声を聞きつけて、奥さんが出て来た。
 息子達は野菜も植えている。とまとやきゅうりなど。庭付きの家を買って、土いじりは癒される。
 大変だなあ、と思うことが、実はとても良い効果を生んでいることは多い。




 息子の奥さんは、インテリアのデザインが好きで、お掃除が得意。
趣味が良い。
 両方がお互いの得意分野で補って,快適な住空間を作っている。
朝、夜明けを待たずに目が覚めた。
鳥の鳴き声が聞こえてくる。
 朝、野ウサギが裏庭を走っている。
 猫のタマは、窓から外を眺めている。野鳥の動きを追って。
  

Posted by アッチャン at 00:25Comments(0)旅行アメリカ

2014年05月29日

オハイオのデイトンへ

 


 慌ただしく準備をして、アメリカへ旅立ちました。
 ANAに電話をして確かると、荷物は23キロ以内の一個だけだと言われた。
ゴールドメンバーの優遇措置はないという。UA便では32キロを2個まで無料で預けられるので、目方を気にしたことはなかった。
 大きなサイズのものに変えて、詰められるだけ詰めた。目方が気になる。23キロをオーバーすると、9000円の課徴金がかかるらしい。サイズも制限がある。
 相当重くなった。
 タクシーと阪急電車、宝塚で降りて、バスに乗り変えた。ノンステップのバスではかった。空港バスだと、荷物を入れてもらえるのに、市バスなので、2ステップ、荷物の上げ下ろしで、腰に負担がかかった。
  伊丹空港につくと、柿の葉寿司を買って、それを入れてチェックイン。
 荷物は22キロだった。オーバーなしでやれやれ。
カウンターで、ゴールドメンバーは、23キロを二個まで預けられると言われた。
  ANAもいい加減だなあ。説明が食い違っているなんて。






 ラウンジでサントリーの生ビールを飲んだ。朝から何も飲んでなかったので、すごく美味しい。
 成田に着いてから、ラウンジで白ワインを2杯。お腹が空いていたので、サンドといなりに焼きそばに、天ぷらそばまで。
 飛行機に乗ってから、また白ワインの小瓶をを2本。かれこれ、一本分も飲んでいる。 食後、飲み過ぎて胃がおかしくて、荷物で腰をやられて,背中から腰にかけて痛む。
 オハイオのデイトンまで行くには、成田経由でも関西空港からでも、間に2回乗り継ぎが必要だ。
 関西からサンフランシスコ経由だとワシントン経由で、デイトンに着くのは夜遅くなる。
伊丹から成田経由でシカゴ、そこからは飛行機の便が多いので、一番便利なのだけど、どちらにしても体力も時間もかかる。
 ANAは、機内での映画を観るのが楽しみだし、食べ物も美味しい。サービスが良いが、 席が窮屈。
 UAは、映画は中国字幕,食事は不味い、サービスは悪いが、エコノミープラスの席は前が広くて余裕がある。
 両方旨く行かない。どちらを優先するかだけど、一番は乗り継ぎの良さ。




 UAに以前は、関西からシカゴへの直行便があったので,便利だったのに、サフランシスコにしかなくなった。
あと、15マンキロ乗れば、どれを使っても良くなるし、マイルを稼ぐ必要がなくなので、随分楽になる。
 ANAの機内で、観たかった映画がいくつもあったので、それを観ながらも、途中寝ていた。
 最後まで観たのは「それでも恋するバルセロナ」
先日、映画館で観た「ジャスミン」と同じウッディーアレンの作品なので、魅力的な作品で「ミッドナイト,インパリ」の姉妹版のような、ヨーロッパを舞台にした作品だ。





 「八月の家族:と「ミケランジョロ作戦」は途中うとうと寝ていたよう。
 シカゴからは、デイトンまで1時間のフライト。これくらいだと楽なんだけど。
  出発が1時間遅れたので、デイトンに着いたのは、夜の8時を過ぎていたが、まだ明るい。
  湿度が高く,蒸し暑い。
       

Posted by アッチャン at 23:05Comments(0)

2014年05月22日

集団的自衛権とは

      


  警察の誤認逮捕で、無理強いされ、自供に追い込まれた被疑者が2人もいたことで、
相変わらず、強迫的な取り調べが継続されていることが明らかになった。
取り調べの公開化が叫ばれていたのも、過去のもの。
集団自衛権の憲法解釈の変更をめぐって、政府と公明党との与党協議が難航を示している。
これも、自民党の数の力で通してしまうのではないか。
仮に公明党が政権与党から離脱しても、維新の会や結の党が、それに変わろる椅子を狙って控えている。
先日、京都で、小沢一郎の顔をかかげて、活動している小沢支持者の人達がいた。
一言言わないと気が済まなくて、「小沢さんには失望しました。」、
彼らの一人が「検察でとことんやられましたから。」と弁護する。
「小沢さんは育ちの良いお坊ちゃんだから、。政治家は命がけでないと、ついていけません。がっかりした人多いと思いますよ。」
と言ってしまった。
彼らには気の毒なのか、それとも雇われているのかわからないけれど。
日本の若もの達は、日本の閉塞感から出ていく為に、戦争に駆り出されることを良しと
しているのだろうか?
 アメリカでは貧しい若者をターゲットにして、兵隊を募っている。高官の息子達は戦争に行かないように守られ、あの手この手を使ってきた。
 戦争で軍需景気を期待していたが、アメリカの景気は悪化の一途を辿った。
 アメリカは、軍備の縮小を迫られ、中国や北朝鮮への抑止力が低下し、世界のリーダーとしての重荷を同盟国に分散させたい所。
 武力を使わずに、会話で平和の道を模索しているオバマ大統領は、日本が中国や韓国と友好的な関係を築くことを要望している。
 安倍首相は、日本の軍備を拡大し、にらみをきかせるようにしたいようだが、それでは
敵対心を煽るだけだ。
 プライドなどというものは捨てて、中国にひたすらあやまれば、中国は許すしか道はなくなる。
 韓国に対しても同様に。和解するまで、謝り続けるしかない。
戦争の出来ない関係に持っていくことが大事なのであって、いつでも戦争できる準備は、国と国との関係を悪化させ、敵対心を煽るだけ。不安を煽るものになる。
出る杭は打たれる。
戦争時だから、と胸を張るのではなくて、戦争時だから正常ではいられなかったことを反省し、被害を受けた人々に、謝る気もちを持ち続けなければいけない。
中国や韓国は、被害者なのだという意識から離れられないのは、日本が横暴で、人間として扱わなかったからではないか。
日本人に、中国や韓国人に対する差別意識が、長い間存在していた事実がある。
そういう意識を植えつけられて育った人間の傲慢な態度が頭を持ち上げている。
それこそ、恐ろしいことだ。

 自衛隊員の犠牲者が出るようになり、やがて、若い人達が戦闘に駆り出される日がやってくる。
 
 日本の平和憲法を守らなければならない。
 
 
 
  

Posted by アッチャン at 15:44Comments(0)コラム

2014年05月20日

京都で結婚式に出会った

 
    
 


