2013年04月30日

特別公開、仁和寺の「金堂」

  
    


 京都で、春の特別公開中の、仁和寺に行きました。
今日とはいつも観光客で人が一杯なので、連休も重なって、
すごいのでは、と懸念したのですが、河原町に降り立つと、
鴨川の周辺、一番人の多い場所ですが、いつもとあまり変わらないので、
仁和寺に行ってみたくなったのです。




 昼食をまず食べようと、祇園のあたりを歩くと、12時過ぎとあって、
観光に乗っている、有名店の前には、ずらりと並んで待っている人、人、人。
 志津屋のパン屋で、軽く食事をしようと、店に入ったものの、人気のサンドイッチ
は売りけれ。
 仁和寺まで、行ってから、食事にしようと、バス亭にたつと、仁和寺行きがない。
河原町まで行かないとだめだね、ということで、結局、いつもの、飲み屋を目指して
歩き始めたのですが、途中に、バーがあって、昼なのに、開いている。




 食事の前の、一杯、ひっかけのつもりで、中に。トイレにも行きたかったので、丁度良い具合に。
 食べ物があれば、ここで済まそうと思っていたけれど、おつまみしかない。
日本酒の種類が一杯あって、外の看板に書いあった、恵比寿の生ビールが美味しい。
 テーブルは、一枚板の木で作られて、雰囲気の良い店。
一年半前からの店だとか。いつも通っている場所なのに、眼につかないものだ。
南座の前にある、菊水は目立つのだけど、大通りに沿って、三条までの、バス亭の前、向側にあるのだけれど。
 その近くに、美味しそうな店があって、観光ブックを持った女の子達が、
「見つけた、ここよ。」と嬉しそうに入って行った、洋食レストランがあって、そこで、ランチを食べてみたくなった。




200円のランチを注文して、ビールを注文しようと見たら、一杯が、さっきの店の倍の値段。生ビールはやめて、瓶ビールを頼んだ。
味はまあまあ美味しいけれど、「京都で食べる料理じゃないね。」というのが、食後の感想。
鴨川の眺めの良いテーブルに座れたら、雰囲気は良かったかもしれない。

食後、3条京阪まで歩いて、仁和寺行のバスに乗った。
仁和寺についたのは、3時過ぎ。




以前に、一度、母と、仁和寺の桜を見に来たことがあって、それ以来。仁和寺の前にあ、る「右近」という料理屋さんで、食事をして以来、もういちど行きたいと、すっと思っていた。予約の人達がいて、私たちは、運よく入ることが出来たような、人気店だった。
あれから、何年たつのだろう。やはり、仁和寺の前に、その店はあった。
 帰りのバスを待つ間に、ランチメニューを見てみようと走った。
二種類の食事メニューは、5000円弱の値段。
母と行った時には、確か、2500円だった。洋と和の融合とか、外の屋根の上に書いていた。
仁和寺が、世界遺産に指定されて、その店の値段も格上げされたのだろうか。
それとも、昔過ぎて、そんな値段も昔話なのだろうか。
母と、その頃、京都に行くと、オーベック、ファンの先斗町の店に、よく行った。同じような値段で、そこは今もほとんど変わらない。




桜の季節が終わったからだろうか、観光客は少なかった。
特別公開の、「金堂」のチケットを買うと、例の、朝日新聞を一緒に手渡している。
玉三郎が、今年の広告塔ということなのだ。
 金堂の前に、柵があって、一般の人たちは、遠くから、眺めるだけだけれど、玉三郎は、金堂の傍に立っている写真が、朝日の一面を飾っている。
800円の拝観料を、公開中の全ての場所で払ったら、結構な収入になる。
金堂の、阿弥陀如来は、国宝に指定されているだけあった、素晴らしい。あとは、暗くて、あまり良く見えなかったけれど、国宝の、阿弥陀様は、黄金が輝いて、日が照らし出しているように、明るく浮かび上がって見えた。


 
 気を感じるという玉三郎に、あやかりたいけれど、凡庸で、感覚の鈍い、私には、どこにあるやら、あまり身に感じない。

 若狭にある、神社は、若水神社は、神木のような、大木と、山懐に囲まれて、深く分け入る道の奥に、川が流れていて、その川に沿って、歩いて行くと、オゾンが一杯、清らかで澄み切った、深緑の空気を吸って、まさに、気が溢れているという感じがする。
 伊勢神宮でも、そういう、気が、一杯で、神聖で厳か、空気が澄み切って、静かなので、
気をもらうという感じがするのだけれど。
 

  

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2013年04月29日

母の誕生日

     

 
 母の誕生日、家族が寄って、近くにある、イカリの「愛連」という中華料理の店で、食事会。
施設から、母の為に、何かしたいと言ってもらっていたので、食事後に、残れるものだけで、施設で、誕生日会の二次会予定していた。
 中華のテーブルは、店で、一番大きな部屋で、足は掘りごたつ風に落とせるようになっている。テーブルが大きいので、料理を取るのに、手が届かないものも。
 妹だけ、孫がいる。妊婦ながら、車を運転して、かなりの距離をやってきてくれた妹の次女。1月に出産して、まだ4か月の赤ちゃんも連れて、親子4人で参加してくれた、長女。
 弟の家族3人。母と私。



賑やかで、楽しい、久しぶりに、集まって、互いの顔を見る集い。
 母が健在であるからこそ、こうした集まりがある。
 母は、骨折した手をかばいながら、赤ちゃんを抱かせてもらって、嬉しい笑顔が満面に。

 2時に、そこを出て、それぞれの車で、母の施設に移動。
 応接室は誕生日用に、飾られていた。
ピアノで、ハッピーバースデイを、職員のが弾き、皆で歌う。
次に、男の職員が、手品を披露して、女性の職員が、おまじないの言葉をかける。お札に、ペンを突き刺して、穴をあける。引くと、元のお札に。



凄い、どうなっているのか。
注文して、買ってもらっていた、誕生日のケーキにろうそくをともし、電気を消した。ながら、母にろうそくを消してもらうはずなんだけど、母は笑っているだけで、消そうとしない。
 3歳になる、リュックンが、母と一緒に、息をふきかけて、無事ろうそくが消えた。
 近くにある、ケーキ屋さんのもので、軽くてとても美味しい。飲み物は、施設からのサービス。

その後、母の部屋に帰ると、また別の職員が、薬玉に母の写真をつけて、持って来て、おめでとうと、薬玉割を母に見せながら。



誕生日は、今年から、それぞれに、一番うれしいことを、考えて個別にするのだそう。
母の場合は、家族といる時が、一番幸せだろうと。外出の好きな人は、施設の職員がついて、出かけるとか、誕生日のプレゼントを喜ぶ人には、プレゼントを、とか、食事の好きな人には、好きな食べ物を、など。

その日、アート引っ越しセンターのトラックが入っていて、車を移動させてもらって、帰った。
私はあとに残って、母のそばにいることにした。皆が急に帰ってしまっては、母が寂しいだろう。
施設長に、「どなたか入って来られたのですか?」と聞くと
「家に帰られるのです。」と。

三か月以内の、キャンセル可能な時期に、出ていくのか、と思ったけれど、
そんな場合、これだけに荷物を入れるわけないなあ。
施設のサービスが気に入らなくて、やめたのかなあ、と。



そして、私の想像の結論が出た。
そう、亡くなられたのに違いない、と。
施設では、入居者の、その後の動向は、他の入居者には、わからない。
時々、部屋のリホームがあると、どなたかが、入居されるという印。
別の施設に移られるか、入院されて、何か月にもなるからか。
病院でにしろ、この施設にしろ、最期は家で、と,死の床を用意している家で、にしても、終末であることには、違いない。

母には、長生きしてもらうことを祈る。身体が元気なら、ずっと長く生きられるのだから。


  

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2013年04月27日

玉三郎の、京都案内、朝日新聞から

 
    
   

  半年に一度、歯のメンテナンスの日に当たっていた。
午後、出かけようとすると、突然の雷、すごい音だ。
暗雲垂れ込め、とまではいかないけれど、と思いきや、
豪雨となった。
予約の時間がある。雨の中、飛び出した。
つもは、遅い郵便配達のポストに、配達物が入っている。
中に、友人からの封筒があった。
バス停までの短い間に、靴も、ズボンも、コートの中まで、
染みこんでいる。
座れないので、立っていた。
封筒に中に、玉三郎の新聞記事と、夏に公開される、映画、「少年H」の
パンフレットが入っている。
朝日新聞の一面に載っていたので、切り抜いて、送ってくれたのだった。
京都で特別公開中の、神社仏閣から、玉三郎は、仁和寺と、伏見稲荷、などの
3軒を紹介している。
彼のお気に入りの場所らしい。
連休は混むだろうな。何の計画もないので、本をどっさり借りてきているものの、
読みだすと、持病の頸椎のあたりに負担がかかってきている様子。
そうなの。本をあまり読めなくなったのは、この首の性だということを
思いださせてくれた。
戸外を歩いて、自然の「気」をもらう方が、身体には良いのです。
玉三郎の説明は、簡潔で、信を得ている。
神社、仏閣は、神聖な、空気や気配が漂う「気」が集約されている場所に、職人達が、精魂込めて、繰り上げた「気」が漂ている。
そのあたりの自然におもむろに拝むことができないので、拝みの象徴として、仏像が存在する。仏師が、気をこめて作りあげた仏像に、手を合わせ、拝み、気をいただくのが、神神社仏閣の真意であって、観光を目的としたものではない。
気を頂きに行くのだったら、人で混雑している、時は避けるべきだなあ。
気が散るでしょ。気の弱い私にまでは、まわらないもの。強い人に吸い取られていく。
  

