2007年05月30日

ジャンヌ、ダルク

 1431年の今日、ジャンヌ、ダルクが異端者として、裁判にかけられ、即日処刑、火刑になった。 いつも拝見している方のブログで知ったのですが、その中で、最も優れた絵は、ポール、ドラルーシュのジャンヌダルクだと書かれていたことに興味を抱きました。

ジャンヌ、ダルクの名前は、彼女を題材にした、芸術、文学、演劇や映画は沢山作られているので、知らない人はいないのですが、興味深いのは、やはり絵画です。 



 1929年5月10日にパリ高等法院書記クレマン・ド・フォーカンベルグが描いた素描 実は公的文書の隅に描かれたいたずら書きであったが、ジャンヌの特徴をよく捉えている。フランス国民議会図書館蔵 

 現実のジャンヌ、ダルクの姿を写したものとして興味深い。
彼女の死後、数々の絵画が描かれているが、一番素晴らしい絵画として紹介されていたのは、

 
牢の中でウィンチェスター枢機卿に尋問されるジャンヌ・ダルク ポール・ドラローシュ画 ルーアン美術館蔵 

 

 ニューヨークのメトロポリタン美術館にある、ジャンヌ、ダルクの絵画は、私がこの前パリのオルセー美術館で「ジュール、バスティアン、ルバージュ特別展で、出会った画家の手によるもの。




声」を聞くジャンヌ・ダルク ジュール・バスティアン=ルパージュ画(1879年) ニューヨークメトロポリタン美術館蔵 背後の森の中に大天使ミカエル、聖女カトリーヌ、マルグリットが見える。


農民の生活を主に描いてきた、ルパージュとは対照的なのが、アングルのジャンヌ、ダルク。
 
 

  シャルル7世の戴冠式のジャンヌ・ダルク ドミニク・アングル画(1854年) ルーヴル美術館蔵

ジャンヌ・ダルク(仏:Jehanne Darc、Jeanne d'Arc , 英:Joan of Arc, ユリウス暦 1412年1月6日 - 1431年5月30日)は、「オルレアンの乙女」とも呼ばれ、フランスの国民的英雄であり、カトリック教会の聖女。百年戦争の際にオルレアン解放に貢献し、シャルル7世をランスで戴冠させ、フランスの勝利に寄与したとされる。コンピエーニュの戦いで捕虜となり、宗教裁判で異端者と断罪され、ルーアンで火刑になった。(百科事典からの引用文)

 カソリックは、復活を信じて、土葬にするので、火刑は、極刑に当たる。中世には、魔女狩りというのがあって多くの女性達が火刑にされたが、ジャンヌ、ダルクの火刑の後になってから起こったことらしい。 

 
   

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2007年05月29日

サロン



 淀屋橋に画廊があった。イタリア語の教室が、このギャラリーで開かれていたのが、このギャラリーとの最初の出会いだった。私は、2,3回参加しただけで、やめてしまったけれど、それ以来、時折伺っていた。
 経営者のYさんは、ギャラリーをサロンのような場にしたいとおっしゃって、行くと、美味しいエスプレッソを作って出してくださり、私の話を楽しげに聞いてくださった。旅行での写真を持って行ってみてもらったり、、、。ある時、偶然に、大学時代の友人に、そのギャラリーで出会った。彼女は
結婚前からのお付き合いで、彼女のお父様が、絵画の収集がお好きで、Yさんが独立して画廊を持つ以前からのお付き合いだとか。彼女はYさんに結婚まで申し込まれた事もあるとか。
 Yさんの奥様が、有名画家Nの妹さんだというので、当時Nは売れっ子の画家だったので、お商売に専念される必要もなく、画廊をサロンのような場にしておられた。



