2009年04月30日
日曜日のマチネーはオペラ「マクベス」
日曜日のマチネーで、オペラ「マクベス」があるので、11時半までに、バスティーユにつくように出て行った。5ユーロのチケット売り場の前で、並んでいる人が、チケットをもらっておくように、と親切に教えてくれた。チケットと言っても、小さな紙切れで、番号を書いているのをちぎってくれる。最前列の銀髪の女性が、勝手につくって持ってきたものだった。が、これがないと、問題が起こるかもしれないので、頂く。1センチ四方ぐらいの小さな紙だから、なくさないようにポケットに入れた。
前にはすでに14人くらいいる。日本人も3人待っていた。教えてくれた隣の女性は、食事持参で、お昼になると、食べ始めた。最初に、生ハムの前菜、次にクラッカーのようなものを何枚か食べ、それから、シェ、ポールで買って来た、パンを食べた。さらに、デザートに、大きなケーキを食べ、ポールの紙についたクリームを丁寧になめつくしている。
背の高い女性で、髪に所々白髪が交じっている。よくまあ、食べるものだなあ、と関心。私は朝、ご飯と卵(残っているので2つも)のオムレツで、お腹が一杯なので、隣で美味しそうに食べていても、一向に美味しそうとは思わない。お腹すごいな、と思うだけ。
時間を39分間違えていて、始まりは2時半だったので、予定よりも更に30分待たなくてはいけなかった。1時間半前になり、やっとチケットが買えた。そのころになると小腹が空いてきたが、このまま帰るまで食べないでおこう。
会場に入り、一目産にかけあがり、最高の席を確保してから、途中で咳が出たら困ると気になり出す。水を買っておくと、安心だから、と買いに行くと、着飾った日本人の女性が二人、シャンパンを注文している。 係の人は新しいのを、勢いの良い音をさせて、シャンパングラスに注ぐ。
二人は、乾杯して、優雅にシャンパンを飲んでいる。
私はと言えば、水を買うのに、値段を見て、買うか買うまいかを思案する。4ユーロなのだ。チケット5ユーロで、ただの水が4ユーロ。でも、買った。咳予防に。
一幕目は1時間30分、字幕を見るのに、床に中腰にならないと見えない。座り込めば、翻訳文字は見えても、舞台が全く見えない。背の高い隣の男性は、座って見ているけれど。
満席の中で、一つだけあるな、とみつけておいた補助席は、途中で入ってきた、入道のようなマルはげの男に取られてしまった。彼は、縄をくぐって中に忍び込んで、幕間にすぐにその席に座った。
幕間が終わり、立っていると、その禿頭が前方に移動するのが見えた。 すぐさま、その席めがけて突進する。補助席に座ると、隣に座っている老婦人が、彼女の横も空いているからと勧めてくれた。補助席のつもりだったのに、奥に入れてもらったので、立っている人達に、ここが空いているからと合図した。私の合図がわかってやってきた女性は、嬉しそうに、ありがとう、と小さな声で。
二幕目は1時間、座って見ることが出来た。お隣にいる婦人に感謝、感謝。禿頭なので、すごくわかりやすかったことにも感謝。
肝心の「マクベス」は、歌が旨いというのはわかるけど、現代番の衣装になっていて、コメディーを見ているみたいで、あまり感激はなかった。 中腰で脚が痛いということに神経が集中していたせいもあるだろうが。
高額で買った、貴重な水は、咳き込んで、そっとわからないように、何度か飲んだので、正解だった。でないかな、と神経がそこに行くと咳き込みたくなる。いつもは飴を持っている。カウンターで、飴というのは売っていない。
日本だと、劇場で、飴は必需品のように売っているのに。飴がなければ、それに変わるようなものがある。フランスから輸入していいるエヴィアン水でも高くて200円。それ以上は取れない、というのが日本的常識。こちらは違う。ワインと同格の顔をして、レストランや、キオスクで座っている。
2009年04月30日
ペール、ラシェーズ
パリには、モンパルナス、モンマルトル、そして一番大きな墓地が、ペール、ラシェーズの墓地。一度来たいと思っていながら、今回が初めてだ。
雨模様の鬱陶しい日に行かなくても、という気がするが、そういう時の方がお墓には似合っているかも。
広大な敷地の中で、地図をもらっても、おめあてのお墓を探し当てるのはなかなか難しい。実に97の墓地区画に分かれていて、その1区画も沢山のお墓がある。
ショパンのお墓はすぐに見つけることが出来た。何人かお墓の前にいて、写真を撮っている。お花が沢山供えられていた。
次に、モリエールのお墓を探す。このお墓も比較的簡単に探せた。モリエール大通りの通りにあるから。
モジリアーニのお墓は、結局探せなかった。何度もそのあたりを行き来してみたがだめだった。
向こうの方に、沢山人がいるので、そちらの方に行くと、エディット、ピアフのお墓だった。探さずに、見いだせたお墓。さすがに人気が高く、お墓の周りに人が集まって、囲むようにして順番に歩いて回っている。
次に、歩いていると、出会ったのは、お墓の上で正装して帽子を持って横たわっているので、有名な、ビクトル、ノワールの墓。彼はジャーナリストで暗殺された人だそうだ。
トイレに行きたいのを我慢していたので、ローランサンのお墓の近くにトイレがあるので、そちらに歩く。トイレをすませ、ローランサンのお墓を探しても、見つからない。これもだめかな、と思っていたら、お墓参りに来ているおばあさんが、誰のお墓を探しているの?と聞いてくれた。「マリー、ローランサン」だというと、そのお墓まで案内してくれた。シンプルなお墓で、少しだけお庭になっていてお花が植わっていた。
モンパルナスにある、デュラスのお墓はもっとシンプルで墓石だけだけど、こちらの方が女性らしい。 そこから、偶然に、映画俳優の、シモーニュ、シニョレとイブ、モンタンのお墓を見つけた。ピアフの愛人だったイブモンタン、シモーニュと結婚し、生涯仲むつまじかった二人を象徴するような、仲良く二人の名を刻んだお墓だ。