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2013年04月26日

朝ドラ「あまちゃん」にはまってます。

 
      


  子供の世話で一日が暮れていた頃は、NHKの朝ドラを楽しみにしていた。
身軽になって、日本を留守するようになってからは、朝ドラを見なくなって
いた。
久しぶりに、朝ドラを見ている。
あまちゃん。
作者と、小泉今日子に、惹かれて、見だしたら、面白くて、はまっている。
宮本信子、渡辺えり、など、芸達者な出演者。
主演の、少女が、愛くるしくて、可愛い。
ぽんぽんと、歯切れの良い、リズミカルな展開、ユーモアがあって、
面白いセルフが飛び交う。
久々に楽しんで観ている。
出かけていても、夜、BSで11時から再放送している。毎日、というのは苦手なので、
土曜日に、まとめてみたりもできる。
ある程度、まとめてみるほうが、私の気性にあっている。
尻切れトンボで、明日待ちは、何かし残した感じで、好きじゃない。

久慈に、行ってみてーなあ。

ウニは、大好きだから、おら、ウニ飯を食ってみてえ。

 方言がうつっちまっただ。。、ジェジェ。
  

Posted by アッチャン at 11:53Comments(0)日々の事

2013年04月25日

京都市美術館「ゴッホ、空白のパリを追う」


   

 京都市美術館で開催中の、ゴッホ展、空白のパリを追う、
と、「リヒテンシュタイン」の2つの展覧会を観に行きました。
昨日は、雨との天気予報でしたが、連休前に行っておかないと、
連休から、19日の終了までは、きっと混むだろうと思って。

http://www.city.kyoto.jp/bunshi/kmma/exhibition/gogh.html

最近は、大雨になり、風も強いので、懸念しましたが、
出かけるときは、雨が降っていなくて、さすがに、私は、晴れ女だなあ、と。
梅田の改札で友人と待ち合わせ、中から、乗車券を渡して、一緒に、梅田から乗っていく
のですが、私一人だと、長く感じられるのに、友人とお喋りしていると、あっという間
に、京都の河原町に着きます。
京とは、雨が降っていましたが、ちょうど良い雨かげん。風もなく、しとしとと、京都風情に花を添える程度の雨です。
先に、昼食を食べようと、私が調べていた、イタリアンの店を探しながら、祇園通りを、八坂の方に、向かって歩いたのですが、あるはずの店がありません。
 地図は間違っていたのかもしれないわ。通りを何処かで入らないといけなかった。
八坂神社の前にある、うどん屋にでも、と言いながら歩いて、「志津屋」のパン屋さんの
前で、ストップ。




 美味しそうなサンドイッチとコーヒーがついている、メニューが目に入り、コーヒーついて、なんと安いこと。
 友人は、朝ご飯も、昼ごはんも、夜も、旦那がご飯でないとだめな人なので、
外に出ると、パン食か、スパゲッティーなどの粉ものを食べたがるのがわかっていたので、
イタリアンのスパゲッティーランチの美味しい店をチェックしていたのですが、そんなわけで、志津屋で、サンドイッチをコーヒーという簡単なランチになりました。
 私は、朝はパンと決まっているので、スパゲッティーの方が、ありがたかったのですが、
 美術館にも、早く入りたかったので。
志津屋のパンが美味しいのは、定評がありますが、幾つかのサンドイッチの中で、私の迷いは、いつものことですが、カツサンドにするか、この店の、シェフ自慢のサーモンとサラダが一杯入ったサンドにするか。
友人は、肉を食べないので、卵サンドに、あっさりと決めています。
店の人に、「一番人気は?」と聞いたら、カツサンド。
やっぱり。サンドセットの中で、最も高い、と言っても、セットで680円なのですから、
他のセットに比べて、100円しか違わない、それを注文。
サーモンなら、分けて、両方食べられる、とは思ったけれど、難波の松竹座の隣にある、肉の名店「はり重」のカツサンドとか、東京のカツサンドの名店で、「うう、旨い、」とほうばっている、カツサンドを観ながら、サンドイッチのお気軽さには、似合わない値段に、あきらめ顔の私ですから、安いので、肉はだめだろうと期待しないで。

それが、ものの見事に裏切られてしまいました。
肉は柔らかく、間に細くチーズが挟んであって、ソースがとても良くマッチしていて、ジューシーで、美味しさに、ジェー、ジェー(驚き)です。
友人の卵サンドにも、彼女の苦手?なハムも入っていたのですが、美味しくて、感激気味。
「方向音痴の私でも、ここなら一人で来れるわ。」
どこに行くにも、誰かと一緒でないと、出られない、と言っている人ですが、相当のお気に入りになった様子。
この店の、一番の人気商品は、カツサンドでした。
肉好きの友人に、今度、食べさせてあげたいなあ、と私もひそかに思いながら、いつも買う、ブドウパンを買いました。厚切りの、干しぶどうが一杯入った、パン。これもこの店の名物の一つ。



美術館は、予想通り、空いていました。絵の前に立って、十分見られるくらいに。
ゴッホ展を、パリで観て来たのですが、それは、日本の浮世絵からの影響を受けた、絵画展。
今回は、ゴッホが、弟のテオを頼って、パリに出て来て、一緒に住んでいた頃の作品を集めたものです。
空白の、というのは、ゴッホがテオに書き続けた、「ゴッホの手紙」には、ない、パリでのゴッホが絵とどう向き合い、絵画をどのようにして描き、何を使って、描いていたのか、下絵を塗りつぶして、上に描いた作品の赤外線写真などや、パースペクティブを使って、
遠近法を正確に使っていたこと、下書きのデッサンを綿密に描いていたことなどを通してゴッホの絵画が、古典を学び、ものすごい探求心と、パリ時代の貧しい生活の中で、希望に燃えていた兄弟の姿が、浮き彫りになって、興味深い、独自性のある、展覧会になっています。
友人は、いつも、沢山の頭越しに、絵画を見ているので、こんなに空いているのは、初めてと喜んでいましたが、私は、空いている時でないと、見る気がしないので、混んでて、何時間も並んでいる人がいると、だめ。
足の不自由な友人は、疲れて、椅子に座って待っているわ、と言うのですが、日本の美術館には、椅子が置いている所は、ほとんどないのです。会場を出た所と、会場の間にある、廊下にあるだけです。
絵画を見るように、できていない。 海外の美術館では、中に、ソファがあり、ゆっくり見る人や疲れたら、休めるようになっています。
文化、芸術に対して、心配りのない、貧しい国です。




同時開催の、リヒテンシュタインからは、ルーベンスが描いた絵画がメイン。
幼い娘を描いた、絵が、生きいきとして、みずみずしいタッチで、素晴らしい。
 ピーターブリューゲルの息子、ヤンの作品が2点来ているのも、興味をそそる。
ヴァン、ダイクの肖像画の前に、フランスハルスの描いた、男の肖像画がある。こちらのほうが、
絵画から、そのまま、人物が出てきてもおかしくない。
絵画を見ると、疲れるという人が多い。その迫力に圧倒され、迫りくるエネルギーの強さに、持てる力を吸い取られるのだろうか。



  

Posted by アッチャン at 17:08Comments(0)art

2013年04月25日

「わりなき恋」

 


 先日、買った、岸恵子の小説「わりなき恋」を昨夜、読み終えた。
村上春樹の「色彩のない、多崎つくる」は一気に、引き込まれるように
して、読み終えたけれど、こちらの方は、夕食後、寝る前に、4日間ほど
かけて。

パリのマレ地区にある、アパートと、横浜の、日本造りの古い家屋は、岸恵子の実際住まいだし、この小説の進行時に、岸恵子は、中東や、アフリカ、フランスなどを、現地から、紹介している、番組をいくつか見ている。
 飛行機の中で、知り合った、ビジネスマンとの、7年間の、恋の軌跡を描いた小説で、
岸恵子は、当時70歳、男性は、還暦を二年後に控えた、妻帯者。
フィクションを織り交ぜて、小説は、11年3月の、東北大震災の悲劇を契機に、
わりなき恋は、終止符を迎える。