 当時は、フランスのカシニイオール、ビュッフェ、ブラジリエや、ローランサンなど、リトグラフも高く、
飛ぶように売れた時期、バブルの時代だった。画廊にNさんが、おられないと、奥様は、
「今、お隣のテーラーに仮縫にいっています。」とおっしゃる。
 そんな頃、大阪のデパートで「N展」があり、梅田画廊と共同企画されたとかで、Nの
版画を勧められて、後輩と一緒に買わせていただいた。

 高級スーツに身を包み、文学や、絵画、旅行などについて、お話をするのが大好きだった方が、バブルの崩壊と共に、画廊の経営が難しくなり、奥様も働きながら、なんとか持ちこたえておられた。
イタリア語を教えておられたとか。けれど、いつか年賀状も帰ってくるようになった。画廊は別の名前に変わっていた。


 
 




  

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2007年05月28日

サロン




 パリ在住の画家の吉田さんから絵画をお預かりした時に、吉田さんはこうおっしゃった。
「あなたの家で、サロンを開いて、私の絵画を見ながら、あれこれ話をしてほしい。」

 サロンというのは、パリで知識人達が集まって、食事やワインを飲みながら。あるいは、お茶をしながら、意見を交換しあったりする場所で、19世紀のフランスの詩人マラルメも自宅でサロンを開いていたし、フランス文学史上には、数々のサロンがあげられるが、20世紀には、サルトルとヴォーボワールを始め、パリのアパルトマンで、数々のサロンが開かれていた。



 昨日、我が家で、小さなサロンを開いた。集まっていただいた方達と吉田さんの絵画を巡って、エピソードなども交えて、話の花が咲いた。
 吉田さんの絵画を買っていただいたことの、一番大きな喜びは、吉田さんの絵画が、新しいサロンの場を創造したことだ。買ってくださった方達の家に飾られることで、新たな広がりの輪を、命と平和についての語らいの場を創造出来たこと。吉田さんの命が、次に続く世代の中に、息づいて行く事、そして、吉田さんが下さった、新しい友情の輪を我が家に創造してくださったこと。

 吉田さんの絵画は、大きな作品ばかりの大がかりな展示で、日本の画廊も扱ってこなかったし、パリの画廊にも置かれない。それは吉田さんのポリシーでもあった。私がお預かりしたのは、吉田さんが、憑かれたように朝から晩まで没頭して、これが自分の目指す作品だ、というレベルに到達出来たという、小さな作品ばかり。吉田さんの死後、故郷である日本の民家に持っておいてほしいという作品ばかり。

 日本で知られていない、吉田さんの絵が、お互いに知らずに通り過ぎたであろう素晴らしい関係を創造していく。サロンとは、そういう場なんだな、と改めて実感した。
 
   

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2007年05月17日

kenji Yoshida

  




http://www.glenngreengalleries.com/_Artists/yoshida/Kenji_Yoshida_work.html 吉田さんの絵画が紹介されています。

庭の草抜きをした。種芝を蒔いたのがいけなかった。毎年、これでもか、これでもか、と長い芝が所かまわずはえ上がってくる。土全体をひっくりかえさないと、この戦いは終わらない。いつも私の負け、
留守をしている間に、草ははびこり、種芝は伸び放題。我が家の周りの家々は、花を競い合うように
美しいというのに、我が家は荒れ野だ。御陰で泥棒さんも、くわばらくわばら、お金なさそう、、、、。
 利点もあるもんだ。生前の父がよく笑って言ったものだ。
「お前の家に入った泥棒は、先約さんにやられてしまった、と思うだろうよ。これだけ足の踏み場もなければ。すごいぞ、泥棒がかき回してそのままドロンの有様だよ。」
 弟のお嫁さんが嬉しそうに私に尋ねる。
「お姉さんの家、随分さばいているんですって。お父さんが言ってらした。」

 後日になって、我が家を訪れたお嫁さん
「お父さんの話とはちがいますね。綺麗にしているじゃないですか。」

 お客様を迎える時は、ちょっとはお掃除しますから。お掃除をするたびに、いつもこうしていたい、気持ちが良いと思うのに、一日たてば、泥棒さんもくわばら、くわばら。

 吉田さんの絵画をご覧になりたい方は、オーナーまでメールお待ちしています。

 
 