お墓を間を歩いていると、なんとなく気分が悪くなる。夕方になっているし、時折雨が降り、陰鬱な気分がしてくる。あとはどうでもよくなって、最後にバルザックのお墓だけは見ておこいうと思った。
石畳が、靴底に食い込んで、歩くのが痛い。帰りに、ヴィスコンティーと書いているので、映画監督のヴィスコンティーかと思って行きかけたら、違った。イタリアの監督が、パリにいるわけない、と苦笑する。マリア、カラスのお墓は、移転している。
バルザックのお墓を最後に、ペール、ラシェーズの墓地を出た。
残念だっのは、「失われた時を求めて」の作者、マルセル、プルーストのお墓に行かなかったこと、あとで、あったんだ、と知った。死者が、死に体を横たえているお墓がこれだけ膨大に多いと、あとまで響くような気がして、お祓いをしてもらいたい気分になった。
2009年04月30日
異国で発作
朝、インターネットをする為に、カフェに行った。いくつかのブログを更新し、メールを見て、返事を書いたり、ニュースなどをチェックしていると、つい時間が経ってしまう。 昼食の時間のようなので、コンピューターを閉めて帰ろうとしたら、奥歯のあたりが痛いので、顎かなと思っていたら、胸が痛み出した。
最近まったくなかったので、忘れていた痛み、立て込んでくるので、出ていきたいのに、痛みが喉まで引きつって来て動けない。
こんな所で、倒れたらどうしよう、それが心配だった。ニトロは持ってなかったかと、財布を捜すと、ぺしゃんこになった、期限切れの薬が入っていた。2005年までなので、効果のほどは期待できないが、その薬を口に入れた。いつも持ってはいるが、まだ実際に使ったことはなかった。様子を見ているうちに治まるから。
でも、異国のカフェに中で、日本にいるようにはいかない。それが効いたわけではないだろうが、やがて少し楽になり、そろりそろりと身体をゆっくる動かすようにしてカフェを出た。晴れているが、今日はとても寒い。風が冷たいけれど、このほうが、治るような気がする。
一昨日の夜に作ったカレーを、毎日食べている。息子が帰って以来、ずっと冷蔵庫の整理で食べつないでいる。帰る準備を始めているので、残ったご飯を炊き、何回かはカレー続き。チコリ(アンレーブというフランス語)がこちらはとても安い。一袋買うと、バーゲンで5つぐらい入って1ユーロくらいで買える。チコリとマッシュルールとのサラダも毎日続いている。
午後、ゆっくりと歩くようにして、植物園に行く。右の脚の感覚が変なので、真野響子が、倒れる前に、そういう症状だったとテレビで言っていたことが頭をよぎる。
風が強く、砂埃が立ち上がり、目や口に入りそう。
パリで、植物園が一番好き、という友人がいる。沢山の種類の花が咲いている。3月は、まだ花がないのに、4月になると、花盛りで、こちらに来た時には、まだ芽をふいたばかりのマロニエが大きな葉をひろげて、緑一杯に木陰を作っている。
乳母車で散歩に来ているお母さん達が、ベンチに座って休んでいる。もしかしたら、子守かもしれない。
沢山、花の写真を撮った。確かに、気分が落ち着いて、疲れが取れていくような気がする。
2009年04月27日
オペラガルニエ「オネーギン」
オペラ座は、昔からある、オペラガルニエとオペラバスチーユの2つの劇場で、バレーとオペラに上演を分けている。
ギャルリー、ラファイエット(デパート)でうろうろ見ての帰り、時間は7時を過ぎていた。オペラ座の前に、開演前とあって、人々が集まってきている。オペラ座前の広場で、奇声が聞こえた。スターでも待っているのかと、バス待ちの停留所から離れて、見に行くと、高校生くらいの女の子達が、一般の人を巻き込んでゲームのようなものをしていた。選ばれた人は、縄跳びをするだけのことなのだけど、勇気を出して、出てくる人に奇声で応援していると言う次第。
金曜日なので、混んでいるからと、買う気のなかったチケットなのに、お腹もぺこぺこで、頭もふらついているというのに、なぜか、まだチケットは買えるのか、と聞いてしまった。裏に回って、といつものチケット売り場ではない方を教えてもらった。
チケット売り場に人が並んでいる。受付の人が、「チケットが残るかどうかわからないけど」と言って中に入れてくれた。
バレーは、すでに始まっている。番が来て、窓口で、「6ユーロ」と言われた。
安いので有り難いと思って買ったチケットは、案内されると、2階のバルコニー、喜んだのもつかの間、入ると、立って見ても、半分以上見えない場所だった。
日本では、見えない場所、というのは聞いたことがない。パリでは、安い席というのは、何らかの欠点がある。ありがたがっていたが、あとで席を見ると、通常でも6ユーロなのだ。倍出せば、部屋の中で一番前列が買える。二番目はまだ座ってでもなんとか見る部分はあるけれど、3番目の列になると、立たないと見えない。真ん中に行けば、全体が見れるが、横の方は、奥に行くに従って、見えなくなる。
シャンゼリゼ劇場のように、音楽なら、見えない席でも聞くことであるていど満足出来るけれど、バレーとなると、見えないと全く用を足さない。
一幕目は、三分の一ほど見えた。休みになり、どこか見える場所はないかと探したが、満席だと言われ、2階へ上がる。チケットがどこになるかわからずにいたら、1幕で案内してくれた女性が、わかっているから、と扉を開けてくれた。
そこは以前の部屋とは違っていて、前の場所よりもずっと良く見える。勿論3番目の奥の席なので、立ったままでないと見えないけれど、身体を傾けると、舞台の三分のニ以上は見える。
バレーの舞台は、本格的なものは、昔、パリで一度、日本で一度一度、当時は、そんなものだと普通に見ていた。ところが、ある人のお稽古の発表会で、本部の専門家が特別に出演する、というようなものを見て、生徒よりは随分上手だと思っていたが、パリオペラ座の舞台とは、比べれば、下手の下手であったとしか言いようがない。