フィクションの小説として、読めば、違和感のない、文章でも、モデルとして、、彼女自身のイメージが浮かんで来て、人から賞賛に慣れている人の、特殊な文章に、ついていけなさ、も。
彼女の孤独は、私にも、十分共感を覚える所は、あるのだけれど、表層的な部分ばかり、
目について、深層での、二人の、心の琴線に触れる部分が雑で、もの足りない。
70歳でも、驚異的な若さと美しさを維持している、インテリジェンスに溢れた、上品な有名女性に、のめりこんだ、「日本株式会社」のエリートサラリーマン。
忙しく、世界を股にかけて、働く男性は、家庭を帰り見る暇もなく、5人の子供は、母親と一体化して、家族の中で違和感を抱いている。
女には、娘がいるが、フランスにいて、結婚し、2人の子供がいるが、家族という感覚はまるでなく、ほとんど会うこともない娘たちと孫。
ミーハー的な、好奇心で、最期まで読めるので、エンターチメントとしては、肩がこらなくて良いかもしれないけれど、深みがない。岸恵子が、小説の中に、「かくも長き不在」を入れているので、書棚から引っ張り出して、再び、同時並行で、読み始めた、
デュラスの「かくも長き不在」は、愛の深さ、本質的な、愛の苦悩と、真実が表現されている。




村上春樹の本が読みたくて、本屋で文庫本を買おうかと思って、ふと図書館があることを思いました。
いつも車で通るのだけど、ここ何年か、使っていない。
外は暑いぐらい暖かい。家にいると、分厚いセーターでも、寒いくらいなのに。
村上春樹の「IQ84」があった。
上巻だけ読んだ、五木の「親鸞」は激動編の上下があり、親鸞の下巻は、予約した。
村上春樹の本は、ほとんど、下巻しかなかったので、その上巻を予約。
以前は、7冊だったが、今は10冊まで借りられるようになっている。
本のほかに、朗読のCDも借りられるようになったという。
椅子に座って、本や新聞、雑誌を読んでいる人が沢山いる。
読みたい本が一杯。私は、7冊ほど借りた。重い。返却するまでの
読めるかな。




花水木が並木道に咲いている。

  

Posted by アッチャン at 15:24Comments(0)日々の事

2013年04月23日

大阪国際美術館〈美の饗演」

    

 
大阪国際美術館で開催中の、〈美の饗演〉を観に行きました。


http://www.nmao.go.jp/exhibition/

この美術館は、結構不便な場所に建っています。
京阪の渡辺橋からは、徒歩5分と近いけれど、梅田から行くとなると、
リーガロイヤルホテルへの無料バスにのせてもらって、そこから歩くか。
身障者手帳を持っている人は、付き添い一人まで、無料という、美術館には、
友人にご足労願って、私は付き添いで便乗させてもらうという姑息な考え。
でも、そのおかげで、一人では、借りない、解説ガイドを、借りて、聞きながら
絵を見ていくと、絵の見方など勉強になって、なかなか面白いのです。
特に、抽象画は。



美の饗演、と題して、関西の6つの美術館が所蔵しているものを、集めての饗演。
日本も、乏しい財源の中から、がんばって、購入しているのだなあ、と感心しました。
国際美術館は、大きなパネル用に、空間を広く取っているので、抽象画や、造形物の展示に向いていて、しかも、立地の不便さもあってか、空いているので、私は好きな美術館です。
ここに来ると、いつも思うのは、パリで40年以上も、大きなパネルに向かいながら、抽象画を描き続けた、吉田さんのことです。
生前、国際美術館に、絵画を納入する話が出ている、という話をされていました。
この国際美術館か、次にできる、大阪市立美術館に。

いつか、そうなれば良いなあ、と思いながら、国際美術館を後にします。
同時開催の、ピカソの版画は、見ないで。
美術館に来ると疲れる友人に、合わせて。
 それもまた、良いのです。生活の中に、非日常が入っているという感覚。
お正月に、持って行った、イカリのローストビーフが、美味しかったという
ご主人の為に、イカリで買い物をして帰るというので、大阪駅のイカリの店に
案内しました。
神戸の友人が、先日、「イカリで買うのよ。全部じゃないけど。
美味しいね、と主人と言いながら。二人だから、食事くらいは、美味しいもの食べようよ、と。」
同じこと言っているなあ、と思う。
美術館に同行を頼む友人も、ご主人と二人暮らし。
美食、美酒がにうるさいご主人が、「不味いもの食べたら、一食損したみたいだ。あと何回、食べられるかと思うと。」
 「甘いもの食べなかったのに、最近は食べるようになった。」というご主人に、
イカリの、桜ロールケーキは美味しいよ、私のお勧め。季節だけの限定の。
  

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2013年04月22日

細川護熙「心の山水」

 

   えびのおどり

  昼食時、久しぶりに、酒場「やまと」に並んだ。
席は空いているのに、客を制限している。まだ仕込みができていない
からだろうか。
お酒も、料理も、値段が安く、美味しいので、人気店だ。
店先に、生きたエビを泳がせている。
酒類は、すべて、380円。料理も、お肉から造りまで、480円くらいのものが
多い。




安いので、つい、飲みすぎるのが、欠点だ。
ビールのうまい店として、客はビールを飲み、それから、冷酒か、かん酒、に、ワインなどを注文している。
昼間は、酒の回りが良くて、私は、ビールと白ワンで、すっかり酔っていたのだろう。

生タコ刺身と、鯛の皮付きさみ、二種で980円


食後に、阪急の9階で開催中の、「細川護熙、心の山水展」を観に行こうと、一枚しかチケットがないので、あとの一枚を、格安で買おうと思って、大阪駅の方に歩いて行ったら、
映画館で、「舟を編む」を見ようと、映画館のあるビルに来ると、ここは、やっていない。
女性4人の顔写真が出ていて、その映画が見たいと、友人が言うので、7階まで上がって、
入場券を払って、それを見ることに。

ペダルダンス


 映画はすでに始まって10分くらいたつので、真っ暗な中、あわてていて、階段につまずいて、こけた拍子に、利き腕の左手で支えたら、打ち付けと、階段の角で、手首をそらせて、痛くてたまらない。
手首が腫れてきた。母と同じ左手の手首をやってしまった。
ずきずきする。映画を見ていても、気になって仕方がない。



カメラ撮りがすごく綺麗で、海と風に、揺れる彼女達の身体と表情が、心象風景を映し出して、時間が緩慢で、言葉も自然のつぶやきに似て、映像美に優れた、詩的な映画だった。
 その後、私は、明日までの、チケットをもらっていたので、阪急に。




 従妹が、手紙を添えて、送って来てくらたものだった。
 細川護熙の、屏風絵、絵画、陶芸、書などが展示され、それに、作者の文章が添えている。襖絵は、地蔵院と、建仁寺に。

 地蔵院が荒れはてて、その襖絵を描くのに、建仁寺を使った。ここにも、と頼まれて、夜桜、と秋の紅葉に染まる山々を描いた。

 壺に、生け花が、素晴らしい。
 こちらのほうが、良かったのでは?と思いながら、手の痛いのをがまんしながら。
政界を引退して、湯河原の、祖父母の別荘であった場所にある、桜守になって、そこに住まって、16年になる。
 朝は5時に起きて、農作業をして、忙しい頃に読めなかった書を読み、40代の頃、書かされていた字ではなく、買いたい書を楽しみながら、書くようになった。
 陶芸なら、同じ土いじりだから、今からでもできるのでは、と、最も好きな、安土桃山時代の茶碗を学ぼうと、奈良の、辻村三郎を訪ねた。
 そのまま、そこに居座って、1年半の修業を続けた。




辻村から、「もう帰ったほうが良い。」と言われて、無言の免許皆伝をもらって、湯河原に、窯を作った。
茶室を自分で作り、そこで、好きなように、茶を楽しみ、客を迎える。
ほとんど、一人っきりで、楽しみを追及する、生活を送っている。
16年と言えば、それほど長い期間ではない。その間に、様々な事に挑戦し、素晴らしい作品を生み出し、深い省察と、知識を深め、生活は、質素を楽しんでいる。

心の山水、ここにあり。手びねりの、陶芸作品の形と色が、温かくて、柔らかく、柔軟な
性格を表しているが、書は、繊細な筆使いで、一途で、頑なな頑固さを秘めている。

 三陸の、津波から守る、植樹のプロジェクトを立ち上げ、先頭に立って、活動し、植樹に汗を流している。



 同じ階で、オンワードの製品を回収している。毛布になるそうだ。
火曜日まで。処分したいオーバーがあるので、持ってきたいなあ。



  

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2013年04月21日

食べ過ぎは、わかっちゃいるけど、やめられない。



       荒れ庭に


 最近は、コナミの帰りに、イカリに寄って、買い物をしている。私が行く、8時半ごろは、生ものなど、すべて、半額になっている。その頃をねらって、やってくる客は、かごいっぱいの、入れて買い物をしている。

 私も、買うつもりなくても、余計なものを買ってしまって、夜の9時を過ぎてから、食べ始める。
ワインがいけない。
 帰りの車の中では、今夜は、造りと、お寿司だけにしるつもりでいるのに、食べ始めると、どんどん、お腹の中に。