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2007年05月16日

絵画の値段

 
 

日本では、絵画は政治の道具に使われてきたと言う。絵画の値段は、政治によって決められたと言ってもいい。政治家に絵画を贈呈する。もらった政治家は、例えば10パーセント引きで、画廊が再び引き取るという。そういう道具になるために、絵画は高額で扱われるようになる。コネがなければ、日本の画壇で名をあげることは出来なかった。そういう絵画は、本当に世界でも通用するかというとそうではない。その逆に、海外で高い評価を受けている画家でも、日本では無名に近い。吉田賢治画伯もその一人だろう。吉田さんの印象的な言葉がある。



「 絵は、誰でも描ける。こんなものは屁のようなものだから、ただみたいなものだ、とも言えるなあ。 けれど、人がその一生をかけて、命をかけて描いた絵だとしたら、安すぎるものだね。だから、好きだから、感覚的に描いているだけではだめ。何故こうなるのか、哲学がなければだめ。普遍的な意味がこめられていなければだめ。」



 吉田さんのいう、哲学、普遍性とは、「La Vie」 生命
吉田さんの絵が、海外で評価されているのは、世界に共通の「La Vie」が絵画に表現されているから。
 日本の画壇は、世界に遅れていると言われてきた。ニューヨークでもパリでも随分以前から抽象画が主流。日本では未だに具象の世界。吉田さんは、自分の死後、何十年か、何百年かの後に、自分の絵画を探めに来るような、そのような時間の中に自分は生きていたいとおっしゃいます。
 

 
、あれだけの大きな展覧会をし、高額な絵画を描きながら、粗末な食事、生活は貧しく、衣服もなく、貧しい人達の中にも、世界の皇室の中でも、溶け込んで全く違和感のない不思議な人



 メキシコの村では、キリストに似ているから、キリストに違いないと拝まれるそう。若いときは気短で、これでも随分気が長くなったほうだ、と言われるけれど。吉田さんが怒り出すと、どこか父に似ていて、私は最近笑えてくる。父も怒り出すと、、、、、。ゴッホまでとは言わないけれど。

 

 

   

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2007年05月13日

「こわれゆく世界の中で」母の日にちなんで

  松野真理作 

http://homepage3.nifty.com/marimatsuno/



http://www.movies.co.jp/breakingandentering/

 昨夜見た「こわれゆく世界の中で」という映画、偶然にも、「母の日」にふさわしいテーマだ。私は今、ジュー、ド、ローにはまっている。最近立て続けに3本見ている。彼は今、一番忙しいスターかも。彼の魅力を一言でいうと、「孤独な憂いをおびて」いる所かな。「ホリデー」では、妻に死なれて、二人の娘を育てている父親を演じていた。「こわれゆく世界の中で」では、一緒に長年住み、父親になろうとしながら、母娘の密接な関係から、いつも疎外感を感じて来た、恋人を演じている。彼の恋人は、自分の娘が、彼の子供ではない、ということで彼に負い目をいつも感じてきた。彼の方は、母と娘の世界から、遠くにいるという孤独感から、愛を他に求める。その相手の女性「ジュリエット、ビノシュ」は、セルビア人の夫を残し、息子とアメリカに逃げてきた女性、彼女はイスラム系だったので、出国出来たのだ。浮気していた夫はセルビアで殺され、息子はロンドンで,父の弟達が、彼のオフィスから盗む手伝いをした。3度目の盗みを企てた夜、息子を追って、つきとめた彼は、アパートに入るために、仕立物の直しを頼みに行く。

