2011年01月05日

高峰秀子の流儀

 
 


昨年の暮れに、高峰秀子さんが亡くなった。
高峰秀子著書「私の渡世日記』上下2巻と、斉藤明美著『高峰秀子の流儀」を、友人から借りて、読んでいたので、なんだか、人ごととは思えない。私の渡世日記 は、まだ上しか読んでいないが、斉藤明美の『高峰秀子の流儀」は、私生活でも親しかった人が、彼女の夫婦生活や日常から、高峰秀子の全体像を描いていて、読みやすさも手伝って、一気に読ませてもらった。
 高峰秀子が、かつて、NHKの放送大学に入学した時、なんで?と思ったけれど、学校に行って、勉強していない、知識がない、という劣等感は、彼女の心に死ぬまで、染みついていたようだ。
 彼女の読書熱は、人並みではなく、朝から、ベッドの中で、一日中本を読んで過ごすという、本の虫だった。
 勉強がしたい、知識を得たい、勉強することへの執着以外に、彼女は、何にも未練や、欲望を持たない人で、あっさりして、潔い人だったよう。
女優にも、全く未練がなく、むしろ女優をやめたくてしかたなかったので、多大の借金を支払い、自由になって、松山善三に食べさせてもらえるめどがつくと、あっさりと女優を引退した。その後の私的生活において、高峰秀子は、一人の人間として、勉学と、読書、随筆の執筆、夫の為に料理を造り、ハワイの別荘との、往復の生活だった。
 何事にもこだわらない。物を捨て、思い出を引きずらない、

「心の中のノートに、ごちゃごちゃと書き込まない。いつも真っ白にしておきたい。」

 「いちいちこだわっていると、女優なんかしてこられなかったからね。」
いつものように淡々と言うと、高峰さんは煙草に火を付けた。


「こだわる」という言葉は、さわる、差し障る、妨げとなる。気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する。

著者、斉藤明美は、
「こだわることによって、人は心乱れ、右往左往し、ストレスを溜め、自分だけでなく、他人までも苦しめる。」と。

 見事に、潔い生き方を貫いた、高峰秀子は、肺癌で亡くなった。煙草を離せない人だった。身体にも、こだわらない人だった。
同じような生き方をした人じゃないかな、と池内淳子という女優を思った。
彼女も、潔さ、こだわりのなさを、旧知の人達が語っていた。
やはり、ヘビースモーカーで、彼女の死因も肺癌だった。

 人から慕われ、好かれる人は、こだわらない人なのだろう。こだわらない人は、心を真っ新にしているので、誰でも、何でも受け入れることが出来る。人の良い点と、知恵を、力を吸収して、そのたびに、豊かな人間に成長していくのだろう。

そうありたいものだ、と願うのに、そうなれないのは、私のこだわりに違いない。
 
テレビで、料理人、道場さんが、80才に、料理界の人達を招待して、今までの料理人生の節目として、料理を造り、食してもらった。その後、道場さんは、自分の半身とも言えるような、品書きや、思いでも品々を燃やしていた。
 これから、真っ白にして、新しい料理探求の旅にでるために、と。
 
  

Posted by アッチャン at 15:31Comments(0)日々の事

2011年01月05日

改革は、光の道から


 



 胃炎でむかむかしているのに、管総理の顔と発言を見ると、余計にむかむかして、気分が悪い。
 少し肥えてふっくらしてきた顔が、またげっそり痩せている。昨日は、少し良くなったかと油断して、野菜のおじやと、ぶりの煮物を食べたのが、胃の負担になってしまった。 管総理が、目をしばつかせて、小沢さんをダーティーの張本人の如くに攻撃し、解散を聞かれれば、「解散のかの字も考えていない。」と厚かましい。
 煮ても焼いても、どうにもならない男、というが、まさに、この人はそういう人のようで、むかむかしてくる。
 関係のない私が、こう思うのだから、小沢さんを信奉し、政治家を志した議員達は、いかほどであろう。
 このような、状態にあっても、当の小沢さんは、正論を淡々と語っている。
 
政治と金に、終止符をうつためには、小沢さんをやりだまにするよりも、選挙にお金のかかる、今のシステムから、ネット選挙への移行を提案すべきである。
小沢さんが、現場主義を議員に徹底させ、毎週辻立ちをするようにというのも、問題だ。交通費がかかるし、選挙に勝つために、そうしなければならないなら、選挙に当選することが、目的になりがちである。
インターネットを利用して、現場に行かなくても、テレビ電話で、話し合うことが出来る。お年寄りがコンピューターを触れなくても、近所の家に集まれば、そこで、議員と顔をネットを通して会える。
ビデオレターを使ったり、お金のかからない、様々な工夫を取り入れられる。

病院のない地域に、ネットが活躍し、遠隔診断を可能にしているように、地元の声を吸い上げ、国民が望んでいること、困っていること、苦情など、話し合うのに、ネットで出来ることは多い。

原口さんが、力を入れていた、光の道は、管政権になって、立ち切れになっている。 そういう改革を全面に打ち出し、この国のしくみを変えていく。予算の組み替えも、国から、地方に移譲して、小沢さんが言うように、自分達で、自分達のニーズにあった使い方をすれば、財源は確保される。

管政権になって、全く官僚依存で、政治は後退し、お先真っ暗の状態だ。
ある意味において、小沢さんの選挙のやり方は、古いと言わねばならない。
全国ネットを完備し、光の道を通して、現場に行かなくても、瞬時に、物事を把握し、情報を得て、解決に持ち込む。選挙のお金もかからなくなる。ネットは開かれたもの、政治家の終始報告も、電子書類で、誰でも見るこが出来ることを義務づける。 改革とは、そういうことを言うのでないか。ああ、胸がむかむかする。  

Posted by アッチャン at 11:30Comments(0)コラム