 昨夜、中トロ、鯛、しまあじの盛り合わせのお造りを食べ、ながら、新玉ねぎと、しいたけなどを痛めた野菜ももりあげて。 もう消費しないといけない、厚揚げががあるので、その大きなのも、刻み葱を添えて。
 鮨は、ご飯だから、と最期に食べるつもりが、それも。

 そおでやめないといかないのに、友人にもらった、豆ずくし、をポリポリ。
そこで、ストップ、のはなのに、みたらしだんご、くしに五個ついているのを、二本も。

 安いから、といつい買ってしまって、あると、食べたくなって、の悪循環が続いている。



 昨夜は、だんごのせいで、胃が詰まった状態で、何度も夜中に目が覚めた。

翌朝は、なんで、こんなん? 私のだらしなさ、なさけなさに、嫌悪する。

 さすがに、今朝は、朝食のパンを抜いて、バナナジュースとコーヒーで。
 と思っているのに、もう一本残っている、みたらしだんご、痛んではもったいないから。

 自己管理のできる人は、長生きするとか、昨日、帰りにテレビで言ってたなあ。



 昨日、母に、友人からもらった、豆の袋を持って行った。
 母は、袋から、これだけ、と言って、手に掴んでは、お皿にうつして、
袋に入っているのを、きっちりとまた、ふたをした。

これは持って帰って食べてね。

 ぽりぽり、母は口の中で、おかきで包んだ、豆を食べている。
 その音を聞いていると、優しくて、心地よい。

 友人が、京都から取り寄せては、私が好きなので、いつも持ってきてくれる。
 最近では、大袋のをくれる。

 アーモンドと、おかきで包んだ、様々な豆。 
 母は、美味しいわね、とポリポリ。

 美味しいから、少しづつ、食べられない。 敵のように、皆食べてしまう。  

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2013年04月20日

 歌舞シネマと、インド人もびっくりの不味いレストラン

  

  毎日、書こうと思ってがいるのに、出かけると、間が空いてしまう。
毎日、どんなことがあっても、きっちり書いている人は、ほんとうに、
すごいなあ、と感心する。
木曜日、翌日が最終日の、歌舞伎シネマの「ふるアメリカに袖はぬらさじ」を観に、
久しぶりに、三の宮に出た。
長らく、会っていない友人は、毎日のように、三宮には出ていると聞いていたので、
そのあたりを歩いているかも、と電車の中から、メールを入れた。
舞台では一緒に観たので、歌舞伎映画もどうかな、と思って。
映画は、以前に、別の友人と観ていたので、2回目の同じものだと、思うのだけど、
七之助が演じている、元、吉原の花魁で、横浜に売られて、病の床にいる、遊女は、
色気があり、かはかなくて、可愛らしさと気品があり、うってつけの役どころ。
アメリカの船に乗って、西洋医学を学ぼうという志を持って、唐人客の通訳をしている、
若者には、獅童が演じている。



店の主人には、勘三郎が。玉三郎との掛け合いの息があって、面白い。
映画の途中で、携帯の電話がなって、メールをした友人からのようで、携帯に、メールも入っている。
映画の終わる、3時半頃に、下の喫茶店で、待っているとのこと。映画は4時半に終わるので、メールを入れたら、入らないので、一旦外に出て、送信しようとしたら、彼女がそこにいた。
今から、もう一人、入りたいと、チケットに交換してもらおうとしたら、しばら受付で、操作したり、電話をかけてくれたりしていたけけれど、だめだったので、
途中だけど、前にも観ているから、そのまま、喫茶でおしゃべり。
 7時近くまで、話して、買い物して帰ると、9時頃。母の所に行き、コナミによって
帰るのも、いつも9時、それからご飯で、ソファーに座って、テレビを見て。
友人が「退屈しない?」というけれど、私はいつも、時間がない、と思いながら暮らしているので、退屈したことがない、と思うけど、ふと、思いだした。
退屈したことがある。手術をして、3週間入院していた時に。




やらねばならないことが、山ほどあるのに、毎日が、何もできないままに過ぎていく。
昨日は、以前に買っていた、グルーポンの、カレーハウスのチケットがあって、その期限が4月21日までだった。
 インドカレーの店に行ったことのない友人に、頼んで一緒に行ってもらった。
 グルーポンの食事券は、買わないようにしてるが、それは7か月くらいまえに買っていたもので、2600円のコースが1000円だったし、日曜日にも使えるので、二枚買っていたもの。
 地図をたよりに、探して、見つけた店。



電話で予約したら、もう日がないというのに、オーケーだったはずで、私たちのほかに、やはりグルーポンで買った、親子が一組いただけで、広い部屋はがらんとした空間になっていた。
変わったものは、食べられない友人で、脂っこいものは食べられない。牛肉も、生魚も、油ののったものは一切ダメ。
付き合いが良いから、誘えば、断らない人だから、気楽に声がかけられる。
ナンは、美味しいけれど、あとは、サラダ以外は、美味しくない。
ひどいね、と言いながら、それでも、チケットを使い切ったので、良かった。






インド人ばかり、3人でやっている店で、羊やニンニクの好きな人なら、
それほど悪くはないのかもしれないけれど、客がないことでも、不味い店だと証明しているのでは?




食後にチャイというティーが出た。紅茶に香りがついたようなもの。
出てきたら、看板のメニュー、私たちが出されたものと、同じようなものが、990円だった。

  

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2013年04月18日

役者魂、三国連太郎

    
    

 
 三国連太郎が亡くなった。息子の佐藤浩一が、父親としては?と言う質問に、
「それや、ひどいよ。」
 3番目の結婚で、出来た初めての息子と、3歳の時には、すでに別居していた。
その頃、文芸座の、太一喜和子との熱愛で、太一の家に住み込んで、母親に結婚の許しを
得ようとの思惑があったが、2,3か月で、彼女の家を飛び出した。
 彼女が変死した後で、どこかの対談で、三国は、「彼女が昼も夜も、一日中彼女の愛の要求、嫉妬心の強さに、耐えられなかったから。」と答えていた。
 太一喜和子、と言えば、昨年の末に、亡くなった勘三郎が、青春時代、熱愛関係にあり、勘三郎のその後の人生に深い影響を与えた、と勘三郎自身が語っていた。
 私が思いでの中で、平幹次郎との共演で見せた、梅川が最も印象的で、彼女には一番適役のように思える。
 一面の雪景色の中で、緋色の下着、緋色の赤紐で、忠兵衛に首を絞められ、のけぞるようにしして、神秘的な、恍惚の笑顔を見せて、死んでいく梅川が。
 お酒を浴びるように飲み、泥酔した状態で、水死した、現実の喜和子も、最期まで、役者だったのかもしれない。

 三国は、老人の役をこなすために、麻酔なしで、10本の歯を抜いた。
 それを聞いて、驚いた西村に、「年を取れば、歯は抜けるもの。少々早くても、どうってことない。」と言ったそう。
 徹子の部屋で、彼は「私は執着心がない。」と語っている。
 そして、今朝、テレビに、谷村新司が出ていて、彼は14回も引っ越ししている。
 2,3年に一度は引っ越しをしている。
  引っ越しをするたびに、作品が沢山生まれるそうだ。
 2,3年もすれば、所有品が溜まってくる。それを捨てて、新しい生活に入るという。
 谷村新司が最後に残したいものは、「自分の作った、作品」で、それは、その時々の生き様の遺言でもある、と言う。
 彼も、執着心がないのだ、と言う。司会の、小倉さんは、その逆に、何も捨てられない、という。狭いアパート時代から、大きな家を持てるようになって、そこから、また、小さくしていくなんて、できない。」

 どちらの生き方、価値観も、その人にあっているのだと思う。それを無理に変えるのは、その人を束縛することになり、生きづらくするだろう。
 人それぞれ、人はおのずと、自分の価値観を、その人の人生に、繁栄させている。

執着心の強い人は、肉質的だ。 執着心のない人は、人間の老いと同行して、自然で、優しい顔になり、上手に枯れていく。

  
 
  

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2013年04月17日

認知症は、頭の良い人がなる病気

 
     

   金曜日に、やっとのことでつけてもらった、簡単な、取り外しのきく、ギブスは、
15分も、持たないので、月曜日、医院が開くのを待って、電話した。
母を、長時間、待合室で待ってもえらえない、と言うと、「二時の診察前に来れば、
待たなくてもよいでしょう。」と言われたので、
母を迎えに行く前に、医院に、診察券をだし、名前を書いておいた。
 母を乗せて、医院の駐車場に行くと、3台のスペースはすべて、車が入っている。
 医院まで、母に歩いてもらうには、距離があるので、この前と同じ、近くにある、薬局の駐車場に入れた。
 母は、この前と違って、レントゲンもスムーズに取れた。やはり、ひびが入っている。
施設では、固定してもらった方が安心だ、という。
 もう一度、ころんで、手が骨折してしまったらいけないから、と。
 医者は、念の為に、固定しましょうと、ギブスを固定でしてくれた。
 私は、ギブスをはめたことがないので、昔、母が、オートバイに追突され、背骨にひびが入って、2か月ほど入院した時に、冷たい石膏で、母の胴体のギブスを作るのを見たことがあるのだけなので、そういうのを想像していたものだから、技術の進歩、簡単なのにびっくりした。
 ガラスファイバーのような、綿を巻き、その上に、ビニールの固いものを巻いて、
しばらく手でさすると、固まる。
 綿の出た部分を切り、そこをビニールテープで巻いて、終了する。
が、この綿を取ってしまうと、中が閉まるので、との懸念があった。
その日は、夕食までの何時間か、母がテープをはがさないように、ずっとそばにいた。
母は何度か、そのテープを剥がそうと、めくる。だめだめ、これは取ったら、だめなのよ、
というと、「へー、そうなの。」と納得するのだけど、それはすぐに忘れてしまう。
 3,4度そんな、問答を繰り返して、夕食の時間が来て、私は帰った。



