2015年12月15日
クリスマス

母が入居している老人ホームも、クリスマウスツリーが、各階に飾られて、クリスマスムード。
外見は、綺麗で、お花があり、掃除も行き届いているけれど、入居している人達のお部屋は、寝たきりの人もいれば、様々。
母は、クリスマスもお正月もわかってないよう。それは母には、記憶に足りることではないということなのです
。

一日中、舟木一夫のビデオをかけている、テレビの前にいるか、外に出て徘徊するかの毎日。
裏庭の紅葉が綺麗なので、母に見てもらおうと思っても、外の景色を怖がって、紅葉は目に入らない。

赤ちゃんから、一人立ちして、長い人生の終末期になると、下のお世話にならなければならない。
赤ちゃん返りはないのです。
心の底には、大人の精神が根付いている。
なんでも、できるという意識は、健在なのてす。
だから、辛い。恥ずかしいし、悲しいし、辛いのです。
2010年02月26日
認知症を閉じ込めている現実

確定申告に行った。
3月15日までだけど、近くの会場が、2月中しか開いていないので、早めにすませた。会場は空いていて、すぐに会場内に入れた。いつも番号札を出して、待つのが当たり前だったが、自宅で、Eータックスを勧めているので、それを使う人が増えたのだろうか。
去年、友人から、配当金で徴収されている税金が、申告すれば戻って来ると聞いていた。 今年、初めて、配当支払い証明書が来ていたので、配当金明細書を持って行って、
還付申告をした。
終わって、まだ4時なので、ついでに母に会いに行った。
晴れていた空に、雨雲が広がり、お天気がくずれそう。
三笠とベルギーワッフルを母の分だけ買った。おやつの時間はとっくに過ぎているので、母のタンスに入れて帰るつもりで。
社長の娘さんがいて、母のハンガーラックを取り除いてほしい、と言う。
娘さんが、当直の日に、翌朝、母が起きて来ないので、部屋を開けようとしたら、ハンガーラックで、扉が開かないようにしている。大声で呼んでも、母は聞こえない。
危険だから、というのだ。
母はハンガーラックが無くなっても、椅子で、扉が開かないようにする。用心深いので、寝ている間に、誰かが入ってくるのを警戒する。
母が一人で、マンションに住んでいた時も、チェーンをかけているので、合い鍵を持っていても、入れないことが多かった。
倒れていたら、入れないから、チェーンはかけないようにして、と私は、良く言ったものだった。
認知症の母が、今、そういう注意を、その時は「はいはい。」とわかっても、すぐに忘れるから無駄。幾ら言っても、バリケードを作る。
夜中、起きているらしく、朝、おそくまで寝ていることが多いらしい。
母は、元気な感じで、お化粧をしていた。その日によって、母顔つきに差がある。
「あら、どうしてたの?そろそろ来るかなと思ってたところ」母言う
「おとつい来たでしょ。」
妹夫婦にその娘と赤ちゃんを誘って、一緒に「サンマルク」で昼食を取ったことを忘れてはいるが、余韻が残っているのか、それとも、公園を散歩したのが気持ち良くて、また行きたいと待っていたのだろうか?
いつものように、財布を探して、箪笥の中をごそごそしだした。
舟木一夫の写真集をみてはしゃぎ、息子の写真を見ては、「何時帰ってくるの?あなた、嬉しいわね。帰って来たら、一緒に住むの?」いつもの母のせりふ。
上着を着て、バッグを持って、
「美味しいものでも食べに行きましょう。」
「今日は、だめ。もう夕食の時間だから。明日にしましょうよ。」と私が言うと、
「たいして、お腹が空いていないから、いらないわ。ここは美味しいものなんて、ないから。」と母はタンスの中を、ごそごそ。また、財布を捜している。
私が入れた、三笠とワッフルの袋を開けて、
「これ持ってきてくれたのね。」
何度か、この行程が繰り返される。
時計はそろそろ5時、面会時間が終わる。
4階のヘルパーは一人しかいない。食事を運ぶのに精一杯なので、エレベーターの鍵を開けてもらえない。
母は、私と一緒に出かけるつもりでいる。
「そこまで一緒に行くわ。」
母は食卓に座ろうとしない。
夕食が全て運ばれ、入居者は食べ始めている。
ひどくお粗末な、おかずだ。
皆、黙って、下を向いて食べている。
母に、座って、一緒に食べるように勧めても、私に食べさせようとして、食事を私の前に移動させる。
向かいの女性が、額にしわを寄せ、難しい顔で母をたしなめた。
「早く食べなさい。いつまでも片づかないわ。」
仕事が一段落したので、ヘルパーが、エレベーターに鍵を入れて開けてくれた。
母は、立ち上がって、ついてついてこようとしている。
私は、あわてて、エレベーターに。
階下に、二人、ケアーマネージャーとヘルパーがいた。話込んでいたらしい。娘さんの車はあるが、いない。
先日妹達が帰ってから、二人で、公園を散歩して、ベンチに座り、レストランの残り物のパンをちぎって、雀にやると、たちまち鳩が寄ってきて、雀は、押しやられた。
「ちっこい方が可愛いわ。大きなものはのさばって、偉そうに、いばって、嫌い。小さい鳥や、小さい子供が好きだわ。私も小さいから。」
公園で、遊ぶ子供達を目で追って、眺め、母はとても喜んでいた。
「まだ、歩けるし、出てこられるからいいわ。 死んでしまったら、こういうことも出来なくなるわ。」母は言う。
母に、もう少しでも快適に、気持ちよく暮らせる方法はないものだろうか。そういう施設はないのだろうか。
先日、母の部屋の窓が開かないので、開けてほしいと頼んだ。
入居者が、出て行こうとするので、鍵をかけている、とのこと。
母の窓は、消防の入り口になっている。
火事が起こったら、危険だ。石油ストーブを炊いているのも不安だ。
認知症だからと言って、隔離して、閉じこめていれば、職員はやりやすいだろう。が、それは間違っている 。3人の規定なのに、二人か一人できりもりしているので、身体と心のケアーが出来ていない。
母がそういう生活を、この先10年続けるとしたら。私は、やり場のない怒りで、上げられないお拳を、どこに向ければ良いのだろうか。
2009年12月17日
仁左衛門さんの「祭り」