  紹介状をもらって、初めての予約をした、その日がわからなくなって、医院に電話
した。初診の人はわからないと言われた。
 3度も電話で、日を変えてもらい、データーをなくしてはいけないので、二階のタンスになおしたのだけど、下の電話で、日を変えてもらって。
 大体の日はわかるので、そのあたりを調べてもらって、見つけてもらったのだけど、
 覚えているから、と安心していてはいけない。これからはきちっと書いておかなければ。
日曜日、一昨日のことになるが、京都に出かけた。
阪急の無料券が残っている。神戸電鉄のチケットも全く使わずにままだし、有馬の太閤の湯のチケットも、使っていない。
  株主優待券で生活している人がテレビで人気者になって取り上げられていた。
あんな生活はしたくない。
  優待生活というらしいが、24時間、其の券を使うために振り回されている。
本人は楽しいと思い込んでいるようだけど、貴重な時間の浪費ではないか。
かくいう私も、先月、1000円払って美濃吉の会員になったら、月に一度、飲み物のチケットがついている。 
 4月のチケットを使うために、京都で待ち合わせた。





 連休を終わったし、空いてるだろうと思ったら、景色が一望できるカウンター席は詰まっていて、奥の席に案内された。
 月替わりの「葵弁当」に、天ぷらと茶碗蒸しをつけて、注文。
 居酒屋だと、お酒が安いので、飲み過ぎるから、このような上品な店でお酒を控えるほうが、身体の為には良いかも。
 食後は、岡崎公園のあたりまで、腹ごなしの散歩。
 京都はいつも人が多い。四条から祇園の通りは特に。
八幡神社で、結婚式に出会った。
   


 古式ゆかしい結婚式。巫女さんの案内で、着物姿の新郎新婦、その後に親戚、友人たちの行列が続く。結婚式場の神殿の前でも、巫女さんが待っていて、そこからは、赤い絨毯敷きの廊下、履物を脱いで上がっていく。
 雅な、雅楽の演奏が流れている。
 京都では、こういう結婚式をあげる人達が、今も多いのかしら。
 お寺は廃業に追い込まれる所も多い中、神社は繁盛しているのかもしれない。
お寺はなんとなく陰気で胡散臭い所があるが、神社は開運祈願、縁結びに、学業成就、
 など、若い人達にも、人気のスポットになっている。






 結婚式と言えば、ハワイがトレンドになっているようで、ご予算の関係で沖縄も
ブームになっているとか。
 そのうちに、神社で結婚式をあげるのが、トレンドになる日も近いかも。
格安神社結婚式パックなんてのが、旅行会社の売りになるかも。
アベノミクス戦略に、日本の神社が一役買ってでる時も出てくるかもしれない。靖国は除いて。

   

Posted by アッチャン at 11:51Comments(0)日々の事

2014年05月19日

母の誕生会

        

 
 忙しい日が続いて、相変わらず、掃除をする時間がない。
 母の誕生日と母の日をかねて、久しぶりに母を囲んで家族が
集まりました。
 母の施設から近い、中華料理の「愛蓮」で15人用の丸テーブルの広い個室
なので、賑やかでも気兼ねがないので、そこをよく使っています。
 2時間という予定だったのですが、次の予約がないので、ゆっくりと使わせて
いただけました。
 最初のうちは、場所に不安を感じていた母は、帰りたがっていましたが、そのうちに
慣れて、良く食べ、楽しく過ごすことが出来たようです。







 最初は、もうだめかな、と思っていたのですが、終わりよければ、全て良し、という達成感で、また集まって母を囲んで、という希望に変わります。
 今年も元気な母に感謝したい。
母がいるからこそ、こうして皆が顔を揃えて集まる機会があるのです。
 子供達が学校に行くようになると、こうもいかなくなってきます。
 施設でも、母について「家族で集まるのが母に取って一番嬉しいようですから。」
と去年の誕生日には、家族と過ごす誕生会を計画していただきました。
 応接室を飾って、若いスタッフが、手品を披露してくださって、賑やかな誕生会。
「愛蓮」での会食の後に、施設に戻って来て、ケーキと紅茶で、二度祝いをしたのですが、今年はそういう企画がなく、会食だけで、お開きになりました。
母の部屋は、花が増えて、置く所もないほどになっています。
 母は幸せな方だと思います。子供達や孫たちから愛され、慕われて、よく訪ねてきます
ので、施設の他の入居者の皆さんには申し訳ない気持ちもするくらいです。
  訪れる人もなく、寂しい人も多いのです。
 独身の方や、連れ合いを亡くした人がほとんど。子供のいる人でも、東京にいたり、遠くにいる人もいます。
近くに家族がいる人が多いようですが、週に一度、訪ねてくれば良い方でしょう。
 認知症もそう悪くないのです。忘れることは、幸せでもある場合が結構あるものです。





 母は私が行かなくても、幸せな笑顔を絶やさずに、スタッフの若い人達に親切にしてもらって、寂しい思いをしないで、楽しく暮らしています。
行けば、喜んで迎えてくれますし、私のことを心配してくれるくらいで、どちらが世話になっているのかわからない。
母の言動に、私が笑わせてもらって、おかしくてたまらない時がよくあるのです。
 そういう話を友人にすると、彼女も、お腹をかかえて笑うのですから、友人も喜ばせているのです。
 吉本のお笑いのネタになるような会話のやりとり。例えば
「怖いわあ。怖いわあ。」母は心配そうな顔をして。
「何が怖いの?お母さん。」と私が聞くと、母は驚いたような表情をして、
「あ、そう、へー。そうなの」という返事。
ちょっと間を置いてまた
「怖いわね。怖いよ。」とこんな調子。
笑わせてもらってばかりいるのです。
認知症の初期には、やたらに腹が立って怒るようになる、と聞いたのですが、
母は、笑いの提供者なので、他の人達の認知症予防にも一役買っているのです。
どこまで、人の心配ばかりしている母なのでしょうか。
 
  

Posted by アッチャン at 02:57Comments(0)日々の事

2014年05月16日

甲状腺の専門医

     


 6か月が過ぎるのはあっというま。
どうしたらよいものかと気にはなっていた、甲状腺の検診日が
やってきた。
他に移ろうかと思っていた。西宮に、隈病院の副院長をしていた方の
診療所に電話して、予約の時間を取ってもらったら、データーがあれば持って来て
来るようにとのことだった。
 病院の予約日の朝、まだ迷っていたが、予約の時間に間に合うように体は動いて
いて、結局行くことになった。
 診察室の前で待っているように、番号札が提示された。
 診察室から出て来た女性が、喉の所に絆創膏を貼っている。
甲状腺ですか?とたずねたら、そうだった。
 細胞検査をしたのがわかる。
「痛かったでしょう?」というと、それほどでもないとのこと。
 手術することが決まったという。
 外から見てもそれほど腫れているようでもないので、私も恐ろしくなる。