さすが、本場のパリオペラ座の舞台を踏むバレリーナは素晴らしい。まるで絹が舞うように軽やかで、流動的でで、すべるように、鳥が舞うように、一部の隙も、重たさも全くない。ただ美しく、優美に、大胆に、軽やかに、人間の技とも思えないほど。
「オネーギン」 という題なので、主役は男性のはずなのに、男は、プリマドンナをいかに美しく、大胆に、情熱的に、美しく舞わせる技にたけているかに、かかっているような気がした。それが男性バレリーナの最技量のようだ。そのためには、ものすごいエネルギーと力がいるのだろう。社交ダンスや、舞踏会でのダンスにしても、男性は、エスコート役で、いかに気持ちよく、上手に、女性を踊らせるかにかかっている。それがバレーにも通じている。今夜の舞台で、華麗に舞うプリマを最高に仕上げている、オネーギン役のバレーダンサー(マヌエル、レグリ)の素晴らしい技を見て、そう思った。
2009年04月27日
日本人の為の銀行がある
オペラ座の前を通ると、日本語で、「ピラミッド支店はオペラ通りにあります。」という看板を見た。え?日本語で案内しているの? 私の利用している銀行の支店だ。以前に、オペラの銀行に、日本語を話せる人がいるらしい、とは聞いていたが、銀行の案内に日本語で、とまでは知らなかった。その銀行に入ってみると、日本人の係の名前が3人も買いてある。入り口にあるオフィスに客がいないので、中に入って聞いてみた。
銀行を移せるかどうかを。するとパスポートがあれば、あとはサインだけで、と言われたので、口座番号を言って、翌日のアポを取ってもらった。
翌朝、その銀行に行くと、日本人の客がほとんどで、係の人は、他に男性までいる。日本語を話す人が4、5人働いている。
今までは本店で、全くフランス語だけで、なんとか辻褄を合わせていたけれど、日本語で話せれば、それに超したことがない。
普通貯金のリブレAというのは、2,5パーセントの利息で申し込んだら、5月から1,7パーセントになると、テレビで言っていた。
これは、今までは、郵便貯金だけにあてられていた金利を、政府が、銀行でも、非居住者にも使えるようになったもので、その代わり上限が決められている。最近になって出来るようになったものらしい。
昔は、日本人は、東京銀行か郵便局を使っていたが、ここは条件があって、パリに住んでいる人しか口座を開けなかった。 そんな時に、この銀行なら大丈夫だと紹介してくれた人があった。郵便局が、つねに一番高い利子がついていたが、それが現在2,5パーセントから、さらに1,7パーセントに下がるが、それでも政府の援助があるから。
2009年04月27日
フランス人はタバコが似合う
世界で、一番タバコが似合う国は、おそらくフランスではないだろうか。タバコが身体に悪いと警告が出て、室内で禁煙になる所が多くなっているので、戸外や通りで、タバコを吸っている姿を目にする。フランスでは、タバコを手放せない人が多くいる。
タバコを吸いながら、本を読む人、話をしながら吸っている人、歩きながら、立ち止まって、カフェで。
タバコを手にしている姿が、様になっていて、ファッションの小道具のようにかっこいい。エスプリを感じさせる。
日本人で、タバコを吸ってかっこいい、という人をあまりみたたことがない。なんとなくいじましい感じさえすることもある。タバコを加えて、パチンコ台に向かっている姿をウィンドウ越しによくみかけるが、貧乏揺すりしながら、眉間にしわを寄せて、苛立ちを紛らわせている。
すまして、タバコをつまむようにして吸っている姿もいただけない。女性もかっこいい人をあまりみない。ふてくされているように見えたり、おっさんくさかったり、おしゃれ感覚とあっていない。 仕事にタバコを手にしているのを見ると、せかせかと忙しい。
フランス人は、タバコの吸い方まで、かっこいい。
日本人とは全然違う。特に、女性が、とても似合っている。さっそうとしていて、さりげなくて、あたりまえのようになじんでいて、タバコが彼女になくてはならない素材のようにさえ思えるほど、決まっている。
フランスで、タバコは決して安くない。なのに、若い人の、特に女性の喫煙率が高い。
2009年04月27日
エスパス、ジャポン
エスパス、ジャポンというどこかで聞き覚えのある場所で、日本人の写真展があるので、見に行った。地下鉄のレパブリックが最寄り駅だと書いているので、そこで降り、地下鉄内にあるカルチエ(その当たり場所)の地図でみると、ナンシーという通りは載っていない。地上に上がり、歩き始めると、案内図があったので、もう一度見ると、その方がかなり詳しくて、ナンシー通りも載っていた。小さな通りで、エスパズ、ジャポンと黒い日本語の文字が目立つ。
写真は、「尾瀬沼の公園」と題して、何枚か写真が展示されている。男の人が、座って、本を読んでいる。どうもその人が写真家の岩沢昇平という人らしい。他にはコンピューターを前に、調べている初老の女性がいる。事務所があり、関係者ばかりのよう。
図書館にもなっていて、日本の新聞、雑誌、書物が並んでいる。
一通り写真を見せてもらって、しばらく見ていない新聞を読ませてもらって、そこを出た。日本料理、フランス料理などの料理講習、日本語教室などのポスターがある。
がらんとして、日本人らしき人は、写真家と、それには全く関係ない、女性と二人だけ。 話すきっかけもつかめない、静かさと、
無関心さなので、こちらも気を遣うことなもなく。
パリの中の小さな歪みのような、エスパス、ジャポンは、細くて短い通りに、ひっそりと息をして建っていた。
2009年04月24日
オペラバスティーユ「仮面舞踏会」