先日、南座で恒例の、「顔見せ」夜の部を観た。お正月を前にして、華やかな舞台だった。東西の人気役者の合同顔見せとあって、正に、顔を見せていただいた感じで、内容は、というと、物足りなかった。
歌舞伎で、仁左衛門と玉三郎との共演と言えば、世話物、人情物、恋の道行き、といったものを期待するので、美しい花魁と, 気風の良い助六、どちらもの魅力は十二分に発揮しているものの、観る者としては、ほろりとさせられる、心のひだとか、感極まった感情の高ぶりに引き込まれることを期待しているので、あっけらかんとして物足りなさが残っっている。

まだ昇華されていないという思いから、南座の昼の部が観たくて、何度もコンピューターでチケットを買おうかと試みては、いやいや勿体ないと、購入までは行かないで、もどかしく、悶々とする日々。
昼の部は、仁左衛門さんの素晴らしい踊り「祭り」が入っている。踊りっぷりの粋さ、旨さ、人を惹きつけてはやまない魅力が、今でも脳裏に焼き付いている。もう一度観たいけれど、施設にいる母のことを思えば、私だけ、仁左衛門さんの「祭り」を楽しむ気になれない。
母と一緒に、[すごかったわね。素晴らしいわね。]と互いに興奮しあった。
仁左衛門さんが、長い闘病生活の末に、舞台に出ても、声が通らず、身体も思うように動けず、もう以前のような姿は見られないかと,あきらめていたので、「祭り」を踊る仁佐衛門さんを観て、感動もひとしおだった。
今ではすっかり、お元気になられて、何の心配もないけれど、ここまでに回復されるには、長い年月がかかっている。舞台で生の演技を観られるということは、奇跡的なことなので、機会は逃さずに、観ておきたいと思う反面、母に見せてあげられないし、一度観たのだから、私だけ贅沢は出来ないとも思う。

観劇は、一期一会。そのうちに、またの機会に、と思っていても、それがかなわない場合がある。イブ、モンタンのリサイタルも、越路吹雪のリサイタルも、観たいと願いつつ、機会を失った。フランクシナトラは、母が大のフアンで、日本に来た時に、大阪城ホールでの公演に、2度、一緒に観に行っている。ライザ、ミネリとサミーデイビス、ジュニアとの共演だった。元気に歌っていた人達は、この世にいない。
母の好きな、加藤剛の舞台は、何度か連れて行ってあげた。足を怪我して歩けなかった時、車で行ったこともある。三越でのサイン会に、母は一人で行って、握手してもらったと自慢していた。舟木一夫の、ディナーショーには、お洒落をして、一人で参加していた。好きな歌手のリサイタルはかかさず行って、握手してもらったと、興奮していた。母はかなり、ミーハーでおちょこちょい。お金払が良くて、ばら撒きタイプだった。
あんなに輝いて、好奇心が一杯で、元気だった母が、耳が遠くなり、記憶力が無くなり、好奇心が失せてしまっている。お金は全く自由にならない。物欲はすっかり失せていて、買い物興味がなく、旅行も、温泉も行きたくない。楽しかった思い出の記憶は消えている。
一期一会、観劇を観に行ける、美味しいもの食べられる、歩いて、どこにでも行ける、当たり前のことではない。明日行けば良い、という明日がないことの方が現実的なのかもしれない。
2008年02月24日
舟木一夫と五木ひろしのリサイタル