   
 「隈病院には行かれたのですか?」と聞いても知らないといわれる。
 この病院で手術される。
 信頼しきっている様子を見ていると、この先生は名医かもしれない。
  耳鼻科の手術は、甲状腺よりもずっと複雑だろう。
「近くて、綺麗な病院だから良いですね。」
と言った所で、診察室に呼ばれた。
 医者に、1月にCTを取ったこと、呼吸器科は打ち切りになったことの
報告をした。
 「変わりないですか?」と言われて、自分ではまったく感じないので、
「小さくなったのではないでしょうか。」なんて都合の良いことを言う。
「一年先でもいいぐらいとおっしゃってましたから。」と加えて。
 医者は、「この病院で続けるか、それとも甲状腺の専門医院を紹介しますが。」
と言われるので、
「西宮に、甲状腺の専門があるので、そこにでも。」というと、医者は
そこは知らないので、宝塚の先生なら、紹介状を書きます。そこなら、医者が超音波をみながら判断できるが、病院では検査員が別になるので、どちらにしますか?ここか、紹介の方が良いか決めてください。」とせっかちな医者なので考える余裕もない。、
「紹介してもらいます。」
 どんな医院か不安だった。




 データーをコピーしたり、時間がかかるので、待ってください。
待合で待っていると、看護さんが、新しい医院の案内コピーを持って来て、
「混んでる医院ですから、予約はいつがいいですか?」と聞かれて、都合の良い日を
告げたら、受付の方に行って、すぐに戻ってきた。
「予約はご自身で取るのだそうです。データーが出来るまでに、会計をすませておいて
ください。その方が時間の短縮になりますから。」
 会計は混んでいてた。
 支払は、わずかに900円ほどだった。
紹介状もデーターも無料だった。
家に帰り、早速その医院に予約の電話をすると、すごく混んでいて、6月にならないと予約の時間が空いていない。
 ネットで調べたら、研究熱心な良い医者のよう。
 甲状腺と糖尿病など、いくつかの専門医と指導医でもあり、呼吸器の方も動脈硬化など、漢方の薬の指導医でもあって、複合的に、最も適した治療法を取り入れるようにしている。
 生活習慣病や、糖尿病は、食事療法が大切なので、そちらの方にも力を入れている。
 紹介してもらって、よかったのではないかと思っている。

夕方、久しぶりに会う友人と、梅田にある、アサヒスーパードライの店に。
 彼女とも6か月ぶりだった。
 つもる話で、あっというまに5時間ビヤホールにいた。
 ビールのジョッキを何杯飲んだやら。
 食べるほどに飲み、飲むほどに食べ、上機嫌で深夜帰宅。

  翌朝、体重計の目盛が1,5キロ増えていた。



  

Posted by アッチャン at 01:50Comments(0)

2014年05月14日

阿倍野ハルカスで認知症談義

        大野屋の20食限定


  最近、認知症に関する関心が高まって、テレビでもよく取り上げている。
一日置いて、その前の日の日記をつけると良いとか、運動しながら数を引く練習に、
社交ダンスのステップを覚えるのも効果的とか、いろいろ対策が研究されている。
 先日、7年間も身元のわからなかった女性が、テレビで報道された翌日に、ご主人からの問い合わせで、奥さんだということがわかった。
 徘徊して、1万人の人が浮行方不明になっているらしい。その中から亡くなった人は、
家からそれほど遠くない場所にいたことがわかった。
 このブログも、一昨日の話になるのだけど、阿倍野ハルカス美術館で開催の
「東大寺展に行きたくて、いつもお世話になっている友人に、身障者手帳を持参してもらった。
 先日も、前までは行ったけれど観なかった。その際に、身障者手帳を持っていれば、付き添い含めて700円になることを教えてもらった。

  母の日に。食べるが楽しみ?


   小さい花束。



 美術館は月曜日で休みだった。
うっかりしていた。高島屋の美術館月曜日に開いてたので、阿倍野ハルカスも近鉄デパートのつもりになっていたのだ。
ハルカスと近鉄デパートは別なのに、同じ館にあるので。
 12階から14階まで、食堂街になっていて、大阪の老舗や、関西の名店、人気の店なのが、沢山入っている。
  まだ12時になってないのに、西宮ガーデンズよりも、更に多くの人椅子を並べた店の外に座って待っている。
 京都の「東洋軒」という店は、高島屋にもあらしいが、いつも凄い人なのだそうで、その日も、1時間半はかかるね、というほどの人が待っている。
 大野屋、という店に入った。

弟が持っていた鉢植え。お花が一杯の母の部屋。



 認知症の番組を彼女も観ていたらしく、その話が彼女の方から出て来た。その時はまだ、身元不明の女性についての情報がわからなかった。
 彼女は夫婦で、其のテレビを見ながら、お互いに首から名前を住所に血液型を書いた札を下げて歩かないといけないとか、そんなものは勝手に外してしまうから、とか、話しながら見ていたという。
 「刺青しておくしかないね。」」なんて私がその場でひらめいた冗談を言った。BSだったかの、アメリカの番組で、刺青足にをした女性が出ていたから、そのことを思い出して。
 良いアイデアだと思うが、日本人は抵抗感も強い。
医者が、「くくかか」と覚えて、それに気を付けるとあとは心配いらないと言っていた。
「くくかか、覚えている?」
 阿倍野に来る途中、私もなんだかった思い出しながらやってきたので、聞いてみた。
 彼女はその時間には、他の仕事をしながら見ていたので、覚えていない。
薬、車、金、火事。
これらが、管理できなくなる危険性を回避できれば、認知症であっても、心配いらないというのだ。





 ハーベストで、大きなケーキと、コーヒーのお替りで、胃がやられた。
 胸やけがして、鏡を見たら、舌が真っ白になっていた。
慌てて、胃薬を飲んだ。
今日は夕方大阪で、久しぶりに会う友人と飲む予定。
 
 
 
  

Posted by アッチャン at 08:56Comments(0)日々の事

2014年05月13日

兵庫県立美術館「夢見るフランス絵画」展

      


 友人からいただいた招待券があったので、連休の喧噪を避けて、明けてから兵庫県立美術館で開催中の「夢見るフランス絵画」展を観に行きました。
 岩屋で待ち合わせて、以前は「同源」で昼食を取るのが楽しみだったのですが、
日曜休日になってからは、やはり駅に近い、とんかつの店での昼食。
 この店が、また美味しいのです。
 美術鑑賞の前なので、酔っぱらうわけにはいきません。




軽くビールと、とんかつは絶妙の相性です。いつ行っても、客がいなくて、御夫婦お休みの所を、おじゃまするというタイミング。
 とんかつが出て来るまで、ビールのあてに、納豆を注文したら、「今日は日曜日なので、品切れ」とのことで、[大根おろしは出来ますか?]と聞くと、それなら出来るでしょう、と台所の奥にいる奥さんに声をかける旦那さん。旦那さんがカツをあげる名人で、カウンターの中で準備中。
 ビールも半ば終わりころ、上とんかつ定食と、エビフライ定食がテーブルに並びます。
 素材が良いものをつかっていて、野菜もポテトサラダも、とても美味しい。
 友人は、「5回目くらいかな、」と言いますが、3回目です。
良く晴れてさわやかな5月ですが、、真夏日のように気温は高く、美術館への道を、ぐだぐだたわいのないことをしゃべりながら歩きますと、恐竜のオブジェで子供達が遊んでいます。





 日本も、アートスティックな場がごく普通に観られ、肌で感じられるようになってきました。
 階段を上がって展覧会の会場に行くと、この美術館の良さを味わえます。
 歩ける間は、歩いて上ろう。足の無理が生じてくれば、エレベーターを使いましょう。