バスティーユオペラでは、「マクベス」と「仮面舞踏会」を公演している。どちらも、ベルディー作。「仮面舞踏会」19日に再演のこけら落としだったので、そのあとの週日を選んで行ってみた。2時間以上前に行くと、待っている人の数が5ユーロの50席には、まだ十分余裕がある。安心して、トイレに行き、帰ってくると、まだそれほど人数は増えていない。
去年並んだ頃は、風が冷たく吹き付ける中、我慢していたのにもかかわらず、買えないことがあった。わからずに、皆、機械の故障だと言われて待っていたら、すでに50席完売後だった。オペラ側のミスだったので、皆怒って帰って行った記憶がある。
今回は、寒くも無く、暑くもなく、気持ちの良い季節なので、待っていても全く苦にならない。1時間半前になると、チケット売り場の扉が開き、きっちりとした時間にチケット機械の前に案内してくれた。安心していたら、一人5枚くらい買っている人がいる。最低2枚、私のように、1枚の人はまれなのだ。気が気でなくなった。途中で切れる可能性だってある。
そのうちに、私の番が来て、まだ数枚残っていた。やれやれ。お札しかもってない人が、誰かかえてもらえないかと立ち往生していた。チケットはコインかクレジットでないと買えない。
館内のオブジエ
45分前になると入れてもらえる。その前で、じっと待っている人の中に加わって、一番前で待っていた。老婦人が、扉の間に、おしりを入れて、そこに座って、本を読んでいる。扉が開くと、一目産にに、3番扉に突進する。老婦人もダッシュするが、彼女はヒールなので、私に追いつけない。もう一人立って待っていた男性もダッシュ、立ち見席の、一番前の通路側を取るために。そこなら、立っていてもよく見えるし、暗くなって、空きがあると、すぐに移動できるからだ。3人は最前列を確保したものの、係の人がやってきて、この公演にかぎって、最初の25分間は、席を探してはいけないという案内が来た。隣にいる老婦人は、不満を隠さない。後ろの人が、「猫のように暗闇の中を探すのか?」と言うと、彼女も笑う。彼女は、5ユーロ席の常連さんのようだ。オペラの開始時刻になると、横袖の方で、コネクションなのか、若い人達が、空いた席を案内してもらって、座って行った。25分が経過すると、一旦明るくなり、舞台が変わるまで時間があった。そのときに、ということだったらしい。
老婦人や、その他何人かの常連さん達は、悠々と、席を探しに前の方に降りていった。 そのまま戻って来ないので、みつけて座ったのだろう。私は最初から、空いているなとみつけておいた、補助席に座らせてもらった。前の男性が大男で、横からでないと舞台が見えない。バランスを崩しそうになると、隣に席に倒れかかりそうになる。
それでも、立っているよりはずっと楽だし、イタリア語をフランス語に翻訳した字幕が見えるのは、席にいる人だけなのだ。席にいても場所が悪いと見えないから、このオーケストラ席は、最高席なので、たとえ、補助席でも、ラッキーなのだ。
1時間半の前半は終わると、もっと前の補助席が空いているので、そこに移動して、カーデガンを置いておく。幕間に帰った人もいるようで、後半は席が空いていたが、補助は通路側なので、帰る時に便利だ。隣の女性が風邪を引いていて、咳き込むので、それが気になったけれど。
前に行くと、迫力が違ってくる。ベルディーのオペラは、恋の三角関係だから、どれもわかりやすい。その上、翻訳があるので、初めて見るのに、十分理解できた。
3大オペラ歌手の歌うオペラ曲やガラコンサートなどの中で、良く耳にする曲になると、感激はよけいに増してくる。パリに来ると、一度はオペラを見て帰りたいと思って、ドライアイで痛いのに、我慢していた。始まる前、幕間、皆さん、ワインやシャンパンを片手に、優雅にお話する人達もいれば、持ってきたサンドイッチにかぶりつく人達もいる。そういう人達を見物のつまみにして、飲まず、食わずで、帰ると11時半、その翌日は、また、ダウン。
2009年04月24日
塩田千春展
ピカソ美術館のそばにある、画廊が並ぶ通りで、「塩田千春」の個展が開催されている。パリスコープの美術欄に紹介されていたので、中之島の国際美術館に常設されている、オブジョの作家ではないか、と。
行ってみると、やはりそうだった。
テーマは同じなので、すぐに彼女の作品だとわかる。蜘蛛の巣のように、黒い細い糸の針金のようなものを入り組ませ、その中に、ウェディングドレスが入っているのが、一番大きなまので、あとは、小さい作品ばかり。
中之島には、大がかりな装置で、アウシュビッツをも創造させる、ベッドを多数入れて、捉えれた、眠り、生を描いている。
この画廊では、絵画の小作品も出ていて、ほとんど売れていた。
まだ36歳なのに、MOMAや、ドイツなどの大きな美術館にも入っていて、すごい才覚を表している作家だ。
赤木さんの作品を見ても、この塩田千春を見ても、一環したテーマを追求することで、それが受け入れられるか、否かが決まるような気がする。赤木さんもテーマ無く描いていた頃、裸婦をテーマにしていた時期があるようだが、それは、フランス人の評価につながらなかった。建物を、日本の朱赤を使って、描くことで、高く評価されるようになった。 最近、展覧会を企画するのに、テーマを重視するようになった。
2009年04月22日
夫婦喧嘩は犬も食わぬ
夫婦喧嘩は、犬も食わぬというけれど、窓の外から見える向かいの建物の夫婦?(法律的には結婚しているカップルは少ない)仲良くベッドの上にいるが、先日の夜中、すさまじい声で罵倒し、殴りあっていた。男が、叩くと女は、その何倍も叩き返す。それから、わめき立て、ギャー、という叫び声をあげて、もう限界だというように断末魔の叫び、とともに、一瞬にして静かに。エネルギーを使い果たしたのだろう。そのあとのことは知らない。