翌日、施設から電話があり、母が、ギブスごと、手から外してしまった、とのこと。
「手の腫れがひいたのでしょうか。すっぽりと抜き取られて。」
「じゃ、医院に電話してみます。」と言って電話を切った。
火曜日の午後は、4時からになっている。
 弟のお嫁さんに、電話をかけて、援軍を頼んだ。
毎日、薬屋の駐車場におかせてもらうのも気が引ける。もちろん、買い物はするのだけれど、母を待たせて、あれこれ選んでいられない。
 母と一緒に、医院に入ってもらって、私はその間に、医院の駐車場に停めに行くことにした。
 母は、昨日とは違って、医者が手を触るのも、怖がって、気持ちが安定していない。
時間のせいなのだ。夕方になるにつれて、気持ちが不安定になる。
人間の心には、一定のリズムがあるのだ、ということが、母を見て、納得できる。
それは、心の不安につながっていく。
太陽の光が、さんさんと降り注ぐ、明るい日ざしの中では、心も晴れて、からっとしている。一日の始まりと、心身の躍動とが連動する。
 昼ご飯を食べて、午後のひと時、人もまどろみたくなる頃は、安定して、気持ちもおおらかになる。
 太陽が傾き始める頃、午後の4時を過ぎると、心は不安に包まれ、暗いイメージにとらわれるようになる。
メランコリックな時間。
 
はさみを出すと、母は、「危ないじゃないの。そんなことしたらだめ。だめよ。」とパニック。昨日も同じことをしているのだけど、それほど怖がらなく、説明を聞いて納得して、じっと見ていた。
無事に終わった。持って行った、ギブスを見ると、中の綿を抜いている。母は、中綿を抜いて、ギブスをすっぽり抜いたようだった。
 今回は綿を少なくしているが、来週、マジックテープで取はすしの簡単なギブスを注文しているのが、入って来る。
 母は取るけれど、それなら、包帯を巻きなおすことがいらないので、気がつけば、簡単につけることができるから、と。

 母の頭が良いことに、私は関心する。
 「ギブスを取ったか。ショックだね。」と医者は自分の威厳をかけて。
 「 私もショックです。母の頭の働きの方が、良くて。」

心の病気って、頭が良い人がなるのだ、と思う。昼行燈、という言葉がある。
ボケは、初めからボケているので、鈍いから、心の病気にはならないのでは?
私は安心していて良いのかも。
  

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2013年04月16日

猿之助が歩いた、寺町界隈

 
      


   春の特集で、BSのTBSで、京都1200年の、魅力を、市川猿之助が、案内している。
京都に、映画を見に行った時に、上映時間かで、1時間半ほどあったので、そこで紹介されていた、寺町あたりを、歩いた。
猿之助が、判子を作ってもらっている店。



その向かいに、仏教関係の書物ばかり扱っている、書店がある。

 

東京にもある、「鳩居堂」の京都本店。



文具の鳩居堂では、猿之助愛用の便箋を探したけれど、同じようなのが沢山あって、わからなかった。一本、筆を選んで、書きやすいといって買っていたので、私も買いたいとおもったけれど、万年筆だって、特別のを買ったのに、使っていないことを思い出して、やめた。最近は、巻紙で手紙を書くのが、流行しているとか。



この近くに、信長炎上の、本能寺も。



寺町から、二筋入った、静かな通りに、本店がある、扇の専門店



舞い扇、お能や、落語用に、通常のものなど。子供の頃、日本舞踊を習っていたので、
舞い扇を見ると、心が騒ぐ。
舞用の扇は、鉛が入って、重さを出している、バランスをとるためだとか。
その反対に、仕舞や、能の扇は、軽くつくられている。



猿之助は、子供の頃から、扇の開き方を注意して、紙の部分は決して持たないようにしている。紙が痛むからと。
応対していた店の主人は、紙の部分を持ちながら、扇を開いていた。
扇を前に置いて、挨拶するのは、扇によって、自分の側と、相手の側との、境界を表していて、相手への、敬意を表現しているという。
そういえば、目上の人の部屋に入って、間をあけて座ってると、ちこう、ちこう寄れ、と言われている場面など、よく見られる。
身分の違いを、距離で表しているが、この扇子を使うことで、間を隔てている、ということなのだ。



舞妓さんなどの、かんざしや、髪につける、びんずけの店。
猿之助は、肌が綺麗だと言われるのだが、それは、髪につける,びんずけを、顔に塗るからだっろうと、その店で、説明していた。




びんずけは、椿油でできている。
その店は、椿油を使った、髪用と肌用の化粧品を置いていて、びんずけ、というのがないので、店内で聞くと、奥から出してきて、見せてくれた。
丸い筒のような形をした、固形状のもの。これこれ、猿之助さんが愛用しているのは。
 店の女性も、顔がしてい、つるつる、ピカピカしている。
椿油かな。




 「私は、砂漠に取れる、アルゴン油がまだあるので、それが切れたら、また来ます。」と言って、一旦、外に出て歩き出した。
 歩き出すと、そこから、劇場は遠くないことがわかって、また店に引き返した。
「椿油」一本買って帰ります。「あなたの顔が綺麗だから、効果ありそう。」
というと、彼女は、おせじに、「お客さんも、お綺麗です。」と。
こちらはマスクしていて、肌の露出は、目とおでこだけ。そんなんで、わからんじゃん。
何をつけても、魔法みたいに、効果あるわけないじゃない、と思いつつも、記念に。
昔から、舞妓さんは、うぐいすの糞で顔を洗うとか、米ぬかで、肌を抜き卵のように磨き上げるとか言われている。
京都の芸子は、あか抜けて、色が抜けるように綺麗だけど、もともと、そういう肌を持った、東北人とかを選んで、舞妓に仕上げ、芸者になるのではないか、とも思うけれど、宝塚の生徒さん達も、最初はそうではないのに、どんどん綺麗になって、透き通るような肌になっていく。激しい踊りの訓練によるものだ、とも言われる。
余分なものをそぎ落とした美しさ、あか抜けた、美しさは、新陳代謝に関係しているようにも思われるが、びんつけならず、椿油の効用もありそう。
猿之助が、それを証明しているように。

向かいの旅館。猿之助はここに泊まるのかな。

昨日、ご飯を食べながら、テレビをつけたら、西村知美が、普段やっている、美容と健康にお勧めを、専門の医者の見地から、勧められるかどうかと判定する、という番組で、
西村知美が、ピータンを包んでいる、土を、パックにして、つるつるの肌になる、というお勧めには、「とんでもない。水分を取られて、肌がだめになります。」とのこと。
塩のマッサージもだめ、何時間も歩くというものだめ、勧められません、とのコメント。
肌は外から、何をつけても、効果は出ません。保湿と油分を補うことだけの効果はあります、という。
高価な化粧品は、売らんかな、の宣伝だけで、美しくなる、という言葉に弱い女性達をくすぐる、殺し文句にすぎない。

 京野菜のレストラン

 顔を石鹸で洗うだけです、という人がとても綺麗なのも、うなずける。
余計なものを、べたべたつけると、肌のダメージを深めるだけなのだろう。

でも、油分は必要。鴨川の水で、育って、米ぬかも、椿油も、油分。
自然のものなので、椿油は、艶出しの、万能選手に違いない。
オリーブだって、良いと思う。
ちなみに、私が、買った、アラゴン油、というのは、とても貴重なのだそうで、
砂漠の乾燥した地域で、女性たちの肌を守る貴重な、化粧品だ、と、辞書に載っていた
のだけど、放置して、使っていなかったら、椿油を使った化粧品のパンフレットに、
美容液として、椿油と、アラゴン油を混ぜたものが載っていた。

京のタケノコ、美味しそう。


 水分と油分の補給さえ、すれば、あとの効果はない、ということ。皺も、たるみも、染みも、外から塗っても、効果なし。

  

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2013年04月15日

いろのない多崎つくる

  
   