会場に入って、絵をみながら、どこから来たのかと思うのですが、何も書いていない。
元に戻って、説明を読むと、「日本のある収集家の作品の中から、、、」とか。
え、すごい。誰だろう。日本でこんなにコレクトできる人物は。
 孫正義じゃなかろうか、なんて想像しながら、最初はなかなかすごい、オークションで手に入れたものだろうか、と感嘆しながら見ていた。
 デュフィーの「ニースのホテル案内」は赤とブルーの鮮やかな作品で、マチスを思わせる色使い。パンフレットの載せてある、セザンヌの「大きな松と赤い大地」は、セザンヌらしい作品で、色が確かに、「夢見る」よう。秀作だ。

ルノワールの「ド、がレア夫人の肖像」



モジリアーニの「バラをつけた婦人像」は、めずらすく目がかかれている。
 モネの水連は、倉敷に、児島がモネのアトリエを訪れて、手に入れた秀作にとてもおよばない。
 夕焼けの海を描いた作品が、姫路の美術館のコレクションに似た傾向のもの。
 ブラマンクばかりを集めた部屋があって、セザンヌの影響の後が顕著な色使いの絵から、
 暗い部屋に、浮き立つ、大胆な構図の絵が並んでいる。
どれも、道を描くのが目的の絵だ。
ブラマンクの絵を見ていると、私も画いてみたくなる。友人もそう思ったそう。
それは難しい絵ではないから。自由に絵の具を塗りたくって気持ちのままに走らせれば、
画けるなあ、と言う思いにさせてくれる。
藤田嗣二の絵などは、職人芸だから、絶対に描けないけれど。
ユトリロの絵画は、1908年頃のもんと、1913年の作品を除くと、売り絵として描かれたものばかりのように思えた。
藤田の絵も、シャガールも。

常設の絵画



 ルーブルや、メトロポタン、ボストンなどで、見る絵との違いは歴然だけど、収集家の好みにもかかわってくるだろう。
 会場を出ると、北斎の版画が目に入った。ボストン美術館から来ているらしい。
 すごいなあ。素晴らしい。パンフレットの印刷だけど、構図の完璧で大らかさに触れて、
さすが海外の人々が絶賛するだけのことはあると誇らしく思う。
 モネもゴッホも、日本の象徴的で自由で大胆な絵に、どれほど驚嘆し、憧れたことでしょうか。

金山平三




 常設室の、金山平三の絵画が、素晴らしい絵画の展示があるときは、平凡に見える時もあるが、今は、その素晴らしさが際立ってみえる。
 自然主義の画家で、てらいのない大らかで、ほっとする絵が目線の高さに収まっている。
ソファーに座って、しばし疲れを取るのに、ぴったり。




常設室は、神戸ゆかりの画家のものが多い。

吉原忠良



 代表的な、小磯良平の部屋、金山平三の部屋、その奥に、,買い入れた作品が展示されている。 
 兵庫県立美術館らしいゆかりの作者の絵はいつでも常時みられる。安藤忠雄の設計の中でも、この美術館は代表的なもの。






神戸の文化建築の財産だ。マックライトの建築に負けていない。
海側から望む外観が美しい。
 
  

   
  

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2014年05月12日

伝統芸能の今2014、猿之助と若手の仲間達でチャリティー

 
     


京都の春秋座で、「伝統芸能の今」というチャリティー公演に行きました。
市川猿之助を初め、伝統芸能の若手担い手達が6年前から活動を続けている
舞台です。
 狂言師の茂山逸平は、この前のNHK朝ドラで、妹の夫役に出演して
いましたが、専門の狂言で演じると、ものすごく大きな良く通る声で圧倒されます。
 歌舞伎囃し方田中傳次郎は、この前の、春秋座での猿之助芸術監督就任記念公演
でも出演していました。
 能楽の囃し方、鼓の亀井広忠、は当初から参加しているメンバー
で、今回新たに、津軽三味線の上妻宏光とのコラボレーションで、異文化伝統芸能の
新しい挑戦を試みることも、楽しい企画です。






 京都の、春秋座を河切りに、5月中に全国の選ばれた場所を回っていきます。
途中から、中村獅童も加わるようで、皆それぞれに舞台があり、専門の仕事もあり、
皆が顔を揃えるのは、相当無理のあること。
毎年、この為に、スケジュールを合わせて、「人の為に何かできないものか。社会貢献がしたい。」と相談して、立ちあがった伝統芸能の今を生きる若手達。
 昨日は3時半からの一回公演で、その前日リハーサルをしただけの舞台だったそうですが、息もぴったりあって、熱のこもった素晴らしい舞台でした。





 開場すると、相当の人の列が並び、さすがに京都です、綺麗処の舞妓さんに芸者さん、着物姿の女性が目立ちます。
 中に入ると、片方では、「手拭い付のカタログ、千円です。」と声をかけています。茂山逸平さんの姿が見えて、カメラを向けてしまってから、撮影ご遠慮願いますという紙にきづいてしまって。早速カタログを買ったら、その向かい側になんと、猿之助が、浴衣姿で、預金箱を持って、立っています。その横には、茶髪の男性、あとで、その人が。津軽三味線の上妻宏光だとわかったのですが。
 猿之助に吸い寄せられるように、預金をする人達について、勿論私も千円札を預金箱に入れました。
猿之助は、そのたびに「ありがとうございます」とお礼まで言って頭を下げています。
その横にいる人から、小児癌支援のバッジと木造りの自然保護植樹バッジが手渡されます。
 猿之助は、小顔でそれほど背は高くなくて、細くて、可愛らしい感じ。肌がすごく綺麗で、おでこが広くて、色白で、垢抜けて、透き通ったようにまろやかで、格別なんだけど、
それでいて、気さくな親しみ安さが漂っている。








パリ公演で観た時とは随分変わって、余分なものが全くそぎ落とされた感じがする。
 笑った顔が少年のようなのに、舞台では、別人のような引き締まった、厳しい顔で、
創作「空破」を、田中傅次郎の太鼓とか上妻宏光の津軽三味線で舞ったあと、津軽三味線で「風林火山」を。
白い着物に、茶色の袴姿の猿之助。手が華奢で、指の先まで動きの美しさが伝わって、凛とした美しさ。
間にトークを挟んで、最期は、逸平の狂言と猿之助の歌舞伎、能と歌舞伎お囃子の競いあいのような、白熱した演技の「石橋」
 まず、仙人に扮した、茂山逸平が出てきて、それは、歌舞伎のお囃子で。
仙人が下がると、猿之助の獅子が登場して、能の包みと笛で踊る。
 胡蝶が興ざめだった。子供が舞うことが多い二人の胡蝶なのに、大きな男で、しかも相当の年よりが二人、猿之助の獅子よりも大きい二人が、蝶々の役で踊るのだから参った。