男が浮気したのだろうか。フランスの男性は、浮気が仕事の内だから。女が稼ぎ、男を養っている場合が多い。逆に男が働き稼ぎの多い場合、「養ってやっている、食わしてやっている」という居丈高な態度を取る男が多い。フランス男は、日本の男性のように、温厚で優しくない。 日本のように、奥さんが給料を管理して、旦那にわずかな小遣いを渡し、それでも男は小さくなっているなど、ありえない話。奥さんは、美容院や化粧代まで、いちいちご主人がこうるさくチェックする。そういう立場から脱却し、対等に生活する為には、女が自立していなければ、成り立たない。
マタニティーファッション
ブローニュの森が現存するのは、今でも女を買う男達がいるから、男を買う男がいるから。町角に立っていると、娼婦だと間違われると言われたことがある。
フランスに男性が少なくなり、中東、アラブ系や黒人とのカップルが増えた。一時は国がほろぶ危険が叫ばれたフランスの少子化は、国の政策の効果で、子供を作る人が多くなった。それとともに、結婚する人は少なくなった。 女達は、産みたいから産み、育てられるようになっている。自立した女性は、どんどん多くなっている。一人の男が、3人の女達の間に子供がいる、というケースもまれではないようだ。養育費を払うわけでもないので、「いいんじゃないの?」と父親の認知をする。
夫婦に3人の子供がいれば、働く必要はない、という。それだけ援助されて、フランスは子供が増え始めた。最近でも、お腹がせりでた女性をよくみかける。
日本でも、子供がほしいけれど、結婚したくないという、女性が増える為には、男に養われたくない、という女が増えなければならない。婚活の目的は、完全就職。年収600万の男達を希望していると言われるが、それだけもらってる男は3パーセントだと、ラジオで言っていた。その条件の根本には、やさしくて浮気をしない男を想像しているだろう。
暴力と浮気をする男だとすれば、600万あっても、結婚したくない。フランスの男達は、その「暴力と浮気」が実に多い。女達は結婚せずに、気に入った男を養い、子供を持つ、に至る。
お向かいさんの夫婦。浮気がばれたのかな。翌日には、仲良くなっている。
今日買った、パリスコオープに「男は何も聞いていない。」というタイトルのお芝居の広告があった。レストランで、しゃべりまくっていた男、たしかに、何も聞いていない。おしゃべりに夢中だった。聞き役は女性。
2009年04月22日
ファッション
マドレーヌ寺院を出て、デパートに行ってみた。久しぶりだ。ファッション情報を、と注文をつけた友人の為に、と各階で写真を撮りながら、見て歩く。
靴売り場だけで、フロアー全体と取っているのだから、さすが、フランス。今年の靴は、一段とヒールが高くなっている。20センチ近くありそうなのも。
靴好きの人の為に、写真を。
高級ブティックが目白押しにある。プランタンに物色に来ている人達のファッションも高級感溢れていて、マネキンのようによく似合っている。
プライベートなお買い物の為のサロンも。
日本人の家族が、シャネルや、グッチなど紙袋を一杯かかえている。リッチなんだ。
洋服一枚に何十万とするものが。彼らには普通の買い物なのだろう。私が、ユニクロで、ちょっと沢山買ってしまうように。
後日、写真で公開します。ファッション
2009年04月22日
マドレーヌ寺院
マドレーヌ寺院で、無料の演奏会があるので、行ってみた。アメリカの高校のオーケストラの演奏だった。不揃いな演奏というものを初めて聴いた。メロディーは流れているけれど、テンポの遅れる楽器が奇妙な流れを作り出す。だらだらしたような、やる気のない楽器が、無理に動かされているような、こちらの気持ちも奇妙に引っ張られる。
高校生の親達が同行してやってきていて、ビデオを回す人も何人かいる。一曲が終わると、拍手が熱をこもる。ワエー、というアメリカンの応援も賑やか。
マドレーヌ寺院は、有料のコンサートが、よく催される。音響がよいし、雰囲気があるので、演奏会には、適してる。
間に、指揮者が、チェロの演奏をした。さすがプロ、寺院内に、静かに細く響き渡るチェロの音が、しばらくの間、心に染みる。
演奏会が終わると、バイオリンの弓をかかげて、屋根を作り、その下をくぐって、白い勲章のようなものを、指揮者が、招待者に捧げる、という儀式のようなことをしている。
その後は、壇上に登って記念撮影。いつだったか、プラス、イタリーで、楽器を持った高校生風の団体が、バスから降りて、行列をつくって歩いていたのを見た。彼らだったのだ。
2009年04月22日
赤木コウジロー展
赤木コウジロウ(漢字の変換がないので)
「赤木の版画パリ風景」という本が、日本で出版されたばかりとか。書店で購入出来ると思う。
パリの5区にある区役所で、今月の初めから個展が開催されている。パリにゆかりの
ある画家なら、きっと誰もが知っているのだろう。
吉田さんも、一緒のアパートだったことがあるとか。
赤木さんの絵は、パリの建物を克明に描いたことで、フランスでも高く評価され、カルナバレ美術館に、120以上、寄贈という形で収まられている。
フランス人よりもフランスに精通している、と言われているのは、長年にわたって、建物を書き続けて来たから。建物を描くことは、そこを政治や、宗教、生活の場としてつくり、形作っている「人間の歴史と生の営み」を見つめ、描いていることになる。
建物は変遷する。
土台になる水彩画を、外にキャンバスをおき、描かれるのに1ヶ月かえられるとか、その後、本作品を描かれるのに、一体どれほどの時間を費やすのか、克明に、正確に、緻密な作業でできあがる絵画ばかり。
作品に、朱の赤を使っている所が、赤木さんの特徴で、この色は西洋にはない色、印鑑の朱肉の赤に近いし、日本の長襦袢にもよく使われる、着物の朱色。日本人の色で、色っぽい色。赤木さんは、この色を服飾モードから取り入れられたのかもしれない。
アカギの版画パリ風景」の表紙の色も、この朱赤が使われている。