 日曜日、出かけるはずであった、約束が、キャンセルとのメールが入っていた。
前日に買った、村上春樹の本がある。
本と読むには、おあつらえの一日だ、と思った。
良いお天気だから、出かけるのも悪くないのだが、こんな日があってよい。
朝ご飯を食べ終わると、庭に出て、フリージャの回りにまとわりついている野草をむしったり。
なんとなくいいつもの癖で、テレビの映画チャンネルに回すと、へっプバーンの「昼下がりの情事」が始まったばかり。
オードリーが嫌いな人は、いないだろう。お相手の、ゲイリークーパーも、日本で人気が出たスターで、舞台はパリの、リッツホテル。
ハッピーエンドで終わる、ハリウッド独特の幸せ物語なので、現実とは、かけ離れている夢物語だけど、なんとなく、心が温かくなって、ハッピーな気分になる。
昼食のカレーは、友人のブログを見て、食べたくなって作ったもの。
一人暮らしの人間が、カレーを作ると、毎日食べないといけないことになる。
でも、料理をしなくて良いから便利だし、毎日でも、カレーなら、食べられる。


http://www.asahi.com/culture/update/0412/TKY201304110511.html

午後、歯磨きをしながら、テレビをつけると、ヤシキ、タカジンが、「そこまで言って、委員会」に出ていた。そうだ、復帰すると言ってたっけ。
以前の、ギラギラした熱気は全くなくて、健康そうな顔色はしているものの、すっかり毒気を抜き取られた感じがする。
病魔は人間の心も体も変えてしまう。
3時ごろから、読み始めた、村上春樹の小説、引き込まれるように、最期まで、読み通した。
途中、夕食に、残っていたカレーを食べ終える、中断があったとしても。
タカジンが、すっかり変わっていたのと、同じような事が、登場人物達にも見られる。
村上春樹の、新作は、待ち焦がれて、3年ぶりに出版の運びとなって、売り出し時間のカウントダウンまで、ワクワクしながら、買うのをまちわびている人達が、ニュースに流れていた。
この現象、新作のマイクロソフトとか、アップルの製品なでで、良く見られる,光景と同じ現象だ。さらに言えば、デパ地下に、長い行列をつくって、なんたらいうチーズケーキをゲットしたり、2時間待って、たった一杯のラーメンにありついたり、と変わらない。

そういえば、道頓堀に、どこからともなく、集まって来る若者達がなにをするでもなく、一緒に、そこにいるというだけで取り残されることの恐怖を免れていた。
村上春樹の小説の何処が良いかと、問われた、人達の中で、「共感を覚える」「自分を肯定してもらえる」という答えに、私は惹かれた。
読み終わって、心の高揚もなければ、何かが残った、という印象もないし、それが希望につながるかと言えば、そうでもないけれど、「三年もかけて、じっくり書き上げた小説」は
8時間という、凝縮した時間で、私の心と体に染みこんでいく、という貴重で至福の時があった。
最近、今風にして、一気に本を読むという時間をもたなくなっていた。以前に、「活字が好きだね。」と言われた・。それは自分でも気づかなかったことだったが、そういわれて、
思えば、確かにそう。
子供が小さい頃、「束縛された生活の中で、限られた自由の選択があった。」これは、村上春樹の、小説のテーマ、にもなっている感覚だ。
私は、その頃、子供を遊ばしながら、「新聞を2時間かけて読んでいた。」読むことが好きで、それが限られた自由の選択というものであった。
本屋をやってみたくなったのも、読むことが好きだったからだろう。
近所の本屋が、売りに出された。母親が働き、娘は本を読んでいた。娘が結婚することになって、母親付きで、東京に行くという。
店のやりかたをしばらく教えて、もらって、私が本屋の店主になった。
私の目が悪くなったのは、暗い中で、本ばかり読んでいたから。家に持ち帰り、夜中まで読んでいたから。
目が悪く、疲れるので、最近は、本を読まなくなった。今は、読んでいると、かすんで、昨夜も、最期には、字がはっきりと見えない状態の中で読み終えた。
投げ出していた、自由。放棄していた、喜びを久々に味わった。
 その代償として、肩がコチコチに凝って、腕で顔を支えて、首を保護していたために、くるぶしを痛めたようで、手首が痛む。
本を読む根気をなくしたのは、首が悪いという理由もあった。首に負担がかかるから。
 久しぶりに、味わった、達成感と、心身の栄養。
  

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2013年04月14日

 やれやれ、大変だ。

 
   

 施設からの電話で、母が、手の痛みを訴えているので、医者でレントゲンを撮ってもらって欲しいと言われた。
母を医者に見せるのは大変なのだ。今朝起きた時は普通だったので、いつそうなったのかは、わからない、とのこと。
以前、弟の家にいる頃に、通っていた、整形外科に連れて行った。病院で、靴を脱がそうとしたら、片方つつ、違う靴を履いている。靴底の太さが違うので、バランスを崩して
こけたのではないか、と思われた。
母の番が来て、レントゲンを撮るのが、至難の業だった。板の上に手を載せることを拒むので、技師が抑えて、外から、看護婦がスイッチを押すのだが、母がそれを拒むので、何度もスイッチを押して、取りなおおしで、9回目くらいにやっと撮れたのだけど、それから2時間も待って、母が診察室に呼ばれた。
 医者が腕を触ると、パニックを起こし、恐怖心で一杯なのだ。
手首にひびが入っている。骨折かどうかわからないので、またこの次に撮り直すと言われた。
ひびが入っているのは、確かなので、あてのギブスを作ってもらい、包帯をして帰ったのだけど、その作業も、医者と看護婦、そして、私が後ろから支えて、大変だった。




医者も、「これは大変ですね。」という。
施設に送って、看護婦に医者からの、手紙を渡して帰って来た。
翌朝、電話すると、母は包帯を自分で外すので、何度か、付け直しているけれど、とのこと。
私は、梅田の歯科に行き、その足で、気になっていた、叔母を見舞うのに、豊中の病院に
行き、それから、母の施設に足を延ばした。
部屋に入ると、母は包帯を取って、ギブスとテーブルに置いている。
 看護婦さんに、部屋に来てもらって、ギブスをまいてもらうと、母はおとなしくされるようにしている。
 私がしようとすると、かたくなに拒絶して、怒り出すのだけど。
それから夕食時まで、母のそばに居た。その間は、無事、ギブスをはめていられた。
 看護婦から、ギブスの固定をしないと、だめだろうと言われた。
固定したギブスをはめるか、このまま、放置するか。
 週明けに、医者に連れていかねばならない。
 また、ひと騒動。
 一日中、かけずり回って、忙しい一日だった。
昼食を食べる時間がなかった。こんな日も充実した一日と呼べるのだろう。仕事した、という気がするもの。
  

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2013年04月12日

シネマ歌舞伎、勘三郎を中心に

  
     
 
 シネマ歌舞伎、最終日の前日、尼崎のシアターに、朝早く起きて出かけました。
新歌舞伎座の開場を記念して、全国の松竹系映画館で、一年あけて、月一、で
歌舞伎映画を上映中です。
 木曜日は、コナミが休みで、母に会いにいかない日なので、この時を逃しては、
行けないと思い、朝一番、尼崎に行き、大阪に出て、京都の映画館に、と、
一日中かけての歌舞伎、力が入るので、帰りの電車の中では、ぐったり疲れていました。
 無料で観られるので、友人を誘おうかと思ったのですが、きっと、また、忙しいから、と断られるだろうと思って、一人で。

1週間の延長上映でした。

 歌舞伎映画は、テレビの、衛星放送などで、開場記念で、やっているので、わざわざ、劇場に足を運ばなくても、ビデオもあるし、というのでしょうか、映画館は、空いていました。
 http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/07/

 尼崎では、勘三郎親子の連獅子と、駱駝、との二作品。
連獅子は、2008年のもので、勘三郎も元気な頃のものです。勘九郎も勘太郎を名乗っていて、七之助と、3人で踊るのですが、涙なくしては観られません。
 ぴったりと息があって、奇跡的とも言われるくらい、見事な3人での、獅子の毛振りを見せてくれた舞台です。
 谷に落ちた、子供達の獅子を、あんじる親獅子の姿に、また涙。
勘三郎が、時折、厳しい目をして、二人の踊りを見ているのも、涙。
 子獅子が、親に、まとわりつくようにして、一緒に舞う姿に、また涙。



 映画ならでは、大写しなので、着物の模様から、表情、手足の微妙な動きまで、つぶさに見えて、素晴らしかった。
 午前中は何度もトイレに行くので、観ている間、ずっと我慢していて、終わると、暗い中、あわててトイレに。
歌舞伎映画は、途中に、10分間の休憩時間を取っているので、あわてることなかった。
次は、「駱駝」
 三津五郎とのコンビで、お腹をかかえて、大笑い。
舞台の中で、弥十郎扮する、大家のおかみが、三津五郎が、死人を躍らせるのを、怖がって、軒下に頭から落ちてしまうシーンで、勘三郎は、おかしすぎて、頭を下げて、身体を震わせて笑っている。ハプニングだったのだろう。アドリブが入ってした。
テレビの舞台中継で観た時よりも、面白い。
三津五郎が、お別れ会で、勘三郎と、もっともっと一緒に、楽しい舞台をやりたかった、と述べていた。随分、沢山の舞台を、勘三郎と三津五郎のコンビで、映じている。尼崎の劇場で、勘三郎の舞台を二作品見たあとで、
 