 私の席は前から4列目なので、その醜さに耐えがたい。市川の名前をもらっている、ス^パー歌舞伎のお弟子さん。
 猿之助の獅子までもが、でっかい蝶達のじゃまになる踊りでかすんでしまう。
「胡蝶を省いたほうが良かった。」と帰りのバス亭で、だれかの声が聞こえてきた。
カフェテリアでは、猿之助の芸術監督記念に、サブレやコーヒーなどが限定販売で
売られ、信玄弁当など、皆チャリティーをかねて、その中のいくらかは募金に回る。
 観客席の一席が、ソマリアなどの子供たちのワクチン一人分になっているとか。
トークの時間に、6年間で、2千万円の寄付金が集まったとの報告があり、今日の初日で
の中間報告は33万ほど。今までに一番多いとか。猿之助が自ら預金箱を持っていたからにちがいない。
 帰り道、毎年来ている人だろう「今回が一番充実しているわ。」という声も聞こえた。





私は初めて。京都が終わって、13は九州博多の能楽堂。14.15は浅草公会堂、17,18は名鉄ホール、19倉敷、21日、福井市民会館、22日柏崎 24日身曾岐神社、
25日長野ホテル、まで巡業の旅が続く。
ゴールドリボンと、世界の子供達にワクチンを、というチャリティー企画。


  

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2014年05月11日

母の日のプレゼント

 
     


  今日は母の日です。
母の日のプレゼント、今年もお花が届きました。
アンケートでプレゼントの一番はお花だそうです。
若い頃、生活に追われていた頃は、花より団子でした。
その頃は、母の日には、幼稚園で、小学校で学科の中で
制作してきた、作品がプレゼントでした。
エプロンをもらって、なおしこんだまま、どこかに。
お母さんのいる子は、赤いカーネーション、いない子は
白いカーネーションなんて、今思えば結構、
差別的ではないかと思います。
どこからそういうことになったのでしょうか。
弟が、母の日に、白いカーネーションをプレゼントしたことが
あります。
縁起が悪いんじゃないの、なんて言っていたことがあるのですが、
そんなことはどうでも良かったのです。
最近では、カーネーションは、ありふれているから、バラだとか他の花束も
売れているようです。
母の日になると、急に値段が跳ね上がるカーネーションよりも、お値打ちだと
いうこともあるのでしょうが、中にカーネーションが入ると、母の日価格に。
母の日も終わりころ、カーネーションの安売りが始まります。
クリスマスのケーキのように、売れ残ると困るから。

 花より団子だった頃、私の好きな歌がありました。
石川啄木の歌です。
「友がみな、我より偉く見えし頃、花を買い来て妻と楽しむ」
昔は、きっと花は高級品だったと思います。
 今は輸入品が安く入って来るので、どこも花で溢れていますが、
殺風景で、粗末な部屋の、丸いちゃぶ台の上に、一輪挿しでしょうか
 と想像でいきます。

母の父親は、牧水が好きで、
母は父親が口にしていた歌を母も。
「幾山河越え去り行けば 寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」

こういう歌は覚えているものです。
母と子供の遊びは、下敷きを使って百面相の勝負です。
笑った方が負けという簡単な遊びです。

私はそのような、素晴らしい母親がいながら、息子には、何も母親らしい思い出を
作ってあげなかった。
自分の不幸感にひたっていた。自分のことで精一杯。
花より団子だったのです。
殺風景な部屋の、味気のない家庭しか、子供には。
祖父は、貧しい暮らしの中で、幼い母に、わずかなお菓子をカバンの中に
入れて帰って来たそうです。
父親が電車から降りて来るのを、冬の寒さの中も、待っていたそうです。

父親は、どれほど幸せを感じたことでしょう。煙草を買うお金を詰めて、母の
為に、駄菓子屋で、一つのお菓子を買ったのでしょう。
若山牧水の、其の歌は、母にとっては父親の心境を歌ったものであり、
父の存在そのものだったのだと思います。

私は息子に、反面教師にはなれたことで、それだけは自慢できる。
 奥さんを大切にして、仲の良い家庭を持っています。
「あんな優しい人はいない。」と彼女からも言われま。
こんな母親のに、今年も、母の日の素敵な花束が贈られてきました。
感謝すべきは、私のほうなのに。
面がゆい気持ちで、でも嬉しくて。

  

Posted by アッチャン at 10:30Comments(0)エッセイ

2014年05月10日

昭和の匂いがする岡町商店街

      3番街地下の、カウンターで。トロずくし、980円

    
 叔母を見舞っての帰り、岡町の桜塚商店街を通って、駅まで歩くのが楽しみなので、普通駅だけど、ついそちらの方に足が向く。
 昭和の雰囲気がそのまま残っていて、忘れられたような雰囲気が魅力的。
その中に、いつも通っていながら、古本屋があるのは知っていたけれど、外に100円の本や無操作に積まれた,汚らしい感じのがらくたばかり目立つので、本を見る気にならなかった店がある。
店の前に、朝のテレビでやっている「隣の人間国宝」だったかのラベルをもらったらしく、誇らしげに貼ってあるのに気付いた。
 誘われるようにして中に入ると、整理のつかない本が、通路も埋めていて、棚を見て歩けるのは、二筋だけ。
 新品に近い文庫も入っている。
その中で、伊集院静の「白秋」と五木寛之の「風に吹かれて」山田エミの「風味絶佳」の3冊を選んだ。3冊で、560円。風味絶佳は帯付きで、真っ新だ。白秋も、帯はないものの新品のよう。
五木の「風に吹かれて」は、経過年があるので、100円だった。
 主人は、新しい本に、丸善のカバーをつけてくれて、「古いおもちゃが良い値段で買いますよ。」という。
 みれば、がらくたの中に、キューピーの小さい人形が2800円という値段がついている。
 誰が買うのか?お金のあるノスタルジーを大事にしたい、大人達だ。
 ウルトラマンに、ゴレンジャー、ミニカーに超合金など、息子が遊んでいたおもちゃが、 今お宝になっているらしい。
「あるのはあるのですが、首がちぎれたり、手がなかったり。」
「探せばないですか?」
おもちゃ箱にぐちゃぐちゃに入っているものの、どれもまともなものはない。
 ましなおもちゃは、妹の子供にあげた。
 レゴは、段ボールに入れてあげた。ミニカーなども。
 「ほかのあげるからとか言って、取り上げて来たらどうですか?」と主人。
そんなこと、できるわけないじゃないですか、と心の中で呟く。
 何でも置いておくものだなあ。時代はめぐる。
そんな話をして、其の店を出て、商店街をぶらぶらしながら、岡町の駅近くに来ると、
店の店主に似た人がいる。
「おつり渡してませんでしたよね。」と言って、460円を手に平に握っている。
 店をほったからかして、おつりを持って出て来て私を待っていてくれたのだ。
私はすっかり忘れていたのだけど、なんて親切な人だろう。
 これが昭和の時代というものではないだろうか。
のんびりして、おだやかな。家に鍵なんかかけてなくても、心配いらなかった時代。
岡町の商店街は、まだそういう雰囲気だけではなくて、そこの住む人達も、昭和のまま
なのかも。ふわっと暖かいものを受け取った。

https://wiki.service-lab.jp/lib_toyonaka/wiki.form?page=%2F%E5%86%99%E7%9C%9F%2F%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%AA%E3%81%BF%2F%E8%B1%8A%E4%B8%AD%E5%B8%82%E6%A1%9C%E5%A1%9A%E5%95%86%E5%BA%97%E8%A1%97%E3%81%84%E3%81%BE%E3%83%BB%E3%82%80%E3%81%8B%E3%81%97  昭和44年と平成の商店街の写真
  