昭和38年から、パリに来て、ただひらすらに、街角にキャンバスを置き、スケッチし続けて来られ、その傍らに、パリのモードに関する通信や、雑誌記事を書いて来られたというのだから、まさにフランス人よりもフランスの事を知っている。
生涯かけて、ただ一筋の道を、脈々と歩んで来られたのだということを、作品を前にして感じると、吉田さんの姿も重ね合わせ、感無量。すごい人だな、と思う。
パンテオン
長年、奥さんが、働いて、支えてこられたという。内助の功あって、大成する人は多い。どの世界でも言える。
画家は長生きしないといけない。半ばで病気に倒れられると、内助の功も泡となる。
和気史郎さんを支え、大成させようと一生懸命になられていた奥様が、和気さんが亡くなられた時に「裏切られました」と言われた言葉が印象に残っている。
2009年04月20日
フランス料理
朝、起きると、9時をすぎている。こんなに寝たのは、久しぶり。あんなに陽気な日が続いていたのに、今朝からしとしとと雨が降っている。私の気分を代弁しているかのように。
忙しく、立ち去ったあとの、空虚と寂しさがただよう。
最後の夜、モンマルトルにある、中華レストランに行く計画だった。一緒に行くはずだった従姉妹は、客を迎えて食事をするので、行けないという。昔、行ったことのある中華レストラン、レマルク、コウランクールという地下鉄駅で降り、うろ覚えの道をたどって行った。そのあたりは、何もなかったのに、レストランが沢山出来ている。坂道を登ったり、下ったりしながら、探してみたけれど、結局見つけることが出来なかった。
どこか他でと、目をつけたレストランに入った。年代を感じる、フランス料理の店で、ご推薦の紙も沢山貼ってあるので、美味しいに違いない。
席はすぐにつくことが出来たが、そのまま待たされること。途中で、よっぽど出ようかと、何度も思ったけど、時間も遅くこれからどこかに行っても、開いていないかもしれない。
隣のカップルは、やはり待たされているけれど、全く気にしていない。水もなければ、ワインもなく、男の方が延々としゃべっている。もう一方の隣席の人は、料理を美味しそうに食べている。
カップルの所にマダムが注文に来たのは、1時間過ぎた頃だった。それからまた待たされて、やっと私達の所に。その間何度か通り過ぎても、全く関知していないような様子。 メニューを見て注文すると、ほとんど売り切れ状態。同伴者達は、タルタル(生肉)を注文した。仕方なく、マダムが勧めた、豚の足を私が注文 、前菜には、ラタトイユ(プロバンス風野菜の煮込み)を頼んだ。
豚の足
隣の席の料理が来て、男は大きな固まりの羊を、女性は、キャセロールから、イカを出して食べている。しまった、魚があるのを忘れていた。メニューをみていた時には、イカがあるよ、と言っていたのに。
前菜のラタトイユは美味しかった。次に出てきた、豚の足、見るだけでもう手が出ない。足そのものに、毛が生えている。メニュにデザートとコーヒーがつついていたが、時間がかかりすぎた、遅い上に、食欲もなくなって、断って、アラカルトにしてもらったら、料金はかわらなかった。赤ワインも残し、フランス料理にへきへきしてしまった。
料理のどこか気に入らないところがあったのか?と聞かれた。
フランス人なら、当たり前の料理で、こんな美味しいものないのに、とでも思っているに違いない。毛が生え、豚の臭いまでする。フランス人は、肉食人種で、動物ならなんでも料理する。動物のにおいをかぎながら、食べるのが好きなのだろう。
あとで、従姉妹に、その話をすると、それがフランス人の食べ物だそう。毎日、肉を食べて生活している人達なのだから。
2009年04月20日
ムール貝のレオン
従姉妹の家で、お食事によばれて、出てきたのが、ムール貝、私はムール貝を食べないようにしていたのだけれど、食べないわけにはいかず、いただいた。食べてしまった以上は、2度でも3度でも同じ事。
ムール貝を食べたいという息子は、ガイドブックに載っていた「レオン」に行きたいと言う。レオンなら、アパートの持ち主である友人の、お気に入りの店で、パリの各地にある。サン、ジェルマン、デ、プレの店に行った。開店20周年記念とかの、特別料理を提供中。 3人が、それぞれ、違ったムール貝を注文した。どれくらいの大きさなのかわからないから、大きいサイズを注文したので、それだけで様子見。二回目から1ユーロだとか。十分な量で残したくなるほどだった。
ベルギーのレオンがパリに出ている、ムール貝だけの専門店だ。
実は、ムール貝は、私も大好きだった。イギリスの海辺で食べたムール貝の美味しかったこと。日本では、伊丹の白雪の直営レストランが、ベルギービールと提携して作っていて、生ビールで出しているので、そのビールに合う、料理のメインに、ムール貝がある。
ビゴのテーブル、コーヒーサーバー
3種類のムール貝がある。量が違うので、パリのムール貝ほどないけれど、丁寧につくられて、美味しい。
レオンのは、本場だから、美味しくないわけがないし、値段も安いので、人気がある。 ドームなどに行けば、もっと美味しいだろうが、値段が違うから、ムール貝を食べるなら、ここで十分。
2009年04月20日
駐車違反
朝、車を停めていた、広場に行くと、張り紙があった。9時から翌日の9時までは大丈夫だと思って停めていたら、市場が出る日は禁止されているとのこと。35ユーロの罰金だ。レッカーされたら、200ユーロだよ、と店を出すのにやってきた人が言う。
不幸中の幸いということか。
車を返し、市場をみようと帰ってくると、ほとんど店は出ない。日曜日とは違う。一軒でている、肉屋で、生のソーセーを買った。朝食にゆでると、抜群の美味しさ。おばあさんの卵は出てないので、肉屋で買ったら、それも新鮮で美味しかった。
違反金は、タバコ屋でスタンプを貼って、そのまま送るようになっている。日本だと、プライバシーと、安全面から、封筒に入れるのが常識なのに、これで大丈夫なのか、と心配