 京都に、走って、観た、「身代わり座禅」でも、勘三郎と、三津五郎とのコンビで、息のあった、彷彿転倒の笑いを提供してくれている。

 

「身代わり座禅」は、何度も見ている。狂言の「花子」から、取った作品とか。長唄と常磐津の掛けあいで、松の木を背景に、狂言風に演じられる。
 ,歌舞伎では、6代目菊五郎と、7代目三津五郎のコンビで、初演。6代目菊五郎の孫にあたる、勘三郎と、7代目三津五郎のひ孫にあたる、三津五郎の共演の舞台
因縁のある出し物で、この舞台は、2010年の、歌舞伎座さよなら公演のもの。
勘三郎の声が、少しかすれているのが気になった。
京都では、玉三郎主演の、松緑と菊乃助とで、舞の舞台「蜘蛛拍子舞」
 http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/12/

玉三郎は、美しい姿が似合う。蜘蛛のメイキャップをして、口に中を赤く染めて、
目をむき、口をかっぴろげる、紅葉狩りや、この蜘蛛拍子の凄い形相は似合わない。
玉三郎自身は、きっと楽しんで演じているのだろうけれど。
  

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2013年04月10日

 岸恵子の「わりなき恋」

    
    
 

 春は曙、ようよう白うなりゆく、山際、だったっけ。
記憶もおぼろげなので、間違っているかもしれない
なんとなく、心から立ちのぼる、春の言葉。
岸恵子が、小説を出したので、本屋で、ちょっと立ち読みして
いたら、デュラスの「かくも長き不在」というフレーズを使っていて、
アリダ、バリ扮する、テレーズと頭の後ろに鉄砲の弾を受けた、浮浪者
とが、音楽にのせて、踊る場面が思い浮かんだ。
イブモンタンも、あの歌を歌っていた。甘くせつない歌声が聞こえてくる。

文章の中で、「人といるのは楽しいけれど、一人の時間が落ち着く」という
ような、内容だった。
物書きの好きな人は、大体そうだろう。





私のブログ、大した事書いていないのに、これで、結構時間がかかっている。
先日も、書き始めて、気が付くと、4時間かかっていた。その続きに、夜の11時から
初めて、気が付けば、夜中の1時半。述べ7時間近くも。
書き直しとか、ではなくて、心に浮かぶことを、そのまま書いているだけなのに。
岸恵子が、小説を書いている、とあるインタビューで語っていた。一冊の小説を完成させるまでに、何年もかかっている。
そんなものなのだろうな、と思う。書きなおし、読み直し、付け加え、資料を掘り起こし、
少しづつでも、継続した時間の積み重ねがいるだろう。



プルーストの「失われた時を求めて」は、7年かけて書いた小説だし、今年の芥川賞を取った、黒田さんも、相当長い年月ををかけて作り上げたと言っている。
この先、死ぬまでに、あと一冊、書ければ、というほどに、年月と時間を費やしての作業。

私には、向かない。根気がないし、途中で放り投げるのが目に見えている。
絵画にも、時間をかける人と、一気に描く人がいる。
草間弥生の描き方を見ていると、細かくて、根気のいる作業だけれど、自動的に、手が打動いて、丸を描いているようにみえる。
話しながらでも、手が動いて、丸を書き続けている。
ベニスから、船で1時間、レース編みの島がある。ココシャネルも、この島のレースに魅了され、洋服のアイデアが生まれたとか。




 その技術を継承する女性は、ほとんど少なくなっているが、その島で生まれ、6歳の頃からレース刺繍を覚え、レース工場で働き、年老いた今も、レースの刺繍をしてる時が、一番楽しくて、心が休まるという女性がいた。
夢中になって、手を動かし、美しいレースの刺繍が出来上がっていく。無心になっている
時間。我を忘れて、夢中になれる時間がそこにはあるのだろう。


  

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2013年04月09日

映画「ある海辺の詩人」

 
    

http://www.alcine-terran.com/umibenoshijin/

 ある海辺の詩人
シネリーブ梅田で上映中です。
ベニスに近い、ある海辺に、配属されて、働きに来た、中国人の女性に思いを寄せる、ユーゴスラビア出身の漁師は、彼女に故郷の海で漁師として働く父親と、そこに預けている息子への思慕を引き寄せてくれる存在になっている。
彼女は、詩のお祭り、という、儀式で、子供と一緒に暮らせることを願っている。
漁師は、海辺の詩人と呼ばれている。言葉のごろ合わせをするから、と言う。
漁師は、中国語の歌うような言葉に惹かれる。
二人を引き寄せるのは、共に、イタリア人ではない、という異国人という、そこに馴染めない違和感と孤独感。
海の匂い、輝き、風が二人を包む。幸せを感じる、安らぎの時間も、イタリア人に寄って、奪われる。猜疑心とよそ者を受け入れることの拒否に
引いては返す海、潟に、そのまま留まって、外に出ていけない水もある。
そうではだね。出ていかないと、自由にはなれない。幸せはつかめない、と彼女と同室の、若い女性は言う。
彼女は、休みには、海で辺で海風に向かって、太極拳をする。風を切り、海のオゾンを胸いっぱいに吸い込んでは、掃き出し、海の動きを一体になって、身をゆだねる。
転職を命じられ、同室の彼女と別れて、また別の場所で、借金の返済に、働いている。
ある日、子供がやってくる。借金を誰かが返してくれたという。
あの老人の漁師ではないか、と一瞬思うが、違った。
同室の女性が、ある日、お金を置いて、そこから逃げ出したのだった。
淀んだ水に留まらず、自由を獲得するために、海に出ていったのだった。
心を寄せていた人が、去り、すっかり希望を失った老人の漁師は、彼女に、海の小屋を残して、息子の所で死んだ。
彼女なら、本当のお葬式をしてくれるだrぷという遺言を残して。
小屋に火をつけて、老人が愛した小屋が燃え上がる。
ちょうど、それは、彼女が、信じ、願いを込めて、水辺に浮かべた、「詩人の祭」のように、
赤い紙に,ろうそくを灯して、流れていくかのように。

心に染みとおるような、詩的な映画です。ベニスに似た、海辺。家の中にまで押し寄せててくる水の中で、長靴を履いて暮らす時間。いつごろ引くのかしら。時間が来たら。


ボスの言うままに、働く彼女が、「シャツを20枚、縫うように言われたら、私は30枚縫う。」というセリフが冒頭に出てくる。
閉ざされた境遇を、跳ね除けて、海に出ていく、水のように。


  

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2013年04月08日

新歌舞伎座で、一幕チケットをげっと

   


    
      

    こんな所で、遊んでいては、歌舞伎の一幕に間に合わない、と思いながら、歌舞伎座に。
都営地下鉄の方が早いだろうと思って、都営まで歩いた。地下鉄は、210円。メトロは、昨夜190円。都営の方が値段が高いのに、都営は、本数が少なく、羽田行きがやって来るので、待たないとだめで、止まる駅も多くて、時間がかかった。
もうだめだろうと思ったら、「ここが最後列です。」とプラカードを持っている案内員に、まだ大丈夫ですか、と聞くと、まだチケット買えます、と言われた。
大阪では、幕観席は、最後列の30席ほどなので、こんなに並んでいたら、だめだろうと思っていた。
11時が来て、私の番号は、119番。立ち見になります、と言われた。

歌舞伎座近くの飯屋、男との人がたくさん来ている


 朝ご飯を食べていないので、急いで、築地の、立ち食いすし屋に行った。
芝居は12時半から始まるので、12時に戻って来てください、と言われている。
鮨屋は、立ち食いの店で、入って7,8人。席があくまで、少し待たされた。
みなさん、丼を食べている。でも私は、マグロ3品、を頼んで、あと、鮨を3つ握ってもらった。
大阪の道頓堀にも、この店ができている。そこのマグロ3品と同じかと思ったら、大阪よりもずっと、小さくて上品な鮨。
「熊谷陣屋」が見られないなら、銀座の「みちば」に行くつもりだった。
でもこれは、別の機会に。

やれ、うれしや。玉三郎が見られる。
 「熊谷陣屋」にも、玉三郎が出演しているので、残念だなあ、と心残りだったので、すごくラッキー。
私の後ろに並んだ、男性は、通りすがりに、テレビでやっていた、歌舞伎座
の舞台、一幕席があるとは聞いていたから、と、すごく喜んでおられた。

 
 
  4階から、入るというので、私は3階席の上に、4階席があるのか、と思ったら、そうではなくて、3階の後列2列と、その後 ろが立ち見席になっている。
 だから、140人くらいまで、人を入れるのかもしれない。
一幕は、2000円。
 一幕席になっている所と、3階の席との間は通行できないようになっているので、4階ということになっている。
 歌舞伎座に、結構沢山の外国人客が入っている。昨夜も、3階から見える、2階の席に、外国人客の団体がいて、熱心に、  舞台を見ていた。
 今日の一幕にも、若い外国人の女性が3人、立ち見席で、私の隣にいる。
 ここいいですか、と聞いて、女性が少し空いた所に入って来た。
 彼女と歌舞伎の話になって、私と同じく、玉三郎と、猿之助のフアンだとか。
 彼女は、東京に住んでいるので、歌舞伎はいつでも見られる。
 金毘羅座での、猿之助の舞台を、友人と見に行くそう。5月は、産経に申し込んで買えたそう。一般の売り出しよりも早く。
 若いころ、玉三郎のフアンだって、また最近、復活だそう。
 いつ、舞台を降りるか、わからないから、という。
 