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2014年05月09日

歯の矯正、テンプレート

       


  二年以上、いや、それ以上、片側の歯だけで噛んでいた。
インプラントの手術後、傷みはないのに、片側の頬骨のあたりが
腫れているように思われて、医者に言うと、インプラントの腫れは
ないと言われた。
自分の顔をまじまじと見ることはないので、元からこうなのだと納得していたが、
五木寛之のエッセーの中に、歯の話が出ていて、片側だけで噛んでいると骨格に
変化をもたらすので、両側の歯を使って噛むようにしているとか。
私の顔の頬骨のあたりのでっぱりは、片側だけで噛んでいたことによるものではないか
と思われて、昨日、歯科の予約日だったので、医者に聞いてみた。
医者は「そうですよ。テンプレートをこれからするので、矯正されるでしょう。」と
 歯の矯正で、随分表情が変わる。小顔の矯正とかの施術もあるくらいだから、片側だけで噛んでいると、顔の形が変わるのもうなずける。
 テンプレートは、マウスよりも幅のあるプラスティック成型を一日14時間くらいはつけておかねばならないらしい。
 それをすれば、脊椎の矯正、頭痛の解消、腰痛、いびきやドライアイなど軽減するというのだけど、医者は「それほど期待しないでください。」と釘をさすことわすれない。
「人によりますし、他に原因があることも」
そりゃそうだ。
 でも、患者は期待する。
お金もかかる。身体的な我慢も続く。期待しないとできない。

それにしても、五木寛之は、健康維持のために様々な工夫を日常生活に取り入れている。
歯を磨く間、片足立ちを1分30秒づつ交互に。かかしのような姿勢。
やってみたら、片方の足は、10秒と我慢していらない。もう一方は30秒は保っていられる。
 ふらついてバランスが取れない。手を壁についてなんとか。一分30秒は長すぎる。動脈硬化が起こって、どこかの血管が詰まっているかも。

 
  

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2014年05月08日

靴の話

    



靴では苦労する。
100足買ってあうのは、せいぜい一足くらいと、どこかのエッセーで五木寛之が書いていたのを読んでからは、そんなものなのだ、と靴を買うのが気楽になった。
 買っては、失敗ばかりしている。
履きやすそうな靴だと、一足では心もとなくて、二足買いたくなる。
 店では、足入れが良くて、しばらく歩いて試してから、大丈夫だと思って買ってくるのに、いざ、外に履いて歩くと、15分もすれば、痛くなって履くのがつらくなる。もう外に履く気がしない。
 二足も買ってしまってと後悔する。
 今、図書館で借りてる本「下山の思想」の中で、靴に関するエッセイがある。
五木のワードローブの中に、相当量の靴がある。部屋の装飾になっているもの、其のあたりに転がっている靴は、老舗の靴屋や、海外で買った著名な靴ばかり。
 何十年も前に買ったもので、履けなかった靴だったが、履いてみると、足にぴったりあうようになっている。足が痩せて形が細くなったからだそうだ。

 靴を磨きだすと、何時間も磨いている。さわやかで気分が良くなるそう。
 パリで、ロンドンで買った上質の革靴で、それらの靴は、足に馴染むようになるまでに一年かかる。そういう靴を西洋の人は我慢しながら自分の靴にしていくという。

 そういわれると、思い当たる。
パリのアレージア通りにある靴屋を覗いていたら、売り子の女性が合う靴を探してあげますと言って私を店に誘った。その界隈は、ブランドのアウトレットがあるので、その店も他よりも安いのではと思ってつられて入った。あとでわかったのだけど、定価通りで、タックスの免税をしてもらったけれど、税金は振り込まれず。

 彼女は、私が履いている4Eの幅広の靴を見て「もっと小さく見える靴でないと」と細みのスマートな靴を出してきて、「これがあなたにぴったりだ。」という。

 靴ひもがゴムになっているので、幅の広さは調節がきいて、窮屈だけど履く事は出来る。

 、「これくらいでないとだめ。皮がのびるから、大丈夫。私は靴の専門家だから。初めから合う靴を履くと、大きくなってだめです。」と勧められて買った靴は、しばらく歩くと痛くて、纏足のようによちよちとなり、履きこなせていない。おそらくこの先も無理。カンペールというブランドの靴
   友人も神戸のデパートで、同じメーカーのものを買って、履けないとぼやいていた。その店でもう一足、欲張ってサンダルを買った。
 ジオックスというイタリア製のもの。サンダルなので、足幅は問題なく、履けるには履けるのだけど、底が薄くて、膝に響く。



  もう一足、パリのパレロワイアルにある、メフィストという店で買った靴。
 店で、しばらく歩いて、これならいけると思い、そのまま履いてルーブル美術館のあたりまで来ると痛みだした。随分我慢しながら、サンミッシェルのあたりまで歩いて、ついにバスに乗った。

 日本に帰ってから、ネットで靴の幅を広げる木型を買って広げてみたのだけれど、皮が緩まないようにしっかりした造り。高級靴なので、形が崩れないようにできている。

関学の美学教授だった方が、「銀河を辿る」という、サンチャゴへの巡礼体験を書かれた。その中に、メフィストの靴が出ている。長時間の歩きに耐える靴として。それで欲しくなった。メフィストは、フランス製の靴。

この靴は、足の痛みを我慢しながら、時々履いている。あまり歩かない時に履いている。
年を取って、痩せれば、足にあうようになるかもしれない。
それとも、我慢して履いていれば、馴染んで来るのかもしれない。
すぐに履ける靴は、ぶかぶかに大きくなって、足が泳ぐようになる。
足にぴったりと吸いつくような靴に巡りあうことなんて、万に一つ
なのかも。
100足買って一足当たれば、上出来。
 
  

Posted by アッチャン at 11:37Comments(0)エッセイ

2014年05月07日

延命処置

  