になる。控えのスタンプをくれるから、それを控えの紙に貼っておけば、何かの時に見せればよいというシステムになっている。45日以内に払わなければ、罰金は倍になるが、車の番号から、レンタカーに問い合わせがあり、そこから国際免許証の番号で、アメリカに問い合わせがあり、そこから住所を割り出し、その住所は変わっている。
払うべきか、払わないで放置すべきか、悩ましいところだ。
市場のある日だけ、9時以前でも駐車違反になる、場所など、外国人が知るわけないじゃないの。
2009年04月20日
アンボワーズ
シャンティー城から、15分くらい車を走らせると、私が以前に1ヶ月暮らした、アンボワーズがある。アンボワーズを是非、みてほしいと思っていたが、かろうじて実現した。 息子は行く気がしないようだったが、ロワールで今日はおしまいなので、パリに帰るまで少し時間がある。寄ってくれることになった。
アンボワーズは、本当に小さな町で、くるりと回っても20分くらい。毎日散歩ばかりしていて、一向にあきなかった。
レオナルド、ダ、ビンチが、終の棲家に選んだ、「クロ、ルセ」を見てほしかったのに、見ないで、もうだいたいわかるから、なんて取り合わない。町の中は気に入って様子で、野菜の店で、トマトとにんにくを買っている。肉屋のソーセージにも目が行って、店を覗いている。
小さな町のそこは唯一、賑やかな商店街で、その一角に、私がホームステイさせてもらった家があった。あれから、随分モダンになり、店が増えている。
城前の広場の、一番目抜きの場所に、「ビゴのレストラン」がある。芦屋に出したビゴの店は、この店の家族が作ったもの。以前はお菓子と、小さな店だったのに、奥にもう一軒のばして、中も広くなっている。アンボワーズきっての有名な店のようだ。
ここでお茶をする。コーヒーは大きいなサーバーに入れていて、何倍でも飲める。ケーキは一つの大きさが、二個分くらい。お茶のポットで、パティスリーを楽しんでいる人ばかり。奥にいる老夫婦は、お皿一杯にもられたパティスリーを食べている。時間は6時、今夜の食事になるほど。
なつかしい町に、連れてきてもらって、ビゴの店にも入る事が出来た。少しでも川べりを散歩してみたかったけれど。毎日、夕暮れ時まで、住民が外に出て、川べりを散歩する。 18日には、アンボワーズで、催しがある模様、ポスターが出ていた。
パリまで、休みなく、運転して、着いたのは9時前だった。丁度これで良かったのだろう。明日の朝まで借りることが出来るので、このまま置いておくのはもったいない気もるふけれど、運転手は疲れ切っているだろう。
車で自信をつけたので、フランスの地図を見ながら、マルセイユまで6時間半だね、と興味津々。いいわね、若い人達は、これからの計画に夢を走らせる。
アンボワーズに一泊するのもいいね、なんて。知らないと、その良さがわからない。すんでのところで、近くまで来ていたのに、寄らずに帰った町。私の郷愁になんか、つきあっていられないと。
2009年04月20日
ロワール古城巡り
シャンボール城は、パリから、一番近い場所にある城で、古城の中で、一際優美な外観に、あっと声をあげたくなるほど。男性的な作りのこの城は、フランソワ一世が狩猟の為に1519年に建造、その後を継いだ、アンリ2世が手を加えた。17世紀にはいると、太陽王、ルイ14世が、大改造して400以上の部屋と70の階段、365の煙突を持つ、膨大な城に築き上げた。レオナルドダビンチが設計したのではと言われる、階段がある。
正面から見た城
、シャンティー城は、女性的な作り、
シャンボールは、外から見るだけにして、シャンティー城を目指す。早くパリに向かって、モネの睡蓮の庭のあるジベルニーと、世界遺産になっている、シャルトル大聖堂も見たいという、欲張った計画による。、
けれど、シャンティー城に来て、気持は変わった。シャンティー城は、ロワール川支流のシェール川を跨ぐようにして建っている。16世紀。財政出納棺ポアティエの妻が築いて以来、6人の女性が城主だったので、「6人の奥方達の城」と呼ばれている。アンリー2世が愛人、ディアーヌド、ポワチエに1547年に贈ったが、アンリー2世の死後、その妻カトリーヌ、ド、メディチによって、取り上げられてしまった。、
愛人ディアーヌ、ド。ポアチエは、アンリ2世との思い出の詰まった城を、ショーモン、シュル、オワーズ城を購入した、カトリーヌに、強引に、交換させられた、という、夫を巡っての、愛の確執、嫉妬と権威の、戦いがあった。広大な敷地、優雅なたたずまい、優雅なこの、シュノンソー城を追われた悲しみはいくばかりであっただろうか。
女の嫉妬と執念の恐ろしさ。
昼食は、サンドイッチを食べながら、という計画だったのを、レストランで、に変更。 シャンティー城の中にある、オランジュユリーというレストランに入った。奥に日本人の団体がす座っていて、笑ったり、話し声が聞こえる。あとは2組ほどで、閑散としていた。
私は、神戸の貿易会社の面接を受けて、震災がなければ、シャンティー城のカーブで働いていたかもしれないという、ゆかりの城。アンボワーズに1ヶ月滞在した折りに、来たことがあるが、ここで働くことは考えられない、と思った。カーブの温度はいつも低い。冷え性にはもってのほか。駅前ではあるが、こんなに寂しい所。
併設されたレストランは、シャンティーを訪れる人の為のものだろう。カーブのワインにあう、お料理を提供している。シャトーのように、エレガントな内装で、お料理も美味しかった。23ユーロからメニューがある。23ユーロのものを注文したら、4品もあり、どれも充実していて、大満足。運転手が飲めないので、ワインは飲まなかった。
城に入り、見学している間に、雨が降ってきた。一時は大降りの雨で、びっしょりと濡れて入ってきた人達がいた。各部屋に暖炉が炊かれていて暖かかった。ロワール地方は、パリに比べて寒い。私達が出ていく頃には、小降りになり、傘をさすのを嫌うフランス人は、気持ちよさそうな雨模様。