松野真理作
 

彼はその母親に魅せられ、愛を求める。息子の犯罪を赦してもらおうと思った母親は、彼の求めに応じて、ベッドを共にし、その証拠写真を友人に撮らせた。偽りから、愛情に変化した母親は、彼に告白して、フィルムを返す。
 、彼は再び「母と息子」との強い絆から、阻害されていたという孤独感に。彼は、その母親との関係を恋人に告白し、協力してもらってその親子を助ける。
 
 この映画で彼の仕事仲間が「法は守るもの。法を犯したものは刑務所に行くのが当然」と考えているのに、刑事は「法を犯さない人間はいない。」というくだり。

 マルグリットデュラスが「母親の子供に対する愛は犯罪に値する。」と言ったことを思い出す。法は、明るみに出され、愛、犯罪は闇に包まれている。母親は、子供を必死でかばおうとする。犯罪を隠そうとする。この映画で、「愛」をテーマに、わかりやすい「母親の愛」を持ってくることで、男女の間の疎外感、孤独感、男と女の、バラバラな関係を描こうとしている。寂しいから、孤独だから、離れられない、一緒に暮らして行こうとする男と女の関係を。愛を求める「愛が欠けている」関係を。  

Posted by アッチャン at 12:57Comments(0)art

2007年05月10日

kenji Yoshida

  


http://www.octobergallery.co.uk/artists/yoshida/index.shtml
何度か、このブログでもお話している、吉田賢治さんが、意欲的に描かれた作品を何枚か、お預かりしている。これらの作品を、どのように紹介すればいいのだろうか、頭を悩ましている

  

 吉田さんは、海軍特攻隊の予備軍として戦争が長引けば、命を落としていた方、絵画にこめられたメッセージは「生命」命の大切さを訴えて来られました。

海外での評価は高く、大英博物館では現存する画家では、初めての大々的な展覧会が開催され、その後は、メキシコの近大美術館などを経て、最近では、カンタベリー大聖堂で、「祈り」の場で、作品の展覧会もされています。 
大英博物館、カンタベリー聖堂、デンマーク王室を始め、世界中にコレクションされています。

 

パリのアトリエには、ひっきりなしに人が訪れ、吉田さんのお世話になっています。いつでも誰でも変わらない優しさで迎えて下さるのですが、落ちついてリラックス出来る雰囲気がいつも漂っているのは不思議なくらいです。絵画を描くという意外には、生活はシンプルで、食べ物も豊ではないのですが、お酒は絶やさず置いておられ、あるものの全てを与え、分け合うことで、豊かな暖かい心で包まれています。

 


 私がおじゃました時には、森で拾ってきた銀杏を焼いたのをビールのあてにいただきました。京都から届いた味噌をチコリにつけて食べるのが好評なのだと言って、いただいたり。


 展覧会に出す作品は、どれも大きなものばかりで、吉田さんの絵画を扱っている方が全てのオーガナイズをされているのですが、私が持ち帰った作品は、小さいので、どこにでも持ち運ぶことが出来ます。出来るだけ沢山の人に見てほしいと言われているので、さてどうしたものか、と思案しています。

 我が家のコレクションです。

 
 
    

Posted by アッチャン at 03:11Comments(0)art

2007年05月03日

映画「バベル」


http://babel.gyao.jp/

 映画「愛人」から


 「バベル」というのは、「バベルの塔」から取ったもの、世界中の人達に異言語を話すように神が定めたという話から取ったもの。

言葉がわからないからコミュニケーションが取れないということはない。
 コミュニケーションが取れないのは、心が通じ合えないから
 心が通じ合えないのは コミュニケーションが出来ないから

 鶏が先か、卵が先かというような、矛盾したような言葉だけれど、心とコミュニケーションは、表裏一体。突っ込んでいうなら、それは「愛」という言葉に置き換えられるように思う。