  豊中の病院にいる叔母を見舞った。
顔色も良く、元気そうだった。寝たきりで3年近くになる。
五木寛之の「選ぶ力」という新書本に中に、延命処置についての
疑問を呈してる個所がある。
叔母も、鼻腔経管で、ミキシングした栄養を入れながら生きながらえている。
周りのベッドには、五木寛之がいうように、ムンクの絵画のように、硬直した手と、
口を開けた状態でベッドにくぎ付けになっている老人がほとんどだ。
私もそのような状態で生きていたいとは思わない。
母の場合は、経鼻で栄養を入れることに違和感がなく、食べることのほうが苦痛のようだ。
プリンやコーヒーなどは、口から食べても大丈夫なのだが、好きだったシュークリームも、
ほんの少し口に入れるだけ。
食べることには興味がない。
元気な顔をしているのは、野球のシーズンが来たからだ。
ベッドの傍にあるテレビで、デイゲームを見ていた。
叔母は、早く死にたいとはいわなかった。気分が良かったのだろう。
私が持って行った、ココアを少し飲んで「甘いわあ。甘すぎるわ。」と言いながらも、
ガラスの器に入れたココアを全部飲んでくれた。残りのココアを飲んでみると確かにすごく甘かった。
胃婁や経鼻栄養の患者は、食べ物の逆流で熱が出たり、肺炎になりやすい。
叔母は病院にいるので、そのたびの処置をしているので、熱が出ては、また回復している。
まだ、話を出来るし、テレビの野球を楽しんでもいる。
五木寛之は90歳を過ぎた老人が、「出来ることなら長生きさせてほしい。」と言っているのをテレビで見て、自分の予想に反した答えだったという。
 叔母も、時には、早くお迎えが来てくれないかしら、と言い、気分の良い時には、野球の話や、思い出話をして笑っている。
「また来るわね。」といい、
「また来てね、」と握手をするために手を差し出す。
人間は、生き物なのだ。
生きようとする力が自然に働いているような気がする。
私だって、その時の、その状態になってみなければわからない。
ベッドでムンクのように、心の叫びを叫んでいる老人は「出来ることなら生かして欲しい。」
と声にならない声を発しているのではないだろうか。
自然死は苦しまない、と言われるが、人間が他の動物と違うのは、「科学の進歩」に頼ろうとする力が備わってしまっていることだと思う。痛い目をしても、良くなりたい、なれるはだ、という欲望が植えつけられているのではないだろうか。
  

Posted by アッチャン at 11:32Comments(0)エッセイ

2014年05月06日

頑張ってはみたけれど

       



  電車の中で読むくらいなら、どおってことないのだが、
本の虫が動き出すと、肩に荷を背負ったようになり、肩の凝りと
並行して、吐き気や眩暈の症状が出てきた。
 右手のしびれも出て来た。目がかすみ、しばらく治まっていた
ドライアイも。
沢山の本を借りて、五木寛之に対抗して読書に精出し始めたら
この始末。
せっせとコナミに通って水中を歩いたくらいでは、何の効果もないの
だろうか。
昨夜、アメリカ行きの飛行機を予約した。
 5月の末から歯科の予約が一つに一回のペースになる。
6月は南座や彦根の歌舞伎、それに、松竹座にも行くので、その合間を縫って
一度、アメリカに飛ぼうと思った。





 6月から、ニューヨークのアパートが空くと言っていたので、6月の末からのニューヨーク行も予約した。こちらのほうは、700円の予約抑えの料金を払って、3日間の保留が出来るというもの。
 その日だけ、安いのがあったから。
夜中の2時まで、ネットで調べていたのもよくなかった。
アメリカにするか、ヨーロッパにするか、安い飛行機のある飛行機会社を探して、この2,3日ネットに集中する時間があったのも、眼に来ている。
 五木寛之の「旅のパンセ」という本はまだ読んでいないのだけど、このタイトルをみただけで、旅がしたいという思いがふつふつと湧いてくる。
 ポルトガルにまた行きたい。シチリアにも、アイルランドにも行っていない。
 カサブランカやアフリカも素晴らしいだろうな。
友人のブログを見せてもらっていると、オーランジュリーにある、モネの水連の部屋が浮かんできた。四季折々の庭。
写真に見る藤棚のなんと美しいこと。
主のいない庭の藤は、年ごとに太くなり、花を増やし美しく成長している。
モネがいた静けさは存在しないけれど、ジャルダンとして多くの人を驚嘆させ、なごませている。
7月から8月にかけての、プロバンスも好き。ひまわり畑とアルルの祭り、そして大好きなアビニヨンの演劇祭。
ことしこそ、行きたいなあ。旅に出ると、これらの症状がうそみたいに良くなるのは、
ストレスからの解消だけではなかった。




勉強していた頃、ずっとこの眩暈と首の不調に悩まされていた。
その原因は、これだった。首を垂れて本を読むことにあった。目の疲れにあった。
頭痛も吐き気も、これが原因だった。
今から治療が始まるテンプレートは、こういう症状が緩和されるというものらしい。
 いくらでも本が読めて、眩暈がおこらなくなれば、肩の凝りが解消されれば、嬉しいけど、果たして?
今朝、息子に、アメリカ行きの飛行機の報告をすると、6月30日に借りてが出ると言っているけど、わからないという。
700円にしておいてよかった。、一週間の保留は900円。これは没収されるだけのお金だから。
 あの安い飛行機運賃はキャンセルしたら、もうないだろうが、行先を変えることも出来る。ニューヨークのアパートは完全に借りてが出て行ってから考えればよいだろう。
 
  

Posted by アッチャン at 13:45Comments(0)日々の事

2014年05月05日

節約型の連休

  
     



  連休はどこも混んでいるだろうというので、梅田に決めた。
いつも随分人が待っているので諦める「やまと」という居酒屋の前で
待ち合わせた。
 すでに友人は来ていて、列を並んで待っている。
「やまと」は新世界にもある、酒屋が本業の居酒屋でカウンターだけの店。
席は半分くらい空いているのに、客の数を制限している。
 しばらく待って中に入れた。
ここ半年は来ていない。いやもっと。1年来てないかも。
12時半くらいに来ると、一旦席が埋まった後なので、
幾ら待てば席があくのかわからない。カウンターには、2時間制限と書かれている
くらいだから、客はなかなか出ていかない。





この店が出来た頃は、それほど混んでいなかったので、気軽に行けたのだけど、
安くて、ネタが良く、美味しいので、客は気長に待ってでも入りたい店なのだが、
 私達はそこまでする気がないので、覗いては、別の店に行っていた。
 しばらく来なかったら、メニューが少し変わっている。
和牛の焼き肉がなくなっていた。480円のメニューで、安すぎるくらいだった

うまき。680円


から、採算がとれなくなったのかもしれない。それに代わって、牛の塩タンが加わっている。
 他のメニューは、以前と変わらず、ビールや酒類は380円、料理は380円から480のがほとんど。
いけすに泳いでいるイセエビは一匹180円。躍り、塩焼、天ぷらと好みに調理してもらえる。
寿司もなかなかのもので、新鮮なネタを厚切りで出している。はまちなどは一貫120円、うなぎや本マグロは240円。
飲み屋の定番である、おでんは一品120円で必ず注文したいもの。味のしみた大根と厚揚げ、牛すじにこんにゃく。じゃがいもの好きな人も。
待ってでも食べる値打ちは十分ある店だろう。若い人が増えている。若い女性達が増えているのには驚きだ。
こういう店は、もともとは、酒飲みが、立ち飲みで充てのおでんやあての小料理をつまんで腹の虫を治める店だった。
通天閣の下にある、串カツ通りの一角にある、やまとの本店は、酒飲みの男達が目立つ店だけど、梅田の地下街の店は客を問わず、人気のトレンドになっている。

もずくのかき揚げ



自慢の「明石焼き」は外せない。480円で神戸に負けないくらい美味しい。
 居酒屋となると、煙草を吸う人の隣になる可能性もあるのに、誰も吸う人がいない。
看板に「できるだけ喫煙所で吸ってください。」と書いている。
これが原因だったのだ。こう書かれて、あえて吸う人はいないようだ。
そこが以前と変わった所。料理が格段と美味しく感じられるのは、そのせいかも
しれない。
昼からお酒を飲んで、お腹も一杯なので、その辺をぶらぶら歩いた。