2009年04月18日
パリでレンタカー
二日間、歩きに歩いて、疲れは頂点に達しているというのに、予約していたレンタカーを、朝から借りに行く。近くにある店に、インターネットから予約を入れていた。
オフィスに、たった一人で客の応対をしている女性は、両脇から電話を受けながらで、仕事がなかなか進まない。前に2人いた客が済むまで、30分以上待たされた。9時のオープンに行って、この待たされよう。途中で、受付嬢は、「ヌ、キ、テ、パ」テーブルに置いている電話に大声で叫ぶ。切らないで、と言っているのだけれど、事情のわからない客は、心臓がどきりとする。
あんあ仕事で良く通じるなあ、とあきれ顔の息子。フランスは、社会主義の国だから、お役所仕事、プライベートなのかどうか、長電話をしながら、客を待たす人だっている。 オフィスから出ると、「あの人俳優かなにかだったみたいだね。」同じ事を思っている。身のこなし、顔の作り方、確かに演技者か、であったかに違いない。独特の雰囲気がある。メリルストリープ風の美人。頭の上に乗せていたサングラスが、電話機を取ろうとして、がくっと鼻の上に落ちてきたきのおかしさ。
車を受け取る場所は、事務所から5分は離れている。大きな食品倉庫と同じ場所にあるので、大型のトラックなども入ってくる。
契約は一番安い車だったので、シトロエンの3ドア級だったが、もらったのは、プジョーの4ドア。小さいけれど、ナビと保険をつけると、一日120ユーロ。マニュアルだし、安くない。
ナビがなければ、パリから出て行けないだろう。便利だ。ロワールの城巡りを、レンタカーですることになった。まずは、ロアール古城巡りでかかせない、有名なシャンボール城めざして車を走らせる。フランスの交通方式をすぐに理解して、2時間の予定を1時間半でかけぬけた。小さいときから、さすが車好きなだけある。
に。
2009年04月18日
ベルサイユ宮殿
いつもチケット売り場をみただけで、入る気を失せてしまう、ベルサイユ宮殿に、朝一番なら空いているだろうと、早起きして行ってみた。観光バスがすでに何台か来ていて、個人のチケット売り場は、以前とは比べものにならないが、やはり行列が出来てる。
今日は中を見る気なので、並んで待つ。建物の入り口に来ると、マシーンが奥に何台か見えて、息子はそちらに行き、クレジットで買ってくれた。他の人達は、知らずに長い廊下を並んでいる。売り場までまだ行列が続いている。
機械で買う人に道を空けていれば、ずっとスムーズに行けるのに、建物まで詰まっていて、入るまでわからないし、奥にあるので、見逃す人も多い。不親切というか、無関心というか、無駄にロスする時間が多い。入り口は別棟で、チケットを買ってから、一旦出て、個人用の入り口を探し、そこでまた、セキュリティーチェックがあるので、これも時間がかかる。
ようやく入ったら、もうすごい人で、進まない。同じような部屋ばかり、人混みと、待つことで、初めは、興味深く見ていたけれど、もう早く出たいという思い。行列に並びに入ったようなもの。昔、来たことがあるが、ほとんど誰もいなかった。庭を一周する何十人乗りかのカートや、個人用の車も、なにもなかった。広大な庭園を歩かないで一周出来る便利なものが出来ているけれど、そのカートに乗るのにも並んで待たなければならない。 やはり前回同様、歩こうということになった。宮殿の内部でエネルギーを使っているので、疲れている。なのに、今日はチケットをガイド付き、大トリアノン、小トリアノンの見学を含んだ20ユーロのパスポートを買っているので、頑張って見て回らなければならない。
庭園を巡る前に、息子がガイドブックでチェックしていた、ステーキハウスでランチをと、ベルサイユの町中に出て行く。
ミディ(昼食の格安メニュ)があるけれど、 肉を食べに来たのだからと、その店のお勧めステーキを注文した。前菜とメイン、それにコーヒーで、支払いは90ユーロだった。アメリカでは、ミディアムを頼むと、良く焼けたのを持ってくるので、ミディアムレアーを頼んだら、ほとんど肉のタタキ。中は赤肉で、生状態だった。前菜に頼んだ、この店のスペシャルのテリーヌは、美味しくない。
ステーキは、けっこう美味しかった。日本のガイドブックに乗っている、ベルサイユのステーキハウスというのだから、観光客用の店だった。
肉が入ると、俄然力がわいてきたと言って、歩き始めた。大トリアノンに着いた頃には、足の疲れが気になり出し、小トリアノンまで来ると、中を見たくなきなっているようだ。 私は、今回見てみたかった、マリーアントワネットの村里まで行くつもりにしている。 地図でみると、そうとうまた歩くことになりそうだけど、友人から「良かったわ。」と聞いていた場所で、どこにあるのだろうと思っていた所だ。
小トリアノンから、小川に沿って歩くと、白い円形の鳥かごのような建物が見える。
「愛の殿堂」と呼ばれ、マリーアントワネットがフェンゼンと愛の密会を重ねたと言われる場所、そこをさらに奥に行くと、池を囲んで、村里が広がっている。
疲れているが、我慢してぐるっと回る。18世紀の頃、王侯貴族が村を所有して、市価栽培を楽しんでいた。マリーアントワネットも、いくつも農家を所有し、農作業のまねごとをして楽しんでいたという。
ルソーの作品に、自然教育の「エミール」という作品があるが、自然主義やロマン主義文学の時代。
宮殿の一番奥にある、田舎屋から、最短距離を選んでも、かなりの道のりがある。痛む足をふんばって、ただ黙々と歩き続けた。帰り着くまで、仕方がないのだから。
舗装道は堪えるので、両脇の草道を歩くと、楽になる。駅近くにくると、ビールを飲もうと、ちょっと元気が出る。BARで、喉を潤しながら、疲れを休めた。
ベル(美)サイユ宮殿は、マル(悪)サイユ宮殿だ、と降参。