屋上

   歌舞伎座で、話する人達は、熱心な人達ばかり。すごいなあ、と思う。
  さすがに、この席からは、舞台の演技者の顔の表情は全くわからない。オペラグラスをつけて、3階の前から裸眼で観る大きさくらいになる。
「熊谷陣屋」は、「盛綱陣屋」同様に、吉右衛門と、仁左衛門が共演している。そこに、玉三郎は吉右衛門の妻、相模、菊之助が加わっての、4人の競演とう豪華な顔ぶれ。
 
  前日からの疲れと、チケットに並んで、待って、また、立ってみなければならなくて、結構きついものがあった。隣の外国人の女の子たちは、内容がわからないし、疲れるので、後ろの方で、座りこんだり、立ったりしながら見ていた。
一時間半近い、長いお芝居なので、座れる人と立ってみる人との差は大きい。


 
 芝居が終わって、そこから、直接、屋上庭園に行ける階段がある。庭園に行ってみた。
そこには、歌舞伎座ギャラリー、というのも作られて、これは24日からのオープン。
 そんなに大きな庭園ではないが、4期の歌舞伎座のものが遺存されている。
黙阿弥の家から、石灯篭が移されている。出雲の阿国桜、というのも。
ここから、帰りのエレベーターが、2つしかなくて、屋上に来た客達が、開演時間に間に合わないと、叫びだした。
長い列で、エレベーターはなかなか来ないし、来ても、7階からの人が入っている。



係の人を呼んで、どうしてくれる、と言い出した。係の人は、立ち入り禁止になって、関係者用の階段へ誘導したようだった。
他の人たちは、ずっとエレベーターを待った。上に上がって、降りてくるという方法を取りながら、一階まで降りるようにして。
これからも、このトラブル続きそう。
銀座の、木村屋に、ならんで、パンを買い、ソニービルの、歌舞伎のビデオをもう一度見て、有楽町から、JRに乗って、東京駅に。
3時半の新幹線に乗るつもりが、4時の岡山行きになって、自由席は、一杯人が並んでいる。1号車だけ、人が少なかったので、なんとか座れた。



 お腹が空いて、あんぱんを一つ食べたら、お弁当を売りに来た。すでにアンパンでお腹は空いていないのに、駅弁食べたくて、ビールと一緒に買い、お腹に押し込むようにして食べて満足感を味わう。
7時までに帰るつもりだったけど、「熊谷陣屋」も見られたので、仕方はない。
歌舞伎座公演を記念して、フジテレビで、初公開の「勘三郎の秘話」の番組があるのが気になっていた。
新大阪からのJRで、「明日は、電車が運休するかもしれません。」とのアナウンス。
今日でなくてよかった、ずっとお天気で、汗が出るほどだった。
東京の桜は散って、なかったけれど、帰ってきたら、まだ満開。

 


 家につくなり、テレビをつけた。、まだ30分ほど番組が残っている。
勘九郎の、襲名最終公演へ向けての稽古、仁左衛門が、丁寧に指導している。

博多座の、「渡海屋」


ソニーの画面で、観た、最終、博多座での知盛の見事な演技は、仁左衛門の指導によるものだった。
そして、もう一人、七之助の演技指導を買ってでたのは、玉三郎。
  

Posted by アッチャン at 08:06Comments(0)旅行

2013年04月07日

芝居がはねて、浅草に

 
    

  芝居がはねて、時間は10時。銀座あたりで、何か美味しいものでも食べたいけれど、ホテルに直行しようと、地下鉄の銀座まで歩いた。歌舞伎座に直結している、都営地下鉄の東銀座からでも、浅草に行けるのだけど、泊まる予定の、リッチモンドホテルのアクセス案内が、銀座線になっているので、わかりやすいと思ったから。
三越の方に歩いていくと、「この辺りがご存知ですか?」と年配の婦人から尋ねられた。
この辺りだけなら、東京に来ると、いつもうろついている所なので、「ええ」と答えてしまて、ホテルの名前は、聞き覚えがない。
地図を見せてもらったら、聞かれた、所の通りあたりにあたる。
「タクシーは使わなくても良いのでしょうか。」と心配そう。
「いえ、この通りあたりです。一緒にみましょう。」と歩き出すと、そのホテルの名前が、高くそびえるビルの上に見えた。ここですよ。
 彼女たちは、きっと明日の歌舞伎座に行くのに、やってきたに違いない。
全国から、随分沢山の人たちが、ホテルを予約してきているのだろうな。
私も地方から来た、おのぼりさん。




浅草まで、地下鉄でどのくらいかかるか。急がないと、チェックインの時間までに着かない。
銀座線は、銀座駅からの終点になっていて、上野を経て、浅草まで行くので、都営にすればよかったと思った。駅が多いので、時間がかかりそう。一駅が何分で着くのかを、秒読みしていると、割りあい短い時間の間隔だ。
 浅草まで、15分くらいだった。
地下鉄を上がると、どちらが雷門かわからない。通りすがりの人に聞いた。さっきの婦人たちと同じ。
すぐ曲がった所が、雷門。まだ幾人かの人達がいるので、ほっとする。
仲見世の通りは、シャッターが閉まっていて、絵が描いてある。いつも店が出て、賑やかな時間しか知らないので、人気がなかったら、怖いなあ、と心配していたのです。
外国からのお客さんらしい人に、説明しながら歩いているグループがいて、他の人たちも、外国人と一緒の人達が多い。
浅草寺と、五十の塔が、ライトアップされていて、綺麗。




カメラをかまえて、撮影している人もいる。
ホテルは、浅草寺の境内を通って、商店街に入った所にあった。駅から9分。
綺麗なホテルで、まだ開店して日が浅い。
リッチモンドホテルは、全国にチェーンホテルがあって、東京にもいくつかある。
私はラッキーにも、JTBから、7000円という格安な料金設定のものを予約出来た
のだけど、後で、浅草までの距離や、駅から9分もかかるので、他を探そうと、キャンセルしようとしたのだが、新しいパソコンのセキュリティーなのか、正確なパスワードを入れているのに、JTBにアクセスできなくて、ホテルに、夜間危なくないかと問い合わせた。
普通は、お寺の境内は、夜はひっそりして、人気がない。ホテルの説明で、だいたい安心したけれど、でもやはり心配だった。
ホテルに着くと、部屋に入らないで、近くにコンビニがあるか聞き、そこに、飲み物と夜食べる、サラダにヨーグルトといなり、ビールなどを買いに。
屋台がいくつか出ていて、男の客の姿が見える。でも、ほとんど、あたりは暗い。
部屋は快適だった。

 


このホテル、他のサイトでは、14000円でしか部屋はなかった。それでも、安い方だった。私は、このホテルと、楽天から、もう一つ、銀座に近い、駅前のホテルにも、予約していたので、そちらにして、リッチモンドの方はキャンセルするつもりだったが、アクセスできなくて、こちらにしたのだけど、こちらの方がずっと綺麗で、顧客の満足度も高い、良いホテル。
ビールの500ミリを飲んでも、寝られそうにないので、館内の販売機で、酎ハイを買って、それも飲んで寝た。
翌朝、頭が痛くて、顔がむくんで、起きづらくて。
でも、起きなくちゃ。ええい、と気合で起きた。窓を開けると、スカイツリーが見える。



 眼下に、商店街

 



新歌舞伎座で、一幕だけ観る、チケットが販売されていて、結構沢山の人が、並んでいた。
朝一番の、「夏祭り」をみたいけれど、聞いたら、朝の7時から並んで待っていると言われた。それは10時に販売が始まる。次の「熊谷陣屋」は、11時から。
だとすると、夏祭りに、並んだ人は、熊谷陣屋のチケットは買えないだろうと思っていたので、少し早くホテルを出て、歌舞伎座に行ってみようと思っていた。
頭痛がするので、お風呂に入り、朝ご飯を食べないで、東銀座に。


浅草寺までの道は、明るくなると、全然違って見えた。
大衆演劇の小屋がある。へえ、こんなの観てみたい。






1600円の入場料で、お茶売りのおばさんが、小屋の前で、切符切りをしている。
浅草寺にも、大勢の人。




桜まつりの真っ最中。
歩けないほど、すごい人。
仲見世に、観たことのあるタレントさんがいる。
カメラを向けて、ぴしゃり。



3人のタレントがいて、カメラが追っていた。
後ろ姿になって、追いかけると、カメラをだめ、と言われた。でもその前に、偶然撮ってしまったのが、ばっちり。


  

Posted by アッチャン at 10:11Comments(0)旅行