茶屋町の交差点が行き交うあたりの、とあるビルの壁に、絵を画いてる若者がいた。
「フィラデルフィアみたい。」と私が言うと、その若者は私の声が聞こえたようで、笑ってお辞儀をした。
 フィラデルフィアに行ってみたいとかねがね思っていたら、先日テレビで、町中が落書き許可になって、アートに溢れている。すさんでいた町がアートで蘇えり、明るい光で溢れる町になったとか。その光景がふとうかんだから。
 遠くから一枚写真を撮られせてもらったら、彼が寄って来て、自分の作品をいれた葉書をくれた。BONBIというサイン入り。


 
  


友人が、「ブログに乗せてもいいですか。」というと、
彼は、是非に、と言って、絵の前に立ってポーズを決めた。一枚撮ったら、
もう一枚といって、好きなポーズを。



雇われて画いているようでもない。




パーフォーマンスで、許可を得て、画いてるのだろうか。
のどかな、連休の、うららか日和。節約組の若者でごったがえすほどの人の波。





楽しそうな笑顔がここにも、あそこにも溢れていた。
  

Posted by アッチャン at 11:44Comments(0)日々の事

2014年05月03日

五木寛之「選ぶ力」

 
      


  五木寛之は、寝ても覚めても本を離さない人のようだ。
しかも早読みが得意。
東京から静岡までの電車の中で、文庫2冊と雑誌2冊に新聞を読んでいる。
 風呂の中でも、ビニールを特製カバーをかけて、長風呂しながら読んでいるとか。
 一冊の本を書くのに、文献に使う本を多量に読んでいるのも、この速さならうなずける。
昨日借りた9冊の本など、五木寛之なら、瞬く間に片づけてしまうだろう。
 速読法という学科があって、速読で内容を把握してレジュメを書くという授業があった。
目を上限に走らせながら、斜め読みをする訓練をする。
初めと終わりだけはわりとしっかり、間はざっとつまみ読み。
五木もそんな読み方ではないのか、と疑いたくなるくらい早読みだ。
 12年の出版された新書本を、昨日頑張って読んでみたが、まだ少し最後の所が残っている。
 漫画を30分くらいで読む人は幾人もいるけれど、字を追って読むと、一冊読むのに早くて2時間はかかるのでは?
 つめて読んでいると、眼の焦点がぼやけてくる。
五木寛之の趣味は、健康だとそうで、確かに、「選ぶ力」の中で、健康に関する記述がとても多い。
 それだけ本を読み、書く事を生業にしている人だから、眼の健康に気を使っている。
 手を伸ばして、指の先を見て、眼をずらして、100メートル先を見る。これを繰り返す作業をおこたらない。
 歯にも気を付けている。片方だけで噛むと骨格あ歪むので、両側で噛むように心がけている。
 人間の身体は、病んでいるのが普通で、病気を治すことは出来ない。
病気をおさめるための、それぞれにあった、方法を「選択」する。
 情報は錯そうして、意見はまちまちで、どれを信用すればよいか。医者も科学者も信用できない。情報過多のまちまちの情報振り回されて生きるのではなく、自分の身体と心のの要求にそって、つきあって、あれこれ試してみることが、五木にとって、「楽園」だという。
本の中で、わずかにでも参考になる文章を見つければ、大いなる収穫だ。
 斜め読みで良い。ふと気になる箇所があれば、そこを重点的に読むだけでもよい。
五木寛之の早読みに、挑戦してみて、そう思う。
 五木は、電車の中の棚に、読み終えた文庫をカバーをかけた状態で、置いておく。誰かが読むだろうと。読んだ本のことはそれで終わり。心に残ったもので、またあれが読みたいと思うと、探して再び買うのだ。見つからねば、縁がないと諦める。
風通しの良い生き方をしている。身につけるものは、自分の身体と心。
 一寸先も見えない、未来を描いてみても、そうなることは保証もないこのご時世だ。
3.11以後、人々の意識は変わった。地震がいつきてもおかしくない。
そういう中で、本当に価値あるものはないか。確かなものはなにか。
 今を生きる。今生きているということ。それを引き受けているのは、私の身体と私の心。
 我が身を治め、心穏やかに生きること、そのための方法論が」「選ぶ力」に盛り込まれている。

 100歳以上のお年寄りが50000人を突破したが、その中の80パーセントの人が寝たきりだとか。
 寝たきりで長生きはしたくない。
 だいたい、80から90までが、丁度良いと思う。

という五木の考え方は、私も確かに、と思う。

 元気で、頭もぼけないで、人に迷惑をかけすに、人間らしい人生を送れるのは、90までかなと思う。
 例外で元気な人は別として、そんな人はほとんどいないのだから。
 自分の足で歩いて、自分の口で食事をたべられて、好奇心もあって、趣味と言えるものを持っていて、
 ある日、静かに、というのが理想にならない確率はせいぜい、90までじゃないかな。
  

Posted by アッチャン at 16:04Comments(0)エッセイ

2014年05月02日

図書館は本の宝庫

       


 連休の谷間、医院に電話すると、やってますと言われたので、あわてて車ででかけた。

 12時にぎりぎりセーフ。薬が明日で切れるので、薬をもらうと安心する。
 咳止めの貼り薬は使ってないので、除いてもらい、少しは安くなるかと思ったが、前よりも少し高いような気がする。
 ついでに図書館に予約していた本を借りに行った。図書館の駐車場が一杯で、やっと一つ空いた。

 中のソファーには、沢山の人が座って本を読んでいる。
新聞もあれば、雑誌もそろっているので、暇つぶしに散歩をかねてやってきた人達もいるだろう。
 伊集院静のエッセイの中で紹介されてた、木山捷平の「大陸の細道」とビートタケシの「あのひと」を予約していた。以前に借りた本も読み終わっていない。

 五木寛之の「サンカの旅と被差別の世界」を読み始めて、その文献に使われている、沖浦和光の著書、五木との対談集を収めた本などを読みだすと、伊集院の方はお預けになっている。

 図書館に行くと、五木寛之の本が気になって、そちらの棚から、最近書かれた新書サイズのエッセイを3冊ピックアップした。「選ぶ力」「下山の思想」「無力」どれも暗そうな本。「旅のパンセ」という小さめの文芸書は、旅でエッセイを書く参考になりそう。
近くにあった、久世光彦さんの「向田邦子との20年」というエッセイにも興味がわく。




8さつの本を受付で借りた。振り返ると、差別問題の棚が目に入った。
沖浦和光の本はないか、とみると、「日本民衆文化の原郷」という本の中に、沢山の写真が入ってる。読みたくなって、
結局9冊も借りてしまった。
積読で、読まずに返しに行くのはわかっているのに。
目が悪いと、本を読むのがうっとおしくなって、あまり読まなくなっていたのだけど、
友人たちは、白内障を手術後、好んで本を読むようになった。
私の眼は、まだまだ白内障とまではいかないようなので、ドライアイの目薬は常時つけてるが、白内障用の目薬はもらっていない。
元々本好きな人間なので、火が付くと、あれもこれも読みたくなる。
どっさり借りて、読まずに返すことになりそうだ。
欲張りがこんな所にも発揮される。
  

Posted by アッチャン at 14:20Comments(0)日々の事