新聞屋さんが出している、無料の招待券をヤフーのオークションで、二枚3000円で購入した。無料のチケットは3階席で、差額を払えば、一階席に交換出来る。このチケットがあれば、通常よりも、チケットが安く手に入るのだが、その為に充てがわれた席は、通常料金の場所よりは悪い。耳が遠く、セルフが聞き取りにくい母の、もっぱらの楽しみは歌を聴くこと、五木ひろしの歌なら喜ぶだろうとチケットを手配した。その数日前には、舟木一夫のリサイタルに、妹と3人で、同じく新歌舞伎座まででかけていた。

舟木のリサイタルは、一日だけということもあって、会場は満席で、空きが一つもなかった。チケットの前売り購入を頼まれて、電話での予約を入れた時にも、話し中ばかりで、やっと繋がったと思ったら、良い席は全てなく、二階の端席しかなかった。 それも夜の部が残っていただけ。舟木のフアンからの、プレゼントの数は膨大で、大きな花束や紙袋が次から次に舞台に作られた、プレゼント用の台を埋め尽くし、置く場所がなくなると舞台の袖から、係が受け取りに来るほどだった。4つの通路には、腰をかがめて順番を待つ人で一杯。舟木は各列を歌の間を縫って、プレゼントを受け取りに行く。
フアンはおとなしく、舟木の歌を聴き、握手をしてもらう為に、プレゼントを渡す順番を待っていた。一席の空きもないということは、病気も、熱も押して、何もかも犠牲にしてでも、やって来たに違いない。はるばる来た人もいるだろう。熱烈で心代わりのしないフアンだろうが、静かで、おしとやかで、おとなしい。おでかけようの服装も、宝塚調で、ほとんどが女性。
反面、五木ひろしのリサイタルは、空席が目立ち、舟木の時に、私達が座っていた2階席のあたりはまったく開いていた。一階席も、私達の前の席は何席も空いていたので、身体の小さな母でも、舞台がよく見えた。
五木のフアンは、ライトを揺らし、黄色い声をあげて、「ひろし」と多分言っているのだろう、聞き取れない声が。特別ゲストの堀内孝雄が出てきて、「五木さんは、すごいね。声がすごい。僕はそういう経験ありませんよ。」と。誰から小さな花束を堀内孝雄に渡すと、「これ五木さんようじゃないの。嬉しいなあ。」と言って、出番が終わると大事そうに舞台の陰に。五木ひろしへのプレゼントは、小さな花束が2つほどで、あとは紙袋ばかり、五木の汗を拭いてもらうために、ハンカチを出す人が多い。男の人も多く、夫婦連れが目立った。

母は「舟木さんのプレゼントは、すごかったのよ。500人くらいのプレゼントだった。」とオーバーな表現で、舟木を賞賛していた。母に取っても、舟木一夫は、特別なのだろう。それほど好きなのだろう。リサイタルが終わってからも、母の話題は、舟木のプレゼントの数の話。そういう沢山のフアンに舟木が支えられていることが、母に取っては嬉しいらしい。舟木の姿を、二階から身を乗り出して、オペラグラスを最初から最後まで離さずに見入っていた母は、「綺麗ねえ、ハンサムねえ。」と時々私に同意を求める。遠くから見ていると、確かにまだハンサムに見えるけれど、オペラグラスを通してまで、それほど美しく見える母には、他のおとなしい、熱烈なフアン同様、特別の存在、「永遠の心に秘めた恋」なのだろう。
2007年10月14日
舟木一夫45周年記念公演
http://www.aiesu.co.jp/Istarento/FK_2.htm

10月の新歌舞伎座は、舟木一夫の45周年記念公演が開催中だ。母は、舟木のフアンで、リサイタルは勿論のこと、デイナーショウなどにも、一人で出かけていたが、最近は付き添いがいるようになり、私がお供した。
観客は、ほとんどが中高年層で、圧倒的に女性が多いものの、中に男性の姿も見える。
土曜日の夜の部にしては、後部座席に空席が見えるが、二階、三階席は、下から見た限りでは満席のように見受けられた。
一ヶ月公演を連日満席に出来るのは、舟木だけだと聞いたことがあるが、以前に観た時には、ステージがプレゼントの数々で山のようになっていた。今回も、歌い始めると、次から次に、花束やプレゼントの紙袋を持った人達が、握手をしてもらう為に、舞台下で待っている。舟木は、もらったプレゼントをかかえて、歌うと、ステージに作られた台の上に並べて行く。最初に手渡す人は、しっかりと握手してもらえるけれど、次から次に渡す人達は、プレゼントを持ちながらなので、ちょこっと手を合わせる程度、どの人もおとなしく真面目そうなフアンばかりで、渡し終えると、かがみながら席に帰って行く。

