2012年03月18日
又あえるまで
土曜日は、たいてい家に引きこもっていることが多い。10時からの、田原浩一郎BS番組「激論」に続き、CSの「パックイン、ジャーナル」が終われば、午後の1時。
なにやかにやと、ぐずぐず。雨も上がって、湿度はあるので、今日は目が楽だ。
いける時に、と腰をあげて、豊中の病院に叔母を見舞いに行った。
ヨーグルトに、従姉妹から届いた、いちじくとマンゴーのジャムを混ぜて、持って行く。 豊中で急行を降り、普通に乗り換えて、岡町から、商店街を通り、なにか、叔母が食べそうなものはないか、と物色。たこ焼きはどうだろう。
あほや、という屋台の店で、先客が2人買っている。その店の名物と書いた、ベちゃ焼き、に目が行った。
柔らかいのかな。どんなのですか、と聞くと、たこ焼き3個を、卵と一緒にして、お好み焼きのように焼いたもの。それを、と頼むと、イカ焼きに使う鉄板に、挟んで焼くのだ。 ソースとマヨネーズもいれてもらって、病院に持って行く。
従姉妹がすでに来ていて、丁度帰る所だった。ラーメンとうどんを食べてもらおうと持さんしていたので、あえて良かった。
叔母は従姉妹から、牧場のヨーグルトを一個食べさせてもらったので、私が持って行ったものは、二口食べて、もういらない、と言い、ベットや焼きは、ひとくちで、後は私が食べなければならない。
叔母は、見たところ、顔つきはすごく元気になり、平行棒で3往復出来るほどに、回復しているのだが、肝心の食欲がなく、口から食べる意欲がない。
これでは、胃瘻にするかしないと、この病院から出ることは出来ない。
死んだ方が良いのよ、と相変わらずの言葉。
寿命があるのよ、生きたくてもいきられない人が沢山いるのよ。
死にたいという願望の彼方には、叔母の両親や兄弟姉妹が、待っていてくれて、会えるのだ、という楽観的な希望があるようだ。
友人のお母さんが、全く食事も水も受け付けないようになって、衰弱するばかり。
医者もさじを投げて、お葬式の手配までしだしたが、蘇って又もとのように回復したという。
人間、死に時、というのがあるよ。という。
叔母は言う。
こんな身体で、お金ばかり使っていて、無駄やわ。
そんなことないよ。お金随分貯めたじゃないの。働いて貯めたお金を、
こうして使えるのだもの、無駄じゃないわよ。そのために、貯めて来たのでしょ。
誰かが来てくれないかな、と待っているでしょ。話も出来るし、痛いところもないのだから、快適な状態といえるかもよ。
叔母は納得したように、笑う。
まあ、そうだけどね。
叔母は、私の帰り際に、愛想なのか、
「嬉しかったわ。」と手を出して、握手を求める仕草をした。
「又、来るわね。」
又、今度、又、良い言葉だと思う。次に会える時を、心待ちに待つ言葉。
Posted by アッチャン at 10:54│Comments(0)