この映画でも、人々に、まだ遅くはない、今からでも、コミュニケーションを取り戻そう、と呼びかけている。モロッコに夫婦の危機を乗り越える旅に出た夫婦には互いにコミュニケーションはなかった。モロッコの少年達の弟が、遊びで放った銃に撃たれる前は、、、、。傷を受けて、初めて夫婦は互いのコミュニケーションを取り戻す。愛を取り戻す。子供が撃った銃は、日本人が趣味のハンティングでモロッコに行った時に、ガイドにプレゼントしたものだった。その日本人の妻は、銃で自分の頭を撃ち抜いて自殺した。それを見た聾唖の娘は深く心を病んでいる。自暴自棄になって、自分を痛めつけたくて仕方がない娘。銃の事を聴きに来た刑事に全裸で迫る彼女を、優しく抱きしめ、労ってくれた刑事に心を開く。彼女の痛みを涙し、心で受け止めてくれた刑事に。
旅行中、二人の子供の世話をしているメキシコ人の乳母は、どうしても息子の結婚式に出たくて、無断で子供を連れて、甥の運転でメキシコに行く。結婚式もたけなわ、甥が天に放つ銃声に、子供達は怯える。メキシコから違法滞在16年の乳母は捕らえられ、子供達と自分との関係を理解してもらおうと必死になるが、メキシコに送還される。そこで待っていたのは息子、二人は抱き合う。

 歴史は繰り返され、殺戮はやまないし、戦争も終わらない。銃による犠牲者は後を絶たない。
人は、苦しみと犠牲の中で、学び、コミュニケーションを取り戻す。それは長くは続かない、痛みは忘れた頃にやってくる、というけれど、人々は再び同じ過ちを繰り返す。
原爆を受けて、あれほどの悲惨を体験した日本は「戦争の永久放棄」を宣言したことを、忘れかけている。「国益」を優先するという理由から。

 それでも、コミュニケーションは?心が通じ合えるだろうか?
出来る。出来ると信じよう、と映画「バベル」は訴えている。
どうしたら、それを考えるのは、あなた。一人一人のあなた、そして私。  

Posted by アッチャン at 15:00Comments(0)映画

2007年05月01日

鰹のタタキ




 鰹のタタキ、以前はあまり好きではなかった。土佐に行ったことがある。友人が、「黒尊」という店を教えてくれた。ホテルで、場所をコピーしてもらって、探し歩くと、細い路地裏の奥に、その店はあった。 カウンターの周りに、10人も座れば満席になる。時間が早かったので、7時までなら、ということで座らせてもらった。カップルが隣に。有名人が訪れるらしく、写真が沢山貼ってある。
「どうして、こんな場所を知ったのですか。?」と聞かれて、友人に教えてもらったと言うと、口コミでないと来ない場所だから、と。
 ここで出してもらった鰹のタタキは、タタキ一本まるごと切ってあり、とても食べられないと思ったのに、ぺろっと平らげてしまった。戻り鰹も美味しいのだそう、初めて、鰹が美味しいのだということを知った。他にも新鮮な魚が揃っている。どれも豪快に出してくれるので、一人では、と思ったら、カップルには、私の倍の魚が出ている。料も質も半端じゃない。
もういちど、行きたいと思うけれど、土佐は、やはり遠い。それ以来、私は、「黒尊」のタタキを思い出しつつ、土佐料理の「司」のタタキを食べるようになった。梅田の27番街グランドビルの「司」は、人気店で、いつも混み合っている。夕方になると、サラリーマンでいつも満席、それだけに、魚は新鮮だ。毎日午後3時に土佐からの直行便で入ってくる。

 28階、窓からの景色

「司」はチェーン店を全国に展開しているが、店によって違いがある。夕方からは、店内が騒然としている。私が行くのは、たいてい昼食時、日替わりお楽しみ定食(1,260円)はタタキか、魚の造りかを選べる。茶碗蒸し、煮物に、日替わりの1品がつく盛りだくさんな定食。 タタキ定食(1200円)も


黒尊 (くろそん) 
高知市本町3-4-13
088-873-2624   

Posted by アッチャン at 15:17Comments(0)旅のグルメ