舟木と共に、歩んで生きた人達は、定年を迎えて、年金生活に入っている人や、これから年金生活に突入する人達が主流なので、舞台公演を観に来るのも大変なのではと思うのに、高価な花束や、プレゼントまで買ってくるのは、大変なことだと思ってしまう。
普段の生活は切りつめて、舟木に会いに来るのを楽しみにしている人達が多いだろう。
以前には、チケットが早くから完売済みだったけれど、高い席が残っていた。劇場はどこでも平日の昼間の方が、よく売れている。主婦や職場をリタイアした人達は、昼間が暇なのだ。
今、年金問題が揺れている。今は20パーセント以上の人が無職世帯、これから40パーセントが無職世帯になると言う。年金をもらって、無職ではいられなくなる時期が来るだろう。仕事にかり出される高齢者の旦那さんを送り出した主婦達は、相変わらず、昼間に劇場に足を運ぶのだろう。プレゼントを下げて、心の恋人に会いに、いそいそと。
舞台の舟木は、相変わらず、若々しく、髪も豊で、声に幅と奥行きも出来て、ボリウムがあり、益々うまくなって行く。1時間の歌の部は、あっという間に過ぎて、また明日にも、来たいわねと、母は上機嫌で「絶唱」をうわずった声で口ずさみながら、劇場をあとにした。
「今日一日、楽しかったわ。」と喜ぶ母の顔を、出来るだけいつまでも見たいと思った。

10月の新歌舞伎座は、舟木一夫の45周年記念公演が開催中だ。母は、舟木のフアンで、リサイタルは勿論のこと、デイナーショウなどにも、一人で出かけていたが、最近は付き添いがいるようになり、私がお供した。
観客は、ほとんどが中高年層で、圧倒的に女性が多いものの、中に男性の姿も見える。
土曜日の夜の部にしては、後部座席に空席が見えるが、二階、三階席は、下から見た限りでは満席のように見受けられた。
一ヶ月公演を連日満席に出来るのは、舟木だけだと聞いたことがあるが、以前に観た時には、ステージがプレゼントの数々で山のようになっていた。今回も、歌い始めると、次から次に、花束やプレゼントの紙袋を持った人達が、握手をしてもらう為に、舞台下で待っている。舟木は、もらったプレゼントをかかえて、歌うと、ステージに作られた台の上に並べて行く。最初に手渡す人は、しっかりと握手してもらえるけれど、次から次に渡す人達は、プレゼントを持ちながらなので、ちょこっと手を合わせる程度、どの人もおとなしく真面目そうなフアンばかりで、渡し終えると、かがみながら席に帰って行く。

舟木と共に、歩んで生きた人達は、定年を迎えて、年金生活に入っている人や、これから年金生活に突入する人達が主流なので、舞台公演を観に来るのも大変なのではと思うのに、高価な花束や、プレゼントまで買ってくるのは、大変なことだと思ってしまう。
普段の生活は切りつめて、舟木に会いに来るのを楽しみにしている人達が多いだろう。
以前には、チケットが早くから完売済みだったけれど、高い席が残っていた。劇場はどこでも平日の昼間の方が、よく売れている。主婦や職場をリタイアした人達は、昼間が暇なのだ。
今、年金問題が揺れている。今は20パーセント以上の人が無職世帯、これから40パーセントが無職世帯になると言う。年金をもらって、無職ではいられなくなる時期が来るだろう。仕事にかり出される高齢者の旦那さんを送り出した主婦達は、相変わらず、昼間に劇場に足を運ぶのだろう。プレゼントを下げて、心の恋人に会いに、いそいそと。
舞台の舟木は、相変わらず、若々しく、髪も豊で、声に幅と奥行きも出来て、ボリウムがあり、益々うまくなって行く。1時間の歌の部は、あっという間に過ぎて、また明日にも、来たいわねと、母は上機嫌で「絶唱」をうわずった声で口ずさみながら、劇場をあとにした。
「今日一日、楽しかったわ。」と喜ぶ母の顔を、出来るだけいつまでも見たいと思った。